呼んでない人が来ちゃった——。その嘲笑を帯びた言葉に、私は小さく息を呑んだ。今日は息子の嫁の出産祝いである。玄関先に立つ嫁は、祝いの席にふさわしくないほど冷ややかな笑みを浮かべていた。。
磨き抜かれた床、テーブルに並ぶ高級シャンパン、そして漂う上品な空気——。私はすでに、息子の唯⼀から出産祝いへの参加を拒絶されていた。うんと母さんは他人だから来ないでくれ——。どうやら相手方の家族は、私を部外者と呼び、家族の一員として認めてはいないらしい。うんと孫の姿すら見せたくないようだ。。
それでも私は井で家に足を運んだ。お祝いを口実に、母として・家族としての自分を終わらせるために——。。義両親は私をまるで学級役員のように嘲笑し、息子はその隣で何も言わなかった。。あまりにしつこくすると警察を呼ぶという声が響き、私は静かに頭を下げて踵を返した。。背後で井で一族の笑い声が聞こえる。。だが、これでいいのかもしれない。。これで心置きなく職務に戻れる——。。
私は黒木子、四十八歳、国税局査察部の主任統括官である。数字の裏に人間の欲を見続けてきた男だ。だが、そんな私でも、息子の唯⼀の心だけは理解できずにいる——。。
唯⼀は大学を出ても定職に就かず、アルバイトを転々としていただある日、彼はビジネス系ユーチューバーである井で強しの動画に憧れたらしいである俺、この人みたいに自由に輝いていきたい——と口にしたである息子に勧められ、私もその動画を見てみたが、彼の言う自由とは、努力ではなく、容量の良さで得る贅沢な暮らしにほかならなかったであるこんな動画の中の薄っぺらい人間に憧れるなんて——。。
しかしその後、私の不安をよそに、唯⼀は井で強のセミナーに参加し始めるであるそして彼と面識を持ち、熱心に井で氏の元に出入りするようになったであるさらに彼の動画にも時々出演するようにもなるである数ヶ月後、なんと唯⼀はその井で強の妹・彩佳との結婚を報告してきたである相手の実家は、豪奢な邸宅を構え、父の幸介は不動産会社アーバンライフホールディングスの社長だったである。え、お相手の実家はあのアーバンライフホールディングスですって——その社名を聞いた瞬間、私の背筋が凍りついたであるアーバンライフホールディングスは、彩佳を後方の顔に起用し、地域貢献や納税優良企業をうたうPR動画で、社会的にクリーンな模範企業として認知されていただだが、それは表向きの顔であり、裏では黒い噂が流れているであるそして、私がまさに脱税の最終調査を進めている企業の名でもあったであるよりによって——である息子の幸せを願う母としての気持ちと、法の番人としての使命が、私の胸の中で激しく衝突したであるしかし、息子の幸せを邪魔することはできないであるそして自分の職務の内容を明かすこともできない——私はただ苦しむしかなかったである。後日、挨拶のために私は井で家に初めて足を踏み入れたである白い御影石の玄関、壁には中庭、廊下には沈黙の香りが漂うである初めまして、お邪魔しますである私は唯⼀の母で、宮子と申しますである玄関先で出迎えてくれたのは、社長の井で幸介とその妻、そして娘の彩佳だったであるまあ、唯⼀さんのお母様、初めましてである幸介が笑みを浮かべて頭を下げただお母様は公務員とお聞きしましたが——はい、そうですである正直、自分の仕事については詳しく話したくないであるそんなことを考えていると、幸介が尋ねただ地方の方で——であるその瞬間、私は彼らが私を地方公務員と誤解していることを悟ったであるまあ、そんなところですである私は否定せず、ごまかすように返事をするであるほう、ほう、そうでしたかであるいや、公務員というお仕事もなかなか大変そうですよね、真面目さが問われると言いますか——であるなぜか薄笑いを浮かべながら幸介は言ったである大手術は資格職業なイメージですね、私のような自由な人間にはとても真似できないお仕事ですなあ——であるどう捉えればいいのか分からないようなことを言いながら、幸介は笑うであるだが、その言葉は、社長として自由に働いて稼ぐ自分を暗に自慢し、公務員として堅く働いているであろう私を見下しているように感じられたである。
その後、結婚の準備が進む中で、私は手伝うふりをしながら、井で家の本性を見極めようと観察を続けたであるその中で何度も思ったである——井で家の人間は、外からどう見られるかを異常なほど気にしているわね——である息子は、あの表面上華やかな一族の中で、本当に幸せになれるのか——私は頭を悩ませたである何があったのか分からないが、唯⼀は井で強や彩佳と行動を共にするようになってから、母である私に対して距離を置くようになるであるそしてある時、私はこんな文句を言われてしまったである井で家の両親が、母さんは真面目っていて硬くて話しづらいと言ってたであるちょっとは考えてくれよなであるまあ、そうだったの、それは悪かったわね——である結婚の挨拶の際に幸介が言っていた言葉が引っかかっていたが、そういうことなのだろうであるどうやら最初から、私の印象は良くなかったようだである実は私も、結婚の準備を進める中で、井で家の人間とは相性が悪いと思っていたが、向こうも同じ考えだったらしいであるしかし、縁あって家族になるのだから、そこは寄り添うべきなのではないだろうかである——さらに息子は続けたである母さんの考え方は古いんだよ、硬すぎるである今はアクセに働くよりも、自らが輝いて、その様子を見てもらう時代なんだからであるどうも息子は、井で家の考えに染まってしまったようだである彼の口から出た言葉が、より私を不安にさせたである確かに動画の中の彼らは輝いて見えるかもしれないであるだが、その裏で何が行われているのか、動画の前の人には分からないのだである息子がその幻想に引かれていく姿を、私はただ見守るしかなかったである
やがて彩佳が妊娠するである井で家は祝福ムードだであるもちろん、私にとっても初孫であるであるあの子も、お父さんになるのね——である複雑な気持ちを抱えながらも、私は孫の誕生を心待ちにしていたである時は流れ、季節は移り変わるである査察部の査察は佳境を迎えていたである私の指揮するチームは、アーバンライフホールディングスの複雑な資金の流れを徹底的に洗い出していたである脱税額は数億円規模、空の子会社、海外送金、裏座——その間に、彩佳のお腹はどんどん大きくなっていくである数ヶ月後、ついに嫁の彩佳が無事に女の子——キラリを出産したであるまあ、生まれたのね、それは良かったである子供の誕生はおめでたいことだであるそして私も一人の人間であるである息子の子供をこの手に抱きたい——私はそう思いを馳せたであるしかし仕事が忙しく、生まれた孫に会えないまま、私は日々を過ごしたである
そして、決定的な証拠が固まり、強制捜索の日が最終決定されるである——それは、彩佳の出産祝いの日だったであるよりによって、こんな日に——である夜、デスクの上に置かれた捜索資料に目を通しながら、私はふと写真立てに目を向けたであるそこには、まだ小学生だった頃の唯⼀と、若き日の自分が写っているであるごめんね、あなたの家族をであるでも、これも仕事なのよ——である私はやるせない気持ちで写真を眺めたである
翌朝、唯⼀から電話があったであるどうしたの、唯⼀である母さん、明日なんだけどさである何やら唯⼀は口ごもっているである明日の、彩佳さんの出産祝いのことであるその日は、彩佳の娘キラリの出産祝いが井で家で開催されるのだであるその件だろうと思い、私は訪ねるであるしかし、息子は私にこう言ったであるその、来なくていいからである突然、私は息子から拒絶されてしまったであるなぜ、私はあなたの子供を見るのを楽しみにしていたのに——であるうん、ほら、出産祝いは向こうの家の集まりだからさ——である電話の向こうで固まる私に、息子は続けるである母さんは、向こうの家に受け入れられていないんだよね、やっぱ華やかな井で家とは毛色が違うっていうか、まあ他人だから仕方ないよなであるそんな他人の母さんは来ないでくれよなである息子の声は淡々としていたである井で家に合わせて、私を切り捨てたのだであるそう、分かったわ——であるそして通話が切れたであるだが、私は井で家へ行くことを決めたである——皇師を断ち切るための、最後の儀式としてである
門前に立ち、玄関のベルを押すと、彩佳が現れたである本日の主役である彩佳は、派手なワンピースに、子育て中だというのに指先まで完璧にネイルが施されているであるおそらく、今回の祝いの席を動画にあげるつもりなのだろうである彼女は軽く首をかしげて笑ったである呼んでない人が来ちゃったんですけどである背後で幸介とか香が顔を見合わせ、笑うのが見えるであるそして、唯⼀が現れたである母さん、どうして来たんだよである息子の声は、とても冷たかったである孫の顔を見たかったのよ、少しだけでもいいから——と、私がそう言うと、彩佳はため息をつくである唯⼀から聞かなかったの、うちは身内だけ でやってるんで——と冷やかに返したである幸介が一歩前に出て、笑顔を作りながら言うであるすみませんね、今ちょっと来客対応中なんですよである他人はお引き取り願えますである——私のことを完全に他人扱いだであるその言葉の裏には、明確な差別があったであるそうなの、来客対応に忙しくて、地方公務員の相手をしている暇はないのよである場を湧きまえていただけますか——とおもさく、妻は妻で、まるで私のことを過酷役人とでも言いたげな様子だである唯⼀は私を庇うこともなく、俯いたまま私の視線を避けていたであるそして彼は小さく首を振りながら言うである俺、もうこの家の人間だからさ、母さんとはここで終わりにしようと思うである——終わりに——である改めて言われると、私は胸が苦しくなったであるか香が満足そうに腕を組んでいるであるその後ろで、幸介が電話をかけ始めたであるもしもし、警察ですか、不法侵入者がいるんですである対応お願いしますである——私の方を向いてニヤニヤしながら、聞こえるように警察に電話を入れたのだであるその光景を見つめながら、私はゆっくりと踵を返したである泣きも怒りもしなかっただが、ただ私の中で何かが静かに崩れ落ちていくのが分かったである背後で、井で一族が一斉に笑う声が聞こえたである結局、私は孫の姿を一目も見ることなく、井で家を後にしたのだである
自宅に戻った私は、机の上に置かれた捜索資料を見つめるである数ヶ月に渡る調査の全記録——それは私がこの一年間で積み上げてきた真実の証だったであるこれでもう、迷いはないわである私はそう呟くであるむしろ、これで良かったのかもしれないである息子夫婦や、相手家族への未練は、全て断ち切られたである残るのは法と正義、そして自分自身の誇りだけである翌日の強制捜索は、午前九時一斉開始である標的は、井で幸介が経営するアーバンライフホールディングスである私は手帳を閉じ、静かに照明を落としたである明日に備えて、早く寝ないとであるそう、明日、全てが明らかになるであるそして私は、母ではなく、査察官として彼らの前に立つのだである
翌朝八時五十五分、国税局査察部の作戦室に緊張が張り詰めていたである十数名の査察官が無線機を装着し、各自のタブレット端末を確認しているである準備はいい、私の言葉に皆が頷くであるそして時計の針が九時を刺すと同時に、指揮官である私が短く告げたである全チーム、行動開始であるその瞬間、アーバンライフホールディングス本社、本社の別卓系列企業の軽誤箇所で、同時に査察官が動き出したである黒いスーツ姿の職員たちが無言で社の扉を押し開け、受付の静止を振り切って内部に突入するである外部と連絡を取れないよう通信回線は即座に遮断され、車内のパソコンが次々と封印テープで固定されていったであるそれはまるで戦場のような制圧劇だである九時五分、アーバンライフホールディングス本社の社長室のドアが開くである中にいた井で幸介は、状況を理解できず口を半開きにして立ち尽くしていたであるな、なんだ、君たちは——そして、私の顔を見るなり顔色が変わったであるおい、お前は——である私は無表情のまま、一枚の書類を差し出したである捜査差し押え令状です、国税局査察部である井で幸介さんであるこれより、貴社及び関連施設に対して強制調査を行いますである室内の空気は一瞬で凍りつくである国税局だと、お前、公務員って地方公務員じゃなかったのか——である激しく動揺しながら、必死で声を絞り出すである幸介の背後で、秘書のか香が仰天した顔を見せたであるま、待ちなさいよ、うちには何のやましいことも——であるお話は後で伺いますである現金、帳簿、電子データの所持を明示してくださいである幸介は怒鳴り声をあげたであるまさか、昨日の件の復讐か、お前は私怨で動いているんじゃないのかである私怨——私は静かに目を細めるであるこれは法に基づく手続きですである職務を妨げれば、公務執行妨害に当たりますであるその一言に、幸介は言葉を失ったである現場は怒涛のように動いたである経理部、総務部、営業本部、各部署に配置された査察官が帳簿とサーバーを押収し、財務担当者から事情聴取を進めていくである銀行には即座に連絡が入り、アーバンライフホールディングスの事業用口座及び個人名義の全口座が凍結されたである同時に主要取引先数十社には売掛金差し押さえ通知書が発送され、また瞬く間に情報は金融界に広がったである井でにより長年かけて築き上げた会社の社会的信用は、瞬時に失われることとなるである午後二時にはほとんどの作業が完了し、誰もが自社の終焉を悟ったであるうちの取引が、全部止まってる——である渋面表情で経理部長が呟くであるだが、その横でか香は腕を組み、なおも強気の笑みを崩さなかったであるふん、あんたたちがいくら調べても、証拠なんて出てこないわよであるうちは地域貢献企業なの、表彰も受けたわである確かに書類は整っているように見えるけど、帳簿の整合性が取れない部分が多いわねである私はか香に言い返すであるだから何、単なる記載ミスでしょである記載ミスで、数億の差が出ることはありませんである互いに負けじと押し問答を続けるであるだが、捜索開始から数時間が経っても、決定的な裏帳簿は見つからなかったである倉庫も金庫も財務サーバーも徹底的に調べ尽くしたが、どこにも確証がないであるおかしいわね——である焦りが査察官たちの間にも広がり始めたであるその様子を感じ取り、幸介とか香は不敵な笑みを浮かべるである黒木統括官、主要データベース内に不審なファイルは見当たりませんである取引履歴も洗いましたが、帳簿外の送金は見つかりませんである幸介は椅子に深く腰を下ろし、勝ち誇ったように笑ったであるどうだ、気はすんだか、何も出てこないだろうである君たちは潔白な企業を傷つけたんだであるどう責任を取ってくれるんだ、——私たちを責めるような発言を始めたであるか香も、呑気に化粧を直しながら言うであるふん、こんなに長い時間をかけて嫌がらせをするだなんてである結局あなたも、公務員らしい権力を使ったやつ当たりしかできないのねであるこのまま自分たちは逃げ切れると思っているのかもしれないである——その時だったであるか香の目線が、一瞬だけ壁にかかった油絵へと動くであるわずかだが、確かな視線の揺れだであるおそらく油断したのであろうであるそれを、私は見逃さなかったである私はすぐに部下に指示を出したであるその絵を外してえくださいである幸介の表情が変わるであるいいから、早くであるちょっと、勝手にうちの装飾品をいじらないでもらえる、その絵は高いのよである有名作家の絵画なのよである慌てて止めようとする幸介だったが、それよりも先に部署が動くである絵を外すと、背面の壁に四角い金属の縁が見えたである——隠し金庫だであるその瞬間、か香の顔が凍りついたである金庫の鍵は、沈黙が流れるである幸介が立ち上がり、声を荒げたである待て、そこは——である私は彼を遮って査察官に指示するである開錠しますである破壊してであるやめろ、何をする——であるしかし、無情にも工具の金属音が響き、金庫の扉がこじ開けられたである中には、札束られた現金と、黒い革張りの帳簿が数冊——見慣れた筆跡だである出てきたわね——海外送金先、仮想通貨、ウォレット、裏口座、全ての道筋が、そこに記されていたである室内の空気が一変するであるここで幸介が逆切れをしたである昨日の仕返ししか、ここまでするか——である絶対に見つからないだろうと思っていた隠し金庫を発見された幸介は、顔面を真っ赤にし、机を叩いて大騒ぎだであるこれは個人的な復讐だろう、貴様、自分の息子の義父に何をする、であるいいえ、これは職務ですである私はきっぱりと告げるである王の元に生きるものとして、あなたたちも例外ではありませんであるそう言うと、私は二人の顔を見たであるか香が小さく悲鳴をあげ、全ての終わりを悟ると椅子に崩れ落ちるである統括官としての私の仕事に対する高い意識を感じ取ったのか、幸介の目に浮かんだのは怒りではなく、もう逃げられないという恐怖だったである観念したのか、がっくりと項垂れたであるそして夕方、押収品のリストが完成し、査察官たちは静かに退出を始めたである外は黄昏れだである騒ぎを聞きつけた報道陣が詰めかけ、フラッシュが一斉に光るである井で社長、脱税容疑で強制調査——である記者たちの声が飛び交い、車前は騒然となったである幸介は車に乗り込む前に振り返り、恨みを込めて絞り出すように叫んだである貴様、母親失格だである自分の息子の人生を壊して、何が楽しい、である私は振り返らなかったである——これも仕事なので——であるただ静かに報道陣を避け、無言で車に乗り込んだであるそして車が動き出すである助手席の若い査察官がそっと声をかけたである統括官、息子さんのこと、ニュースで——である気にしないでくださいであるその言葉に、若い査察官は口を閉じたである私は、あの子の母として、もう終わっているの——である悲しげにそう語るであるでも、査察官としては、まだ終われないであるそして私は手帳を開き、押収した裏帳簿のコピーに目を通したである今回の件により、アーバンライフホールディングスは事業継続不可能となり、幸介の脱税容疑による刑事告発は確実となるであろうである夜の街を走る車のライトが、仕事をやり遂げた私の横顔を一瞬だけ照らすであるこうして、長い一日が終わったである
その翌日、ニュースサイトを見ると、そのトップには「アーバンライフホールディングス脱税疑惑」という見出しが踊っていたであるテレビのワイドショーは連日、井で幸介の豪邸と高級車を映し出し、ネット上では「上級国民の転落劇」とやゆするコメントが溢れているであるだが、私は冷静だったである——感情を挟む余地はないである事実を積み重ね、証拠を渡すであるそれが私たちの仕事だからであるそれだけを自分に言い聞かせ、報告書の最終整理を進めていたであるしかし、彩佳と井で強は、この状況を私による個人的な復讐だと逆恨みをしていたである許さないぞであるあのクソバばあ——国家権力だからなんだか知らないけど、見ていなさいである俺たちはユーチューバーだである指示者も多いんだからなであるそして、そんな二人の陰湿な反撃が始まるである数日後、深夜のオフィスに若い査察官が仰天した顔で駆け込んできたである統括官、見てください——である彼が差し出したタブレットには、見覚えのある顔が映っていたであるビジネス系ユーチューバー、井で強しであるそのサムネイルには大きく「国税局の魔女狩り——母親が息子家族を壊した日」と文字が踊っているではないかである関連動画としておすすめ欄には、便乗した炎上系ユーチューバーたちの「国税局の女王に」「国家権力の暴走」「職権乱用で家族崩壊」という悪意あるサムネたちが並んでいたである動画を見なくても内容は容易に想像できるであるまあ、その再生ボタンを押すと、井で強の声が流れたである俺の父と妹の家を潰したのは、国税の女査察官だであるしかも、自分の息子の義父を標的にしたであるあの女、自由に正しく生きる俺たち家族を、目の敵にしていたんだである画面の中で必死な顔で井で強は訴えかけるであるこれは明らかに個人的な復讐だよであるあの女は、自由に生きる俺たちが妬ましかったんだであるみんなどう思う、である画面が切り替わり、そこには涙む彩佳の姿があったである私、信じられないんですである出産祝いの前日に、あんなこと——である隣には、置き物のような無表情の唯⼀がいるである唯⼀は俯き、何も言わないである彩佳が続けたである家は差し押さえられて、口座も凍結されてもう何も買えないのであるコンビニの安いパスタで日々を凌いでるわであるこんな生活、耐えられないであるそして、彩佳の手元のパスタが映し出されたであるだが、それを見た視聴者の一人が、コメント欄にこんな書き込みをするであるおいおい、あれはコンビニと有名シェフのコラボ商品で、一食四千円以上するのに、全然手に入らない幻の高級パスタじゃないかである——それをきっかけに、動画のコメント欄が燃え上がったであるあれが安いパスタ、笑わせんなであるよく手に入ったなであるまだそんな力があったのかであるさすがにけであるマリアントかよである被害者ずら、やめろである一夜で再生数は百五十万を超えるである翌日には、ユーチューバーたちが次々に便乗し、井で家騒動を取り上げ始めたであるそこには無責任な出しが並び、ネットは地獄のような熱狂に包まれてしまうである一方で、私は彼らの虚偽告発を名誉毀損と判断し、証拠をもって法的な制裁を加えるよう、検察と警察に要請したである押収された証拠の正当性が、全てを裏付けていたからだである上司の統括官が言ったである黒木、お前はよくやったであるこの映像はただの感情的な逆告発だである世間が一瞬騒いでも、真実は変わらんであるありがとうございますである短く頭を下げながらも、私の心の奥には小さなわだかまりが残ったであるあの動画の中で、息子の唯⼀は、一言も母を擁護しなかったである——ただ沈黙のまま、彩佳と井で強の隣に座っていたである——
一方で、世論の風はすぐに変わっていくである炎上の熱が高まるにつれ、井で家の過去の動画が掘り返されたのだである井で強が高級車を並べて笑う動画である「これは全部キャッシュで買ったんだ、まあ、俺ぐらいの人間になれば当然だよな」であるさらに、彩佳がブランドバッグを自慢する動画も出てきたである「愛される女は、自分に投資するものよ」であるその全てが再編集され、「偽善者一家の居職」として拡散されたであるやがてコメント欄には、かつての信者たちでさえ見放すような発言が並ぶである国税に逆らうとか、バカだろである結局、自業自得じゃんである唯⼀さん、早く逃げて——であるSNS上の炎上は続くである被害者で会ったはずの井で強と彩佳は、一瞬で加害者になり、道場は長へと変わったであるなぜ、こんなことになるんだ——であるそのような現実を、井で強も彩佳も受け入れられないである全てあいつのせいよであるそうだな、許せないである二人の異様な空気を感じ取ったのか、激しくキラリが泣き始めたであるそんなキラリを、彩佳は抱き上げるである怒りに任せて、彩佳と井で強は唯⼀の部屋に怒鳴り込んできたであるお前のせいで、うちは終わりだであるどうしてくれる、である兄さん、そんな大声で——であるその剣幕に、唯⼀は慌てふためくであるキラリは泣き続けたである黙れ、分かっているのか、お前の母親がうちを潰したんだぞである彩佳は涙を浮かべながらも、その口調には怒りが混じっていたである子供なんて、産まなきゃよかったであるあんたの家系なんかと、関わるんじゃなかったわであるなんだと——である彩佳のその言葉に、唯⼀の心の中で何かが壊れてしまったである母さんは、職務を果たしただけだである出産祝いの日と捜索の日は、関係ないである嘘よ、あれは仕返ししよう——である違う、それは全部お前たちが——であるその言葉を遮るように、井で強がテーブルを叩き叫んだであるおい、お前、俺たちに金を払えである父さんの弁護費用だであるそんな金、あるわけないだろであるあるだろう、退職金でも貯金でも、母親に頼めである言っていることがめちゃくちゃである母さんにだって、頼めるわけないだろうであるその瞬間、井で強は唯⼀の胸倉を掴んだであるお前は、何のためにこの家に来たんだ、黙って俺たちの言うことを聞いて大人しくしていれば、金もチも全部手に入れられたのにであるバカなやつだなあである唯⼀はその手を振り払うである確かに、俺はバカだったのかもしれないな——であるそれは、華やかな井で一族に憧れてしまった自らの愚かさを認めた、唯⼀の心からの言葉だったであるその言葉に、井で強は舌打ちをするであるち、行くぞ、彩佳——であるそして彩佳を連れて、部屋を出て行ったである扉が閉まった後、部屋の中には、泣きじゃくるキラリの声だけが響くである唯⼀はキラリの小さな体を抱きしめながら、崩れるように膝をついたである俺は、何を間違えたんだろうな——である
一方、その頃、私は会議室で警察と検察の合同会議に出席していたである机の上には、押収した裏帳簿のデータと、井で家による虚偽告発の記録であるこの動画内容、完全な名誉毀損に該当しますね——であると警察官が呟くである虚偽の広告収入も確認されていますである警察側も共に頷くである上司が私に静かに言ったである黒木、あとは任せようであるお前が抱え込む必要はないであるはい、よろしくお願いしますであるそれから数週間、井で幸介は脱税で正式に刑事告発され、社長職を追われ、井で強のチャンネルは広告停止となり、スポンサー契約も全て解除である彩佳はSNSのアカウントを削除し、世間から、そして唯⼀とキラリの前から姿を消したである唯⼀は、夜の公園でキラリを抱きながら空を見上げるであるそして携帯の画面に映る母の名前を、何度もタップしては消すであるやがて意を消し、短いメッセージを送ったである「母さん、ごめんなさい」である返信は、しばらくして届いたである「あなたが元気で、無事でいてくれれば、それでいいわ」である母の文面を見つめながら、唯⼀は決意するである俺、ちゃんと働くよである今度こそ、全力で——であるその後、私の元に一通の報告書が届いたであるそれは、井で幸介が巨額脱税の罪で実刑判決を受けたという最終報告だったである幸介は逮捕直後、国内外の著名弁護士を集め最強の弁護団を組織するであるだが、自分が正義だと信じて疑わぬ傲慢さが、やがて味方を遠ざけてしまったである申し訳ないけど、あなたのような人間の言葉を信じて弁護はできませんである次々と離れていく優秀な弁護士たちの背中を、幸介は呆然と見送るである井で一族の栄華は、左上の朗角のように、音もなく崩れ去ったのだである世間はあっという間に彼らを忘れ、話題は次のスキャンダルへと移っていったである
その事件から一年後、ある春の日、河川敷のベンチに座る私の前に、唯⼀が幼い娘キラリを連れて現れたであるあなた、唯⼀——であるしばらく会っていなかったが、唯⼀は以前よりもしっかりした雰囲気になっているである母さん、いつも母さんは、リフレッシュしたくなったらここに来ていたよな——であるそう言いながら、息子は私の隣に腰かけたである俺、今は真面目に働いているんだである母さんの前に出ても恥ずかしくない男になってから、改めて直接謝りたいと思っていたである言葉は短くても、その瞳に嘘はなかったである唯⼀はキラリに私を紹介するであるキラリ、おばあちゃんだよであるキラリは恐る恐る、私に近づいてきたである私は無言で孫を抱き上げ、ただそのぬくもりを確かめるである私の腕の中で、キラリはキャッキャと笑ったである母さん、俺、もう一度やり直したいであるこれまでのこと、許してくれるか——である当たり前じゃないの——である夕暮れの風が、三人の方を優しく撫でたである色々あったが、私は一人の祖母として孫を抱きしめることが叶い、晴れて息子と孫との温かい日々を手に入れたのであったである。



