「お前、芸大も卒業してないのにデザイナーのセンスなんてあるわけないだろ」
それが、俺のデザインを一度もまともに見たこともない坂田部長の決め文句だった。入社してからずっと、ことあるごとに俺を馬鹿にし、学歴を持ち出しては貶してくる。
ある朝、出社すると俺のデスクが綺麗に片付けられていた。俺の私物はすべて段ボール箱に詰め込まれている。
「どういうことですか」
尋ねると、そこに現れた坂田部長が不気味な笑みを浮かべた。
「君は首だからね。首になる人間にデスクは必要ないだろう」
突然の解雇宣告に、俺は言葉を失った。
「デザイン留学をしていた優秀な娘が帰国したんだ。引き抜きで我が社に入社することになった。無能な君に給料を払うのはもったいないからな」
俺のデザインを見たこともない、ましてや俺がどんな仕事をしてきたのかも知らない人間が、平然とこんなことを言えるのだ。この人も、そんな人間を管理職に据えている会社も、本当に呆れるばかりだった。
「わかりました。席は娘さんにお譲りします」
気分は最悪だったが、それ以上何を言っても無駄だと思った。この後、この上司と会社がどうなるのか。そんなことを考えながら、俺は部長に背を向けて静かにその場を離れた。
俺の名前は二野裕介。幼い頃から、海外でアーティストとして活動する叔父に憧れていた。年末年始や公演でたまに帰国する叔父の話はどれも刺激的で、いつしか外の世界に強く惹かれるようになった。
「どうだ、裕介。一緒に海外で暮らしてみないか」
そう誘われたのは高校二年の冬だった。特に明確な目標があったわけではない。ただ、叔父の話でしか知らない世界を見てみたかった。その一心で、俺は両親を説得し、高校卒業後、叔父のいる海外へ移住した。
現地では叔父の手伝いをしながら大学にも通った。その中で、俺はデザインという仕事に出会った。ただ、専門学校を出ているわけでもなければ、絵が得意なわけでもない。今さら目指したところで通用するはずがないと思った。
そんな俺の背中を押したのは、また叔父だった。
「強い意思があれば、何事も遅いなんてことはないぞ」
その言葉に励まされ、必死にデザインを勉強した。大学卒業後、念願だったデザイン会社に就職し、充実した日々を過ごした。仕事の評価も徐々に上がっていった。
三十歳を目前にした頃、日本にいる父が怪我をしたと母から連絡があった。大した怪我ではなかったが、その時初めて、両親の今後について真剣に考えた。二人とももう若くはない。何かあった時にすぐ駆けつけられる場所にいるべきだと。
そうして俺は日本に帰国し、すぐにデザイン会社へ就職することができた。しかし、現実は甘くなかった。久しぶりの日本での生活、新しい会社の仕事のやり方に慣れるまで苦労した。同僚たちはいつも親身にサポートしてくれた。だが、一人だけ、俺を目の敵にして嫌味を言ってくる上司がいた。それがデザイン部の部長、坂田課次さんだ。
「そんなこともできないのか。この会社に入社しただけの無能だな」
坂田部長は、機会があるたびにそんな言葉を投げつけてきた。ある日、同僚と昼食を取っている時だった。俺が海外での経験の話をすると、同僚は素直に褒めてくれた。
「海外の大学なんてすごいな。しかも海外のデザイン会社か。裕介君、デザインのセンスあるもんな」
そう言われて照れていると、いきなり坂田部長が現れて鼻で笑った。
「海外の大学と言っても無名の大学だろう。それにデザインとは関係のない学校だ。ただの低能だな」
どうやら俺たちの会話を聞いていたらしい。坂田部長は私立の名門芸大の卒業生で、学歴差別をすることで社内では有名だと同僚が教えてくれた。
確かに俺は芸大を出ていない。だが、そんな俺でもデザイナーになりたくて必死に勉強してきた。悔しさをバネに、俺はさらに仕事に打ち込んだ。自分のデザイン案を坂田部長に何度も持っていったが、彼は見向きもせず、センスがないと突っぱねるばかりだった。
そんなある日、デザインデータを確認していると、小さなミスを見つけた。今朝の会議でクライアントから要望が出ていた箇所に、必要なパーツが付け加えられていなかった。担当者を見ると、坂田部長になっている。
指摘するのは少し気が引けたが、このままにしておくわけにはいかない。意を決して報告に行くと、予想通り彼は機嫌を損ねた。
「お前、俺に指摘をするなんて。誰に口を聞いているんだ?」
「すみません。確認していたら見つけてしまったので」
「お前にはわからないだろうが、こんな細かいところなんてクライアントも確認しないんだよ。何もわからない新人のくせに口出ししてくるな」
「しかし、クライアントの方からの要望です。クレームにも繋がってしまうと思います」
「何度も言わせるな。俺がいいと言ったらそれでいいんだよ」
全く聞く耳を持たない。だが、今回ばかりはデザイナーとして引くわけにはいかなかった。
「デザインというものは、細かいところにこそ神が宿るものです。細かいところこそ丁寧に、という気遣いが大切なのではないでしょうか」
気がつけば声が熱を帯びていた。オフィスが静まり返る。やりすぎたかと思った瞬間、誰かの拍手が聞こえた。
「本当にその通りだ」
同僚たちから賛同の声が上がる。坂田部長は言葉を失い、前よりも怒った顔で俺を睨みつけた。
「お前、今に見てろよ。俺にかかったことを後悔させてやるからな」
そう言い残して立ち去っていった。やってしまったと思ったが、後悔はない。ただ、最後の言葉が少しだけ気にかかった。
翌朝、いつものように出社すると、俺のデスクが勝手に片付けられていた。俺の私物はすべて段ボールに詰められている。
「君のものは全部片付けておいてあげたよ」
そこに現れた坂田部長が、不気味な笑顔で言った。
「どういうことですか?」
「どういうことも何も、君は首だからね。首になる人間にデスクは必要ないだろう」
「そんな急に首なんてどうしてですか?」
「無能な君はいらないんだよ。デザイン留学をしていた優秀な私の娘が帰国したんだ。引き抜きで我が社に入社することになった」
「娘さんと僕の首に何の関係があるんですか?」
「はあ、これだからバカは困るんだよ。優秀な娘が来るから、君はもういらない。無能な奴に給料を払うのはもったいないからな」
まただ。またいつもの学歴の話だ。今まで必死に勉強して努力してきたのに、センスがないと切り捨てられる。腹が立った。
その時、派手な女性がヒールの音を響かせて近づいてきた。
「せっかくだから紹介してあげよう。娘のマリエだ」
紹介された女性は、じろじろと俺を見下すように眺めて言った。
「ああ、この人がパパの言っていた無能な人ね」
初対面の人間に対して失礼すぎる。親に甘やかされて好き勝手に生きてきたのだろうと察した。
「私に席を譲ってくれてありがとう。その段ボール、邪魔だから早く持って行ってね」
娘も娘なら、親も親だ。
「お前はもう出勤停止だ。仕事の邪魔だ」
そうして俺は、部長権限で出勤停止にされた。家で会社からの連絡を待つしかなかった。
数日後、自宅に会社からの解雇通知書が届いた。そこには、身に覚えのないことばかりが書かれていた。遅刻の繰り返し、無断欠勤、業務妨害。どれも一度だってしたことはない。出勤停止で何もできなかった俺の隙に、坂田部長が上役に嘘の報告をしたのだろう。
どうすることもできず、落ち込んでいると、携帯電話が鳴った。叔父からの連絡だった。
「おお、裕介。元気に頑張っているか?」
「全然元気じゃないよ。仕事も解雇されそうなんだ」
状況を全て話すと、叔父は自分のことのように怒ってくれた。
「何なんだ、その部長は。デザインに学歴なんて関係ないだろう」
「でも、もうどうすることもできないから仕方ないよ」
ネガティブになっている俺に、叔父は大きな声で言った。
「何を言ってるんだ。そんなやり方で解雇されて悔しくないのか。実力でやり返してやればいいじゃないか」
いかにも叔父らしい意見だ。確かに、家でくよくよ悩んでいる場合じゃない。デザイナーになりたくて必死に勉強してきたんだ。こんなことで負けて、やりたいことを諦めるわけにはいかない。
それから一ヶ月後、俺は小さなデザイン会社を立ち上げた。大手企業とは違い、新規案件はあまり来ない。だが、海外の会社時代に付き合いのあったクライアントから仕事をもらえた。クライアントの要望にしっかり応えるため、一つ一つ丁寧に仕事をこなしていく。
昔、坂田部長に「お前のデザインを見るのは時間の無駄だ」と突っぱねられたことを思い出す。誰にもそんなことを言われず、自分の思うままに仕事ができる環境になって、むしろ解雇されて良かったと思うようになっていた。
そんな時、思いもよらない人物から連絡が来た。坂田部長からだ。
「お願いだ。会社に戻ってきてくれないか」
「はあ? 何を急に」
戸惑っていると、坂田部長は震えるような声で事情を説明し始めた。娘のマリエはデザイン留学をしていたが、実際は留学先で遊び回っていて、勉強をまったくしていなかったらしい。実際に仕事を始めて、デザインの実力が全くないことが発覚したそうだ。それでも坂田部長の押しで仕事をさせていたが、娘の実力とセンスのなさのせいでクライアントの要望を無視し、取引先からのクレームは絶えず、リピートもなくなっていた。
「それに……君は、あの有名な海外ブランドのデザインをしていたんだって聞いて……」
いつも怒鳴りつけていた人とは思えないほど、小さな声だった。
「ええ、そうですけど」
実は俺は、海外のデザイン会社に勤めていた時、その実力を認められて、有名ブランドから直接オファーを受けていた。数年もの間デザインを担当し、日本に戻ってからも引き続き依頼を受けていたのだ。
実力で勝負したかった俺は、入社する際にその話をしなかった。坂田部長はどこかで俺の名前を見て知ったらしい。それを知って、今更手のひらを返してきたのだ。
「君のデザインは本当にセンスがいいと思っていたんだ」
「散々馬鹿にして、センスがないと言ってきたのは部長ですよ。今さらそんなことを言われても、戻る気はありません」
「お願いだ。戻ってきてくれ。昇進させてやることもできる」
「昇進とかは結構です。俺は一生懸命クライアントと向き合って、デザイナーの仕事をしたいだけなので」
「ちょっと有名ブランドのデザインをしてるからって偉そうに。芸大も卒業してないお前が一人で成功するはずない」
最後は逆切れして、お決まりの学歴の文句を言ってきた。都合が良すぎる。自分のしたことを棚に上げて、こんなお願いをしてくるのだから。
「学歴でデザインを差別するような人とは、仕事はできません。さようなら」
俺はそう言って電話を切った。
それから数ヶ月後、昔の同僚から連絡があった。前の会社は仕事が大幅に減り、業績が悪化してしまったらしい。長年取引していた会社からも次々に契約を切られたことが原因だという。優秀なデザイナーたちも、独立したり転職したりして大勢辞めていった。悪化原因を作った坂田親子は揃って処分を受けたそうだ。
娘はデザイナーとしての実力がないために解雇。坂田部長は減給と降格が決まったらしい。さらに、彼はもともとデザインのスキルがなかったことが判明し、部下のデザインを自分の手柄にしていたことも明らかになった。今は雑務をさせられて、肩身の狭い思いをしながら働いていると噂で聞いた。
俺の会社は、叔父がSNSで紹介してくれたおかげで注目されるようになった。叔父は「頑張る姿を見て応援したくなった」と言ってくれている。そのおかげもあって、依頼が殺到するようになった。「どれだけ待ってもいいから、どうしても君に頼みたい」と言ってくれるクライアントもいた。有名ブランドが引き続き俺に依頼をしたいと言ってくれたおかげで、信用も得られた。
自ら言うのも何だが、今では誰もが認める人気デザイナーになることができたと思う。だが、それでも俺は奢らず、今まで通り真摯に仕事をしている。あの時諦めずに自分で会社を立ち上げて、本当に良かったと思う。これからもまだまだスキルを磨いて、頑張っていこうと決心している。
