中学の同窓会の案内が届いたのは、俺が五十歳の節目を迎えた少し後のことだった。中学時代、俺は人生で最初の大きな挫折を味わっていた。学校に行けず、クラスの中で孤立し、かつての人気者にコケにされる日々。そんな過去を持つ俺にとって、同窓会への参加は最初から迷いの種だった。
返信期限が迫る案内状を前に、俺は何度も欠席の理由を考えた。だが、数少ないいい思い出が背中を押した。俺と友達になってくれた仲間たち。学校に行けない俺を心配してくれた恩師。会えたら嬉しい人たちの顔が浮かび、俺は同窓会に参加することを決めた。
同窓会当日、俺は仕事を午前中で切り上げて会場に向かった。会場は俺が子供の頃にはなかった大きなホテルのバンケットホール。受付を済ませて中に入ると、中学時代からの数少ない友人に声をかけられた。
「久しぶりだな。」
「ああ、久しぶり。元気そうだな。」
「そちらこそ調子良さそうだ。」
最初は一人だった友人は、二人増え、三人増え、いつの間にか昔の仲間が揃っていた。近況報告に仕事の話。地元の最近の様子。同窓会らしい穏やかな時間が流れていた。
「あら、嫌だ。高安君、ここに来たの?」
俺の顔を見るなり、指を差して甲高い声を上げた女性がいた。誰だか分からず記憶を探っていると、彼女は不機嫌そうに名乗った。
「ちょっと何よ、その反応。平松大東よ。」
ああ、大東さんか。長い髪をなびかせ、目元の化粧が印象的なその女性は、中学時代、俺にとって最も辛い存在だった女子生徒だった。クラスの女子のリーダーであり、男子からも人気のある華やかな存在。彼女が俺の素性に気づいたその日から、ただでさえ浮いていた俺は完全に変人と見なされた。
「高安君が学校に来るだなんて珍しい。あ、もしかして家が危ないから勉強しないとまずい状態?」
俺が学校に行けば、大東さんは嬉しそうにからかった。直接手を下さなければ、仲のいい友人を焚きつけて嫌がらせをさせる。ロッカーを板と釘で塞がれ、靴箱にゴミを詰め込まれたこともあった。
「よく来たわね。高安君みたいな人って同窓会からは逃げると思ってた。」
「ああ、僕にも会いたい人はいたからね。」
「へえ、そうなんだ。友達なんていたのね。」
俺と仲間の顔を見回して、大東さんは小さく笑った。そして、俺の学歴に露骨に食いついてきた。
「高安君、卒業式にもいなかったけど、あれからどうしたの?」
「まあ、自分のやりたいことをしてたよ。」
「高校に行ったっていうのも聞いてないんだけど。」
「ああ、縁がないまま終わったよ。」
「やだ、ちょっとまさか中卒?信じられない。どうやって生きてきたわけ?私なんて大学まで出たし、周りだってほとんどそうよ。」
大東さんは大声で同級生たちを呼び寄せた。
「ちょっとみんなも聞いて。高安君、中学を出ただけなんだって。」
「まあ、中学だって卒業したって言えないけどね。中卒のダメ人間。今時の感じだと底辺の人ってことよね。」
俺は何も言えずにやり過ごそうとしていた。しかし、友人の一人が眉をひそめて大東さんに苦言を呈した。
「大東さん、やめたらどうかな。言っていいことと悪いことがあるよね。昔もそうだったけど、今になってもこんなことをしておかしくないのか。」
「何よ?同窓会でしょ。昔に戻ってプレイなんじゃないの?それに高安君は何を言われても仕方ないと思うけど。中卒で底辺。人前に出るなんて恥ずかしいだけの人じゃない?」
友人が詰め寄られそうになり、俺は友人を止めた。
「ありがとう。いいよ、もう。」
「大東さんの好きにさせたらいいから。」
俺は友人に耳打ちして、大東さんのペースにしばらく乗ることにした。
「中卒底辺ってことは、結婚にも縁はないわよね。」
俺が独身かどうかを確認すると、大東さんは左手の薬指を見せてきた。そこにはゴールドの結婚指輪が光っていた。
「私にはいわゆるエリートの主人がいるの。大手企業勤務で営業部長よ。」
大東さんの夫は名門私立大学の経済学部出身で、大東さんは名門女子大学を出ている。大学時代のバイト先で知り合い、今では都内の一等地にあるマンションで暮らしているそうだ。以前は大手の自動車メーカーにいたが、ベンチャー企業にスカウトされた。優秀なのだと、彼女は胸を張る。
「アニメで見るような高笑いと一緒に、大東さんはご主人と日々の暮らしを自慢した。結婚指輪は高級宝飾店のもの。同窓会に着てきた服も海外ブランドの新作。趣味はブランドバッグの収集。自分を飾り立てられるのは、全て優秀なエリートサラリーマンの夫のおかげだと彼女は言った。」
「うちの主人は、底辺のあなたには一生縁のない人よ。」
大東さんはそう言い放った。俺は凍りつくような思いで彼女を見つめていた。しかし、その時、俺が恩師と仰ぐ中学時代の担任が現れた。
「よく来てくれた。」
先生は満面の笑みで握手を求め、俺の背を軽く叩いた。その間に大東さんは友人のところへ行ってしまった。俺は担任と仲間に囲まれながら、ようやく同窓会らしい雰囲気を楽しんだ。だが、頭の中には大東さんとの再会がへばりつくように残っていた。底辺だのダメだの、五十になっても馬鹿にされた記憶が。
同窓会が無事に終わり、参加者たちは三々五々散らばっていった。俺は友人と飲み直そうと話し、トイレに寄ってからホテルのロビーで待つ友人の元へ向かった。ロビーには大勢の人がいたが、その中に見覚えのある中年男性がいた。思わず声をかけそうになると、先に大東さんが男性に駆け寄っていった。
「迎えに来てくれたの?ありがとう。」
男性の反応は静かなもので、自然に大東さんを受け入れている。大東さんは俺を見て誇らしげに言った。
「ああ、高安君、私の夫よ。さっき話したね、ベンチャーの営業部長の。」
俺は何と言えばいいのか迷った。俺の目の前に立つ大東さんの夫との不意の対面。そして、その男性の姿を見て、俺は全てを理解した。
「あの、ベンチャーの営業部の平松さんですよね。けど、部長ではないはずですが。」
俺の指摘に、大東さんと夫の時間が止まった。大東さんの釣り上がった眉がさらに上がり、夫は首を引っ込めて縮こまる。
「申し訳ありません。社長。これにはわけが…」
平松さんがぼそぼそと話す。大東さんはますますヒステリックになった。
「は?社長って何?」
「だから、高安社長だ。今、僕が勤めている会社の…」
「ちょっと、なんであなたが高安君と働いてるの?何が社長なのよ。」
「だから、僕の勤め先は高安社長の会社なんだ。IT系のベンチャー企業だ。」
「嘘でしょ?ベンチャー、ベンチャーの営業でしょ?それは…」
大東さんの追及に、夫は黙り込んだ。
俺の名前は高安明。職業は会社経営者だ。自分の身分や社会的な立場を自慢するつもりはない。俺の経歴は屈折と挫折を元に作られていた。子供の頃から俺は、学校に行き友達を作って勉強をするよりも、自分の好きなものに熱中していた。体操教室が好きで、一人で黙々と打ち込んだ。年上の従兄弟に勧められて読書にも入れ込んだ。学校よりも楽しい場所と物があるというのは、自分と周囲の隔たりを生む理由になった。
同時に、俺は家族の中のプレッシャーにもさらされた。俺の家は曾祖父の代から木材加工の工場と会社を経営していた。祖父は町工場の二代目社長で、俺の父が三代目。祖父は俺に「お前は会社と家族の将来を背負っている」と繰り返し言い聞かせた。祖父の主張は分かっていたが、俺には家業を継ぐ運命もある一方で、自分のやりたいこととつきたい仕事を見つけられる可能性もあった。現実と自分の夢の板挟みになり、俺は中学生にして無気力に突き落とされるような悩みを経験した。
中学二年の夏休み明けには、俺は密かに学校からの撤退を決めていた。不登校に落ちた俺を叱責せずに認めてくれたのは父だった。父もまた、自分の父親である祖父から何かと小言を言われる思いをさせられてきた。自分も家族というプレッシャーを抱えてきた父は、俺の気持ちを理解して焦ることをしなかった。
「まだ十四歳だ。好きなだけ考えて、やれることをやればいい。親父はどうしても強引な人だから、親父のことは気にするな。」
母も同じ考えで、俺には俺の人生があると言った。将来などどうにでもなるという両親の姿勢に励まされ、俺はどうにか自分を保っていた。それでも中学には通わず、高校進学の機会も見送った。自分ではいつか定時制か通信制に通おうと考えながら、時間を過ごした。その間、家業は弟が継ぐと決まっていた。
「兄ちゃん、心配しないでいいんだ。俺はじいちゃんに似てる。鈍感でしぶといから、俺がどうにか会社をやるよ。」
弟の力強い言葉に、俺は心底ほっとした。それと同時に、自分は自分なりに強く生きて自分の道を見つけようという気持ちになれた。中学を卒業後、俺は実家の工場でアルバイトをさせてもらいながらお金を貯めていた。最初は定時制の高校に通う学費を工面しようとしていたが、途中で目標が変わった。
俺と仲の良かった年上の従兄弟が大学に進学し、当時はまだ珍しかった人工知能の研究に取り組んでいた。従兄弟はプログラミングも学び、技術を深めていた。アメリカへの留学を目標にしていた従兄弟は、暇があると俺のところに顔を出し、パソコンの使い方を教えてくれた。その結果、俺は従兄弟には及ばないまでも、ネットやIT関係の知識を身につけることになった。従兄弟がアメリカへ旅立ってからは、一人で勉強を続けた。実家といくつかのネットベンチャー企業でアルバイトをしながら資金を作り、ついには地元のレンタルオフィスの一室から会社をスタートさせた。
会社設立八年目でレンタルオフィスを飛び出し、都内へと本社を移転。ビジネスビルの一角を本社として従業員を増やし続けた。現在は本社の他に支社と関連会社をいくつか構え、従業員数は一万人を超えた。
大東さんの夫である平松さんも、そんな従業員の一人だった。一年前、大手自動車メーカーのデジタルコンテンツ部にいたという経歴を引っ提げて転職してきていた。しかし、平松さんへの評価は良くなかった。仕事を分かっていない。パソコンやソフトを使いこなせないわけではないが、業務内容への理解がいまいち追いつかないのだ。平松さんの上司で、彼にとっては年下の営業部長は、平松さんには大事な局面を任せられないと評価を下して一線を引いていた。現在の平松さんの業務は、営業部のエースたちを支えるリサーチ係。地味な仕事だった。
「平松さんには、営業部の一員として社員のサポートに徹してもらっているよ。」
俺がそう言うと、大東さんは怒りを爆発させた。
「冗談じゃない。なんて人なのよ。私のこと騙したわね。どうなっているのよ。ベンチャーにスカウトされた優秀さを認めてもらえたって。あなた、そうだって言ってたわよね。」
「それも違う。前の会社は、ミスの責任を取って解雇になったんだ。」
「は、ちょっと待ちなさいよ。聞いてないわよ。」
「言えるわけがないだろう、君に。」
平松さんの告白は短いが重かった。二年前、平松さんは前職で大きなトラブルに見舞われた。所属していた部署全体で起こしてしまった秘密事項の他者への流出事故。部署全体の管理体制の甘さに原因があったようだが、そもそもの情報流出のきっかけを作ってしまったのが平松さんだった。責任を問われた結果が解雇。それから平松さんは必死に再就職先を探し、俺の会社に流れ着いたというわけだった。
「君に本当のことを言えるわけがないんだ。だから僕は、君が喜びそうな話に変えた。ベンチャーから部長待遇でスカウトされたというのも、そういうことなんだ。」
大東さんの口ぶりから、日頃の夫婦関係が透けて見えた。おそらく平松は、妻が権力を持ち、その理想に合わせる形で動いているのだろう。
「平松さん、そこまでにしましょう。」
俺はロビーを見回した。周囲にはいつの間にか人の輪ができていた。中にいるのは俺と大東さんのかつての同級生たちだ。世間は現金で残酷なものだ。同級生たちは好奇の目で俺たちを眺め、大東さんを指さして笑っている人も見えた。
「ここではなく、別の場所で話を…」
「ふざけんじゃないわよ。あんたなんて、もういらないわよ!」
大東さんは大声で怒鳴りながら夫を突き飛ばした。そしてそのまま、どこも振り返ることなくロビーから大股で出ていった。平松さんが立ち尽くしている。俺は何と言ったらいいのか分からず、当たり障りのない言葉をかけて、人の輪を解消させた。同窓会は慌ただしく終わった。
「社長には飛んだご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。」
同窓会から四日後、俺は会社の応接室で平松さんと向き合っていた。
「あの日帰宅してから、妻に追い出されてしまいました。」
同窓会のその後、何が起こっていたのか、当事者が自虐的に語った。
「私が悪いとは言っても、妻にも原因はあったと思ってますが…」
「ああ、そうかもしれませんね。」
平松さんの言葉に、俺も思わず苦笑を漏らしてしまう。
「ゆみは賑やかで社交的で負けず嫌いなものですから、何でも人と張り合いたい。自分だけでなく、旦那のことも家族もそうです。」
そういうものだろうと分かっていたが、平松さんは妻によって常に追い詰められていた。エリートサラリーマンであり、日本を代表する会社に務めている夫。高級な専業主婦として妻を養える夫であることを求められ、そうでなければ許されない。そんな重圧にさらされながら、平松さんは前職で致命的なミスを犯して仕事を失った。どうにか俺の会社での再起の目を掴んだが、大手自動車メーカー時代よりも給料は下がる。あの妻を満足させられるお金は手にできない。追い込まれた平松さんは、生活費の足りない部分を消費者金融で工面し、忙しさを演出するためにサウナやネットカフェに泊まって帰宅しない日まで作った。そうしてどうにか自分を飾り、妻に望み通りの生活をさせた。それが同窓会の日に破綻し、夫婦の関係も破綻した。
同窓会の後、平松さんは離婚を突きつけられた。次の日には離婚届が用意され、その日のうちに妻が役所に持ち込む手配になっているらしい。ちなみに大東さんは、離婚届を持って実家に帰っているという。華やかだった自分が砕け散り、周囲に全てが虚偽だと知られた恥ずかしさから、実家にこもる選択をしたようだ。
「大学卒業以来、ほとんど働いた経験がない彼女は、社会の中で生きる自信もないはずです。きっと彼女は、親御さんにお世話になるんでしょうね。」
元妻について、平松さんはあっさりと言い切っていた。今の彼にとって大事なのは、自分自身と仕事だ。これまでのプレッシャーから解放された彼は、人生を立て直そうと前を向いている。営業部長からも、平松さんが何か吹っ切れたように見えると聞いた。これまでは言われたことを消化していた平松さんが、自分から業務を提案しようとしている。
「やらないといけないことばかりで、お金も返さないといけない。仕事に集中するのももちろんですが、自分で自分の人生を生きるために。」
平松さんの生まれ変わりは、いい結果に繋がると俺は信じている。せっかく俺の会社に来たのだから、これからも懸命に働いてほしい。俺はそう思いながら、仕事に戻る平松さんを見送った。



