昼食の片付けが終わって、みんながお手洗いに立ったほんの数分間、婚約者の大輔と二人きりになった。すると彼はお茶のグラスをこつんと置き、さっきまでの穏やかな笑顔を消してこう言った。「お母さん、娘さんと血が繋がってないって聞いたんですけど、本当ですか?」私は戸惑いながら「ええ、そうだけど」と答えた。その瞬間、彼は盛大にため息をついて笑った。「赤の他人のくせに母親ですか?…

昼食の片付けが終わって、みんながお手洗いに立ったほんの数分間、婚約者の大輔と二人きりになった。すると彼はお茶のグラスをこつんと置き、さっきまでの穏やかな笑顔を消してこう言った。「お母さん、娘さんと血が繋がってないって聞いたんですけど、本当ですか?」私は戸惑いながら「ええ、そうだけど」と答えた。その瞬間、彼は盛大にため息をついて笑った。「赤の他人のくせに母親ですか?...

「へえ、バカなの? 血が繋がってないなら親じゃないでしょ。娘の血も繋がってないなら赤の他人じゃないですか。そんな人の老後の面倒なんて見るわけない。ただの家族ごっこに僕を付き合わせないでください」

名古屋の実家で開かれた食事会。娘の婚約者・大輔の発言で、その場の空気は一瞬にして凍りついた。

「何ですかその顔。これだからバカは困る。自分で産んでないなら、孤独にどこかで生きるべきですよ。あなたみたいな人間に助けてもらうメリットもありませんし。結婚したら一切関わらないでくれます?」

無神経に投げられる言葉に、胸がズキズキと痛む。確かに私と娘の波は、血の繋がった親子ではない。仮初めの家族と言われても仕方がないのかもしれない。私自身、そのことを気にしていた時期もあった。けれど共に過ごしてきた日々は本物だ。誰が何と言おうと、私たちは家族だ。

だから、私と娘の全てを否定するようなその言葉は許せなかった。

私が拳を握りしめ、思い切って口を開こうとした瞬間、隣に座っていた娘が勢いよく立ち上がった。

「はあ? なんだよ。医者志望の優秀な僕が言うんだから間違いないでしょ」

彼女はつかつかと自らの婚約者の前まで歩み寄り、そして――

――数分後、お手洗いに立っていた大輔の両親が部屋に戻ってくる。そこには「父さん、母さん、助けて助けてよ」と情けなく床にひれ伏す大輔の姿があった。

話は少し前に遡る。

私は娘の波と義母のさと一緒に暮らす専業主婦だ。我が家の家族構成を聞くと、不思議そうな顔をする人も多い。実際、現在の暮らしに至るまでにはたくさんの波乱があった。

私の人生を大きく揺さぶった最初の事件は、私が社会人になる頃に起こった。交通事故で両親を失ってしまったのだ。その日は2人の結婚記念日だった。「夫婦水入らずで楽しんできて」と送り出した時に見た両親の姿が、私が彼らを見た最後だった。うちはそれほど裕福な家庭でもなかったため、両親には本当に苦労をかけた。彼らは文句一つ言わずに必死に働いて、私を大学まで送り出してくれた。大学を卒業し、晴れて社会人になった時、「これでやっと親に恩返しできる」と思っていたのに、その最中に彼らは私の前からいなくなってしまった。私の就職を我が事のように喜んでくれた両親の笑顔を思い出しては、涙が込み上げてくる。そんな日々がしばらく続いた。

悲しみに暮れ、生きる気力すら失いそうな私を支えてくれたのが、後に夫となる会社の先輩だった。彼には前の妻との間に生まれた3歳になる娘の波がいた。前妻の浮気が原因で離婚しており、それから男手一つで幼い娘を育ててきたのだという。交際し始めた頃は、彼女に私という存在を受け入れてもらえるか心配だったけれど、幸い娘はすぐに私に懐いてくれて、会いに行く度に「ママ」と絵本の読み聞かせをねだられた。それから少しして私たちは結婚。しばらくは家族3人で楽しく暮らしていた。

そんな私たちに、さらなる悲劇が振りかかる。娘が小学校に上がる頃、夫が交通事故にあったのだ。信号無視の大型トラックとの正面衝突で意識不明の重体だと警察から聞かされた。「交通事故」という言葉に、過去のトラウマが蘇る。よほどひどい顔色をしていたのか、共に病院に駆けつけた義母がすごく心配してくれたのを今でも覚えている。「どうか、どうか目を覚まして。神様お願いします。これ以上私から大切なものを奪わないで」義母と2人、集中治療室の前で必死に祈った。そんな祈りも虚しく、結局彼は帰らぬ人となってしまった。

これからどうすればいいのだろう。幼い娘を抱え、途方に暮れる私に手を差し伸べてくれたのは義母だった。

「なおこさん、もしよければだけど、うちで一緒に暮らすのはどうかしら?」

義母は数年前に義父を亡くしており、一人暮らしをしていた。そんな彼女から共に暮らさないかと持ちかけられたのだ。義母は心優しく、家を訪れるたびに自分の子供のように私を可愛がってくれる。私はそんな義母が大好きだったし、その提案は願ってもないものだった。

「はい、よろしくお願いします」

それからは義母と2人、協力し合いながら娘を育ててきた。ひょんなことから始まった義母との共同生活。大変なことも何度もあったけれど、今ではそれなりに楽しい毎日を送っている。

月日はあっという間に流れ、幼かった娘も大学を卒業する年となった。そんなある日。

「母さん、ちょっといい?」

いつになく緊張した面持ちの娘は、言葉を探すように視線を泳がせている。

「どうしたの? 改まって」

私が問いかければ、彼女は決心がついたのか一つ深呼吸をすると口を開いた。

「私、結婚しようと思う」

娘の言葉に私は目を見開いた。いつかはこの時が来るとは思っていたけれど、いざ迎えてみると感慨深い。外遊びが大好きで、毎日泥だらけになるまで遊び回るほどやんちゃだったこの子が、愛する人を見つけて家庭を築こうとしている。少しの寂しさと、それ以上の喜びを込めて、私は笑顔で娘の肩を抱いた。

「おめでとう。あなたももうそんな年頃になったのね」

言葉にすると、なんだか胸がいっぱいになってしまって目頭が熱くなる。今からこんな調子では、結婚式当日など泣き崩れてしまうかもしれない。そんな私を見て「気が早いよ」と娘が笑う。はにかむようなその笑顔は、亡き夫のそれとよく似ている。

「それで、相手はどんな人なの?」

そう問いかければ、医者志望の学生だという。相手がまだ学生だとは思っておらず驚いたけれど、気が強く曲がったことが大嫌いな娘が選んだ人だ。きっと素敵な人に違いない。

「それで、今度彼の両親とうちとで顔合わせをしたいんだけど」

「ええ、もちろんいいわよ」

私は彼女の提案を心よく受け入れた。

そして両家顔合わせの日。娘の希望で、今日は我が家でささやかな食事会をすることになっている。先ほど「すぐ近くまで来た」という連絡を受け、娘は彼らを迎えに行った。一体どんな人たちがやってくるのだろう。ご家族と仲良くなれるだろうか。妙に緊張して何度も立ったり座ったりしていたら、義母に「ちょっと落ち着きなさい」と笑われてしまった。

「お母さん、よく落ち着いていられますね」

「そりゃもう、2度も経験した身ですからね」

そう言われて、そういえば私もこれから来る婚約者の彼と同じ立場だったのだと思い出す。あの時の私も今と同じくらい――いや、それ以上に緊張していた。そんな私に義母は「そんなに緊張しないで」と優しい言葉をかけてくれた。その言葉と笑顔で、本当に安心したのを今でもよく覚えている。もしかしたら彼も、あの日の私と同じ気持ちを抱えているかもしれない。それなら、彼ができる限り落ち着ける場を整えてあげたい。かつての義母と同じように。

私が深く息を吸って一気に吐き出し、「よし」と気合いを入れて自分の頬を叩いた時、玄関のベルが鳴り、賑やかな声が聞こえてきた。

「こんにちは。波さんとお付き合いさせてもらっている大輔と申します」

大輔と名乗った彼は爽やかな笑顔を浮かべて軽く会釈をしてくれる。見たところ気立ての良さそうな青年だった。「大丈夫だとは思っていたけれど、見た目が悪そうな不良少年ではなかった」ことにほっと胸を撫で下ろした。

「本日はお招きいただきありがとうございます。どうぞよろしくお願いします」

大輔に続いてご両親も丁寧に自己紹介してくれた。「よろしければ」と上品なお土産まで頂いてしまって、むしろこちらが恐縮してしまう。

「さあ、どうぞ。こちらへ」

私は彼らをリビングへと案内した。大輔とご両親、私と娘、そして義母が椅子に腰かけ、向かい合う。昼時だったこともあり、簡単なご挨拶と少しの世間話をした後は、すぐに食事をすることにした。食事が始まってからも、とても和やかに会は進んでいく。料理の話題から始まり、次々と話に花が咲いた。彼らとならば、きっとこれからうまくやっていけるだろう。

顔合わせも順調に進み、食事の後片付けを終えた頃。

「すみません。お手洗いをお借りしてもいいですか?」

「あの、私も」

「構いませんよ。ご案内しますね」

大輔のご両親と義母。3人が席を外す。一気に人数が減ってリビングは少し寂しくなった。一瞬、部屋に沈黙が落ちる。今日の会が始まって以来、初めての静けさだ。

「ところで」

その沈黙を破ったのは、大輔の声だった。彼は一度言葉を切ると、グラスに注がれたお茶を飲み、テーブルへと戻す。こつんという音が、ひどく大きく聞こえた。

「お母さん、娘さんと血が繋がってないって聞いたんですけど、本当ですか?」

突如、大輔のまとう空気が一変する。先ほどまでの穏やかな声とは違う。どこかこちらをあざけるような声だ。一体どうしたというのだろう。私は何か彼の気に触ることをしただろうか。

「ええ、そうだけど」

少し戸惑いつつそう答えると、彼は盛大なため息をついた。

「赤の他人のくせに母親ですか? 笑えますね」

冷たくせせら笑う大輔の言葉に、私は一瞬頭が真っ白になった。確かに私と娘の間に血の繋がりはない。仮初めの家族と言われても仕方がないのかもしれない。けれど、それが何だというのだ。私たちは喜びも悲しみも全て分かち合い、支え合って生きてきた。その時間は間違いなく本物だ。血の繋がりなんてなくても、家族になることはできる。だから私と娘の全てを否定するようなその言葉は許せなかった。様々な言葉が一気に押し寄せてきて、意味のある言葉を発することができない。

彼は居丈高にテーブルに肘をついて、言葉を続ける。

「実はね、恥ずかしい話。うちもそうなんですよ。父と僕は血が繋がってません。あんな男、父とは認めていませんが」

まるで汚いものとでも言いたげに、彼はそう吐き捨てた。

「でも、あなたを大切に育ててくれているご家族でしょ。自分のお父さんをそんな風に言うのは良くないわ」

さすがに黙っていることはできなくて反論する。よその家庭事情に口を挟むことはしたくないけれど、彼の言い草はあんまりだと思った。

大輔は「くだらない」と言いたげに鼻を鳴らした。

「だから、父親じゃありません。ただのATMですよ。ああ、見てください、稼ぎだけはいいですからね。利用するだけ利用したら、ボロ雑巾みたいに捨ててやるつもりです」

語気を強めた彼は、芝居がかった仕草で私を指差す。

「もちろんあなたもですよ。赤の他人の老後の面倒なんて、僕は絶対見ませんからね」

その時、ガタンと大きな音がした。隣を見れば、娘がものすごい形相で立ち上がっている。あまりの勢いに倒れた椅子が、さらにけたたましい音を立てた。彼女は椅子を戻すこともなく、つかつかと大輔の方まで歩いていく。娘がきっと彼を睨みつけた。

次の瞬間、彼女は思いっきり大輔を張り倒した。身構えてすらいなかった大輔は、倒れる椅子と一緒になす術もなく床に叩きつけられる。一瞬何が起こったかわからないというように呆然としていた彼は、すぐに我に返った。

「な、何をするんだ、波」

涙目で打たれた頬を抑えている大輔を、娘は冷たく見下ろしている。

「わからないの? その上等な頭は飾りかしら? 自分の胸に手を当てて考えてみなさいよ」

その時、ちょうど扉が開き、席を立っていたご両親と義母が帰ってきた。その瞬間、大輔は素早い動作で立ち上がり、彼らの前へ立つ。

「父さん、母さん、見てよ、これ。あいつが、あいつが僕をぶったんだ。なんとか言ってやってよ」

放っておいたらもう一発お見舞いしそうな勢いの娘を指さして、大輔は必死に母親にすがりついている。けれど、大輔の態度とは打って変わって、ご両親の表情は奇妙なものだった。へりついてくる息子に、彼の母は厳しい声でその名を呼ぶ。

「謝りなさい、大輔。波さんにも、父さんにも」

「へえ、申し訳ないけれど、今の会話はばっちり聞かせてもらったわ」

義母の言葉を聞いて、大輔の表情がさっと青くなる。恐る恐るといった様子で、彼は自らの父に目を向けた。そこにはあまりの怒りで顔を真っ赤にし、体を震わせている父親の姿がある。

「お前のことを、大切に思っていたのに」

大輔は情けない悲鳴をあげて、後ろに大きく飛びのいた。

「八重先生から話を聞いていてよかったよ」

「先生?」

義母のことを「先生」と呼ぶということは、もしかして――義母と目配せをした大輔の父は、険しい顔のまま語ってくれた。義母は料理教室の先生をしていて、それなりに知られている。なんと大輔の父は、その料理教室に通っている生徒さんなのだそうだ。妙に気の合った義母と父はすっかり仲良くなり、料理をしながらプライベートな話をすることも多かったらしい。つい先日もいつものように世間話をしていると、話の流れで義母が孫娘の婚約の話をした。もしやと思いよくよく話を聞いてみると、その相手は自らの息子だった。尊敬する先生と家族になれるのは素直に嬉しいけれど、彼には一つ懸念があった。

「息子は、おそらく私のことをよく思ってないんです」

日々話をする中で、彼は義母に色々と相談していたらしい。その中には、大輔が血の繋がっていない父のことをよく思っていないのではないかというものも含まれていた。はっきりと口に出されて言われたわけではない。表面上は普通に接してくれるけれど、その態度の端々にわずかな違和感のようなものを覚えていた。大輔に直接聞いてみたところで、正直な気持ちが返ってくるわけがないけれど、親としてどうしても息子の本当の気持ちを確かめてみたい。

悩む父に、義母が一つ提案したのだそうだ。「今度の顔合わせの時、示し合わせて席を外して、彼の本心を探ってみよう」と。そうして明らかになった大輔の本心は、大切に慈しんでくれる家族に向けるものとは思えない、冷たいものだった。

「これまでお前のためにと、色々手を尽くしてきたが、それももう全てやめる」

娘から聞いた話によれば、大輔の通う大学は私立であるし、医大ともなればその学費も相当なものだろう。これは後から聞いた話だけれど、大輔の父の実家は医者一族であるらしく、親戚へも手を回して、息子が将来うまく立ち回れるように手を尽くしてきたのだそうだ。

「そ、そんな」

「それだけじゃないわ」

娘の声に、大輔が怯えた表情で振り返る。その足はかわいそうなほど震えていて、今にも泣き出しそうなほど顔がくしゃくしゃになっていた。

「婚約は取りやめよ。私の大事な母さんにひどいことを言う人と、なんて家族になりたくないわ」

きっぱりと言い放った娘の言葉がとどめとなったのか、大輔はその場に崩れ落ちてしまった。

その後、結婚は破談。気の抜けたようにテーブルに突っ伏している娘を見て、私は彼女が心配になった。初めて「家族になりたい」と思えた人が、あんな人だったのだ。ショックを受けても仕方がない。気にすることなんてない。他にいい男なんてたくさんいる。

元気づけるために、その背中に手を伸ばす。その瞬間、娘は声をあげながら自分の頭をかきむしった。私は驚いて動きを止める。固まっている私をよそに、彼女は勢いよく立ち上がると虚空に向かって声を張り上げた。

「あんな最低男の本性を見抜けないなんて、自分が情けない。今度は絶対もっといい人を見つけてやる。見てなさいよ」

誰にともなく宣言する娘を見て、私は思わず声を立てて笑ってしまった。私の笑い声に、彼女は驚いたようにこちらを振り返る。

「母さん、いるならいるって言ってよ。恥ずかしい」

頭を抱える彼女に、笑いながら近づいて、そのくしゃくしゃになった髪を整えるように撫でてやる。

「さすが母さんの子だわ。辛いことがあってもへこたれずに、また起き上がる」

その精神は、確かに私から受け継がれたものだと断言できる。雲が切れたのか、窓から日の光が入り込んできた。笑う私に釣られたのか、娘も嬉しそうに微笑む。その顔は、出会ったあの日の可愛らしい少女の頃と少しも変わっていない。それがなんだか妙に嬉しくて、私は少し鼻の奥がツンとした。

それから5年後、娘はいつかの言葉通り、新しい婚約者を連れてきた。新しい婚約者は裏表のないさっぱりとした性格で、弁護士をしているらしい。「絶対に波さんを幸せにします」という彼の目には、一切の迷いが感じられなかった。その真面目さと誠実さをしっかりと確認して、私も義母も安心して彼に娘を任せることにしたのだった。

一方の大輔は、その後ご両親から縁を切られてしまったらしい。自分一人では高い学費を払うこともできず、学校も退学してしまったのだという。アルバイトなどもしたことがない上、あまり仕事ができる方とは言えず、何かと苦労しているようだ。大輔の父の話によると、現在では安いボロアパートで一人暮らしをしているらしいと、義母が話してくれた。

そして現在、娘とその夫の間には元気な男の子が生まれた。私も義母も新しい家族にすっかり浮かれてしまい、娘から毎日のように「じいじ、ばあば」とせがまれている。今日は私と義母、娘家族の5人でショッピングに出かける予定だ。以前見かけて気になっていた可愛い子供服を買ってあげよう。そんなことを考えながら、私は頬を緩ませるのだった。

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