あの寒い夜、玄関のチャイムが鳴った瞬間、私はまさかあの人が来るなんて思ってもみなかった。ドアスコープを覗いた途端、全身の血が凍りつくのが分かった。そこに立っていたのは、かつて私を散々いびり倒し、離婚に追い込んだ元義母だった。コートも着ずに震えながら、彼女は「千円でいいの。お金を貸して」と震える声で言った。あれほどプライドが高く、私を「あなたは私の娘じゃない」とまで言い放った人が、なぜこんな姿…

あの寒い夜、玄関のチャイムが鳴った瞬間、私はまさかあの人が来るなんて思ってもみなかった。ドアスコープを覗いた途端、全身の血が凍りつくのが分かった。そこに立っていたのは、かつて私を散々いびり倒し、離婚に追い込んだ元義母だった。コートも着ずに震えながら、彼女は「千円でいいの。お金を貸して」と震える声で言った。あれほどプライドが高く、私を「あなたは私の娘じゃない」とまで言い放った人が、なぜこんな姿...

千円。いや、五百円でもいいの。お金を貸して。貸せません。自分の行いが帰ってきたと思って、お引き取りください。私はピシャリと言い放った。それでも義母の朝美さんは玄関から動こうとしない。よく見れば、服装が随分変わっていた。ところどころ毛玉のできたセーターに、色あせたシャツとスカート。私と同居していた頃には考えられない姿だった。

どうしたものかと母を見ると、母は困ったように眉を下げていた。こんな寒い夜に放り出すのは気が引けるが、私だって彼女に散々いびられてきたのだ。ここで助ける義理はない。そう思って声をかけようとした瞬間、朝美さんが床に膝をついた。

まさかと思った次の瞬間、彼女は私たちに向かって土下座をした。あんなにプライドの高い人が、ここまでするなんて。本当に追い詰められているのだろう。なお子さんに、本当にひどいことをしたわ。反省してる。どうか許して。涙混じりの声が、かえって私の心を凍りつかせていく。私が謝っても、あなたは昔、薄笑いを浮かけるだけだったじゃない。もう本当に帰ってください。怒りを出さないように、あくまで冷静に話す。拳が震えるのを理性で抑えながら、私はここに至るまでの経緯を思い返していた。

私は今、母と二人暮らしだ。三年前に離婚して実家に帰ってきた。半年前から地元の会社で事務職をしており、平穏な毎日を送っている。離婚の原因は、義母・朝美さんからの嫁いびりと、夫の浮気だった。朝美さんは顔合わせの時から、私のことを疎ましく思っていた。「あなたは私の娘でも何でもないから、私のことは名前で呼んで」と言われたほどだ。それでも私は元夫の大輔を愛していた。大輔と一緒にいられるなら、何だって乗り越えられる。そう思っていた私が甘かった。

夫と朝美さんと三人で暮らし始めてから、毎日が嫌味の連続だった。「ちょっとなお子さん、ちっとも掃除できてないじゃない」「女性が外で働くなんて考えられないわ」「口応えするの?いつだって出て行ってくれていいのよ」朝美さんはいつもそう言って話を切り上げた。そして大輔は、私が助けを求めても、決してかばってはくれなかった。母親との関係を悪くしたくないのだろうと、最初は仕方ないと思っていた。しかし一枚のレシートが、そんな希望を打ち砕いた。そこには、浮気相手と見られる女性向けの下着と化粧品が記載されていた。かばってくれなかった理由は、外に女がいるからだと、そこでようやく気づいた。

心が完全に折れた私は、証拠を集めて大輔と離婚した。慰謝料は大輔ではなく朝美さんが出した。亡くなった義父の資産がたっぷりあったから、ポンと出すくらい何でもなかったのだろう。私は手切れ金のようなお金を受け取り、実家に戻った。風の噂では、大輔は当時の浮気相手と結婚し、朝美さんも喜んで迎えたらしい。でも私にはもう関係のない話だ。あの一族と会うこともないんだから。

十二月に入ったばかりの寒い夜。母とヒーターをつけていると、チャイムが鳴った。宅配の最終便はとっくに終わっている。無視しようとすると、またチャイムが鳴った。玄関のドアスコープを覗いた途端、「あ」という声が出た。そこにはコートも着ずに立つ朝美さんの姿があったのだ。母も覗き込み、考えるように口元に手を当てた。それから私を守るように前に立ち、ドアを開けた。

朝美さんは、ポツポツと話し始めた。大輔は浮気相手の最子と結婚し、三人で暮らしていた。最初は良かったものの、最子が家計の全てを仕切るようになり、朝美さんにお金を渡さなくなった。「同居してやっているのだから」という理由で年金まで取り上げられたらしい。大輔も最子にのめり込み、一緒になって朝美さんを邪魔者扱いするようになった。最子が妊娠すると、さらに暴走が激しくなった。家事は一切せず、腰を悪くした朝美さんに「使えないんだから家くらいやってよ」とこき使った。訴えても、大輔も最子も笑うだけだった。そして今日、最子の機嫌が悪いという理由で、スマホも取り上げられ、外に放り出された。嫁いびりが原因で近所からも距離を置かれ、頼れる相手もいない。雪の降る中を、隣町にある私たちの家まで歩いてきたのだという。

なお子さん、本当にごめんなさい。お金を貸して。五百円でもいいの。私が断っても、彼女は動かない。どうしようかと母を見ると、母は困ったように眉を下げていた。だからこそ迷ったが、私は彼女に助けられる義理はない。そう思って声をかけようとした瞬間、朝美さんは土下座をした。あのプライドの高い人が、そこまでするなんて。

私はそれでも首を振った。謝っていただいても、お金を貸す理由にはなりません。もう帰ってください。すると朝美さんも諦めたのか、立ち上がって背を向けた。内心ほっとした次の瞬間、隣で黙っていた母が動いた。

しばらくうちにいてください。行くところなんてないんでしょ。

私も朝美さんも、目を丸くして母を見た。冗談を言っているようには見えない。母は、私が結婚中にされてきたことや、離婚直後に消沈しきっていた姿を知っているはずなのに、どうして。朝美さんは涙を流しながら母に頭を下げたが、私は少しも納得できなかった。

朝美さんは一週間、うちにいることになった。その間、私は兄夫婦の家から仕事に通った。家に帰って朝美さんがいると考えるだけで、息が苦しくなってしまったからだ。兄に「お母さんが何を考えているのか分からない」とこぼすと、兄はビールを飲みながら言った。「じいちゃんって住職だろ。だからじゃないか」「何それ、関係あるの?」「お寺って、迷い人や苦しんでる人が来るだろ。そういうのを小さい頃から見てたら、助けなきゃって思うんじゃないかな」

あっという間に一週間が経った。家に帰ると、朝美さんはもういなかった。母曰く、この一週間でだいぶ元気になり、生活のリハビリをしながら福祉施設に相談し、一人暮らしの見通しがついたらしい。その後、ホテルの清掃員のパートを始めたと報告があった。ごめんね、なお。辛い思いさせて。うん。あの人が自立できたならよかった。別に不幸になって欲しかったわけじゃないし。そう言うと、母は楽しそうに私の好きなミートソースパスタを作ってくれた。これで一安心だなと、肩の荷が降りた気持ちだった。

三ヶ月後、事件は起きた。帰宅途中、大輔が待ち伏せしていた。最子が借金を残して出ていってしまったらしい。お腹の子も大輔の子供ではなく、若い男との間の子だった。会社の金を横領してまで最子に貢いでいた大輔は解雇され、今は住む家もない状況らしい。「なあ、俺、困ってんだよ。助けてくれよ。俺ら夫婦だろ」その言葉で、私はピンと来た。大輔は金を無心するために、わざと私を待ち伏せしていたのだ。無視して逃げようとすると、大輔が急に私の腕を掴んだ。怖くて目をつぶった瞬間、どこからか「パシン」と音がした。恐る恐る目を開けると、そこには怒りに震える朝美さんの姿があった。

大輔、あんたって愚か。恥を知りなさい。な、なんで母さんがここに?そんなことはどうでもいい。なお子さんに今すぐ謝るの。大輔は反論しようとしたが、周囲に人が集まってきており、逃げられないと悟ったのか、渋々その場で膝をつき、頭を下げた。朝美さんも大輔の横で土下座する。予想外の展開に目を白黒させていると、母が駆け寄ってきた。朝美さんは立ち上がり、私と母をまっすぐ見つめた。その目は以前よりも澄んでいて、彼女が変わったのだと理解するには十分だった。

来月、引っ越すことになったんです。兄がやっている農場で、住み込みで働くことになりました。そうなの?わざわざ言いに来てくれたんですか?はい。本当にお世話になりました。良かったじゃん、母さん。あんたも農場で働くのよ。借金は兄さんが立て替えてくれるそうだから、あんたも精一杯働いて返しなさい。朝美さんはそう言うと、夕日の中を行ってしまった。

さらに数ヶ月後、朝美さんから野菜と手紙が届いた。手紙には、借金を返すため、朝美さんと大輔が額に汗して働いていること、母と過ごした一週間で教わった早起きや運動習慣、野菜中心の料理のレシピが役立っていることが書かれていた。大輔は一度だけ逃げ出そうとしたが、すぐに見つかり、迎えに来た朝美さんにこってり絞られてからは諦めたらしい。野菜を分けていると、母がぽつりと言った。「なお子に謝る前にお金の話をしてきたら、追い返そうと思ってたのよ」「え、でも朝美さんは先に謝った」「だからこの人はまだやり直せるって思ったの」母が朝美さんを迎え入れた時は信じられなかったけれど、今は母を誇らしく思う。誰かを簡単に切り捨てるのではなく、救い、正しい道へ導く。そんなことをあっさりやってのける母は、本当にすごい人だ。私もおじいちゃんのお寺で修行すればよかったな。そうしたら、朝美さんにもっと優しくできたかもしれない。だめよ。おじいちゃんはなお子に甘々だから。それに最近は、野良猫ポーズなんて呼ばれてるのよ。野良猫ポーズ?母の笑い声に釣られて、私も笑った。

そもそも、私が朝美さんと激しく対立するようになったのは、大輔が事故に遭ってからだった。あの日、休日に散歩していた大輔に、居眠り運転の車が突っ込んだ。命に別状はなかったが、脊髄を損傷し、下半身が麻痺してしまった。リハビリを受けても、再び歩ける可能性はほぼないと言われた。大輔が足を動かせなくなったことを一番受け入れられなかったのは、大輔ではなく彼の母親だった。「大輔がこんな目にあったのは、なお子さんのせいでしょ。あなたがしっかり夫を見ていないから」病院で、義母は私をなじり続けた。大輔が「なお子は悪くない。悪いのは車だろう」と止めても、義母は耳を貸さなかった。

大輔は入院生活を送り、私は仕事と病院の往復に追われる日々を送っていた。そんな中、義母が頻繁に私たちの家に訪れるようになった。「大輔が家にいないからって、家事を手抜きしてはだめよ」そう言って、理不尽に掃除を強要された。そして毎日のように晩御飯を作るよう言われ、私はあるレシピを参考に料理を作った。しかし義母はそれを口にしては「こんなまずいもの食べられないわよ」と吐き出し、ゴミ箱に放り込むのだ。それが毎日続いた。

ついに限界が来た日、義母が料理を捨てようとした瞬間、私は皿を奪い返した。「まずいって言ったこと、訂正してください」義母は嘲笑し、皿を叩き落とした。「こんな家畜の餌みたいなものを息子に食べさせていたから、大輔はあんな目にあったんだわ」その言葉に、私は何かが崩れ去るのを感じ、泣き出してしまった。義母は私の涙を見ても、態度を変えなかった。私は最低限の荷物だけ持って、泣きながら家を出た。向かった先は、大輔の入院する病院だった。

病室で大輔に事情を説明すると、彼は深く頭を下げた。「ごめん、なお子。そんなことになっていたとは知らずに」そして、「俺の母さんのせいでなお子が泣いているのに、黙ってられないだろう」と優しく言ってくれた。少し落ち着いた私は、義母に料理をことごとく否定されていたことを話した。すると大輔は考え込んだ後、突然顔を上げた。「家に母さんがいると面倒だから、今日はホテルにでも泊まっておいで。明日の昼過ぎにまた来てくれ」その言葉に従い、私はホテルに泊まった。

翌日、病室を訪れると、そこには義母がいた。彼女は私を見るなり、「なんであんたがここにいるのよ」と怒鳴った。「もう関わるなって言ったわよね。あんなゴミみたいな料理を息子に食べさせていた嫁なんて」そこで大輔が口を開いた。「違うんだ、母さん。なお子の作った料理、あれは俺が書いたレシピなんだ」その一言に、義母は凍りついた。大輔は続ける。「母さんがなお子をいびっていたこと、知ってた。なお子から何度も相談されてたんだ。どうすれば母さんと仲良くなれるかって。」結婚したての頃、私は義母との関係に悩み、大輔に相談していた。大輔は「俺のレシピがあるから、それを見て作ってみて。母さんの好みの料理を教えるから」と言ってくれた。だから私は、大輔の書いたレシピ通りに料理を作っていたのだ。義母に何度も吐き出されて捨てられるのは、大輔の愛情を否定されているようで、黙って見ていられなかった。

「俺、料理家になりたかったんだよね。父さんみたいな料理家に」大輔は、自分が料理家になりたいという夢を、長年口にできなかった。離婚した父のことを思うと、母を傷つけることになるのではないかと心配したからだ。義母はその言葉に、崩れるようにその場に座り込んだ。愛情たっぷりに書かれたレシピを、まずいと言って捨てていたこと。私への嫌がらせのつもりが、結果的に息子の愛情を否定してしまっていたこと。義母の気持ちを思うと、やるせなかった。

「母さんは、俺のことが心配なんだよね。だから全部の悪いことをなお子のせいで起きたように言うんだろ。なお子は何も悪くないの、分かってるだろ」義母は嗚咽しながら言った。「だってそう思わないと辛いのよ。なお子さんのせいで大輔が不幸になったら、私…」「母さん、俺は不幸にならないよ。なお子が隣にいてくれる限り」大輔がぎゅっと私の肩を抱く。「いい加減、なお子のことを俺の妻だと認めてくれよ。俺は父さんみたいな夫にはならないよ。だからもう、なお子を傷つけて俺を守ろうとするのはやめてくれ」

そうか。義母はずっと、私から大輔を守ろうとしていたのか。私からすれば理不尽だった態度も、義母にとっては息子を守るための行動だったのだと分かった。私は義母と目線を合わせるようにしゃがみ、右手を差し出した。「お母さん、私、お母さんと仲良くしたいんです。至らない嫁ですけど、大輔さんの料理を『美味しいね』って一緒に食べたいんです。大輔さんのこと、必ず幸せにします。私のことを信じてください」義母は驚愕に目を見開いた後、顔をくしゃくしゃにして泣き出した。「私もなお子さんと仲直りしたい。あなたの料理なんて、なかったわ。でも、どうしても大輔をあなたに任せるのが不安だったの。ひどいことたくさん言って、ごめんなさい」義母は大輔にも頭を下げた。「大輔もごめんなさい。私に遠慮して夢を諦めていたなんて、気づかなかった。息子の夢なら何だって応援するし、なお子さんとの生活も応援しているわ」

その日以来、私たち夫婦と義母は胸の内を打ち明け合い、仲良く過ごせるようになった。大輔は退院後、車椅子での生活になったけれど、悪いことばかりではなかった。なぜなら今、私は夫とその子供と共にキッチンに立っているからだ。大輔は子供と一緒に料理をすることを何より喜び、その腕をさらに上達させていった。そして、彼がネットに投稿したレシピが評判を呼び、車椅子の料理家として有名になった。ずっと叶えたいと思っていた夢が、とうとう実現したのだ。苦難を乗り越えてなお輝く大輔を、私も義母もずっと支えていきたいと思う。

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