月100万の特許部品ごときで偉そうにしないでもらえませんか。
取引先の新部長のその言葉に、俺は驚きを隠せなかった。その特許部品を頼りにしているからこそ発注しているはずなのに、なぜそんな言葉が吐けるのか。俺は目の前の男に注意を促すべく尋ねたが、まさかここまで言われるとは思っていなかった。
そこまで言うならいいだろう。俺は覚悟を決めて口を開いた。
俺の名前は今井、45歳の会社員だ。小さな機械製造会社で営業として働いている。元々は町工場から始まった会社で、うちの技術者はみんな職人肌が強い。産業ロボットや新しいシステムの導入で自動化が進み、生産率は少しずつ上昇している。その一方で、一部の部品は今でも手作業で丁寧に仕上げている。
例えば、特許が関わっている部品などがその一つだ。
俺が担当している取引先にも、その特許部品を納品している。先方は精密機械メーカーで、俺が担当になって十二年になる。研究室や製造業の現場で使う検査機を作っている会社だ。
うちが納品している特許部品はナットだ。形状記憶合金でできているナットで、測定機の内部の微細な振動を吸収してくれる。形状記憶の性質を生かして、常に安定した締め付けを維持できるのだ。表面には特許部分である特殊なコーティングが施されており、この表面処理が非常に難しい。職人たちの熟練の技なくしては作れず、大量生産ができないのだ。
特に職人の中でも、佐藤という名の技術部長がいる。佐藤の技術力の高さは、うちの会社の誇りと言ってもいいだろう。社長からの信頼も厚く、将来を嘱望されている人物だ。
特許のナットは契約している会社自体が少なく、納品数にも限度がある。それでも「ぜひ」と言ってもらえているのは、やはり品質・性能の高さゆえだと言っていい。俺も営業として自社製品については知識があるが、「御社の部品なくしては成り立ちません」と言ってもらえると、自分のことのように嬉しいものだ。
俺は取引先に到着し、車から降りた。今日は取引担当の手島に対して要件がある。技術部長の佐藤から相談を受けたからだ。
佐藤曰く、ここ最近手島から直接コンタクトを取ってこられて困っているというのだ。佐藤は担当する仕事の系統こそ違うものの、俺と同期入社の仲間だ。同じ年に入社して、共に苦労した時期もある。俺が営業の道を、佐藤が技術の道を選び、それぞれの持ち場で頑張ってきた。佐藤は特許ナットの開発者でもある。
そして手島という人物は、うちの取引先の担当であり、営業部の新部長になったばかりの男だ。俺も営業として何度か直接やり取りしたことがあるが、プライドが高く、自分が下だと見た人間は徹底的に見下すという印象だ。まだ数える程度しか会っていないのに、そんな印象になってしまうほど、手島の言動は同じ社会人として考えられないものがあった。
「あなたは下請けでしょう。元受けの私に対してもっと敬意を示さないと。私の気分を損ねたら契約が危うくなるとは思いませんか?」
一度無茶な値引きを提示された際、俺は「できません」とはっきり断ったことがある。その時、俺に対しこんなことを恥ずかしげもなく平然と言うのだから、どうかしている。
会社のことなので、どういう人事で手島が部長になったのかは知らないが、正当な評価で部長になったとは到底考えられなかった。
最初は部品の仕様に関する質問ということで連絡をもらっていたんだが、佐藤から詳しく話を聞くと、どうやら手島が佐藤を引き抜こうとしているらしい。いつ連絡先を知ったのかと思ったが、仕事上佐藤が手島の会社を訪れた際に名刺交換をしていたそうで、双方スマホの連絡先は互いに知っていたそうだ。頻繁に連絡が来ては、「どうやって作ってるのか動画で送ってもらえませんか。参考にしたいんですよね」とさりげなく技術流出を促したり、「うちに来ればもっといい待遇で働けるよ。特許ナット以上のものも作れるよ。全力でサポートできるし」と引き抜きのような言葉をかけられるのだとか。
問題行動ばかりだな。俺は佐藤から事情を聞いてため息をついた。
こうして俺は営業担当として上司や社長に直接相談した上で、手島に直接注意しようとやってきたのだ。電話やメールも考えたが、直接話さなければこちら側の本気も伝わらないだろうと思った。
「あなたたちのような小さな会社と違いますから、私も忙しいんですよ」
取引先で手島と顔を合わせるなり、手島は不機嫌そうに言う。佐藤について大切な話があると話しておいたので、手島自身も要件は分かっているはずだ。
手島は面倒そうに俺をある場所へ連れていく。それは簡易的なパーティションで区切ってあるスペースだ。秘匿性のない相談や話し合いをするために設けられた場所だろう。ちょうど誰もおらず、人気がない。手島は一番手近な空いているスペースに入ると、俺を招き、設置されたパイプ椅子にどかりと腰を下ろした。
「で、大切な話というのはさっさと済ませてもらえますか。今は急いでるんですよ。新部長としてやることが山積みでね」
わざとらしく腕時計を見ながら手島はため息をつく。
俺は単刀直入に話を切り出した。
「弊社の技術部長・佐藤の件です。最近何かと佐藤個人の電話に連絡をすることが多いようですね」
俺が口にすると、手島は目を細める。とはいえ特に動揺をしていないところを見ると、やはり俺が何を言いに来たかくらいはある程度予想がついているようだ。
俺はそのまま言葉を続けていく。
「製品の作成工程を動画で送ってほしいといった内容は、技術の機密漏洩に関わりますし、佐藤自身をヘッドハンティングしているかのような発言は誤解を生みます。互いの信頼関係を守る意味でも、お控えいただけると助かります」
と続けようとしたところで、俺は一瞬ぎょっとした。目の前の手島はただニヤニヤして俺を見ていたのだ。正直、気味が悪いと感じた。
「何か、ありましたか」
俺は思わずそう尋ねる。すると手島は俺を小ばかにするように、かつて笑い声を漏らした。
「ふッ、別に」
手島はそう言って否定するが、その仕草が俺の神経を逆撫でする。俺は大きく息を吸い、静かに吐く。冷静にならなければ相手の思うつぼだ。
俺は努めて平静をよそおい、はっきりと告げた。
「佐藤からの相談事項は、すでに弊社の社長も知っています。改善していただけないのであれば、正式なクレームとして御社の社長にお伝えさせていただかねばなりません」
自分の感情を何とか横に置き、俺は端的に伝えた。今俺が話した内容は事実であり、うちの社長も承諾済みのことである。
クレーム。その瞬間、手島の顔色が変わった。自分のした行為の重大さも理解していないのかと呆れていると、「あのですね」と手島はうんざりしたように口を開いた。
そしてこちらを睨みつけ、まるで脅しをかけるような低い声でこう告げる。
「言わせてもらいますが、たった100万の特許部品ごときで偉そうにしないでもらえませんか。うちは元受けなんですよ。相変わらず立場が分かってないみたいですね。将来弊社にとって良い戦力になりそうな人材に声をかけて、何が悪いんでしょうか。前から思ってましたけど、下請けの分際って分かりますか? いい加減、しっかり自覚してくださいよ」
見たところ、手島は確実に感情的になっている。俺は心の中で深呼吸をして、相手を冷静に見据えた。
「ええ、よく分かっています。ですが手島部長のおっしゃる下請けというのは、何でも元受けの言うことを聞く、便利で都合のいい存在とでも言いたげですね。元受けが契約全体の責任を負い、下請けが専門技術で支える。本来は互いの信頼と技術で成り立つ協力関係のはずです」
その考えを踏まえて、俺は冷静に言葉を続けた。
「元受けと下請けとは、本来は対等な協力関係のはずです。役割の違いがあるだけでしょう。それに月100万と言っても、特許技術という代替不可能な価値があります。それをご理解いただけていないようですね」
それこそ、「分かってます」と言いたいくらいだ。
俺のそんな気持ちが見えたのだろう。手島は顔を赤くして「下請けの分際で」とつぶやき睨んでくる。非を認めて謝罪するどころか、腕を組んでこう言い放った。
「だったら契約は即刻解除だ。そうしたらこちらは堂々と佐藤さんをスカウトさせてもらいますよ。御社のような小さな製造会社で一生を終えるなんて、佐藤さん自身が望んでいないでしょう。私が声をかけたら、あっさりとこちらへ来るはずだ」
手島の物言いこそ堂々としていて、逆に笑いが込み上げてきそうだ。特許ナットを納品されなくなっても、開発者の佐藤が引き抜ければそれ以上の価値があると考えているのだろう。
俺は深く頷いた。
「それなら構いません。信頼できない相手との契約は、こちらにとってリスクでしかありませんから」
実を言うと、車内で手島について話し合いになった際、最悪の場合は契約を終了してもやむを得ないという結論に至っていた。手島側から契約を解除するぞと言い出したのだ。これはむしろ好機と取るべきかもしれない。それだけ佐藤は重要な人物なのである。
「な、ちょっと待て」
俺があっさり頷いたことが完全に想定外だったようだ。手島は顔を青ざめさせ、口をパクパクさせている。
「そういうことですから、必要書類などは後日改めてお送りいたします」
俺が立ち上がりながら言うと、「まあ待って、本当にいいのか? うちのような会社を逃したら」となぜか引き止めるような言い方をするので、俺は思わず苦笑する。
「契約解除を持ちかけたのはそちらです。信頼関係が崩壊するような行動を取ったのも、あなたでしょう」
俺はそうはっきりと告げ、さっさとその場を立ち去った。
次の日、俺は社長室に呼び出された。室内にはうちの社長、それから技術部長の佐藤、そして手島部長がいた。
「なぜここに?」
俺は手島の姿を見つけて思わず驚きの声を上げる。なぜかげっそりとした顔をした手島が、床に座り込んでいたのだ。
「呼び出して済まなかったね。事情をよく知っている君にも立ち会ってほしくて」
社長はため息混じりに手島を見ながら、俺に着席を促す。状況が分からないままに俺が着席すると、社長と佐藤が説明してくれた。
実は今朝早く、手島部長がいきなりやってきたんだ。
俺が昨日手島の元から自社に戻ってきた後、俺はことの顛末を社長や上司、それから佐藤に伝えていた。その後、佐藤は速攻で手島の連絡先をブロックしていたそうだ。ブロックされたことに気づいた手島は、その夜から何度も佐藤に電話をかけ続けたのだろう。しかし当然通話は繋がらない。メッセージを送っても既読すらつかない。焦った手島は、最終手段として直接佐藤に会いに来たのだ。
「朝の8時過ぎに受付に現れて、大声で『佐藤を呼び出せ』と騒ぎ立てたそうだね。あまりに騒がしいので、私が対応に出たという次第だ」
社長が説明すると、俺は改めて手島を見た。どこまでも非常識な奴だ。俺が思わずつぶやくと、手島は俺を睨みつけてくる。睨む余裕があるところを見ると、この男は自分が間違っているとは思っていないのだろうか。手島と直接話していた時もそうだったが、全く理解できない思考回路である。
「私はずっと前から、困っていました。手島部長の誘いを受けるつもりもないとお断りしていました」
佐藤の言葉に、社長はうんうんと頷いている。
「そもそもなぜ営業部長であるあなたが、信頼を壊すリスクを負ってまでヘッドハンティングなんて真似を。私は前から困っていたんです」
うちの社長は温厚な人柄だが、さすがにここまでされて腹立たしく思っているに違いない。冷静な口調ではあったが、言葉の節々に怒りがにじんでいるのが分かった。
「それは……」
手島は罰が悪そうな顔をして視線をそらす。ここで俺は口を開いた。
「そもそもどんな条件だとしても、佐藤君があなたの誘いに応じることはないですよ」
「何?」
手島が視線を潜めるのを見て、俺はやれやれと首を横に振った。
「まあ、正式に決まったばかりのことですから、ご存知ないのは当然ですが。佐藤君はいずれ会社を継ぐ、つまり次期社長なんですよ」
「は?」
手島はポカンとした顔になり、佐藤が少し照れくさそうに頭を掻く。社長が補足を入れるようにこう続けた。
「まだうちの社員の中では今井君を含めて少数しか知りません。社内で発表後、取引先にも順次紹介していこうと話し合っていた最中でして。ですから今井君にも、佐藤君本人にも、まだ誰にも話さないようにと言っておいたんです」
俺も頷きながら説明する。
「社長との約束で公表は禁じられていましたからね。昨日の時点では、私もこの件を口にすることはできませんでした。ですが、あなたの方から契約解除を口にされましたので、もはや取引先への配慮も不要になりました」
手島の方がブルブルと震え始め、顔から血の気が引いていく。ここまで来てようやく、自分のしでかしたことの大きさに気がついたのだろうか。
「そんな、佐藤さんは血の繋がりも何も……」
社長はにこりと微笑んだ。
「私には息子と娘がおりますが、それぞれ自分の道を進んでおります。私は自分が信頼できる者に継いでもらえればそれで十分。まあ、そういうことです」
佐藤は技術はもちろん、穏やかで人望が厚い。それでいて先を見据えて冷静に考えることができるため、経営者としての素質もあると社長は考えたらしい。
佐藤は軽く頭を下げながら、手島に対してこう告げる。
「ここまで熱心に誘っていただけたこと自体は、ありがたいことだと思っております。ですが、これ以上社長や今井たち社員に迷惑をかけるような真似はおやめください」
「くッ……」
手島は悔しそうにしながら、佐藤、社長、そして俺へと視線を巡らせる。
「そ、そうだ。せめて、せめて契約解除は撤回させてください。わ、私はただ必死だったんです。それが約束だったから、仕方なく」
「約束?」
社長が眉を潜めると、手島は顔を歪めた。
「もしかして、その約束とやらが佐藤君をヘッドハンティングしようとしたことと、何か関係が?」
俺が反応せずに突っ込むと、手島は諦めたようにうつむく。それからぽつぽつと話し始めた。
手島の話を整理すると、こういうことである。手島は元々、前の営業部長の下で課長として働いていた。前営業部長が早期退職することになった時、手島は経営企画部長に取り入ることにしたのだ。手島は自分に自信があったが、部下から人望がないことや、前部長からの評価が低いことも理解していたのだ。
結論から言うと、経営企画部長には人事の決定権はない。だが、経営戦略や組織再編の提案を行う立場として、人事の決定権がある人物、例えば人事担当の取締役や本部長と名のつく経営陣に大きな影響を与えられる人物だ。手島はその経営企画部長に目をつけて取り入ったのだが、ある約束を持ちかけられたという。
「手島君、君は営業部だから、いろんな会社の人間と知り合いになる機会が多いだろう。優秀な人間がいれば、スカウトして使えるように引き入れてくれ。ああ、当然問題にはならないよう配慮してくれよ。それができるなら、私は君を応援してもいい。もちろん、私も無償で協力するわけじゃないがね。相応の誠意は見せてもらうよ」
この秘密裡に行われた約束ごとから、手島は新部長へとたどり着いたそうだ。そういう事情があるのなら、手島のような男が新部長になれたのも頷ける。
「それで必死になって佐藤君を……」
「だけど、というわけだ」
俺や社長たちはため息をつく。うちとの契約を失い、頼みの綱の佐藤も引き入れられない。もう引き返せないところまで来た。だからこそ今、こうして洗いざらい喋っているのだろう。
いや、と俺は考え直す。
「あなたは、経営企画部長も道連れにしたいために話しているんですね」
俺が指摘すると、手島は吐き捨てるように笑った。
「あいつが妙な約束さえさせなければ、こんなことにはならなかったんだ」
やはり反省も何もしていないのだと分かった瞬間、手島は声を張り上げる。
「こうなった以上、もう取り繕う必要もないと思ったんだ。特許部品の契約を失っても、開発者の佐藤さえ引き抜ければ、それ以上の製品が自社で開発可能になる。そうすれば一時の損失よりも大きな利益が見込める。そう思ったんだよ」
無茶苦茶な理屈だとしか言いようがない。こんなおかしな考え方を正常と捉えているあたり、もうとっくに手島の思考回路は崩壊寸前まで来ていたようだ。社長は呆れて物も言えないといった顔で、こほんと咳払いする。
「とにかく、この件は正式にクレームとして報告させていただきます。あなたも、その経営企画部長の件もね。それから契約も、あなたの言った通りに解除の方向で進めます」
手島は鼻で笑う。
「ふん。底辺の下請け風情が、あまり調子に――」
俺は手島を遮って怒鳴りつけた。
「いい加減にしてください。今あなたにできることは、自分を顧みること。それから、待ち受ける末路を大人しく受け入れることだけです」
その瞬間、手島は動きを止める。ようやくその言葉に反応したらしい。
「ああ、くそ。なぜだ」
手島はその場で頭を抱え、その場にうずくまった。
その後、手島と経営企画部長は揃って懲戒解雇が決定したそうだ。うちの社長が正式にクレームを入れ、全てを知って謝罪に来た取引先の社長が教えてくれたことなので間違いない。どうやら手島はヘッドハンティングの約束だけではなく、経営企画部長に相当な金額を渡していたようだ。そこまで無茶をして部長に昇進したかったのか。俺には一生分からないだろう感覚だ。
社長同士の話し合いも行われたようだが、結局契約は解除で決定した。取引先は代替品を見つける間生産がストップする上、うちの会社に違約金を払うはめに。これは噂だが、手島や経営企画部長はその損失の一部を負うことになったんだとか。
俺は今の仕事が楽しいし、充実している。出世できたら嬉しいが、無理してまでとは考えていない。不正な手段で手にしたものは、いつか必ず自分を滅ぼす。俺はこれからも、自分にできることを誠実に続けていくだけだ。
