沙希、綺麗な着物がよく似合う人だった。最初の挨拶を交わした後、彼女は俺の顔を何度もチラチラと見つめてくるのに、口を開こうとはしなかった。俺の方から着物のことを褒めてみても、ありがとう、と小さく返ってくるだけだ。これはどう考えても、形式的なお見合いで、向こうは断るつもりなのだろうと思った。俺の両親の生活が少しでも楽になればと思って来たのに、やはりそう簡単にはいかない。俺は内心でため息をつきながら、会話を続けるのを諦めかけていた。
その時、彼女の父親である社長が突然、相性が良さそうでよかった、と笑いながら言ったのだ。「佐藤君、うちの娘だが、末永くよろしく頼んだよ」と。俺は耳を疑い、慌てて隣に座っていた浩司さんの顔を見た。浩司さんもポカンとしている。すると、今までキョロキョロしていたしおりさんが、今度はじっと俺の顔を見つめてきた。大きな目に長いまつ毛。俺が戸惑っていると、彼女はそっと俺の手を握り、俺にしか聞こえないような小さな声で言った。
「諦めないでよかった。やっと、やっと会えた」
その言葉の意味が、その時はまったく分からなかった。だが、俺がこのお見合いを受けた目的は一つだけだ。両親に恩返しをするため。それなら、彼女が誰であれ、俺が我慢すればいい。これまでと何も変わらない。そう思うと、不思議と肩の力が抜けた。
数日後、俺としおりさんは同棲を始めることになった。彼女の父親が用意したタワーマンションの一室。俺の給料ではとても手の届かない場所だ。実家を出る日、ゆき子さんと浩司さんは泣きながら送り出してくれた。「しっかり恩返しするから」と伝えて、俺は家を後にした。
新しい家の玄関を開けると、エプロンをつけたしおりさんが「お帰りなさい」と駆け寄ってきた。奥のキッチンからは焦げた匂いが漂い始めている。「あ、お魚」と彼女は慌てて戻っていく。新居は早々に焦げ臭い香りに包まれた。俺は思わず笑ってしまった。魚を焼きそこねた彼女が、しょんぼりと肩を落としている。俺は代わりにキッチンに立ち、焦げを落としながら魚をほぐしていった。
「その話、聞いていい? 」としおりさんが満面の笑顔で尋ねてくる。俺は少し迷ったが、昔のことを話し始めた。中学二年で実の両親を事故で失い、親戚の中でたらい回しにされて、最終的にゆき子さんと浩司さんに引き取られたこと。もらった小遣いで魚を買って焼いて、見事に焦がしてしまったこと。豆腐屋から焦げた魚の匂いがして、二人が飛んでくるまでが、ありありと蘇る。その日の晩御飯は、焦げた魚をほぐしたものがおかずになった。
「うん、美味しい」
しおりさんがほぐし身を箸で取りながら、笑顔で言った。それはあの日、ゆき子さんと浩司さんが俺に向けてくれた笑顔と、まるで同じだった。
それからの日々は、俺にとって何ともむず痒いものだった。朝は「行ってらっしゃい」と見送られ、昼には夕食は何がいいかとメールが来る。家に帰れば、いい香りと共に彼女が玄関まで迎えに来てくれる。俺はこの生活に明るい気持ちは一切持っていなかったはずなのに、しおりさんとの生活は、いつの間にか俺の曇った心を少しずつ晴らしていっていた。
だが、それは長くは続かなかった。彼女が帰宅するのが、忽然と遅くなったのだ。ほぼ深夜。彼女は社長秘書をしているが、この話が決まった時に、残業はないと聞かされていた。「仕事が今忙しいの」と彼女は言う。やはり、全てが面倒になったのだろうか。俺の心はまた、ざらつき始めていた。
その日はさらに運が悪かった。朝から和田さんが絡んできた。新人の頃にやらかした取引先への資料作成を、よりにもよって今日中に押し付けられたのだ。明らかな嫌がらせに、閉じ込めたはずの悔しさが込み上げてきた。それでも仕事はしなければならない。俺は昼食も抜いて無心で仕事を終わらせ、定時で職場を後にした。帰り道、何もかもに腹が立っていた。和田さん、しおりさん、両親に対する複雑な感情が一気に吹き出しそうだった。
家のドアに鍵を乱暴に刺すと、なぜか鍵は開いていた。不審者の可能性も考え、そっと玄関を開けると、家の中からはいい香りが漂ってきた。数日前と同じように、しおりさんがエプロン姿のまま笑顔で駆け寄ってくる。「お帰りなさい。よかった、間に合って」。俺は無言で彼女が持った鞄を手で払いのけ、靴も脱がずにキッチンへ向かった。彼女は「サトさん、何があったの? 落ち着いて」と追いかけてくる。
「もう、こんな生活終わりにしましょう」
俺はキッチン台に拳を叩きつけた。響いた音に、はっと冷静になる。そばで作られていた味噌汁が、振動で少しこぼれた。しおりさんは下を向いている。罪悪感が押し寄せてきたが、今の俺に彼女に声をかける権利はないと痛感した。だが、ふとこぼれた味噌汁を目にした時、俺は愕然とした。
「この味噌汁、なんで? 」
「うん。お豆腐と若芽とお揚げが入ってるの。サトさんの家の味だと思って」
しおりさんの口から出た言葉は、俺の想像の遥か外側だった。俺の実家、最寄豆腐店の味噌汁。それは、いつの間にか市販の豆腐に変わっていた。なのに、彼女はこの味を知っている。俺が頭を抱えていると、彼女は作り直した味噌汁と、俺の見慣れた料理をいくつかテーブルに並べた。
「サトさん、召し上がれ」
食べ飽きた味。もう食べることがないと思っていた味。そして、どちらも大好きな味だった。俺の目からは、自然と涙が溢れていった。しおりさんは黙って、ティッシュで俺の涙を拭いてくれた。
「サトさんを驚かせたくて、変にごまかしたりしたから。本当は仕事じゃなくて、さ木さんのところへ、仕事帰りに行っていたの。サトさんの好きなものを教えてもらいたくて。喜んでもらうつもりだったのに、本当にごめんなさい」
俺は椅子から立ち上がり、しおりさんをソファーへ移動させた。俺の方こそ、何も聞かずに八つ当たりしてしまった。自分が情けなかった。
「しおりさん、俺のためにありがとう。俺の方こそすみません。何も聞かず、いろんなストレスをぶつけるような真似をしてしまった」
「いいえ。私こそ、サトさんを驚かせたくて、変にごまかしたりしてごめんなさい」
「しおりさん、あの味噌汁、俺の母親のレシピですよね。ゆき子さんも知らないはずなのに、どうして」
しおりさんは本棚から一冊のノートを持ってきてくれた。はるか昔に見覚えのある字。それは、俺の実の母がゆき子さんに渡したというレシピノートだった。ゆき子さんは、俺が実の母親の味を思い出して悲しくならないように、このレシピの料理を一度も作らなかったのだという。俺はそれを知って、長い間心に閉じ込めていたものを、ようやく開け放つことができた。
俺はしばらく泣き続けた。しおりさんは黙って、その背中を優しく撫でてくれていた。気がつけば、俺は彼女を抱きしめていた。そして、今まで誰にも言えなかった胸の内を、彼女に話し始めていた。大学を出て、和田さんに学歴や家庭環境を馬鹿にされたこと。窓際に追いやられて、言われた仕事しかできない現在に至ること。もう諦めたはずなのに、やはり悔しいということ。
「自分勝手な人間だよ、俺は」
「そんなことない」
しおりさんは、被せるように言った。そして、自分自身の過去を話してくれた。社長令嬢であることに寄ってくる人は多くても、影で嫌みを言われ、中身を見てくれる人はいなかったこと。学生の頃、人を信用しないと決めたこと。ある夜、何も言わず家を飛び出した時、繁華街で男たちに絡まれて、もうどうでもいいと思ったこと。そして、その男たちを次々に倒してくれた、大きな袋を持った学ランの男の子の話。
「彼は、ぶんぶんと男を揺らしながら言ったの。『てめえらがこんなとこでくだらねえことしてっから、配達の豆腐に当たっただろうが』って。街灯でようやくはっきり見えたその人は、持っていた袋に『最寄豆腐店』って書いてあったわ。それで、二人きりになった後、彼は袋の中の、形が崩れた豆腐を私にくれたの。『霊はいらないから証拠隠滅を手伝ってくれ。この豆腐、形は崩れてるがうまいからさっさと帰って家で食え』って。そう言って、大急ぎで帰って行ったわ」
「まさか、その日、浩司さんに喧嘩を説教された日か」
俺はずっと不思議だった。あの日、俺は喧嘩をしたことや豆腐を配達していたことを、どうして浩司さんに知られてしまったのか。日数を間違えて帰ったのに、なぜバレたのか。それは、しおりさんの父親から電話があったからだったのだ。
「私ね、あの日から少し変わったの。どんな理由があったのかは分からなかったけど、あの人は初めて会った私を助けてくれた。何も知らないただの人間を、あの人は助けてくれたんだって。あの出会いが、私をずっと支えてくれていたの。探そうとは思わなかったわ。もし運命があるなら、今度は胸を張って会いたいって思ってた。でもパパがさ木さんと会うって聞いた時、あの日の気持ちに戻ってしまった。会いたい。あの人に会いたいって」
「それで、俺に会いに来たんですか」
「パパは私に甘いから、さ木さんに話して、お見合いをセッティングしてくれたの。きっとサトさんは驚いたよね。私も、まさか同棲まで進むなんて思ってなかったけど。いつか終わってしまうとしても、全力であなたのパートナーになりたかった」
「終わるって、何なんですか?

」
俺は、彼女の腕を自分へ引き寄せていた。しおりさんは、顔を赤らめながらも、まっすぐに俺を見つめて言った。
「さ木さんはね、サトさんには自分の人生を思いっきり生きて欲しいって言ってたそうよ。サトさんは本当に優秀な息子だから、何でもできるはずだって。さ木さんご夫婦のサトさんへの思いと、パパの私への思い。それが、あのお見合いの真実なの。私は十分すぎる思い出をサトさんからもらったわ。次はサトさんの番。サトさんなら、必ず現状を打開できるわ。私も影で応援してる。大丈夫。私のヒーローは最強なんだから」
「俺の願いは、俺がヒーローの彼女を手放さないってことだ。しおりさんを離したくないっていう願いは、しおりさんにしか叶えられない」
俺がそう言うと、しおりさんは真っ赤な顔で、俺の方へ両手を伸ばしてきた。彼女の答えを聞く前に、俺はそっと彼女を抱きしめていた。
翌日、俺はいつも通り資料作成をしていた。何も考えず、淡々とこなすだけの仕事のはずだったのに、なぜか気持ちは前を向いていた。しおりさんの言葉が心に刻まれている。すると、突然肩を叩かれた。主任だ。「ちょっと第一会議室までいいか? 」という。嫌な予感がしたが、会議室へ向かった。すると主任は、俺の両肩を掴んで、跳ねるような声で言った。「いやあ、最近よくやってくれたよ」。
先日の大型スーパーへの営業。和田さんが担当先だったが、難航していて、俺が資料を依頼されたあの件だ。主任によると、契約は無事成立し、向こうの上の人が「分析の佐藤君とはどういう人なのか」と問い合わせてきたのだという。「内容がとても素晴らしいと。細かいリサーチ内容と実績と比較して、逃す方がもったいないと、まんまと関心してしまったよってさ」。
主任は申し訳なさそうに、こうも言った。「すまんな、最近。君の仕事ぶり、能力の高さはよく分かっていたんだ。他の者たちもな。だが、和田さんに目をつけられている君の肩を持つということは、自身の立場を危うくする。つまり、俺はこの部署での見せしめだったのだ」。
主任が何か言おうとした時、スマホが鳴り、オフィスへ戻ることになった。すると、主任が俺を呼び戻し、みんなの前で発表を始めた。
「この大型スーパー契約の件だが、さっき先方から連絡があってな、売り場拡大が決定した。あちらさんが、佐藤の資料の出来に信頼を置いてくれたんだ。な、佐藤に拍手」
遠慮がちだったみんなも、大きな拍手を送ってくれた。ただ一人、こちらを睨んでいた和田さんに、主任は言った。「和田君、もちろん君の営業もよくやってくれた。今回はちゃんと分析を済ませてたそうじゃないか。それで佐藤の頑張りが認められたんだからな」と。和田さんは、明らかに居心地が悪そうだった。
その日から、少しずつ俺の環境は変わった。みんな和田さんに気を使いながらも、タイミングを見て俺の元へ来る人が増えたのだ。しおりさんが言ってくれた「打開できる」ということに、少し近づけたかもしれない。そして、その日のことを早く帰ってしおりさんに伝えたいと、日々強く思うようになっていた。
二週間後、土曜日。俺としおりさんは、お見合い以来の外食をすることにした。俺がかなり背伸びして予約した、高級なレストランだ。しおりさんは朝から服の準備に忙しい。俺はそんな彼女を眺めつつ、決意を固めていた。
この日、俺はしおりさんに改めてプロポーズするつもりだった。もう、この関係が形だけで終わるものだとは思っていなかった。俺は彼女と歩んでいきたい。大切な家族になりたいと、心から思っている。
だが、店に着くと、一番会いたくない人間が現れた。和田さんだ。「おい、佐藤君、もしかしてデート? マジかよ。この店も質が落ちたな」と、彼は半笑いで近づいてきた。俺は気分が悪く、店を出ることも考えたが、それよりも先に和田さんがしおりさんに話しかけた。
「失礼、お嬢さん。どんな関係かは知らないけどね。こいつと一緒に食事だなんて、自分の価値を下げますよ。知らないのかな? この男、大学も出てなくて、高卒でようやく入れた会社でも窓際社員。お嬢さんは、見たところ俺と同じ上流階級だ。忠告はしておきますよ」
しおりさんは、小悪魔のような笑顔で俺に耳打ちした。「あの人でしょ?
会社の嫌な感じの人。私も苦手。これでサトさんの気持ちに共感できるわね」。その笑顔に、和田さんの振る舞いなど吹き飛んでしまった。だが、すぐそばでそれを見ていた和田さんには、それが面白くなかったようだ。
メインディッシュが来た時、ソムリエが俺たちの席へやってきて、和田様からワインの差し入れがあると告げた。メニュー表は、俺の前にはイタリア語のものが置かれた。和田さんの嫌がらせだ。だが、これは俺にとってチャンスだった。俺は流暢なイタリア語でソムリエとワイン談議を始めた。伊、仏、英語は独学で勉強していたのだ。ワインは近くの酒屋でよく話を聞いていた。
俺は、和田さんの両親らしき人々が座る席へ赴き、「和田さんにはいつもお世話になっております。先ほどもワインをご馳走くださいまして、私からもワインを送らせていただきました。是非、ご子息にお任せしてみてください。説明もちゃんとしてくれるでしょう。営業のエースなんですから」と、にこやかに伝えた。そして、小声で和田さんに言った。「ソムリエには、彼もイタリア語の方が話しやすいと伝えておきましたので。もちろん、メニュー表もです」と。和田さんの顔から血の気が引いていくのが分かった。
間もなく、店員がイタリア語で話すソムリエと共にワインを運んできた。イタリア語が分からない和田さんは、親の手前、たじたじになる。両親は不審に思い、追及し始めた。俺への嫌がらせを知った父親は、周りのことも忘れて怒鳴り続け、支配人が来る事態にまでなった。父親は俺に謝罪し、和田さんを引きずりながら店を出て行った。泣きそうになりながら引っ張られる和田さんの姿に、周囲からはクスクスと笑い声も漏れていた。
「やりすぎたかな? 」
「全然、スカッとしたよ。それより、サトさんってイタリア語できるの? 」
「ああ、現地には行ったことはないけどね。読み書きや会話は、独学で勉強できるからさ。ワインは近くの酒屋でよく話を聞いてたんだ」
「話を聞いてただけで、あんなにプロと話せるものなの? しかもイタリア語で。やっぱり格好いいよ。サトさんは、私にとってずっとずっと格好いい人だわ」
しおりさんはそう言いながら、じっと俺を見つめている。俺はドギマギしてしまったが、今日の最重要案件を思い出した。深呼吸を二回ほどし、彼女を見た。
「俺たちの始まりは、少し変わったものだったのかもしれない。君を傷つけた。でも、毎日俺を迎えてくれる、笑いかけてくれるしおりさんの顔を、いつまでもそばで見ていたいんだ。俺と、結婚してください」
指輪を差し出すと、しおりさんの目はどんどん潤んでいき、涙が溢れてきた。「はい」と、泣きながらも満面の笑顔で答えてくれた。左手の薬指に指輪をはめたと同時に、店内に拍手が湧き上がった。先ほどの一件で、俺たちも注目を浴びていたらしい。意図せず公開プロポーズになってしまった俺たちは、二人とも両手で顔を覆ってしまった。
週明けの月曜日、出社するとなぜか和田さんが噂の的になっていた。レストランで親に怒鳴られ、泣きながら「パパ、ママ、ごめんなさい」と謝る和田さんの姿が、動画に撮られて広まっていたのだ。今までのふんぞり返りが嘘のように、大恥をかいている。上司からは営業に出るなと言われ、さらに当てつけのように、以前俺に行ってきたような強引な営業スタイルが社として問題視され、どんどん追いやられていた。俺は、その和田さんの後を引き継ぐ形で、再び営業中心の業務に戻ることができた。
そして週末、俺としおりは、ゆき子さん、浩司さん、そしてしおりの両親を交えた結婚前の顔合わせをしていた。俺は皆の前で、手紙を読み上げることにしていた。
「ゆき子さん、浩司さん。二人は覚えているでしょうか。二人の元に来て、何も問題を起こさなかった俺が、一時期、荒れ出したこと。俺も、今まで理由は忘れていたけど、思い出しました。それは、俺は一人なんだと気がついたからです。両親もいなくて、血の濃いつながりが自分にはないんだと感じた時、俺は自分の必要性を感じなくなりました。でも、家出ができるほどの度胸もない俺は、恩返しをするという生きる意味を自分に付けたんです。就職も、お見合いも、恩返しのためだなんて。俺を引き取ってからずっと、二人はいつでも俺と真剣に向き合ってくれたのに。他の家族と何も変わらない。思いっきり褒めてくれて、思いっきり怒って、俺を息子として育ててくれたのに」
「そんな情けない俺を、全てを認めてくれたのはしおりさんです。俺自身の未来を諦めなくていいと言ってくれました。俺は、しおりさんと家族になりたいと思っています。ありがとう、ゆき子さん。浩司さん。二人が俺に教えてくれたこと。今なら分かるよ。俺も、家族ってうまくできるかな。母さん、父さん」
そう言った途端、ゆき子さんが俺の方へ来て、思いっきり抱きついた。「当たり前だよ。うちの息子はこんなにも優しくていい子なんだから。しおりさん、サトのこと、よろしくね」。しおりは泣きながら何度も頷いていた。浩司さんは手で目を拭い、しおりの父に肩を叩かれていた。
しおりの父が、ぽつりと話し始めた。「元々は、娘を幸せにしたい親の暴走だったのかもしれん。見合いのことも、最初は反対されていたんだ。それを、娘の人間不信を直してやりたいと言って、無理やり話を通した。サト君には、悪いことをしたと思っていたよ。しおりにもね。本当に、二人が幸せになってくれて嬉しい」。
言い終わらないうちに、しおりの父は泣き出してしまった。その姿を見て、俺としおりは思わず笑ってしまった。俺は改めて思った。ここにいる全員が、俺の家族なんだ。血の繋がりがある人は誰もいない。だけど、誰よりも愛しく、守りたいと心の底から思った。すると、しおりが俺の頬を撫でてきた。「サトさん、泣いてるの?
」。
「やっと、やっと、お父さんとお母さんに感謝できそうなんだ。落ち込むといつも思っていた。俺だけなんで置いていってしまったんだって。何年もずっと、恨みばかり募らせていたよ。でも、やっと言える。ありがとうって」。
「私も、会いに行っていいかな。直接会えなくても、家族だもん」
俺たちは改めて手を握り合い、笑い合い、奥の棚に飾られた写真を見つめた。そこには、若い頃の父と母に抱かれた、赤ん坊の頃の俺の姿があった。これから、きっとこの写真の横に、たくさんの家族写真が並んでいくのだろう。


