ある日の午後、私は旅館の受付で帳簿を確認していた。すると入口で掃除をしていたはずの従業員の女性が、妙に硬い声で私を呼んだ。顔を上げると、彼女の表情は真っ青で、何か問題が起きたことは一目で分かった。
「私が対応するから、あなたは他のところをお願いね」
早口で指示を出し、私は旅館の入口へ向かった。玄関には派手な柄のスーツに金のネックレス、だらしなく開いたシャツから入れ墨が見える、いかにもヤクザといった風体の男たちが五人立っていた。その中のリーダー格らしい男が、私を見て一歩前に出てくる。
「おお、ここの女将はてめえか。年の割にはまあまあ綺麗じゃねえか。俺はさっき掃除してた若い女の方が好みだけどな」
「ご用件でございますか。本日はご予約をいただいておりますでしょうか」
私は営業スマイルを崩さず、冷静な態度で尋ねた。
「ああ、ようやく来たか。そんなもんしてねえよ。でも部屋は開いてるんだろ。サイトを見ると、今日は予約なしで泊まれるって書いてあるぜ」
男は眉をひそめ、スマートフォンを取り出して私に見せてきた。
「本日は確かに部屋のご用意はございますが――失礼ですが、暴力団関係者の方々でいらっしゃいますか?」
私が慎重に言葉を選びながら尋ねると、男たちは一瞬顔を見合わせた後、リーダー格の男が不敵な笑みを浮かべた。
「ああ、見て分かるだろ?俺たちは林田組のヤクザで、俺は若頭の和田だ」
「林田組の和田様でございますか。大変申し訳ございませんが、当館では暴力団関係者の方々のご宿泊はお断りしております。今日のところはお引き取りください」
私は深く頭を下げてそう伝えた。すると和田が声を荒げる。
「なんだと?職業差別ってやつじゃねえか。ヤクザだからダメってのか。そもそもこの旅館のサイトにはそんなこと書いてなかっただろうが」
「旅館のサイトにもその記載はございます。分かりにくいということでしたら申し訳ございません。ですが、これは当館の方針でございますので、ご理解いただけますと幸いです。もし一般のお客様として再度お越しいただける場合は、適切な服装でいらしてください」
「ああ?適切な服装って何だよ。ドレスかスーツでも着て来いって言うのか」
和田の声が大きくなり、後ろにいた男たちも騒ぎ始めて旅館へと上がり込んでくる。ロビーやラウンジにはチェックインを待つ客たちがおり、何事かとこちらをチラチラと見ている。
「お客様に不快な思いをさせるような行為は、どうかお控えください」
私が落ち着いた声で警告すると、和田はあからさまに嫌そうな表情を浮かべた。
「ふざけんな。俺たちだってここにいる時点で客だろ。それなのに職業で判断して帰れって言われて、不快な思いをしてるのはこっちなんだよ」
そこへ、予約をしているらしい年配の夫婦が入口に現れた。和田はその夫婦を見るや否や、にたりと笑って老夫婦の肩を軽く叩いた。
「おい、今日泊まるのか?あんたら、この旅館の料理はどうだい?うまいのか?それよりも、ヤクザは入れてもらえないらしいぜ。ひどい話だと思わねえかなあ」
突然話しかけられた夫婦は驚き、困惑と怯えの入り混じった表情を浮かべながら、足早に入口を通り過ぎて館内へ入っていった。
これ以上話しても彼らは帰らないだろうと悟り、私は強く拳を握りしめた。
「他のお客様にお声をかけるのはおやめください。先ほども申し上げた通り、当館は暴力団関係者の方はお断りさせていただいております。どうしてもという場合は、せめて適切な服装で一般人として来館してください。それに従えないというのであれば、申し訳ありませんが当館のお客様として扱うことはできかねますので、どうぞお帰りください」
私は内心の怒りを抑えながら、はっきりとした口調で和田の目を見て告げた。
「そう言われて素直に帰るかよ。宿泊目的だけで来てねえんだよ。止まるのはおまけみたいなもんなんだよ」
「他の目的でいらしたということですか。どういうことでしょうか」
夫の組でもないヤクザが、宿泊以外に用事があるなんて全く検討がつかない。ましてや、事情を知らない従業員や客の目の前で何か言われてしまってはたまったものではない。私がどうしたらいいか言葉を失って黙っていると、和田は突然怒鳴り始めた。
「何をとぼけてんだよ。ああ?誰に断って商売しとんじゃ。クソが」
私はその言葉に驚いて目を見開いた。和田は私のそんな姿を見て、強い言葉で怒鳴れば言うことを聞くと思ったのだろう。他の四人の男たちも同調して声を荒げ、他の客たちに凄み始める。客たちは悲鳴を上げて怯え、従業員たちも心配そうにこちらを見ているが、恐怖心からか誰も助けに入ることはできずにいた。
「お待ちください。こちらとしては心当たりが全くございません。一体何のご用事でいらっしゃったのですか」
これ以上は営業に支障を来たしてしまうと思い、仕方なく目的を尋ねると、和田はこちらを見て薄ら笑いを浮かべた。
「この辺りは林田組のシマなんだよ。もちろんこの旅館も例外じゃねえ。シマで営業するには、もちろんみかじめ料ってやつを払うのが筋だろ」
「みかじめ料ですか。そのような違法な要求にはお答えできません。そもそもここが林田組のシマというのも初耳ですが」
「ああ、ヤクザに盾突こうっていうのか。てめえや従業員たちがひどい目に会うのはもちろん、大事な大事なお客様たちにも迷惑かけることになるぞ。あるいは旅館の評判がガタ落ちして、経営が立ち行かなくなるかもしれねえな」
和田の脅しに、従業員と客たちは皆一様に青い顔で引きつった表情になる。私は怒りで唇を噛みしめ、大きなため息をついた。これ以上話していても平行線で、私が何を言っても彼らが帰ることはないだろう。
私は覚悟を決めると、女将として作っていた表情を崩し、厳しい視線を和田に送った。
「みかじめ料を支払って欲しいなら、組長をここに呼び出しなさい」
「ああ?何言い出すんだ、てめえ」
和田は私の変わりように困惑するも、強気な視線は崩さずに睨みつけてくる。しかし私はそんな程度では全く動じなかった。
「組長と直接話をつけたいって言ってるんだよ。それとも、あんたらは若い衆だから組長を呼んでも来てくれないって言うのかしら」
私が煽るように鼻で笑うと、和田は怒りで見るみる顔が赤くなっていく。
「ふざけやがって。いいぜ、今から呼んでやるが、後で後悔して泣いたって知らねえぞ」
和田はすぐさま組事務所へスマートフォンで電話をかけ始めた。それから五分ほどして、組長が黒塗りの車に乗って現れた。
組長は旅館に入った瞬間、私の顔を見るや否や、はっとした顔をすると素早い動きで土下座をした。
「お嬢、ご無沙汰しております」
「桜井、あれから十五年か。随分と出世したようじゃない。小僧の頃は随分目をかけてやったのに、ばったり連絡してこなくなって」
「そ、それは……その、組を立ち上げてから忙しかったもので」
和田たちは私たちのやり取りを呆然としたまま見つめている。元々、組長が強く出て私が素直に金を払うと思っていたのだろう。
「まあいいわ。それよりも、林田組はシマを取りているの?」
「ああ、それは……まさか、そんなことあるわけないじゃないですか」
私の問いかけに、明らかに動揺した様子の組長は乾いた笑い声をあげる。
「あら、おかしいわね。そこにいるあんたの部下たちが、林田組のシマのみかじめを払えって旅館に来たんだけど」
私が目を細めてわざとらしく問いかけると、組長は顔を上げて目を見開いた。
「まさか……この磯崎組のシマで、みかじめ料を取れと指示してたのかしら」
「そんな指示は断じて出しておりません」
「え、組長がみかじめ料を取れって言ったんでしょ。俺が聞き間違えたんですか」
「俺のような弱小の組事務所が、格上の磯崎組のシマに手を出すほど愚かではありませんよ」
組長は和田の言葉を遮るように強く大きな声で否定し、また額を床に擦りつけた。
「今回の件は本当にご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。今後はこんなことがないように気をつけると誓いますので、どうか今回はご容赦ください」
「まあいいだろう。だけど多めに見てやるのは今回だけだよ」
これ以上騒ぎにしても仕方がないと思い、私はため息をついて頷いた。
「ありがとうございます。お前ら、すぐに帰るぞ」
組長は立ち上がり、服についていた砂を軽く叩くと、未だに不機嫌そうにしている和田たちに声をかけ、そのまま店から出ていった。
姿が見えなくなったところで、私は本当に和田たちが納得したのか少し不安になり、後を追いかけた。すると駐車場の付近で、彼らは何かしら話し合っていた。私は組長や和田たちからは見えないような位置に隠れて、様子を伺うことにした。
「みかじめ料を取れと言ったのは組長じゃないですか。あんなババアの言いなりになって、何なんですか」
「いいから、あの店だけには絶対に手を出すな。それと、あの件をババアなんて言葉で今後一切口にするんじゃねえぞ」
「……城、分かってなかったようで。組長になめられても、全く理解できないっていう顔をしてるな」
「磯崎組と何か繋がりでもあるんですか」
「これは他言無用だぞ。あの旅館はな、昔俺が世話になった磯崎組の組長の奥さんがやってるんだよ」
「じゃあ、あの女将は磯崎組の……」
「そういうこった。あの人自身はシマを張ってるわけじゃないが、昔から下手なヤクザより肝が座っててな。これで分かっただろう。下手に手を出せば、林田組は磯崎組に潰されちまうんだよ」
「……分かりました」
和田たちは未だ不機嫌そうではあったが、一応納得したらしく組長に頭を下げた。組長はそれを見ると車に乗り込んだ。私はそこまで見届け、もう大丈夫だろうと思って旅館に戻り、従業員や客のフォローをして仕事に戻った。
しかし翌日、宿泊客の全員がチェックアウトを済ませた頃、諦めたはずの和田たちが再び旅館へと訪れてきた。従業員から報告を受けてロビーへ向かうと、和田たちはソファーに座ってふんぞり返っていた。
「昨日は世話になったな」
「もうこの旅館には手を出さないと、昨日誓ったはずなんですが」
「あれは組としての話だろ。今日は俺たちが個人的にみかじめ料を請求しに来たんだよ」
「個人的に?」
あまりにも浅はかな理由に、私は言葉を失った。
「ああ、そうだ。組長に命令されたわけでもねえってわけだ。ヤクザの妻なら分かるだろ。より多くの上納金を収めないといけねえんだよ。これだけ儲かってる店があって、みかじめ料取らない方がおかしいだろう。ここは林田組のシマじゃないんだから、組は関係ねえだろ」
「それなら、シマとかいう理由もないだろう」
「だから、個人的にって言ってるんだよ。三量五百万をすぐ寄越せ」
ここまで考えなしの奴らだとは思わず、私は呆れながら深くため息をついた。そう言われて素直に支払うわけがない。
「そうかよ。ならやっちまえ、お前ら」
私がはっきり断ると、和田は男たちに声をかけた。すると男たちは威勢よく返事をすると、入口に飾ってあった壺や壁にかかった絵画を手に取っては床に叩きつけ、ロビーのソファーを引き倒すなど、好き放題に暴れ始めた。ガラスが割れる音や木が折れる音が館内に響き渡る。
「何するの!」
私が声をあげると、和田は私をせせら笑った。
「何って?払えないなら営業できなくするだけだろ。これじゃあもう営業は今日はできねえな。ようやく今日は満室だったみたいなのに、残念だぜ。五百万払えば今すぐやめてやるよ」
従業員たちは突然の暴力に怯え切ってしまっている。
「分かったわ。五百万支払うから、もうやめてちょうだい」
私は屈することはしたくなかったが、これ以上旅館の中をボロボロにされるわけにはいかなかったので、仕方なく要求を飲むことにした。
「やっとその気になったか。おい、お前らやめろ」
和田の声に、館内を荒らしていた男たちは皆手を止めた。
「支払うけど、五百万なんて大金は今ここにはないわ。明日までに用意するから、明日の朝取りに来てちょうだい」
本当は金庫に五百万入っていたが、このまま素直に金を渡すのは癪だったので私は嘘をついた。
「そうか。どうせ今日は営業もできないだろうしな。いいだろう。明日までは待ってやれよ。また明日の朝来るから、しっかり用意しとけよ」
和田はぐちゃぐちゃになった館内を見ると小さく頷いて、男たちを連れて素直に旅館を後にした。私はどうにかこの場をやり過ごせたことに息をつくと、心配する従業員たちに大丈夫だと伝え、夫のところへ電話をかけた。
話を聞いた夫は、すぐに私の旅館へと駆けつけてくれた。
「めちゃくちゃじゃねえか」
夫は館内の様子を見て立ち尽くしていた。この旅館を開業する時、彼は私と一緒にロビーやラウンジの装飾を選ぶのを手伝ってくれていたので、彼にとってもこの光景は衝撃的だったのだろう。
「それで、林田組のヤクザにやられたって言ってたが、詳しく何があったか教えてくれ」
私は夫の言葉に強く頷き、昨日の出来事から全て伝えた。黙って私の話を聞いていた夫は、最後の方になると怒りで顔が赤くなっていった。
「なるほどな。俺の大事な妻の店をこんな風にした上に、磯崎組のシマで好き勝手してると。到底許すわけにはいかねえな。咲子、ここからは俺に任せとけ」
夫は軽く拳を鳴らしながら目を細めた。
「ありがとう。今から林田組に行くの?」
「ああ、今すぐ乗り込んで終わらせてくる」
「私も一緒について行くわ。大事な旅館をめちゃめちゃにされて、黙ってあんたに任せて待ってるなんて、ヤクザの妻としても旅館を守る女将としても格好悪くてできないわ」
私がそう言って強く微笑むと、夫は驚いて目を丸くした後、小さく笑った。
「分かったよ。その方がいいな。俺は咲子のそういう強いところに惚れたんだよ」
「じゃあ、行きましょうか」
私は従業員たちにできる限りの店の片付けをするように指示して、夫と共に林田組の事務所へと向かうのだった。
林田組事務所へ到着すると、予備動作などもせずに夫は扉を乱暴に開けて中に入る。すると事務所の中には組長と組員たちがおり、何やら談笑している最中だった。組長は夫の姿を見ると、慌てて立ち上がり深く頭を下げた。周囲にいる組員たちも組長の姿を見て習うように頭を下げる。
「ああ、瀬戸組長。お久しぶりです。お嬢も本当に申し訳ありませんでした」
「久しぶりだな、桜井。今日はなんで俺がここに来たか分かるか」
夫は冷たい声で組長へと近づき、彼を睨みつけた。組長は頭を上げると、困惑しながら視線を泳がせた。
「何とは……あの昨日のみかじめ料のことじゃないんでしょうか。それは昨日お嬢にもきちんと謝罪をしましたし、もう二度と近づかないと誓ったのですが」
「昨日それだけじゃねえだろ。今日もだろ。おい、和田はどこだ」
夫は鋭い声で組員の顔を一人ずつ見ながら問いかけた。
「今日もですか?おい、和田。どういうことだ」
組長は何も知らなかったようで、寝耳に水といった表情で和田を見た。
「てめえが和田か。俺の妻の旅館をめちゃめちゃにして脅し、みかじめ五百万を要求したそうじゃねえか。暴れた上に五百万もか」
夫はその視線で和田を認識すると、彼を睨みつけた。
「え?ああ、何のことですかね。俺はそんなことしてませんよ」
和田は必死に首を左右に振ると、同意を求めるように隣にいた組員の一人に声をかけた。彼は先ほど私の旅館に来て大暴れした組員の一人だったが、和田よりも小心者な性格のせいか、分かりやすいほど動揺しており、ガタガタと震えて声が出せないようだった。
「おい、ちゃんと正直に答えねえか」
組長に睨まれて震えていた組員の体がびくっと跳ね、聞き取れるか聞き取れないかギリギリの小さな声で謝罪し始めた。夫はその姿を見て、和田の胸ぐらを掴み睨みつける。
「どうやらお仲間は認めたみてだぜ。それとも、実際痛い目を見ないと言えないのか?」
「ああ……お、俺たちがやりました」
夫の凄みに耐えきれなくなった和田は、焦って本当のことを認めた。
「野郎。なんでそんなことをしたんだ。昨日あれだけ手を出すなと言っただろう」
組長の怒鳴り声に和田はぐっと黙り込み俯いた。夫は締め上げるように和田の胸ぐらを掴む手に力を込めた。
「素直に答えろよ」
「あ、はい。あの……上納金を多く入れれば早く幹部になれると思って。でも、普通のシノギじゃなかなか稼げなくて。組長が組として手を出すなって言うから、個人的に回収すればいいかと……」
和田が言い訳をしている最中、夫は苛立った様子で投げ捨てるように彼を床に叩きつけた。
「てめえらがそんなに聞き分けのねえ奴だとは思いもしなかった。瀬戸町して、王城。昨日に引き続き今日まで、本当にすみませんでした」
「謝るだけなら子供にだってできる。昨日は妻が客が多くいる手前、それで許したかもしれねえが、今回はそれで手打ちってわけにはいかねえな。林田組の組長として、どう責任を取るつもりだ」
夫は倒れた和田を冷めた目で見下ろしながら言った。和田はそんな夫に恐怖し、顔を青くして助けを求めるように組長を見ている。
「分かりました。では、こいつらは俺の組から全員破門にしますので、そちらの好きなようにしていただくというのはどうでしょうか」
「組長、破門だけは!破門だけは勘弁してください!あの、組長、奥さん、本当にこの度は申し訳ありませんでした。どうかお許しください」
組長の破門という言葉に動揺した和田とその仲間たちは、すぐさま全員夫と私の足元で土下座をした。
「咲子、どう思う?」
夫は土下座する和田たちを見下ろしたまま私に尋ねる。私は少し考えた。
「正直、昨日のこともあるから、心から謝罪してるように私には見えないわね」
「そうか。桜井、お前はどう思う?」
「そうですね。元々調子のいい奴らではあるので、謝ってるふりの可能性もありますね」
頼みの組長にまで見放されたと、和田は顔を上げて絶望的な表情をしていた。もしかしたら組長と夫が知り合いだったことから、謝ればとりあえず軽く済むかもしれないという甘い考えを持っていたのかもしれない。だが、私の夫はそんなことで手心を加えるような人ではない。
「桜井までそうだと言うなら、そうなんだろうな。おい、桜井、こいつらを少し痛めつけろ。そうしたら少しは反省するだろう」
「そんな!本当に反省してます!組長、お願いします!」
和田たちは組長に視線を向け必死に懇願するも、組長はため息をついて、諦めろとでも言うように小さく首を振った。
「おい、てめえらやれ」
無慈悲な組長の指示に、他の組員たちは逆らうこともせずに和田たちを殴り始めた。鈍い音と、殴られるたびに苦しそうなうめき声が聞こえ続ける。しばらくして夫が止めるよう言った時には、和田たちは息も絶え絶えな様子で床に倒れていた。
「うああ……本当にもう申し訳ありません……」
ボロボロの姿のまま謝罪の言葉を口にする和田たちを見て、夫は満足したようで彼らのそばにしゃがみ込んだ。そして和田の髪の毛を掴むと、顔を無理やり上げさせた。
「やっと反省したようだな。さて、本題だが。てめえらのせいでしばらく旅館は休業せざるを得ない。旅館の修繕費とその損失金として、一億円支払ってもらおうか」
「い、いえ、一億円ですか?そんな払えません。せめて分割にしてもらえませんか」
「ああ?五百万はすぐ支払えと言っていただろうが。今すぐ支払わないと、てめえらの命で償ってもらうことになるぜ」
「え、あ、払います!払います!金貸し呼びます!」
夫に脅されて喉が引きつるような短い悲鳴をあげた和田は、すぐさまスマートフォンを取り出して金貸しに電話をかけ始めた。そして三十分もしないうちに現れた金貸しから一億を借りて、私たちに支払いを済ませた。和田たちはそのままどこかへと連れて行かれてしまうのだった。
その後、和田たちは組長の話によると、借金返済のためにマグロ漁船に乗せられることとなったそうだ。酔いと寒さの中で過酷な労働を強いられることとなった彼らは、命がけの慣れない仕事に怒鳴られ続けながら働き続け、みかじめ料を軽い気持ちで取ろうとしたことを心から後悔しているらしい。
私はといえば、夫が回収してくれた一億円で旅館を修繕し、営業を再開することができた。けれど私には心配していることがあった。ずっと隠し続けていたヤクザの妻であることが、今回の騒動で従業員全員にバレてしまったので、辞職したいという人も出るのではないかということだ。
覚悟はしていたが、意外にも誰も辞めなかった。それどころか「ヤクザが来てもこれから安心だ」と笑いながら、みんな仕事を続けたいと言ってくれた。私はいい従業員に恵まれたことを感謝しつつ、これからもこの旅館をもっと盛り立てていこうと心に誓ったのだった。



