玄関の扉を開けた瞬間、恐怖で悲鳴がこぼれた。それも仕方がない。ここは確かに私の自宅なのに、家の中に見知らぬ老人がいる。しかも二人もだ。老人たちは私を見て笑顔で「お帰り」と言ってくるのだから、余計に不気味である。
「あなたたち、一体誰なんですか?」
私が声を振り絞ってそう尋ねると、奥から「やっと帰ってきたんか」と怒声が聞こえる。声の主は同居している義父だ。
「このどん亀女が。仕事が終わったらさっさと帰って来いって何度も言うとるやろ。言うことを守らんとか脳みそスカスカなんとちゃうんかい」
もはや日常と化した義父の罵倒が始まる。しかし今はそれを聞いている場合ではない。
「ちょっと待ってください。この人たちは一体誰なんですか? 場合によっては警察を呼びますよ」
私のそばにいた二人の老人を指さすと、義父はさらに顔を真っ赤にして怒りに満ちた声をあげた。
「このボケが。人の家族を指さしとんちゃうぞ。礼儀のなってないクソが。こいつらはわしの妹夫婦や。今日から一緒に住むことにした。足が悪いけんがな。お前が面倒を見ろ。どんくさいお前でも、妹がこけそうになったら下敷きくらいにはなれるやろ。ほら、分かったらさっさと飯の支度せえ。先の短い老人の時間を奪っとるんちゃうぞ」
ここは私の家だ。義実家でも何でもない。同居しているとはいえ、義父は義理の親に過ぎない。なのに、いくら親戚に当たるとはいえ、どうして私に何の相談もなく勝手に人を住ませるのか。年長というだけで何をしても許されるのか。そんなわけがない。
しかし、そんな反論は「年功序列こそが正義」という時代遅れの価値観を持つ老人に受け入れてもらえるわけがない。私は、私の家なのに私の居場所がないことを知り、これから先の人生に深い絶望を覚えるのだった。
私の名前は半田直子。しがない兼業主婦で、介護士をしている。毎日疲れて寝落ちてしまう、どこにでもいる女だ。介護士の仕事はかなりの肉体労働なのに、給料はそんなに良くない。私たちがいなくなったら老人たちは生きていけないのに、どうして介護士はこんなに安く買い叩かれているのだろう、と時々思う。夫の大輔と共働きのため、生活に困ることはない。それなりに幸せな日常だった。しかし、少し前から「それなり」では片付けられない悩みができてしまった。それは義父の存在だ。
数年前、義母からこんな相談を受けた。
「最近家の掃除をするのが大変になってきてね。個人した賃貸に引っ越そうかとお父さんと話してたのよ。それでね、どうせだからこのタイミングで大輔たちの近くに引っ越したいなって思ったんだけど、だめかしら?」
その当時、私と大輔はこのマンションから一軒家に移り住んだばかりだった。義母の言わんとすることも分かる。この先何があるか分からないから、息子の近くに住むことで不安を取り除きたいのだろう。同居を提案されたわけではないので、私がとやかく言えることでもない。だから「全然大丈夫ですよ」と返事をした。義両親たちは関西から私たちの家の近所に引っ越してきた。
それからしばらくの間、私は義両親たちとそれなりに良い関係を築けていたと思う。義両親たちは、近所に引っ越したからと言って必要以上に干渉してくることはなかった。しかし、一年ほど前に義母が急死した。病気もなく健康に何の問題もなかったため、まさか突然亡くなるとは誰も予想していなかった。その喪失感は凄まじいものだった。嫁の立場である私ですらかなりショックだったのだ。義父の悲しみは計り知れない。
「お父さん。辛いとは思いますが、お元気を確かに持ってくださいね。何かあったら何でも言ってください。できる限りのことはさせてもらいますから」
私は確かに義父にそう言った。そう言ったのだが、まさかこの日を境に義父が私をこき使うようになるとは思ってもいなかった。
言葉をかけてから、義父はすぐに私を頼ってきた。最初は義母が亡くなったことで発生した様々な手続きがメインだった。確かに煩雑なものもあったので、大輔と協力して一つずつ片付けた。ここまでは良かった。しかし、その後義父が私を頼ってくる内容は、とてもつまらないものばかりだった。
「選択のやり方が分からん。今すぐ家に来てくれ」「キッチンヒーターの使い方が分からん。今すぐ来てくれ」「今日は何を食べたらいいか分からん。今すぐ来てくれ」
挙げ句の果てには、そんなことまで。さすがに付き合いきれない。私も暇ではないのだ。最初のうちは仕方がないと思っていた。義母がいなくなった寂しさもあるのだろうと。しかし、どうやら寂しさだけではないようだ。義父は結婚してから今の今まで全く家事をしたことがない、典型的な亭主関白だった。何をどうしたらいいのか分からないのも確かなのだが、それ以前に「家事は女がやって当たり前」と考えているようなのだ。だから義父は大輔ではなく私しか頼らないし、私が要望に応えてもお礼の一つも言わない。
そんなことが続けば、私も徐々に義父の呼び出しに応じる気がなくなる。それに私は介護士の仕事をしている。いつ何時でも義父の相手をできるわけではない。義母がいなくなった直後は、施設長も私が仕事を抜けるのを大目に見てくれていた。「早くお父さんのところに行ってあげなさい。ここは大丈夫だから」という風に。しかし、最近は私が義父のことで抜けるだけで、嫌な顔をされるようになった。介護士はただでさえ人数が少ない。私が一時間抜けただけでも、多大な迷惑をかけることになる。だから私も仕事中にかかってくる義父の連絡は全て無視するようになった。
ある日、職場の同僚から「直子さん、お電話です」と言われる。この時点で嫌な予感がした。私に電話を渡す同僚が、とても困った顔をしていたからだ。私が恐る恐る電話に出ると、耳が痛くなるほどの怒声が飛んできた。
「このボケ。何様のつもりじゃ。義理の父親が何度も何度も電話をかけとる言うのに、それに無視とはどういうじゃ? 嫁としての勤めも果たせんようなら、仕事なんぞやめてまえ。女の本分っていうのはな、男に尽くして子供を産むことだけや。それもできひんくせに、外に働きに出るな、ボケ」
介護士の仕事を長く続けていると、こういう価値観の老人に何度も出会ってきた。しかし、いざ自分の義父に言われると、心に深く突き刺さる。
「落ち着いてください、お父さん。私だっていつでも電話に出られるわけではないんです。あと、職場への電話は迷惑なのでやめてください」
しかし義父が素直に私の言うことを聞くわけがない。
「やかましい。今すぐうちに来い。さっさとこっちに来て風呂場の掃除をせえ。お前が掃除せんせいで、湯舟が汚れとんじゃ。わしを風呂に入れへんつもりか?」
「いや、自分で掃除してくださいよ」
義父の態度と命令に呆れた私は、そっと電話を切り、義父の番号を着信拒否にした。その日の夜、私は夫の大輔に義父の件について相談した。
「分かった。なんとかするよ」
大輔はそう言ってくれたが、それが口だけだということはすぐに分かることになる。次の日も、その次の日も、一週間後も一ヶ月後も、義父の連絡は止まらなかった。
そんなある日、私がいつものように義父の電話を無視して仕事をしていると、再び同僚から電話だと声をかけられた。
「お父さんが病院に運ばれたみたいなんです」
結論から言えば、義父は無事だった。ちょっとした擦り傷があったくらい。義父は散歩をしていたらしいが、足がもつれて転倒したらしい。その際、転び方が運悪く、通行人が救急に連絡したという。しかし、私にとって予想外のことが起こった。病室でのことだ。私が職場から病院に駆けつけると、そこには先に大輔がいた。そして私が義父に近づいて「大丈夫ですか」と尋ねようとした時だった。
「お前のせいだ」
大輔は私に向かってそう言った。私には理解ができなかった。義父には怒られる覚悟はしていた。しかし一番に怒りを見せたのは、大輔だったのだ。
「お前が父さんの電話を無視なんてするから、こんなことになるんだろう。聞けば父さんは散歩に行こうとして、直子に電話を入れたらしいじゃないか。こけたりしないよう、念のためについてきてもらおうと。だけど何度電話しても繋がらない。だから仕方なく一人で散歩したら、転倒してこんなことに。正直私には分からなかった。私はここまで責められることをしたのかどうか。私がなぜ義父の電話を無視するか、数日前に大輔に伝えたはずだ。そしてそれに対して、大輔は何かしてくれただろうか。結局口だけだった」
「ごめんなさい」
私はそう言って謝った。きっと大輔は義父が急に病院に運ばれたことで動揺しているのだ。亡くなった義母のこともある。再び親を失うのが怖かったのだろう。今は争ってはいけない。そう思った。だから、この後に続く大輔の言葉も受け入れた。
「ともかく、お前のせいでこうなったんだから、入院中は直子が父さんの面倒を見ろ。そのスマホばっか見てないで、身内の世話をしろ」
毎日義父の面倒を見なくてはいけないなんて、はっきり言ってめちゃくちゃ嫌だった。嫌で嫌で仕方がなかったが、私は大輔との関係まで悪くしたくなかった。これは大輔と良好な関係を続けるための試練なんだ。そんな気持ちで、日々義父のいる病室へと通った。
予想していたことではあったが、義父は私を飯使いのようにこき使い、気に入らなければすぐに怒鳴り声をあげた。
「なんでまともに膝も揉まれへんねん。お前、ほんまに介護師やってんのか? 腕も貧相やし。立派なんは胸とケツだけかい」
挙げ句の果てにセクハラまでしてくる。ただ、ぶっちゃけた話、言われるだけならもう何とも思わなくなっていた。介護士を長くやっていると、義父のようなモラルの欠けた老人と出会うことは多々ある。いちいち気にしていられない。しかし、そんなモラルの欠如は私に向けられるだけで収まるわけはなく、義父の様子を見に来た看護師さんにも飛び火する。
「わしだって大きな声を出したないねん。でもうちの嫁がまともにマッサージもできひんねんから、怒るのもしゃあないやろ。せや、看護師の姉ちゃん、代わりに肩を揉んでくれへんか?」
看護師が「仕事があるので」と病室を去ろうとすれば、また怒鳴り声をあげる。翌日から義父は危険視されたのか、男性の看護師しか来なくなった。義父は「野郎に世話されてもしゃあないわ」と文句たらたらだったが、それも三日で終わった。これで義父から解放される。そうやって喜べたのも束の間。大輔が最悪の提案をしてきた。
「今後何かあったら不安だから、父さんと同居することにした。家も引き払う手続きを進めたから、直子は余ってる部屋を使えるように片付けてくれ」
「はあ?」
という言葉が思わずこぼれた。大輔はそれを聞き逃さない。
「何か文句あるわけ? 同じこと言わせる気か? お前のせいで父さんは怪我をしたんだよな。それとも何か、父さんが死んでもいいって言うのか? お前、最低だな。この人殺し」
あまりにも飛躍した結論だった。しかし「父さんが死んでもいいのか」と言われてしまえば、私は反論できない。今思えば、義母は一種の抑止力だったのだろう。これまで義父や大輔のわがままをうまく抑えてきたに違いない。しかし、私にはまだそれができない。こうして、私は義父との同居を受け入れざるを得なかった。
同居するようになって、義父の暴言はひどいものへと変わっていった。今までは自分の都合通りにいかないことを怒鳴っていただけだが、最近では私と大輔のことまで口を出してくる。「夜の方はどうなっとんや」「早く孫の顔を見せろ」「三十を過ぎたら男から女として見てもらえんくなるぞ」「お前は体付きだけはええんやから、それを有効に使えや」と言って、ボディタッチをしてきたりする。言葉だけならまだ流せる。しかし触ってくるといった物理的な行為になると、話は別だ。
「何するんですか?」
私はそう言って義父の手を払いのける。こういう時、私がいくら反抗しようと義父は怒らない。むしろ、私の態度を見てニヤニヤと下品な笑みを浮かべているのだ。面倒な義父との同居ならまだしも、気持ち悪い不審者と一緒に暮らすなんて正気の沙汰ではない。すぐに私は大輔に相談した。はっきり言って、何かしてくれると期待していたわけではない。それでも話ぐらいは聞いてほしい。妻がひどいセクハラ被害に遭っていると分かってほしかった。けれど、私が大輔から受けたのは予想外の言葉だった。
「年寄りはみんなそんなもんだろう。お前も職場でそういうことをされたりするんじゃないの? 慣れてるだろう。それにいいじゃないか。若い女みたいに扱ってもらえるんだから。好きにさせておけば機嫌もいいんだし。黙って触らせておけよ。増えるもんじゃないんだし」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが切れる音がした。
気がつけば、私は実家に戻っていた。そばには中身がはみ出たトラベルバッグ。そして私の体は真っ赤に汚れていた。私は怒りに任せて、義父と大輔に手をかけたわけではない。さすがに人を手にかけるほど我を失ってはいなかった。それでもせめてもの嫌がらせとして、作ったばかりの夕食を全てゴミ箱にぶちまけてきた。その時に跳ね返ったものが服に付着したのだ。しかし、そんな姿をしていたおかげか、両親はなんとなく事情を察してくれたようで、「好きなだけ家にいなさい」と言ってくれる。こうして私は家事をボイコットすることにした。
私の作戦は狙い通りに進んでいるように見えた。翌日には大輔から頻繁に電話とメールが届き始める。内容は「お前がいないと俺は何もできない」といったもの。どうやら私が出ていっただけで、家の秩序が崩壊したらしい。「家事を全部任せきりにして済まなかった」「直子のありがたみが分かった」などと、感謝と謝罪が書き連ねられている。最初は「その程度のことで許さないぞ」と思っていたものの、大輔が何度も連絡をよこすので、私の中で少しずつ怒りは小さくなっていった。仕方ない。大輔のことはとりあえず許してやってもいいかもしれない。けれど、最大の問題は義父だ。義父が態度を改めない限り、同じことが繰り返されるのは目に見えている。だから私は大輔に「お父さんが謝ってくれない限り、帰るつもりはありません」と返信しておいた。
ある日の休日、私は外に買い物へ来ていた。義父と同居してからというもの、自分のために使える時間は大幅に減った。プライベートな買い物をするなんて、一体いつぶりだろう。そんなことを思いながら歩いていると、ふと一件のラブホテルが目に入った。実は少し前、義父に「子供が欲しいのなら、若いうちに産んでおいた方がいい」と言われた言葉が引っかかっていた。確かに、子供が欲しいのも事実ではある。若いうちに産んでおいた方がいいんだろうな。そんなことを思っていた。だけど、すぐにそんな考えは消し飛んだ。何気なく見つめていたラブホテルに、大輔と知らない女性が入っていく姿を目にしたからだ。
私は大輔を問い詰めるため、久しぶりに自宅に帰る覚悟を決めた。玄関に鍵を差し回す。しかし扉が開かない。つまり鍵が開いていたということ。義父一人しかいないはずなのに、不用心だな。もう一度鍵を回し、扉を開けた瞬間を恐怖が襲った。
「きゃっ!」
無意識にそんな悲鳴がこぼれる。それも仕方がない。だってここは確かに私の自宅なのに、家の中には知らない老人がいる。しかも二人も。老人たちは私には逆に笑顔を向けてきて「お帰り」と言ってくるのだから、より一層不気味である。
「あなたたち、一体誰なんですか?」
私が声を絞り出してそう尋ねると、奥から「やっと帰ってきたんか、このボケ」と怒声が聞こえる。声の主はもちろん義父。
「このどん亀女が、今までどこをほっつけ歩いとったんじゃ。ほら、さっさと火加減せえ。お前がおらんから、食器やら掃除やらが溜まっとんじゃ。おら、さっさとやれ」
義父はそう言って、私を台所に引っ張っていこうとする。しかし、今はそんなことをしている場合ではない。
「ちょっと待ってください。この人たちは一体誰なんですか?」
私はそばにいた二人の老人を指さした。すると義父はさらに顔を真っ赤にして、怒りに満ちた声で言うのだった。
「このボケが。人の家族を指さしとんちゃうぞ。礼儀のなってないクソが。こいつらはわしの妹夫婦や。今日から一緒に住むことにした。二人は足が悪いけど、幸いなことにうちには介護士がおるからな。お前が面倒を見ろ。どんくさいお前でも、妹がこけそうになったら下敷きくらいにはなれるやろ。ほら、分かったらさっさと飯の支度せえ。先の短い老人の時間を奪っとんちゃうぞ」
ここは私の家だ。義実家でも何でもない。いくら親戚に当たるとはいえ、どうして私に何の相談もなく勝手に人を住ませるのか。もう、さすがに許せない。私は疲れたまま義父の手を振り払い、全員を見据えて叫んだ。
「ここはあなたの家じゃありません。私の家です。勝手なことしないでください。もうお父さんと一緒に暮らすのは我慢の限界です。今すぐ荷物をまとめて、妹さんたちを連れて出て行ってください」
義父は初め、何を言っとるんやと笑っていたが、私の言葉が本気であると理解したのか、徐々に不愉快そうな表情を見せ始める。そして再び声を荒げた。
「なんやお前。嫁の分際で、一族の長である俺に逆らうんか。いいから黙って従え、小娘が」
「はあ。お父さんはつまらない人生を送ってきたんだな。思い通りにならなかったら癇癪を起こし、声を荒げる。そうやって今まで生きてきたのだろう。だったら、世の中には威嚇だけではどうにもならないことがあると教えてあげないと」
そう思った私は「どうなっても知りませんから」と言って、家を後にした。
翌日、私は再び実家に戻ってきていた。正直、私が出ていくのかよと思った人もいるだろう。確かに、流れ的には私が何かしらの方法で義父たちを追い出してハッピーエンド、という展開がお決まりだ。ただ、そんなすぐに追い出せるなら、今まで苦労していない。都合のいい魔法みたいな方法がこの世にあるわけがない。それに下手に力で追い出そうとすれば、老人虐待などと言われかねない。だけど、何も手を打っていないわけではない。
そんなことを考えていると、ちょうど電話がかかってきた。大輔からだ。それを私は無視する。次は義父から。それも無視する。
さらに三日後、外からタイヤが砂利を擦る音がした。窓から外を見てみると、家の前に見覚えのある車が止まっていた。もちろんそれは大輔が運転しており、義父も乗車しているようだ。二人は玄関までやってきてインターホンを押す。それに母が対応し、扉を開けた瞬間だった。
「お前らはどんな教育をしとんや?」
義父お得意の威嚇である。しかし母はひるむことなく「何の話ですか」と睨み返す。義父は今まで大声で女性に言うことを聞かせてきたのだ。ビビらせれば何でも言うことを聞いてもらえると。だけど母が全く怯えもしないため、逆に義父が少し戸惑っている。だが、その戸惑いを悟られないように、再び大声をあげた。
「お前らに用はない。おたくのクソ娘を出さんかい。あれをどやしに来たんじゃ、ボケ」
「うちにそんな子はいませんけど。ああ、立派な娘ならいますよ」
母はそう言った。正直、母が義父を言いくるめる様をこのまま見ていたい気持ちもあったが、そろそろ私が対応することにした。
「はいはい。そんなに声を張り上げなくても、出てきてあげますよ。あんまり怒ってばかりいると、脳の血管が切れちゃいますよ」
私がそう言うと、義父はさらに顔を真っ赤にして実家にやってきた要件を告げる。
「すぐにわしらの家の電気、水道、全部元に戻さんかい」
実は、私は家を出ていったその日、ライフラインを全て一時的に止めたのだ。とはいえ、解約したわけではない。家の外にあるブレーカーを落とし、水道の元栓を閉めただけである。普通ならその程度すぐに気づきそうなものだが、義父が分からないのはもちろん、大輔もそれらがどこにあるのか知らないのである。なぜかって? そりゃ私たちが住んでいる家は、私の祖母の家だからだ。
私は昔、死ぬほどおばあちゃん子だった。しかし祖母は年を取るにつれ、ひどい認知症を患い、当時中学生だった私をかなり邪険にするようになった。いつからか、私はほとんど祖母に会いに行かなくなっていた。そのことを祖母が亡くなってから、かなり後悔したものだ。その経験から私は罪滅ぼしというわけではないが、介護師になる夢を持ち始めたのである。似たような境遇の方々の老後の苦しみを取り除けたらと。
それから月日は流れ、私と大輔が結婚してしばらくした頃。私の両親は祖母が住んでいた一軒家の扱いに困り、売り出そうと考えた。けれどそこには、幼い頃の私と祖母との思い出が詰まっていた場所。私としては売り払うことなどしたくなかった。だから私は大輔に相談し、祖母の住んでいた家に夫婦で移り住んだのである。移り住むタイミングで電気や水回りに問題がないか点検してもらっていたこともあり、今日の今日まで特に問題は起きなかった。そのため大輔すらブレーカーと水道の元栓の位置を知らなかったのである。
ちなみに家はオール電化にしているので、電気が止まると家電はもちろん、キッチンヒーターやお風呂も使えなくなる。この当時は真冬だったため、義父と妹夫婦は寒さに身を寄せ合ってガタガタと震えていたそうだ。義父はせめて炉に火を灯そうとしたらしいが、運悪く火災報知器付きの部屋だったらしく、反応してスプリンクラーが作動したとか。そのせいでびしょ濡れになったらしい。まあ、それは災難だが、私の知ったことではない。私の家に対して私が何をしようと、私の勝手だ。少なくとも不法侵入者たちにとやかく言われる筋合いはない。
「何を言うとんや。あれは大輔が中古で買った家やろが」
「はい? 一体何のことを言っているんですか?」
私は義父の隣に立つ大輔を睨みつけた。すると見事に目が合わない。大輔は罰が悪そうに顔を伏せているのだ。それで大体察しがついた。大輔は当初、義父にあの家が私の祖母の家だったことを言っていないのだ。まあ、この義父に「家は嫁のものだ」なんて言えるはずがないか。私が真実を義父に伝えると、大輔は茫然としていた。
「そういうことなんですよ。不器用な息子ですね。父親に嘘をついて恥をかかせるなんて。まあ、そういうわけなんで、一刻も早く私の家から出て行ってもらいます」
義父は私の態度に何かと言いたげだったが、さすがにあの家が大輔のものでないと分かった以上、反論はできないようだ。その代わりに大輔を強く睨みつけている。その突き刺さる視線に耐えられなかったのか、大輔は私に恐る恐る提案してくる。
「なあ、さすがに追い出すってのはやりすぎじゃないか。父さんもおばさんたちもいい年なんだぜ。出ていけって言ったって、行く場所がないだろう。それに直子、おばあさんのことがあって介護師になったって言ってたじゃないか。そんな人間が老人にそんな態度を取って苦しめるのは良くないんじゃないのか。だから考え直してくれよ」
大輔なりに私の弱みにつけ込んだつもりなのだろう。だけど、そんな大輔に現実の厳しさを教えてあげなくてはいけない。
「確かに私はおばあちゃんの最後、優しくしてあげられなかった。支えてあげられなかった。そのことを後悔して介護師になったわ。だけど大輔は知ってるかしら? 介護師はお給料をもらって、他人の老人の面倒を見ているのよ」
大輔は私の言葉の意味が理解できない。いや、理解できるが故に、何の話をしているのか分からないという顔をしていた。
「仕事をして給料をもらうのは当たり前だろう。ただ働きなんてありえないってことよ」
「つまり、好きでもないじいさんの面倒を、ただで見てやるほど世の中甘くねえってことだよ。大体、てめえに指図される筋合いはねえんだよ。自分の父親を嫁に押し付けて、若い女とラブホに入ってること、知ってんだからな」
どうやら義父の口の悪さが知らぬ間に私にまで移っていたようだ。義父は息子の不貞を知り、目を剥く。今まで私からこんな乱暴な口の聞き方をされたことがなかった大輔は、浮気がバレていることも相まって盛大に取り乱していた。
「ちゃうねん。それはちゃうねん。あれはほら、仕事っていうか、仕方なくみたいな」
標準語を必死に使っていたはずの大輔の口から、関西弁が漏れ出る。もはや取り繕う余裕すらないのだろう。
「うるさい。もう何も喋るな。お前とは離婚させてもらうから。だから私の家からも荷物をまとめて出ていけ。三日以内に出て行かなかったら、警察に通報するから。弁護士とやり取りして」
私はそう言って、大輔と義父を実家から追い出したのであった。
その後、大輔と義父、その妹夫婦は私の家からちゃんと立ち退いていた。掃除などは一切してくれていなかったものの、それでも彼らがいるよりはましである。そして、そのしばらく後、私と大輔は無事に離婚することができた。大輔も離婚裁判になることを嫌ったようだ。ついでに、私は大輔と義父へそれぞれに慰謝料として五百万円ずつ請求し、それも受け入れられた。義父は納得が言っていない様子だったが、大輔に「大人しく払ってくれ」と言われ、諦めたようだ。
ただ、このままでは救われない人がいる。それは義父の妹夫婦だ。話を聞くと、彼らは義父に半ば強引に一緒に住むことを提案され、住んでいた家も売り払い、しかもその一部を車代として義父に支払っていたようなのだ。それなのに、住む家を失った。一番の被害者は妹夫婦かもしれない。そう思った私は、こっそりと妹夫婦に接触し、「義父を詐欺で訴えてはどうか」と提案した。さすがに家族を起訴するのは抵抗があったようだが、実際、高齢なこともあって新しく家を借りるのも難しかった。そのため「私も協力しますよ」と言うと、彼らは義父を詐欺で訴える覚悟を決めた。
その後、義父が示談にしてほしいと望んだため、妹夫婦は支払ったお金の返還と三百万円の慰謝料を請求した。結果、義父は八百万円以上の負債を抱えることになった。そのため義父はとっくに定年退職を迎えていたにも関わらず、再び働くはめになった。ただ、その翌年、普段からよく怒鳴り散らし、高血圧だったことも関係したのか、義父は脳出血を起こし、亡くなった。残った負債は全て大輔に相続されることに。およそ千三百万円の返済。この先、どうやって返していくのかが見ものである。そういう意味では、義父はある意味で良かったのかもしれない。借金地獄からは逃れられたのだから。これからは天国の義母と幸せに過ごせるだろう。あの本物の地獄に落ちなければの話だが。
天国や地獄があるかは分からないが、自分が息を引き取る時、できるだけ人から恨まれず、後悔のない生き方をしていこう。私はそう強く心に刻んだのだった。
