店の扉が乱暴に開いた瞬間、私はレジの前に立ったまま固まってしまった。昼の営業を終えたばかりの店内には、常連の年配のお客さんが一人だけ。母は外出中で、私一人が店番を任されていた。そこに柄の悪い男が入ってきて、サングラス越しに店内を見渡しながらこう言った。「おい、ここの天ぷら屋のばばあと、目つきの悪い従業員はいるか」。母も従業員も外出中だと答えると、男はにやりと笑って「俺は中田組の鈴木龍也だ。三…

店の扉が乱暴に開いた瞬間、私はレジの前に立ったまま固まってしまった。昼の営業を終えたばかりの店内には、常連の年配のお客さんが一人だけ。母は外出中で、私一人が店番を任されていた。そこに柄の悪い男が入ってきて、サングラス越しに店内を見渡しながらこう言った。「おい、ここの天ぷら屋のばばあと、目つきの悪い従業員はいるか」。母も従業員も外出中だと答えると、男はにやりと笑って「俺は中田組の鈴木龍也だ。三...

店内にいたのは常連の年配の客が一人だけだった。昼の営業を終えたばかりで、母は外回りの用事に出かけてしまい、私は一人で店番を任されていた。客が伝票を持って立ち上がり、レジへと向かった時だった。店の扉が乱暴に開かれた。

柄の悪い男が一人、サングラス越しに店内を値踏みするように見渡していた。私は不審に思いながら声をかけるが、男は鋭い目つきで私を睨みつけると、こう言った。

「おい、ここの天ぷら屋のばばあと、目つきの悪い従業員はいるか」

私は苛立ちを覚えながらも、母も従業員も外出中だと答えた。すると男の口元がにっと歪んだ。

「そうか、いねえのか。ちょうどいいや。俺は中田組の鈴木龍也だ。三かじめ料、払ってもらおうか」

みかじめ料。母からは一度もそんな話を聞いたことがなかった。私はきっぱりと断った。私の一存で支払うことはできないと。すると鈴木は機嫌を損ね、店内にあったゴミ箱を蹴り飛ばした。派手な音が響くと、食事をしていた客が肩を縮めて震え上がる。

「冗談じゃねえぞ。こっちはもう三か月も待ってやってんだ。今日こそ全額払ってもらうぜ」

「いくらですか」

俺はヤクザなんだぜ。客がどうなってもいいのか。

そう言って鈴木は客のテーブルを蹴り上げた。食器が床に落ちて割れる音が響く。客の顔は真っ青で、恐怖で体を震わせている。

「金を払えば解放してやるよ」

私は唇を噛みしめた。このままでは客の安全が保てない。

「分かりました。でも、そんな金額はここにはありません。取りに行ってきます」

「いいぜ。だが、客が大事なら逃げんなよ」

私は店を飛び出すと、すぐに母に電話をかけたがつながらない。もうどうしようもなくて、店から歩いてすぐのところにある叔父の家へ走った。事情を説明すると、叔父は驚きながらもすぐに家の奥から紙袋に入った一千万円を持ってきてくれた。

店に戻ると、鈴木は椅子にふんぞり返って客を隣に立たせていた。私は客から離れるように言い、紙袋を渡す。鈴木は中身を確認すると、にやりと笑って椅子に座り、札束を数え始めた。

その時、店の扉が開いた。

「なんだこれ。なんでこいつがおん出してるんだ」

店に入ってきたのは従業員のシジだった。私のことを兄のように慕っている、あの優しい男だ。彼は一目で事情を察したようだった。

「お姫、いくら払ったんです?」

「一千万」

「母さんとは連絡つかなかったんですか」

「うん。おじさんに借りたの」

シジはふっと息を吐くと、はっきりした声で言った。

「すみません、遅くなって。お姫、二千万を回収します」

ようやく札束を数え終えた鈴木が振り返り、シジに気づいて舌打ちした。

「ちっ、もう戻ってきたのかよ。まあ受け取るもんは受け取れたしな。じゃあまた来月来るぞ」

鈴木が立ち去ろうとした瞬間、シジが入口に立ちふさがった。

「待てよ。何帰ろうとしてんだ」

「用が済んだら帰るのは当たり前だろうが」

二人はにらみ合ったまま一歩も引かない。私はその隙に客の手を引いて店の外へ連れ出した。

「本当に怖い思いをさせてしまって申し訳ありません。どうかお気をつけてお帰りください」

客は心配そうな顔をしながらも、うなずいて帰っていった。

背後から声がした。

「何があったんだい」

振り返ると、母が立っていた。買い物から戻ってきたのだろう。私は鈴木が来たことを説明すると、母はうなずいて店の中に入った。

シジと鈴木がまだにらみ合っている。母は店内をゆっくりと見渡した後、大きなため息をついた。

「なるほどね。シジ、もう客もいないし、全部明かしちゃいな」

「分かりました。仙台」

シジは母を見てうなずくと、鈴木の方を向いた。

「お前な。俺はただの従業員じゃなくて、虎屋組の組長なんだよ」

鈴木は目を見開いたまま動きを止めた。

「知ってるだろうが、虎屋組。てめえの中田組よりはるかにでかい組織だ」

「嘘ついてんじゃねえぞ」

シジはポケットから名刺入れを取り出し、鈴木の目の前にそれを突きつけた。

「おら、名刺だ。受け取れよ」

「あ、虎屋組長、高橋シジ」

鈴木の声が震えている。彼の顔から血の気が引いていくのが分かった。

「それとな、さっきからばばあって呼んでる人は、虎屋組の仙台組長だ」

「仙台? この定食屋の店主の仙台って、そういうことか」

「やっと分かったかい。誰に手を出そうとしていたのかを」

母が普段の優しい雰囲気を消して低い声で言う。すると鈴木はその威圧感に耐えきれず、その場にへたり込んでしまった。

「お、俺はなにをしてしまったんだ。知らなかったんです。本当に」

「そうだろうね。さて、私たちには片付けもあるんだ。さっさと出て行ってくれ」

母が冷たい目でそう言うと、鈴木は驚くほどの速さで立ち上がり、店を飛び出していった。

店内が静かになる。

最初に口を開いたのはシジだった。

「どうして大人しく帰らせたんですか。このままじゃお姫が怖い目に遭ったのに、一千万も持ち逃げされたままですよ」

「まあ待ちな。血の気が多いのは組長として褒められたもんじゃないよ」

「すみません」

母はシジに向かって手を上げると、今度は私の方を見た。

「さて、れ子。何があったのか詳しく説明してくれるかい」

私はうなずいて、鈴木が来てから今までのことを全て話した。客が怖がっていたこと。私が母に連絡を取れなかったこと。叔父から金を借りたこと。母は黙って聞いていたが、最後にこう言った。

「まさか、れ子しかいない時を狙ってくるとはね。鈴木っていう男は、三か月前から言ってたけど、いつもはどうしてたんだい?」

「お客さんもいたし、普通にやり過ごしてたみたい。時にはシジが拳で相手をしてやってたんだって」

「なるほどね。だから鈴木は『喧嘩が強い』って言ってたのか。納得だよ」

「それで仙台。これからどうするんですか」

「もちろん、倍にして報復するに決まってるだろう」

「どうやってですか?」

母は不敵に笑った。

「来週の週末になれば分かるさ」

一週間後、私は定食屋に向かった。店の扉には「臨時休業中」と書かれた張り紙が貼ってある。中を覗くと、いつもと違い黒いスーツを着た母とシジが立っていた。

「二人とも、どうしたの?」

驚いて言うと、母とシジは顔を見合わせておかしそうに笑った。

「そりゃあ、これからヤクザとして仕事をするんだ。それらしくしないとな。さて、れ子も来たところだし、行こう」

「そうですね」

シジはうなずいて携帯電話を取り出し、どこかへ電話をかけた。数分後、スーツを着た男たちが現れ、店の外では黒い車が数台待機していた。

「それで、どこに行くの?」

車に乗り込みながら聞くと、母はにっこり微笑んだ。

「中田組の事務所だよ」

「事務所に乗り込むの?」

母は声を上げて笑った。

「あはは。単に話し合いをするだけさ。まあ、中田組の反応によっては分からないけどね」

「そういえば、中田組より虎屋組の方が大きいの?」

「そうですね。組員の数も、島の大きさも、虎屋組が圧勝です」

そんな話をしているうちに、中田組の事務所へ到着した。雑居ビルの前だ。車から数台の黒が停まったことを不審に思ったのか、中田組の組員たちが飛び出してきた。

「なんだてめえら」

「俺は虎屋組の組長、高橋シジだ。組長に、今日は金の回収に来たと伝えろ」

シジが真剣な顔で叫ぶと、組員たちはざわつき、そのうちの一人が事務所へ走って入っていく。数分もせずに戻ってきて、私たちを中へ案内した。

事務所の中には、組長らしき男が来客用ソファーに座っていた。母とシジが挨拶をすると、組長は母の姿に気づいて頭を下げた。

「仙台まで、わざわざお越しになるとは」

「あんたと最後に会った時はまだ若頭だったのにね。今や組長か。時の流れは早いもんだよ」

私たちは促されるままソファーに座った。組長も席に着き、真剣な顔でシジを見た。

「それで、金の回収で来たという話でしたが、中田組として身に覚えがないんですが」

「いや、確かだ。一千万貸して、今では利子と合わせて二千万になっている」

「二千万の話ですか?」

組長は本当に知らないようだった。困惑した表情を浮かべている。

「鈴木龍也ってやつが、あんたの組にいるだろう。あいつに聞いてみな」

「ああ、鈴木龍也ですか。確かにうちの組員です。おい、鈴木を呼んでこい」

組長の命令で、組員が駆け出していく。五分もしないうちに、鈴木が連れてこられた。部屋に入った瞬間、鈴木はシジと母の姿を見て真っ青になり、土下座した。

「これはどういうことだ」

「黙って土下座しただけじゃ分からないだろう。自分の口から組長に話しな」

母が鈴木のそばに歩み寄り、彼の髪の毛を掴んで顔を上げさせた。

「俺はこの組に入ってから、全然成果を上げられなくて。偶然、みかじめ料を取ってない店があったんで、徴収に行ったんです」

「まさか、てめえ」

組長は何かを察したようで、目を見開いた。

「その店が、虎屋組の仙台がやってる定食屋だったんです」

「野郎。あの店に手を出しちゃならないのは、中田組だけじゃなく他の組も周知の事実だろうが」

組長が立ち上がって鈴木を怒鳴りつけると、彼は体を縮めて顔を伏せた。

「お、俺は知らなかったんです。ただ、腕っぷしの強い従業員と店主のせいで、うまく徴収できてないだけだと思ってたんで。だから娘だけがいる時を狙ったんです」

組長は深いため息をつくと、すぐに鈴木の隣に土下座をした。

「うちの者が本当に申し訳ありませんでした」

母は立ち上がると、しばらく腕を組んだまま土下座する二人を見下ろしていた。

「その様子だと、本当に鈴木一人の独断だったようだね。ところで、虎屋組としても中田組と無駄な争いはしたくないんだ。それなら、鈴木をこの場で破門にするなら、中田組への金の請求はしないっていうのはどうだい? 貸した二千万を全額鈴木に背負わせる。悪い話じゃないだろう?」

母の提案を聞いた瞬間、組長は大きな声で宣言した。

「分かりました。鈴木を、今すぐこの場で破門にします」

「そ、そんな組長。俺、破門にされたらどうすればいいんですか。金を返す当てもありませんよ」

「決まりだね。支払いのことは心配しなくていいよ。私に考えがあるから」

母はそう言うと、立ち上がった。

「さて、話もついたし、店に帰ろうか。行くよ、れ子」

「シジ、鈴木を連れてきな」

「はい、仙台」

シジはうなずくと、真っ青な顔で床に座り込んでいる鈴木を軽々と担ぎ上げた。

「助けてください」

鈴木は手足をばたつかせるが、シジの力には敵わない。そのまま連れて行かれてしまう。私たちは中田組の事務所を後にした。

母の店に到着すると、シジは車から鈴木を引きずり下ろし、店の中へ放り込んだ。受け身も取れず、鈴木は床に転がる。

「さて。金の話をする前に、まずは荒らした店の掃除をしてもらおうか」

母は鈴木を見下ろしながら、不敵に微笑んで言った。

「はい」

鈴木は大きな声で返事をすると、手際よく動き出した。意外にも彼の掃除の手際はとても良く、荒れ放題だった店内はあっという間に綺麗になっていく。

「終わりました」

「おお、なかなかやるじゃないか」

「中田組でもよく掃除させられてたので、得意なんです」

「何自慢してんだ。ここを荒らしたのはお前だろうが」

シジに怒鳴られて、鈴木は肩をすくめて黙り込む。そんなやり取りを見ていた母は、小さく息を吐いて腕を組んだ。

「さて、じゃあ本題の金の話をしよう」

母はそう言うと、鈴木に告げた。

「あんたはこれから、この店で無給で働くんだ。食事ぐらいは出してやるから安心しな」

「こんなしょぼい店で、俺が働くんですか?」

「てめえ、自分の立場分かってんのか?」

シジが怒鳴りながら鈴木の胸ぐらを掴み上げ、拳を振り上げた。

「シジ、やめな」

母の鋭い声が飛ぶと、シジの拳がぴたりと止まる。彼は舌打ちをすると、乱暴に鈴木の胸ぐらから手を離した。

「確かにしょぼい店かもしれない。実際、そこまでの儲けもあるわけじゃない。赤字が続いてた日もあったさ。でもね、この店は旦那が死んでヤクザから足を洗う時に、迷惑をかけてきた店の人たちに少しでも償いができないかと思って始めた店なんだよ」

母は鈴木に近づくと、彼の顎を掴んで睨みつけた。

「そんな店で、あんたは店の客に怖い思いをさせた。もしも客や娘に暴力を振るってたら、私は容赦なくあんたを海に沈めるか、山に埋めるかしてたよ。そんなに働くのが嫌なら、選ばせてやる。命を差し出すか、ここで働くか」

鈴木は母の威圧感に圧倒され、震えた声で答えた。

「働きます。働かせてください」

「そうかい」

「仙台。俺は反対です。こんなやつ、さっさと処分した方がためですよ」

不服そうな表情でシジが言うと、母は一瞥してから私の方を見た。

「れ子はどうしたい?」

「私?」

「ああ。今回の一番の被害者の一人だろう。れ子が許せないなら、こいつはすぐに処分する」

私はうつむいて少し考えてから、顔を上げた。

「それなら、あの時のお客さんにちゃんと謝って許してもらえたら、働いて返すというのでも私はいいと思います」

母は一瞬驚いた顔をした後、にっと笑った。

「なるほど。それはいい案じゃないか。早速、明日にでも行かせるよ。いいね」

「はい」

翌日、鈴木は早速菓子折りを持って客の店へ赴き、土下座して謝罪し、許してもらえたそうだ。

騒動から二週間後。母から「鈴木が働くからもう来なくても大丈夫」と言われていたので、店に行くのは久しぶりだった。店の扉を開けて、私は驚いた。

そこには、別人のように柔らかい笑顔を浮かべて働く鈴木の姿があったからだ。

「全然違う人みたい」

「驚いただろう。鈴木は今まで人に感謝されたことがなかったんだって。客から毎日『ありがとう』って言われてたら、気持ちが変わっていったみたいでね。だんだん表情も行動も変わっていったんだよ」

「俺もここまで変わるとは思いませんでした。今では借金を返済し終えたら、調理師の免許を取りたいって張り切ってますよ」

「いい拾いをしたね」

母は優しい表情で目を細め、生き生きと働く鈴木の姿を見て微笑んだ。

「もしかしたら、あの人にとってはヤクザよりも定食屋の方が天職なのかもしれないね」

私が冗談めかしてそう言うと、母とシジは目を瞬かせた後、吹き出しておかしそうに笑った。

私はそんな穏やかで温かい空気に包まれる店内で、これからもこうやって平和な日々が続いていけばいいと心から願った。

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