あの日、義理の妹がうちに来て、赤ちゃんを置いて出て行った。私の顔を見て「お姉さん、もう子供産めないでしょ。せっかくだから、疑似体験させてあげますよ」と言い放って。玄関のドアが閉まる音がやけに大きく響いて、部屋には私と、生後半年の双子だけが残された。義父が慌ててあやしても泣き止まない。私は必死で義姉に電話した。夜十時、酔って帰ってきた妹を待っていたのは、私たち家族全員だった。夫が静かに言った。…

あの日、義理の妹がうちに来て、赤ちゃんを置いて出て行った。私の顔を見て「お姉さん、もう子供産めないでしょ。せっかくだから、疑似体験させてあげますよ」と言い放って。玄関のドアが閉まる音がやけに大きく響いて、部屋には私と、生後半年の双子だけが残された。義父が慌ててあやしても泣き止まない。私は必死で義姉に電話した。夜十時、酔って帰ってきた妹を待っていたのは、私たち家族全員だった。夫が静かに言った。...

すべては、義理の妹が私に挑戦状を叩きつけてきたことから始まった。それまでは、義理の家族との穏やかな暮らしは何の問題もなく続いていたのに。

私はほのか、結婚して三年になる三十四歳の主婦だ。夫の亮一は一つ年上で、現在は岐阜の会社を任されている。義父が創業したその会社は、地元で愛される優良企業だった。私は会社の仕事には一切関わらず、将来を見据えて法律を勉強している。義理の両親との関係は良好で、結婚後すぐに同居を始めた。義父は今ではほとんど会社に出社せず友人と過ごす日々を楽しみ、義母は一日中会社の経理を担当している。だから私が家事全般を引き受けることに、二人はとても感謝してくれていた。

亮一には三歳上の姉と二歳下の弟がいる。義姉は結婚して夫と共に義父の会社の子会社で働いており、義弟の巧は友人の会社に就職して実家を出ていた。彼らと私に接点はほとんどなく、問題らしい問題は何もなかった。そんな平和な生活が脅かされたのは、巧が二十七歳の美沙と結婚してからだった。美沙は結婚時すでに妊娠しており、結婚から二か月で男の子と女の子の双子を出産した。私と亮一の間には子供がいない。義理の両親も義姉夫婦もその理由を知っているが、実は夫の方に問題があったのだ。

しかし、それを知らない美沙が、自分たちの方がよほど会社の後継ぎにふさわしいと言い出した。

「お姉さん、もう三十過ぎなのに子供いないんですよね。なんでですか?」

最初はそんな質問だった。正直、これまでも周りから「お子さんはまだ?」とか「会社の後継ぎを産むのが長男の嫁としての役目でしょ」と言われ続けてうんざりしていた。もちろん私は夫との間に子供が望めないことを承知の上で彼と結婚したから、外野の言葉は笑ってやり過ごしていた。

「まあ、こればかりは神様にお任せだから」

いつも通りそう濁して答えると、美沙はにやりと笑った。

「お姉さんって、女としても妻としても欠陥品ってことですよね。それに比べて私は男の子も女の子も産んだんです。私たち夫婦の方が後継ぎになるべきだと思いません?」

いきなりの直球に言葉を失った。美沙はさらに続ける。

「巧も、亮一さんが会社を継ぐのは納得できないって言ってます。お姉さんから亮一さんに、今の立場を夫に譲るように話してもらえませんか?」

「そんなこと、私が口出しすることじゃないし。どうしても社長になりたいなら、あなたたちが直接お父さんに話すべきじゃない?」

義父は会社の代表取締役のままで、亮一が実務を任されているに過ぎない。義父に話せば状況が変わるかもしれないと思ってそう言ったのだが、美沙は顔を歪めた。

「それが無理だから頼んでるんでしょ」

どうやら巧は若い頃かなりやんちゃをしていて、地元での評判が非常に悪いらしい。それも知っているから、義理の両親の意思で巧を後継ぎにするとは考えにくいと美沙は言う。

「だからこうやって頼んでるんじゃないですか。亮一さんが会社を継いでも、その次の代はいないんでしょ。それなら最初から巧が社長になればいいじゃないですか」

「私に言わないでちょうだい。巧さんが若い頃やんちゃしてたっていうなら、その汚名を挽回するよう努力するしかないでしょ」

だんだん腹が立ってきて、私は美沙にきつく意見した。彼女はむっとした表情で「分かりましたよ。見てらっしゃい」と捨て台詞を吐き、何かを始めたようだった。

週末、美沙と巧は双子を連れて突然現れた。二人は出産後、ほとんど義実家に来ていなかったので、義理の両親は孫の姿に大はしゃぎだった。

「まあ、なんて可愛いんだ。亮一に似てるんじゃないか?」

正直、義父には似ていないと思うのだが、義理の両親は大喜びだった。巧はヘラヘラしながら調子のいいことを並べ立てる。

「親父に似て、将来最高のいい子に育つと思うんだよな。すごい、親父の血はすげえよな」

美沙も双子に話しかけていた。

「ほら、おじいちゃんとおばあちゃんでちゅよ。これからいっぱい可愛がってくれるって」

なるほど、そういう手で来たか。確かに、一度信用を失った巧の汚名を挽回するよりも、孫という手で攻めた方が手っ取り早いかもしれない。でも、多分、いや、絶対にその努力は無駄だと思うけどな。そう思っていると、美沙が私を見てニヤリと笑った。

「お父さん、私この子たちをお父さんのような立派な人に育てたいと思ってるんです。だから、ちょくちょくこの子たちを連れて、お父さんの立派な姿を見せてあげたいんですけど、いいですか?」

生後間もない赤ん坊に見せて分かるわけないだろうと思ったが、義父は思いの外喜んで快諾した。すると調子に乗った巧が、今度はおねだりを始めた。

「親父、俺たち子供がいきなり二人もできて、生活がかなり苦しいんだよな。今の給料じゃきつくてさ、可愛い孫のために、これから少し援助してくれないかな」

猫撫で声でそう言って、孫にデレデレの義父から毎月十万円の援助を約束させてしまった。義母と夫は、複雑な表情でそのやり取りを見ていた。

後で義母に聞くと、昔、巧のやんちゃの後始末で義母や義姉が謝罪に走り回ったそうだ。真面目で努力家の義姉は、自分と正反対の性格の美沙と巧の結婚に大反対したらしく、義母はその意見を聞かなかったことを少し後悔しているようだった。

「お姉ちゃんも言ってたけど、どう考えてもあの夫婦が子供をまともに育てられるとは思わないわね。それに、双子の世話を押し付けられるんじゃないかって、ぞっとしちゃったのよ」

「確かにそうですよね」

「ほのかさん、呑気なこと言ってる場合じゃないわよ。あの双子を平日に連れてこられたら、面倒を見るのはあなたなんだから」

そうだった。子供を育てたことがない私が、生まれて数か月の赤ちゃんの世話をきちんとできるわけがない。でも、いくらなんでも美沙がそんな私に双子を預けることはないだろう。そう思ったのだが。

「お姉さん、多分もう子供産めないでしょ。せっかくだから、疑似体験させてあげますよ」

数日後の午後、美沙はまだ生まれて半年ほどの赤ん坊二人を義実家に連れてくると、なんと自分だけ外出しようとしたのだ。

「あ、あなたね、非常識にも程があるわ。この子たちに何かあったらどうする気なの?」

思わず怒鳴ると、美沙は嬉しそうに言った。

「その時には、全部お姉さんが悪いって言いますよ。長男の嫁がこれじゃ、お母さんが可哀そうですってね」

その言葉を聞いて、私は完全に切れた。

「自分の子を、あなたたち夫婦の悪だくみのために利用するっていうの? いい加減にしなさいよ」

「はあ? 口の聞き方に気をつけてくれます? 本当にお母さんやお父さん可哀そうじゃないですか。あなたみたいな不妊が長男の嫁で、次の代で会社がなくなるなんてね」

「なんでなくなるって決めつけるのよ」

「そっちこそ何も分かってないんですよ。長男の亮一さんに子供がいないんだから。亮一さんが社長になったら、その次の代はないでしょ」

「他の人が社長になるわよ」

「絶対させませんから、そんなこと」

美沙はそう言い放つと、本当に赤ちゃん二人を置いて出て行ってしまった。どうしよう。確か義母は今、会社の決算で超忙しいと言っていた。夫に連絡しようか。でも亮一だって子育て経験はゼロだ。彼は自分のせいで私が妊娠できないことを、これまで何度も謝っていた。そんな彼に赤ちゃんのことを相談していいんだろうか。悩んでいると、赤ちゃん二人がほぼ同時に泣き出した。

驚いた義父が泣き止ませようとしたが、どうにもならない。そうだ、義姉は子育て経験がある。そう思い出し、急いで義姉に連絡を取ると、彼女は飛んできてくれた。

夜十時過ぎ、酔っ払って帰ってきた美沙を迎えたのは、私と夫、義理の両親、巧だった。義姉は別室で、双子が起きないように見守ってくれている。

「ど、どうしたんですか皆さん。お揃いで」

ビビる美沙に、義母がなぜ子供を置いて七時間も外出していたのか問いかけた。

「ああ、そのことですか。ほのかさんがどうしても預かりたいって、私を追い出したんです。最低ですよね」

スラスラと嘘をつく美沙に、亮一が言った。

「昼間のほのかとの会話、全部聞かせてもらったよ。俺の妻を随分こき下ろしてくれてたな」

実は、夫は美沙の最近の言動が引っかかり、前回美沙が来た後、数か所に盗聴器を仕掛けていたのだ。一瞬焦った美沙だったが、すぐに開き直った。

「本当のことじゃないですか? 長男の嫁のくせに子供も産めないなんて」

「お黙りなさい」

その時、義母が大声をあげた。

「この二人に子供がいないことは、私も夫も了承済みなのよ。あなたにとやかく言われることじゃないわ」

そして明かされた事実。私と亮一は結婚前に、妊娠できるかどうか病院でブライダルチェックを受けていた。その結果、亮一に先天的な問題があり、子供を作れないことが分かったのだ。それを知った義母は、自分が亮一をそんな風に産んでしまったと泣いて、私たちに謝ってくれた。だからこそ、美沙の暴言から私を守ってくれたのだ。しかも、その事実を秘密にしたまま。

義母の優しさが本当に嬉しかった。義母に怒鳴られても、美沙は状況を理解できないままで、今度は義父に向かって訴えた。

「で、でもお父さん、私たちには子供がいるんです。会社をずっと存続させるには、次の世代の後継ぎだっていますよね」

すると義父は静かに答えた。

「別にそこまで考えておらんよ。次に社長になった者が決めればいいこと。子供がいるという理由で後継ぎを選ぶなど、馬鹿げたことだ」

それを聞いて、巧の顔色が変わった。

「じゃ、じゃあ、次期社長は亮一兄さんで決まりってことかよ」

金切り声をあげる巧に向かって、義父が答えた。

「いいや。お前の姉さんに継がせる。お前たちの結婚前から決めていたことだ」

それを聞いた巧夫婦は、豆鉄砲を食らった鳩のような顔になった。

「だって、姉さん女でしょ」

声を絞り出す巧に、義父はひとこと。

「長女は昔から成績優秀で、信用もある。それにお前は知らんだろうが、お前のやんちゃの後始末で長女は頭を下げて回ったんだ。それ以来、あの子は礼儀正しくてしっかり者だと、地元で評判になっているからな」

呆然としている巧の横で、今度は美沙が私に牙を向いた。

「あんた、知ってたんでしょ? なんで教えないのよ」

「え? 言ったじゃない。他の人が社長になるって。私はお父さんの会社の人間じゃないから、それ以上は言えないわよ」

さらに亮一が口を挟んだ。

「お前たちに払っていた十万円、俺のポケットマネーだったんだ。会社の金を使うわけにはいかないし、父さんの給料や年金は好きに使って欲しかったからな。俺も孫は可愛いからさ。でも、父さんや姉さんと話し合って、今回から止めることにしたから」

それを聞いて美沙は真っ青になった。

「そ、そんな困ります。育児でお金がどんどん出ていっちゃうんです」

そんな言い訳は夫には通用しなかった。

「何言ってるんだか。お前たちが生活が苦しいって言うから、気の毒に思って巧をうちの社員にしようかって、姉さんと相談したんだ。で、身辺調査のつもりで興信所に調べてもらったら、お前たち、しょっちゅうパチンコだスロットだって、美沙さんのご両親に子供を預けて遊び歩いていたらしいな」

そこまでバレた二人は、その場にへたり込んだ。それでも悪感情は変わらず、義理の両親に必死にすがっていたが、義父からこう言い渡されて終わった。

「会社のことは長女夫婦に、家のことは亮一夫婦に任せる。もう私たちには一切、頼ってこないでくれ」

泣き叫ぶ二人をその場に残し、私たちはそれぞれの部屋へ戻った。勝手にお家騒動を仕掛けておいて、何なんだか。

その後、お互いに金食い虫の巧夫婦は、離婚の話が進んでいるそうだ。しかし慰謝料や養育費をどちらも払いたくないらしく、巧は「こいつら、俺の子供じゃないだろ。全然似てねえぞ」と捨て台詞を吐き、美沙は子供を彼女の両親に預けて会わせようとしない。どうやらDNA鑑定をされたくないようだ。双子に巧の血が入っていようがいまいが、会社を継ぐことは絶対にないだろうけれど、何の罪もない双子がちょっと可哀想だった。

亮一の後は、私との結婚前から義姉夫婦が社長として働いていた義父の子会社の社長になることが決まっている。私が義理の両親の会社を手伝わずに労働法を勉強していたのは、そのためだ。私も専務として就任する予定で、従業員に喜んで働いてもらえるよう、より良い会社にしようと意気込んでいる。

Thumbnail