「父さんたち、いないの?」
ある日、私は家に帰って、その言葉を呟いた。家具も家電も、私の通帳と銀行のキャッシュカードまで、全て消えていた。残されていたのはリビングのテーブルと、その上に置かれた土地の権利書、そして小さなメモだけだった。
メモを読んで、私は怒りで手が震えた。義家族は家も金も持ち逃げして、海外移住のために出発したらしい。私を捨てて幸せになれるとでも思っているのだろうか。残された権利書を確認すると、そこには交通の便も悪く、人が住めそうにない山間の土地の詳細があった。資産価値が低いことは明白だった。不要な土地を押し付けられて、思わず肩を落とした。
しかし、それから数日後、新居で暮らし始めた私の元に一通の封書が届く。送り主はとある通信事業会社。書類の内容を確認して、私は思わず息を呑んだ。
私は細川美。不動産管理会社に勤める36歳だ。二つ年上の夫・裕人と結婚したのは、今から五年前のこと。彼と知り合ったきっかけは、叔父が持ってきたお見合いだった。私は十年ほど前に両親を亡くしており、家族がいない。そんな私を心配した叔父が、そろそろ結婚したらどうかと提案してくれたのだ。
当時は結婚願望も薄かったが、一生一人で生きるつもりもなかった。お世話になっていた叔父の好意を無駄にするのも申し訳なくて、一度相手と会うことにした。
「細川といいます。初めまして。こうして美咲さんとお会いできて、すごく嬉しいです」
出会い頭に一礼して目を細めた彼は、真面目で優しそうな雰囲気だった。会社員で、両親と仲が良いらしい。彼もまた、父から見合いを進められたことに驚いていたという。どうやら二人の父親は同じ会社の上司と部下で、叔父が話を持ちかけたらしい。
「叔父が私のためにこの場を設けてくれたんですね。裕人さん、来てくれてありがとう」
「いえ、美咲さんのような方と出会えて光栄です。想像以上に素敵な女性で、驚きました」
私たちはその後、徐々に距離を縮め、交際を開始した。付き合い出してからも順調で、次第に結婚を意識し始める。
「美咲、俺と結婚してくれませんか? 真面目で頑張り屋の君を、隣で支えていきたい」
交際から一年後、彼からのプロポーズを受けた。私はすぐに頷き、彼の手を取った。叔父も、話を聞くや満面の笑みで祝福してくれた。叔父のおかげで家族ができた。そう思っていた。
結婚後、私たちは義実家の近くのマンションで暮らしながら、穏やかな夫婦生活を送っていた。その生活が一変したのは、結婚から二年後。義父が定年を迎えたタイミングだった。
「太鼓も考えたが、やっぱり退職することにしたよ。それで、よければ二人と同じ家で暮らしたいと思ってるんだ」
義両親から、実家での同居を提案されたのだ。体調面が心配なのだという。
「父さんたちが望むなら、同居しましょうか」
悩みながらも、私は受け入れることにした。途端に義両親の表情が明るくなる。
「美咲さん、本当か。ありがとう」
「あなたが裕人の嫁で良かったわ。同居してくれるなら、家事は私たちが担当するから安心してね」
しかし、それは間違いだったらしい。
同居してしばらくは穏やかな日々が続いたが、半年ほど前に私を気にかけてくれていた叔父が亡くなってから、義両親の態度が変わり始めた。
「美咲さん、悪いんだけれど、洗濯物お願いできるかしら? 私、今日ちょっと体調が悪くてね」
最初は些細な違和感だった。義母が体調を理由に、私に家事を頼むようになったのだ。とはいえ、彼女に任せきりなのは良くないと思い、当然のように代わりにやった。しかし帰宅すると、義母はテレビを見て楽しそうに笑っている。
「あ、美咲さん、お帰りなさい。夕食お願いね」
その日以降、義母は度々私に家事を任せるようになった。体調不良が理由だが、顔色はいい。本当に体調が悪いのか疑いたくなるが、そんなことを尋ねるのは失礼だと思い、腑に落ちながらも家事をこなしていた。しかし、義母はこちらが素直に頼みを聞くからか、何もしなくなっていく。
「美咲には、明日の朝食お願いするわね。私、頭が痛くて早起きできなさそうなの」
「分かりました。選択もお願い。あと、ゴミ捨てもやっておいてね」
さすがに心配になり、私は彼女に病院を勧めた。しかし、義母はたちまち不機嫌になる。
「いやねえ、私を病人扱いするの? ちょっと休めば良くなるわよ」
「お母さん、最近体調不良が多いですけど大丈夫ですか? 一度病院に行った方がいいんじゃないですか?」
「ひどいわ。私がボケるとでも思ってるの? 病院くらい一人で行けるに決まってるじゃない」
彼女がいきなり声を荒げたため、驚いて何も言えなかった。そして、彼女は永遠と愚痴を浴びせた。
「美咲さんたちのために家事を頑張ってた私を病人扱いするなんて、失礼よ。どうせ、生活費を支払ってるから家事は私の仕事だと思ってるのよね」
「違います。そんなつもりではなくて……」
「どうせ、家事を押し付けてくる私への嫌味でしょ。病気だという証明をしない限り、私がサボってると思うんでしょうね」
義母はため息をついて肩を落とす。今まで優しかった彼女が、ここまで態度を変えるとは思わなかった。慌てて謝罪するも、義母は無視を決め込み、ギフト裕人と自分の分しか食事を作らなくなった。私の洗濯物だけ別の籠に分けられ、朝食も夕食も義母が作るのは三人分。義父や裕人が止めてくれると思っていたが、義父は義母の味方だった。
「母さんにばかり家事を押し付けてきた美咲さんが悪い。その上、嫌味なんて言えば、そりゃ怒られるに決まってるさ」
「負担さんが姑をいびるような嫁だとは思わなかった。母さんがかわいそうだ。せめて謝罪くらいしたらどうだ?」
「私は文句なんて言ってません。お母さんを心配しただけなんです」
義父は私の意見には全く耳を貸さない。それどころか、表情を暗くする私を見て、にやりと頬を上げた。
「今までは先輩に頼ることもできただろう。だが、もういないんだ。俺たちに不満を抱いても、美咲さんに味方はいないんだぞ。これからも共に暮らしていきたいなら、母さんに詫びなさい」
「美咲さんたちのために家事を頑張ってた私を病人扱いするなんて、失礼よ」
義父は、今まで叔父が私の味方だからと猫を被っていたのだろう。しかし、本当は出会った当初から私を見下していたらしい。
「両親のいない女を、わざわざ嫁としてもらってやったんだ。裕人にはちゃんと感謝しろよ」
「叔父から私の家族について話を聞いてましたよね。両親のいない私が気に食わないなら、そもそも見合いを断るべきだったのでは?」
「うるさい。こっちだって見合いなんてさせたくなかった。だが、いつまで経っても裕人が結婚しないから、仕方なかったんだよ。嫁が来ないと家事をさせる相手がいないからな」
「え、家事を私にさせるために結婚を認めたんですか?」
「もう隠す必要もないわね。最初から家事を頼むのが狙いだったの。ほら、家事って嫁の仕事でしょ? 私も年だし、さすがに限界で」
悪びれることなく平然と語る義両親。彼らは最初から私をこき使うつもりで結婚させたらしい。同居を提案したのも、家事を押し付けるためだったという。
「しかし、すぐに逃げられても困るから、しばらくは優しくしてあげたのよ。じゃないと、同居だって断られるでしょう。全く、裕人がもっと嫁を育てるべきだったんだ」
「ふざけないでください。私はそんなつもりで結婚してません。お父さんたちが家族のように迎えてくれたから、信用していたのに」
「お前は細川家の嫁なんだ。うちのルールに従ってもらう。家事は嫁の仕事だ。今後は全部自分でやれ。私、体調が悪いから、やってくれるわよね。腰が痛いお父さんにはやらせられないでしょ。だからって、裕人には頼まないでね。彼は一家の大黒柱なんだから」
義両親に詰め寄られ、私は何も言い返せなかった。私はすぐに裕人に相談したが、彼の口から信じられない言葉が出てくる。
「でも、家事が嫁の仕事なのは、父さんたちの言う通りじゃない?」
「え? 私は今、仕事をしてるのだから、お母さんたちが家事を担ってくれるって話だったわよね。それでも私が家事をやるべきだと思うの?」
「美咲も、元カノみたいなこと言うんだな。家事をやりたがらないやつばっかりで、呆れるよ。元カノって、昔付き合ってた女性みんな、家事は嫁の仕事って言った途端、別れたがったんだ。だからって、結婚後専業主婦になられても困る。俺の収入だけで生活できるわけがないんだし」
裕人は、妻に対して仕事と家事の両立を求めていた。しかし、過去の交際相手に振られた経験から、私には自分の考えをずっと隠してきたらしい。
「美咲は仕事しながら家事もしてくれたから、嫁として合格だった。だけど、俺の両親をないがしろにするなんてね。本音を隠して夫婦生活を続けてきたのに、意味がないじゃないか」
「ふざけないで。私は今まで妻として裕人に尽くしてきたでしょ。お父さんたちとの同居だって受け入れたのに。仕事しながら四人分の家事までしろって言うの?」
「当たり前だろ。お前は俺の嫁なんだから。母さんのためにも、これからは美咲が全部やれ。俺にすがりついても無駄だ。今まで甘やかした分、今後は厳しくする」
その後、裕人は私に対して冷たくなり、義両親と一緒になって家事を押し付けてくるようになった。
「夕飯、まだできてないの? 俺、お腹空いたんだけど」
「美咲さんって、容量が悪いのね。だから時で帰れないんでしょ。もっと早く片付けられるよう、仕事も頑張らないと」
三人は楽しそうに断罪しながら、キッチンに立つ私を睨みつける。自分なりに努力して状況を改善しようとしたものの、無駄だった。何より、裕人までもが私を責めることにショックを隠せない。これ以上夫婦生活を続けるなんて無理だ。私は後日、裕人に離婚を切り出した。
「裕人、これに署名して。私たち、もう終わりにしましょう」
離婚届を目にした瞬間、彼はあ然とする。
「は? 美咲はもう諦めるの? もう少し家族のために頑張ろうよ」
「いい加減にして。私は現状に納得してない。お父さんたちのために生活費を負担しているのに、家事までさせられるなんておかしいわ。そんな生活が続くなら、裕人とは離婚する」
しかし、私の意見を聞いた上で、裕人は離婚を拒んだ。
「待ってくれよ。俺は美咲と別れたくない。ちょっと言いすぎたかもしれないけど、離婚するほどのことじゃないだろう」
「ちょっと私に家事を押し付けて、お父さんたちと笑ってたじゃない。裕人はお父さんたちの味方でしょ。私のことなんて、家政婦とでも思ってるのよね」
「違うよ。美咲は俺の大切な家族だ。でも、父さんたちも大事で……」
だんだん声が小さくなり、彼は言葉を詰まらせた。すると、彼は顔を上げて目を細めた。
「離婚するの? じゃあ、俺のこの三年返してくれる?」
「え?」
「俺は子供ができないことを承知の上での夫婦生活を続けてやったんだよ。その恩、忘れちゃったの?」
思わず息を呑む。実は結婚後、私たちにはなかなか子供ができなかった。検査してもらったところ、原因は私にあった。妊娠しにくい体質のようで、不妊治療をしないと子供は難しいと告げられたのだ。私たちは話し合った末、子供は諦めた。あの時、彼は優しく微笑んで、私を慰めてくれた。
「不妊治療をして子供が生まれても、その後またお金がかかる。できない可能性だってあるし、それでお互いストレスが溜まるのも良くない。俺は美咲がいれば十分だよ」
「裕人、ありがとう。ごめんなさい」
「謝らないで。美咲を攻めたいわけじゃないから」
しかし、裕人はその時、内心では離婚を考えていたというのだ。
「一生子供ができないなんて知れば、誰だって迷うだろ。俺は美咲のために父親になることを諦めたんだ。それなのに、美咲は離婚を選ぶんだな。今、離婚して子供を望める人と結婚すれば、俺は今36歳だ。すぐに結婚できると思う。美咲が俺の三年を返してくれるなら、離婚してもいいよ。それとも、新しい女性を紹介してくれるとか」
無茶な要求を口にすると、裕人は小さく笑った。
「今更、離婚なんて言わないでくれ。俺は子供を諦めてまでの人生を選んだんだから。ごめんなさい」
「だけど、仕事と家事を両立するなんて無理よ」
「今の状況が少しでも改善されるなら、裕人は離婚しないから。分かった。じゃあ、母さんに注意しておくよ。少しは手伝ってくれって言えばいい」
本当は別れたかったが、私自身、裕人には罪悪感があった。彼が一度は離婚しないと決めたなら、こちらも一旦我慢すべきだろう。複雑ながらも、私は裕人と義両親との生活を続けることにした。しかし、期待した私がバカだった。義両親は裕人に注意されても、一向に態度を変えなかった。
「裕人、美咲さんに気を使わなくていいわよ。お前は夫なんだから、どっしと構えてりゃいいんだから」
「そうよ。嫁を教育するのは姑の仕事。裕人は口を挟まないで」
「二人の考えも分かるけど、美咲だって頑張ってるんだって。もう少しだけお手柔らかに頼むよ」
裕人なりに私を庇ってくれているのだろうが、彼の口調はやけに軽かった。とりあえず、私の前で注意しておけばいいとでも思っているようだ。結局、義両親はその後も私に家事を押し付け、逐位ケチをつけるようになる。
「今日の夕食は脂っこいな。私たちの口には合わない。もっとヘルシーなものにしてくれ」
「普通は私たちの健康を気遣ってメニューを決めるものじゃないの? まさか、脂っぽいものばかり食べさせて、私たちを不健康にするつもり?」
「そんな意図はありません。今後は気をつけるので」
「次、こんな料理を出したら食べないから。納得行くまで作り直させるわ。嫁なんだから、料理くらいちゃんとできないとね」
義両親が愚痴をつく中、黙り込んで食事をする裕人。いつしか彼は二人の言動を放置するようになった。私が相談しても、いつも適当にあしらうばかり。
「どうして裕人は何も言ってくれないの? 注意するって約束だったよね」
「いや、俺が言っても父さんたちは聞かないじゃん。それなのに口を挟んだら、余計ややこしいことになる気がして」
「私が二人に嫌味を言われていても、何も思わないの? こんな生活が続くなんて、耐えられない」
「分かったから。できるだけ間に入るようにするよ。だから、今日はもう寝かせてくれ」
私が義両親に反論することもあった。
「文句があるなら、食べないでください。私だって作りたくて作ってるわけじゃないんです」
「親の両親に対して、なんだその態度は。お前は裕人の嫁なんだから、俺たちの飯を作るのは義務だぞ」
「ひどいわ。私たちは良かれと思って美咲さんを教育してるのよ。もっと良いお嫁さんになってほしい一心で」
「そんなこと頼んでません。お母さんが作りたがらないから、私が代わりにやってるんですよ」
「俺たちを敬う気持ちもないんだな。裕人がかわいそうだ。こんな女が嫁だなんて」
どれだけ自分の意見を伝えても、義両親は聞く耳を持たない。裕人も「まあまあ」と軽く宥めるだけ。そんな生活が続き、改めて離婚を意識し始めた頃、義両親が突然思いがけない提案をしてくる。
「俺たち、海外移住しようと思うんだ」
なんと彼らは、半年後に東南アジアに移住すると言い出したのだ。そんな気配は今まで全くなかった。
「どういうこと? なんで今、海外に移住するの? そもそも、この実家はどうするんだよ」
義両親の話によると、親戚が東南アジアで事業を起こし成功しているのだそう。その親戚から、事業を手伝わないかと話を持ちかけられたらしい。
「親戚って誰? 俺の知ってる人?」
「私の従子で、裕人も子供の頃に会ったかしら。長らく連絡を取ってなかったから、裕人は覚えてないかもしれないわね」
「疎遠になってる親戚の事業を手伝うって、信用できる相手なんですか? 怪しい気がしますが。親戚と言えど、長年関わりのない人間に、わざわざ手伝いを頼むだろうか」
そもそも海外移住となると、簡単に決めていい話ではない。私はゆっくり考えるべきだと助言した。しかし、義両親は不機嫌そうに顔を歪める。
「俺たちの親戚を疑うのか。美咲さんに話すんじゃなかった。彼は私たちを頼ってくれたの。親戚だったのに、わざわざ連絡をくれたのよ。喜ばしいことじゃない」
「あなたが何を言おうと、私たちは移住を決めたから」
「移住するのは反対しないけど、二人にそんな金ある? あと、俺たちはこの家に住み続けてもいいの?」
「何言ってるんだ。裕人たちも一緒に来るだろ? 今の仕事よりも収入が増えるんだから」
「は? 私たちも移住しろと言うんですか?」
義両親は四人で移住する気だった。
「私たちだけいい思いをするなんて、申し訳なくてね。だから、裕人たちも来なさい。親戚にはちゃんと話してある。四人で移り住むと伝えてあるよ。住居に関しては、向こうが色々と決めてくれるらしい」
「待ってください。私は移住しません」
慌てて声をあげるも、義両親は白い目で私を見る。
「なぜだ、美咲さん。一人で日本に残る気なのか?」
「私は今の仕事を続けたいんです。そもそも、お母さんの従兄に会ったことがありませんし。その方はどんな事業をされているんですか?」
「細かいことはごちゃごちゃ言わないの。とにかく、今よりいい生活ができるんだから、移住した方がいいに決まってるでしょ。裕人が来るなら、美咲さんも彼についてきなさい」
裕人は、収入が増えると聞いて海外移住に心惹かれたようだ。
「美咲は今の仕事にこだわる必要なんてないよ。こんな話、そうそうない。だから、一緒に移住しようって」
「裕人は海外に引っ越すことに不安はないの?」
「ないよ。父さんも母さんもいるから、大丈夫でしょ。今の仕事好きじゃなかったから、むしろラッキーだと思ってる」
「移住するにしても、お金はあるの?」
「貯金でどうにかなるでしょう。向こうに行けば、すぐに給料だってもらえるだろうし」
裕人はやけに楽観的で、私の心配を杞憂だと笑う。さすがに今回ばかりは同意できない。私はいよいよ離婚しようと決めた。改めて離婚届を出し、署名を求める。
「移住するなら、私と別れて。私は日本を離れるつもりないから」
「俺は離婚はしないって、前にも言ったよな。父さんたちも、美咲さんには呆れてるよ。両親もいないのに、この国に残ってどうするんだ。私たち家族と一緒に海外に行った方が幸せだろ」
「こんなことで離婚なんて、心が狭いのね。裕人、署名する必要ないわよ。美咲さんだって、時間が経てば理解するだろうし」
「私の考えは変わりません。今の仕事を続けて、安定した生活を送りたいんです。詳しいことが分からないまま、海外に移住するなんて恐ろしいですから。もしも親戚が嘘をついていたら、どうするんですか? 彼を信用できる根拠があるなら、教えてください」
しかし、義家族は鬱陶しそうな顔をする。
「美咲さんはつまらない人間だな。今ある幸せなんて、ちっぽけなものだ。俺たちは安定した生活を捨ててでも、挑戦するって決めたんだよ。このまま日本にいても、収入は高が知れてる。だけど、親戚の事業を手伝えば、今後さらに稼ぎが増えていくって話よ」
「父さんたちがここまで言ってるんだ。二人が信用しているなら、大丈夫。ほら、美咲も一緒に行こうよ。離婚なんてしたら、いつか必ず後悔する」
今後の暮らしを夢見て、表情を明るくする三人。彼らを説得するのはもう無理かもしれない。話し合いは難航したものの、ある日、裕人からとある提案をされる。
「そこまで離婚したいなら、分かった。とある土地をもらってくれるなら、いいよ」
「土地?」
彼が提示した条件は、義父からもらった土地を私が譲り受けるというものだった。
「この土地は一体何? お父さんからもらったのよね」
「お父さんは、将来値上がりすると言われて昔に購入したんだ。だが、手がつかず、ずっと放置してるんだよ」
どうやら義父は価値の低い山林を詐欺師に売り付けられたらしい。その山林は立地が悪く、周辺には何もない。当然値上がりせず、売るにも売れなくて困った。木を伐採するのにも多額の費用がかかって、何もできない。そう相談したら、義父がもらってくれたんだ。
「だけど、俺としても不要な土地でさ。それを手放せるなら、庭と離婚してもいいよ」
「でも、そんな土地渡されても困るわ」
確かに裕人とは離婚したいが、なぜ私が不要な土地を押し付けられないといけないのか。納得できずに反論すると、裕人は頭を抱えた。
「そう、じゃあ離婚はしないよ。その代わり、美咲も海外についてこい。家族なんだから、当然だよな」
「それなら、拝むでも何でもしてやるから、離婚して」
「無理だ。諦めろ。俺は不倫もしてないし、別れる理由がない。むしろ、俺が長年美咲のために我慢していたことを話すぞ。子供ができなくてもそばにいてくれた夫を裏切るのか」
調停すれば、いずれは必ず離婚できるだろう。ただ、彼がすぐに納得するとは思えない。下手をすれば、二年かかる可能性もある。しかし、土地の譲与を受け入れるなら、今すぐ離婚するという。何が何でも離婚したいなら、悩んでる暇はない。
「どうする? 土地もらってくれるか?」
ニタニタと笑う裕人を見て、思わず拳に力が入った。彼の条件を飲むことに不満はあるものの、婚姻関係をなるべく早く終わらせたい。私は最終的に、土地をもらうことを決めた。
「分かった。ただ、できれば離婚後に手続きを行いたいんだけど」
「分かった。それなら、公正証書を作成しよう。後で嫌がらせされても困るし」
私たちは離婚協議書を公正証書にし、土地の財産分与について記載した。
「邪魔な土地を押し付けられて、よかったよ。美咲も俺との離婚が決まって、ラッキーだったな」
満面の笑みを見せる裕人。義両親も彼に同意する。
「海外移住が決まって以来、あの土地だけどうするか困ってたんだよ。裕人、いいアイデアを出してくれてありがとうな。邪魔物も日本に置いていけるし、これで良かったのかもね」
その後、三人は海外移住の準備を始め、私は離婚後のためにと家を探し出した。土地に関しては、今後どうすべきかゆっくり考えよう。義父は元々投資目的で購入しており、例の山林には行ったことがないそうだ。裕人も場所しか把握していないという。
「管理もしてなくて、荒れていて入れないと思うよ。現地に行ったら、後悔するかもな。こんな土地をもらうんじゃなかったって」
「だからって、今更断るとか許さないからな。約束、ちゃんと果たせよ」
「分かってる。離婚してくれたら、必ず名義変更するから安心して」
私は自分の選択が合っているのか分からず、もんもんとしながら、楽しそうに準備する三人を眺めていた。
それから半年ほど経った頃、義家族の海外移住を目前にしたある日、帰宅すると玄関の鍵が開いていた。普段ならば閉まっているはず。空き巣かと思いつつ、私は家に入った。その瞬間、違和感を覚える。
「お父さん、お母さん、裕人? いないの?」
なぜか家にいるはずの義家族が、ルズだったのだ。名前を呼ぶも返事はない。裕人は今、退職に向けて有給消化中だ。三人とも、いつもなら家にいる。出かける予定があるとは聞いていないため、嫌な予感がした。しかも、家の中にあったはずの家具家電が全部消えていることに気づいた。状況を確認するべく、すぐに裕人に連絡を取る。しかし、彼は電話に出ない。メッセージを送るも、未読無視だった。おまけに、家中確認した結果、私の通帳と銀行のキャッシュカードもなくなっていた。
「嘘でしょ?」
泥棒が入った可能性もあるが、怪しいのは義家族三人だろう。その時、ふと唯一残っていた家具であるリビングのテーブルが目に入る。机上には書類と一緒に小さなメモが残されていた。読んだ瞬間、怒りが込み上げてくる。なんと義家族は今日、海外移住のため出ていったというのだ。事前に聞いていた予定日は来週。私に嘘をついていたらしい。
「この家は売り払っているから、さっさと出て行ってくれ。家具は全部持っていったけど、テーブルくらいは置いておいてやる。土地のこと、よろしく」
離婚届は互いに署名済みだったものを、今日空港に行く前に提出したようだ。義実家に元々あった家具だけでなく、私が一人暮らしをしている時から使っていた家具家電まで持っていくなんて。そして、メモの最後に書かれていた文章を見て、私は目を疑う。
「航空費が足りなかったから、美咲のお金ちょっともらうわ。土地をやるんだから、これくらいいいだろ」
私のお金を盗んだのは、間違いなく義家族だ。金まで盗むとは、思っても見なかった。そして、メモと共に置かれていた書類にも目を通す。それは先日譲与すると決めた土地の権利書だった。名義変更をさせるためか、裕人の委任状も一緒だ。離婚する予定だったとはいえ、さすがに今回のことは見過ごせない。私を捨て、海外へ移住し、幸せになれるとでも思っているのだろうか。書類を持つ手に力が入った。このまま彼らの好きにさせるわけにはいかない。私は再度裕人に電話をかけたが、やはり繋がらなかった。
私はひとまず、残された権利書の内容をこっそり確認した。事前に話を聞いていたものの、詳細までは把握していない。ただ、書類に目を通して分かったが、土地はやはり人が住めなさそうな交通の便が悪い山林だった。権利書を見る限り、資産価値が低いことは明白だ。義父は投資目的で購入したと話していた。大方、新幹線や空港ができて便利になったら値上がりするとでも言われていたのではないか。未整備の土地に、今後も価値が見い出される可能性は低い気がする。私はため息をつくと共に、とりあえず今日はホテルにでも泊まることにした。何もない義実家では、さすがに暮らせない。幸い、来週には新居に引っ越す予定だ。また、金融機関にも連絡を入れ、通帳とキャッシュカードが盗まれたことを伝えた上で、不正に引き出されないよう口座の凍結をお願いした。警察にも通報し、やれることは全部やった。
翌日、銀行で通帳を再発行した私は、残高を確認して言葉を失う。義家族は私の口座から三百万を引き出していたのだ。お金を下ろしたということは、通帳やキャッシュカードだけでなく、私の本人確認書類も盗んだのだろう。事実が発覚した後、急いで警察に被害届を提出した。だが、窃盗事件としては立件せず、民事不介入だと告げられる。離婚前に金銭を盗まれたため、親族相盗例により裕人の刑が免除されるというのだ。私は弁護士に相談することにした。
八方塞がりではあるものの、だからと言って泣き寝入りだけはしたくない。そんな中、私は生書通りに土地の所有権移転登記を行った。名義を移していないことに気づいたら面倒だからだ。不要な土地を引き取るはめになり、肩を落とすものの、諦めてはいない。何か道があると信じ、対策を練っていた。それから数日後のことだ。新居で暮らし始めた私の元に、封書が届く。送り主は、とある通信事業会社だった。いきなりのことで驚きながらも、同封されていた書類を読む。私は内容を確認して、あ然とした。なんと、先日名義変更を行った土地について、事業計画の協力をお願いしたいというのだ。どうやら、あの土地を買い取りたいらしい。
喜ばしいことではあるが、詐欺の二文字が頭をよぎり、すぐには信用できなかった。私はひとまず、事実確認のため担当者に連絡を入れた。
「お電話ありがとうございます。うちに書類が届いていたんですが」
事情を話すと、担当者の声が明るくなる。私から電話がかかってきて、安心したらしい。とりあえず詳細を教えてもらうべく、直接会うこととなった。
そして迎えた約束の日。担当の山崎と申します。私の自宅にやってくると、畏縮した様子で名刺を差し出した。年齢はおそらく三十代前半くらい。リビングに通し、改めて事情を尋ねる。
「それで、あの土地を買い取りたいというのは本当ですか? 交通の便も悪い、荒れ果てた山林ですけど」
「驚かれる気持ちも分かります。ですが、こちらとしましては、是非、細川様の土地を売っていただきたいんです」
「どうしてですか? 書面にも書いてましたけど、なぜあんな土地にデータセンターを?」
実は、山崎の務める通信事業会社は、私の所有している土地周辺にデータセンターを建設する予定らしい。
「実は、細川様の土地周辺は地盤が強固なんです。地震や津波の可能性も低く、データセンターを建設するにはうってつけの場所でした。既に、細川様以外の所有者様とは話が進んでおり、広大な土地を準備できそうなんです。ですので、お考えいただきたく」
彼は真剣な顔でこちらを見つめる。話を聞くに、後の土地は購入済みで、どうやら私の土地が最後の一ピースなのだそう。その事実を知り、ふと疑問を抱く。
「どうしてうちが最後なんですか? もっと早く連絡を取っていてもおかしくないように思えたのですが」
すると、山崎が困ったように笑う。
「以前の所有者様からお聞きしておりませんか? 実は一年以上前から、何度もご連絡を差し上げていたんですけれども」
彼は当時、どうにか接触しようと試みたそうだ。しかし、裕人は無視をし続け、なかなか話すことができなかったという。山崎から話を聞いて、はっとした。そういえば、裕人と義父からそんな話を聞いたことがあった気がする。確か、土地の譲与を決めた日のことだ。
「美咲、悪いことは言わない。詐欺には気をつけろよ。お前が騙されても、俺は助けないから」
「詐欺? いきなり何?」
「いやあ、実は原野商法の被害者を騙そうとする悪徳業者がいるんだよ。高値で買ってあげるからって話を持ちかけて、逆に金を奪う奴らが」
「じゃあ、この土地を持っていると狙われるってこと?」
「すでに狙われてるよ。ここ最近、怪しい業者から手紙が届いてるんだ。その土地に施設を立てたいから、買い取りたいって。それが詐欺ってことか」
彼は騙されてなるまいと、届いた封書をほとんど見ていないと語った。送り主が業者だと確定した段階で、処分しているのだそう。義父も騙されかけたから、注意しないと美咲が被害者になるかもしれない。だからって、後で泣きつくのはやめてくれよ、と。
「はぁ……そういう詐欺があると把握してたため、すぐに気づいたようだ。義父が所有者のままだったら、騙されていたかもしれない」
裕人と義父は、いがみ合いながら私に視線を送る。
「裕人は優しいな。離婚を切り出してきた嫁にも注意してやるなんて。裏切られたんだから、詐欺に遭っても自業自得なのに」
「俺まで巻き込まれたくないからな。念のため話しておいた方がいいだろう。美咲は感謝しろよ」
「アドバイス、ありがとう。気をつけるわ」
そう告げたものの、土地を受け取ったら詐欺師に狙われることになる。義父から事実を聞き、私は内心不安で仕方なかった。そんな私を見て、彼は目を細める。
「やっぱりやめるか? 美咲が嫌なら、受け取らなくてもいいぞ。ただ、離婚も白紙になるけどな」
「いや、大丈夫。悪質な業者には気をつければいいんでしょ。それを踏まえて所有するから、安心して。当然、騙されても裕人には頼らないから」
「ああ、そう。俺はちゃんと助言したからな。もう知らないぞ」
結果として、詐欺に遭う可能性が高いことを理解した上で、私は土地を受け取った。だからこそ、山崎のことを信用できない自分がいる。
「元夫から話を聞いていましたが、彼は詐欺を疑ってました。あの土地が売れるわけがないと思っていたようで、やっぱりそうですよね」
「誤解を解けなかったのは、私どもの力不足です。それゆえ、詳細をお伝えするのも遅くなってしまいました」
「本当に詐欺じゃないんですよね。売却のために色々とお金を請求されたりするんじゃ」
そう告げた途端、山崎は首を横に振った。
「所有者様にお金を請求することはありません。あくまでも、こちらが支払うだけですので」
まだ半信半疑ではあるものの、山崎の会社は大手企業。怪しい業者には思えない。すると、彼はおもむろに口を開いた。
「今回、私どもはどうにか細川様の所有する土地を買い取れないかと模索しておりました。そんな中、名義変更がなされているのを当社で確認して、改めて封書をお送りさせていただいた次第です」
裕人に無視されて計画が難航する中、私が所有者になったことで、チャンスがあるのではないかと考えたらしい。
「着工期限が迫り、このままでは計画の中止もあり得る状況です。だからこそ、細川様にこうしてお会いできてよかった。私どもは詐欺師ではございません。是非、お考えください」
山崎が購入価格を提示した。金額を確認し、思わず息を呑む。そこには想像を絶する数字が書かれていた。
「え、こんなに高いんですか?」
「これまでの経緯を踏まえ、事業継続のため相場を大きく上回る価格で買い取らせていただきます。それだけ、私どもは細川様の所有する土地が欲しくてですね。他の土地はすでに買収済みだと先ほどお伝えしましたよね。残っているのは、細川様の土地だけ。これ以上、工期を遅らせたくないんです」
彼らは相当焦っているのだろう。ただ、もったいぶるつもりはないものの、すぐには同意できない。私は今、義家族に三百万を盗まれた状態だ。そんな中、詐欺に遭ってさらにお金を失うのは避けたい。
「正直、信じられない気持ちでいっぱいです。考える時間をもらってもいいでしょうか?」
「もちろんです。細川様のお気持ちも分かりますので、是非一度、信頼できる方と相談してご検討いただけますか?」
「分かりました。できるだけ早く答えを出そうと思います。今日はわざわざ来ていただき、ありがとうございました」
山崎は私を急かしたりはせず、その日は一礼して帰っていった。改めて彼が渡してきた書類に目を通す。ただの山林だと思っていた土地が、こんな金額に化けるなんて。
私は悩んだ末、会社の上司である篠原に相談することにした。篠原は私が入社当時からお世話になっている先輩だ。彼は相談したことを周囲に言いふらしたりせず、その上親身になって話を聞いてくれる。
「そうか。大変だったね。元夫にお金を奪われるなんて。でも、土地が売れるなら喜ばしいことじゃないか」
「ただ、まだその話を信じきれてないんです。原野商法の被害者が二次被害に遭ってるという話も耳にしたので」
買い取りを希望している会社の名前を伝えると、彼は目を丸くする。
「そんな大手が? そういえば、小耳に挟んだ気がするな。その会社が何らかの施設を建設する予定だって、土地を買い占めてるらしいって聞いたんだ」
「じゃあ、事実の可能性が高いってことですか?」
「不動産業界内で噂されているなら、山崎の話は本当なのかもしれないな。とはいえ、それだけで信じるのは少し危ないだろう。一度、弁護士に相談してみた方がいい。俺の知り合いに、離婚問題と不動産トラブルどちらにも精通している弁護士がいるんだ。紹介するよ」
「本当ですか? それぞれ別の弁護士に頼むべきか悩んでいたので、助かります」
彼はすぐに弁護士に電話をかけてくれた。
「一度、事務所に来て欲しいって。きっと彼なら頼りになるよ」
「ありがとうございます。すみません、相談に乗ってもらった上、弁護士まで紹介してもらって」
「いいんだよ。俺は何度も細川さんに助けてもらってる。真面目に仕事していて、すごいなって思うんだ。だから、頼ってもらえて嬉しかった」
義家族に捨てられて落ち込んでいたが、私には力強い味方がいる。篠原に相談してよかったと、心から思った。
それから一週間後、私は紹介された弁護士の元を訪れた。彼曰く、私が応じなければ、通信事業会社の損失は数億になる。そのため、好条件で買い取りを持ちかけてきたらしい。詐欺ではないようで、信用できる証拠もいくつか見せてくれた。私は土地を売却すると決めた。その後、弁護士を通して手続きを進めた。交渉の結果、条件はさらに私に対して有利なものとなる。売主がすべき測量や樹の伐採などを、企業側が費用を負担して行うというのだ。そして、最終的な売却金額は三千万に決定した。皮肉にも、義家族が無視をし続けたことで、企業側は予算を釣り上げてでも買収しようと考えたらしい。あの資産価値のない荒れ果てた山林が、三千万になるとは思っても見なかった。
さらに弁護士は、持ち逃げされた三百万についても具体的な対抗策を提示する。民事での不当利得返還請求は可能なのだそう。ただ、義家族の居場所は不明なまま。即刻、三百万が戻ってくるわけではないが、私は土地の売却益を手にしたことで、自然と気持ちが落ち着いた。
売却後、私は結果を報告し、篠原に改めて感謝を伝えた。
「篠原さん、本当にありがとうございました。彼がいなければ、ここまで順調に話が進んでいなかっただろう」
「俺なんていいよ。それよりも、元夫が見つかるといいね」
「どの国に移住したかは把握しているんですが、親戚の事業が何かすら分からないんですよね」
「それって大丈夫なの?」
私の話を聞いて、篠原が嫌な顔をする。彼も、裕人が騙されているのではないかと思ったようだ。
「怪しいと思って止めたんですけど、彼らは聞いてくれなくて」
「もしも詐欺に遭ってるなら、下手したら細川さんに連絡してくるかもしれない。その時がチャンスだね」
裕人が今更私を頼るとは思えない。しかし、私の考えとは裏腹に、篠原は頬を上げて笑った。そんな彼の予想は、当たることとなる。
義家族が姿を消してから一ヶ月後、裕人が私に電話をかけてきたのだ。今まで音信不通だったため驚くものの、聞きたいことが山ほどある。私は一呼吸を置いて、通話ボタンを押した。
「もしもし」
「裕人か。お前、聞いたぞ。俺が渡した土地が売れたって、本当か?」
開口一番、声を荒げる裕人。彼は明らかに動揺しているようだった。
「どうして裕人がそれを知ってるの? ごく限られた人にしか伝えてないのに」
「そんなことどうだっていい。とにかく、売却して得た金を俺に振り込め。このままじゃ、俺たち死んでしまう」
「は? なんであなたたちが? 海外で親戚の事業を手伝ってるんでしょ。収入だって増えたはず。お金に困るとは思えないんだけど」
尋ねると、裕人はさらに声を大きくした。
「親戚なんていなかったんだ。父さんたちの嘘だったんだよ。俺たち、騙されてたんだ」
もしかして、本当に詐欺だったのか。私の心配は杞憂ではなかったようだ。彼は悔しそうに、電話越しで唸る。そして早口で、事情を語り始めた。裕人の話によると、そもそも両親が彼に嘘をついていたらしい。事業を手伝ってくれと声をかけられたのは本当だった。でも、持ちかけたのは親戚じゃなくて、父さんの古い友人だったんだよ。
義父は疎遠だった友人から連絡が来て、最初は驚いたそうだ。しかし、友人は口がうまく、話すうちに義父は乗り気になっていった。
「大きいビジネスだから、成功したら何千万もの金が手に入るとか、手伝い自体は簡単だからすぐ慣れるとか言ったらしい。親戚ならまだしも、長年連絡を取ってなかった友人でしょ。普通は疑うじゃん。だけど、父さんは元々人を信じやすい。俺に相談してくれてたら、絶対に怪しんでたのに」
義父は裕人が疑うと分かっていたため、親戚から提案されたと嘘をついた。なんとしてでも海外に移住してビッグビジネスに乗っかりたかったのだろう。裕人は現地に行くまで、親戚の事業を手伝うと信じていた。
「こっちに来てようやく、事実を知ったんだ。てっきり親戚が空港で待ってるかと思いきや、そこにいたのは見知らぬ男性で。さすがにこれ以上嘘をつけないと思ったんだろう。父さんはそこで、事実を打ち明けた。俺はすぐにでも帰国したかった。あんな男、信用できない。父さんたちに伝えたんだけど」
だが、義両親は男性のことをすっかり信じきっていたようだ。疑う裕人を嗜め、帰国を拒否した。
「父さんたちを説得しようとしたけど、意味がなくて。でも、二人がここまで信用しているなら、俺が間違ってるのかもしれない。そう思って、ひとまずこっちで事業を手伝うことにした。だって、父さんたちを残して、俺一人だけ帰るわけにはいかないだろう」
その後、義父の友人は現地での生活を保証する代わりに、お金を要求したらしい。生活費を会社側でまとめて払うから、先に渡して欲しいと説明を受けたそうだ。
「心配ではあったけど、住まいを用意してもらった手前、断れなくて。俺たち三人は、貯金を友人に預けた。そのお金こそ、私の通帳とキャッシュカードを盗んで引き出したものだった」
「なるほど。貯金が必要だったから、私のお金を勝手に持ち逃げしたのね」
「倍になったら、美咲に返すつもりだったんだ。後で振り込んでおけば、問題ないだろう」
慌てふためきながら、話を戻す。義家族はお金を渡した後、働くべくとある場所に連れて行かれた。その場所は、特殊詐欺の拠点だった。
「ただのオフィスビルだと思ったけど、そうじゃなかった。よく見ると、敷地全体が高い壁に囲まれてて、異様な光景だったんだよ。周囲は厳重に警戒体制が敷かれていて、怪しげな場所だった。一度入ったら出られない。そう思った。警備員も至るところにいて、俺たちを凝視してて」
それでも裕人は入った。オフィスビルの内部には、さらに驚くべき光景が待っていた。
「広い部屋に大量の机とスマホが置かれていて、そこにいる人たちみんな、誰かに電話をかけてたんだ。壁には目標金額が書かれてて、その時点で頭が真っ白になった。壁に、警察官になりきるための台本が貼られてたんだ。そんなの、詐欺でしか使わない。机にあった書類もおかしなものばかりだった。電話してる人たちの手元にあったのは、個人情報が載ったリストで」
裕人は即座に特殊詐欺の拠点だと気づいたが、義両親は最初はピンと来ていなかった。しかし、壁に貼られた台本を見て、状況を理解した。裕人は詐欺だと気づいた瞬間、義両親に目で訴えかけた。三人で協力して逃げようと思ったそうだ。しかし、義父はそんな裕人の視線に気づかず、友人に詰め寄る。
「これは一体どういうことだ? お前はこんなことを事業としてやってるのか?」
しかし、友人は激怒する義父に首をかしげた。罪悪感などないのか。これは新規事業だと言い張ったという。
「父さんの友人も、かつて騙されて連れてこられたんだろうな。彼は自分の立場を守るために、父さんたちを売ってたんだ。俺たちが何を言っても無駄で」
その後、彼らは二段ベッドが隙間なく並んだ狭い部屋に押し込まれた。あろうことか、そこが寝泊まりする場所だった。
「二十人近くの日本人が、一部屋に入れられるんだ。牢獄よりもひどい。風呂もトイレも共用で」
相当過酷な環境だったらしい。だが、裕人は詐欺に加担することだけは絶対にしたくなかった。
「このままだと、俺たちは犯罪者になる。それだけは嫌で、他の日本人たち数名と協力して、そこから逃げてきたんだ」
「どうやって逃げたの? 高い壁に囲まれてた上、厳重に警備員がいたんでしょ?」
「連れてこられた日の夜、俺たちみんなでタイミングを合わせて逃げ出したんだ。警備員を複数人で羽交い締めにしたり、それぞれ別の方向に走って混乱させたりして。最近は脱出者がいなくて、警備員も少し油断してた。俺たちの運が良かったのもある」
こうして義家族は、無事特殊詐欺への加担を逃れたそうだ。
「俺が大変な目に遭ったってこと。これで分かってくれたよな。美咲、お前は優しいやつだろ。こっちは今、一文無しなんだ。だから」
「待って。その日のうちに逃げ出したのよね。じゃあ、今までの一ヶ月間、何してたの? なんで今更、私に助けを求めたのよ」
「お前に譲った土地が売れたって聞いたからに決まってるだろう」
彼らは、私から盗んだ三百万を含めた多くの財産を詐欺師に奪われた。相手は特殊詐欺に加担させるだけでなく、義家族のお金を元々狙っていたようだ。日本の家や資産を全て現金化させるために、海外移住を提案したらしい。
「詐欺師に奪われた金を取り返そうと思って、色々と計画を立てた。でも、また拠点に戻ったら、二度と出られない。だから、俺たちなりにずっと仕事を探してたんだ。でも、パスポートは詐欺師に没収されたし、労働許可書もない。そんな俺たちを雇ってくれる会社なんてないんだよ。この一ヶ月、彼らは詐欺師に渡していなかった泣けなしのお金で生活していた。しかし、そのお金も底を尽きかけていた。親戚や友人に連絡を取り、金を貸してほしいと頼んでみたが、全員に断られたとか」
「みんな冷たいんだよ。俺に貸す金なんてないって言うんだ。俺たちがどれだけ苦しい思いをしているか、想像すらしない。全部、自業自得なんて。決めなければ、こんなことにはならなかったんだ」
裕人は金の無心をする中で、とある友人から土地が売却されたことを聞いたらしい。その友人は土地のことを知っているため、売った裕人が追い詰められるなんてあり得ないと考えていた。まさか、離婚の条件として私に押し付けたとは思わなかっただろう。
「どうして美咲が持ってるんだ。あれは俺のものだったんだぞ。俺には、売却して得た金を受け取る権利がある」
自信あり気に語る裕人に、私は頭を抱えた。
「どうして裕人が受け取るのよ。あの土地はすでに私のものなの。譲りたいと言ったのはそっちでしょ」
「だが、お前に土地を渡してからまだ日が浅い。本来なら、俺が売却するはずだったんだ。あの時、詐欺だと気づいていたら、今頃」
「裕人はきっと売らなかったと思うわよ。あなた、売却先から送られてきていた封書に、目を通してなかったみたいだし」
「どういうことだ?」
私は、裕人が疑い続けた業者こそ、今回買い取ってくれた会社だったと説明した。
「え、あれって悪徳業者からの手紙じゃなかったのか?」
「怪しむ気持ちも分かる。あの土地を買い取りたいなんて言われて、すぐには信じられないわよね。でも、私は担当者からちゃんと話を聞いて、売却を決めたの」
「嘘だろ? 詐欺じゃなかったなんて」
ショックのあまり、彼は言葉を失った。裕人は、疑う相手を間違えたのだ。本来信じるべき通信事業会社からの提案を切り捨て、海外移住なんて明らかに怪しい話を受け入れた。その結果、何もかもを失った。
「親戚も友人も、きっと内心呆れてると思うわよ。分かりやすい詐欺に引っかかった上、金をせびるとか」
「黙れ。俺は被害者なんだぞ。どうして攻められなくちゃいけないんだ。お前がもっと強く引き止めてくれたら、こんなことにはならなかった。離婚して俺たちを捨てたくせに、何言ってるんだ?」
裕人は怒りのままに、電話の向こうで叫ぶ。ただ私に苛立ちをぶつけたところで、状況は変わらない。
「私はあの時、海外移住に反対した。ちゃんと三人を止めたと思う。でも、聞き入れなかったのはそっちよね」
「美咲が離婚を切り出したからじゃないか。あの程度で俺たちが考えを変えると思うのか。お前が何を言っても、三人は海外移住したでしょうね。予定日を伝えず、お金も家も全部持ち逃げするくらい、行きたがってたんだから。そもそも、裕人たちが私を捨てたくせに。あの日、家が空っぽになっていたショックを、今でも覚えてるわ。本来の予定日を教えてくれなかった理由が、まず分からない。事前に伝えておいてくれても良かったはずよ。どうして嘘をついたの? 私の持っていた家具をこっそり奪うため?」
そう問いかけると、裕人は面倒くさそうに答えた。
「そうだよ。俺たちは金が必要だったんだ。家と家具を売り払って、海外移住への資金にしたかった。美咲はどうせ新居の準備を進めてたし、家のものなんて不要だと思ったんだよ」
「最初からあったものは、売ってくれても構わない。だけど、私が一人暮らしをしていた時から使ってたものもあったのよ。それまで売り払うなんて、おかしいと思わない?」
「あの家は父さんたちの家なんだ。つまり、家にある家具家電は全部、俺たちのもの。そうやって自分たちのものだと考えたの。私のお金を奪ったのも、それが理由?」
悪びれることなく平然と話す裕人に、怒りが込み上げる。それでも私は冷静を保ち、問い続けた。
「まあ、場合になったら返すつもりだったんだってば。こっちは全財産を失ったんだから、文句言われても困る。美咲が土地のお金を渡してくれたら、そこから盗んだ分、返してやるよ」
「裕人は何を言ってるの? 私が土地の売却益を渡すわけがないでしょ。会話にならないわね。土地のお金は私のもの。色々な手続きを経て売却したの。そもそも、離婚協議書に書いたわよね。万一、親戚の事業で金銭的なトラブルがあっても、私は関わらないって。その時すでに、私は海外移住の件を詐欺だと疑ってた。いつか裕人から助けを求められるかもしれない。そんな気がしたから、絶対に責任は取らないと書面に残しておいたのよ」
「あの時は、まさか俺が詐欺に遭うなんて思っても見なかったんだよ。だから、約束通り今回の件について、私は一切関与しない。当然、裕人にお金を渡すことはないから。あと、盗んだお金、返還してちょうだい。返還請求すると告げた途端、裕人が声を強める」
「こっちは一文無しだぞ。今、苦しんでいる夫に金を請求するなんて、美咲には人の心がないのか?」
彼が今どれだけ苦しい思いをしているかなんて、私には関係ない。自分のお金を取り戻そうとして、何が悪いのか。そもそも盗んだ義家族こそ、卑劣極まりない人間だろう。
「離婚したんだから、財産分与はしなくちゃならないだろ。その分を持ってきただけなんだ。俺は悪くない。美咲は何も分かってないわね。あれは父の遺産なのだから、財産分与の対象外なんだけど」
「え、そうなのか」
裕人は予想だにしていなかったのか、途端にうろたえた。普段使っている口座の通帳は常に私の鞄に入っている。ただ、父の遺産が入った口座のものは別で保管していた。義家族が盗んだのは、その通帳なのだ。
「父が残してくれたお金は、手をつけずに大事に置いてたの。それを盗むなんて、最低よ。財産分与なんて理由は意味がないから。知らない。俺はそんな話、聞いてなかった。前もって言ってくれれば、盗んだりしなかったのに」
言い訳が通用しないことを悟り、悔しそうな声をあげる裕人。だが、彼はすぐさま鼻で笑った。
「まあ、美咲が返還請求しようが、俺には関係ない。今、俺は海外にいるからな。住所も分からないくせに、どうやって請求するんだ?」
「裕人は、まだ帰国するつもりないの? 仕事も見つからないのに、その国に残るなんて。そうやって俺をおびき出して、金を奪おうって魂胆か? 悪いが、美咲の思い通りにはならない。俺はこの国で」
裕人は自分が置かれた状況を、まだ理解していないらしい。こんな男と結婚していた自分が、恥ずかしくなる。
「少なくとも、家族は今すぐ帰国するべきだ。裕人、悪いことは言わない。お父さんたちと一緒に、大使館に行きなさい」
「大使館? なんでだよ」
「あなたたちは労働許可書がないんでしょ? 仕事を見つけたところで、不法労働になるって分かってる? 不法労働だと知った上で雇ってくれる雇用主もいるかもしれない。しかし、その場合、足元を見られる可能性がある。低賃金で酷使されたり、再び犯罪組織に売られるリスクもあるのよ。その危険を理解した上で、裕人はそっちで仕事を探すの?」
「うるさい。美咲は、日本に戻るよう誘導してるんだろ。そうやって脅しやがって」
「あなただけじゃない。お父さんたちだって危ないの。彼らは不法労働の危険性を把握してる。どうせ、分からないまま裕人と一緒に仕事をしてるのよね」
そう告げると、裕人は言葉を詰まらせた。義両親までもが苦しい思いをすると気づき、自分の考えが正しいのか分からなくなったのだろう。
「仕事を見つけて低賃金で働くことを選んでも、いつかは強制送還されて日本に戻る可能性がある。今戻った方がいいに決まってるわ」
「そりゃそうだけど、どうやって帰国するんだよ。帰れないから、こっちで働くことにしたのに」
「詐欺被害に遭って、犯罪に加担させられそうになって逃げてきたと、正直に話せば、人道的な支援を受けられるかもしれない。一時帰国のための渡航書を作成してくれたり、安全な場所を確保してくれたり。警察で盗難届を提出すれば、大使館で帰国のための渡航書を発行してもらえるはずよ。お金に関しては、公的な貸し付け制度でどうにかなるんじゃないかしら」
「本当? 俺たち帰れるのか? パスポートも金もないのに」
裕人は、帰国できる可能性があると知って感動したのだろう。すすり泣く声が、電話越しに聞こえた。
「よかった。俺、このまま日本に帰れないと思ってたんだ。美咲、これでこの国から離れられる。感謝してるところ悪いけど、私はあくまでも返還請求のために、帰国の方法を伝えているだけよ。戻ってきてくれないと、手続きできないから」
「あ、そうか」
自分の立場に気づいて、言葉を失う裕人。帰国したいけれど、金を奪われるのは嫌らしい。
「でも、父さんたちの安全のために、大使館に行く」
「そう、それがいいと思う。私は日本で待ってるから」
「俺は、絶対に金は渡さない。分かったな」
それだけ言うと、彼は電話を切った。裕人がどんな考えであれ、私には関係ないことだ。父の遺産を必ず取り戻すと、心に決めた。
それから一週間後のこと。私は弁護士に裕人が帰国するはずだと告げ、返還請求の手続きを進めてもらっていた。そんな中、義家族が私の目の前に現れる。彼らは、いきなり職場にやってきたのだ。
「なんでここに?」
帰ろうと会社を出た瞬間、行く手を阻むように立った三人。以前よりも頬が痩せ、顔色が悪かった。海外にいる間、相当苦労していたのだろう。義家族は厳しい目つきで、私を睨みつける。
「美咲、ありがとうな。お前のおかげで、どうにか帰国できたよ」
「これで、土地の売却益を取り戻せるな」
「裕人から話は聞いてる。貯金を一人占めするなんて、許せない。あれは本来、俺たちが受け取るべきお金だったんだ。今すぐ返せ」
「落ち着いてください。うちの会社の前で、騒がないで。あなたがお金を渡したら、今すぐ帰ってあげるわよ。ほら、私たちと一緒に下ろしに行きましょう。今日は私たちの宿代と食事代を出すだけで、許してあげるから」
そう言って、義母は私の腕を掴もうとしてきた。慌てて避けたものの、彼らは今にも掴みかかってきそうだ。こうして脅せば、お金を奪えるとでも思っているのか。私は呼吸を整えて、口を開いた。
「この前、電話でも伝えたけど、土地の権利書を置いて行ったのは裕人よね。私に譲与したいと提案したのもあなた。それなのに、今更お金を要求するなんて、おかしいと思わない?」
反論した途端、裕人は唇を噛みしめる。
「そもそも、売却の話が出た段階で、俺に連絡を取るべきだったんだ。勝手に手続きを進めて売ったこと自体、許せない」
「裕人は、海外に移住した後、私の電話番号を着信拒否してたでしょ。いくら電話をかけても出なかったくせに」
「バカなこと言わないで。うるさい。俺に反論するな。金だけよこせばいいんだよ。俺はお前に騙されて譲与するはめになった。本当は渡す気なんてなかったんだ」
彼は移住前に散々話し合ったというのに、めちゃくちゃな嘘を突き出す。そんな裕人の肩に手を置き、慰める義両親。
「裕人がかわいそうだ。彼はずっとあの土地を所有していたんだ。困っている俺のために、名義変更を提案してくれて。裕人は美咲さんと違って、情け深い子なのよ」
「でも、海外では詐欺に遭うんですね。情け深いなら、海外で事業を手伝うなんて話、断ると思いますが」
「黙れ。俺たちは金を奪われた被害者なんだぞ。そんな俺たちに向かって、傷に塩を塗るようなことを言うなんて」
義父は呆れたように頭を抱え、義母はわざとらしく顔を手で覆い、泣き真似をした。退勤する社員たちが騒ぎに気づき、こちらに視線を送る。私は今すぐにでも三人に帰ってもらいたかった。だが、金を渡すつもりはない。
「後日、弁護士を通してお話ししましょう。今日はもう遅いですし、帰ってください」
「帰るって、どこに? こっちは日本に帰ってきて、ずっとホテル暮らしだ。家なんてない。実家はとっくに売り払ったからな」
「そんなこと言われても困る。私はもう裕人と離婚して、赤の他人なんだから」
「ひどいわ。離婚したとはいえ、私たちは家族だったのよ。大変な目に遭ってる私たちのために、少しはお金を渡しなさい」
「ホテル暮らしをしているなら、お金はあるんじゃないの? 日本に来て就職したんじゃないんですか」
しかし、義家族は現在も無職らしい。
「一週間足らずで仕事が決まるわけないだろ。美咲ってば、馬鹿だな。じゃあ、宿代は借金してどうにか暮らしているんだ。詐欺師に騙されたりしなければ、今も家があったのに。美咲さんは、そんな俺たちを見放すのか。かわいそうでしょ。私たち、家も仕事もお金もないの。このままじゃ、生きていけない」
三人は自分たちの現状がどれほど過酷か語り、同情を買おうとした。しかし、そんなことをしても、私の気持ちは変わらない。先に見放したのは、彼らの方なのだから。
「お引き取りください。私は公正証書に従って、土地の名義変更を行ったんです。そして、今後三人のトラブルにも関与しないと、裕人と約束したんですから」
私は三人を無視して、その場を立ち去ろうとした。だが、見る見るうちに顔を真っ赤にする義家族。彼らは声を騒ぎ立て、私を引き止めた。
「いい加減、機嫌を直せよ。土地を売った金を渡すなら、三百万も返してやるし。美咲さんがこんなにも金に汚い女だとは思わなかった。裕人が一生懸命頼んでるんだぞ。そろそろ許すべきだ」
「私たちが野たれ死にしてもいいの? 美咲さんなら助けてくれると思ったのに。父さんたちのためにも、今日の宿代くらいはくれ。美咲はたんまり金をもらってるんだし、ちょっとくらいいいじゃないか」
三人は反省していないのか、さも当然だと言わんばかりに金を出すよう要求し続ける。あれだけ追い詰められたのに、まだ懲りてないのね。帰国する方法なんて、教えなければよかった。怒りのあまり、声が強くなる。
「それに関しては、感謝してるって。だからさっき礼を言ったじゃん。なんでそんなに怒るんだよ。美咲は俺たちより金を持ってるだろう。金の生むなんて関係ない。裕人はまだ、お父さんの遺産を盗んだこと、謝罪してないよね。反省してたなら、少しは言葉を選ぶつもりだったのに」
私はため息をこらえて、彼を睨みつけた。
「弁護士にはすでに相談してる。裕人たちに不当利得返還請求を行うから、絶対にお父さんの遺産、返してね」
「は? 俺たちがそんなの払えるわけないって、美咲が一番よく分かってるよな。一文無しの俺らから、さらに金を奪おうとするの」
顔を曇らせ、あからさまに悲しげな顔をする裕人。そんな表情をされても、怒りが湧き上がるだけだ。
「先日、裕人は電話で、遺産を盗んだこと認めてたわよね」
「いや、後々返すつもりだったって言っただろ。色々あって、返済が遅れてるだけだよ」
「私は一度も、裕人にお金を貸すなんて言ってない。無許可で通帳とカードを持ち逃げしたのは事実でしょ。引き出した履歴があるから、言い逃れはできないわ」
私の気迫に負け、裕人が目を泳がせる。しかし、義両親はそんな彼を無視して、隣り続けた。
「夫だった裕人を訴えるなんて、ありえない。そこまでして金を取り返す必要ないだろ。こっちは全財産、詐欺師に奪われたんだぞ」
「それは、お父さんたちの自業自得ですよね。私の反対を押し切って、移住を決めたんですし。あの時、私は三人にちゃんと忠告しました」
「美咲さんの忠告なんて、聞くわけないでしょ。あなたは自分のことばかりで、私たちに冷たかったんだもの。美咲さんが信頼できる人間だったら、私たちだって移住しなかった。物語に及んで、騙されたことすら私のせいにするんですか?」
「もっとよく考えて移住を決めていれば、良かっただけなのに」
事実を突きつけた途端、黙り込む義両親。騙されたことがあまりにもショックだからこそ、ずっと自分たちは悪くないと言い聞かせているようだ。
「俺たちだって、好き好んで詐欺に引っかかったわけじゃない。これ以上侮辱するなら、警察呼ぶぞ」
「美咲さんこそ、詐欺師ね。私たちから土地を奪って大儲けして。こっちがあんたを訴えてやるわ。それが嫌なら、父の遺産なんて忘れなさい」
ギャーギャーと喚き散らす二人に、裕人ですら困惑する始末。
「ちょっと、父さんも母さんも、落ち着けって。俺たちが警察を呼んだところで、美咲は悪くない。下手したら、こっちが逮捕される可能性がある」
「何を言ってるんだ。なんで俺らが逮捕されるんだよ。こっちは当然のことを言ったぞ。裕人、こんな生意気な女に侮辱されたままでいいのか?」
「お父さんの言う通りね。私たちは被害者なの。美咲さんみたいな人間は、このままだと罰が当たるわ。絶対に彼女に金を渡すわけにはいかない」
興奮する義両親を見ていると、だんだん自分が冷静になっていくのを感じた。彼らと同じように大声を出して張り合う必要などない。私はこの日のために、弁護士に相談して対策を練ってきたのだから。
「裕人、不当利得返還請求だけでなく、あなたには慰謝料も請求するから、よろしくね。仕事、すぐに見つけた方がいいわよ」
淡々と告げる私に、裕人が目を大きく見開く。
「は? 何言ってるんだ。俺たち、話し合って離婚を決めたよな。互いに別れる意思があって、問題なく離婚できたじゃないか。それなのに、なんで俺が慰謝料を支払わなくちゃいけないんだよ」
「あなたはまだ、バレてないと思ってるのね。私がずっと裕人を疑ってたって、知らないの? 裕人、私との婚姻中に不倫してたでしょ」
そう問いかけた途端、彼は顔をこわばらせた。私が気づいていないと思い込んでいたらしい。
「裕人、海外移住が決まった頃から、妙な行動が増えたでしょ。スマホばかり見るようになって、しょっちゅう誰かとやり取りしてた。それなのに、私が疑わないと踏んでたの?」
「だって、あれは仕事で……」
「移住の話が出た段階で退職するって決めてたわよね。仕事を辞めるって分かってるのに、急に忙しくなることある? 後輩に色々教えて欲しいって言われて」
しどろもどろになり、言い訳を述べる裕人。義両親は不倫を知らなかったのか、口をぽかんと開けて固まっている。私は三人に、とある写真を見せた。
「それじゃあ、彼女が後輩なの? わざわざ家に行って仕事を教えてあげるなんて、熱心な先輩ね。こんなところでも仕事してたんだ」
「やめろ。なんで写真があるんだよ」
映っていたのは、見知らぬ若い女性に鼻を伸ばして寄り添う裕人の姿。彼は不倫相手の家に毎日のように通い、時にはいかがわしい場所へ休憩しに行くこともあった。
「そうだ。彼女、会社の後輩でもなんでもないわよね。アプリで知り合った女性でしょ。私は離婚前、彼の行動に違和感を覚えた段階ですぐに探偵に依頼して、調査してもらったの。不倫の証拠があれば、土地の名義変更などしなくても離婚できると思った。実際、証拠は山ほど出てきた。裕人は足繁く不倫相手の家に通い、入り浸った。そんな証拠を手にして帰ったあの日、義家族は姿を消したのよ。本来なら、裕人たちが出発した日に不倫を問い詰めるつもりだったの。だから、私に嘘の予定日なんて教えていなければ、土地の名義は裕人のままだったかもしれないわね」
「そんな俺だって、不倫がバレてたら、もっと話し合ったのに。慰謝料を請求されるくらいなら、土地を押し付けなかった。なんとか金だけは出さないで済むよう、条件を変えたのに」
当時の私は、すぐにでも裕人と離婚したかった。慰謝料なんて二の次で、不要な土地を押し付けられるのも不本意だった。だから、証拠を掻き集めた。最悪、離婚に同意してくれるなら、慰謝料なんて必要ない。ただ、土地の譲与を断りたい一心で、不倫を問い詰める予定だった。しかし、そんな話し合いができなかった結果、私は大金を手にしたのだ。事実を知った裕人の顔から、表情が消える。
「ちなみに、この不倫相手、海外に連れて行くつもりだったのよね」
「裕人、本当か。こんな女性、いなかっただろ」
「美咲さん、あることないこと喋らないでちょうだい。私は裕人を信じてるからね。こんな写真、どうせ合成でしょ」
「裕人、本当に不倫してたのか? はっきり答えろ。この女性を、実はこっそり連れてきていたのか」
義父が顔を歪める中、義母はまだ裕人の肩を持つ。すると、裕人はか細い声で話し出した。
「美咲の言う通り、不倫してたよ。それに、彼女を移住先に連れて行きたかった。全部、本当だ」
「なんで、そんなことしたの? 美咲さんとの離婚が決まってたんだし、別れてから付き合えば良かったじゃない?」
「離婚するって分かってたんだから、別にいいじゃん。俺はもう、美咲のことなんて好きじゃなかった。でも、海外で日本人と出会えるかどうか分かんなかったんだよ。彼女なら、海外で家事をしてくれると思った。美咲みたいに気が強い人じゃない。俺のために尽くしてくれて、いつも笑顔で可愛くて」
うっとりとした表情で、彼女のことを褒め称えたかと思えば、今にも泣きそうな顔になる。
「俺は、結婚も考えてた。美咲と離婚してすぐ、移住前に籍を入れるのもありだと思った。でも……」
「振られたんでしょ、彼女に」
「どうして、そこまで知ってるんだ?」
実は、義家族が金を持ち逃げした後、私は彼らの行方を探すため、不倫相手と接触していたのだ。彼女は裕人が既婚者だとは知らなかったらしい。移住前にプロポーズされたものの、出会いからまだ四ヶ月しか経っていなかった。さすがに早すぎると思い、結婚は一旦断ったという。
「しかも、彼女も海外移住を反対してたんでしょ。どう考えても怪しいから、考え直した方がいいって。もっと早く出会えていれば、ついてきてくれたに違いない。彼女は俺のことを、心から心配してくれた。本当に優しくて。今思えば、彼女の言葉を信じるべきだったよ」
「彼女に申し訳ないと思わないの? 移住を断られたからって、一方的に振って、心痛になってんの? 彼女、私が妻だと知った途端、何度も頭を下げて謝ったのよ。接触した際、彼女は涙ながらに謝罪した。しかし、不倫相手は何も悪くない。嘘をついて彼女に近づいた裕人に非があるのよ。私はこれ以上、謝罪はいいと伝え、彼女とは別れた。それなのに、裕人はまだ不倫相手に未練があるらしいわね」
「俺は、彼女に寂しい思いをさせちゃったんだな。一度、連絡してみるよ。きっと彼女なら、許してくれるはずだ」
「何を言ってるの? 彼女はもう、あなたには会わないわ。交際していたことすら、忘れたがってたんだから。つまり、俺のことを思い出したら悲しくなっちゃうんだろ。忘れた方が気が楽だから。彼女は強がってるだけだ」
「裕人、何を言ってるんだ? 一方的に振ったくせに、よりを戻すつもりじゃないだろうな。彼女に突きまとったりするなよ。そんなことしたら、さらに面倒になるぞ」
慌てて静止する義父。しかし、裕人は義父の言葉に耳を貸さない。
「父さんは、彼女のこと何も知らないよね。移住するまで、俺にベタ惚れだったんだよ。本当は復縁したいと思ってるに決まってる」
「やめなさい。プロポーズして、断られてるんでしょ」
「断られたわけじゃないよ。考える時間が欲しいって言われたんだ。俺が移住している間、悩んでたんじゃないかな。きっともう、答えは出てると思う」
義母は困惑しつつも、彼を説得しようと試みる。
「悪いことは言わないわ。彼女のことは、諦めなさい。不倫だったと知った今、裕人のことをまだ好きなままだとは、到底思えないわ」
「きっと彼女は、結婚してたのを黙ってたことは、ちゃんと謝るよ。でも、離婚したし、もう大丈夫でしょ。美咲だって、俺との復縁は望んでないよね」
裕人は急に私に視線を送り、笑顔を作る。確かに、私はもう彼とよりを戻すつもりはない。だが、不倫相手の気持ちも考えずに、よりを戻そうとする彼を止めなければと思った。
「そこまで言うなら、彼女に聞いてみる」
「え?」
私は彼女の連絡先を知っている。不倫相手の家に突撃されるより、電話で彼女の気持ちを確認した方が安全だろう。そう考えて提案すると、裕人は先ほどよりも表情を明るくした。
「今すぐ、かけてくれ。きっと彼女は、俺の帰りを待ってる。家に行ってもいなかったから、困ってたんだよ。美咲、ありがとうな」
相手には気の毒なものの、私は電話をかけた。裕人が帰国したことを伝え、彼が話したがっていると説明した。彼女は不安げだったものの、対応してくれるとのこと。
「とりあえず、俺の気持ちだけは伝えとかないと」
裕人は私のスマホを手に取ると、息を整えて話し出す。
「急にいなくなって、ごめん。俺、向こうに行って気づいたんだ。やっぱり、お前がそばにいないと生きていけないって。だから、結婚しよう。お前と一緒に、日本で生きていくって決めたんだ」
晴れやかな顔でプロポーズをする裕人。しかし、徐々に彼の表情が曇っていく。
「は? 何言ってるんだよ。寂しい思いをさせたことは、謝る。お前の忠告を守って、移住をやめるべきだったって気づいたんだ。だから……」
裕人は次第に苛立ちをあらわにし始めた。
「いい加減、ふざけるのはやめてくれ。こっちはお前のために帰ってきたんだぞ。電話には出ないし、家に行っても会ってくれないし」
「裕人、そろそろ……」
「母さんは黙ってろ。これは、俺とこいつの問題なんだから」
声をあげた義母を睨みつけ、彼はさらに気を強める。なんとしてでも不倫相手と結婚したいのだろう。ただ、彼女は裕人との結婚を拒んだ。それどころか、復縁すら断ったらしい。
「俺に黙って引っ越した。なんでだよ。俺の帰りをずっと待ってくれてたんじゃないのか。迷惑だって? 俺はお前と結婚してやるって言ってるんだぞ」
「もうやめないか。裕人、しつこいぞ」
「そうよ。彼女との結婚は、無理だって」
「だめだ。俺は彼女と結婚するんだよ。そのつもりだったから、美咲との離婚を受け入れたのに」
裕人は恐ろしい顔で、スマホを握りしめる。彼は不倫相手に執着し、何度も結婚を迫った。しかし、彼女の返答は変わらない。
「お前まで、俺を見捨てるのか? もう三十だろ。次の相手を見つけるなんて、無理に決まってる。だから、俺と……」
裕人が呆然と立ち尽くす。どうやら、不倫相手が電話を切ったらしい。私は彼の手からスマホを奪い取った。
「それで分かったでしょ。彼女は裕人との結婚なんて望んでない。復縁すら嫌がってる。当然よね。彼女はあなたに騙されてたんだから。お前が彼女に既婚者だという事実を伝えなければ、こんなことにはならなかったんだ」
「彼女は、また俺とやり直してくれたはずなのに。お前のせいだ」
今にも殺さんばかりに私を睨みつける裕人。彼は、家事を嫁の仕事だと思っている。結婚すれば、家のことを全て押し付けられると考えているのだろう。私の代わりに、今後は不倫相手に家事をさせるつもりだった。その計画が破綻し、悔しいようだ。
「これじゃ、美咲と離婚した意味がない。仕方ない。美咲、お前でいい」彼は、考え込むそぶりを見せた後、そう言った。思わず、あきれて物も言えない。
「私に復縁する気持ちがないこと、さっき確認したでしょ。どうして、やり直せると思うの? 彼女に振られたんだから、仕方ないだろ。美咲、お前はこれから、一人で生きていくのか? 家族もいないのに。孤独な人生を送ることになるって、分かってるよな」
彼はニタニタと私を見下すように笑った。両親と死別した私のために、家族になってやるというのだ。呆れて、言葉も出てこない。しかし、義両親もそんな裕人に同調する。
「確かに、美咲さんは一人ぼっちだもんな。裕人がこう言ってるんだし、再婚したらどうだ? 戻すなら、土地の売却益だって返さなくていいぞ。裕人が優しくて、良かったわね。美咲さんも、家族がいた方が安心でしょ。今までみたいに、四人で暮らしましょうよ」
二人は口元を緩め、私を見つめてくる。ただ、彼らの狙いは容易に想像できた。
「家もお金もないから、私にすがりついてるんですよね。最終的に、土地のお金を奪うつもりですか? 何を言ってるんだ? 俺たちはただ……」
「通帳とカードを盗んだ泥棒と、家族になるなんて無理です。三人のことは、もう信用できませんから。頼るなら、他の人を当たってください。復縁なんてしたら、義家族は私の家に住みつき、生活費も負担させるに違いない。それに、裕人は不倫までしてた。散々裏切っておいて、なぜ今更家族になれると思っているのだろう」
「話はこれで終わりですか」
私は踵を返し、その場を離れようとした。けれど、次の瞬間、裕人が突然土下座する。
「美咲、ごめん。俺が間違ってた。謝罪する。だから、頼むよ。復縁してくれ。俺たち、もう行く当てがないんだ。親戚や友人の家に行ったのに、みんな俺たちを門前払いして。こっちだって、美咲に頼りたくなかった。でも、お前しかいないんだよ」
彼は声を震わせて、謝罪の言葉を口にした。どうやら帰国した後、色々な人に頭を下げたものの、誰も取り合ってくれなかったという。海外で金の無心をしたせいで、みんな義家族を見放したようだ。関われば、自分たちまで痛い目を見ると危惧したに違いない。
「美咲は、こうやって俺の話を聞いてくれただろう。お前だけは、俺を捨てないって思ってる。美咲の忠告を聞かなかったこと、反省してるんだ」
すると、義両親も慌てて頭を下げた。
「裕人もこう言ってるし、美咲さん、考え直してくれ。俺たち、行く当てがないんだ。せめて、金の請求だけはやめてほしい。私たち、美咲さんにひどいことをしたわよね。謝っても許されないことくらい、理解してる。だけど、直接謝罪したかったの。本当にごめんなさい」
先ほどまで愚痴を浴びせ、私を攻め立てていた三人だとは思えない。彼らは土下座し、必死に許しを乞おうとした。けれど、そんな義家族を見ても、何も感じなかった。お金のためだけに謝っていることが、すぐに分かったからだ。
「裕人が反省するとは思えない。そこまでして、返還請求と慰謝料が嫌なのね。全部、自業自得なのに」
「そうじゃない。俺はただ、美咲に許してもらいたくて。そのついでに、助けてもらえたら嬉しいなって思ったんだよ。もちろん、お前が怒る気持ちも理解してる」
「それじゃあ、絶対に許さないってことも、分かってくれるよね。家事を押し付けられて、財産とお金を持ち逃げされて、挙げ句の果てに職場まで押しかけてくるなんて、最低よ」
「だから、謝ってるだろ。しつこいな」
つい本音が出てしまったのか、大声を張り上げる裕人。彼は「しまった」と言わんばかりに、口を手で覆う。今の言葉こそが、裕人の本音だ。
「美咲、違うんだ。今のは……」
「取り消そうとしても、無駄よ。裕人は私のことを、見下してるのよね。謝ればなんとかなると思った。悪いけど、裕人たちの力になるつもりはないから」
「待ってくれ、美咲さん。この通りだ。俺たち、本当に申し訳ないと思ってるんだよ」
義両親までもが土下座する。三人は額に冷や汗をかきながら、どうにか私の機嫌を取ろうとした。
「美咲さんみたいに優秀な嫁が来てくれて、俺たち嬉しかったんだ。でも、つい調子に乗って、美咲さんに甘えてしまったんだと思う。これからは、俺たち心を入れ替えるって約束するよ。裕人には、もったいない人だと分かってるけど。私たちは、美咲さんを本当の娘のように思ってるの。だから、お願い。どうか、私たちのこと、助けてくれない?」
彼らは張りついたような笑みを見せる。その時、会社を出る篠原の姿が目に入った。彼は私に視線を送ると、車内に戻り、その後、警備員を連れてやってきた。
「ちょっと、何やってるんですか? この人たちが、うちの社員に突っかかってるみたいで」
警備員は義家族に近寄り、声をかける。途端に、三人は目の色を変えた。
「俺に触るな。こっちは今、大事な話をしてるんだよ。彼女は、息子の元嫁なんです。私たちは、家族でして……」
「申し訳ありませんが、彼女たちはもう家族ではないので、安心してください。邪魔しないでって。ほら、美咲さんも、なんとか言って!」
喚き散らして警備員に抵抗する義家族。そんな中、社員の誰かが通報したのだろう。パトカーのサイレンが響き渡り、警察が駆けつけた。義家族は顔を真っ青にして、言い争いを始める。
「警察が来るなんて、最悪だ。だから、俺は反対したんだよ。美咲の職場に突撃するなんて」
「お前が土地のお金を取り戻したいって言うから、仕方なく来たんだろ。そもそも、裕人が名義変更を提案していなければ、こんなことにはならなかったのに」
「お父さんが海外移住を決めたのが発端じゃないか。俺のせいにするな。美咲さんが悪いのよ。一人だけ日本に残って、いい思いするなんて」
互いに責任転嫁をし、最終的にはまた私を攻め立て始めた三人。やはり、先ほどの謝罪は本心ではなかったらしい。義家族は警察に対しても抵抗し、腕を振り回して暴れる。その結果、公務執行妨害で現行犯逮捕となり、連行されていった。
彼らがいなくなった瞬間、周囲が一気に静まり返った。私は、警備員を連れてきてくれた篠原に感謝した。警察に通報したのも、彼だったらしい。
「外から叫び声が聞こえて、驚いたよ。あれが、例の元夫だよね」
「はい。まさか、職場まで押しかけてくるとは思いませんでした」
「美咲さんには、また助けられましたね。もっと早く通報すべきだった。遅くなってごめん。怖かっただろう」
「いえ、もう大丈夫です。本当にありがとうございました」
私の表情が意外にも明るかったからか、篠原は一瞬目を丸くするも、すぐさま微笑んだ。今更、三人に怯える必要などない。彼らは全てを失い、どん底に落ちたのだから。私は過去を忘れ、前を向いて生きていこうと決めた。
公務執行妨害で現行犯逮捕され、罰金刑となった義家族。弁護士の支えもあり、無事三百万は戻ってきた。当然、慰謝料請求も認められ、義家族は借金して一括で支払うこととなった。彼らは今、ボロアパートで三人身を寄せ合って暮らしているらしい。借金の返済や家計をやりくりすべく、全員パートを掛け持ちしているそうだ。裕人は正社員の仕事を探したものの、見つからなかったとか。肉体労働に従事し、相当苦労していると風の噂で聞いた。ただ、三人は互いに責任を押し付け合っており、家族仲は険悪な暮らしでストレスが溜まり、追い詰められているようだ。
一方、私は今も不動産管理会社で働き続けている。三千万は、父の遺産と同様に大切に取っておくつもりだ。ちなみに、先日、篠原にお礼をしたいと伝え、二人で食事に出かけた。
「篠原さん、今日は私のおごりです。何でも注文してください」
「ありがとう。じゃあ、今度は俺のおごりってことで」
「また、言ってくれるんですか?」
そう言いかけると、彼は照れくさそうに笑った。篠原は私と同じく、元配偶者に不倫され、離婚を決めたと聞いたことがある。近しい境遇に話が弾み、私はいつしか彼を意識していることに気がついた。ただ、すぐに同棲したいというわけではない。徐々に距離を縮めていけたらと思っている。いつか、彼と人生を共に歩む日が来たら、幸せなことだろう。これからは自分のために、そして私を信じてくれる人たちのために、生きていきたい。



