娘の誕生日、私は娘を連れて高級な日本料理店に来ていた。小学一年生のり子は、大好物の芋の天ぷらを前に満面の笑顔を浮かべている。普段はスーパーのパートで働く普通の主婦だが、こうして家族で過ごす時間が何よりの幸せだった。夫は出張が多いけれど、今夜は帰ってきて三人でお祝いする約束になっている。
「お母さん、いっぱい食べていい?」
「もちろんよ。でもお行儀よくね」
たまにしか来られない店だから、高いものを頼んで欲しいと思ったけれど、娘が幸せそうならそれでいい。私は自然と微笑みが浮かぶのを感じていた。
店はまだ空いていたが、予約していたカウンター席に案内された。運ばれてきた芋の天ぷらを嬉しそうに頬張る娘の姿を見ていると、小さな幸せが積み重なっていくのがわかった。
その時だった。
「本当、貧乏臭いわね」
聞き慣れた意地悪な声が響いた。見るとカウンター席に、ママ友の有沙さんとその娘がいた。二人はニヤニヤしながらこちらを見ている。有沙さんは学校で絶対的な存在で、他の保護者たちから恐れられていた。何せ夫婦でヤクザなのだ。
「こんな素敵なお店に来て、安いものばかり頼むなんて、お子さんが可哀想」
楽しいはずの食事が、一瞬で嫌な空気に変わった。私はなるべく静かにやり過ごそうと決めた。娘は不安そうな顔でこちらを見ている。有沙さんの娘は同級生たちに親がヤクザだと吹聴して回るような子で、私も他の保護者も警戒していた。
「芋の天ぷらとかダサい。女の子はそんなの食べないんだよ」
有沙さんの娘が意地悪な顔でり子に言った。私はカッとなったが、娘に心配をかけたくなかったので、まずは黙ってやり過ごそうとした。しかし有沙さん親子は調子に乗るばかりだ。
「あら、みきさんとりこちゃんじゃないの? こんなところで会うなんてびっくり。貧乏人がここにいるなんて。ここに来て安いものばかり頼むなんて非常識よ」
本当は短気な私も、娘が大好きなものを食べているのに水を挿されるのは我慢がならなかった。
「りこはこれが大好物なんです。誰が何を食べても、有沙さんには関係ないですよね」
「はあ? 何? あんた誰に口利いてるわけ?」
有沙さんの顔が歪んだ。不穏な空気を察した店員がオロオロし始める。周りのお客さんも戸惑っているが、誰も助けてはくれない。
「ねえお母さん、あんなのがいるといい迷惑じゃない? 迷惑料取ろうよ」
「あら、さすが私の娘。いいアイデアだわ。そうしましょう」
有沙さんは大声で言い放った。
「貧乏人! 迷惑料取るぞ! 今すぐ一千万円払え! 払えなかったらあんたの生活は終わりだからな!」
「そうだそうだ! 芋天ぷら小娘は消えろ!」
さすがの私も我慢の限界だった。私は冷めた声で言った。
「わかりました。迷惑料をお支払いします。それで放っておいてくださいませんか」
有沙さんは驚いた顔をした。普段の私からは考えられないことだったからだろう。
「有沙さん、ヤクザでしたよね。どこの組ですか?」
「何よ、そんなの。今関係ある?」
「一千万円も支払うんだから、どこに支払うかくらい知りたいでしょう」
有沙さんは鼻で笑った。
「サンダ組だけど。てか払うって本気?」
私は有沙さんを無視して、母に電話をかけた。
「もしもし、お母さん? 元気? あのね、サンダ組のヤクザに絡まれて迷惑料一千万円を請求されちゃったの。助けてくれる?」
「分かったわ。でもどうしてそんなことになったの?」
「り子の誕生日に食事に来たんだけど、そこにサンダ組所属のママ友がいたの。芋の天ぷらばかり食べてたら貧乏で迷惑だから、迷惑料払ってって言われたの」
「そうなの。大変だったわね。今すぐお金を持っていくからね」
電話を切ると、有沙さんはニヤニヤしながら言った。
「こいつの実家、実はお金あるの? 本当に一千万円入るの? ラッキーだわ」
どうやら有沙さんは、母が一体何者なのか全く気づいていないようだった。
しばらくして、私の母がやってきた。お月の連中を連れて。
「こっちよ、お母さん」
有沙さんは驚いた顔で立ち上がった。
「え、どうして? 早朝、なんでこんなところに?」
「お母さん、迷惑料を請求してきたのが有沙さんよ」
私は有沙さんを指差した。有沙さんの顔が真っ青になっていく。そう、私はサンダ組の若頭の娘なのだ。そして母が、組を束ねる早朝である。
「アリサ、あんたがミキに迷惑料を請求したのかい?」
「え? えっと、その、ミキさんがお嬢様だとは思ってなかったというか……」
「そうよ。娘の食べるものが貧乏人の食べ物だって言って、貧乏人にはいて欲しくないから迷惑料払えって言うの」
母は淡々としながら、有沙さんに一千万円の札束が入った袋を差し出した。
「ほれ、お望みの迷惑料だよ。娘のミキが世話をかけたね」
有沙さんは手を震わせて袋を受け取ったが、それ以上触ろうとはしなかった。
「ねえ、サンダ組のヤクザって、一般の人やお店に迷惑をかけるものなの?」
「いや、サンダ組は一般の人には迷惑をかけないよ。そいつらはどうやらサンダ組じゃないみたいだね」
母の言葉に、有沙さんが目を見開いた。
「あんたとあんたの夫は破門だよ。一千万円持ってさっさと帰りな」
「え、いや、破門だけはやめてください! 勘違いだったんです! ミキさんがお嬢様だって本当に知らなかったんです! 何でもしますから、どうか破門だけは勘弁してください!」
有沙さんは泣きながら床に土下座した。周りの客たちは引いている。
「いや、ダメだ。一般の人に迷惑をかけて、ミキをないがしろにするような奴らは要らないよ。さっさとお帰り。何度も言わせるんじゃないよ」
母の低い声に、有沙さん親子は顔を青くしながら店を出て行った。娘は一千万円の袋を名残惜しそうに何度も見返していた。
母はこちらに向き直ると、優しい顔で言った。
「さ、仕切り直して美味しいものでも食べようか。りこちゃんは芋の天ぷらが好きだったね。好きなだけお食べ」
こうして私たちは楽しい誕生日を過ごし、夜には夫も帰ってきて三人で幸せに祝うことができた。
ところが二日後、私は困っていた。パート先のスーパーの店長が、出勤時間になっても現れないのだ。店長は寝坊するようなタイプではない。何かあったのではないかと嫌な予感がした。
その時、スーパーで共同使用している車両のスマホが鳴った。店長からだった。
「はい。店長? どうしたんですか?」
電話に出たが、答えはなかった。ただ誰かが動く音だけが聞こえる。
「店長? 店長ですよね? どうしたんですか? 何かあったんですか?」
一向に答えはない。すると電話口から、複数の声が聞こえてきた。
「契約通りこいつを攫ってきたぞ。報酬を早くくれ」
「そうだな。ただもう少し待て。俺たちがこいつを救うところを早朝に見てもらわなきゃならねえ。そうしないと破門は解けないんだからな」
「本当にこれでうまくいくのか?」
「うるさい。お前がやったことだろうが、俺たちにはこれしかないんだ」
私は状況を察した。破門された有沙さん夫婦が、パート先の店長を誘拐したのだ。自分たちが店長を助けて私に恩を売り、破門を解いてもらおうとしているらしい。
何の関係もない店長を巻き込むなんて。私は怒りで震えた。店長はいい人だから、絶対に巻き込みたくない。電話口からは、どうやら店長が盗みに電話をかけているようだった。無事ではあるらしいが、恐怖を味わっているに違いない。
GPSで店長のスマホの位置を確認すると、街外れの廃墟ビルにいるようだった。私はすぐに母へ電話した。
「お母さん。この間破門した有沙さんたちが、パート先の店長を誘拐したみたいなの。場所は分かってるから協力してくれる?」
「いいけど、どういうことなんだい?」
「この間の破門をどうしても解いてもらいたいみたい。店長を攫って助ける芝居で私に恩を売ろうとしているみたいなの」
「はあ。いかにもアホの考えそうなことだね。分かった。すぐ向かうよ」
母と合流した私は、街外れの廃墟となったビルに来た。薄暗くて気持ちの良い場所ではない。
「どうしよう。ここにいるのは分かるんだけど、具体的にどこにいるのかな」
「下手に攻め込むと店長を人質に取られる可能性があるね。どうにか場所を特定できないと」
「私、行ってくる」
「ちょっと待った。行くってどこにだい?」
「私がおとりになります。スマホで電話をつなぐから、後ろからこっそりついてきて」
「あんた、そんな危ないことしたら——」
「何の関係もない店長を巻き込むなんて許せない。私が迷惑をかけちゃったんだから、私が行くのが筋だと思うの」
母はそれ以上何も言わなかった。私は母に電話をかけ、そのままの状態でボロボロのビルの入り口へ向かった。
「今一階にいる。物音が全くしないから、誰もいないと思う」
ヒソヒソ声で実況しながら、音を立てないようにゆっくり階段を上っていく。二階も人がいない。
三階に上がろうとした時、小さな声が聞こえた。
「もううんざりだよ。あんたバカじゃないの? 早朝にこいつを攫ってきたことを、どうやって知らせるか考えてなかったのか」
「うるせえ。時間がなかったんだよ。お前、こいつの写真を撮れ。撮ったら早朝に送れ」
有沙さんの夫が雇われの男に指示を出している。
「じゃあ早朝の連絡先を教えろ」
「バカ。早朝はこんな男のこと知らないよ。それよりお嬢の方に連絡しな。どうやら話を聞いた方が早いみたい」
私はスマホをそのままにして、声のする方へ走っていった。そこは角部屋。昔は小さな会議室として使われていたようだ。
「あなたたち、こんなことをして何になるの?」
突然現れた私に、犯人たちは目を白黒させていた。
「あんた、なんでここにいんの?」
「そんなことはどうでもいい。店長は関係ないでしょう」
すると有沙さんはニヤニヤし始めた。
「うーん。それはどうかな?」
「あなたたちの魂胆は分かってるのよ。破門を解いてもらおうって言うんでしょ? でも店長のような無関係な人を巻き込むなんて許せない。代わりに私が攫われることにするわ」
「え? あんたが攫われられるって、何考えてんの?」
「私をさらったことにして助ければ、母に直接恩が売れるでしょう。それで破門を解いてもらえばいいじゃない」
確かに、と有沙さんの夫は考え込んだ。
「おい、お前こいつを縛れ。娘と連絡がつかなくなれば、早朝も攫われたことに気づくだろう」
「ああ、わけ分かんねえ。最初と話が違うじゃねえか」
「状況が変わったんだよ。俺たちがサンダ組に戻れた暁には、報酬は弾むからな」
「報酬は弾む」という言葉を聞いて、男は渋々動き始めた。
「大人しく腕を後ろに回せ」
その時だった。
「そこまでだよ、あんたたち」
母が飛び込んできた。後ろには、いつの間に呼んだのかお月の連中が何人もいる。
「え? 早朝?」
「お前はサンダ組じゃないから、早朝と呼ばれる筋合いはないよ。うちの娘と一般の方に何してくれてるんだ?」
母はつかつかと有沙さんに詰め寄り、肩を掴んだ。
「芝居で破門を解くだ。馬鹿馬鹿しい。お前たちは埋めちまうよ」
「え? そんな、なんで知ってらっしゃるんですか? じゃなくて、命だけは! 私たちは店長さんを攫ったわけじゃなくて、いや、もう破門は解かなくて大丈夫ですから、命だけは助けてください!」
有沙さん夫婦は真っ青になっていた。
「はっ、そんな言い訳しないよ。私は全部知ってるんだ。おい、お前たち」
母が呼ぶと、お月の人たちが有沙さん夫婦をビルの外に掴み出しにかかった。二人はワーワー喚いていたが、無駄だった。雇われの男は必死に自己弁護していた。どうやら彼は今回の芝居にあまり深く関わっていなかったらしい。なのでそのまま帰してもらうことにした。
「お母さん、助かった。本当にありがとう」
「あんた、頑張ったね。前より度胸がついたじゃないか」
「だって、一般の人を巻き込んだり、娘を巻き込んだりしてきた人たちだもの。許せなかった」
「そうか。あんたが立派に育ってよかったよ」
その後の話では、有沙さん夫婦はそろって埋められたらしい。どこに埋まったかは分からないが、当分は山よりも海に近い場所で家族を連れて行くことを控えるべきだろうと私は思った。残された有沙さんの娘は、施設に預けられることになったらしい。
ちなみに店長は、誘拐された後早々に目を覚まして、スマホでお店の人に助けを求めようとしたらしい。ナイス判断だったが、後で店長本人は首をかしげていた。
「そういえば、なんで一〇〇番通報しなかったんだろうな」
どうやら店長は私に少し怯えている気がする。でも、それはここだけの話だ。
学校からは、教育委員会を振り回すようなボスママがいなくなり、みんなほっとしていた。もちろん、助けてくれた母にも感謝している。今回の事件は、母の助けなしには解決できなかった。
母の日のプレゼントは、いつもより気合いを入れたものにするつもりだ。こうして私たち一家には平和が訪れ、その素晴らしさを噛みしめたのだった。



