「奴隷のくせに、何座ってんだよ。」…

「奴隷のくせに、何座ってんだよ。」...

「奴隷のくせに、何座ってんだよ。」

そう言って、夫の従妹であるとみは、私が座っている椅子をいきなり思いっきり引いた。お腹が大きくて動きが鈍い私を、まるで邪魔物のように扱いながら。なんとか私と大輔を離婚させようと、あれこれ画策してきた彼女だが、まさかこんな直接的な暴力に訴えてくるなんて。

すぐに動けなかった私は、勢いよく床に叩きつけられた。頭と体、そしてお腹に激しい痛みが走る。とっさに体を起こそうとするが、下半身に嫌な違和感を感じる。もしかして、破水したのか。このままではお腹の子供が危ない。不安と恐怖で頭の中が真っ白になる。しかし、そんな私の姿を見て、とみは満面の笑みを浮かべていた。

「やったわ。これであんたも、あんたの子供も、この世からおさらばよ。まあ、子供はまだ生まれ落ちてすらいないけどね。目撃者も誰もいない。きっとあんたは、一人で倒れて流産したんだってことになるわ。そしたら、大輔もあんたみたいな女とは、離婚させられるってわけ」

そう言って、彼女は意識が薄れていく私を一瞥すると、何事もなかったかのように家を出ていった。けれど、彼女は一つだけ見落としていた。目撃者は、いたのだ。彼女にとって、最強で最悪の目撃者が。

私の名前は半田なお子。少し前から専業主婦となった。夫の大輔と犬の剣と三人で暮らしていたのだが、剣は少し前に老衰で亡くなってしまった。何年も共に過ごした愛犬だったこともあり、私は悲しみに暮れていたのだが、同時期に妊娠が発覚。生まれ変わりというわけではないが、そこに何かしらの奇跡のようなものを感じた。

その当時、私は一企業の社員として働いていたのだが、その会社も妊娠を機に退職し、今に至る。会社を辞めたことに不満はない。元々、大学在学中の就職活動で内定をもらえた中から、福利厚生や給与が一番いいという理由だけで選んだ会社だ。正直、業務内容にはあまり興味がなかった。とはいえ、働いていた時はもちろん一生懸命仕事をした。ただ、最後まで面白みを感じることができなかったため、その業界を離れることに未練はなかった。

それに、そんなことよりも私にはもっと我慢ならない不満が二つある。

一つは、趣味についてだ。私の趣味はボウリングで、大学生の時にはまって以来、かなり頻繁にプレイしてきた。多い時は週に何度もボウリング場に通っていたこともある。そのせいで、検証炎になりかけたのも今となってはいい思い出だ。社会人になってからはさすがに頻度が減ったが、それでも一、二週間に一度は必ず一ゲームは行うようにしている。定期的にボウリングの球がピンを弾き飛ばす光景と音に触れないと、精神的な安定が保てないのだ。

大学生の時は友人を誘っていたが、社会人になってからはそう頻繁に声をかけるのも気が引けた。だから今は、実家に住む妹のよ子と行くことがほとんどで、両親の様子などを聞くいい機会にもなっている。

しかし最近は、お腹も少しずつ大きくなってきて、全くボウリング場に行けていない。インターネットでプロボウラーの動画を見て気を紛らわしているが、ほとんど効果はない。非常にストレスフルだ。ただでさえ妊娠でホルモンバランスが乱れ、情緒不安定だというのに。

だが、まだこれはいい。もう一つの不満の方が、かなり重大な問題なのだ。できれば早急に解決したいものだった。

その不満というのは、夫の帰宅が遅くなっていることである。妊娠する前の夫は、はっきり言って鬱陶しいくらい私にべったりだった。私は残業することも多々あったのだが、夫はほとんど定時で帰ってきて、私の帰りを待っていた。自分で言うのも何だが、バカップルならぬバカ夫婦だったと思う。

それなのに、今はどうだ。夫は遅くに帰ってきて、私にくっついてこようとすらしない。たまに私の膨らんだお腹に手を当てて声をかけることはあるが、それは私ではなく、子供に触れているようなものだ。身重の私を気遣ってくれているのかもしれないが、それでも今までべったりだったことを考えれば、寂しいものだ。

ただ、夫の帰りが遅くなった原因について、思い当たる節があった。あれは、ボウリングに行かなくなってから一か月ほど経った頃のことだ。その頃の私は、ストレスと体調不良がピークで、動くことすら辛く、家事なんてとてもできなかった。だから私は夫に、食事は自分で何とかして欲しいと頼んだのだ。

すると夫は、コンビニで買ってきた弁当を家で食べ始めた。今思えば、夫は特に悪いことをしていないと思う。だけど、その当時の私は精神的に不安定だったこともあり、夫が唐揚げ弁当を食べる姿に殺意が湧くほど腹が立った。そして一方的に彼を責めてしまったのである。

後日、私はそのことを大輔に改めて謝罪したものの、「今更気にしてないよ」と言われた。それならどうして帰宅が遅くなっているのだろうか。私を避けているような気がするのは、私の思い過ごしなのか。本当に仕事が忙しいだけなのか。

実際、この頃の大輔は少し痩せ始めていた。朝食や夕食は私が準備しているし、大輔もちゃんと食べている。それなのに、体重が落ちているように見えるのだ。となると、昼食をまともに食べられないくらい仕事が忙しく、その疲労で痩せたのか。それはそれで心配だ。

仕方ない。ならば私は、せめて栄養のある料理を作って、少しでも元気になってもらおう。今、私にできることはそれくらいだ。いつまでもウジウジ悩んでも仕方ないと思った私は、体調が楽になった日を境に、そう思うようにした。

しかし、そんなささやかな私の決意は、あっけなく裏切られるのであった。

その日、大輔は珍しく仕事に遅れそうになっていた。というのも、前日にお世話になった上司の送別会があり、泥酔して帰宅が遅かったからだ。大輔は朝食を取る暇もなく、コーヒーを胃に流し込み、二日酔いで割れそうな頭を手で押さえ、真っ青な顔をして家を出ていった。そのため、いつもなら自分でクローゼットに戻すスーツも、脱ぎっぱなしのままだった。

これではしわになってしまう。そう思い、私がそれを拾い上げた時のことだった。ポケットから、何かが落ちる。名刺だろうか。それにしては、やけに派手なデザインだ。

結論から言うと、それはポイントカードだった。今時珍しい、二つ折りでスタンプを押すタイプのカード。枠はすでに半分以上押されている。頻繁に利用しているようだ。これがラーメン屋などの飲食店なら、何も文句はないけれど。夫がスーツに入れていたのは、風俗店のポイントカードだったのである。

その日の夜、仕事を終えた大輔が帰ってくる。私はいつも通り「お帰り」と声をかける。大輔は「ただいま」と言って、いつものようにスーツから部屋着に着替え、リビングの食卓に着いた。

私はその大輔の前に、用意しておいた夕食と、風俗店のポイントカードを並べる。大輔はそれを目にした瞬間、目を見開き、脂汗のようなものをかき始めた。

「それ、何?」

そう尋ねる私と、大輔は目を合わせようとしない。

「知らないな。何のカードなんだ?」

そして、あたかも初めて見るかのように、そのポイントカードをじっと見る。白々しい。

「これは、あなたのスーツから出てきたのよ。知らないわけないでしょう」

大輔の顔が、さらに引きつる。しかし大輔は認めず、私を睨んでこう言い出した。

「勝手に人のスーツを漁ったのか。いくら夫婦と言っても、やっていいことと悪いことがあるだろう」

あたかも、私がデリカシーのないことをしたと言いたいらしい。夫のスーツのポケットを確認するのが、そんなにいけないことかどうかは私には分からないが。しかし、そもそも私はそんなことをしていないのだ。ポケットに触れてすらいない。

私は呆れながら、風俗店のポイントカードを見つけた経緯を説明した。すると大輔は「そうだったのか」と言いながら、今度は笑って言い訳をしてくる。

「怒ってすまなかった。これは昨日の飲み会で、後輩がポケットに入れてきたんだよ。俺はやめろって言ったんだけど、後輩も酔っ払ってて。あいつはおふざけのつもりだったんだろうけど、本当に冗談じゃないよな。こんな誤解を生むことになるんだから。後輩には俺からしっかり言っておくよ」

「あなた、さっきカードのことを知らないって言ったじゃない。話が矛盾してるわよ」

私が詰め寄ると、大輔は顔を真っ赤にして、とうとう声を荒げた。

「うるさい! 後輩のものだって言ってるだろう! 無理やりポケットに入れられたから、どんなカードか知らなかったんだ! それとも何か、俺がこの店に行ったって証拠でもあるのか!」

確かに、ポイントカードに大輔の名前が書かれているわけでもないので、物的証拠としては弱い。だけど、近頃の帰宅時間と、ポイントカードのスタンプの多さを考えれば、状況証拠はあるのだ。

「偶然の一致ってこともあるだろう。せっかくのご飯がまずくなる。俺はもう風呂に入って寝る」

そう言って大輔は、リビングから寝室へと逃げていったのであった。

この日以来、私と大輔の仲は気まずいものとなった。一応、専業主婦として最低限のことはするが、私たちの間に会話はない。正直、私としては認めてさえくれればいいのだ。本当に後輩の悪ふざけだったのでは、と思う人もいるかもしれない。しかし、それはない。

だって、言い争いになった後、私は大輔に向かって「じゃあ、これはいらないわね」と言って、目の前でポイントカードを破り捨てた。その時の大輔の目は、どこか悲しそうだった。せっかく回数を重ね、貯まったポイントが無駄になるのが辛かったのだろう。

とにかく大輔は、間違いなく風俗店の常連客だ。風俗店に行っていることは悲しいが、本当に悲しいのは、私に嘘をついていたこと。それが辛くて、ムカついて、許せない。

一体どうしたものか。

「やっぱり、大輔君の言う通り、決定的な証拠を持ってくるしかないでしょ」

妹のよ子はそう言った。この日、大輔が仕事に行っている間、私はよ子とお茶をし、近況報告ついでに愚痴を聞いてもらっていたのだ。

「やっぱさすがに罪悪感はあるだろうからさ。『妻の妊娠中に風俗に行ってました』なんて、大輔君も認めづらいでしょう。徹底的に追い詰めた方がいいんだよ」

「そうは言っても、証拠なんてどうやって集めればいいの? お腹が大きい私はあまり動くこともできないし、何より目立つし。探偵に頼むのも、調査内容と依頼料が割りに合わない気がするし」

「つまり、私の出番ってわけね。この名探偵よ子が、あなたの旦那さんの調査をして差し上げましょう」

よ子は急に変な言葉遣いをしてきたため、一瞬意味が分からなかったが、きっと私を元気付けようとしてくれているのだろう。それはとても嬉しい。けれど、よ子は仕事をしているので、そんな時間はないはずだ。

「それなら大丈夫。実はちょっと前に上司と揉めて、仕事やめたんだよね。お尻触ってきたから手首をひねり返したら、捻挫させられたって騒がれてさ。『お前なんか首だ』って言われたから、『上等だよ』って言っちゃった。で、今は毎日暇してるわけ。貯金はそれなりにしてたからさ、時間もお金もあるの」

よ子はそれなりにヘビーな状態に置かれていたようだ。本人はケロッとした様子を見せているが、内心では今後のことで不安な部分もあるのだろう。もしかしたら、そんな不安をかき消すためにも、今は仕事以外に熱中できることが必要なのかもしれない。

「じゃあ、お願いしようかな」

私がそう言うと、よ子は目を輝かせ、「承知いたしました」と楽しそうに言ったのだった。

それから数日後。よく考えてみれば、よ子は姉の旦那が浮気したというスキャンダルを、楽しんでいるような気がしてくる。ただ、その楽しさが行動力になっているのか、よ子の行動は早かった。私と話した日の夜から、大輔の後を毎日のように付けているらしい。私が頼んでおいて何だが、もっと他にやることはないのだろうか。

よ子が大輔の調査を始めて一か月目は、特に動きがなかったみたいだ。大輔は大体会社から家に直帰し、たまに居酒屋によるくらい。けれど二か月目に、大輔が風俗店に入ったとの報告を受けた。その後も数日に一度は、その風俗店を訪れているようだ。

「完全に大輔君がお店に行くパターンが分かったよ。ちなみに次に大輔君が店に行くのは、明後日だと思う」

ある日、よ子はそう連絡してきた。よ子曰く、体調不良などのアクシデントがない限り、大輔は確実に店に足を運ぶとのこと。そこまで分かれば十分だ。ここからは、私の仕事である。

その日、私の家には義両親が来ていた。私のお腹も安定期に入ったこともあり、「久しぶりに食事に行きませんか」と義両親を誘ったのだ。お店には近くの駐車場まで義父の車で向かい、そこからはしばらく歩く。すると、少しずつ義両親が不安げな声を出し始めた。

「こんなところにレストランがあるのか?」
「何だか、いかがわしい通りね」

義両親がそう言うのも仕方がない。今、私たちが歩いているのは、繁華街の隅にある風俗街。そして、よ子の調査が正しければ、もうすぐ――。

「あんた、何やってるの!」

一番最初に気づいたのは、義母だった。義母が声を向けた方を見ると、そこには大輔の姿が。

「なんで、おまえたちがいるんだよ!」

大輔が慌てふためきながら、そう言った。私は義両親に向かって先に謝る。

「本当にごめんなさい。レストランを予約したというのは、嘘です」

そう、私は大輔に仕返しするために、わざわざ義両親を、大輔が悪しげに通う風俗店に誘導したのだ。義両親たちは私の発言からある程度のことを察してくれたのか、すぐ様大輔の方に向き直り、避難し始めた。

「お前、なお子さんが妊娠して大変な時に、一体何をしてるんだ? 男として情けない!」
「そうよ! どうして生まれてくる子供に恥ずかしいと思わないの!」

そんな風に義両親は、風俗店の前で大輔を攻め立てる。親に自分の性的嗜好を知られ、その上お店の前で怒られるなんて。私なら羞恥のあまり泣いてしまう。実際、大輔は目に涙を浮かべていた。さすがに見ていられなくなったのか、風俗店の前に立っていたキャッチのお兄さんが「あの、どこか別の場所でお願いできませんか」と、やんわり迷惑であることを主張してくる。私たちはそれを聞き入れ、家に戻ることにしたのだった。

帰宅すると、大輔は全てを話した。とはいえ、予想通りの回答だったが。大輔は妊娠した私に気遣い、夜の営みを遠慮していたけれど、それで欲求不満に陥った大輔は、風俗店を利用するようになったのである。ちなみに大輔が痩せた理由は、風俗に行くために少しでも節約しようとして、昼食を抜いていたかららしい。

「本当にすまなかった」

大輔は私と義両親の前で、土下座を見せる。

「こんな状況で言われても信じられないかもしれないが、なお子のことは本当に愛しているんだ。だから頼む。離婚だけは勘弁してくれ」

そう言って、再び頭を床に擦りつける。

私はそんな大輔の姿を見ながら考える。確かに大輔は、私が妊娠中にも関わらず他の女と関係を持った。だけど、それは特定の個人というわけではなく、金銭的な契約によって結ばれた、ある意味でのプロ。容易に許せることではないが、心まで裏切られたわけではない。何より、生まれてくる子供に父親がいないのは悲しいだろう。

「分かった。今回だけは許してあげる。大輔の言い分は分かりたくないけど、分かるわ。だけど、次はないから。それを肝に命じておいて」

私がそう言うと、大輔は「本当にありがとう」と、涙を流していた。

これからしばらくの間、私と大輔の間にはぎこちなさがあったものの、以前のような気まずさはなく、少しずつ関係を修復しようとしていた。お腹の子供も順調に育ち、後は生まれてくるだけ。新しい家族と幸せな日々を送ることができるだろうなどと考えていたのである。

しかし、ある日、思わぬ訪問者がやってくる。それは、大輔の従妹のとみだった。

はっきり言って、とみは訪問当初から様子がおかしかった。私の家に来るなり、「なお子さん、あなたをいびりに来たわ」などと言ってくる始末。私との関係性は、ほとんどないに等しい。結婚式の時に初めて会ったきりだ。それなのに、嫁いびりとは一体。

「そんなの決まってるじゃない。もうすぐ子供が生まれるって聞いたから、本当に大輔の嫁にふさわしく、母親としてやっていけるかを確認しに来てあげたのよ」

義理の親戚にこういったことを言われるならまだしも、どうして従妹に口を挟まれなければいけないのだろうか。

「だって、おじさんたちはあんたの味方で、公平な判断ができないからね。聞いたわよ。この間はあんた、夫である大輔君を恥ずかしめるようなことをしたらしいわね。ちょっと、嫁の分際で生意気じゃないの?」

「恥ずかしめる? もしかして、風俗店の前で大輔を攻め立てたことを言っているの? もしそうだとしたら、それこそこちらには関係のない話よ」

しかしとみは、私がそう説明しても聞く耳など持たず、「うるさい。口答えするな」と言ってくる。そして、この日以降、ほとんど毎日、大輔が仕事に行っているタイミングを狙って家に来るようになったのである。

一応、大輔にはとみが来ていることは報告した。すると大輔は「は? とみが?」と、不思議そうな顔をする。さすがに大輔の仕込みではないらしい。となると、大輔を風俗店の前で攻めたことを怒っているらしい。とは言いづらい。わざわざ話をぶり返したくない。だから私は、とみさんは私のことを心配してくれているのかも、と曖昧な言葉を返した。

けれど実際はその逆で、とみは私の家に来るたび、嫌なことを言ってくる。

「どこの馬の骨とも分からない人が、私たちの家系図に乗るなんて信じられない。全く、大輔を見る目がないわ。どうして伯父さんも伯母さんも、こんな女との結婚を認めたのかしら。あんたの血が混ざった甥っ子なんて最悪。私、絶対に可愛がってあげられないわ。きっと、見苦しい子が生まれるんでしょうね。まあ、むしろ奴隷と思って接した方が、優しくできるわ」

なんてことだ。

しかし、それだけならまだましな方で、時には物理的なダメージを与えようとしてくるのだ。床にコンビニ袋やゴミを散乱させたり、その前は明らかにわざと床に洗剤を垂らしたりしていた。私はそれに足を滑らせ、倒れそうになったが、なんとか机にしがみつくことで事なきを得た。だけど、一歩間違えれば大惨事である。とみはそのことに対して「あんたの主婦力を試しただけ」なんて言ってくるが、さすがにそれでは納得できない。

ある日、そんな日々をしんどく感じ始めた私は、よ子に電話してこのことを愚痴った。ただ、その間も洗い物などの家事をしようと思ったため、ハンズフリーのワイヤレスイヤホンを使って通話をしていたのだが、これが間違いだった。

私は気づかなかったのだ。いつの間にか、とみが家に来ていたことに。正直、相当な悪口を言った自覚はある。いじめっ子だからって、図に乗りすぎとか、毎日家に来るなんて暇なのかとか。でも、だって仕方ないじゃないか。そう言わないとやっていけないくらい、私はとみに苦しめられている。

しかし、それが癪に触ったのか、とみはとんでもないことをしてきたのである。

その日、私はキッチンで折りたたみの椅子に座りながら、洗い物をしていた。次の瞬間、目の前の世界が傾く。地震でも、家に何かがあったわけでもない。私が転倒しようとしているのだ。

床に着くまでのわずかな間、声が聞こえた。

「奴隷が、何座ってんだよ」

その声を聞き終わると同時に、私の体は床に叩きつけられる。頭と体、そしてお腹に強い衝撃を感じる。私が痛みに顔を歪めると、とみは笑顔を浮かべる。

「あんたがいなくなれば、大輔君もきっと幸せになれるわ」

薄れゆく意識の中、私はそんな言葉を聞いたのだった。

目を覚ますと、知らない天井だった。私が眠っているそばには、とみがいる。一瞬で体が震える。これ以上、私に一体何をするつもりなのか。

私が目を覚ましたことに気づいたとみは、耳元に顔を近づけ、声を潜めて囁いてくる。

「ペット用のカメラが付いてたなんて、聞いてないんだけど。大輔から連絡が来た時は、さすがに慌てたわ。幸い、あんたしか映っていなかったみたいで、一人でこけたってことになってるけどね」

確かに、ペットの剣がいなくなってからも、カメラを片付けるのが何となく寂しくて、出しっぱなしにしていた。私の物忘れも相まって、電源コードも繋がったままだった。話を聞く限り、救急車は大輔が呼んでくれたらしい。大方、私との連絡が途切れ、心配になったよ子が大輔に連絡を入れてくれたのだろう。それで大輔がペット用のカメラで家の中を確認したら、私が倒れていたと。

「とにかく、私があんたをこかしたなんて嘘を大輔君に教えたら、あんたも子供も命はないからね。覚悟してなさい」

そう言うと、とみは病室から去っていった。

何が嘘だ。真実じゃないか。そう言い返すことが、私にはできなかった。

病院という比較的安全な施設にいるのに、私の体は恐怖に支配される。一体全体、どうしてとみがここまで私に悪意を持っているのか分からない。けれど、今日、椅子を引いて私を転倒させたことから、あの言葉に嘘はないのだろう。私だけならまだしも、子供の命まで脅かされるとは。

結局、私はどうしたらいいか分からないまま、入院生活を送ることになったのである。

それから数日後、私は家に戻ってきた。大輔は出かけている。私一人だ。

すると突然、激しくインターホンが鳴った。私が玄関を開けると、そこには鬼の形相をしたとみがいる。

「あんた、私の忠告を無視して、大輔に喋ったわね。メールで『お前には失望させられた』ってきたのよ。あんたのせいで、大輔に嫌われたじゃない!」

自業自得じゃないだろうか。とみが私を転ばせたのは事実だ。

「うるさい! 口答えするんじゃないわよ! あんた、私のことは忘れたわけ? あんたと子供の命はないって言ったわよね! その大きなお腹、めちゃくちゃにしてやるわ!」

「そんな度胸もないくせに」

私がそう言うと、とみはおでこに青筋を立てて「なんですって」と返してくる。

「こう見えてもね、私、空手を習っていたの。その大きなお腹に蹴りを入れることなんて、容易なのよ。今なら、土下座で許してあげるわよ」

「はあ? なんで私が土下座をしなければいけないのよ。頭を下げるのは、あんたの方でしょう。そもそも、独身ニートの分際で、他人の夫婦生活に口を出すんじゃないわよ。いじめっ子だからって、喋りすぎなのよ。お前みたいな口だけの小悪女は、一生結婚も子供もできないから、私のことを妬んでるのかしら。受けるんですけど。ほら、口だけじゃないって言うなら、蹴ってみなさいよ。それとも、人を傷めることに罪悪感でもあって、腰が引けたのかしら」

私は、お腹をさする。このサイズなら、外すこともないだろう。

「さあ、あんたの体当たりキックとやらを、私の腹に打ち込んでみなさいよ」

そんな私の挑発に、とうとうとみもブチ切れた。「やってやるわよ!」と叫びながら、私の大きなお腹に向かって、渾身の蹴りをかましてきた。そして――

「いっ……たあああああ!」

そんな悲鳴をあげたのは、とみの方だった。

無事出産を終え、しばらくした頃。夫の大輔から朗報が届いた。

「よ子さんから、出産おめでとうだって。それと、全部片付いたらしい」

「マジか」

どうやらよ子は、私の代わりにとみに仕返しをしてくれたらしい。実は、とみが遭遇したのは私ではない。私と入れ替わった双子のよ子だ。まみが私の病室から去った後、よ子がお見舞いに来てくれた。そして、今までの全ての出来事を話した。

するとよ子は、今まで見たことがないほど怒りを見せ、「私が目に物を見せてやる」と言ったのだ。その後、大輔にも病院に来てもらい、とみに「お前には失望させられた」という内容と、嘘の退院日を記入したメールを送ってもらった。

そんな浅はかな罠に、とみはまんまと引っかかり、家を訪れたのだ。しかし、そこにいるのは私になりすましたよ子。そして、お腹には趣味のボウリングで使うマイボールを仕込んでいたのだ。

とみはよ子の挑発に乗せられ、ボウリングの球に向かって全力のキック。足首の骨が折れたのは、言うまでもない。しかも、予想外の痛みでバランスを崩し、転倒した際、手首にも捻挫とヒビが入ったらしい。一方のよ子は、うまくとみにボウリングの球を当てながら横へ逃げられたことと、自身とボウリングの球の間にクッションを挟んでいたこともあって、衝撃の緩和に成功。大したダメージはないようだ。

その後、よ子は救急車を呼んで、泣き喚く様子のとみに向かって、とある書類を突きつけた。

「病院に連れて行って欲しかったら、これにサインしなさい」

それは誓約書で、二度となお子、大輔、その子供たちに近づかないといった内容を記していた。

「これにサインするまで病院に連れて行かないし、足首をツンツンし続けるわよ」

よ子がそんな風に脅すと、とみはその痛みを想像したのか、すぐにサインしたらしい。

その後はよ子の車でとみを病院に送り、その間に大輔に頼んで、とみの両親にも来てもらったようだ。よ子との一部始終はペット用カメラで録画しており、それらをとみの両親にも見せながら、事情を説明してくれたらしい。

「確かに、とみさんが怪我をしたのは、私が挑発したせいもあるかもしれません。だから、私を訴えたければ、どうぞご自由に。だけど忘れないでください。それ以前に彼女は、私の姉とその子供を殺そうとしたことを。私を訴えるということは、そのことでも争うことになるということです」

よ子がそう告げると、娘に裁判の履歴を残したくないと思ったのか、とみの両親は「大事にはしない」と言ったらしい。そしてとみの両親にも、とみが大輔と私に近づかないように協力を要請したのだった。

その翌日、私は退院することになった。そしてついでに、とみの容態を見に行くことに。実はとみが運ばれてきた病院は、私がいた病院と同じ。嫌みの一つでも言えるよう、私に気を使ってくれたのだろう。

大輔と一緒にとみのベッドに近寄り、生まれたばかりの子供を見せながら言う。

「あなたは、こんなに可愛い子を殺そうとしたの? 一体どうして、そこまでして私を苦しめようとしたの?」

私がそう尋ねると、とみは虫を噛み潰したような顔をしながら、話し始めた。

「そんなの決まってるでしょ。私は大輔のことが好きだったの。あんたが大輔と出会う前からね。なのに、ポッと出のあんたが大輔を奪っていった。しかも、子供までできたなんて。そんなの、気に入らないに決まってるじゃない。あんたのことが、死んで欲しいほど憎かったのよ」

つまり、嫉妬ということか。とみの気持ちは分からなくはないが、逆の立場だったとしても、ここまではしない。

「そういうところだよ」

私たちの会話を黙って聞いていた大輔が、不意に口を開いた。

「お前の、そういうところが嫌いなんだ。学生の頃も、俺に声を寄せてくれた女の子に、お前は何をした? ありもしない噂を流して、その結果、あの子はみんなからいじめられて、最終的に転校していった。他にも、勝手に告白の返事をしたり、俺とお前が付き合ってるなんてデマまで流した。しかも、学校が変わるたびに付いてきやがって。はっきり言って、気持ち悪いんだよ。だから俺は、お前から告白されても付き合わなかったし、なお子のことも、お前に結婚するまで教えなかったんだ。お前みたいな奴が、いじめっ子だなんて、一族の恥だ」

とみの顔は、真っ白になっていた。どうやらよ子にされた仕返しよりも、かなり効いているようだ。まあ、人を殺そうとするくらい愛した人に「気持ち悪い」と言われるなんて、私ならとても耐えられない。本当ざまあみろ、だ。

「とにかく、今後絶対に俺たちの前に現れるなよ。分かったな」

とみは何か言いたげであったが、大輔が「帰ろう」というので、私たちはとみの病室を後にしたのだった。

後日、私たちは子供と一緒に無事に家に帰り、新しい生活が始まった。子供の夜泣きなど大変なことも多いが、大輔が積極的に手伝ってくれる。まあ、風俗店に通っていたのにもある程度の罪悪感があるのだろう。

ちなみにとみは、とみの両親たちと一緒に、私たちの住む場所よりかなり遠くに引っ越した。今では毎日スマホのGPSで居場所を把握され、下手な動きができないよう監視されているらしい。

そして、今回の立役者であるよ子だが、以前の会社に復職したらしい。というのも、同僚がクソ上司のセクハラやパワハラの証拠を集めていたらしく、それらを告発。その結果、クソ上司は首になったらしい。社内調査でよ子がクソ上司のせいで仕事をやめたことも明らかとなり、上層部から「もし嫌でなければ、戻ってきませんか」と打診があったらしい。よ子としては、クソ上司以外、仕事も気に入っていたし、そろそろ就職活動をしようと思っていたタイミングでもあった。だから、その申し出を受けたとのこと。

まあ、お金がないとボウリングも行けないしね。

私は久しぶりに会ったよ子とボウリング場に向かいながら、そんな話をする。今日は義両親と大輔が子供を見てくれている。私としては、久しぶりのボウリングだ。これまでのストレスを全部、今日のボウリングで全て綺麗に発散させよう。そんなことを、私は思うのだった。

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