五年ほど前、私は離婚した。その時は本当にズタズタだった。直接の原因は、元夫の浮氣。でも、それだけが理由じゃなかった。
元夫は、いわゆるモラハラ男だったのだ。結婚する前から、その片鱗はあった」例えば、元夫はよく「お前は俺の言うことだけ信じていればいいんだ」と言っていた。ただのモラハラなのに「リーダーシップがある」「決断力がある」と、私は交際中、好意的に解釈していた。お金にもだらしがなかった」あ、悪い、金ねえや、と軽く言って、夫の分のご飯を奢ることもあったし「財布忘れたから、お前払っとけ」と、夫の買い物を代わりに支払うこともしょっちゅうだった。それでも「ありがとな、お前みたいないい女と付き合えて、俺は本当に幸せだよ」なんて言われて、私は嬉しくなってしまう」今思えば、あれはお世辞なんかじゃなくて、都合のいい女を褒めていただけに過ぎなかった」恋は盲目、まさにその通り、私はそれにまったく気づかなかった」でも、家族は夫の地雷っぷりに気づいていたらしい」彼との結婚には、家族全員が大反対だった」私はそれを強引に押し切って、結婚した」結婚してすぐに自分の間違いに気づいたけど、なかなか「離婚したい」と言い出せなかった」結婚後は二人暮らしをする余裕がなかったので、夫の実家で同居することになったんだが、義両親も夫と同類、お金にだらしなくて、わがままだった」義母は「家事をする人なんて一人で十分でしょ、今まで私がやってきたんだから、これからは嫁であるあなたの番よ」と、家事はすべて嫁がするものと決めて、全部を私に押し付けた」義父はもっと理不尽だった」もう出来上がった夕飯を見て「おい、夕飯は焼肉がいいと言っただろう」と言い出す」そんなこと言われていない」むしろ煮魚が食べたいとリクエストされたから、ちゃんと準備していたのに」うるさいな、気が変わったんだ、嫁ならそのくらい察しろ、と、せっかく作った夕飯を食べずに、義母と夫を連れて外食に行ってしまった」細かくあげていけばきりがないが、モラハラの恐ろしさは、被害者が自分が被害を受けていると理解するのに時間がかかることだ」気づいた時には、かなりひどい精神状態になっていることがある」夫の浮気という事件がなければ、私はまだあの家に囚われていたかもしれない」離婚直前には、私はどんな理不尽な要求にも黙って従う人形のようになっていた」
夫の浮気は、ポケットにラブホテルのポイントカードを入れっぱなしという、初歩的なミスで発覚した」私が夫を責めると「別に浮気ぐらいいいじゃないか、だって、お前が化粧もしなければ、おしゃれもしないのが悪いんだ」と、私に責任転嫁してきた」義両親も一緒になって「そうだ、お前が魅力的じゃないのが悪いんだろう」浮気されるのが悪いのに、息子を責めるなんて、恥を知りなさいよね」と私を責めた」さすがに私は限界だった」実家に「助けてほしい、別れたい」と泣きつくと、驚いた両親がすぐに迎えに来てくれた」ガリガリに痩せ、変わり果てた私の姿を見て、両親は義両親と夫に猛抗議した」うちの大切な娘が、こんなになるまでこき使われたのか、あんたたちは、うちの娘を何だと思っているんだ、娘を返してもらいますよ、こんな目に合わされたんですから、こっちは出るところに出てもいいんですよ」と、怒った母の言葉に、義父は慌てて「裁判なんて人聞きの悪いことはやめてくれ、しょうがない、離婚を認めてやる」と言い出した」義母も夫もしぶしぶといった様子だったが、訴えられてはまずいと思ったのだろう、何も言わなかった」義父からの手切れ金、慰謝料として100万円をもらい、私と夫は離婚した」私の二年間の結婚生活は終わった」両親は「安すぎて馬鹿にしている」と不満げだったが、離婚してあの家族と縁が切れただけで私は満足だった」
それから五年、ボロボロの心と体が回復するには、かなりの時間がかかった」悪夢で飛び起きたり、嫌な思い出がフラッシュバックしてパニックになったりした」両親が支えてくれなければ、私はこんなに早く立ち直れなかっただろう」さらに、私は新たな人生の再出発として、なんと自分のお店を持つことになったのだ」お父さん、お母さん、ありがとう」まさか私がお店をオープンできるなんて、思ってもいなかったわ」何を言っているのよ、あなた自身の才能よ、と母は言ってくれたが、私は両親のおかげだと思っている」実家に戻ってすぐの、ガリガリに痩せた私を心配した両親が、いろいろなお菓子屋さんから、ケーキやクッキーなどの焼き菓子を買ってきてくれたのだ」私は子供の頃からお菓子が大好きだった」製菓の専門学校にも行ったし、調理師免許も持っている」元夫と会う前は、将来は自分の店を持ちたいと思っていたくらいだ」あの時、お父さんがあの焼き菓子を買ってくれなかったら、思いつかなかったものだ」父が買ってきてくれたお菓子の一つに、シリアルバーがあった」シリアルバーは別名グラノーラバーとも言い、オートミールなどのシリアルと、くるみやアーモンドなどのナッツやドライフルーツを固めて作る」最近流行っているらしいぞ、とっても美味しい、でも硬いから食べづらいわね」と、両親と一緒に食べた時の母のこの一言が、私の運命を変えたのだ」じゃあ私、食べやすいのを作るね」と、私は迷惑をかけているからちょっとした親孝行のつもりで、シリアルバーを作ってみた」この時作ってみたシリアルバーが、両親に大好評だったのだ」程よい硬さで、味も見た目もいいように、ドライフルーツやナッツもたくさん入れた」確かに見るからに可愛らしく、私自身、これは売れると確信する出来だった」ほらSNSとかに載せてみたらどうだ? と、両親が勧めてくれた」SNSとはネット上のコミュニケーションサービスで、誰でも写真を簡単に投稿できるし、気軽にメッセージを送れる」私はずいぶん前に登録だけしていたSNSに、写真付きで載せてみた」すると、大反響があったのだ」どこで売っているんですか? すごく可愛い」一口サイズで片手でも食べやすそうです、などの好意的なコメントがたくさん寄せられた」すごく嬉しくて、一つ一つ読みながら泣いてしまった」両親と元夫のモラハラで、私は自分はダメな人間だと、思い込まされてしまっていた」両親は私のことを認めてくれるけど、それは身内だからで、本当はやっぱり私は価値がない人間じゃないかって、心のどこかで思っていた」でも違う」面識のない人からだって、私の作ったものが認められるのだ」やっぱり義両親と夫がおかしかったんだ」あんな人たちのためにいつまでも悩むのは、時間がもったいない」私は義両親と夫のことを、完全に吹っ切ることができた」それから両親の後押しもあり、私は片手でも食べやすい一口シリアルバーをメインにしたお菓子屋さんを、オープンすることにした」とにかく写真映えするように意識し、キラキラで可愛く、おしゃれな女性が欲しくなりそうなデザインにして、情報を積極的にネットで発信した」これが大当たりした」元々最初に投稿した写真が大好評だったから、新聞や雑誌の取材を受けたり、ネットにも記事が掲載された」
そして、自分でもびっくりしているのだが、新しい彼氏もできた」お相手はなんと弁護士だ」お店の契約や開業手続きのため、父の知り合いの息子さんだという弁護士を訪ねたのが縁だった」頑張っている私に一目惚れしたそうだ」もう恋愛なんてこりごりだと思っていたけど、元夫とは何もかも違う、誠実な人だ」両親も、あの青年なら娘を安心して任せられると太鼓判を押している」自分の人生を取り戻し、新たな一歩を踏み出せるのかな、と思っていたら、なんと元夫から「土曜日、迎えに行く」と突然メールが来たのだ」二度と会うつもりはありません、と返信し、連絡先をブロックしたのだが、私は両親と彼氏にそのメールを見せた」元夫が今更何の用があるのか分からない」まさか来ないとは思うけど、念のため僕もそばにいるよ、と彼氏は言ってくれた」両親も彼氏も、土曜日は一緒にいてくれることになった」土曜日、会わないと言ったはずなのに、元夫だけでなく元義両親まで、私の家まで押しかけてきた」勝手に家の中まで上がり込もうとしたので、私は玄関から先に進めないようにブロックした」一体何の用ですか、と聞くと、元夫が「ゆかもさ、そろそろ冷静になれただろ、許してやるから戻ってこいよ」と言い出し、夫の名前が記入済みの婚姻届を差し出したのだ」あ、何言っているんですか? 本当に意味が分からない、と私も彼氏も両親も思った」それなのに、元義母が夫のとんでもない発言に加えて「まあ、あなたも元に戻った方が世間体がいいでしょう」うちの息子が、また結婚してやってもいいと言っているのよ」とさらに追い打ちをかけた」元義父も「ゆかさんも、息子がこんなに謝っているんだ、意地を張るのはよせ、祖母も介護が必要だし、今後の話し合いをしよう」と言った」無理ですね、だって私は婚約中ですから、戻る気なんてこれっぽっちもありません、それに、謝っているって誰が?

今のって謝ったことになるんですか? しかも、介護って、嫁のすることじゃなくて、実子の義務ですけど」と私ははっきりと言ってやった」元夫は、私の婚約中という言葉しか頭に残らなかったようだ」婚約ってどういうことだよ、俺がいるのに、浮気したのかよ、と怒鳴った」反射的にびくっと体をすくめると、彼氏が私をかばうように前に出た」誰だよこいつ、と元夫が怒鳴る」私の婚約者よ、初めまして,さっきから話を聞かせてもらいましたが、随分と斬新な謝り方をされるんですね,不貞行為として連れ戻したいと言っているようにしか聞こえませんが」と、彼氏の痛烈な皮肉に、私も両親もくすっと笑いが込み上げた」だとこっちが下手に出れば、付け上がりやがって,と元夫は怒りで頭に血が上ったようだ」以前の私は、夫からこんな風にすごまれれば、怯えて言うことを聞いていた」でも、今の私は違う」ねえ、非常識なのはどっちかしら? 私はもうあなたたちの言いなりにはならないわ,とはっきりと言ってやった」もう分かっただろう、うちの娘はもうあんたたちとは二度と関わらせるつもりはない,完全に縁が切れたんだ,さっさと出ていけ,と父が言った」それでも、元夫も元義両親も、なかなか動こうとしない」らちが明かない、と思ったら、近所の人たちの姿が見えた」玄関先で騒いでいるのだ」何事かと思って、様子を見に来たのだろう」私はこれを利用することにした」近所の人も集まってきてますよ,これ以上騒ぎを起こしたら、通報しますから,目撃者がこれだけいるんです,どちらが悪いか、一目瞭然ですよね」ここまで言えば、さすがに元夫と元義両親でも退散するしかなかった」撃退に成功だ」彼氏の進めもあり、念のため、元夫からの婚姻届の不受理届の手続きはしておいた」婚姻届を持ってくるくらい頭がおかしいのだ、何をしでかすか分からない」後日、なぜわざわざ五年も経って元夫と元義両親が訪ねてきたのか、理由が分かった」彼氏が務める弁護士事務所に、元夫が自己破産の相談に来たのだ」彼氏は元夫が誰だか知らなかった」ちょうど私がお弁当を届けに来たところに、元夫とばったり会ってしまった」なんでお前がいるんだ,お前のせいで自己破産するはめになったんだ,と元夫が自ら暴露した」それで思い出したのだが、元夫も元義父も、大した仕事についているわけではなく、ギャンブルにもはまっていた」それでも暮らしが良かったのは、祖父の遺産や祖母の年金を食いつぶしていたからだ」祖父の遺産は使い切り、祖母も介護が必要になって介護施設に入所すれば、年金は介護施設に支払うお金に消えてしまう」今までと違い遊んで使えるお金がなくなってしまったのに、生活水準が下げられない」ギャンブルで賄おうとして、あっという間に借金地獄に陥ったようだ」その時、私の活躍をネットのニュースで見て、私にたかろうと考え、押しかけてきたらしい」風の噂によると、自己破産の手続き中にも関わらず、ギャンブルをやめられなかったため、自己破産が認められなかったそうだ」今も借金取りから追われ、逃げ回る日々らしい」自業自得というか、ざまあ見ろ、だ」
私はといえば、自分の言葉で過去と決別できたからか、本当にすっきりした」商売も順風満帆だ」彼氏とも、今度結婚する」今度こそ、最高の人生になること間違いなしだ」