あの日、居酒屋で高校時代の同級生の安藤に再会した。見るからに疲れ果てた彼は「うちの会社、かなりまずいんだ」と漏らした。人手不足で倒れそうな情報システム部。俺は軽い気持ちで「手伝ってやるよ」と答えた。まさかそれが、全ての始まりになるなんて思いもしなかった。入社して一ヶ月、ウイルス感染事件が起きた。感染源は社長のパソコンだった。ところが社長は「ネットが切れた!今すぐ直せ!お前ら全員首だ!」と逆ギ…

あの日、居酒屋で高校時代の同級生の安藤に再会した。見るからに疲れ果てた彼は「うちの会社、かなりまずいんだ」と漏らした。人手不足で倒れそうな情報システム部。俺は軽い気持ちで「手伝ってやるよ」と答えた。まさかそれが、全ての始まりになるなんて思いもしなかった。入社して一ヶ月、ウイルス感染事件が起きた。感染源は社長のパソコンだった。ところが社長は「ネットが切れた!今すぐ直せ!お前ら全員首だ!」と逆ギ...

私の名は横井、三十八歳。前の会社で手持ち無沙汰にしていたところ、高校時代の同級生である安藤から連絡が入った。久しぶりに飲まないか、という誘いだ。特に断る理由もなく了承したが、居酒屋に現れた安藤は見るからに疲れ果てていた。どうしたんだ、と尋ねると、彼は重い口を開いた。

「うちの会社、かなりまずい状況なんだよ。俺が部長やってる情報システム部もやばくてさ。社員数が少なすぎて、全然人手が足りてないんだ」

そう言う安藤の顔は、今にも倒れてしまいそうなほどにやつれていた。考えるよりも先に、言葉が出ていた。

「俺が手伝ってやるよ」

「え? お前、何言って……」

「求人情報サイトに出てたから、応募しておくよ」

安藤は最初、俺の言葉を本気にしていなかったらしい。しかし一ヶ月後、俺は採用試験を突破し、見事情報システム部に配属された。ようやく俺が本気だったと分かったようだ。

「俺のために、そこまでしてくれたのか」

「それもあるけど、前の会社じゃもうやることがなくなってさ。難しい仕事の方がやりがいがあるだろう」

そう言って笑うと、安藤もようやく柔らかい表情を浮かべた。

「お前が来てくれたら百人力だよ」

「任せてくれ」

こうして俺は安藤と共に働くことになった。

情報システム部の主な仕事は、社内インフラの管理だ。サーバーやネットワークを構築し、外部からの攻撃やウイルスに対する保守作業も行う。パソコンのトラブル対応や、IT機器の設置といった業務もこなす。仕事量は多いが、社員数は俺を入れてわずか四人。安藤はシステム部のトップとして、毎日目が回りそうなほど忙しくしていた。

「前の社長の時はまだマシだったんだよ。新社長の木田さんになってから、ひどくなったんだ」

昼休み、安藤がため息混じりに語る。木田社長は営業出身で、コミュニケーション能力は抜群だが、その一方で根性論で無理な経営を押し通すタイプだという。そのせいで社員の離職が相次いでおり、情報システム部も何人も辞めてしまったのだ。そのしわ寄せが、安藤にきているというわけだ。

「増員は一人しか認められなかったんだ。それも、社長は昔技術者と争ったことがあるんだよ。当時営業だった社長が技術部に無理な納期を押し付けて、結局間に合わず大混乱になったんだ。技術部が『あれは木田社長の責任だ』と会社に訴えた結果、当時決まっていた役員への昇進が白紙になったらしい。以来、社長は技術屋を憎んでるんだよ。特に、情報システム部を含む技術系の部署は目の敵にされてる」

そう言って安藤は頭を抱えた。さらに衝撃の事実を明かす。

「新社長として業績を出すために、今期中にコストを十五パーセント削減すると、取締役会で約束したらしいんだ。で、目をつけられたのが情報システム部ってわけだ。今、うちの部署はとんでもないピンチに陥ってるんだよ」

「……お前が転職する前に言っておいてくれればよかったのにな」

安藤は力なく笑った。まさか俺が本気で転職するとは思っていなかったようだ。悪いのは安藤じゃない。木田社長だ。

「情報システム部は、社内でも存在感が薄い部署だ。弱い部署だと思ってる人も多い。だから、目をつけられやすいんだよ」

「俺が思ってたより、大変な状況なんだな」

「お前のために転職してくれたのに、本当に申し訳ない」

深々と頭を下げる安藤に、俺は手を振って答えた。

「転職を決めたのは俺だ。まあ、どうにかやっていくさ」

安藤は心配そうな顔で俺を見ている。その顔には疲労の色が濃く、なんとかしてこいつを助けてやらなければ、という気持ちが強くなった。

しかし、ことはそううまくは進まない。配属されて間もなく、俺は社内の不審なメールの動向に気がついた。

「このメール、特定のパターンのフィッシングメールが繰り返し届いてるな。誰かが触ったら危ないかもしれない。社内に注意喚起しておいた方がいいと思うぞ」

俺の提案に、安藤が頷いて返す。

「分かった。報告書を作って、提出しておくよ」

ところが、上層部からはこんな回答が送られてきた。

「『メールを開かなければいい。そんな細かいことをいちいち報告するな』だってさ」

安藤が深いため息と共に、上層部から送られてきた通知を俺に渡した。

「社長のサインが書いてあるな。あの人は、現場のことを何も理解していないんだな」

まだ木田社長とは顔を合わせていないが、どうやら相当厄介な人物のようだ。結局、注意喚起は見送られてしまった。

「ことが起こってからでは遅いぞ」

俺がそう危惧していたところ、一週間後に早速事件が起こった。

「ウイルスに感染している! 感染源はどこだ?」

「社長室のパソコンです!」

「ネットワークから切り離して、感染拡大を防ぐぞ!」

俺が即座に対応したおかげで、ウイルス拡散の防止に成功した。しかし、数十分後に情報システム部へやってきた木田社長は、一方的に俺たちに文句を言ってきた。

「ネットが切れたぞ! 今すぐ直せ!」

「社長のパソコンからウイルスに感染していたようで……」

「そんなの知らん! 俺のパソコンは正常だ!」

社長の恫喝をかわしつつ話を聞いたところ、どうやら怪しいメールを開き、そこに貼られていたURLをクリックしていたことが判明した。感染源はやはり社長自身だったのだ。しかし、いくら説明しても、こちらの話を一切聞こうとしない。

「いいから直せ! サボってるんじゃない! お前ら全員首だ!」

そう言い捨てて、木田社長は情報システム部の部屋を出て行った。俺と安藤は顔を見合わせ、深いため息をついた。

「ウイルスは完全に封じ込められたか分からないな。ログを見たら、怪しい挙動がいくつか見つかった。このままネットワークを切断して、詳しく調査した方がいいぞ」

「でも、復旧しないとうちの部署はさらにピンチになる。ネットを復旧させよう。社長命令さ」

「……仕方ないな」

俺の言葉に、安藤は疲れた様子で答えた。この時、木田社長はネットワークが突然切断されたことに、相当腹を据えかねていたらしい。翌日、役員会で情報システム部のセキュリティ管理に問題があったと報告したのだ。社長の言葉を信じた役員会は、うちの部署に注意を実施。部署の評価が一気に下がってしまった。

「来年のボーナスは、期待できないな」

安藤が力のない笑みを浮かべる。俺の転職のせいで、彼にまで迷惑をかけてしまった。責任を感じざるを得なかった。そして、心労が重なってしまったのだろう。ある日、安藤が仕事中に倒れてしまった。

緊急搬送された病院で診断を受けた結果、過労が原因だと告げられる。同行した俺に、医者が入院が必要だと付け加えた。

「実は……社長のパソコンのウイルス対策のために、ずっと残業続けだったんだ」

ベッドの上で、安藤が弱々しく言った。

「作業はまだ残ってる。お前に任せてもいいか?」

「ああ、やっておくよ」

ぐったりしている安藤と、俺は約束した。安藤が残した仕事以外にも、やるべきことがある。このまま黙っていれば、また同じことが繰り返されるだろう。次に倒れるのは、安藤とは限らないのだ。社長に直接ぶつかってでも、現場の実情を分からせてやる。俺は決意を固めると、安藤の病室を後にした。

翌日、俺は木田社長に直談判するために、社長室のドアを叩いた。しかし、そこにいたのは木田社長だけではなかった。机の前に立っていたのは、見覚えのある男。いや、見間違えようがない。昔、一度だけ、その場で会ったことがある。いや、まさか。

「お前……!」

木田社長が、俺を見て顔色を変えた。その目は、憎悪に満ちている。俺も、驚きを隠せずにいた。

「おい、一体どうなってる?」

俺の声は、思わず震えていた。木田社長は、俺の顔をじっと見つめたあと、不気味な笑みを浮かべた。

「……ふっ。まさか、お前だったとはな。横井。俺の前から消えた、あの日のままだな」

木田。そうか、この男が木田だったのか。

「……お前が、この会社の社長、だったのか」

俺の言葉に、木田はさらに笑みを深めた。

「もしかして、お前、俺のことを知らないのか? お前が昔、会社を追い出した、あの木田だ」

いや、待て。確かに俺は木田という男と仕事をしたことがある。だが、それは数年前の話だ。確か、別の会社でのことだったはずだ。俺が今、ここで仕事をしているのは、安藤から誘われて情報システム部に入ってきたから。だというのに、何故この男がここにいる。

「……お前が言ってるのは、前の会社でのことか?」

「そうだ。俺は、営業部にいた。だが、お前ら技術部のせいで、俺は……」

木田は歯を食いしばり、俺を睨みつけた。

「お前のせいで、役員への昇進が白紙になったんだぞ!」

その瞬間、俺の中で過去の記憶が甦る。木田。そうだ、あの時、無理な納期を技術部に押し付けた張本人。そのせいで現場が大混乱に陥り、俺が必死で仕事を立て直した。俺の記憶が正しければ、あの後、木田は別の部署に異動させられていたはずだ。そして、俺はその会社を辞めた。

「まさか……お前が新社長になったっていうのか?」

「そうだ。俺は這い上がってきたんだ。お前たち技術屋を、思い知らせてやるためにな!」

木田が机を叩きながら叫ぶ。どうやら俺は、思いがけない因縁の中に放り込まれたらしい。木田の言い分が正しいかどうかは、今はどうでもいい。問題なのは、安藤や他の社員たちを、この男の好き勝手な経営から守ることだ。

「――木田社長。一つ、言わせてもらいます」

俺は深く息を吸い、木田の目をまっすぐに見つめた。

「何だ?」

「あなたが何か恨みがあって経営されているなら、それはこの会社にいる社員たちには関係ない話です。確かに、あなたの言うことが本当なら、かつての俺の対応に不満を抱いたのも理解できます。ですが、あの時、あなたが無理な納期を押し付けてきたから、現場が混乱したんです。それを『技術のせい』にして責任を逃れようとするのは、あまりにも自分勝手ではありませんか?」

「黙れ! お前に何が分かる!」

「分かりますよ。あなたは昔から、自分の失敗を他人のせいにする癖がある。営業出身なら、現場の苦労も分かっているはずでしょう? それなのに、情報システム部にだけ増員を渇らせて、過労で倒れるまで働かせる。それは、立派なパワハラです」

「ふん。お前が来たから、うちのシステムは安定してるんだろう? さっきのウイルス騒動も、お前が適切に対処したから、大事にならなかったんだろう? だから言ってるんだ。お前は、有能なんだよ」

「……何が言いたいんですか?」

「その有能さを、俺のために使えって言ってるんだ。俺の前で逆らうな。俺の言うことを聞いて、黙って仕事をしていれば、それでいい。さっきのウイルスの件も、なかったことにしてやってもいいぞ」

木田はニヤリと笑った。どうやら、俺を支配しようとしているらしい。だが、そんなことを言われて、黙って従うような性格ではない。

「残念ですが、その提案には乗れません。私は、この会社の社員のために働いています。あなたの私的な恨みを晴らすために、利用される筋合いはありません」

「……ほう。そこまで言うなら、もう知らねえぞ。お前は、これから先、情報システム部にいる限り、ずっと俺の意のままに動いてもらうからな」

「やってみなさいよ。私は自分が正しいと思う道を進みます」

そう言い残して、俺は社長室を後にした。安藤の入院中、情報システム部を守るのは俺の役目だ。木田の言いなりになるつもりは、毛頭ない。

――だが、木田は木田で、強硬な手段に出たようだ。翌週、情報システム部の予算が大幅に削減されるという通達が発表された。人員もさらに削減され、残ったのは俺一人だけになった。社長は、俺に対して「お前一人で全部やれ」と言わんばかりだ。当然、俺の業務負担は増大した。安藤が倒れた時、彼がどれだけ大変な思いをしていたか。身に染みて分かる。

「……やるしかないか」

俺はこの状況を打開すべく、一人で方針を立てた。まず、外部のセキュリティ業者と契約し、定期的にシステムの監査を依頼することにした。自費で、だ。会社に負担をかけるわけにはいかない。安藤たちが作ってきたシステムを守るためだ。

数週間後、俺は木田を呼び出して、対策の概要を説明した。しかし、木田は鼻で笑いながら、

「ふん。そんなこと、して意味があるのか? 無駄な仕事を増やしてるだけじゃないか」

「これで、あなたのパソコンからウイルスが流出することはなくなります。それに、あなたの身に何かあった場合の、保険にもなりますよ」

「……何だと?」

「あなたが刺した技術者じゃなくて、こちらもちゃんと客観的な調査会社を入れてますからね。あなたがネットワーク関連の予算を削減して、社内のセキュリティをずさんなままにしてきたことも、全部記録に残ってますよ。もし何か問題があったら、その証拠を突きつけて、いつでも企業調査として、役員会に提出できるようになってます」

木田は一瞬、言葉を失った。やがて、悔しそうに拳を握りしめ、吐き捨てるように言った。

「……言いたい放題言いやがって。いいだろう。ただし、一番良い結果を出せ。ハードルは下げないからな」

「ええ。期待に応えます」

俺の手際に、木田はこれ以上何も言えなくなったようだった。それから、情報システム部の監査は定期的に行われるようになり、結果的にシステムの信頼性は飛躍的に向上した。あのフィッシングメールの一件も、無駄にはならなかった。ウイルス感染のことや、安藤が倒れたことを教訓に、俺はもっと広い視点で仕事をするようになった。

安藤が退院して職場に戻ってきた時、俺は一人前の顔をして出迎えた。

「おう、横井。資料、全部見たぞ。すごいじゃないか。一人で、よくここまでやったな」

「まっ、俺を誰だと思ってるんだ。元凄腕技術者だ」

「お前がいてくれて、本当に助かったよ。ありがとう」

安藤が笑顔で手を差し出してくる。俺はその手を握り返し、安藤の肩を軽く叩いた。

「これからも、よろしく頼むぜ。エース」

「……ああ。任せてくれ」

俺たちの復帰によって、情報システム部は再び息を吹き返した。木田社長は、自分の言い出した予算削減が裏目に出ないように、二度と情報システム部に手を出そうとはしなかった。

――結局、あの後、木田社長は役員会で、情報システム部の好成績を自分の手柄として報告していたらしい。だが、俺は知っている。あの男が、どれだけ現場に負担を押し付けてきたかを。そして、そのせいで安藤が倒れたことを。

しかし、俺は今、それでよかったと思っている。もしも木田が新社長になっていなければ、俺はこの場所で仕事をすることはなかっただろう。安藤に頼られ、必要な存在になっている。それは、技術者として自分の生き方を証明できた、ということなのかもしれない。

「さて、次は、あの部署のネットワークを新しいシステムに移行しようか」

安藤が、新しい資料を広げながら前向きに仕事を進めていく。俺はその背中を見ながら、静かに頷いた。

「ああ。やってやろうじゃないか」

窓の外では、雨上がりの空に虹がかかっていた。安藤がこれからもずっと、笑っていられるように。俺は今日もパソコンに向かう。この会社の社員たちのために。そして、自分自身を信じるために。

Thumbnail