「おい、聞こえてるか。この辺りは俺たち北星組のシマだ。分かったらありったけの金をかき集めて、みかじめ料を払ってもらうぞ」
そう言って私を怒鳴りつけたのは、大木戸と名乗る男だった。長年、カフェを経営するのが夢だった私は、子育てが一段落したのを機に、ようやくこの小さな店を開くことができた。カウンターとテーブル席があるだけの落ち着いた店は、街外れにあるにもかかわらず、常連と呼べるお客さんも少しずつ増えてきた。一人で切り盛りするのは大変だが、充実した日々を送っていた。
そんなある日のことだ。「そうだ、春子さん、聞いてる?駅前の焼肉屋のことなんだけど」と常連客が話しかけてきた。「あの繁盛していた店が、潰れちゃったらしいのよ。どうやら最近、この辺りの飲食店にヤクザが来て、とんでもなく高いみかじめ料を請求してくるんだって」
話によると、ある日、焼肉屋に柄の悪い男たちが押しかけ、自分たちはヤクザで、この地域は自分たちのシマだと言って、みかじめ料を要求したらしい。店主が支払いを拒否すると、男たちは店内で大暴れし、店はボロボロにされた。仕方なく支払いを承諾すると、今度は驚くほどの高額を請求された。店主はなんとか支払ったものの、破壊された店内を修繕する金はなく、結局、夜逃げしてしまったという。
「この店も商店街から離れてるし、春子さん一人でしょ。何かあったら怖いから、気をつけてね」と常連客は心配そうに言い残して帰っていった。私は不安になりながらも、まさか自分の店に来ることもないだろうと思っていた。だが、その考えはすぐに覆されることになる。
その日、掃除をしていると、向かいの寿司屋から怒鳴り声と激しい物音が聞こえてきた。ただごとではないと思い、私は様子を見に向かった。店は閉まっていたが、恐る恐る扉を開けると、そこには黒いスーツを着た屈強な男たちが数人立っており、店内は見るも無惨に破壊されていた。
「大将、大丈夫ですか?」と声をかけると、店の奥で小さく震えている大将と、その大将を睨みつけている男がいた。「どうやら客が来たようだな。今日はこのくらいにしておいてやる。だが、次に来るまでにちゃんと金を準備しておけよ。そうしなかったら、今度はもっとひどい目に遭うと思え」と、男は作り笑顔を浮かべて私に話しかけてきた。
私はうっかり自分の店のことを話してしまった。「私はお客さんじゃないんです。向かいでカフェを経営している者で、物音がしたので様子を見に来たんです」「ああ、あの落ち着いた雰囲気の店か。あれをあなた一人でやってるのか?なるほどな」と、男はにやりと笑って、部下たちを連れて店を出ていった。
寿司屋の大将は、最初は怯えて話もできなかったが、私が温かいお茶を入れると、徐々に落ち着いて話し始めた。「あの男たちが突然現れて、ここはヤクザのシマだからみかじめ料を寄こせと言ってきたんだ。俺は今まで払ったことなんてないと断ったら、あの有様だよ。これじゃ明日は営業できない。みかじめ料まで要求されたら、うちも店を閉めなきゃいけないかもしれない」そう言って、大将は寂しそうに肩を落とした。
店に戻った私は、自分の店のことを話してしまったことを深く後悔した。私が一人で店をやっていると知ったら、あの男たちは私にもみかじめ料を請求してくるに違いない。しばらく店を閉めれば安心かもしれないが、いつ来るかも分からないヤクザのために店を閉めていては、カフェを続けられない。
翌日、悩んだ末に私は店を開けることにした。幸い、日中はあの男たちが姿を見せることはなく、常連客と穏やかな時間が過ぎていった。だが、営業時間が過ぎ、私が一人で閉店作業を始めた頃、昨日寿司屋で会った男が数人の部下を引き連れて、どかどかと店に入ってきた。
「よう、まだ開いてるようだな。邪魔するぜ」「すみません、うちは今日はもう終わりなんです」と私が言うと、男は「俺たちは客じゃねえ。ちょっとあんたに話があって来たんだよ」と言った。「俺は北星組の大木戸ってんだ。この辺り一体を支配しているヤクザのことだが、分かるか?実はあんたが店を出してる場所も、北星のシマなんだよ。当然、その報酬としてみかじめ料を払ってもらいたいんだが、払ってくれるよな?」
私は必死に訴えた。「ちょっと待ってください。私はまだここで店を始めて間もないんです。みかじめ料の話なんて聞いたこともありません。何かの間違いじゃないですか?」「最近、みかじめ料を取ることが決まったんだよ。支払わなかったらどうなるか、昨日の寿司屋を見たあんたなら分かってるよな」と、男は脅してきた。
「そんなことをしたら、私の店もボロボロにするつもりなんですか?」と私が問い詰めると、「それはあんたの態度次第だぜ。素直に払えば手荒な真似はしない。でも、払わないというなら」と言われた。私はこうしてやり遂げた店を守るために、頭を下げるしかなかった。「お金なら払います。だから、店に手を出すのはやめてください。この店は私がやっと開けた大事な店なんです」「ああ、随分と素直だな。それでいいんだよ」と、男は満足そうにうなずいた。「でも、今は店の売上がほんの少ししかないんです。まとまったお金じゃないとダメですよね。主人と相談して準備しますから、今日は許してもらえないでしょうか?」
「そうだな。それなら、明日、同じ時間にまた来るぜ。それまでに家の中の金をかき集めて、準備しておくんだな」そう言い残すと、大木戸は部下を連れて大笑いしながら店を出ていった。
翌日、大木戸は約束通り、営業時間が過ぎた頃を見計らって店にやってきた。「約束通り、みかじめ料を受け取りに来たぜ。金の準備はできてるんだろうな」「はい。夫に相談したら、すぐに準備すると言ってくれたんです。夫が五百万を持ってくるはずなので、もう少し待ってもらえませんか?」「それなら、すぐに旦那に連絡して、この店に持ってこさせるんだな」と言われ、私は夫に電話をした。
それから三分後、外を見張っていた大木戸の部下が、顔色を変えて店に飛び込んできた。「大木戸さん、大変です!」「おいおい、どうしたんだ?真っ青な顔をして。ヤクザだったら、いつでも堂々としているもんだぜ」「ですが、とにかく外を見てください」
部下にせかされ、大木戸が外を見ると、そこには屈強な黒服の男たちを従え、黒塗りの車から降りてくる私の夫の姿があった。「なんだあいつ?まるでヤクザじゃねえか。一体どういうことだ?あんた、自分の夫に連絡したんだろうな。それなのに、どうしてあんな連中が来るんだ?」と、大木戸は困惑した様子で叫んだ。
その時、夫が店へとやってきた。「待たせたな。大丈夫だったか?怪我はしてないようだな」「あなた、来てくれてありがとう。私も店も大丈夫よ」「そいつは良かった。それで、北星組を名乗ってみかじめ料を請求してきた大木戸ってのは、そいつか」と、夫は大木戸を睨みつけた。夫の放つ凄まじい気迫に、大木戸は一瞬圧倒されたが、すぐに勢いを取り戻して大声を上げた。「ああ、そうだ。俺が北星の大木戸だ。どうやらその迫力、お前もヤクザのようだな」「ああ、その通りだ。一体、誰の許可を得て、この町でみかじめ料を請求してるのか、聞かせてもらおうか」
「どこの組のもんだか知らないが、文句を言われる筋合いはないぜ。この周辺は全部、北星組のシマなんだ。みかじめ料を請求して何が悪いってんだ?」「悪いに決まってるだろうが。北星組は、月白組の傘下だろう。月白組では、弱者相手にみかじめ料を巻き上げるような真似を許していないはずだぞ。それに、このシマも月白組のシマを北星に任せてるだけのはずだろう。勝手にみかじめ料を請求するとは、一体どういう了見だ?」
「なんだてめえ、随分と北星に詳しいようだな。一体何者だ?」「俺か?俺は月白組の若頭をしている、ガレンジってんだ」と、夫は名乗った。その言葉を聞いて、大木戸は目を見開いた。「月白組の若頭だって?ふざけるな。こんな小さな店のオーナーが、月白組の若頭の嫁だっていうのか?どう見たって、ただの素人にしか見えねえぞ。大方、体のいい身内を呼んで、俺を騙そうとしてるんだろ。危うく騙されるところだったぜ」
しかし、夫は臆することなく話を続けた。「そういうお前は、北星の大木戸だったな。元々は別の組にいたが、北星と抗争で派手にやり合った後、元いた組が負けて解散したんだろ。そこを北星に拾われたんだ。北星に入ったのも、ごく最近だよな。だから、お前じゃ俺の顔を知らなくても無理はないか」「なんで俺のことを、そんなに知ってるんだ?」「言っただろう。俺は月白組の若頭だ。その気になれば、自分の傘下にある組の組員のことなんて、いくらでも調べられるんだよ」と、夫はにやりと笑った。
その迫力に、これまで強気だった大木戸は徐々に焦りを見せ始めた。夫が言う。「よく店内を見てみろ。もう、お前の部下は一人もいねえだろう。俺を見て若頭だと気づいて、さっさと逃げちまったんだよ。もうこの店にはお前一人しかいねえが、どうするつもりだ?」
大木戸は慌てて周囲を見渡す。夫の言う通り、彼の部下はみんな逃げ出し、店内には大木戸が一人だけ取り残されていた。それに気づいた大木戸の顔は、たちまち青ざめた。「あなたが、本物の月白組の若頭……」とつぶやくと、突然その場に土下座を始めた。「若頭の奥様とは知らず、大変失礼いたしました。この落とし前は必ずつけさせていただきます。指の一本や二本、落としたって構いません。だからどうか、命だけはお助けください」大木戸は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、何度も何度も頭を下げた。
夫は鋭い目つきで大木戸を睨みつけた。「指一本で済むと思ってるのか?本来なら、これは北星組全体の問題だぞ」「組は何の関係もありません。これは俺個人の問題です。だからどうか、組だけはお許しください」と、大木戸は泣きながら土下座を続けた。夫の話では、ヤクザにとって組は家族のようなものなのだそうだ。だから、自分の不始末で組に迷惑をかけることは、何より不名誉なことなのだという。大木戸も、組に迷惑をかけることを必死に避けたいのだろう。何度も土下座して謝罪を続けるうち、徐々に苦しくなったのか、その場で泡を吹いて倒れてしまった。
夫はそんな大木戸の頭を踏みつけると、失神した彼を無理やり叩き起こした。「おい、まだ話の途中だぞ。勝手に寝るな」「は、はい。すみません」「実はここに来る前に、北星の組長と話をしたんだ。組長は、俺に散々詫びた後で、お前のことは好きにしていいと言った。お前の処分は、俺が決めさせてもらうぜ」「そ、そうだったんですか」「俺だって、鬼じゃない。お前個人の問題なら、組まで処分はしないさ。それで改めて聞くが、うちの組ではみかじめの徴収を禁止してるのは知ってるな?当然、うちの傘下である北星も、みかじめ料なんて集めてない。だが、お前はこの辺りの店を脅して、散々みかじめ料を巻き上げていたみたいだな。誰かに命令されたのか、それともお前が勝手にやったのか、どっちだ?」
「お、俺が……俺が勝手にやりました。この町は北星のシマですから、当然みかじめ料を集めてもいいものだと思っていたんです」「だが、組長はそんな命令は出していないと言ってたぞ。組長の指示もないのに、勝手に金を集めたのはどういうことだ?」「それは……集めた金は、全部自分の懐に入れてました。ちょっとした小遣い稼ぎのつもりだったんです」「小遣い稼ぎだって?この周辺の飲食店で高額なみかじめ料を要求し、払わないと店をボロボロにしていると、妻から聞いてるぞ。かなりの金額を集めていたようだな。そのせいで潰れた店もあるそうじゃないか。小遣い稼ぎにしては明らかにやりすぎだ。このけじめ、どうつけるつもりだ?」
夫に迫られ、大木戸はごくりと唾を飲み込むと、覚悟を決めた様子で立ち上がった。「ここまでして、ただで済むとは思ってません。このけじめ……俺の命をもってつけさせていただきます」そう言うと、大木戸は店の壁に向かって歩き出し、思い切り頭を打ちつけようとした。私は慌てて止めに入った。「待ってください!一体何をするつもりですか?」「若頭だけでなく、奥様にも迷惑をかけたけじめをつけるんです。今の俺にはチカモナイフも持ってない。自分で命を償う方法がないんです。だから、この壁に頭を打ちけて命を差し出します。若頭、それで許してもらえませんか?」もう一度壁に頭を打ちつけようとする大木戸を、私は必死に引き止めた。「そんなことされたら困ります!この店は、私が地域の人たちの憩いの場になればいいと思って始めたカフェなんです。その場所に、けじめをつけるための血が残ってたら、お客様が怖がるじゃないですか。それに、夫だってそんな方法でけじめをつけろとは言ってません」
私が必死になって止めると、大木戸はその場にがっくりと膝をついた。その様子を見ていた夫は、満足そうにうなずいた。「自分よりずっと大きい男、しかもヤクザを止めに入るとは、我が妻ながら肝が据わってるな。お前が喫茶店をやりたいと言い出した時は、正直心配してたんだ。飲食店の経営は、簡単に手を出せるが、商売にするのは難しい。お前の趣味の延長でやってたら、駄目にならないかと思ってたからな。だが、大木戸ほど大きい男にも躊躇なく止めに入るほど、この店を愛してるなら、これからも大丈夫だろう。この店はきっと繁盛するぜ」「あなた、ありがとう。私のことずっと心配してくれてたんでしょ?」「当然だ。心配してたからこそ、うちの国のシマにある場所で店を開いたっていうのに、俺の目が行き届いていなかったばかりに迷惑をかけたな。こいつのけじめは、うちでしっかりつける。お前は安心してカフェを続けてくれ」
夫は優しくそう言うと、にっこりと微笑んだ。だが、すぐに厳しい顔に戻り、部下に声をかけた。「おい、この男を連れて行け。こいつの処分は、事務所で話し合うことにする」部下たちは大木戸の両脇を抱えて立ち上がらせると、強引に車へと乗せて連れ去っていった。連れ去られる時の大木戸は、顔をぐしゃぐしゃにしながら、情けなくも涙を流していた。
それから数日後、大木戸の姿が町で見られることはなくなった。夫に話を聞こうとしても、笑顔ではぐらかされるので、夫の部下にこっそり尋ねてみたところ、大木戸は漁船に乗せられ、働かされているらしい。しかも、その漁船ではかなり過酷な労働を強いられており、これまでに五体満足で無事に戻ってきた者は一人もいないのだという。大木戸から被害を受けた飲食店には、夫が慰謝料を支払った。一度は閉店した焼肉店も無事に再開し、向かいの寿司屋も元通りになって営業を続けている。
私はというと、あの日以来、店は日に日に評判になり、今では取材依頼が殺到するほどの人気カフェに成長した。以前より忙しい日々にはなったが、お客さんからは「ゆっくり過ごせる」と好評だ。夫はいつも忙しいから、いつかこのカフェでゆっくりしてもらいたいと思う。だが、そう思うと同時に、ヤクザの若頭として大木戸を追い詰める夫の姿を思い出し、あれだけの威圧感を与えてしまうのだから、店に呼ぶのはもう少し後にしようと思うのだった。
