夫に感謝することは、ただ一つだけ。結婚して義母に会えたこと、それだけだった。私にとって義母は理想の女性だった。優しくて、賢くて、どんな時も笑顔を絶やさない人。対する義父は、夫の容一と私が暮らす賃貸マンションに現れては、言いたい放題怒鳴りつけてくる最低の男だった。自尊心が高くて、亭主関白の考えが強い。まだ孫はできないのか。どうせお前の体が原因なんだろうが。嫁としての責務はきちんと果たせ。岐阜からの孫の催促は厳しく、日々ダメ嫁となじられていた私。夫は見て見ぬふりで、後から「嫁の言いなりになるのかって親父がうるさいんだよ」と、自分勝手な言い訳をするだけだった。そんな夫を尻目に、「子供は授かりものですよ」と守ってくれたのは義母だった。
「お前の教育が悪いから、一人しかいないお前を真似てこんな役立たずになったんだ」と義父に責められても、「大丈夫よ」と笑う強い人。義母だけは幸せになってほしい。そう願っていたのに。
ある日、義母は脳梗塞で倒れ、左の腕と足にしびれが残ってしまった。私はヘルパーさんに依頼してみてはと提案したが、義父の返事は冷たいものだった。
「そんなことすれば、俺が春江を厄介扱いしてると思われるだろう。それにあいつにかける無駄金はない。かわいそうに思うなら、嫁であるお前が世話してやればいい」
言い捨てる義父を呆然と見送り、ふと夫と目が合うと、
「親父もああ言ってることだし、俺も手伝うから、かな子が仕事をやめてお袋の世話に専念してくれよ」
と困った顔で頼まれた。自分の親なのに、手伝うだなんて。あんまりにも無責任で、最初から嫁の私を当てにした発言だった。でも、お母さんに辛い思いをさせるのだけは、絶対に嫌だった。仕事の引き継ぎを終え、会社を退職し、義実家と自宅を往復する日々が始まった。
私が何かするたびに、「ありがとう」と口にする義母は、義父が私を完全に火夫婦扱いするのを心苦しく感じているようだった。
「こんなまずい飯が食えるか。犬の餌の方がまだましだな」と食事を捨てられ、郵便物がポストに溜まっているのを見ると、「郵便物の管理は嫁の仕事だ。こんなになるまで放置するとは、だらしのない嫁だ」と呼びつけ説教してくる。コンサルタント会社を起業し、外を飛び回っている夫は、勤務時間が不規則なことを理由に「仕事が忙しいんだよ。泊まりの仕事だってあるし、口出しするな」と義母のことは完全無視。介護しながらも、義母と過ごす時間だけが私の唯一安らげる時間だった。いろんなことを話したと思う。義母の生い立ちや着物の慣れ染め、結婚生活の苦労など。
「私たち、似たもの同士ね」
そう言って、秘密の話も打ち明けてくれた。私はその時、義母が優しいだけでなく、賢くて強い人だとも思い知ったのだ。
元々体の弱かった義母は、介護生活が始まって一年後、息を引き取った。お葬式が終わり、四十九日には義母の遺言執行者である弁護士が訪れ、義母の実家の人々も現れた。夫はコンサル業務の一環で知識があるのか、「どうして相続と関係のない祖父や叔父が来てるんだ」と軽んじていたが、弁護士は全て義母の意向だと説明し、遺言書と共にテープの公開を行うと宣言した。
カチリと再生ボタンが押され、義母の第一声に懐かしさで涙が溢れる。しかし、続く言葉に私はぎょっと目を見開いた。
「私の遺産に関してですが、全て息子の妻、かな子さんにお任せしたい。それが私の正直な気持ちです」
嘘。どうして。驚く私の気持ちをどこかで見透かしていたのか、義母の声は続く。なぜ本来の相続人である義父や夫への遺産相続を拒むのか、その理由を語っていく。
「私が半身麻痺に陥り、日常生活に支障が出た時、夫はヘルパーに支払う金さえ無駄だと、必死に頼んでくれたかな子さんの思いを無駄にしたわ。私を火夫婦のようにこき使うばかりの義父。手伝うといった約束さえ果たさず、私の様子さえ見に来ない夫。自分の介護だけでなく、そんな二人を相手にさせて本当に申し訳なかった」
涙声になる義母。
「こんな地獄からかな子さんを解放しないとダメ。でも、彼女と過ごす時間が幸せで、惜しくなった私は、結局彼女を手放せなかった。ごめんなさい」
謝る義母の声でテープは止まった。私は涙が溢れて止まらなかった。すっと白いハンカチを差し出され、見上げれば義母の妹さんがいて、「ありがとうね」と泣き笑いの表情を浮かべている。何か言おうと口を開いた時、ガシャンという音と共に義父の怒声が響いた。
「この最低野郎が!」
振り向くと、義母のお兄さんが義父に馬乗りになり、その胸ぐらを掴んでいた。うちの家族とは違い、義母の実家は家族思いの優しい人ばかりだと義母から聞いていた。義母のお母様は亡くなっているが、お父様はお元気で、「どうして助けを求めてこなかったんだ」と無念に涙している。
私もお父様と同じ疑問を抱き、生前義母に訪ねたことがあった。
「もう私は竹と突いたの。皆にそんなに簡単に実家を頼ったら、資産家の娘として恥ずかしいでしょ」
ポカンとする私に、義母は続けた。
「でもね、今から思えば、今まで我慢してきてよかったと思うことがあるの。かな子さん、あなたに会えたことよ」
そう言って笑っていた義母。
「違うんです。私はただ嫁である彼女に一任すると言っただけで、嫁への発言もただの躾であって」
義父の古臭い言い訳が飛び込んできて、耳障りな騒音に義母の思い出が汚されたように感じた。濡れた頬もそのままに、私は立ち上がった。
「お母さんはいつも私をかばってくれました。体を悪くする前もその後も。『まずい』と投げ捨てられた食事を、『こっちの手は動くから』って一緒に拾って片付けてくれた。お父さんには、一言だってお母さんの言葉を否定されたくありません」
それ以上は、また涙が込み上げて言葉にならなかった。
「悲劇のヒロインぶっているが、本当は最初からお袋の財産狙いだったんじゃないか」
と夫がせせら笑う。
「親父、知ってるか? 財産には遺留分ってのがあるんだぜ。いくらお袋がかな子に全財産を譲りたくても、二分の一は俺たち二人の取り分になるんだ」
夫の自信満々な言葉に、すっかり安心した様子の義父。
「皆さん、遺言テープはまだ残っております。席にお戻りください」
遠慮がちな弁護士の声かけに、場は仕切り直しとなった。私には確信があった。義母の残したサプライズは、これだけではないはずだ。次のテープの第一声は、私の予想通りだった。
「さて、本来ならば先にお伝えするべきでしたが、実は私、夫の剛とは離婚しております」
義母の離婚。この切り札をここで出した義母の賢さに、私は続々とした。聞いていた人たちは驚きにざわつき、義父は目が飛び出そうなほど見開いている。義母は、夫が遺留分を指摘すると予想し、遺贈だけでも法的に関係を断つべく、離婚の手順を踏んだと説明した。
「離婚だと? そんなことあるはずがない。一体いつ」
私は一通の封筒を手渡した。
「離婚受理通知です。お母さんに頼まれて、私が代理で提出しました」
「な、なんだ?」
胸ぐらを掴まれそうになったが、義母のお兄さんが守ってくれた。
「離婚届は、お父さんが以前お母さんに突きつけたものですよ。『体の弱い女を嫁にした夫に恩返しもせず、実家の兄たちに世話になる図々しさがあるなら、これを使って離婚すればいい』とおっしゃいましたね」
捺印済みの離婚届は、私が嫁に来る前に渡されたものらしい。義父は義兄に並々ならぬ嫉妬心があったが、資産家の義兄にはどうしたって敵わないし、義父が経営する店に融資も受けているから逆らえない。妹である義母に辛く当たることで、そのちっぽけなプライドを満足させていたのだ。
「郵便ポストの管理は嫁だと叱られましたので、その通知も私がしっかり管理しておりました。ご報告しようと思ったんですが、話しかけようとしたら『うるさい』と怒鳴られたので、言いつけ通り黙っていました」
「そ、そんな言い訳があるか」
顔を真っ赤にして怒られたが、義母の実家の人々には「よくやった」と褒められた。
グッと歯を食い縛った義父は、「よ、容一。これもなんとかなるんだろうな」と夫にすがりついたが、「かわいそうだが、どうにもならないな」と呆れたように笑われただけだった。義父の相続分がなくなった。今、夫が遺留分を請求すれば、義母の財産の半分は夫のものだと主張できる。
「そ、そんな」
力なくその場に崩れ落ちる義父。遺言テープの残りを聞いたが、夫への取り分をなくす手段は思いつかなかったのだろう。「義母の実家の人々へ、くれぐれも私を頼む」とだけ告げ、テープの再生は止まる。
「お預かりした実質遺言書にも、同様の内容が記載されております」
弁護士は最後にそう付け加えた。
その後、義父は住んでいた家を追い出された。元々、義母が結婚前に父親から譲られた資産であり、自分の死後迷惑をかけないよう、義母のお兄さんへ名義変更もしてあったので、義父の入り込む余地など少しもない。困り果てた挙げ句、夫の住むマンションに転がり込んだらしい。“らしい”というのも、私は夫と離婚し、暮らしていたマンションを出ていたからだ。元々離婚するつもりだったけど、遺言テープが嫁いびりの証拠となり、世間体を気にする夫だったから、慰謝料も請求通り振り込まれ、無事離婚は成立した。
義父の経営する料理店への融資は当然打ち切られ、金を立てるため朝から晩まで走り回っているらしい。無理がたたったのか、元夫から義父が倒れたと連絡が入ったのは、私が家を出てからわずか三ヶ月のことだった。義母と同じ脳梗塞を発症し、下半身麻痺が残ったらしい。元夫が図々しくも義父の介護を頼んできたが、「ヘルパーを頼めばいい」と助言すると、
「バカか。そんなところに入れたら、世間が悪いだろ。俺の実の親だぞ。元嫁として思いやりはないのかよ」
と逆切れされた。むかついたので、
「そうね。思いやりなんて一ミリもない。実の親なら、他人を当てにせず自分で見ればいい」
そう言い捨てて、ガチャリと切ってやった。
嫁の私には感謝の言葉など一切なかった義父。息子相手ならどうなるだろうと思っていたら、一週間もしないうちに元夫から電話があった。結局ヘルパーを頼んだらしいが、何をしてもケチをつけ、怒鳴ってくる義父に皆逃げ出したらしい。施設に入れると言えば、「元夫にも厄介物扱いする気か」と怒鳴り散らし、物を投げてくる。困りきった声で元夫はすがってきたが、相手にせず通話を切った。その後、元夫からの連絡がうるさかったので、電話番号の変更を行った。もっと早くしておけばよかったと後悔するほどだ。
そして、復職し、静かな日常を楽しんでいた私へ、元夫の近況を教えてくれたのは義母の妹さんだった。元夫は、義母の実家へも義父の介護の件で頼みがあると押しかけたようだ。赤の他人である義父の世話を頼む図々しさに呆れ、義母の世話を一切しなかったことへの恨みもあったのだろう。義母のお父さんもお兄さんも、「結局自分のことしか考えていない最低男だ」と元夫に完全に見切りをつけ、絶縁状を叩きつけた。元夫のコンサルタント会社の顧客はお兄さんの紹介が大半だったらしく、契約の打ち切りが相次ぎ、義母の遺産をつぎ込んでも到底資金繰りには足りず、結局会社は倒産。親子ともども借りていたマンションも家賃が払えず滞納して追い出されたと聞く。ヘルパーを呼ぶお金もなく、義父の怒声を聞きながら、安アパートでの侘しい生活をしているのだろう。
「いつか、二人をギャフンと言わせたい」と笑っていた義母。「私の思い通りになったでしょ」と、いたずらっぽく微笑む姿が目に浮かんだ。



