「無理、無理。泥臭い漁師の嫁なんて私には絶対に無理。」
姉のレナはそう言って笑った。結婚式直前で姿を消して、3日ぶりに帰ってきた第一声がそれだった。
父が湯呑みを卓に打ちつけた。「先方にどう説明するんだ」
「知らない。お父さんが勝手に決めた話でしょ」
母が私の方を向いた。困った時にだけ見せる顔で言った。「みさ、あなたが代わりに行きなさい」
返事より先に母は湯呑みに手を伸ばしていた。「レナにはもっといい人がいるもの。あなたなら漁師でも十分でしょう」
十分。その言い方は30年かけて覚えさせられた。姉には惜しい。私には十分。私は畳の目を見ていた。言葉は喉の手前まで来て、そこで止まる。いつもそうだった。
「わかりました」
母の肩から力が抜けるのが分かった。逃げた本人ではなく私が頭を下げに行く。そういう家だった。誰も私に理由を聞かなかった。
私はクアノみさ。30歳。東和食品という食品卸の受注センターで8年働いている。仕事の中身は地味だ。得意先から入ってくる注文を受けて、倉庫の在庫と突き合わせて、足りない分は今週は何ケースまでしか出せませんと電話で伝える。車内ではそう呼ばれていた。数字は嘘をつかない。8ケースしかないものは、どう頼まれても8ケースだ。家の中にはそういう分かりやすいものが1つもなかったから、私はこの仕事が嫌いではなかった。
その日も朝から難しい電話を1本抱えていた。売り出しの目玉に決まっていた鯖の缶詰が、産地の不良で予定の半分しか入ってこない。得意先の担当者は当然怒った。
「チラシも刷ってるんだよ。なんとかならないの? 」
「何ともならない。ないものは出せない」
私にできるのは頭を下げることと、いつなら何ケース出せるかを1日刻みで示すことだけだ。
「来週の火曜に1200、金曜に800まで戻せます。目玉を別の品に差し替えるなら今日の3時までにご連絡ください」
先方はため息をついてから「わかった」と言って切った。8年やっていると、このため息の意味も分かるようになる。怒っているのではなく、上に説明する材料がいるのだ。だから私は電話を切った後に必ず同じ内容を紙にして送る。言葉になる前に、日付と数字を残しておく。それだけのことで次の注文は大抵戻ってきた。
姉のレナは私の3つ上で、マルナガフーズという大手の食品商社に勤めている。本社は都心で、名刺には水産部と書いてある。実家に帰ってくるたび、母は玄関の靴を並べ直してから姉を迎えた。私が帰っても、母は台所から声だけを出す。「悪いけど、お風呂の掃除抜いといて」
比べられて育ったという言い方は少し違う。比べる必要すらないと思われていたという方が近い。
レナの縁談が決まったのは前の年の秋のことだった。相手は磯浦という港町の人で、名前を潮見さんと言った。父の古い知り合いで漁の世話をしている宮野さんという人が間に入った。潮見さんのお父さんと私の父は、幼い頃に同じ仕事で縁があったらしい。その話は人が集まるたびに父の口から出てきた。「向こうの家とはなあ、わしが20代の頃からの付き合いなんだ」
レナは最初それほど嫌がっていなかった。写真の潮見さんは背が高くて、目のあたりが穏やかで、レナの好みからそう外れていなかったのだと思う。潮見水産という会社をやっていると聞かされてもいた。
レナが現地へ行ったのは3月の終わりの日曜だった。帰ってきたレナは、玄関で靴を脱ぐより先にこう言った。「あれ会社って言わないでしょ。船に乗ってる人じゃない」
レナが現地で何を見たのかは、後から順につなぎ合わせた。レナが見たのは作業着と古い一軒家と、朝の港の匂いだった。それだけだ。家には上がっていない。お茶の1杯も飲んでいない。潮見さんとお茶を飲んだという話も出てこなかった。
「駅からタクシーで15分もかかるのよ。信じられる? 」
レナはそう言って笑い、母も一緒に笑った。父だけが渋い顔をしていたが、それはレナの言葉に怒ったからではなかった。「宮野さんに何て言うんだ? 」父が気にしていたのは、いつも同じところだった。
それでも話は進んだ。式場が押さえられ、招待状が刷られ、レナは新居の家具を選びに行った。私は一度だけ姉に聞いたことがある。
「お姉ちゃん、本当にいいの?

」
レナは爪の色を確かめながら答えた。「いいも何も、行ってやるだけ言ってあげるんだから。感謝して欲しいくらい」
私は手を止めて姉の横顔を見た。「感謝って、誰に? 」
「あの人たちに。うちみたいな家の娘が行くんだから」
うちみたいな家というのが何を指すのか、私にはよくわからなかった。父は地元の県庁の会社に務めて定年を迎え、今は食堂で働いている。母は専業主婦だ。特別な家ではない。ただ、レナの中にはいつの間にかそういう物差しが出来上がっていた。
その物差しは私にも当てられていた。正月に親類が集まった時、父の姉のよしえおばさんに仕事を聞かれた。私が答えると、レナが横から言葉をかぶせてきた。「みさのとこ、卸売り屋さんだから伝票の子よ」
伝票の子。悪気があって言っているわけではないというのが、レナの1番立ちの悪いところだった。母は湯呑みを配りながら笑って頷いていた。「この子は昔から細かいことが向いてるのよね」
できているという言葉があんな冷たい響きを持つことがあるのだと、私は知った。
異変があったのは4月10日の金曜だった。式の8日前だ。私の携帯に母から5回続けて着信が入っていた。昼休みに折り返すと、母は挨拶もなく要件を言った。「レナが家に帰ってこないの」
最初に浮かんだのは事故や事件のことではなかった。逃げたなと思った。自分でも意外なほど、その答えは自然に出てきた。
レナからの連絡はその日の夜に私の携帯へ届いた。家にでも父にでもなく、私にだ。短い文だった。「ごめん。私には無理だから。お願い」
お願いが何を指しているのか、その時点では意味が取れなかった。分からないまま、私は返事を打たずに携帯を裏返した。
翌日は土曜だった。朝の8時に父から電話がかかってきて、実家に来いと言われた。用件は聞かされなかった。私は着替えて車に乗った。
実家の玄関には見慣れないパンプスが揃えて置いてあった。レナの靴だ。居間の襖を開けると、姉は座敷の前で携帯をいじっていた。3日ぶりに帰った人間の顔ではなかった。
「もう無理でしょ、あんな生活。朝の3時に起きるのよ、あの人たち。魚の匂いの中で私にできると思う? 」
できるかどうかを聞かれているのではないと私は思った。やる気があるかどうかの話だ。父は立ったまま天井の辺りを睨んでいた。怒っているのは間違いなかった。ただ、怒りの向き先が姉ではないことも私には分かっていた。
「招待状はもう出しとるんだぞ。取引先にも配った。宮野さんの顔もある」
出てくるのはそればかりだった。レナが何を感じて逃げたのか。その中身を聞こうとする言葉は、この部屋に1つもない。
母が私の方を向いた。困った時にだけ見せる顔で言った。「みさ、あなたが代わりに行きなさい。レナにはもっといい人がいるもの。あなたなら漁師でも十分でしょう」
十分。その言い方は30年かけて覚えさせられた。姉には惜しい。私には十分。論の言葉は喉の手前まで来て、そこで止まる。いつもそうだった。
「わかりました」
母の肩から力が抜けるのが分かった。そこでようやくレナが顔をあげた。「よかったじゃん、みさ。彼氏もいないんだし」
「お姉ちゃん」
「え? なんで怒るの?
褒めてるんだけど」
レナは本当に不思議そうな顔をしていた。こういう顔ができるということ自体が、私には一番応えた。
父が咳払いをして話を先へ進めた。「とにかくこっちから詫びに行く。日を決めろ」
「私は行かないから。行ったら結婚させられるじゃない。みさが行けばいいでしょ」
母が父の袖を引いた。「お父さん、レナが行ってまた向こうが期待したら困るわ」
そこで話は決まった。決めたのは母で、決められたのは私だった。
昼を過ぎた頃、家の電話が鳴った。父が受話器を取って急に背筋を伸ばした。「ああ、宮野さん。いや、その、こちらこそ大変ご迷惑を」
私は台所で洗い物をしていた。襖は開いていて、父の声がそのまま流れてきた。父は謝り続けていた。相手の言葉を遮らず、はいはいと繰り返す。それからこう言った。「潮見さんのところには下の娘をやりますので」
手が止まった。「やります」という言い方に、私は一瞬息を止めた。物の話をする時の言い方だった。
父はしばらく黙って聞いた後、少し声を落とした。そう言っていただけると、いやあ、あの宮野さんにはこっちも昔の借りがありますから。
借り。父の口から出た言葉は、いつものように途中で切れた。受話器を置いた父に、私は聞いた。「宮野さんは何て? 」
「詫びはいらんとよ。潮見さんに直接話せと」
私はもう一歩だけ襖の方へ寄った。「お父さん、宮野さんに何の借りがあるの? 」
父は返事をせずに湯呑みを取りに台所へ入ってきた。すれ違い様、答えたのはそれだけだ。「お前が気にすることじゃない」
午後になると、家の中はもう何事もなかったような空気に戻っていた。父はテレビの前に座り、母は洗濯物を畳み、レナは式場へ電話をかけていた。その電話の声だけが、晩にはっきり聞こえた。「はい。えっと、延期という形で。ええ。日にちはまた改めて」
延期中止ではなく延期だと言えば、キャンセルの扱いが変わる。式場に払うものも変わる。姉は電話を切ってから母に向かって親指を立てて見せた。母が笑って頷いた。その一部始終を見ていたのは私だけだった。
夕方、レナの荷物を取りに2階へ上がった。降りてくるついでのように、姉は私に言った。「一応言っとくけど、私、家には上がってないから」
私は階段の下で足を止めた。「え? 」
姉は荷物を持ち直しながら続けた。「潮見さんの家、玄関の前まで行って、それで帰ってきたの。お茶も飲まないで。無理でしょ。あんな家、上がったら断りにくくなるじゃない」
レナはそれを賢い判断だと思っている口ぶりだった。家にも上がらず、お茶も飲まず、相手の話も聞かずに、姉はあの町を無理だと決めた。決めるのに使った時間は多分半日もない。
私はその時まだ、潮見さんという人の声を聞いたことがなかった。写真の中の背の高い人。それだけの人に、私は家族の代わりに頭を下げに行く。
金曜に有給を取った。磯浦までは電車と路線バスで2時間半かかると、宮野さんが父に伝えていた。前の晩、私は謝罪の言葉を紙に書いて、何度か読み返した。私が書けるのは仕事で使う詫び状の書き方だけだった。日付と経緯と、こちらの落ち度と今後の対応。人に詫びに行くのにそんな書き方が役に立つとは思えなかった。それでも手ぶらで行くよりはましだった。
磯の駅を出ると、風の温度が違った。4月の17日、金曜。空はよく晴れていた。路線バスに20分ほど揺られて漁港前で降りると、まず耳に入ってきたのは金属の音だった。発泡スチロールの箱を台車で運ぶ音。ホースで樽を洗う水の音。そこに人の声が混ざる。言葉が短い。挨拶がない。それでも荒れた感じはしなくて、むしろ揃っていた。
潮見水産の事務所は桟橋の奥にある2階建てだった。1階の入り口は開けっぱなしで、長靴が並ぶ。声をかけると白髪の人が出てきた。「クアノさんかい?
」
「はい。クアノみさと申します」
「聞いとる。上がりんさい」
その人は潮見源二さんと言って、潮見さんの叔父に当たる人だった。63歳。船に乗る人の顔をしていた。前社長が亡くなった後、5年社長の代わりをやった人だと後で教えてもらった。
通されたのは机が4つ並ぶだけの事務室だった。壁にホワイトボードがあり、船の名前とその日の水揚げの数字が書いてある。コピー機の上にミカンのダンボールが置いてあった。
潮見さんが入ってきたのは、それから10分ほど経ってからだ。作業着のままだった。首にタオルをかけている。写真より日に焼けていて、写真より背が高かった。
「潮見です。すみません。荷を上げ終わるまで来られなくて」
「いえ、こちらこそ突然」
私は立ち上がって一礼した。用意してきた言葉を順番に並べた。姉が式の直前に姿を消したこと、連絡がつかないこと、家として申し訳が立たないこと。声が震えないように、日付と経緯だけを先に言った。仕事のやり方をそのまま使った。
潮見さんは遮らずに最後まで聞いた。それから湯呑みを私の方へ滑らせてきた。「わざわざ2時間半かけて。はい」
潮見さんは湯呑みの湯気の向こうで、少し首をかしげた。「レナさんはお元気ですか? 」
私は答えに詰まった。怒りも皮肉もない声だった。本当に安否を聞いていた。
「元気です。家には戻っています」
「それならよかった」
潮見さんはそう言って、口の端だけで笑った。その笑い方の意味が私には読めなかった。
話はその後、父の希望の方へ進んだ。私が切り出す前に、潮見さんの方から言った。「お父様からお電話をいただきました。何か妹さんをよろしくという言葉の選び方で、父が何と言ったのかが分かった」
私は膝の上で指を組んだ。潮見さんは湯呑みを置いて、まっすぐこちらを見た。「その話は、僕はお受けできません」
「え? 」
「妹さんを代わりに、という話は僕は受けられません」
はっきりした言い方だった。断られたと頭が理解するまでに一拍あった。その後に来たのは安堵ではなかった。あの家の父が「失礼」というより「順番の話です。結婚は家と家がするものだという人もいます。うちの父もそういう人でした。それでも行くと決めるのは本人です。はい。クアノさん、あなたが責任を感じる必要はないですよ」
その一言が、なぜか一番沁みた。私は湯呑みの淵を見ていた。こんな風に言われたことが、家の中では一度もなかった。姉の逃げた分まで私に謝らせない人が、この町にいた。
「うちの父にもそう言っていただけますか? 」
「言いました。電話で」
「父は何と?
」
「もう一度考えてくれ、とか。潮見さんは苦笑して、それ以上は言わなかった」
帰りは潮見源二さんが港まで送ってくれた。港には白い小さな船が3隻並んでいた。「あれが潮見の乗る船かい? って顔しとるな」
「ああ、いえ、あれは違う。出かけとるのは明日の朝また出る」
若い男の人が走ってきて、源二さんの横をすり抜けざまに言った。「源二さん、潮見は上におる」
潮見と呼び捨てだった。その人はまだ二十歳そこそこに見えた。社長なのかと聞きかけて、私は口をつぐんだ。潮見水産という名前は姉から会社だと聞いていたけれど、目の前にあるのは長靴とホワイトボードとミカンのダンボールだ。
「若いのが名前で呼ぶんだね。ここは、私が言うと、源二さんは笑った。船の上で肩書きを呼んどったら間に合わんけ」
歩きながら源二さんは港口の方へ顎をしゃくった。「あんた、魚屋の店先しか見たことないじゃろう」
「はい。会社では扱ってますけど、缶詰と冷凍ばかりで」
「ほうか。ほんなら1つ覚えて帰り」
源二さんは指を2本立てた。「海のもんは、いつ取れるか誰にも決められん。塩と風で決まる。はい。取れだけあるだけ売る。ない時はない。言うて謝る。それだけよ」
ない時はない。私が毎日電話口で言っていることと同じ言葉だった。場所も扱うものもまるで違うのに、そこだけが揃っていて、私は妙に落ち着いた。
「無理して数を揃えようとする会社はどうなるんですか? 」
私が聞くと、源二さんは急に黙った。数分、足音だけが続いた。「そういう話は、誰からもせん」
それっきり、その話題は終わった。バスの時刻までまだ間があった。私は防波堤の前に立って、港口の向こうを見ていた。向かいの岸壁に大きな屋根の建物があった。その屋根の下に船が一隻入っているように見えた。遠くて形は分からなかった。
翌日は土曜で、本当なら姉の式の日だった。私は自分の部屋で、その日に撮った港の写真を何度か開いた。綺麗な写真ではなかった。ピントも合っていない。それでも消せなかった。
4月25日の土曜、私はまだ実家にいた。呼ばれたのではない。呼びつけられたが正しい。座敷の上には父の携帯が伏せて置いてあった。
「お前、向こうで何を言った? 」父の第一声がそれだった。
「経緯を説明して、謝ってきました」
「謝るだけの話をしとらんやろうが。断られたと言われたぞ」
「断られました。妹を代わりにという話は受けられないと」
父は鼻から息を抜いた。「それはお前の言い方が悪いからだ」
言い方。私は膝に手を置いたまま、その言葉を頭の中で転がした。母が茶を運んできて、父の隣に座った。「みさ、あなたね、暗いのよ。あんな顔で言ったら誰だって断るわ」
「お母さん、事実でしょ」
「レナだったら笑って場を納めてくるわよ」
そのレナはこの場にいなかった。台所の壁の予定表に、姉の字で新しい書き込みがあった。「26日 マルナガ同期会」。逃げてから姉はもう次の予定を入れていた。
「お姉ちゃんは、あの子は仕事よ。今大きな企画を任されてるんですって」
母の声だけが誇らしげだった。私は2階へ上がって、自分の部屋だった部屋の襖を開けた。机も本棚もなかった。代わりにレナの新居に運ぶはずだったダンボールが壁いっぱいに積んであった。「湯飲み 食器 カーテン」と書いてある。戻る場所がなくなっていたという言い方は大げさだ。私はもう10年近くこの家を出ているし、机を捨てたのは正しい判断だろう。それでも階段を降りる足が、やけに重かった。
降りると母がダンボールの方を見上げていた。「あの子の新しい家、来月にはもう決まるらしいのよ」
「新しい家?
結婚は流れたんじゃないの? 」
「相手が変わるだけでしょ。同じ会社の人ですって。宮下さんっていう営業企画の」
逃げてから2週間だ。私は数字を数えるようにその日数を追った。式の8日前に消えて、2週間で次の相手の名前が母の口に上っている。順番がおかしいと思った。先に相手がいたのではないかという考えが浮かんで、私はそれを口にしなかった。言えば母はレナを庇うために私を責める。その手順だけは、この家で何度も見てきた。
父が携帯を取って画面を見た。「宮野さんの顔を潰したままにはできん。もう一度向こうに話をする」
「話って何を? 」
「決まっとる。お前をもらってもらう」
私は顔をあげた。「私は物じゃないよ」
言ってから、自分の声の小ささに驚いた。父はもう聞いていなかった。指が画面をなぞり、耳に当てる。「ああ、潮見さんですか? クアノです。先日はどうも」
「やめて」と言う前に、父は喋り始めていた。私は立ち上がり、卓を回って父の腕を掴んだ。父はその手を振り払った。スピーカーになっていたわけではないのに、部屋が静かだったから受話器の向こうの声が漏れて聞こえた。
「いや、下の娘はね、地味ですが素直な子でしてね。家事も一通りできますし」
潮見さんの声だった。「クアノさん」
「気立ては悪くない。年も30で手頃ですし。そちらさんが良ければ、来月にでも」
「クアノさん、2度目ははっきり強かった。僕はあなたの娘さんを品物みたいに進められる筋合いはありません」
父の口が止まった。「こっちは詫びとして言うとるんじゃ。詫びられるなら、レナさんご本人から一言いただければ済む話です。みささんは関係ありません」
名前を呼ばれた。先日は事務所で一度も呼ばれなかった名前だ。その名前で、この人は私の父に呼びかけている。
父は受話器を手で覆い、母の方を見た。母は目で「続けて」と言った。父はまた喋り出した。「そう言わずに。うちもメンツがありましてね」
「人の話に、人を1人つけるのはやめてください」
声が強くなったのはその時だけだった。潮見さんはそれっきり落ち着いた口調に戻った。「宮野さんには僕から話します。クアノさんに落ち度があるとは、こちらは思っていません」
それともう1つ。父の眉が動いた。「宮野さんには、うちの父が世話になっています。クアノさんが気にされているのも、そこだと思います」
「あんた、宮野さんから何か聞いたのか?
」
「聞いていません。ただ、借りの返し方に人を使うのは違うでしょう」
父は何も言い返さなかった。その後、通話は父の方から切られた。座敷の上に携帯が戻る音がした。部屋の空気が変わったのが分かった。父は私を見なかった。母が代わりに口を開いた。「あんた、何を吹き込んだの? 」
「何も」
「じゃあ、なんで向こうがあんたを庇うのよ」
庇うという言葉の使い方が、汚いものを指す時のそれだった。「先方は常識のあることを言っただけだと思います」
「常識? あの人が言ってるのは、うちの家が非常識だってことでしょう」
母は湯呑みを置いた。音が高くなった。「みさ、あなたね。レナの代わりも務まらないなら、この家で何ができるの? レナが出て行った後、この家をどうするつもりなの?
あなたが継ぐわけでもないでしょう」
何の話をしているのか、一瞬つかめなかった。「次も何も、私はもう10年近く前にこの家を出ている」
母が言いたいのはそういうことではなかった。「行かないなら、もううちには来なくていいわ」
「お母さん、それ本気で言ってる? 」
「本気も何も、レナは次が決まりそうなのに、あなたは何も持ってこないじゃないの」
持ってくる。その言い方で、私はようやく自分の位置が分かった。この家にとって、私は家族というより外から何かを持ってくる役だった。持ってこられるうちは置いてもらえる。持ってこられなくなったら、机は捨てられる。
「私、何か持って帰らないと、ここに来ちゃいけないの? 」
母は答えなかった。その沈黙が答えだった。そこまで言うと、母は台所へ立った。父は湯呑みを両手で包んで、畳の一点を見ていた。何も言わないというのが父の答えだった。
私は鞄を持って玄関に出た。姉の靴はもうなかった。自分の靴を履きながら、私は不思議なほど落ち着いていた。悲しくなかったわけではない。ただ頭の中で数字が並ぶような感じがあった。私がこの家から受け取ってきたものと渡してきたもの。両方の欄に書き出したらどうなるか。8年間電話口でやってきたのはその作業だ。足りていないのはどちらか。
玄関の外まで出た時、父が追ってきた。一瞬、謝られるのかと思った。父が言ったのはこうだ。「宮野さんに断られたとは言うなよ。話は進んどることにしとけ」
嘘をつけってこと。体裁。その言葉に近いものが、父の口からこの2週間で繰り返し出ていた。私は返事をせずに門を出た。父はそれ以上追ってこなかった。外に出ると風が生ぬるかった。
駅までの道で、私は携帯を出した。検索の欄に打ち込んだのは、実家から磯までの経路だった。土曜の朝一番の電車。乗り換えは2回、到着は9時12分。私は画面をしばらく見ていた。そしてその経路を保存した。用があるわけではない。誰にも頼まれていない。自分の意思で電車の時刻を調べたのは、生まれて初めてだった。
電車が来る直前に、知らない番号から着信があった。出ると潮見さんだった。「クアノさん、すみません。宮野さんに番号を伺いました。いえ、さっきの電話のことです。強く言いすぎました」
私は改札の横の柱に寄りかかった。「謝られる理由がないです」
「僕が謝りたいのは、あなたの前でお父様を言い負かしたことです。あれをやると、後で困るのはあなたですから」
その通りだった。実際、その後母に何を言われたかを思い出して、私は笑ってしまった。「困りました。もう来なくていいって言われました」
言ってからしまったと思った。重い話をする筋合いではない。潮見さんはしばらく黙っていた。それからこう言った。「クアノさん、1つだけ聞いてもいいですか? 」
「はい」
「うちに来るのが嫌かどうかじゃなくて、あの町に来るのが嫌かどうかです」
質問の切り分け方が、あまりに丁寧だった。私は答えるまでに時間をかけた。ホームに電車が入ってきて、風で髪が乱れた。「嫌じゃなかったです」
「それなら、また来てください。縁談とは関係なく。はい。魚を買いに来る客としてでも構いません」
私は電車に乗らなかった。1本見送ってベンチに座り、保存した経路をもう一度開いた。実家からの連絡が途切れていたのは、ほんの3週間だった。
5月16日の土曜、母から電話がかかってきた。声はすっかり明るかった。「みさ、お母さんよ。元気にしてる?
」要件が別にある時の声だ。
「どうしたの? 」
「あのね、ちょっと相談があってね。お父さんの食堂のお給料、来年から下がるんですって。それでね、レナの式の時にかかった分がまだ残っててね。毎月ね、8万円ずつでいいから入れてもらえないかしら? 」
8万。手取りから家賃と光熱費を引いて残る額を頭の中で並べた。残らないが答えだった。
「無理だよ」
「無理って、あなた1人暮らしでしょ」
「1人暮らしでも、無理なものは無理」
「レナは毎月ちゃんと入れてるのよ」
初耳だった。そして多分嘘だった。「あと、それとは別にね。レナの結婚資金300万円は用意してあげないと格好がつかないでしょ。お母さん、あなたは式もあげないんだから、その分回してもらえたら助かるわ」
私は式をあげないと決めた覚えがない。そもそも相手もいない。母の頭の中では、私の人生の予算がもう組まれていた。「この300万は誰が出すの? 」
「だから、みんなでよ」
みんな。その言葉の中にレナが入っていないことは、20年前から知っている。「私は出せません」
はっきり言ったのは多分初めてだった。母は少し黙ってから、声を落とした。「そういう子だったのね」
それっきり電話は切れた。その夜、レナから連絡が来た。あの土曜日に実家で顔を合わせて以来、5週間ぶりだった。「お母さんから聞いた。300万、無理なの?
」
私は返事を打った。「無理です」
すぐに次が来た。「建築、まあいいや。り介のとこが出してくれるって」
り介というのが、母の言っていた宮下さんだろう。出してくれるという言い方に、私はしばらく画面を見ていた。姉は今も、誰かに出してもらう前提で物を数えている。その数え方を教えたのは、多分うちの母だ。
4日後、父からも電話があった。要件は金ではなかった。「宮野さんが、潮見さんの話はどうなったと聞いてくる。進んどることにしとけと言うだろうが」
「言ってないよ」
「なんで言わん? 」
「嘘だから」
父はため息をついて切った。
6月に入って、私は保存した経路の通りに乗り、9時12分に磯へ着いた。魚を買いに来る客として、言われた通りにしただけだ。潮見水産の直売所は桟橋の脇の小さなプレハブだった。発泡の箱に氷が敷かれ、名前を書いた札が刺さっている。女の人が2人、長靴で立ち働いていた。
「いらっしゃい。今日はカレイが安いよ」
声をかけてきたのが、今の年江さんだった。55歳。加工場の祖母格をしている人だ。「あんた、2人分くらいでね、1人分ね」
見抜かれて、私は笑ってしまった。年江さんは手を止めずに続けた。「あんた、クアノさんとこの妹さんじゃろ」
心臓が跳ねた。「はい」
「かまわん。かまわん。うちは逆に身元は聞かん」
そう言ってカレイを2枚、袋に入れてくれた。
潮見さんに会えたのはその日の昼過ぎだった。朝の漁から戻ってきたところで、髪が塩で固まっていた。私を見つけて驚いた顔をした。「来たんですか? 」
「カレイを買いに」
「本当に来るとは思わなかった」
それからその人は罰が悪そうに頭を掻いた。「僕、今の格好ひどいですよ」
私は港でその日一日を過ごした。何をしたわけでもない。邪魔にならない場所に立って、見ていただけだ。見ていていくつか気づいたことがある。1つ、潮見さんは誰に対しても同じ話し方をした。2年目だという三浦宗介さんという若い人が荷を落として箱を割った時も、声は上がらなかった。
「怪我はないです」
「すいません」
「取ってこい。急げ」
それだけだった。宗介さんは走っていった。
2つ、港の人は潮見さんを名前で呼んだ。社長と呼ぶ人は1人もいなかった。3つ、潮見さんは一番重い荷物を持っていた。
夕方、直売所の片付けを手伝いながら、年江さんに聞いた。「これ、売れ残ったらどうするんですか? 」
「加工に回すか、かな。もったいないけどね」
「注文で先に決まってる分はないんですか?
」
年江さんは手を止めて私を見た。「あるよ。街の食堂と、あとは家庭向けのセット便が何箱かな? 」
「セット便って、魚を見繕って箱に詰めて送るやつ。うちは月に100箱ちょっとかね」
「その100箱分は、取れない日はどうするんですか? 」
「そりゃ、取れたもんを入れるよ」
「中身が毎回違うのに、注文は取れるんですか? 」
年江さんはおかしそうな顔をした。「あんた、そういうことばっかり聞くね」
「すみません。仕事の癖で」
「ええ癖じゃ」
その日、私は宿題をもらった気分で帰った。毎月決まった数を出す約束と、毎日変わる海。その2つをどうやって折り合わせているのか、私は知りたくなった。
その日から、私は月に2度か3度、磯へ行くようになった。行く度に、その町の輪郭がはっきりしていった。朝3時の出漁は本当だった。一度、始発より前に着くために前の晩から泊まらせてもらったことがある。年江さんの家の2階だ。暗いうちに港へ行くと、桟橋の明かりの下に人が集まっていた。無駄口はない。船が出ていく音は、思っていたよりずっと静かだった。
7月の初め、潮見さんと2人で防波堤の先まで歩いたことがある。用があったわけではない。
「クアノさんは、なんでうちに来るんですか?
」
「魚が安いので」
「本当ですか? 」
「半分本当です」
潮見さんは笑って、それ以上は聞かなかった。私の方から聞いた。「潮見さんは、なんで私に来てもいいって言ったんですか? 」
その人は間を置いてから答えた。「この前、事務所で謝ってた時、日付から話したでしょう。はい。あれ、うちの父と同じでした。都合の悪い話ほど、日付から言う人だった。それだけです」
私はその答えを覚えておいた。
8月の終わり、加工場の裏で住江さんという人と話した。住江すえさん、51歳。包丁の使い方が飛び抜けて早い人だった。
「あんた、潮見君のことをどう思っとるん? 」
「え?
」
「ええけどな。うちは応援しとるけ」
すえさんは手を止めずに笑った。「うちの人が死んでから、ずっとあの子に助けてもろとる」
手が止まったのは私の方だった。「ご主人は、海で」
「それだけです。すえさんは魚の腹を開き、氷の上へ並べていく。私は次の言葉を探せなかった。悪いね。変な話して」
「いえ」
「3月にな、この港でみんな集まるんよ。潮見君は、その日だけは絶対に休む」
3月。私は港の壁に貼ってある年間の予定表を思い出した。そこには、何も書かれていなかった。
夕方、事務所へ寄ると、大杉せつ子さんが伝票を切っていた。経理年の女性だ。「せつ子さん、3月って何かあるんですか? 」
せつ子さんの手が止まった。一拍だけだった。それでもはっきり止まった。「潮見さんから聞きんさい」
それ以上は何も言わず、せつ子さんは伝票の束を揃え直した。外に出ると桟橋の壁に古い写真が貼ってあった。色が抜けて、青が緑になっている。船の前で十数人が並んで笑っていた。真ん中に潮見さんによく似た人が立っている。その隣の背の低い男の人の顔だけが、剥がれた跡で白く欠けていた。私は写真の前でしばらく立っていた。名前も何も書かれていない。
帰りのバスの中で、私は窓に頭をつけて考えていた。この町の人はみんな親切だ。誰も私を隠し立てしない。けれど、聞いてはいけない話が1つだけあるらしい。そして、その1つがどこにあるのか、全員が正確に知っている。
その週の土曜、私は久しぶりに実家へ行った。自分から行ったのではない。よしえおばさんから電話がかかってきたからだ。
「みさちゃん、あんた、潮見さんとこの話、断られたんだって」
「はい」
「じゃあ、あの200万はどうなるの? 」
私はその場で聞き返した。「200万って、何の話ですか? 」
よしえおばさんはしまったという間を開けた。「あんた、聞いてないの?
」
その日の午後、実家の玄関を開けた。母は麦茶を出しながら先に言った。「おばさんね、昔からおせっかいな人でしょ? 」
「おせっかいでもいいから、200万の話を教えて」
母は座布団の位置を直した。「あれは縁談の話。潮見さんから、レナの結納金として先に頂いたのよ」
「いつ? 」
「3月よ。レナが向こうへ行く前」
私は指を折った。姉が磯へ行ったのは3月29日の日曜だ。その前に、潮見の家からは金が動いていた。「それは返したの? 」
母は答えなかった。父が奥から出てきて、代わりに言った。「返せるわけがなかろう。もう使っとる」
「何に?
」
「レナの新居の手付金と家具だ」
「新居? 姉が延期にしたはずの結婚の? 」
「相手が変わったんじゃない。部屋はそのまま使えるだろうが」
父の言い方はあっさりしていた。私は座ったまま、しばらく声が出なかった。潮見さんはあの日、事務所で200万の話を一度もしなかった。私が謝りに行った時、その人の家からはもう200万が出ていた。そのお金は姉の手付金と家具に変わっていた。それでも、あの人は「あなたが責任を感じる必要はないですよ」と言ったのだ。
「お父さん、それ、先方は返してくれって言ってないの? 」
「言ってこん」
「言ってこないから使うの?
」
「言われたら考える」
私は立ち上がった。「お母さん、私、おばさんに聞くまで何も聞いてない」
「言う必要がないでしょ。あなたの金じゃないんだから」
「私の家の話だよ」
「あなたの家じゃないでしょ。あなたはもう出てるんだから」
出ていけと言ったのも、出てるだろうと言ったのも、同じ人だった。その日のうちに家を出て、私は磯へ向かった。夜の便はもうなくて、着いたのは翌朝になった。事務所で潮見さんを捕まえて、私は頭を下げた。今度は日付から言わなかった。「200万円のことです。うちの家が返していません」
潮見さんは書きかけの伝票にペンを置いた。「知ってました」
「知ってて黙ってたんですか? 」
「返せと言えば、あなたが払うはめになる。そう思ったので」
私はその場に立ったまま、両手を握った。「そういうところが一番ずるいです」
言ってから、自分の言葉に驚いた。潮見さんも驚いた顔をして、それから笑った。「怒られるとは思わなかった」
「怒ってます」
「はい」
「あのお金は私が返します。8年分の貯金があります」
「それはだめです」
「なんでですか? 」
「あなたが払ったら、あなたの家の借りがあなたの借りになるからです」
その言い方に、私は反論できなかった。「じゃあ、うちの父に返させます」
「返せますか? 」
「返せません」
自分で言って、私は情けなくなった。父は食堂で、来年から給料が下がると母が言っていた。母は働いていない。姉は自分の手付金に使った。返す人がいない金だった。
「クアノさん」
「はい」
「僕はこの200万円を、損金だと思っています」
「それはつまり、諦めるってことですか?
」
「諦めるというより、感情を閉めるということです」
潮見さんはペンを取り直した。「取れない金を帳簿に残しておくと、その分ずっと相手に腹を立てることになる。うちの父がそういう人でした。閉めた方が、こっちが楽です」
私は事務所のホワイトボードを見た。その日の水揚げの数字が白い字で並んでいた。閉めるというのは、こういう人たちの言葉なのだと思った。
結局、200万円の話はそこで止まった。帰ってこないままの200万円が、私と実家の間にずっと置かれることになった。その代わり、私はもう実家に金の相談をされても、迷わなくて済むようになった。
8月の終わり、潮見さんが私の部屋の近くまで来た。磯から2時間かけて、平日の夜にだ。駅前の喫茶店で、その人は先に頭を下げた。「先に謝っておきます。順番が悪いです」
「順番? 」
「本当はあなたの家の話が全部片付いてから言うべきだと思っていました。でも、片付く気配がない」
それは私も同じことを考えていた。「クアノさん、結婚してください」
私は水の入ったグラスを持ったまま止まった。「僕は身代わりで結婚したくありません。はい。だからこれは春の話とは別です。4月に断ったのは本当で、今こうして言っているのも本当です」
別という言葉が、その人らしいと思った。足し算をしない人だ。
「1つだけ聞いていいですか? 」
「どうぞ」
「私、何ができますか? 」
潮見さんは真顔で少し考えた。「今のところ、何も」
正直すぎて、私は笑ってしまった。「でも、クアノさんは、ないものをないと言える人です。うちの町ではそれがいります」
その一言で、私は決めた。姉の代わりではなく、家のためでもなく。自分がそこにいたいと思ったからだ。返事をしたのは、その日の帰り道だった。
9月12日の土曜、私の苗字はクアノから潮見に変わった。式はあげなかった。土曜だったので、役場の休日の窓口に紙を出した。そのまま港へ行った。夕方、直売所の前に人が集まって、年江さんが大鍋を出し、宗介さんがビールの箱を運んできた。せつ子さんが小さな花束をくれた。源二さんは盃を片手にこう言った。「潮見、お前、この人に無理をさせるなよ」
無理。その言葉に、その場の何人かが一瞬だけ静かになった。潮見さんは盃を持ったまま短く頷いた。「させません」
私の実家からは誰も来なかった。父は「日を改めて」と言い、母は「レナの時に合わせて」と言った。レナの時が来るのかどうかは、誰も言わなかった。
新しい家は港から歩いて20分の坂の途中にあった。潮見さんの祖父が建てた家だという。廊下が広く、天井が低く、台所の窓から港が見えた。
潮見さんのお母さんに会ったのは、その時が最初だった。潮見ひさ子さん、62歳。坂の下の小さな家に1人で住んでいて、大鍋の日にも顔を出さなかった。挨拶に行くと、ひさ子さんは玄関先で丁寧に頭を下げた。「不便な町で、申し訳ないですね」
「いえ、私が来たくて来ました」
ひさ子さんはそこで初めて、私の顔をまっすぐ見た。「そう言ってくださる方でよかった」
上がっていってと言われたが、その日は断った。玄関に男物の長靴が一足だけ、綺麗に揃えて置いてあったからだ。乾いて、ひび割れていた。何年も使われていない長靴だった。
引っ越しの片付けをしていて、私は物置を見た。自転車と網と油の缶が並んでいて、その奥に木の茶箱が積んであった。一番上の箱にだけ、南京錠がかかっていた。
「これ、何が入ってるの?
」
潮見さんは網を避けて、その箱の前に立った。「父のです」
「開けないの? 」
「開けます。いつか」
それだけ言って、その人は物置の戸を閉めた。その夜、寝る前に私は聞いた。「3月に港でみんなで集まるんでしょう。すえさんから聞いた」
潮見さんはしばらく天井を見ていた。「命日に一番近い土曜に、この港ではそういう集まりをやるんです」
「誰の? 」
「父と住江さんの」
それ以上は聞かなかった。聞けなかったが正しい。あの南京錠の鍵がどこにあるのか、私はその後で知った。持っていたのはこの家の人ではなかった。坂を下りたところに1人で住んでいる、潮見さんのお母さんだった。
9月26日の土曜、私は東和食品を辞めて、磯へ移った。辞める時、課長は「クアノさんがいなくなったら、品物の電話は誰がかけるんだ」と言った。8年やって、私の代名詞はそれだった。悪い気はしなかった。
坂の途中の家は、想像していたより広くて、想像していたより寒かった。台所の窓から港が見えて、朝は逆光で、夕方は色が変わる。高い家具は1つもなかった。冷蔵庫は年季が入っていて、車は軽トラック1台切りだ。
「都会から来たばかりなんだから、無理しなくていいよ」
潮見さんはそればかり言った。無理をしなくていい。この家では挨拶みたいなものだった。
私は毎朝5時前に起きるようになった。潮見さんが出るのは3時だから、実際には見送れていない。潮見さんが乗るのは沿岸の船だ。日の出前に出て、昼前には戻る。沖へ出る船は別で、こちらは一度出ると何日か帰らない。同じ会社の船でも、時間の流れ方がまるで違うのだと、私はしばらく立ってから知った。
起きると台所の流しに湯呑みが伏せてあって、それが「行ってきます」の代わりだった。昼のうちに洗濯をして、直売所を手伝って、夕方に帰る。年江さんに加工場の伝票の切り方を教わり、私は自分用のノートを1冊買った。表紙に何も書かず、日付とその日に港で覚えたことを書いた。
10月に入って、加工場のセット便の仕事に入れてもらった。家庭向けに魚を見繕って箱に詰め、宅配で送る。月に120箱ほど出ている。やってみてすぐに分かったことがあった。中身が毎回違う。入る魚も大きさも下ごしらえの手間も、その日の海で変わる。それでも締め切りは毎週来る。木曜の午後までに数を確定して、金曜の朝に出す。
「足りない時はどうするんですか? 」
私が聞くと、年江さんは箱にラップをかけながら答えた。「そりゃ、よそから手でも入れるよ。買ってでも約束じゃけ。1回落としたら、次の月から注文が減る」
私は手を止めた。8年やってきた仕事と、全く同じ理屈だった。違うのはこちらの仕入れ先が海だということだけだ。
実家からの連絡は、形を変えて続いた。私の携帯ではなく、潮見さんの携帯に直接かかるようになったのだ。気づいたのは10月の初めの夜だった。夕飯の後、潮見さんが縁側で電話を受けていた。「はい。ええ。はい。わかりました」
声の調子で、相手が誰かは分かった。「今の、うちの父。そうです」
「何て?
」
「近況を伺いたいと」
その人は嘘が下手だった。「番号、いつ教えたの? 」
「春に、お父様の方からかけて来られたので」
4月のあの電話だ。父はあれ以来、私を飛ばして直接かけていた。「何を言われてるの? 」
「大したことは」
「潮見さん」苗字で呼ぶと、その人は困った顔をする。私はそれを覚えてしまっていた。「金額の話は一度も出ていません」
金額の話は出ていない。つまり、出ていない話が別にあるということだ。「じゃあ、何の話? 」
「宮野さんにどう説明するか、まだそれをやってます」
私が結婚してもう3週間になるのに、父の頭の中ではまだ体裁の尻拭いが終わっていない。「私に回して。次から回すと、あなたが傷つくでしょう」
「傷つくのは、知らないうちに話が進む方です」
潮見さんは黙って、それから頷いた。
その夜のことは、よく覚えている。翌朝も早いというので、私は布団を敷きながら聞いた。「明日は何時に出るの?
」
「3時です」
「その前に、何か手伝えることある? 」
「ないですよ」
「本当に? 」
潮見さんは天井の方を見て、それから起き上がった。「クアノさん、」
私は布団を整えたまま言った。私、雑用でも何でもしますから。「え? 」
「掃除でも、氷を運ぶのでも、伝票でも。何か手伝わせてください」
言ってから恥ずかしくなって、畳を見た。何もできないことは、自分が一番知っている。それでも朝の3時に1人で出ていく人の家で、朝までただ寝ているのが嫌だった。
潮見さんはしばらく何も言わなかった。それからこう言った。「雑用なんて言わなくていいよ。でも、うちには雑用って仕事はないんです。氷を運ぶのは氷を運ぶ仕事で、伝票は伝票の仕事です」
その人は布団を直して、私と同じ高さになった。「できることから、一緒にやろう」
一緒に。その言葉が耳に残った。手伝わせてくださいと言った私に、その人は手伝いではない言い方で返した。「じゃあ、明日の朝、港に来てもらえますか?
」
「行きます」
「6時で大丈夫です。3時はさすがに寝ててください」
私は笑って頷いた。
翌朝、10月5日の月曜、6時に港へ行くと、場はもう水浸しだった。私は長靴を借りて氷の袋を運び、30分で腕が上がらなくなった。潮見さんが横から袋を取って、笑いもせずに言った。「最初はみんなそうですよ」
7時になると、日が港口の内側まで入ってきた。桟橋の水が白く光って、目を開けているのが痛いくらいだった。「奥さん、こっち」せつ子さんが直売所の軒下から手を振っていた。奥さんと呼ばれたのはその日が最初で、私はしばらく自分のことだと気づけなかった。「あの、みさでいいです」
「じゃあ、みささん、この氷は加工場の方ね」
「はい」
せつ子さんは私が運ぶ袋の数を目で数えていた。「無理せんでよ。腰やったら、明日から動けんくなるけ」
この町の人はみんな、同じことを言う。無理をするな。それは優しさだと思っていた。そうではないのだと分かったのは、もっと後になってからだ。
8時を過ぎて手が空いた時、私は港口の向こうを見た。4月に見た大きな屋根の建物。その日は屋根の下がはっきり見えた。船が一隻、陸に上げられている。遠目にも直売所の前に並ぶ船とは大きさが違った。
「あれ、うちの船ですか? 」
私が聞くと、源二さんがタバコを消した。「ああ、第三潮見丸よ」
「大きい」
「沖の深いところで網を引く漁じゃ。120トンの船でな。今は三国造船の整備場に入っとる」
「点検ですか? 」
源二さんは少しだけ笑った。真面目な顔で言った。エンジンの乗せ替えよ。あの船はな、冬から春は取ったら、翌日決まりでな。禁漁いうんじゃ。あの船はその時期をまたぐけ、来年の5月の連休が明けるまで出さん。どうせ止めるなら、まとめて全部やってしまえいうことじゃ。
「乗せ替え? 」
「船の心臓を、そっくり新しいのに変えるんじゃ」
その言葉の大きさが、私にはまだ測れなかった。車のエンジンなら想像がつく。船のエンジンは想像がつかない。「それ、どのくらいかかるものなんですか?
」
源二さんはタバコの吸い殻を缶に落として、こう答えた。「わしは金の話はせん。せつ子さんに聞きんさい」
港から家へ戻る途中、坂の下でひさ子さんに会った。買い物の袋を持っていたので、私が受け取った。「整備場の船、見ました。大きいですね」
ひさ子さんの足が半歩だけ遅れた。「第三潮見丸ね」
「はい。エンジンを乗せ替えるって、源二さんが」
「そう」
それっきり、ひさ子さんは前を向いて歩いた。玄関について、私が袋を上がりかまちに置くと、ひさ子さんは背中を向けたまま言った。「あの船はね、うちの人が最後に乗った船です」
返す言葉が見つからなかった。「お母さん、なあ、お父さんのことを聞いてもいいですか? 」
ひさ子さんは手をかけたまま、しばらく動かなかった。「潮見から聞いてくださいね」
この町ではみんな同じ答えを返す。ただ、ひさ子さんの言い方だけが違った。断っているのではなく、順番を守っているのだと分かる言い方だった。
その日の午後、私は事務所で書類の整理を手伝った。糊付けを解いて、古い伝票をファイルに落としていく。机の上に、封を切ったばかりの茶封筒が置いてあった。三国造船株式会社と印刷されている。中の紙がわずかにはみ出していた。はみ出していた紙を封筒に押し戻そうとした時、字の一部が目に入った。
「お見積もり書」件名の欄に「第三潮見丸エンジン乗せ替え工事」と書いてある。宛先の行は「潮見水産株式会社」。その下に小さく「代表取締役 様」と印刷されていた。代表取締役。私は金額の欄に並んだ数字を、反射的に読んでしまった。桁が多かった。一度目は読み違えたかと思った。もう一度、右から3つずつ数え直した。
2380万円。その下にもう1行あった。予備の部品、軸回りの整備。それに船を陸に上げる費用で420万円。合計の欄には2800万円と印刷されていた。私はその紙を持ったまま、しばらく動けなかった。先月、電気の傘が切れた時、潮見さんは新しいのを買わずに電球だけ変えた。その家の会社に、2800万円の見積もり書が届いている。
「せつ子さん」声が裏返った。「これ、間違いじゃないですよね」
せつ子さんは老眼鏡を上げて、紙を一瞥した。「間違いじゃないよ、それ。先週来たやつ」
「2800万円って書いてありますけど」
「書いてあるね」
「どうやって払うんですか? 」
せつ子さんは伝票の束を揃えながら、平然と答えた。「もう払っとるよ」
頭の中が真っ白になった。私は事務所を出て、桟橋へ走った。網の修繕をしていた潮見さんが私を見て、手を止める。「どうしました? 」
「あの見積もり、知ってる?
」
「ああ、造船所の」
その言い方があまりに普通で、私は余計焦った。「船の修理、3000万円近くするよ」
自分の声が港に響いた。何人かが振り向いた。潮見さんは網を置いて、私の前まで来た。「はい。近いか、そのくらいです」
「それって、エンジンを丸ごと変えるのでしょ」
私は鞄の中の通帳を思い浮かべた。8年働いて、実家に何も入れずに住んだ分、多少は溜まっている。それでも桁が2つ足りない。「修理代、大丈夫なの? 私の貯金も使おうか? 」
言ってから、三の前だと思った。足りないことは分かりきっている。それでも言わずにはいられなかった。潮見さんは少しの間ぼんやりしていた。それから思い出したという顔をした。「修理代? 」
「うん」
「ああ、3000万、振り込んでおいたよ」
港の音が一瞬遠くなった。波の音も、フォークリフトの音も、聞こえていたはずなのに残っていない。私は口を開けたまま、その人を見ていた。「え?
」出せたのはそれだけだった。
潮見さんは網の束を持ち上げて、続きの作業に戻りかけた。それから私の顔を見て手を止めた。「ああ、すみません。言い方が悪かったです」
「言い方の問題じゃないと思う」
「そうですね」
その人は網を置いて、桟橋の淵に腰を下ろし、私も隣に座った。
「3000万って、どこから出したの? 」
「会社の口座からです。潮見水産の名義の。個人のじゃなくて。個人の口座に3000万は入っていません」
それはいくらか安心する答えだった。「振り込み先は、三国造船と日進エンジンの2社です。全体側の工事とエンジン本体で分かれるので。2800万の見積もりなのに3000万。契約通りに着手の前金と本体の代金を、2社分けて払いました。開けてみないと分からない部分があるので、200万円ほど多めに入れてあります。使わなければ帰ってきます」
仕事の話をする口調に戻っていた。私はようやく頭が働き始めるのを感じた。「あの、聞いてもいい? 」
「どうぞ」
「3000万って、そんな普通に払える金額なの? 」
潮見さんはまっすぐこちらを見て答えた。「普通ではないよ。大金だよ」
その一言で、私はようやく落ち着いた。この人は3000万を軽く見ているわけではなかった。「でも、払うんだね」
「払います」
「どうして?
」
そこでその人は、港口の向こうの整備場を見た。屋根の下に船の腹が見えていた。「あの船のエンジンは21年目です。まだ動きます。動きますけど、動くうちに変えます。動かなくなってから変えるのでは、遅いので」
遅いというのが何に対して遅いのか、私には見当がつかなかった。保障して修理費が上がるという意味かとも思ったけれど、その人の目はそういう話をしている目ではなかった。
「クアノさん」
苗字で呼ばれて、私は姿勢を正した。「あ、もう潮見さんですね」
「うん。今の話、忘れてくださいとは言いません。ただ、今日は聞かないで欲しいです」
「はい」
「そのうち、全部話します。3月に」
3月。すえさんが言っていた月と同じだった。聞き返そうとしたところで、事務所の窓が開いて、せつ子さんが呼んだ。「潮見さん、造船から」
その人は立ち上がり、私に軽く手を上げて、事務所へ入っていった。それっきり、その日は捕まらなかった。夕方には次の便の支度が始まり、夜は網の直しで遅くなった。次に2人でまともに座って話せたのは、秋の彼岸が開けてからになる。
その日の夕方、私は事務所へ戻って、封筒を元の場所に置いた。せつ子さんが湯呑みを2つ出して、待っていた。「驚いた」
「驚きました」
「そりゃそうよね。うちの人らは、金の話を家でせんから」
せつ子さんは老眼鏡を外して、ホワイトボードの方を見た。「あの見積もりね、私は反対だったの」
「反対? 」
「2800万は、うちには大きいよ。あと3年は、今のままでも動く。それを潮見さんは、3年待たんかった」
「なんでですか? 」
せつ子さんは湯呑みを両手で包んだ。「聞いたらね、一言だけ帰ってきた。3年のうちに、1回でも死の日があったら、と」
私はその言葉の意味が分からないまま、それでも覚えた。
その週の土曜、母から電話があった。要件はレナのことだった。「レナね、宮下さんと決まったのよ。来年の春に式を上げるって」
「そう」
「あなた、来るでしょうね」
「呼ばれたら行くよ」
「呼ぶに決まってるじゃない。姉妹なんだから」
姉妹という言葉は、母が使う時だけ都合よく伸び縮みした。「それでね、11月に婚約の披露をするの、うちで。宮下さんのご両親と親戚と、レナの会社の人も何人か来るのよ。みさも来なさい。旦那さんも連れて」
「潮見さんは無理だと思う。11月は忙しいから」
「あら、潮見さんって、お休みないの? 」
悪気がない声だった。その悪気のなさが、この家の一番の武器だ。「じゃあ、あなただけでも来て。レナの顔を立てるくらいはできるでしょう」
顔を立てる。4月から数えて、その手の言葉を私は何度聞いただろうか。電話を切ってから、私は湯呑みを洗った。行かないと言えばよかった。言えなかったのは、まだ自分の中に「家族に呼ばれたら行く」回路が残っていたからだ。
家に帰ってから、ノートに書いた。10月5日、第三潮見丸エンジンの積替え、2380万円と420万円で2800万円。振り込みは3000万円。その下にもう1行。なぜ3年待たないのか。
書きながら、私は自分がまだ何も知らないことに気づいていた。会社がどれだけの船を持っていて、何人が働いていて、1年にいくら動いているのか。妻になって3週間で、そのどれも聞いていない。聞かなかったのは興味がなかったからではない。この人が金の話をしないのは、金がないからだと、私が勝手に思っていたからだ。
3月に姉が「あれ会社って言わないでしょ」と言った。私はそれを笑えなかった。私も同じものを見て、同じように決めつけていた。見ていたのは作業着とトラックと古い一軒家。姉と違うのは、私はそれを嫌だと思わなかったというだけだ。
11月14日の土曜、私は1人で実家へ行った。潮見さんは「行きましょうか」と言ってくれたが、断った。その日は水揚げが多い時期で、船を3隻出すと聞いていた。それに、自分の家の中身をあの人に見せたくなかった。
実家の玄関には、知らない靴が10足以上あった。襖が外され、座敷が広くなっている。床の間の前に宮下さんのご両親が座っていた。その隣に宮下り介さん。34歳。レナの隣は空いていて、母が忙しく人の間を回っていた。
「あら、みさ。来るの遅い」
「電車が」
「まあいいわ。そこ座って」
指された席は、廊下との境目だった。座布団はなかった。台所へ立つのに近い場所だ。「お母さん、座布団足りないのよ」
「後で出すから」
足りない。8年間私が電話口で言い続けてきた言葉が、この家では別の使われ方をした。折り詰めが配られた時、私の前にだけ小さいものが置かれた。箱の大きさが2種類あって、大きい方が人数分に足りなかったのだと思う。母が横を通る時にそっと言った。「あなたは家の人間だから、それで我慢してね」
家の人間。4月には「あなたはもう出てるんだから」と言われた。どちらで数えるかは、その時の都合で決まる。
乾杯の後、父が挨拶に立った。宮下さんとの縁を喜び、レナをよろしくと言い、最後に自分の会社の話をして座った。私のことは一言も出なかった。それでよかった。
レナは着物を着て髪を上げて、笑うたびに首をかしげる。親戚のおじたちが「よかったなあ」と繰り返す。その繰り返しの合間に、よしえおばさんが私に聞いた。「みさちゃんは、旦那さんのお仕事は何だっけ?
」
返事をする前に、レナが答えた。「漁師さんよ。ほら、私が断ったところ」
座敷が少し静かになった。魚臭い家に嫁いだ妹がいる。うちの何人が笑った。笑わなかった人もいたが、止めた人はいなかった。母は徳利を持ったまま、宮下さんのご両親に向かって言った。「下の子はね、そういうのが向いてるんです。手が荒れても平気な子で」
褒めてるのよ。この家で聞き飽きた言葉だ。褒めているという顔をして、位置を下げる。私は膝の上で指を組んだ。4月なら、ここで黙っていた。今も黙っていたが、中身が違った。黙っているのと、言い返せないのは違う。
レナは箸を置いて、私の方へ体を向けた。「ねえ、みさ、感謝しなさいよ」
「何に? 」
「私が譲ってあげたおかげでしょ。あんたが結婚できたの」
座敷の空気がほんの一拍止まった。「私が言ってたら、あんた今も1人だったんだから」
「お姉ちゃん」
「事実じゃない。怒ることないでしょ」
父が咳払いをした。話を変えるためであって、姉を止めるためではなかった。「まあ、宮野さんにも顔が立った。潮見さんとこには悪いことをしたが、こっちも助かった」
「その宮野さんというのは、どちらの? 」宮下さんのお父さんが聞いた。
父は酒が入っていた。「漁業の組合でしてね。わしが若い頃務めとった会社が傾きましてな。給料が半年止まって、家のローンが飛びかけたんですわ。銀行が保証人を立てろと言うてきて、その時に判を押してくれたのが宮野さんです。うちは家を取られずに済んだ」
私は顔をあげた。4月に聞けなかった中身が、酒の席で他人に向かってあっさり出てきた。
「そりゃ、大きな借りですな」
「そうなんです。だから、断れんかった」
だから、断れんかった。その言葉の続きに、私が置かれていた。父は宮野さんへの借りを、娘で払おうとしていた。そこまでは4月から分かっていた。分かっていたのと、他人の前で言われるのは違った。
私は台所へ立った。水を出して、しばらく手を洗った。台所には洗い物が積んであった。誰も手をつけていない。袖をまくって、蛇口をひねる。茶碗を5つほど洗ったところで、よしえおばさんが入ってきた。
「みさちゃん、いいのよ、そんなの」
「座ってても、居場所がないので」
言ってから、しまったと思った。おばさんは隣に立って、布巾を取った。「あんた、変わったね」
「そうですか」
「うん。前はここでずっと下向いて、洗い物ばっかりしよったもん」
そう言われて、自分の姿勢に気づいた。背中が伸びていた。磯の港で氷の袋を運ぶために覚えた立ち方だ。
戻ると、話題はレナの仕事に移っていた。「レナさん、今は大きな企画をやってらっしゃるとか」宮下さんのお母さんが聞くと、レナは待っていましたという顔をした。「高級スーパー向けの水産ブランドを立ち上げるんです。私が産地の選定を任されてて。まだ言えないんですけど、いい産地を見つけたんですよ」
「どういうところなんです? 」
「小さいところです。でも品質がすごく良くて、評判になりかけてる。ああいうのは、大きくなる前に抑えるのが一番なんですよ」
抑える。レナは魚の話をしているのに、口から出てくるのは値段と時期の話ばかりだった。「向こうも喜びますよ。うちが取れば、量が読めますから」
量が読める。私は年江さんの声を思い出していた。約束じゃけ。1回落としたら、次の月から注文が減る。量が読めるということは、取れない日にも数を揃えるということだ。その意味を、姉は考えたことがあるだろうか。
そこで、宮下さんが口を挟んだ。「潮見さんでしょう。うちの部署でも話題になってますよ」
名前が出た。私の手の中で、湯呑みの表面が揺れた。レナが宮下さんの方を見た。「え、なんで知ってるの?
」
「先週の会議で資料が回ってきたので。レナさんの部署が、今一番注目してる先ですよ」
そこで宮下さんは、私の方を見た。悪意は全くなかった。むしろ場を和ませるつもりだったのだと思う。「あ、そういえば、みささんのご主人って、どちらの漁ですか? 近かったら面白いですね」
座敷の全員が私を見た。私は湯呑みを置いた。「磯です」
宮下さんの箸が止まった。「磯? 」
「はい。会社は潮見水産です」
時間が止まったような数秒があった。最初に声を出したのは母だった。「え、何? 同じ会社なの?
」
「同じというか、私は言葉を選んだ。主人がその会社の代表をしています」
座敷の温度が変わったのが、はっきり分かった。レナの顔から色が抜けていくのが見えた。「嘘でしょ? 」
「嘘じゃないよ」
「だって、あの人、軽トラに乗ってたのよ。作業着で。家だって」
「今も軽トラだよ」
レナは口を開けたまま宮下さんを見た。宮下さんは自分が何かを踏んだことに気づいて、固まっていた。「ねえ、り介。潮見水産さんって、どのくらいの会社なの? 」
「どのくらいって、規模? 売上とか?
僕は水産部じゃないから正確には。ただ、うちの部長が直接動くくらいの先です」
レナが私を見た。その目に浮かんでいたのは驚きではなかった。計算だった。「みさ、あんた、それ最初から知ってたの? 」
「私もつい最近まで、聞いてなかったよ」
「嘘。知ってて黙ってたんでしょ」
「3月にお姉ちゃんが行った時、家に上がってたら分かったかもしれないね」
言うつもりのなかった一言だった。出てしまった後で、私は自分の手が震えているのに気づいた。レナは答えなかった。
帰りの電車で、鞄の中の携帯が鳴った。画面に姉の名前が出ていた。私は出なかった。2回鳴って切れて、また鳴った。窓の外は暗くて、ガラスに自分の顔が映っていた。4月に同じ電車に乗った時の顔とは、どこか違って見えた。姉が私に用があるとしたら、それは魚の話だ。私はそこまで分かっていて、それでも出なかった。
11月21日の土曜、私は事務所で潮見さんの前に座った。朝の便が終わって、午後は網の日だった。せつ子さんは伝票を切りながら、聞こえないふりをしていた。
「聞きたいことがあります」
「はい」
「潮見さんって、どのくらいの会社なんですか? 」
その人はペンを置いた。「先週、実家で何か言われましたか? 」
「言われました」
「そうですか」
潮見さんはホワイトボードの方を見て、順番に並べ始めた。「船は、沖に出るのが4隻、沿岸のが7隻。11隻。第三潮見丸はそのうちの1隻です。加工は1つ。それと冷凍の倉庫が2つ」
「倉庫?
」
「魚は取れる時期が偏るので、凍らせて持たないと商売にならないんです」
私は自分の手帳を出して、書きながら聞いた。「売り先は? 」
「朝取れた分は、漁協を通して産地の市場へ出します。セリでその日の値がつく。うちの取り分はそこで決まります。あとは飲食店とスーパーへ直接卸す分。ここ数年は、加工したものをわずかですが外へも出しています」
「それだけで、あの加工場が回るんですか? 」
「回りません。うちの船の分だけでは足りないので、よそから買って加工する分もあります。量で言うと、そっちの方が多いくらいです」
「外へ? 」
「海外です。3カ国だけですけど」
ペンが止まった。「人は何人いるんですか?
」
「社員と船に乗る人と合わせて62人です」
私が働いていた東和食品の営業所より多い。「売上は? 」
潮見さんは少し言いにくそうにした。「言えたら答えます。22億くらいです」
私は手帳を閉じた。数字が大きすぎて、実感が湧かない。それでも頭の中で1つだけ計算ができた。3000万円は、この会社にとっても大金だ。軽い金ではないが、出せない金でもない。せつ子さんが反対したという意味も、そこでようやく分かった。
「じゃあ、船も加工場も倉庫も、全部あなたの会社なんだね」
私が聞くと、その人は困った顔をした。「まあ、会社としては、僕が代表です」
「代表? 」
「はい」
「代表って、船には乗らないものじゃないの? 」
「いや、漁師だよ」
潮見さんは当たり前のことを聞かれたという顔をした。「明日も3時起き出し」
私は思わず笑ってしまった。笑った後で、涙が出そうになって困った。「なんで言わなかったの?
」
「聞かれなかったので」
「そういうことじゃなくて」
「本当にそれだけです」
その人は湯呑みを持って言い直した。「言うと、相手の態度が変わるでしょう。変わった後の人と付き合うのは、しんどいです」
3月に姉が家に上がらなかった。姉は肩書きを知らずに帰って、知らないまま断った。もし知っていたら、姉は上がっただろう。そして今頃、この家に姉がいた。そう考えて、私はぞっとした。
「1つ確認して、いい? 」
「どうぞ」
「私が4月に来た時、それを言わなかったのは、私にも同じことを思ったから」
潮見さんは正直に頷いた。「思いました。すみません」
「怒ってないよ。今は思ってません」
そこで、せつ子さんが伝票を置いて口を挟んだ。「みささん、この人はね、名刺も作らんのよ」
「取引先に出すのだけ」
「あ、全部、潮見水産で通す」
「不便じゃないですか? 」
潮見さんは肩をすくめた。「船の上で肩書きを呼んどったら、間に合わないので」
6月に源二さんから聞いたのと同じ言葉だった。それは格言というより、決め事に近かった。
その夜、家で夕飯を食べながら、私は残りの疑問を出した。「じゃあ、なんでこの家は古いままなの? 」
「祖父が建てた家だからです」
「軽トラなのは?
」
「荷物が詰めるので」
「冷蔵庫は? 」
「動いてるので」
答えが全部、同じ形をしていた。必要があるかどうかで決めている。「お金があるのに使わないのは、何か理由があるんだよね」
潮見さんは箸を置いた。その顔を見て、私は自分が線を踏んだのが分かった。「3月に話します」
「うん」
「ずるい言い方をしていると思います。でも、あと4ヶ月ください」
私は頷いた。その時、その人の手が震えていた。私は見ないふりをした。
その夜、布団に入ってから、私は4月からのことを順に並べてみた。姉が逃げて、私が謝りに行って、断られて、それから自分の意思で通った。その間、私は一度も「この人はいくら持っているのか」を考えなかった。考えなかったのは、立派だからではない。考える必要がないくらい、暮らしが質素だったからだ。今、その前提が崩れた。崩れてみて分かったのは、自分の気持ちが何も変わらないということだった。嬉しくないわけではない。安心はした。実家に何かあっても、この家は倒れないと分かった。けれど、私が4月に受け取ったのは金ではなかった。「あなたが責任を感じる必要はない」という一言だった。それは22億とは関係のないところで言われた言葉だ。だから、この人がどれだけの会社を持っていても、私の側は何も動かない。そう思えたことが、その夜は一番嬉しかった。
12月に入って、私はセット便の中身をノートに移し始めた。何を入れて、何が余って、何が足りなかったか。3年分の納品の控えがダンボールに入っていたので、それも順に開いた。そうして分かったことが2つある。1つは、返品が思ったより多いこと。魚の種類が毎回変わるので、届いてから使えないと言われる。もう1つは、足りない月にどうしていたかだった。2ヶ月だけ、仕入れの伝票によその名前が並んでいた。直近は前の月の11月だ。自分の港で取れなかった月に、よそから買って箱に入れている。
私はノートの隅に書いた。月に120箱。締め切りは木曜。取れない日は買う。買った月はその分利益が消える。消えるだけならまだいい。私は8年やってきた経験で、その先に何が起きるかを知っていた。買ってでも納める約束が続くと、いつか「今月は出せません」と言えなくなる。言えなくなった人が、最後に何をするか。海に出るしかない。
そこまで書いて、私はペンを置いた。書いた言葉が、自分でも怖かった。
その週の月曜、マルナガフーズの社内で何が起きていたか。それを私は後から聞かされた。姉が推していた産地は、元々潮見水産だった。姉は秋の候補表に、3月に自分が玄関の前で帰った町の名前を書いていた。品質がいい。評判になりかけている。抑えるなら今だ。逃げた相手の会社だとは、社内の誰にも言っていない。それが11月に、妹の嫁ぎ先だと分かった。
姉は上司にこう申し出たそうだ。「潮見水産の件、私の身内ですので、私にやらせてください」
上司の名前は、朝優一さん。水産部の部長だった。最も、その表に潮見水産という社名を先に載せたのは姉ではない。朝自身だった。12年、社内の誰にも出さずに来た名前だった。それをその年、自分の手で書き戻していた。朝さんは姉の申し出を断らなかった。断れば、なぜ断るのかを説明しなければならなかったからだ。
姉は会議でこう言ったという。「親族なので、契約はほぼ確実です」
会議には水産部の若手も同席していた。若林ゆいさんという26歳の人が、その言葉をそのまま議事録のメモに残した。その1行が4ヶ月後に誰の口から読み上げられるか、姉はまだ知らない。
年が開けても、姉からの着信は止まらなかった。1月16日の土曜、私はとうとう電話に出た。11月の席では人の前で言い合っただけだ。腰を据えて話すのは、逃げたあの日以来だった。
「みさ、元気? 」
声だけは、久しぶりに会う友達のようだった。「何? 」
「何って?
ひどい。妹に電話しちゃ悪い」
「要件は? 」
「潮見さんって、潮見水産の代表なんだって」
「そうだけど」
「だったら、最初に言ってよ」
その声には、攻める色がはっきりあった。「言う機会がなかったよ」
「機会なんて、作ればいいでしょ。私、恥かいたけど、会社で」
恥。その言葉が出るまで、1分もかからなかった。「うちの会社、今そこと取引したがってるの? 」
「聞いた。でね、私が担当なの。ちゃんと社内で撮ったのよ、この案件。それで、潮見さんに私からの案件だって言っておいて」
私は湯呑みを置いた。「なんで」
「そのくらい普通でしょ? 」
「普通じゃないよ」
「元々私の結婚相手だったんだから、そのくらい当然でしょ」
そこで私は息を吐いた。笑ったのではない。呆れたのだ。「お姉ちゃん、何?
結婚直前に逃げたの、お姉ちゃんだよね」
向こうが黙った。「その人に当然でしょって言えるのだから、それはもう終わった話じゃない。終わった話の相手に、身内価格を頼むの? 」
レナは少しだけ声を落とした。「別に、安くしろとは言ってないでしょ。話を通してって言ってるだけ」
「通す通さないは、私が決めることじゃないよ」
「あんた、身内でしょ」
「うん。潮見さんのね」
電話は切れた。私はしばらく画面を見ていた。その日のうちに、私は潮見さんに全部話した。隠したら、4月の父と同じになる。
潮見さんは最後まで聞いて、こう言った。「わかりました。仕事として、普通にやります」
「断らないの? 」
「断る理由がまだありません」
「私の姉だよ」
「それは断る理由になりません」
その人は湯呑みを置いた。「身内だから受けるも、身内だから断るも、同じことです。うちはどっちもやりません」
電話の翌週から、実家の態度が変わった。最初は母だった。「みさ、潮見さんって立派な方だったのね」
「前から立派な人だよ」
「そうじゃなくて、お母さん、そんなこと1つも聞いてなかったのよ。ちゃんと会社やってらっしゃるなんて」
聞いていなかった。正確には「聞こうとしていなかった」が正しい。4月にこの人は、相手の仕事を一度も聞かなかった。母は声を弾ませて続けた。「今度、ご挨拶に伺わないとね。お父さんとお母さんで」
「別にいいよ」
「良くないでしょ。娘の嫁ぎ先なんだから」
嫁ぎ先。年が開ける前は「魚臭い家」と笑われた場所が、姉からのあの電話1本で、そう呼ばれるようになった。父の電話はそれから4日後に来た。
「みさ、か正月には2人で帰ってこい」
「正月はもう終わったよ」
「盆でもいい」
父は一度黙って、それから言った。「潮見さんは、その、なんだ、うちのことをどう思うとるかな」
その質問に、私は胸が痛んだ。父が私の夫の気持ちを気にしたのは、それが初めてだった。「普通に思ってるよ。何も」
「そうか」
電話はそれで切れた。
2月12日の金曜、マルナガフーズから正式な文書が届いた。「新規取引についてのご提案」という表題だ。差出人の欄には、水産部長の名前と、担当者として姉の名前が並んでいた。せつ子さんがそれを見て、眉を上げた。「クアノさんって、みささんの姉? 」
「ふん」せつ子さんはそれ以上何も言わず、文書を潮見さんの机に置いた。
商談の日は4月7日の水曜に決まった。商談の準備は、せつ子さんと私で進めた。先方の提案書に、希望する数量が書いてある。年間600トン。マルナガの話はいわゆる相対取引だった。市場を通さず、会社同士で先に値段と量を決める。「相対」だとせつ子さんは呼んだ。「セリなら取れた分だけ出して終わる。相対は、取れても取れなくても決めた量を出す約束になる」
うちの年間の水揚げから逆算すると、出せない量ではない。出せない量ではないが、余裕もない。「せつ子さん、取れない月はどうするんですか?
」
「そりゃ、話し合いよ」
「話し合いで済みますか? 」
せつ子さんは老眼鏡の奥から私を見た。「あんた、そこが気になるんじゃね」
「はい」
「潮見さんも、そこしか見とらんよ」
それだけ言うと、せつ子さんは電卓を叩き始めた。
3月20日の土曜が来た。命日に一番近い土曜だと、潮見さんは前の年の秋に言っていた。朝から風がなくて、海が鏡みたいだった。岸壁に50人ほどが集まっていた。潮見水産の人だけでなく、よその船の人も、町の人も来ていた。祭壇と小さな机が1つ。机の上に写真が2枚並んでいた。1枚は桟橋の壁で見たあの人だ。もう1枚は、剥がれた跡で顔が欠けていた人だった。安田有作という名前の字を、私はその時初めて見た。すえさんが手を合わせて、長いこと動かなかった。潮見さんは何も言わずに、一番後ろに立っていた。式次第もない。順番に手を合わせて、みんなが帰っていく。それだけの集まりだった。
帰り際、ひさ子さんが私の袖を引いた。「みささん、ちょっと、うちに寄って」
坂の下の家で、ひさ子さんが仏壇の引き出しから鍵を出した。「物置の一番上の箱です。私が持っていていいものですか? 」
「潮見はね、あの箱を20年開けていません」
ひさ子さんは鍵を私の手に乗せた。「あの子はあなたに、3月に話すと言ったそうですね」
「はい」
「なら、先に読んでおいてください。私が先に」
ひさ子さんは頷いた。「あの子は、自分の口では最後まで言えません。うちの人に似て、口が重いんです」
その夜、潮見さんが帰る前に、私は物置の戸を開けた。懐中電灯を口に加えて、南京錠を外した。箱の中には、同じ大きさの帳面が積んであった。表紙に年と月が書いてある。一番上にあった一冊を取った。表紙に書かれていたのは、事故のあった年の3月だった。中は1日ごとの記録だった。風向き、波の高さ、出た船、取れた量。字は太くて、傾きが揃っていた。私はページを繰った。3月の17日、北西の風、時化気味、出漁見合わせ。3月の18日、風収まらず、見合わせ。そして、19日の欄で私の指が止まった。その日の記録はまだ書かれていなかった。書かれていたのは、前の晩の日付の一番下の余白だった。そこだけ字が小さかった。
「あと1日で埋めないと、違約になる。有作に無理をさせる」
私はその1行を読み直した。違約、契約を破ったという意味だ。仕事で毎日のように使っていた言葉がそこにあったけれど、何の違約なのかは書いていない。誰との約束なのかも書いていない。私は帳面を閉じて、箱に戻した。鍵はかけずに、物置の戸だけ閉めた。
家の中に戻って、私は電気もつけずに座っていた。潮見さんが帰ってきたのは、それから1時間後だった。玄関で長靴を脱ぐ音がして、廊下の電気がついた。
「暗いですよ」
「うん」
その人は私の前に座った。戸が閉まりきっていないことに、多分気づいていた。「読みましたか? 」
「読みました」
「そうですか」
私は聞かなかった。違約って何のことか、誰との約束なのかを、聞かなかった。聞けばこの人は答えただろう。3月に話すと言った人が、その日は父と安田さんに向き合っていた。それでも、その日は聞かないと決めた。3月に話すと言ったのはこの人だ。どの日にするかも、この人が決めればいい。
「1つだけ聞いていい?
」
「はい」
「3月に話すって言ったのは、私に聞かせるため、それとも自分が言うため」
潮見さんはしばらく答えなかった。「両方です」
そう言って、その人は台所へ立ち、湯呑みを2つ出した。3月の海は、12年前と同じ色をしていた。
春の商談まで、あと18日。商談の朝、潮見さんはいつも通り3時に出た。午前の便を1本入れてから着替えて、事務所に来るという段取りだった。私は5時に起きて、2階の部屋の机を拭いた。資料を並べ、湯呑みを数え、それでも手が空いた。8時過ぎに、源二さんが顔を出した。「あんた、出るんか? 」
「出ます」
「受注の話が出るので」
源二さんは頷いて、それから短く言った。「潮見みたいな顔をせんなよ」
何をですかとは聞かなかった。
10時半に潮見さんが戻ってきた。髪が濡れていて、作業着に着替えていた。スーツではない。襟のあるシャツと綿のズボンだ。「その格好で行くの? 」
「うちはこれです」
その人は少し笑った。「向こうがスーツなのは、向こうの仕事の格好だからです。うちのはこれ」
4月7日の水曜、マルナガフーズの3人は昼前に着いた。黒い車が桟橋の前で止まって、革靴が降りてきた。姉のレナと、部長の朝優一さんと、若い女の人が1人。若林ゆいさんという名前は、名刺で知った。事務所の2階の、机を寄せただけの部屋。壁に海図が張ってある。せつ子さんが茶を出し、私は姉の顔を見ないようにして端の席に座った。
「潮見さん、初めまして。マルナガフーズの朝です」
「潮見です。遠いところ」
名刺が交わされた。朝さんは52歳。髪に白いものが混じる、腰の低い人だ。レナは席につくなり、私の方を見て小さく笑った。「みさがいるなんて、聞いてない。まあ、いいけど」
「妻はうちの加工と受注を見ています」
潮見さんがそう言うと、レナは「へえ」とだけ返した。
提案の説明は、姉が始めた。資料はよくできていた。高級スーパー向けの新しい売り場を作り、産地の名前を出して売る。写真も言葉も綺麗だった。姉は最後にこう言った。「潮見水産さんは、うちの調べでは品質が飛び抜けています。今のうちにお取引を始められるのは、双方にとってもいい話だと思いますよ。初年度は600トンで、3年目には1200トンまで伸ばしたいと考えています」
「1200」潮見さんが繰り返した。
「はい。売り場が増えますので」
「うちの年間の水揚げは、全部合わせて1400トンほどです」
「ええ、だから、伸び代があるということです」
姉はそれを褒め言葉のつもりで言っていた。うちの取る魚のほとんどを、一社に納めろという話だと、姉は気づいていない。それから、姉は声を緩めた。「それに、身内なんだから、話は早いわよね」
せつ子さんが息を吸い込む音がした。手元の資料を揃え直したが、何も言わなかった。若林さんが姉の方を見た。潮見さんだけが、表情を変えなかった。「条件の方を拝見して、よろしいですか? 」
「どうぞどうぞ」
契約書の叩き台が、私にも一部配られた。1枚目に数量と価格の表がある。年間600トン。その下に小さい字で1行。納入は月ごとに50トンとする。私はその行をもう一度読み直した。
「月ごと、書いてありますね」
私が言うと、レナが顔をあげた。「そりゃそうでしょ。年に1回ドーンと納品されても困るもの」
「はい」
私はページをめくった。価格の欄。うちが市場で受けている値より1割5分低い。そして、その次の条項で私の指が止まった。納入数量に不足が生じた場合、不足分1トンにつき10万円を支払うものとする。
違約金。私の頭の中で、物置の帳面のあの小さい字が重なった。あと1日で埋めないと、違約になる。有作に無理をさせる。約束の量に届かなければ、その差の分だけ金を出す。紙の上に、あの帳面と同じ言葉があった。心臓の音が耳の奥で鳴り始めた。私は顔をあげて、潮見さんを見た。その人はもう、ずっとそのページを見ていた。
朝さんが口を開いた。「はい」
「この条件では、お受けできません」
レナが身を乗り出した。「え、待って。まだ交渉もしてないでしょ」
「価格の話ではありません」
潮見さんは指で1つの条項をなぞった。「この条項です」
潮見さんは指を止めたまま続けた。「1つ伺います。時化や不良で取れなかった月も、この10万円はかかりますか?
」
答えたのは、若林さんだった。手元の資料を開いて、指で辿ってから顔をあげる。「かかります。天災による免責の定めは、この書式には入っておりません」
「では、海が荒れた月の分も、うちが現金で払う契約ということですね」
「そうなります」
朝さんは自分の資料の同じ行を見たままでいた。その表情が、わずかに動いた。レナは気づいていなかった。「そんなの、どこの契約にもついてるでしょう。うちの標準の書式なんだから」
「そうですね。標準なんだと思います。だったら、うちが受けられないというだけです」
レナは椅子の背に持たれた。「なんで? 年に1400トン取れてるって、さっき言ったじゃない? 」
「取れています。今年は」
「じゃあ、問題ないでしょう」
「来年のことは、海が決めます」
姉はその言葉を理解しなかった。理解しないまま、次の言葉を出した。「でも、うちが大量に買ってあげるんですよ」
部屋から、一拍だけ音が消えた。潮見さんは資料を置いた。それから、姉の方へ体を向けた。「買ってあげるんですか? 」
声は大きくならなかった。ただ、部屋の空気の重さが変わった。レナが口を開きかけて、止まった。
「魚を取る人間にも、加工する人間にも、生活があります」
潮見さんは窓の外の桟橋を見た。「うちの船には、22歳の子が乗っています。宿舎に住んで、給料もらって、それで暮らしています。はい。その子たちに、1割5分の値引きを説明することが、僕にはできません」
姉は反論を探していた。「量が出れば、単価が安くても利益は」
「量はこちらが決められません」
そこで、私は資料から顔をあげた。「あの、1つ、よろしいですか?
」
姉が私を見た。「潮見水産の受注を見ている、潮見です」
苗字で名乗ると、姉の眉が動いた。私は自分のノートを開いた。「うちのセット便は、月に120函です。去年の11月も足りなくて、よそから買って入れました」
「それが何? 」
「120箱でも、そうなります」
私は指で数字をなぞった。「月に50トンずつ、12ヶ月続けるという約束です。時化が続く月は、必ずあります。その時、うちは買うか出るかの、どちらかになります」
「買えばいいじゃない」
姉はあっさり言った。「1割5分安く売る場所で、よそから相場で買って入れるんですか? 」
姉の口が止まった。その計算をしたことがない顔だった。若林さんが、手元の資料に何か書き込んだ。朝さんはその一部始終、一度も口を挟まなかった。自分の資料の同じ行に、指を置いたままだった。
そこで、潮見さんは初めて姉の目をまっすぐ見た。「クアノさん、この条項は、月ごとに50トンを必ず揃えろという意味です。揃わなければ、1トンにつき10万円、払えと」
「そうですけど」
「10トン足りなければ、100万円です」
「だから、そうならないように」
「そうならないようにするには、取れない月に、無理に出るしかありません」
無理。その言葉がこの町でどう使われてきたかは、知っていた。無理をするな。半年間、毎日のように聞いた言葉だ。優しさだと思っていた。そうではなかった。この町の人たちは、無理をした結果を知っていたのだ。私は膝の上で、資料の端を握りしめていた。
「潮見さん」
朝さんが、そこで初めて商談の中身に口を挟んだ。声が掠れていた。「その条項の、1トンにつき10万円という額ですが」
「はい」
「うちの標準は、通常もっと低い額です。この額は、水産の一部の契約でだけ使われていました」
朝さんはそこで一度言葉を切った。「この額を水産部の書式に入れたのは、当時の私たちです。以来、誰も見直していません」
「知っています」
潮見さんは足元の鞄から、薄い紙ばさみを取り出した。中から1枚だけ抜いた。コピーだった。角が丸くなって、文字が掠れている。その1枚を机の中央に置いた。「これは、うちが12年前に結んでいた契約書の写しです」
レナが覗き込んだ。「12年前? うちと?
」
「はい。そんなの、社内の記録になかったけど」
「終わり方の書き方が違うだけで、記録はあります」
朝さんはその紙を見ていた。手を伸ばさなかった。伸ばせなかったのだと思う。潮見さんは静かに続けた。「月に12トン。足りなければ、1トンにつき10万円。単位も額も、そのままです」
私は朝さんの顔を見た。その顔から、血の気が引いていた。朝さんは机の上の紙から目を離さないまま、椅子を後ろへ引いた。そして、立ち上がった。レナが驚いて見上げた。
「部長? 」
朝さんは答えなかった。その人は12年前にも、潮見水産という取引先の名前を、自分の書類に書いていた。朝さんは立ったまま机の上の紙を見ていた。それから椅子の横に立ち直って、深く頭を下げた。「潮見工作さんの、ご息子でいらっしゃいますね」
レナが「え」と言った。潮見さんは座ったまま短く答えた。「はい」
「そうですか」
朝さんは腰を下ろした。そして、姉の方ではなく、潮見さんの方を向いて話し始めた。
「12年前、その契約の担当は私です」
レナが資料を取り落とした。「部長、待ってください。うちの記録には」
「クアノさん」
朝さんは初めて、姉を制した。声は静かだった。「記録には、先方都合により取引終了としか書いていない。だから君が調べても、出てこない。私も、そう書いた側の人間です」
姉は口を閉じた。朝さんは続けた。「当時、私は水産部の担当者でした。40の時です。売り場を増やす計画があって、量を確保しろと言われていました」
潮見さんが短く応じた。「はい」
「潮見水産さんは、当時は今よりずっと小さい会社でした。それでも品物が良かった。私は、月12トンの契約をお願いに行きました」
潮見さんは黙って聞いていた。「その時、工作さんに言われました。この違約金の条項だけは、外してくれと。はい。私は外せませんでした。標準書式だから、と言いました」
朝さんは湯呑みに手を伸ばして、やめた。「今と同じことを言いました。工作さんは、それでも判を押されました。船を増やしたいと言っておられた。若い人を雇いたいと」
帳面の字が、頭の中で動いていた。3年目の3月です。朝さんの声が、そこで一段低くなった。「その月は、時化が続いていました。半分ほどしか上がっていなかった。はい。私は、締めの日を伸ばしませんでした」
それだけ言って、朝さんは黙った。少ししてから言葉を足した。「伸ばす権限が私になかったわけではありません。上に1本、電話を入れれば済む話でした」
潮見さんは机の一点を見たまま、聞いていた。「はい」
「書けなかったんです。その月、私の部署は数字が足りていなかった。若林さんが手にしていたペンを置いた。翌日、工作さんから電話をいただきました。今月は届かないと。私は、条項通りでお願いしますと申し上げました」
朝さんの膝の上で、指が固く組まれていた。「そのやり取りをしたのが、事故の起きた朝の直前でした」
部屋の空気が重くなった。「事故の後は、取引を止めました。止めたというより、逃げました」
誰も相槌を打たなかった。「記録に先方都合と書いたのは、私です。会社の中で、この件が二度と誰の目にも触れないようにするためです」
朝さんが、そこで初めて顔をあげた。「12年、誰にも言っていません。ですから、クアノさんが調べても、出てこないのは当然なんです」
潮見さんが口を開いた。「朝さん」
「はい」
「あの日のことを、契約のせいだとは言いません」
朝さんが顔をあげた。「船を出すと決めたのは、父です。誰にも命じられていません。海に出るか出ないかは、船長が決めます。それは、今も変わりません」
「はい」
「あの朝、工作さんが乗ると言ったのも、工作さんご自身です」
潮見さんは机の上の写しに目を落とした。「ただ、あの朝、父の頭の中にこの条項があったことは、確かです。それだけです」
そう言って、話を終えた。私はようやく息を吸えた。
姉が、そこでようやく口を開いた。「あの、何の話をしてるの? 」
朝さんが振り向いた。「クアノさん」
「だって、12年前でしょ? 今と関係ないじゃないですか」
「関係します」
「どこがですか?
」
朝さんは叩き台の1枚目を指した。「私が今日持ってきた紙に、その時と同じ条項が入っている。私が外さなかった条項です」
「それは標準書式です」
「だから、私の責任です」
姉は理解しなかった。理解しないまま、こう言った。「じゃあ、そこだけ直せばいいじゃないですか。それで、契約できますよね」
その言い方に、私は目を閉じたくなった。姉の頭の中では、これはまだ「契約が取れるか取れないか」の話だった。朝さんは答えなかった。
その日の商談は、一旦そこで区切られた。昼を挟むことになり、マルナガの3人は車で町へ出た。残された部屋で、私は潮見さんと2人になった。窓を開けると、桟橋の音が入ってきた。台車の音と、水の音と、笑い声。半年前と同じ音だ。
私は加工場にいる住江さんのことを考えていた。あの人は、その日ここで何が話されているかを知らない。包丁を握って、いつも通り魚の腹を開いているはずだ。坂の下のひさ子さんも、多分洗濯物を干している。玄関には、ひび割れた長靴が置いてある。その2人の12年というものが、その日、外側から見えた気がした。
「あの帳面のことを、聞いていい? 」
「はい」
「3月の19日、船は出たんだよね」
「出ました。第三潮見丸と、沿岸の船が一隻と、よその船が一隻。それで、父と安田さんは第三潮見丸に乗っていました。船は曳かれて帰ってきましたが、2人は帰ってきませんでした」
その人は、窓の外を見ていた。「海上保安部が調べて、国の方の調査も、報告を出しました。原因は1つに絞れていません。波と風と網の積み方と、無線の記録と、色々ありました。うん。だから、僕は誰のせいだとも言えないんです。言えないから、金の使い方で決めることにしました」
私は顔をあげた。「使い方? 」
その人は指を折り始めた。「エンジンは20年で買える。動いていても変える。うん。救命具は、全員分に予備を足して、船から下ろさない。無線と位置を知らせる機会は、毎年点検に出す。うん。若い人の給料は、周りの港より上に置く。宿舎は、風呂と洗濯機を人数分」
指が4本立っていた。「冷凍の倉庫を建てたのも、同じ理由です。取れた月に凍らせておけば、取れない月に無理をしなくていい」
そこまで聞いて、私はようやく全部が繋がった。この人が金を使わないのではない。使う先が、全部こっち側にあるだけだ。「だから、うちは古いんだね」
「はい」
「軽トラなのも? 」
「荷物が詰めるので」
その答えは前と同じだったけれど、その後にもう一言ついた。「車に2000万使うなら、船に使いたいんだよ」
その言い方だけ、いつもより砕けていた。私は湯呑みを両手で包んで、しばらく黙っていた。泣きそうだったので、黙るしかなかった。
「1つだけ、ずるいと思うことがあります」
「何?
」
「3年待たなかったこと」
せつ子さんから聞いた話だ。「あと3年は、今のエンジンでも動く。それを潮見さんは、待たなかった。3年のうちに、1回でも死の日があったら、って言ったんでしょ」
潮見さんは驚いた顔をした。「せつ子さんですか? 」
「うん。そうですね。言いました」
その人は湯呑みを置いた。「うちの船は、誰でも帰って来られるようにしておきたいんです。出るか出ないかは、船長が決める。決めた後で守るのは、会社の仕事です」
私はノートを開いて、その言葉を書いた。書きながら、手が震えて、字が歪んだ。
「もう1つ、聞いていい? 」
「はい」
「お母さんが、鍵を私に渡したの」
潮見さんがこちらを向いた。「母が? 」
「うん。あなたは自分の口では最後まで言えないから、先に読んでおいてって」
その人は、しばらく何も言わなかった。それから、口の端で笑った。「母には叶わないな」
「読んでよかった?
」
「良かったです」
「なんで? 」
「さっき、あなたが最初に『月ごと』を見つけたでしょう。僕はあの条項を、鞄に入れた日からずっと頭に血が上っていました。あのまま僕が先に喋っていたら、多分、怒鳴っていた」
「怒鳴らなかったね」
「あなたが先に『月ごとですね』と言ってくれたので」
その人は湯呑みの底を見ていた。「数字の話にしてもらえた。助かりました」
私は何も言えなかった。言えなかったけれど、8月に「今のところ何も」と言われたことを思い出していた。何もできない人間のまま、私はこの港へ移って半年で、ここに座っている。
午後1時、マルナガの3人が戻ってきた。戻ってきた姉の顔には、まだ余裕があった。昼の間に、姉は自分なりの結論を出していたらしい。部屋に入るなり、姉が口を開いた。「私、社長の義理の姉なんだけど」
姉は座る前に、そう言った。朝さんが「クアノさん」と止めようとしたが、姉は止まらなかった。「昼にも部長と話したんです。条項を直せば済む話でしょう。あとは金額の調整だけ」
潮見さんは机の上で指を組んだ。「クアノさん」
「はい」
「それが、義理の姉だと、何か変わりますか? 」
姉の動きが止まった。「え、義理の姉だと、何か変わるでしょ、普通」
「変わりません」
その一言に、姉の顔がはっきり変わった。「ちょっと待って。私、そこまで無理なこと言ってる? 意見聞かせてよ」
「会社の取引に、家族は関係ありません」
潮見さんははっきりそう言った。それから言葉を足した。「それに、僕が家族だと思っているのは、みさです」
部屋が静まり返った。姉は口を開けたまま、私の方を見た。私は姉を見返した。視線をそらさなかったのは、多分生まれて初めてだった。「何それ?
じゃあ、私は何なの? 」
「取引先の、担当の方です」
潮見さんの言い方には、皮肉が1つも入っていなかった。そこが一番沁みたのだと思う。姉は椅子に手をついた。「そもそも、私が逃げなかったら、潮見さんの奥さんは私だったんだから」
その声は大きかった。若林さんが下を向いた。潮見さんは静かに首を振った。「違いますよ」
「え? 」
「あなたとの話は、あなたが逃げた時点で終わっています。それは、あなたの権利です。断るのは、あなたの権利です」
潮見さんはそこで初めて、私の方を見た。「僕はその後で、みさを知って、みさと結婚したんです。順番は、それだけです」
私は膝の上で、手を握り直した。1年前、母は「あなたなら漁師でも十分でしょう」と言った。姉は「私が譲ってあげたおかげ」と言った。私はその日まで、その言い方に反論をしなかった。けれど、この人は最初から、一度も私を「代わり」だと言わなかった。4月に断ったのはその人で、9月に選んだのもその人だった。
姉の顔が赤くなった。「じゃあ、何? うちの会社との取引は、私のせいで潰れるってこと?
」
そこで、若林さんが手をあげた。「部長」
朝さんが顔を向けた。「はい」
「1つ、確認させてください」
若林さんがノートを開いた。「12月の会議のメモです。クアノさんは、こうおっしゃいました」
姉が振り向いた。「ちょっと、若林さん」
「『ご親族なので、契約はほぼ確実です』。私、そのまま書きました。社内で決済を通す時の前提にも、その1行が入っています」
朝さんが目を閉じた。「クアノさん、今日、それが前提でないことは分かりましたね」
「はい」
「それと、さっきの発言です」
朝さんが姉を見た。「『身内なんだから話は早い』『少しくらい融通を聞かせて』。この2つは、取引先の前で担当者が言っていい言葉ではありません」
姉は何も言えなかった。朝さんは潮見さんに向き直った。「潮見さん、この件の窓口は、本日を持って私が引き取ります」
レナが立ち上がりかけ、た。「部長、それは」
「クアノさん」名前を呼ぶ声は、大きくはなかった。それでも、姉は座った。姉を潰したのは私ではない。潮見さんでもない。姉が半年かけて自分で積み上げたものが、その日、順番に帰ってきただけだった。
朝さんが紙を1枚出した。「潮見さん、私の方から1つだけ申し上げます」
潮見さんが姿勢を戻した。「はい」
「この条項を外して、不可抗力の免責を入れた案を持ち帰ります。ただ、通るかどうかは分かりません」
「分かりました」
「通らなければ、この話はご縁がなかったということで。朝さんは頭を下げた。それでも、12年前に一度、お伺いすべきだったことです。今日、そう申し上げられて良かったと思っています」
潮見さんは立ち上がって、名刺を出し直した。「朝さん」
「はい」
「3月に、港でうちの父と安田さんの集まりをやります。命日に一番近い土曜です」
朝さんの方が動いた。「会社の方としてでなく、来ていただいて構いません」
「よろしいのですか? 」
「父はあなたを恨んでいたと思います。潮見さんはまっすぐそう言った。僕は、恨んでいる人を集まりから外すつもりはありません」
朝さんは、しばらく動かなかった。それから、深く一礼した。話はそこで終わりになった。
帰り際、玄関のところで、姉が私を捕まえた。「みさ、あんた、私に何か言うことないの? 」
「ないよ」
「私、こんなことになるなんて」
「お姉ちゃん」
私は姉の目を見た。「3月に、あの人の家に上がってたら、こうなってなかったと思う。お姉ちゃんは、玄関の前で帰ったんだよね。お茶も飲まないで」
姉は答えなかった。「泥臭いって言ったよね。『魚臭い家に嫁いだ妹がいる』の」
「それは、冗談で」
「うん。冗談だった」
私は1つ息を吸った。「その泥臭い家が、この半年で3000万円払ったの。船のエンジンに。まだ動くのに、動かなくなる前に」
姉の口が開いた。「1割5分引いて、足りなければ1トン10万円。あれがお姉ちゃんの持ってきた値段の下げ方だよ。そういうのを、うちの町では『無理』とは言わないの」
「何それ? 」
「誰かに無理をさせる、って言うんだよ」
姉は何も返さなかった。車に乗り込む姉の背中が見えなくなるまで、私はそこに立っていた。坂を下りていくマルナガの車を、桟橋の何人かが目で追っていた。源二さんが軍手を叩きながら言った。「終わったか?
」
「終わりました」
「どうじゃった? 」
私は一度考えて答えた。「上等の話でした」
源二さんは目を細めた。「そうか」
それだけだった。せつ子さんは事務所の窓から顔を出して、いつもの調子で聞いた。「取れたの? 」
「多分、取れないです」
「そう」せつ子さんは全く残念そうな顔をしなかった。「じゃあ、明日の伝票をやろうかね」
住江さんが加工場から出てきて、私の腕を叩いた。「あんた、今日、偉い顔しとったね」
「そうですか? 」
「うん。うちの奥さんの顔しとった」
私はその言葉を、しばらく胸の中で持っていた。4月に、私はこの港へ「他」としてきた。1年経って、「家の人間」だと最初に言ってくれたのは、加工場の人だった。
その夜、実家から電話がかかってきた。父だった。姉より先に、母のところへ話が行ったらしい。「みさ、お前、姉さんの仕事を邪魔したそうじゃないか」
「邪魔してないよ」
「同じことだ。潮見さんに、うちの顔を立ててくれと頼めんのか?
」
「頼まないよ」
父は一度黙って、それから声の調子を変えた。「なあ、みさ。うちも苦しいんだ。潮見さんとこは、余裕があるんだろう。いくらか、うちにも回してもらえんか? 」
来たと思った。半年前から、いつか来ると思っていた言葉だ。「お父さん、何? 私が嫁ぐ時、お母さんが何て言ったか、覚えてる? 」
父は答えなかった。代わりに、受話器の向こうで母の声がした。「みさでしょ?
お母さんに変わって」
母は電話を取るなり言った。「あなた、昔のことを、いつまで言ってるの? 」
「昔じゃないよ」
「もう1年も前の話でしょ」
「私には、昔の話じゃないよ」
母が黙った。「あの日、お母さんは、『レナにはもっといい人がいるけど、あなたなら漁師でも十分でしょう』って言ったの」
「そんなこと、言ったよ」
「私はその言葉を持ったまま、この1年を暮らしている」
自分の声が震えていないことに、私は驚いた。「お金は出せません。うちの会社のお金は、船と船に乗る人のためのお金だから。あなたのお金じゃない。私のお金でもないよ」
それは本当だった。そして、その本当のことを言えるようになったのが、私の半年だった。電話が切れた後、私はもう一度掛け直そうかと思った。言い足りなかったからではない。言いすぎたと思ったからだ。指が画面の上で止まって、そのまま動かなかった。4月の私なら、掛け直していた。掛け直して、謝って、その後、1週間ずっと落ち込んでいた。私はその日、掛け直さなかった。
電話を切った後、居間で潮見さんが座っていた。全部聞こえていたはずだ。「嫌なら、もう実家と付き合わなくていいですよ」
その人はそう言った。「僕が言うことじゃないけど、あなたが削れていくのを見るのは、辛い」
私は首を振った。「うん。でも、逃げるんじゃなくて、自分で距離を決めたい」
言ってから、照れ臭くなった。「盆には行く。正月は行かない。お金の話が出たら、帰る。そういう風にする」
潮見さんは、しばらく私を見ていた。それから、いつもの調子で言った。「ちゃんと決めるんですね」
「受注の仕事を8年やってたので」
その人は笑った。私も笑った。窓の外は暗く、港口の向こうに整備の明かりだけがついていた。その明かりが消えるまで、私はしばらく縁側に座っていた。第三潮見丸は、あの屋根の下にいる。新しいエンジンを積んで、5月の半ばには帰ってくるはずだった。
4月14日、マルナガフーズから短い書面が届いた。窓口が朝部長に変わったという知らせで、姉の名前はどこにもなかった。その後の免責を外した案は、出てこなかった。社内で通らなかったのだと、朝さんから聞いた。潮見水産は、その取引を丁重にお断りした。
姉のことは、母から聞いた。レナは水産部から外れ、別の部署へ移ったという。「身内だから確実です」といった案件が1つ流れただけだ。それが仕事の世界でどれだけ重いことなのか、姉はこれから知るのだろう。去年の盆に、母が一度だけ漏らした。「り介さんとはね、あの春より前から、知り合いだったのよと」
順番がおかしいと4月に思ったのは、思い違いではなかった。それでも、私は何も聞き返さなかった。両親とは絶縁しなかった。盆は行く。正月は行かない。金の話が出たら帰る。去年の盆、母は一度も金の話をしなかった。父は玄関まで見送りに出てきて、それだけだった。
その台所で、よしえおばさんが私に言った。「あんた、レナのことを恨んどらんのね」
恨んではいない。ただ、姉が私の代わりに何かを差し出したことは、一度もない。宮野さんには、一度だけあった。実家からの帰りに組合へ寄ると、白髪の小さな人が出てきて頭を下げた。「あんたに、詫びんと行けんことがある」
私は首を振った。「借りを返したのは、父じゃないんです。私が返しました」
4月に、あの事務所で頭を下げた時に、宮野さんは何も言わずにもう一度頭を下げた。父の借りは、そこで帳簿から落ちた。潮見さんの言葉なら、諦めたのだ。
翌年の3月、命日に一番近い土曜の集まりに、朝さんが来た。会社の人としてではなく、1人で来た。花を置いて、長いこと手を合わせていた。すえさんが「あんた誰ね」と聞いて、朝さんは名乗った。すえさんは何も言わずに、湯呑みを1つ増やした。次の年も、あの人は来た。
物置の茶箱は、今もそこにある。鍵はかかっていない。去年の夏、潮見さんが自分で外した。帳面は年の順に並べ直されている。天気と風向きと取れた量。最後の1冊まで、変わらない。ひさ子さんの家の玄関の長靴は、去年の秋に片付けられた。代わりに、小さな鉢が置いてある。「もう13年ですからね」そう言って笑う笑い方が、潮見さんと同じだった。
私は新しい事業を始めなかった。変えたのは、注文の取り方だけだ。「今月はこの魚が出ます」ではなく「何が出るか分かりません」と先に書いて売る。返品が減り、足りない月によそから買うこともなくなった。年江さんには「そんなん売れるんかね」と言われた。売れた。月に120箱が、180箱になった。せつ子さんは「地味な仕事するね」と言って笑った。会社の売上の中では、小数点の下だ。それでも、取れない月に無理をしなくていい理由が、1つ増えた。
5月15日、第三潮見丸が港へ戻ってきた。新しいエンジンの音は、思っていたより低かった。岸壁に人が集まって、誰も拍手をしなかった。みんな黙って、船が着くのを見ていた。それがこの港のやり方らしい。潮見さんが船の上から私を呼んだ。「乗ってみる? 」
「船酔いしそう」
「雑用でも何でもするんじゃなかったの」
「それと船酔いは別」
源二さんが笑った。住江さんも笑った。私が乗ったのは、その次の休みの日だ。舳先に立って、港口の外まで出て、それでやっぱり酔った。戻ってきた私に、潮見さんが黙って水を持ってきた。「最初はみんなそうですよ」と、去年の秋に言った人だ。この港の人は、できないことを笑わない。できないと言った人を、放っておかないだけだ。
姉は、潮見さんの作業着と軽トラックを見て、貧乏だと決めつけた。私は、そんな潮見さんと一緒に働ければいいと思った。3000万円を払える人だったから、幸せになれたわけではない。もし4月にあの人が名刺を出していたら、私はきっとあの町へ通わなかった。私が一緒に行きたいと思った人が、たまたま誰より仕事と仲間を大切にする漁師だっただけだ。
ちなみに、姉の会社との契約は、「条件が合わなかったため」にお断りした。その一文は、せつ子さんが断りの文書に書いたものだ。書き上げてから、せつ子さんは老眼鏡を上げて、こう言った。「『丁重に』って入れといたよ。うちは礼儀のある会社じゃけね」
今年も、3月が来る。港に花を置いて、湯呑みを人数分出して、それから、私は伝票の続きをやる。そういう1年を、これからも重ねていきたいと思っている。


