「ねえ、もうちょっとマシな仕事できないの」…

「ねえ、もうちょっとマシな仕事できないの」...

結婚なんて二度とするものか。私はそう心に決めて生きてきた。四十五歳、バツイチの私がそこまで結婚にこりごりだったのには理由がある。最初の結婚で、義理の両親に介護要員としてこき使われたからだ。

今でいう介護職員のはしりとして、私はホームヘルパーの資格を取っていた。おばあちゃんっ子だった私は、実家の祖母が寝たきりになった時、ちゃんと介護をしてあげたいと思ったのだ。ところがそれを知った当時の夫の両親が、祖母の葬儀が終わったその日に言ってきた。

「今度はうちの祖父母をよろしくね」

祖母を失ってぼろぼろに泣いている時に、である。無神経さにあきれたが、本当にその翌日から、私は義理の両親の世話を丸ごと押し付けられた。元夫に訴えても、「嫁なんだから当然だろ」の一言で、手伝ってくれないどころか、義理の両親をとめることもしなかった。

二年ほど我慢したが、ついに耐えられなくなり、弁護士の力を借りて、やっとの思いで離婚した。

だから離婚後は、親もち、祖父母もちの男性とは絶対に付き合わなかった。見合いの話が来ても断った。離婚後、私は介護関係の資格をいくつも取っていたから、いざとなれば介護施設に就職して、一生一人でも食べていくには困らないと思っていた。

そんな私に声をかけてきたのが、同僚の年彦だった。仕事人間で、今期を逃したという彼とは同じ部署で働いていたので、話す機会が多く、明るく爽やかな年彦に、私は少しずつ惹かれていった。

しかし残念なことに、彼は親もちだった。交際を申し込まれた時、私はバツイチになった事情を説明して断った。ところが年彦は、「夏美には絶対に介護の苦労を押し付けないから」と何度も言ってくれた。

信じてみよう。

そう決心した私は、四十歳の時、彼のプロポーズを受け入れた。

年彦との結婚生活は、最初のうちは順風だった。彼はエリート営業社員としてばりばり働いており、私が彼の希望で退職してもやっていけるだけの余裕があった。もう子供は望めない年だったけれど、老後は夫婦二人でのんびり暮らせばいいと思っていた。

そんな夢が壊れたのは、年彦が社内の権力闘争に巻き込まれ、退職を余儀なくされた時だった。出世道を歩んでいると信じていた彼にとって、そのショックは大きく、仕事に対する意欲を失ってしまったのだ。

一日中部屋にこもるようになった夫を抱え、私は再度就職しようと決心した。しかし四十過ぎでブランクがある主婦を正社員として雇ってくれる企業は、なかなか見つからない。見つかっても、ここら辺では月給十五万円程度が精々だ。

悩んでいるところに、介護施設の募集が目に入った。介護施設の仕事がハードだということは聞いていたから、かなり悩んだが、場所や処遇によっては二十万円から二十五万円もらえるところが結構あったのだ。

年彦がまた働けるようになるまで頑張ろう。

そう思って、私は介護施設への就職を決めた。

施設での仕事は、想像を超えるきつさだった。数人いる入所者一人ひとりに目を配り、食事や着替え、入浴、トイレの介助をしたり、レクリエーションを考えて指導したり、一日中走り回っている感じだった。一ヶ月で体重が五キロも減り、一時はしょっちゅう貧血を起こしていた。

当然、こんな状態で帰宅しても、年彦の世話までやる気が起きない。帰宅後はほとんどバタンキューだったのだが、そのうち「夏美なんか臭いよ」と、夫から嫌がられるようになってきた。入居者のトイレでの排泄物処理は毎日行うし、食事中に吐き出されることも多かったから、どうしても匂いがついてしまうのだ。

夫から指摘され、できるだけ帰宅後すぐにシャワーを浴びるようにし、なんとか夫の機嫌がこれ以上悪くならないよう努力した。

だがある日、年彦から言われた。

「ねえ、もうちょっとマシな仕事できないの」

カチンと来た。

「毎日毎日年寄りの世話して、夜勤まであって、手取り二十万円ちょいなんてバカみたいじゃないか。俺なんか、土日休み、夜勤なしでその二倍は稼いでたぞ。大体さ、最近のお前って、加齢臭がすごいんだよな。ジジババの匂いか。それともお前のか」

こっちが年彦を支えようと必死に働いているのに、なんてことを言うのだろう。私はプライドを持って仕事をしている。介護職員を馬鹿にするのも腹が立った。

「じゃあ二倍稼いできてよ。そうしたら私、今すぐ仕事やめるから」

そう言い返すと、年彦は顔を真っ赤にして反発してきた。

「なんて冷たいやつなんだ。俺がこんなに苦しんでいるのに、働けだと」

もうそれからは売り言葉に買い言葉となり、それ以降、私たちはほとんど口を聞かなくなってしまった。

しかし私は離婚だけは避けたかった。私は地方出身で、実家付近ではすでに私がバツイチになったことが面白おかしく噂されていた。もしバツイチにでもなったら、それこそ何を言われるか。私が言われるだけならまだしも、両親に辛い思いをさせることは避けたかった。

それは年彦も同じだった。バツイチの上に、勤務先から追い出されたとあって、周りからは不幸な男という目で見られていた。その上、バツイチにでもなったら。

お互いそういった利害関係があったから、二人とも暗黙のうちに、なんとなく仲直りした。年彦は近くの宅配の倉庫で週二日だけ働くことにした。彼は肉体労働には向いていないと不満たらたらだったけれど、自分の小遣いだけでも稼いでほしいとお願いすると、しぶしぶ納得していた。

そんな折、義父の喜寿のお祝いとして、食事会が開かれることになった。親族の集まりの時はいつも年彦の妹が取り仕切っていると聞き、私は彼女に不参加の連絡を入れた。予定の日は夜勤明けで、帰宅が九時頃。十一時からの開始なので、一時間もできない。そんな状態で参加しても迷惑になるだろうと思ったのだ。

すると彼女は言った。

「ねえ、長男の嫁って自覚ないの」

「何の関係があるんですか」

「終わりでしょ。今の家の義両親といえば、一番大切にすべき人たちじゃない。しかも後継の嫁なのに、徹夜だから不参加って、とんでもないわよ」

私は介護施設は職員不足で、夜勤を変わってくれる人などいないのだと説明したが、完全に無視された。それどころか、

「ああ、お兄ちゃんの言ってたこと本当だわ。傷ついてるお兄ちゃんに働けって尻を叩いて、肉体労働させて平気なんだもんね。無神経な人は家族のことなんてどうでもいいんだ」

と、全く関係ないことまで言ってきた。

「大体さ、年寄りって臭いし、汚らしい感じじゃない?そんな人たち相手に仕事できるくらいだから、非常識な上に神経もずぶといのね」

そう言うと、こっちが怒りでがちがちになる前に、ぶちっと切られてしまった。

食事会当日。結局私は年彦に引きずられ、半分寝た状態で参加した。するとすぐに義妹が、

「うわあ、お兄ちゃんが言ってた通りやっぱり臭いね、お義姉さんって」

と、遠慮なく言ってきて、目が覚めた。

お祝いの席で人を落とし入れるようなことを言うなんて、そっちの方が非常識この上ないじゃないか。おまけに年彦まで、

「だろ。こいつの匂いか、施設の入居者の匂いかわからんけどさ、もう風呂入っても取れないんだぜ」

「やだ、それって最悪」

なんてとんでもない話題で、兄弟は笑い合っている。

うんざりしていると、義母が言い出した。

「まあまあ、いずれ私たちがお世話になる人なんだから、そんなに悪く言っちゃだめよ」

すると義妹が、

「ああ、そっか。専門職だもんね。夏美さんがいれば、老後は安心だね」

と、義両親に取り入るように言った。それを聞いて、むかっとした私は、一言言ってやった。

「どうしてですか」

「長男の嫁で、介護のプロなんだから、もう決定事項じゃない」

と、彼女は笑って答えた。

「決定事項なんかじゃありませんよ。大体、嫁には義両親の世話をする義務はないんです」

私は微笑み返してやった。理解不能といった顔をしている彼らに向かって、さらに続ける。

「民法八百七十七条で決まってます。直系血族と兄弟姉妹、つまり義両親と血縁関係にある人だけが、お互いに扶養する義務があるんです。もっと言うと、義務のある人が介護を放棄すると、罪に問われることがありますからね」

そこにいた全員がざわついた。

「まあ、この義務については、法律では資金援助のことを言ってます。だから生活費の援助とか、施設への入金とか、お金さえ出せばいいんですよ。それができない場合は、日常生活の介助でも許されます」

私はさらに丁寧に解説した。前の結婚で元義理の両親の介護を強要された私は、離婚後、介護関係の資格試験の勉強をしながら、徹底的に調べたのだ。

すると年彦が、真っ青になって言った。

「お、俺、金なんかないぞ」

「じゃあ、実施の義務として、あなたが毎日のお世話をするか、義妹さんに資金援助をお願いすればいいんじゃないですか」

すると今度は義妹が、必死に言い逃れする。

「じ、冗談じゃないわ。大体私は、旦那の両親の世話を義務だなんて思ってないし」

「だから、義妹さんは旦那さんのご両親の世話をする義務はないんです。あちらにはそう説明して、本当のご両親のお世話をお願いしますね」

私はにっこり解説してあげた。

すると、それまで黙っていた義両親が口を挟んだ。

「夏美さん、あなたプロでしょ?私たちの世話なんて簡単じゃないの?」

「そうだ。他人の親なんかより、私たちの面倒を見るのが筋ってもんだろうが」

その言い草に、私はかちんと来た。

「私はフルタイムで働いてるんです。できるわけないでしょ」

そう言うと、義父が言った。

「簡単に施設を辞めればいいだろ」

「じゃあ、私と年彦の生活費はどうなるんですか?お父さんとお母さんが出してくれるってことでいいですか?私が施設でもらってる給料、二十二万ほど。やめるなら、その分払ってもらいますよ」

そう言うと、二人は顔を見合わせて黙ってしまった。

しかし年彦と義妹は、全く納得しなかった。

「そんな屁理屈、通用すると思ってるのか?長男と結婚した以上、その親の面倒を見るのは当たり前のことだろう」

どっちが屁理屈か、問いただしてやりたいようなことを言った。それどころか、年彦が結婚前に私へ「介護の苦労を押し付けない」と誓ったことさえ、覚えていないと言い張った。

ついに私の怒りが大爆発した。

「介護がどれだけ大変なことか、毎日私を見てきたあなたはよく知ってるわよね。超肉体労働だし、臭くなるし、神経もすごく使う。あなたや義妹さんは、そんな私を見て笑ったよね。二人とも、老人介護なんて臭い、汚らしいって言ったのよ。そんなことを、自分たちは一切手を汚さず、私だけに無償でやらせようっていうの?」

部屋中に響く大声で、私は怒鳴りつけた。

そこまで言うと、二人ともバツが悪そうな顔をして、下を向いた。

しかししばらくすると、年彦が言ってきた。

「証拠に、親に介護が必要になった時には、俺はお前の勤務する施設に安く入所させろ」

「そんなことできるわけないじゃない。それに、うちは特養だから待機者がすごくいるの。入れる見込みはまずないわよ」

私は冷たく突き放した。

「ということで、お父さん、お母さんに介護が必要になったら、年彦と義妹さん、義妹さんのお子さんが中心になってよろしくお願いしますね」

そう言って、私は食事会を中座して帰宅した。

そしてその足で役所に行って離婚届をもらい、帰宅すると署名して、リビングのテーブルに置いた。わずかな私物だけ持って、私は家を出ていった。

その後、食事会は大変だったらしい。まだ義両親の介護が必要になったわけでもないのに、年彦と義妹が介護を押し付け合い、義父は子供の教育を間違ったと義母を責め、義母は年彦が嫁選びを失敗したと彼をなじる。それどころか、義妹の旦那や娘、その他親族まで参戦してきて、大騒ぎになったそうだ。

離婚はもめたが、ようやく成立した後、生活費が稼げない年彦は、しぶしぶ実家に戻ったそうだ。しかし介護から逃げるためか、ナース限定の婚活サイトに登録し、手当たり次第声をかけているらしい。四十歳過ぎて週二日のバイトしかしていないのに、婚活しよう なんて、本当におめでたい男だ。

私はバツイチになっちゃったけど、後悔はしていない。ちょうど私の父が要介護二の認定を受けた時だったから、実家に帰って、母と協力して父の世話をしようと思っている。

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