その朝、いつものように五時に起きて孫たちの朝食を作っていた私に、息子が突然こう言った。「母さん、もう俺たちとは関係を絶つから。今月中に出て行ってくれ」。手にしていたお茶碗を落としそうになった。七年前、夫を亡くした私を息子が呼び寄せ、それから毎日、朝五時から夜九時まで孫の世話と家事に尽くしてきた。孫の教育費も年間百万以上、私の貯金から出してきた。なのに嫁は「お母さんの教育方針が古臭くて困ってた…

その朝、いつものように五時に起きて孫たちの朝食を作っていた私に、息子が突然こう言った。「母さん、もう俺たちとは関係を絶つから。今月中に出て行ってくれ」。手にしていたお茶碗を落としそうになった。七年前、夫を亡くした私を息子が呼び寄せ、それから毎日、朝五時から夜九時まで孫の世話と家事に尽くしてきた。孫の教育費も年間百万以上、私の貯金から出してきた。なのに嫁は「お母さんの教育方針が古臭くて困ってた...

「母さん、もう俺たちとは関係を絶つから。今月中に出て行ってくれ」

その朝、息子から告げられた言葉に、私は手にしていたお茶碗を落としそうになった。いつものように朝五時に起き、孫たちの朝食を準備していた、ごく普通の朝のことだった。

私は宮本泰子、六十八歳。七年前から息子家族と同居し、毎日孫たちの世話に明け暮れる日々を送っている。その朝も、十歳の優成と八歳の聖奈のために栄養バランスを考えた朝食を用意していた。

「母さん、大事な話があるんだ」

朝食を終えた息子の年也が、突然切り出した。その表情には、今まで見たことのない硬さが浮かんでいる。隣に座る嫁のかおりも、なぜか視線を合わせようとしない。

「俺たち、母さんとの関係を絶つことにした。今月中に出て行ってくれ」

耳を疑った。七年間、朝から晩まで孫の世話をし、家事をこなし、この家族のために尽くしてきた私に向かって、息子は一方的に絶縁を宣告したのだ。

「え、どういうこと?」

震える声で聞き返しても、息子の表情は変わらない。私の中で何かが音を立てて崩れていくような感覚に襲われた。

私がこの家に来たのは、七年前のことだった。夫を病気でなくし、一人暮らしをしていた私の元に、息子の年也が訪ねてきたのだ。

「母さん、うちに来てくれないか? かおりも仕事を始めたいって言ってるし、孫たちの面倒を見てもらえたら助かるんだ」

その言葉に、私は迷うことなく承諾した。元百貨店のバイヤーとして世界中を飛び回っていた私だったが、退職後は孫たちと過ごす時間こそが生きがいになっていた。

朝五時に起床し、朝食の準備、保育園や学校への送り迎え、習い事の付き添い、宿題の面倒。病気の時は病院に連れて行き、看病も全て私が引き受けた。その間に孫たちにかかった費用は、年間約百二十万円も私の貯金から出していた。

「おばあちゃん、大好き」「今日も美味しいご飯ありがとう」

孫たちの笑顔と感謝の言葉が、私の疲れを全て吹き飛ばしてくれた。息子夫婦も、当初は感謝の言葉をかけてくれていた。

しかし、いつからだろうか。その態度が少しずつ変わり始めた。私への感謝の言葉は消え、当たり前のような顔をするようになった。それでも私は、家族のためならと思い、献身的に尽くし続けてきた。まさか、その献身がこのような形で裏切られるとは、思いもよらなかった。

絶縁宣告から数分後、嫁のかおりが初めて口を開いた。その言葉は、私の心をさらに深く傷つけるものだった。

「正直言って、お母さんの教育方針が古臭くて困ってたんです。箸の持ち方とか挨拶の仕方とか、いちいち細かくて。今の時代にそぐわないんですよね」

私は息を飲んだ。礼儀作法を教えることが、そんなに悪いことだったのだろうか。

「それに、私の友達が遊びに来た時も、お母さんがいる時は気を使うんです。みんな『姑がいると大変ね』って言うし、私も自由に友達を呼べないじゃないですか」

かおりの不満は止まらない。まるで何年間も溜め込んでいたものを、一気に吐き出すかのようだった。

「料理の味付けにも口出しされるし、掃除の仕方も違うって言われるし。私なりのやり方があるのに、全部否定されてる気分でした」

私は何も言い返せなかった。確かに時々アドバイスはしたが、それはかおりのためを思ってのことだった。

息子の年也も、妻に同調するように言った。

「俺も同意見だ。母さんの時代とは違うんだよ。子供の教育だって、今は自主性を重んじる時代。母さんみたいに厳しくしつけるのは、もう古いんだ」

「でも、孫たちは私に懐いているじゃない」

私がそう反論すると、年也は冷たく言い放った。

「それも問題なんだよ。子供たちが母さんばかりに頼って、俺たち親の存在が薄くなってる。これじゃ親子関係に良くない」

さらに追い打ちをかけるように、年也は続けた。

「それに、母さんも年だし。いつまでも孫の世話は大変だろう。施設の方が同年代の人もいて、楽しいんじゃないか。俺たちももっと自由に暮らしたいんだ」

「施設」という言葉に、私は愕然とした。まだ六十八歳で元気なのに、もう施設送りにされるのだろうか。

その時、階段から孫たちが降りてきた。いつもなら「おばあちゃん、おはよう」と飛びついてくる優成が、私を見ても挨拶をしない。

「優成?」

私が声をかけると、優成は困ったような顔で言った。

「おばあちゃん、もう僕たちの部屋に入らないでよ。プライバシーってものがあるんだから」

十歳の孫が「プライバシー」という言葉を使って、私を拒絶したのだ。明らかに、誰かに言わされているような口調だった。

下の聖奈も、いつもと様子が違う。

「聖奈ちゃん、今日は何して遊ぶ?」

私が優しく訪ねると、聖奈は小さな声で答えた。

「ママが、おばあちゃんとあまり話すなって。おばあちゃんは違う考えの人だから、影響されちゃうって」

八歳の孫にまで、このようなことを吹き込んでいたのだ。私は深い悲しみに包まれた。

かおりはさらに、信じられないことを言い出した。

「実は、優成の塾の保護者会でも恥ずかしい思いをしたんです。お母さんが迎えに行った時、『昭和のおばあちゃん、ちょっと時代錯誤ですね』って言われて。服装も地味だし、話し方も古いし」

私の服装が地味だというのだろうか。清潔感のある上品な格好をしているつもりだったが、それさえも否定されるのだ。

「母さんの存在自体が、俺たちの生活の邪魔になってるんだ」

年也の言葉は、私の存在そのものを否定するものだった。七年間、この家族のために尽くしてきた私が、邪魔物扱いされているのだ。

「朝から晩まで家にいられるのも、正直息が詰まるんだよ。俺たち夫婦の時間も欲しいし、四人で過ごしたい時もある。母さんがいると、いつも気を使わなきゃいけない」

私は震える声で言った。

「でも、私がいなかったら誰が孫たちの世話を……」

「もう決めたんだ。新しいベビーシッターを雇うことにした。若い人の方が、子供たちも楽しいだろうし」

その瞬間、私の中で何かが壊れる音がした。私の七年間は、一体何だったのだろうか。朝五時から夜九時まで休みなく働いてきた日々。孫たちの成長を誰よりも近くで見守り、支えてきた時間。それら全てが、無価値なものとして切り捨てられようとしている。

息子夫婦の冷たい言葉に打ちのめされていた私に、かおりがとどめを刺すような一言を放った。

「あ、そうそう。お母さんが出ていく時は、今まで使った生活費の清算もお願いしますね」

私は耳を疑った。生活費の清算とは、どういうことだろうか。

「七年間、家賃も払わずに住んでいたでしょう。光熱費も食費も、全部うちが負担してきたんです。月十万円として計算すると、七年分で八百四十万円。でもそこまでは言いません。せめて五百万円は返してもらわないと」

血の気が引いた。私が七年間、無償で家事と育児を引き受け、さらに孫たちの教育費まで負担してきたことは、全く考慮されないのだろうか。

「ちょっと待って。私が払ってきた孫たちの習い事代や病院の費用は、年間百二十万円以上使ってきたのよ」

私が抗議すると、年也は冷たく言い放った。

「それは祖母として当然でしょう。孫が可愛いから払ったんだろう。俺たちが頼んだわけじゃない」

「でも、あなたが『母さん、頼む』って言ったから……」

「証拠でもあるのか? 契約書でも交わしたか?」

息子の言葉に、私は言葉を失った。家族間に契約書など交わすはずがない。信頼関係で成り立っていたはずの家族が、今や金銭を巡って対立している。

かおりが追い討ちをかける。

「むしろ感謝してもらいたいくらいです。普通なら家賃を取るところを、今まで無料で住まわせてあげたんですから。それにお母さんの年金もあるでしょう。退職金だってもらったはずよね」

私の個人的な財産にまで言及してきたのだ。確かに年金も退職金もあるが、それは私が長年働いて得たものだ。

「正直、母さんがいなくなればこの家も広く使えるんだ」

年也の本音が、ついに明らかになった。

「二階の母さんの部屋を、俺の書斎にしたいんだよ。在宅ワークも増えたし、集中できる場所が欲しくてね」

「私はウォークインクローゼットにしたいんですけどね。ま、それは追々決めていきます」

かおりも嬉しそうに続けた。まるで私がすでにいないものとして、部屋の使い道を話し合っているのだ。

「それに、新しいベビーシッターはもう決まったんだ」

年也が得意げに言った。

「二十八歳の保育士でね、英語も話せるし、料理もうまい。子供たちともすでに面接で合わせたけど、すごく懐いてたよ」

私の知らないところで、すでに後任が決まっていた。その事実に、裏切られた思いがさらに深まった。

「いつから、そんな準備を?」

「三ヶ月前からだよ。母さんには悪いけど、計画的に進めてきたんだ」

三ヶ月前。その頃も私は変わらず、朝から晩まで家族のために尽くしていた。その裏で、息子夫婦は私を追い出す準備を着々と進めていたのだ。

「お母さんがいるとベビーシッターを雇う必要がなかったから、今まで我慢してただけです」

かおりの言葉で、全てが明らかになった。私は無料の家政婦として、利用されていただけだったのだ。

「じゃあ、今まで『お母さんがいてくれて助かります』って言ってたのは、全部嘘だったの?」

「嘘じゃないですよ。その時は本当に助かってましたから。でも、もう必要ないんです」

必要がなくなれば捨てる。まるで、使い古した道具のような扱い。私の中で何かが音を立てて崩れた。七年間の献身も愛情も、全てが踏みにじられた瞬間だった。

息子夫婦の言葉を全て聞き終えた私は、深く息を吸い込んだ。そして、何も言わず静かに微笑んだ。

「わかりました。望み通りにしましょう」

私の反応に、年也とかおりは顔を見合わせた。もっと抵抗されると思っていたのだろう。二人の表情に、ほっとしたような色が浮かぶ。

「話が分かってもらえてよかった。じゃあ、今月末までに」

「ええ、出ていきます。五百万円の件も、きちんと清算させていただきますね」

私の素直な返事に、かおりは満足そうに頷いた。

その日の夜、私は一人で今後の計画を立て始めた。実は、息子夫婦が知らない事実がいくつもあった。

まず、この家の名義。年也は自分名義だと思い込んでいるようだが、実際は私の名前で登記されている。十五年前、年也が結婚する時、頭金二千万円を出したのは私だった。その際、税金対策として私の名義にしていたのだ。年也は当時、深く考えずに書類にサインしていた。

次に、私の財産。亡き夫の生命保険金三千万円は、一度も手をつけずに運用していた。配当で増え、今では三千五百万円になっている。さらに、私の退職金二千万円も、ほぼ手つかずで残っていた。

そして、最も大きな財産。それは両親から相続した、世田谷の土地だった。小さな土地だが立地が良く、不動産会社からは八千万円の評価を受けている。年也は私の実家が普通の家庭だったと思い込んでいるため、この相続については全く知らない。

合計すると、一億三千五百万円。年金と合わせれば、優雅な老後を送るには十分すぎる金額だ。

私は静かに書類を整理し始めた。銀行の通帳、不動産の権利書、保険証券。全て、息子には見せたことのないものばかりだ。

「七年間、本当にお疲れ様でした」

自分自身に語りかけながら、私は次の人生の準備を始めた。

海の見える町に引っ越そう。ずっと夢だった、波の音で目覚める生活。もう誰かのための時間ではなく、自分だけの時間を過ごすのだ。

翌日から、私は不動産会社と連絡を取り始めた。

「湘南あたりで、マンションの物件を探しているんです」

「素敵ですね。ご予算はおいくらぐらいで?」

「六千万円ぐらいまでなら」

電話の向こうで、担当者の声が明るくなった。有料顧客だと判断されたのだろう。

銀行にも足を運んだ。定期預金の解約手続きを進めながら、担当者が驚いたように言った。

「お客様、これだけの資産をお持ちなんですね。もっと有効な運用方法もご提案できますが」

「いえ、結構です。新しい生活を始めるので、現金化したいんです」

全ての準備を、息子夫婦に気づかれないよう進めた。日中、二人が仕事に行っている間に、少しずつ荷物を整理し、大切なものだけを選び出していく。七年間の思い出の品々を見ながら、複雑な気持ちになった。孫たちとの楽しい時間も、確かにあった。でも、もうそれも過去のこと。新しい人生が待っているのだ。

「この家の本当の持ち主が誰なのか、もうすぐ分かるでしょうね」

私は薄く微笑みながら、最後の切り札である登記簿謄本を見つめた。

来月から家賃をいただく。払えないなら、出て行ってもらう。冷酷に聞こえるかもしれないが、これは息子夫婦が私に教えてくれたことだ。家族の間でも、必要がなくなれば切り捨てる。その論理を、そのままお返しするだけだ。

静かに、でも着実に、私の計画は進んでいった。

約束の日がやってきた。朝早く、私は最後の準備を整える。銀行で全ての預金を解約し、現金五千万円を新しい口座に移し終えていた。

「お客様、これだけの大金ですが、本当によろしいのですか?」

銀行員の心配そうな声に、私は穏やかに答えた。

「ええ、新しい人生のためです。心配いりません」

荷物はすでに、引っ越し業者に預けてあった。この日の朝、息子夫婦が仕事に出た後、業者が来て最後の荷物を運び出すことになっている。

朝食の支度をしながら、七年間のルーティンを思い返した。これが最後の朝食作りだ。いつも通り、栄養バランスを考えた献立を。でも、もう明日からは作る必要がない。

「母さん、今日だよね」

朝食を食べながら、年也が確認するように言った。

「ええ、約束通り今日出ていきます。それと、生活費の件ももちろん清算させていただきます。ただ、その前に確認したいことがあるんです」

私は立ち上がり、用意していた書類を取り出した。

「これ、見覚えありますか?」

それは、不動産登記簿だった。年也が書類を受け取り、目を通し始める。次第に、顔色が変わっていった。

「これ、どういうこと? 家の名義が母さんになってる」

「十五年前、あなたが結婚する時、頭金二千万円を出したでしょう。その時、税金対策で私の名義にしたんです。覚えていないの?」

年也の顔が青ざめていく。かおりも書類を覗き込み、信じられないという表情を浮かべた。

「じゃあ、この家は私のものです。あなたたちは、私の家に住まわせてもらっていたということになりますね」

沈黙が流れた。今まで当然のように自分たちの家だと思っていたものが、実は違っていた。その事実に、二人は言葉を失っている。

「それで、提案があります」

私は落ち着いた声で続けた。

「私が出ていった後も、この家に住み続けたいなら家賃を払ってください。相場を調べたら、この辺りの一戸建ては月三十万円ぐらいです。親子ですから、少し安くして月に十五万円でどうでしょう?」

「十五万? そんな金額、払えるわけない」

年也が声を荒げた。

「では、出て行ってもらうしかありませんね。私も新しい住まいを探していますし、この家を売却して資金にしようかと」

「待って。話が違う」

かおりが叫んだ。

「話が違うのは、どちらですか? 私を追い出そうとしたのは、あなたたちでしょう」

私は冷静に言葉を続けた。

「それと、生活費五百万円の件ですが、こちらも計算し直しました。七年間、私が負担した孫の教育費、習い事代、医療費。その他もろもろで、総額八百四十万円。さらに、毎日朝五時から夜九時まで十六時間の家事労働。最低賃金で計算しても、七年間で三千万円以上になります」

書類を見せながら、淡々と説明していく。

「ですから、清算どころか、あなたたちの方が支払うべき金額の方が多いんです。でも、もう他人になるんでしょう。他人にお金は貸しませんし、請求もしません」

「他人って……、関係を絶つと言ったのは、あなたたちです。望み通り、私は出ていきます。そして、財産も一緒に持っていきます」

年也の顔が真っ赤になった。

「財産って、まさか……」

「ええ、私の預金は全て解約しました。五千万円ほどありましたが、新しい生活のために使わせていただきます」

「五千万……。母さん、そんなお金があったのか」

「お父さんの生命保険金と、私の退職金です。あなたには関係のないお金ですけどね」

かおりが慌てたように言った。

「で、でもお母さん。孫たちのことは考えないんですか? 教育費とか……」

「あら、新しいベビーシッターさんがいるんでしょう? 若くて優秀な方だと聞きました。きっと、教育も見てくれるんじゃないですか?」

「そんな、ベビーシッター代だけでも月に十万円かかるのに」

「それはあなたたちの問題です。私はもう、関係ありません」

その時、チャイムが鳴った。引っ越し業者が到着したのだ。

「最後の荷物を、運び出させていただきます」

業者の人たちが手際よく、私の荷物を運び始めた。年也とかおりは、呆然とその様子を見ているだけだ。

「あ、そうそう」

私は振り返り、最後の爆弾を投下した。

「実は、世田谷に土地も持っているんです。八千万円ぐらいの価値があるそうですよ。合計すると、一億三千万円ぐらいの資産があることになりますね」

「一億……」

年也が絶句した。

「その財産も、私と良好な関係を続けていたら、いずれはあなたに相続されるはずでした。でも、関係を絶つということは、相続の権利も放棄するということです。私の全財産は、今後私が自由に使わせていただきます」

「母さん、待ってくれ。話し合おう」

「話し合う? もう遅いです。あなたたちが決めたことでしょう」

私は玄関に向かいながら、振り返り最後に言った。

「あ、家の鍵は置いていきます。来月からの家賃の振り込み先は、後日連絡しますね。払えない場合は、一ヶ月以内に退去してください」

二人の絶望的な顔を背に、私は七年間の家を後にした。全てを失い、呆然と立ち尽くす息子夫婦。これが、私を裏切った報いだ。

新しい生活が始まって、三ヶ月が経った。私は今、湘南の海が見える高級マンションの最上階に住んでいる。朝、波の音で目を覚ます。それは、長年の夢だった。

朝六時でも、もう急いで起きる必要はない。ゆっくりとベッドから起き上がり、大きな窓から海を眺める。朝日が水平線から昇り、海面をきらきらと照らしている。

今日は何をしようかしら。自分だけの時間。それがこんなにも贅沢なものだったとは、今まで気づかなかった。

朝食は、自分のためだけに作る。好きなものを、好きなだけ。誰かの好みを考える必要もなく、時間を気にすることもない。この自由が、こんなにも心地いいものだとは思わなかった。

午前中は、近所のカルチャーセンターで始めた絵画教室へ。若い頃から興味があったものの、仕事と家事に追われて手を出せなかった趣味だ。

「宮本さん、今日の作品も素敵ですね。海の青が特に美しい」

先生に褒められ、心が温かくなる。ここでは誰も、私を「母さん」とは呼ばない。宮本さんとして、一人の人間として扱ってもらえるのだ。

午後は、地域のボランティア活動に参加している。児童養護施設で子供たちに本の読み聞かせをするのが、新しい生きがいになった。

「安子おばあちゃん、今日も来てくれたの? 今日は何のお話?」

子供たちが目を輝かせて集まってくる。血は繋がっていなくても、この子たちは純粋に私を慕ってくれる。見返りを求めない、真っすぐな愛情。それがどれほど尊いものか、今なら分かる。

「みんな、今日は海の冒険のお話よ」

子供たちの笑顔を見ていると、心が満たされていく。これが、本当の意味での「必要とされる」ということなのかもしれない。

夕方、マンションに戻ると携帯電話が鳴った。画面を見ると、息子からだ。この三ヶ月で、もう二十回以上かけてきている。今回も出ない。留守番電話に切り替わり、年也の声が聞こえてきた。

「母さん、お願いだから電話に出てくれ。本当に困ってるんだ。家賃が払えなくて、来月には出ていかなきゃいけない。かおりとも、うまくいってなくて……」

いつも同じような内容だ。お金の無心、助けを求める声。でも、もう私には関係ない。

「ベビーシッター代も払えなくて、もうやめられちゃったんだ。孫たちも、おばあちゃんに会いたいって毎日泣いてる……」

孫たちのことを思うと、少し心が痛む。でも、これも親である息子夫婦の責任だ。私が手を差し伸べることは、もうない。

電話を切り、海を眺めながら夕食の準備を始めた。今夜は、お気に入りのワインと共に、ゆっくりと食事を楽しもう。

翌週、町で偶然、息子の同僚だった湯川さんに会った。

「あら、宮本さん、お久しぶりです。年也君から聞きましたよ。大変だったんですね」

「いえいえ、今はとても幸せですよ」

「そうですか。……実は、年也君最近会社でも元気がなくて。家庭の問題で悩んでるみたいで」

「そうですか。でも、それも自分で選んだ道ですから」

湯川さんは少し驚いたような顔をしたが、私の表情を見て納得したようだった。

「確かに、親を大切にしない人間は、結局自分も大切にされませんからね」

「本当に、その通りです」

「宮本さん、とてもお元気そうで何よりです。これからも、ご自分の人生を大切になさってください」

「ありがとうございます。ええ、そのつもりです」

その夜、知人の弁護士から連絡があった。

「宮本さん、例の土地の件ですが、買い手が見つかりました。八千五百万円での買い取り希望です」

「あら、評価額より高いんですね」

「はい。立地がいいので、複数の買い手がついているんです。売却されますか?」

「そうですね。売却して、その資金で慈善活動でも始めようかしら」

息子には、一円も渡さない。でも、本当に助けを必要としている人たちのためには、喜んで使いたいと思う。

ある日、孫の優成から手紙が届いた。たどたどしい、正しい字で書かれている。

「おばあちゃん、ごめんなさい。僕たち、悪いことを言いました。ママとパパが言った通りにしただけです。本当はおばあちゃんが大好きです。会いたいです」

涙が溢れそうになった。でも、今更どうすることもできない。親が断ち切った関係を、子供一人の手で修復することはできないのだ。

手紙は、大切に保管した。いつか孫たちが大人になった時、もし私を訪ねてきてくれたら、その時は温かく迎えようと思う。でも、それは息子夫婦を通してではなく、孫たち自身の意思であることが条件だ。

最近、新しい出会いもあった。絵画教室で知り合った坂田さん。七十歳の、素敵な紳士だ。

「宮本さん、今度一緒に美術館でも行きませんか?」

「あら、いいですね。是非」

人生の後半で、こんな楽しみが待っているとは思わなかった。毎日が新鮮で、充実している。

七年間の献身的な生活。それを否定され、使い捨てにされた屈辱。でも、その経験があったからこそ、今の自由の価値が分かるのだ。

理不尽に屈しない。それが、私がこの経験から学んだ最も大切なことだ。どんなに家族でも、自分の尊厳を踏みにられたら、毅然とした態度を取るべきなのだ。

夕日が水平線に沈んでいく。明日もきっと、素晴らしい一日になるだろう。自分だけの、自由な一日が。

もし、あの時夫婦の言われるままに出ていき、お金まで払っていたら、今頃どうなっていただろう。関係を絶つ。その言葉を軽々しく使った息子夫婦は、今その重みを噛みしめているはずだ。家族の絆というものは、一度断ち切ったら、簡単には元に戻らない。それを身を持って学んだのではないだろうか。

私は今、本当に幸せだ。誰にも遠慮することなく、自分の人生を生きている。これが、本来あるべき姿だったのかもしれない。年齢に関係なく、人生はいつでもやり直せる。理不尽から逃げる勇気を、どうか持ってほしい。

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