「この高卒、誰が採用したんだ。会社の恥だ。即刻首にする」
部長の怒号がオフィスに響き渡った。俺が口を開くより先に、課長が部長に告げた。俺を採用したのが誰か、課長は知っていたはずだ。知らなければ、きっとずっと前に俺を辞めさせていただろう。
採用者が誰か知れば、部長が俺を首にするのを思い止まるかもしれない。そう考えたのか、課長は採用者の名を明かさなかった。まあ、今伏せておいても、どうせ後で知ることになるだろう。幸い、俺は自分のやるべきことを、今日までにすべて終えていた。
俺は二人に反論せず、頭だけを下げて荷物をまとめ、会社を後にした。そして、会社を出るなり、とある人物に電話をかけた。
「あ、もしもし。俺だけど」
次の日、彼らは俺の素性を知って驚愕することになる。
俺の名前は小早川洸。三十五歳の会社員だ。高校を卒業してから、あちこちの中小企業を転々としてきた。性格に問題があるとか、能力が低いとか、そういう理由ではない。人生は一度きりなのだから、少しでも多くのことを経験してみたいと思っていたからだ。
中学や高校でも、いろんなことに興味があった俺は、一つの部活に絞らず、運動部から文化部まで、たくさんの部活に顔を出していた。当時のあだ名は「スケットマン」。運動神経も悪くなく、頭もいい方で、どんな部活でもそつなく活躍できたことが由来だ。先生からは「一つの部に専念したら、才能がもっと開花するのでは」と言われたこともあったが、その時の俺は自分の立場に満足していたから、結局どこにも所属しなかった。
大学に行かなかったのも、四年間を勉強に費やすより、早く社会に出て経験を積みたかったからだ。周りに理解されにくい考えだとは思うが、自分の人生は自分が決めるものだし、自分の生きたいように生きるべきだと思っている。だから、理解されなくても特に気にしていなかった。数は少なくても、俺の考えを尊重してくれる人もいる。
そんな俺が今の会社に転職してから、もうすぐ一年が経つ。数少ない理解者である父に頼まれて来た会社だが、今ではだいぶ職場にも慣れ、それなりに楽しみながら仕事をこなしている。営業部だからか、同僚は豪快な人が多く、俺の転職歴や学歴を気にせず仲良くしてくれていた。ノルマはあるが、頑張った分だけ成果が目に見えてわかるから、やりがいを感じる。このままここにいるのも悪くない。ただ、唯一のネックは課長の存在だった。
課長は、俺が配属された初日から俺のことを嫌っていた。
「ここは、お前みたいな高卒の無能が来るような会社じゃないんだよ」
「あ、はあ」
「しかも、今までどこの会社でも長続きしなかったみたいじゃないか。なんでそんな奴を採用したんだか」
確かに、今いるこの会社は国内でその名を知らない者がいないほど有名な大企業で、社員のほとんどが大卒だ。特にこの営業部はエリートの集まりとして知られていて、三十代の高卒中途採用者である俺は部署内では異端と言ってもいいだろう。課長は俺の経歴を見ながら文句を言っていたが、俺がこの部署に配属されたのには理由がある。
ここで揉め事を起こして目をつけられるようなことはしたくない。俺は課長の嫌味を気にしないようにして、笑顔で挨拶をした。
「ご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いいたします」
「仕方ないな。とりあえずお前は、俺の命令には絶対服従だからな」
「はい、わかりました」
そしてこの日から、課長は俺を奴隷のようにこき使い始めた。雑用を押し付けられたり、私的な使い走りを頼まれることは日常茶飯事。定時終了間際に大量の仕事を振ってくる、明らかな嫌がらせをしてくることもあった。課長はエリート大卒であることを自慢に思っていて、非大卒の社員や有名大卒ではない社員を見下していたが、高卒の俺はその筆頭に位置していた。俺は自分のやるべきことに集中し、課長の態度を気にしないように務めていたが、それでも気持ちのいいものではない。
そして、そんな課長の態度が増長する事態が起きた。部長が体調を崩し、療養のために会社を辞めることになり、代わりの人がやってくることになったのだ。新しい部長は女川拓人という人物で、就任の挨拶のために部署にやってきた。
「この営業部はエリートの集まりだと聞いている。その名に恥じない活躍を頼むよ。この場にそぐわない人間を見つけたら、すぐにでもこの場から去ってもらうつもりだ。そのつもりで頑張ってくれ」
部長の挨拶に部署内がざわめく中、課長だけはニヤニヤと含み笑いを浮かべていた。それからというもの、課長は部長の腰巾着のように後をついて回るようになった。そんな課長のことを、部長も気に入ったようだ。部署内の他の社員と話すことはなく、いつも課長を引き連れて、オフィス内を視察していた。
俺の経歴が部長の耳に入れば、きっと部長は俺をこの会社から追い出そうとするだろう。バレる前に、早くやるべきことを終わらせなければ。俺は、課長が部長に告げ口する理由を与えないために、きちんとノルマをこなしながら、もう一つの仕事を急いだ。
それから数週間後のことだった。たまたま他の社員が体調不良で欠席した際、引き継ぎがうまくいっておらず、取引先とトラブルが起きてしまったのだ。その事後処理に追われ、俺は自分の仕事を後回しにせざるを得なくなってしまった。それを挽回するために残業していたのだが、そんな時に運悪く、部長と課長がオフィスにやってきた。
「君はいつもこんな時間まで残業しているのか」
「いえ、今日はたまたま遅れた仕事があったもので」
「皆が時間内に終わらせているのに、終わらせられないのは、君の能力が低いからじゃないのかな」
部長と俺の会話を聞きつけた同僚が、俺の仕事が遅れた理由を説明しようとしてくれたが、課長がその同僚を遠ざけ、部長にすり寄った。
「そうなんですよ。こいつの無能ぶりには、私も本当にいつも困っているんです」
「そうなのか。この営業部は有能な人材が揃っていると聞いていたんだがな」
「こいつは例外なんですよ。実はこいつ……」
課長は冷ややかな目を俺に向けながら、部長に耳打ちをした。
「なんだって、お前、高卒なのか」
「はい、そうですが」
まあ、いずれはバレていただろうし、嘘をつく理由もない。部長が学歴を重視する人間だってことは、課長を気に入るぐらいだから察しがつく。日本も少しずつ学歴より能力ややる気を重視するようになってきてはいるが、こういう人間を目の当たりにすると、まだまだだなと実感してしまう。確かに学歴も評価対象の一つではあるが、それだけを絶対視するのはいかがなものだろうか。
俺がぼんやりとそんなことを考えていると、部長が大声で怒鳴り始めた。
「この高卒、誰が採用したんだ。会社の恥だ。これはすぐに首にする」
俺が部長に答えようとするのを遮って、課長は部長に告げた。課長は俺を採用したのが誰か知っていたはずだ。知らなければ、きっと課長はもっと前に俺を辞めさせていただろう。採用者が誰か知れば、部長が俺の首を思い止まってしまうかもしれない。そう思ったのか、課長は部長に採用者を伝えなかった。
まあ、今伏せておいたところで、どうせ後から知ることになるだろう。幸い、急いだ甲斐あって、俺は自分のやるべきことを今日までに終えていた。俺は二人に反論することなく、頭だけを下げて、自分の荷物をまとめ、会社を後にした。
会社を出てすぐ、俺はとある人物に電話をかけた。
「あ、もしもし。俺だけど」
会社を首になった次の日、久しぶりにのんびりとした朝を過ごしていた俺の元へ、会社から電話がかかってきた。かけてきたのは社長の秘書で、今すぐ社長室に来てほしいとのことだった。呼び出されることを予想していた俺は、準備しておいたスーツに身を包み、身だしなみを整えて会社へ向かった。社員証は昨日返していたので、受付を済ませて社長室へ向かう。
ノックして中に入ると、すでに呼び出されていた部長と課長が、俺の姿を見て驚きの表情を浮かべた。
「なんでお前がここにいるんだ。昨日首にしただろうが」
「私が呼んだんだよ」
課長の怒鳴り声を、社長が静かに遮った。部長と課長は、わけがわからないといった様子で困惑顔になる。
「呼びつけて悪かったな」
「別にいいよ。どうせ呼ばれるだろうなって思ってたし」
「お前、高卒の分際で社長に生意気な態度を……」
「いいんだよ。こいつは私の息子なんだから」
「え……は、息子ですか」
社長の言葉に、部長と課長は信じられないといった様子で、俺と社長の顔を交互に見つめた。そう、実は俺は、この会社の社長である小早川正の息子なのだ。俺の奔放とも言える性格をよく理解してくれていた父は、無理に会社を継げとは言ってこなかったし、今まで俺の好きにさせてくれていた。父自身健康で、まだまだ現役でいるつもりだったのもあるだろう。そんな父が、俺に相談があると言ってきたのが、ちょうど一年ほど前のことだ。
どうやら会社のお金が横領されているらしいと、経理の人間が気づいたらしい。だが、たくさんの支社や部署を抱えた大企業で、内密に調査を進めるのは難しい。なんとか本社の営業部に犯人がいることまでは突き止めたが、そこから先が行き詰まってしまった。頭を悩ませていた父は、ちょうど新しい仕事を探していた俺のことを思い出し、営業部で内情を調査してほしいと頼んできたのだ。
内部調査なんて今まで経験したことがなかった俺は、興味心身ですぐに父の提案を承諾した。それに、父もそろそろ年を取ってきていたし、真面目に会社を継ぐことも考えなければと思っていた。会社の内情を知りながら現場の仕事にも触れられて、横領犯を特定できれば一石二鳥だ。そうして俺は、社長採用という特別枠でこの会社に転職し、営業部に配属されたというわけだ。
「申し訳ございません。まさか社長のご子息とは知らず、大変失礼な態度を……」
「君も人が悪いな。初めから言ってくれたらよかったのに」
「でも、俺が社長の息子でも、高卒なことに変わりはないですから」
俺の嫌味に、部長と課長は顔を引きつらせたまま固まってしまう。そんな二人に、俺の父は追い打ちをかけるように、ある書類を手渡した。
「二人とも、これを見てくれるか」
「こ、これは……」
「私が息子に頼んで、この一年で調べてもらった、社内の横領についての報告書なんだがね」
それを聞いて書類を持った二人の顔は、あっという間に青ざめ、冷や汗を流しながらガタガタと震え出した。特に課長の慌てぶりと言ったら、今にも逃げ出してしまうんじゃないかといった様子だ。それもそのはず。俺の調査の結果、課長が横領犯であることが発覚したのだから。しかも課長は主犯で、各部署の人間を抱き込んで、組織的に横領を働いていた。部長も課長に抱き込まれた人間の一人で、営業部に来てからは、二人が先頭を切って動いていたようだ。きっと課長は「部長に今までずっとバレなかったのだから大丈夫だ」とでも言ったのだろう。
「皆が必死に頑張って会社のために稼いだお金を横領するなんて。エリートが聞いて呆れる。高卒よりも横領犯の方が、会社にとって恥だと思いますけど、違いますか」
俺の嫌味に、課長は俯いていた顔をはっと上げ、父に言い訳を始めた。
「社長、ここに書かれていることは全部嘘です。こいつが私のことを嫌いだから、私を横領犯に仕立て上げたんですよ」
「なんで、君が息子に嫌われていると思ったんだね」
「そ、それは……それは、これが理由ですよね」
俺はポケットからボイスレコーダーを取り出し、再生した。そこから流れてきたのは、俺を奴隷のようにこき使い、暴言を吐く課長の声だった。
「い、いつそんなものを……」
「ちなみに、こっちは横領とは別に、パワハラになりますね」
「社長、私は課長に巻き込まれただけで、主導してきたのはこいつです。こいつだけ処分してください」
「ぶ、部長、何を言うんですか」
「うるさい。お前の口車に乗せられなければ、俺は横領になんて加担しなかったんだ。全部お前のせいだ」
「自分にも一枚噛ませろって言ってきたのは部長じゃないですか」
我先にと罪のなすり付け合いを始めた二人を見て、父はため息を一つつき、机をばんと叩いた。その大きな音に、二人はびくっと肩を震わせて黙り込む。
「どっちが悪いとか、そんなことはどうだっていいんだよ。お前たち二人とも悪いことには変わりないんだ。今から正式に警察が来て調査が入るから、警察官が到着するまで、そこで大人しくしていろ」
「そ、そんな、警察なんて、ちょっと大げさすぎじゃ……」
「大げさなもんか。横領は立派な犯罪だぞ」
「そんな……」
警察と聞いた二人は、その場で泣き崩れた。ことの重大さに今の今まで気がついていなかったとは、本当に呆れて言葉も出ない。
その後、父の言葉通り警察官がやってきて、二人は連行されていった。調査で発覚した共犯者の社員も数名連行され、社内は一時、騒然とした雰囲気に包まれた。俺の調査報告書やその他の証拠も警察に提出し、俺は父に言われて、しばらく家でゆっくり過ごすことになった。急に警察から呼び出されることもあるかもしれないから、自宅待機は都合がいい。この一年、業務外の仕事もこなしていたことだし、これは自分へのご褒美でもある。
それから数日後、部長と課長、さらに数人の横領に関わった人間すべてが、検察により起訴されることが決まった。俺の調査結果をもとに有罪判決も早々に出て、全員がそれぞれ数年ほどの懲役と損害賠償の支払いを求められることが決まったそうだ。部長と課長は妻と子どもがいたが、有罪判決を理由に離婚を突きつけられ、慰謝料請求もされているらしい。
刑期を務め上げて出所してきても、仕事もなく、賠償金と慰謝料の支払いに追われる日々が待っているだけだとは。少しかわいそうな気がしないでもないが、これも全て彼らの自業自得だ。自分の私利私欲のために犯罪行為を働いてしまったことを、しっかり反省して、更生して出てきてほしいと思う。
会社はと言うと、急に何人もの逮捕者が出たことで、しばらく混乱した状態が続いたようだ。しかも営業部は、部長と課長という役職者がいなくなったことで、かなり混乱したらしい。取引先にも事情を説明して回らないといけなかっただろうし、そんな時に休みをもらってしまって、俺は少し申し訳なく思った。だが、当事者である俺がいたら、皆を余計に動揺させていたに違いない。俺は自分にそう言い聞かせながら、休みの期間を家で過ごした。
数週間後、父からの呼び出しで、久しぶりに会社に足を踏み入れた。社長室に入ると、少し疲れた様子の父が出迎えてくれた。さすがに今回の一件は、父にも応えたのだろう。
「もうだいぶ落ち着いたの?」
「まあな。今回は本当にお前に助けられたよ。ありがとう」
「いいよ、別に。俺も楽しみながら仕事してたし」
「ところで、お前は今後どうするんだ? また違うところに転職するのか?」
「うん。父さんさえよければ、このままこの会社にいようかなって考えてたんだよね」
「俺としては、そうしてもらえるとありがたいよ。営業部の部長の席がなかなか決まらなくて、困ってたんだ」
「え、俺が部長?」
「お前の評価は営業部の社員たちから聞いているし、お前を部長にと話したら、みんな喜んでくれていたぞ」
「部長か。俺に務まるか、心配だな」
「分からないことがあったら、いつでも私に聞きに来ればいいさ」
「そうだね。同僚もみんな優秀だし、皆に助けてもらいながら頑張ってみようかな」
こうして俺は、営業部の部長として会社に戻ることが決まった。営業部に行くと、皆笑顔で俺を迎え入れてくれ、課長がいなくなったことで、部署の雰囲気も明るくなったように感じる。今までは身軽に動けるように役職につくことは考えてこなかったが、これからは気持ちを改めていかないとな。俺は活気づく営業部の中を見渡しながら、これからもこの会社のため、社員たちのために、一生懸命励んでいこうと心に誓った。
