雨の朝だった。俺は約束の時間ぴったりに銀行へ足を踏み入れた。すると待ち構えていたように、相手の視線が頭からつま先までを撫でるように這った。冷たい目だった。俺はそこで、自分が歓迎されていないことを悟った。
俺の名は北山。四十歳。かつてメガバンクで働き、最年少で融資課長にまで上り詰めた。業界内では若手のホープと呼ばれていた時期もある。だが、数字だけで現場の技術を切り捨てる本部の方針に絶望し、俺は自ら辞表を叩きつけた。
その時に出会ったのが、町工場を営む池神社長だった。池神社長は、相談に来た時、必死だった。この工場は、世界に誇れる独自の樹脂加飾金属接合技術を持っている。しかも、その核となる接合技術は特許出願中で、一部は既に特許を取得済みだという。他者が容易に真似できるものではない。まさに、町の宝と呼ぶべき技術だった。本来、この特許こそが、融資審査で正当に評価されるべき資産のはずだった。それなのに、開発費が不足し、次の段階に進めないでいたのだ
聞けば聞くほど、この技術は素晴らしかった。成功すれば、融資した分などすぐに回収できるだろう。俺は融資の実現に向けて動いた。だが、本部からストップがかかった。「こんな小さなボロ工場が、いずれ潰れるのは目に見えている。融資はできない」というのが本部の見解だった
俺は池神社長に詳しい資料を提出してもらい、本部の説得に奔走した。つコピーまで添えて、何度も資料を作り直し、夜遅くまで資料と睨めっこしながら、どうすればこの技術の価値が伝わるのかを考え続けた。眠れない夜を何度も過ごした。それでも、本部は首を縦に振らなかった
心の奥では、他行の知人に頼んでしまいたい気持ちもあった。公金を扱う立場にある以上、融資を諦めて競合他行に有料顧客を紹介するなど、裏切り行為以外の何者でもない。できることはあくまで内部で戦うことだけだった
「事前事業じゃないんだよ」という本部の一言で、俺の心は折れた。池神社長には、「私の力不足で申し訳ありません」と何度も頭を下げた。しかし、池神社長は「いえ、北山さんが悪いわけではありません。他の銀行にも断られました。うちみたいな町工場は、これからも細々とやっていきますよ」と悲しそうな笑顔を見せ、帰っていった。その背中を見送りながら、俺はこの銀行に見切りをつけた。それから二ヶ月後、俺は銀行を辞めた
俺は池神社長のところへ足を運んだ。「その後、融資の件はどうなりましたか?」と、銀行を退職したことを伝え、気になっていたことを尋ねた。しかし、池神社長の顔は曇ったままだった。つまり、融資は受けられていないということだ。「この工場で働かせてくれませんか」と俺は切り出した。当然、池神社長は驚いた。「あの時お話ししてくださった開発の件、本当に素晴らしいものでした。御社の技術なら、必ず開発できます。そして世界に羽ばたける技術です。日本の町工場の技術を埋もれさせたくありません」
俺は池神社長に惹かれるほど熱く語った。「北山さんの気持ちは分かりました。ただ、メガバンクで働いていた北山さんの納得するような給料は、うちでは支払えませんよ」「お気持ちだけ、ありがたく受け取っておきます」と池神社長は悲しそうな顔をする。俺は首を横に振った。「私はこの工場の技術に心から惚れ込みました。給料なんてどうでもいい。ここでお役に立ちたいんです」「でしたら、成功報酬でも構いません」
そう言うと、池神社長は少し考えた後、「分かりました。本当は、金融関係に強い人がいたら心強かったんです」と笑った。結局、俺は一般社員と同じ給料で雇われることになり、すぐに経理の立て直しを始めた。それと同時に、池神社長からもう一度、開発についての詳細を確認した
経理の立て直しから一年。俺は赤字気味だったこの工場を、有料企業へと立て直した。「そろそろ、あの技術開発に進んでもいいと思います。融資の相談をしてみましょう」と提案すると、池神社長は顔を曇らせた。一年前、俺のところに相談に来る前にも、工場はいくつかの銀行を梯子していて、どこでも断られていたのだという。心が折れても、技術開発を諦めていないのも事実だった
俺はいくつか融資してくれそうな銀行をピックアップしたが、まずは地元の地方銀行に相談に行くことにした。ここは給与口座も持っていて、付き合いも長い。何より、長年世話になってきた銀行を、義理も通さずに素通りするわけにはいかなかったのだ
「五億の技術開発費ですか?」対応してくれた銀行員は、なかなか感触が良かった。「融資する方向で調整できそうです」と言われ、俺は池神社長と喜んだ。そして再度相談に行ったのは一週間後。この日は台風が接近していて、朝から土砂降りだった
「北山さん、大丈夫ですか?」と従業員も心配してくれたが、俺は「技術開発は皆さんの望みでしょう。このチャンスを逃したら、また振り出しに戻ってしまうかもしれない」と答えた。なんせ、この日の朝に銀行から電話がかかってきて、「融資の相談なら、今日必ず来てください。来なければ、この話はなかったことにします」と言われたのだ。声の主は湯川と名乗り、この間の銀行員の声ではなかった
銀行に着くと、俺はずぶ濡れだった。シャツが肌に張り付き、革靴の中まで水が入り込んでいる。「失礼のないように」とタオルで拭いて銀行へ入る。中は、いつもより殺風景としていた。以前、話を聞いてくれた担当者が「お待ちしておりました」と言って迎え入れてくれたが、なんだか浮かない表情だ。嫌な予感が拭えないまま、応接室で一人、待たされる
時計の針が進むごとに、「これは、意図的に待たされているのではないか」と胸の中に不快な予感が広がっていく。しばらく待っていると、別の人間が出てきた。その男は湯川と名乗った。さっきの電話の声の主だ。差し出された名刺には、支店長と書かれている。ずぶ濡れの俺を見て、聞こえるか聞こえないかという絶妙な音量で、わざと俺に届くように「そんな格好で、恥ずかしいと思わないのかね」「これだから、工場の人間は嫌いなんだよ」と吐き捨てた。聞かせたいなら、はっきり言えばいいものを。こういう卑怯なやり方をする人間を、俺は何人も見てきた
俺は聞こえないふりをして名刺を渡したが、湯川は俺の名刺を見て鼻で笑った。「ここって、随分小さな工場ですよね」「しかも、相当古い」湯川も地元の人間なのだろう、うちの工場を知っているようだ。確かに、工場自体は古いし規模は小さい。だが、工場の規模と技術はイコールではない
「それが何か」と思わず感情が出てしまう。湯川は、俺が前にいたメガバンクの上司と態度がそっくりだ」。俺は、この次に言われる言葉を予想している。すると、俺の予想通りだった。“湯川は「前回、うちの担当が融資を検討すると言ったようですが、よく考えてください」「賢明に、こんな小さな工場に五億を融資しますか」と言う”。俺は「冷静に、工場の規模だけで決めつけられるんですか?」と告げた。“支店長なのに、何も分かっていないんですね”という言葉は、なんとか飲み込んだ
湯川は俺の言葉を鼻で笑った「そりゃそうでしょ」「こっちだって、事前事業じゃないんですよ」「工場は信用できません」「五億の融資はキャンセルで」俺はその言葉にため息をつく。湯川は無能だ。見た目や肩書きだけで判断している。俺の元上司や本部の連中と同じだ”。だったら、こんなところに頼む必要はない。“俺はせめてもの嫌がらせに「そうですか、残念です」と放つ”。湯川には、この嫌みは伝わっていないのだろう。“負け惜しみを言っているとでも思っているようだ”。“俺は「後悔しませんか」と一言添えると、湯川は「後悔するわけないでしょう」と馬鹿にして笑った。そして「この雨の中、大変ですね」「ああ、ボロ工場の人間にはお似合いか」とまで言ったのだ
俺は湯川を睨みつけ、「失礼します」と言って銀行を出る。車に着くと、すぐに池神社長に電話をした。「社長、すみません」「ダメでした」すると、池神社長は「やっぱりか」「仕方ないよ」「それよりも北山さん、だいぶ雨がひどいから、大丈夫か」と優しく言ってくれる。その後ろでは、従業員たちが「北山さん、風邪引くなよ」と温かい声をかけてくれるのが聞こえてきた。俺はその声に励まされる。“何としても融資をしてもらい、技術開発を成功させよう”と、俺の心に再び火がついた
俺は一度工場に戻り、昔培った人脈を使うことに決めた。「社長、五億の融資、必ず勝ち取ります」「技術開発の準備を進めてください」と力強く言うと、池神社長は驚いた顔をするが、大きく頷いた「北山さんの言葉、信じます」俺はメガバンク時代の人脈を使い、他の知人に声をかけたのだ
「社長、あの地方銀行は、もう使うのやめましょうか」「口座ごと、他行にしましょう」と言うと、社長は「北山さんにお任せします」と言ってくれた。俺は知人のいる銀行に相談し、この工場の経営状況や技術開発の件を説明する「最近、赤字を脱却したという工場ですよね」「気になってたんですよ」「北山さんの仕業だったんですね」と知人の銀行員が答えた「いきなり五億は難しくても、二億くらいなら融資できるはずです」という
同じように、あと二行に声をかけた。三つあれば、五億の融資は確実だと思ったのだ。そして雨が上がった翌日、俺は社長と共に銀行を回った。少し時間はかかったが、その結果、より低金利で、据え置き期間も長い五億の融資が確定したのだ“北山君、本当にありがとう”と、涙ぐみながら言う池神社長。俺はその呼び方に少し驚いた。思えば、社長が俺を「君」と呼ぶようになったのは、この頃からだった気がする。“社員としてではなく、もっと近い存在として認めてくれたのだろう”。そう思うと、胸の奥が熱くなる。“門前払いされた惨めな気持ちは、もう思い出さなくていい”のだと、静かな充足感が込み上げてきた。俺は笑った「何言ってるんですか、社長?”“これからですよ”“技術開発を成功させないといけないんですから”“気合入れてください”
池神社長は頷き、従業員たちも新しいステップに向かって踏み出した。技術開発は、融資さえしてもらえればすぐに動き出せる状態だった。わずか数日で試作品が完成し、「よりいいものを」と試行錯誤する。それと同時に、社長は「ようやく新しい技術開発ができる」と、各業界に売り込みをかけた
それから数日後、なんとこの技術は、大手メーカーの次世代自動車の基幹パーツとして採用されることになったのだ。この次世代自動車は、世間からも注目されていて、ニュースでも定期的に取り上げられた”。するとすぐに、工場の電話が鳴る。“事務所には、俺一人しかいなかったので、その電話を取ると、相手はあの地方銀行の湯川だった「池神社長に、五億の融資をするとすぐに伝えてください」そう言われたが、もう他行で話は進んでいる”。“どのみち、この銀行の口座は解約するつもりだった”。だったら、“直接出向いて、きちんとけじめをつけてから終わらせてやろう”と思った。“俺は「今日の午後、お伺いしてもよろしいでしょうか」とアポイントを取る”。電話を切ると、池神社長に報告した「社長、あの地方銀行が、五億の融資をすると言ってきました」池神社長は眉を潜める“「今更、何を言っているんだ」「もう決まっているのに」”“「ええ、ですから口座の解約の手続きをしに行くんです」”そう言うと、池神社長は少し考えた後「私も一緒に行こう」「あの支店長には、私からも言いたいことがある」と、珍しく強い口調で言った
そしてその日の午後、池神社長と共に地方銀行へ向かった。銀行に着くと、応接室に通される”。湯川は「五億円の融資を、ご希望でしたよね」と、先日とは百八十度違う態度で媚びへつらう“俺は「いえ、今日は口座の解約でお伺いしました」と言うと、湯川は「え?」と素っ頓狂な声を出した”。そこで池神社長が「あなた、うちの北山に、随分と失礼なことを言ったそうですね」「土砂降りの中、あなたが来いと言うから伺った北山に対し、ずぶ濡れで恥ずかしいとか言ったそうです」ねと凄む”。普段、温厚なだけに、池神社長の剣幕に面食らうが、俺のことを大切に思ってくれているのだ”。“俺は「今までこちらとお付き合いしておりましたが、その必要がなくなったので、口座を解約させてください”“今日は、その手続きで参りました」と告げる
その瞬間、応接室のドアが勢いよく開き、「湯川、どういうことだ」と、新聞を持った男が顔を真っ赤にして入ってきた。“森さんと湯川が、ガタガタと椅子を鳴らして立ち上がる。見る限り、湯川の上司で本部の人間だろう”。“森は「うちが大手メーカーと契約を結んだ」という新聞記事を指差し、「この融資を断ったそうだな」「すぐに、うちで融資をしろ」とまくし立てた“「ち、違うんです、森さん」「あの、ほら、この方たちが、その工場で…」「今日は、融資の話を進めるためにいらしていただいていて」と湯川は慌てふためきながら俺たちを指さした”。すると、森はすぐに態度を変え、揉み手をしながらゴマを擦ってくる“「これはこれは、池神社長ですね”“今日は、五億の融資の件でしたか」「すぐに、契約の用意をさせます」”
俺はそんな森を静かに見据えて、きっぱりと言い放った。「いえ、今日は口座の解約です」「え?解約?どういうことですか?」森が目を見開いて慌てる”。湯川も青ざめながら「えっと、そのですね」とたじたじしている”。森は焦ったように、なおも口を挟んできた「五億の融資がないと、開発なんてできないでしょ」「口座もそのままにしてくだされば、すぐに融資しますよ」「ほら、大手メーカーとの契約が決まったのだから、開発費が不足している”“今すぐに融資されないと、厳しいでしょう」「でないと、大手メーカーとの契約もなくなりますよ」
だが、俺は冷たく首を横に振った“「何を勘違いされているのか分かりませんが、うちはもう他で融資を受けています」「給与口座も、そちらで新しく作ることになったので、すぐに解約の手続きをさせてください」”“「そ、そんな、いきなり五億の融資なんて、たこが…」とうろたえる湯川に、俺は続けた。“池神社長と一瞬目が合う”。社長が小さく頷いたのを確認し、俺はゆっくりと口を開いた「実は、私は元銀行員でしてね」「辞めたからこそ、しがらみなく動けたんです」「こちらとのお付き合いを優先して、最初に融資の相談に参りましたが、門前払いの上、ボロ工場だと馬鹿にされたので、昔のツテを使っただけです」
その瞬間、森が俺の顔を凝視し、何かに気づいたように絶句した「あんた、もしかしてメガバンクにいた、あの融資課長か?」俺は無言で微笑み、池神社長が抱えてきたこの一年の財務資料をテーブルに広げた“「ボロ工場は信用できないと断られたので、他行にお願いしました”“あなたたちみたいに、規模や外見だけで判断するような銀行とは、今後お付き合いいたしません」「こちらも暇じゃないので、すぐに解約の手続きをお願いします」”
森は湯川を凄まじい剣幕で睨みつけ、応接室には険悪なムードが流れたとはいえ、俺には関係がない。解約を済ませると、俺は池神社長とさっさと銀行を出た
翌日、安定しない梅雨の空は、また大雨を降らせた”。そんな中、工場にはずぶ濡れになった湯川がやってくる”。俺と池神社長が出ていくとなると、湯川は土下座をし「五億は、六億にします”“口座を戻してください”と懇願した”。“俺は「アポもなく来て、土下座ですか?”“失礼にも程があります」「もちろん、お断りですよ」「私たちは、この技術をきちんと評価してくれる銀行と契約を結びました」「今後、御社に戻るつもりは、みじんもありません」と告げる”。“池神社長も怒った様子で「そうだ」「そんなところにいられるのも迷惑だ」「さっさと帰れ」と言い放つと、湯川はしぶしぶ去っていった
後の話によると、湯川の支店は、大幅な赤字支店としてブラックリスト入りし、湯川と森は即座に更迭されたという。、その支店は、近隣店舗への統合が決定したとのことだ。“自業自得だ”
“北山君、本当にありがとう”と池神社長が俺の肩を叩く”。俺はその言葉に照れながらも「何言ってるんですか?“この工場の一員として、当然のことをしただけですよ」と言うと、他の従業員に「北山さん、何照れてるんですか」とからかわれた”。“俺は少し恥ずかしくなって「もう、早く技術開発してください”“スケジュール押してますよ”“ほら、早く」と皆の尻を叩く”。“今日も、この工場はやる気と笑顔で溢れている”。“世界的な技術になる日も近い”。“俺は縁の下の力持ちとして、この工場を支えていきたいと思う”
滝川部長に呼び出され、会議室に入ると、そこには部長と、彼が可愛がっているエリート社員たちがいた。“滝川部長は、俺を見るなり、馬鹿にしたように笑った「お前、高卒だってな」「システム部の部長のくせに、お前みたいなのが一番厄介なんだよ”“俺は、これまでずっと黙っていたが、この日、部長会議で、彼が俺のシステムにケチをつけ、予算を削ろうとしたことに、もう我慢の限界だった“「部長、そろそろ、その辺にしておいた方がいいですよ」「俺が大学を出ていないのは事実ですが、このシステムを作ったのも、俺です」「部長が、そんなシステムを理解できるとは思いませんがね」”
俺の言葉に、滝川部長の顔が一瞬で強張る。“「なんだと?」”“「大学に入れなかった劣等生が、俺に逆らう気か?」”“「逆らうも何も、これが事実ですから」と、俺は机の上に一枚の資料を置いた”“「この前の、部長会議の議事録です」「システム部の予算削減を提案したのは、部長ですよね」「でも、その根拠となったデータ、これは、どうやら捏造らしいですよ」「俺が調べたところ、この数字は、実際の運用データとは全く違う」「これって、横領を隠すためですよね?」”
滝川部長の顔が、見る見るうちに青ざめていく。“「お、お前、適当なことを言うな!」”“「適当じゃありません」「このデータの出所を、経理部に確認してもらいました」「部長が、個人的に作成した資料だそうですよ”“ほら、ここに、部長のサインがありますけど?」”“俺が差し出した資料を、滝川部長は、震える手で掴み、凝視する”。「…お前、よくも」と喘ぐように言うが、もはや、いつもの傲慢な態度はない。“「これは、人事委員会に提出させてもらいます」「部長、あなたの時代は、終わったんですよ」と、俺は静かに言い放った”
滝川部長は、その場に、がっくりと膝をついた。“「終わった…のか…」”“「ええ、終わりましたね」と、俺は立ち上がり、会議室を出ようとした”“「待ってくれ!金井!」と、部長が後ろから縋るような声を上げる”“「頼む…これは、俺の十年の功績がかかってるんだ”“お前から、社長に、何とか言ってくれないか…」”“俺は、振り返りもせずに、こう言い放った「部長の功績は、部長自身が守るものです」「他人を引き摺り下ろして得た地位なんて、すぐに崩れますよ」”
それから数日後、滝川部長は、会社を去った”。彼が行っていた不正が、調査で明らかになり、解雇処分となったのだ”。俺は、会社に残り、システム部の立て直しに奔走した”. 学歴で人を判断する古い体質は、少しずつ変わり始めていた”. 俺は、この会社で、いや、この業界で、実力だけで戦い続けることを、心に決めていた
底辺企業は信用ならないそうだな”。俺たちを門前払いしたのは、取引先の部長だった”. 以前から俺たちを邪魔者扱いしていたが、まさか特許システムの契約更新の大切な日に、あんなひどい扱いを受けるとは思っても見なかった”。結局、俺たちは、契約を更新できず、大口の取引先を失うはめになる”。しかし、困るのは、俺たちではなく、取引先の部長だった
俺の名前は、桜井、三十八歳”.

三十歳の時、大学の同期である早乙女と神田の三人で、システム開発会社を立ち上げた”。社員数は、俺たちを入れてわずか十名”. 何年もかけて開発した在庫管理システムは、一年前に特許を取得したが、開発費用のせいで、赤字が続いている”. しかし、この特許があれば、経営は必ず軌道に乗るだろう”
“桜井君、契約、取ってきたわよ”と、元気よくオフィスに入ってきたのは神田だ”。“業界中堅の会社で、担当者はいい人そうだったわ”“契約書について、ちょっと色々聞かれたけど、特許取得の在庫管理システムは、契約書がかなり特殊な内容となっている”“大丈夫だったか?”と聞くと、“「ちゃんと説明して、納得してもらったわ」「さすが神田だ」「身内には厳しいけど、取引先には評判いいよな」と、横からは林が口を挟んだ”。俺たちは、大学時代からの長い付き合いで、このような軽口は日常茶飯事だ”。“同期のやり取りに、俺は思わず笑みを浮かべる”
神田が取ってきた商談は、ほどなくして契約が締結され、しばらくは平和な日々が続いた”。しかし、半年が経過した頃に、暗雲が漂い始める”。窓口担当が会社を辞め、別の人に引き継がれることになった”。新しい担当者は、総務部の新部長で、沢部長という人だ”。元々、他の会社で働いていたが、少し前に転職してきたと、前担当者が教えてくれた”。しかし、この新部長が、とんでもない人だったのだ
“俺は、コスト削減を第一としている”“ポットとの取引価格だが、少し高すぎじゃないか?”沢部長は、我が社に挨拶に来ると、自己紹介もそこそこに、突然クレームを言ってきたのだ。“「ネットで価格を調べたんだが、それより二割ほど高いぞ」”“「弊社のシステムは、特許取得の特殊なものなので、その分高値をつけさせていただいてます”“価格も契約条件も、全て了承いただいた上で、サインをしていただいていますが…”“ご負担をおかけして、申し訳ございません”と、なるべく相手を刺激しないよう説明と共に頭を下げる”。しかし、下手に出たのは逆効果だったらしい”。沢部長は、さらに強気な態度に出てきた「謝るなら、価格を下げろ」「申し訳ございません、それはできかねます」「は?あのな、俺の言ってることを理解できないのか?お前、どこの学校出身だ?」と、学歴をネタに嫌味を言おうとしているのか
しかし、俺が告げた大学名に、沢部長は予想外の反応を示した“「おい、今、何て言った?その大学は、俺の第一志望だったんだぞ」”“そこまで言い、口を閉ざす”。しばらく俺を睨んでいたかと思うと、恨めしそうにこう叫んだ“「なんで、お前みたいな生意気な奴が、あの大学に入れたんだ」”“「え?あの…」”“沢部長は手早く荷物をまとめると、椅子から立ち上がり、「今日のところは、帰ってやる」と、なぜか少し慌てて立ち去る”
沢部長を見送ると、横から林が声をかけてきた“「大丈夫だったか?会議室の外まで声が聞こえたぞ」”“「何とか、な。惑わかされたか?」”“「いや、いいよ」「それにしても、あの沢部長とやら、学歴コンプレックスを持っているようだな」「多分、沢部長は、俺たちの大学に入りたかったけど、受験で落ちたんじゃないか?」”“「もしくは、中退したとか、そんな感じの言い方だったぞ」と、林の言葉に俺は頷いて返す”。あの時、部長の目に浮かんでいたのは、嫉妬の感情だった”。“神田や林から「鈍い」と言われている俺だが、真正面から剥き出しの感情をぶつけられれば、気づけないほど鈍感ではない”“「厄介な人が、担当になったな」と、俺はため息と共に小さく呟いた”
沢部長は、顔を合わせるたびに嫌味を言って絡んできた”. 我が社のシステムは特殊なため、一ヶ月に一度、取引先へ行き定期チェックを行っている”。チェックは俺の担当だ”。一応、この会社の社長ではあるが、人手が足りないため、社長業以外もこなしている”。沢部長は、それをネタにして、俺を馬鹿にしてきた“「底辺企業の社長は、大変だな」「学歴が良くても、こうやって下っぱの仕事をしなきゃならんとはな」”“さらに、俺の会社が赤字経営であることを知ると、それをネタにして脅すようなことを言ってきた「赤字の底辺企業と付き合ってたら、うちにも迷惑がかかるよな」「いっそ、契約中止にしちゃおうかな」「どうする?」”ニヤついた笑みを浮かべる沢部長に、俺はなるべく平静を装って対応する“「経営に関して、不安を抱かせてしまったのであれば、申し訳ありません」「現在、赤字解消に向け様々な施策を打っています”“今後にご期待いただければ幸いです」と静かに返すと、沢部長はつまらなそうな顔をする”。俺が困惑したり、“契約中止はやめてくれ”と頼み込む姿を見たいのだろうか”。世の中には、他人を貶め、弱る姿を見て楽しむ人間がいる”.
沢部長も、そういう類いの人間なのだろう”,本人の前では無表情を貫いているが、さすがにストレスが溜まる”。沢部長の会社から自社へ戻ると、林や神田に愚痴を言うのが、いつもの流れだ“「全くとんでもない人だな」”“「桜井君が相手だから、沢部長は調子に乗るのよ」「筋トレが趣味の林君なら、そこまで絡まないんじゃない?」”“「まあ、確かに、担当変わろうか?」”Yシャの上からでも分かる林の筋肉を見ながら、俺は苦笑いを浮かべた“「大丈夫」「お前も忙しいだろ」「俺の方で対応するからさ」”“「無理すんなよ」”心配してくれる友達に、頷いて返す”。“しかし、俺たちを襲う苦難は、これだけでは終わらなかった”
ある日のこと、沢部長の会社へ定期チェックに行く予定だったが、予想外の仕事が入ってしまった”“「私が行くわ」”“「すまん、神田、頼む」”神田に代役を依頼し、俺は仕事を片付ける”。二時間後、戻ってきた神田の顔には、焦りが滲んでいた”。“「桜井君、ごめん」”“「どうしたんだ?急に」”“「沢部長の会社と、取引中断になるかもしれないわ」”神田の言葉は、狭い事務所に響き渡り、社員たちが一気にざわつく”“「何があったんだ?」”林の問いかけに、神田は沈んだ顔で答えた“「沢部長に、無理やり迫られたの」「大声をあげて助けを求めたら、別の社員が駆けつけてくれたわ」「おかげで、何事もなかったんだけど、あの人、私の勘違いだって言い張って」”“そして神田に、こう言い放ったそうだ”“「問題を起こすような社員がいる会社とは、今後の取引を考えなければならないな」”
話を聞いた林と俺は、「神田のせいではない」と慰める”。しかし、神田は自分を責め続けた“「私のせいよ」「これ以上、あなたたちに迷惑がかかる前に、私、会社辞めた方がいいのかも」”“「お前のせいじゃない」「辞めるなんて言わないでくれよ」”林が必死で説得する。“「そうだ、林の言う通りだよ」「悪いのは、沢部長だ」「今後の対応は、俺に任せてくれ」”自分が担当を変わっていれば、神田はあんな目に遭わなかった。その自責の念が胸に刺さったが、今は謝るより先にすべきことがある”。俺は静かに、そう自分に言い聞かせた
この日以来、神田は思い悩んだ様子で仕事をするようになる”。ムードメーカーの神田がこの調子なので、他の社員も、どこか暗い空気になってしまった”。悪いことは、さらに続く“「桜井、この会社、知ってるか?」”林が見せてきたのは、設立間もないシステム会社のホームページだった”“「知らないなあ」「ここがどうかしたのか?」”“「沢部長の会社が、ここと契約の話をしているらしい」「在庫管理システムを導入するつもりなんだと」”林は、昔からこういう関係を持っていて、業界内に知り合いが多い”。そので、今回の話を聞いたのだろう”“「うちのシステムを使ってるのに」”俺の問いかけに、林は苦い顔で頷く“「乗り換えを考えているのかもな」”“沢部長とは、神田の一件以降、さらにギスギスした関係になっている”。乗り換えを検討していても、不思議ではなかった”。もし、沢部長の会社との契約がなくなったら、黒字転換はだいぶ先になるだろうな”。うちの経営も危なくなるかもしれん”。何か手を打たないと”。俺と林は、顔を突き合わせてため息をつく“「ちょうど一週間後に、特許システムの契約更新手続きがあるな」「その時に、それとなく聞いてみよう」”“「俺も、ついていくよ”“嫌な予感がするから」”林のありがたい提案に、俺は頷いて返した
一週間後,特許システムの契約更新手続きのため、俺たちは沢部長の会社へ向かった”. 会社を出る際、神田が沈んだ顔をしていたのを思い出す”. もし先日の件で何か言われたら、神田は悪くないと主張しなければ”. そんな気持ちで、エントランスに入り、受付の女性社員に声をかける“「沢部長と約束している、桜井と申します」”“「確認いたします」”女性社員が内線で電話をかける”.
すると、困ったような表情に変わった“「ここで、少々お待ちいただけますか?」”“「え?はい、分かりました」”いつもなら、すぐ通してもらえるのだが、今日は少し様子が違う”. それから、三十分もの間、俺たちは待ちぼうけを食らった”。“約束の時間は、とっくに過ぎてるぞ”と林が苛立ちを滲ませた次の瞬間“「なんだ、まだいたのか」”ニヤついた笑みを浮かべた沢部長が、姿を現した”“「特許更新の件で、お約束しているはずですが」”苛立ちを抑えつつ声を上げると、沢部長の笑みが深くなる“「その件なんだけど、企業は信用ならない」「というわけで、今日で契約中止な」”“「なんですって?」”林が困惑の声を上げる”。驚き混乱している俺たちを、沢部長は心底楽しそうに見ていた”。“しかし、ここで感情を見せれば、この男の思う壺だ”。“「俺を不審者扱いするような奴がいる会社だぞ」「そんな会社のシステムは、特許取得でも信用できないね」「今後、何かしらの問題が起こるに違いない」「そうなる前に、我が社は別の信用できる会社と契約することにした」”なぜか勝ち誇ったように胸を張り、沢部長が続ける“「学歴があっても、所詮この程度だ」「会社経営なんかやめて、バイトでもしたらどうだ?」”“「お前らには、安い給料の仕事がお似合いだぞ」”林の顔が、怒りで赤くなる”。このままでは、沢部長に掴みかかりそうな勢いだ”。“大事になる前に、俺は一歩前に出て、沢部長に向かい冷静に言った「分かりました」「契約は中止ということで、我々はこのまま失礼します」”“「おい、桜井!」”止めるような林の発言を片手で制し、続けた“「ただし、再契約はできませんよ」「いいですね」”“「は?なんだそれ?別に構わないけど”“底辺企業と再契約なんか、絶対しねえわ」”“「そうですか」「では」「失礼します」”“「怪しい」「帰るぞ」”最後まで感情を表に出さず、俺は踵を返す”。“「ちっ、生意気な奴」”沢部長の不機嫌な声が聞こえてきたが、スルーして足早に立ち去った
翌日,俺たちはいつも通り仕事をしていた”. 昨日、沢部長の会社との取引がなくなったと伝えた際、神田は、安堵と困惑の入り混じった複雑な顔をしていた“「だ、辞めないでくれよ」”“林の懇願に、神田は苦笑いで頷いて返した“「うん、分かってる」「ごめんね、不安にさせて」「もう大丈夫だから」”沢部長の会社との契約がなくなったのは、正直かなり痛い”. だが、おかげで、神田という友人を失わずに済んだ。“「さて、俺は営業に行ってくるわ」”林が立ち上がり、神田も続いて椅子から腰を上げる“「私も行ってくるわ」「一日でも早く、新しい取引先を見つけないと」”“「うん、二人とも頼むよ」”笑顔で見送ろうとした、次の瞬間“「え?」”“「どうしたんだ?」”“「沢部長から電話だ」”スマホの画面を確認すると、沢部長の名前が表示されていた”。初めての顔合わせの際、お互いに、会社とスマホの番号を書いた名刺を交換していたのだ。“「何のようだ?」”林と神田が、嫌な顔で俺を見る”。首を傾げつつ、とりあえず電話に出てみた”。“二人にも聞かせた方がいいかと判断し、スピーカーにして通話開始ボタンを押す”“「もしもし」「助けてくれ」”電話が繋がった瞬間、大声が聞こえてきた“「どうしたんですか?」”“「今日から使い始めたシステムが、誤作を起こしたんだ」「考えられない数量の自動発注が走って、取引先から大量の荷物が、どんどん届いてるんだよ」”神田が驚きに目を見開く”。“対して、俺は冷静に返した「システム会社に連絡はしたんですか?」”“「もちろんした”“でも、繋がらないんだよ」「同じ在庫管理システムだし”“お前でも対応できるだろ”“今すぐ、うちに来てくれ」”呆れている俺の代わりに、林が声をあげた“「申し訳ございませんが、弊社は他社システムの運用や管理業務はしていません」”“「じ、じゃあ、オタクのシステムを再契約する”“即座に導入してくれ」”今度は、俺が口を開いた“「昨日、言いましたよね」「再契約はできないと」”“「そんなの知らん”“口約束なんか、向こうだ」”“「知らないでは済まされませんし、口約束ではありません”“契約書に書かれていることですから」”沢部長の声が、一瞬途切れる“「は?なんだそれ?嘘だろ?」”“「契約書の第十二条に記載されています」「契約終了後、弊社法人との再契約は、一切行わないと」「特許技術の流出防止のため、一社につき一契約限りにしているんですよ」「前の担当者は、了承してサインをしました」”完全に言葉を失った沢部長に対し、林から衝撃の事実が明かされる“「ちなみに、沢部長が新しく契約した、信頼できる会社とやらですが、業界内で評判最悪の会社ですよ」「契約金だけ取って、納品せずに逃げるって噂があるんです」”“「え、そうなの?」”神田が驚きの声を上げる”。そう、林は、沢部長が契約した会社に問題があると、最初から知っていたのだ”.
俺に教えてくれた林は、「沢部長に通知しないでおこう」と言った。“「どうせ、俺たちの話なんか聞いてくれないだろうし、時間の無駄だよ」と”。そして、現在に至るというわけだ。“「警察に相談することをお勧めします”“では、ご検討ください」”“「おい、待ってくれ!」”沢部長が何か叫んでいたが、躊躇せず電話を切る“「契約も切れたし、俺たちには関係ない話だ」”俺の言葉に、神田と林が頷く“「あの人にかまってる暇なんかない」「そうだな”“営業行こうぜ」”“「え?」”オフィスを後にする二人を見送り、俺も仕事に戻った
電話の翌日。“「そろそろ休憩するか」”昼の十二時を過ぎ,パソコンから視線を外した”. 他の社員たちは,すでに昼休憩に入っている。“「桜井,外に食べに行かないか?」”“「私も行きたい」”“「いいね”“行こうか」”三人で外に出ようとしたが,思わぬ来訪者により阻止される“「開けてくれ!」”インターホンが鳴ったかと思うと,オフィスの入り口をどんどんと叩く音が聞こえてきた”。関係者立ち入り禁止のため,普段は施錠してある”。その扉を,大声を上げながら沢部長が叩いていたのだ。“「何のようですか?」”林が神田の前に立ち,守るような姿勢を取る”。俺は扉を開けつつ,沢部長が勝手に入れないよう入口に立ち塞がった“「うちと再契約しろ」”“「ですから,契約書に書かれている通り無理なんです」「お引き取りを」”“「俺は,そんな契約書なんか…」”“今まで冷静さを崩さなかった俺だったが,とうとうぶち切れてしまった”“「担当者なのに,なぜ契約書の内容を知らないのですか?」”“「職務怠慢ですね」「普段から,ちゃんと仕事をしていないんでしょうかね」「何のために契約書があるか,ご存知ないのですか?」”“「沢部長みたいに,身勝手な理由で約束を破るのを防ぐためです」”と,畳みかけた”。俺の強気な態度に,沢部長は面食らっている“「契約書に違反した場合,相手から訴えられる可能性があります”“部長は,その覚悟がおありなんですね?」”“「え?俺は,そんなつもりは…」”“「では,どういうつもりで,弊社に乗り込んできたんです?」”沢部長の勢いが,どんどん削がれていく”。視線をあちこち彷徨わせ,額に汗を滲ませていた。“「沢部長,五日でいくらの損失が出ました?」”“「その損失分と,我が社との年間契約額,どちらが高くつきます?」”俺の問いかけに,沢部長の体がびくりと跳ねる”。一気に青くなった顔色から,損失の大きさが伺えた。“「判断を誤りましたね」”部長の体が,ぶるぶると震えている”。少しの間,何かを考えている様子だったが,唇を強く噛むと,ゆっくり俺に向かって頭を下げてきた“「た,頼む”“助けてくれ”“このままじゃ,俺は責任を追求される”“もしかしたら,会社を追い出されるかもしれない」”“「それだけで住めばいいけどな」「損害賠償請求されたりして」”林のつぶやきは,沢部長の耳にしっかり届いたようだ”。取り乱し,俺にすがりつこうとしてくる“「今までのことは謝る”“二度と同じ過ちは繰り返さないと約束するから」”“「沢部長は,弊社を信用ならないと言いました」「俺も,あなたに同じことを思っています」「俺は,あなたを一切信用していません」”沢部長の顔に,絶望の感情が広がっていく“「それに,うちの特許管理システムは,すでに新しい契約先が見つかってるんですよ”“業界一位の会社で,俺と仲のいい大学の先輩が勤めている会社です」「先輩の紹介のおかげで,話がスムーズに進んで,来週にも契約締結する予定ですよ」”林の言葉に,沢部長は完全に言葉を失った”。昨日,林が営業をかけに行ったのが,業界一位の会社だ”。こういう人脈の広い林がいてくれて,よかったと心の底から思う“「お引き取りを」”沢部長の目から,光が失われた”。ふらふらと立ち上がったかと思うと,背中を丸めて,俺たちの前から立ち去る“「自業自得だな」”沢部長の後ろ姿を見送りながら,林が呟いた
その後のことは,林から聞いた話になる”。特許管理システムは停止を余儀なくされ,代替が見つかるまで社員は手作業で対応したが,処理が追いつかず,複数の取引先への納品が遅延”. 沢部長の会社の評判は,一気に落ち,事件から二ヶ月後,沢部長は会社を去った”. 実態は,ほぼ解雇だったようだ“.
そしてつい先日,沢部長を街中で見かけた”. 手には転職雑誌を持ち,目は虚ろで,表情は暗い”. あちらは俺に気づいていなかったので,人混みに紛れて,沢部長の横を通り過ぎる”. 怒りは,もうなかった”.
ただ,守るべきものを守りきったという静かな満足感だけが胸にあった”. 現在,俺たちは忙しい日々を送っている”. 経営も安定してきたので,新しいシステムの開発を始めたのだ”. 「さて,今日も頑張って働くぞ」”.
今日も俺は,頼れる仲間たちと共に,仕事に励んでいる
万年作業員の高卒は,帰れ”。俺が開発した特許機械を使う工場に修理に行くと,役員になった高校の同級生が,話も聞かずに俺を追い返してきた”。俺の警告に耳を貸そうともしない”. 俺は踵を返す”. せせら笑うこの同級生は,思い知るだろう”。学歴と服装で見下した相手に,いずれ頭を下げてすがりつく日が来ることを”. 俺は,柏木,六十八歳だ”.
機械メーカーで四十五年間,食品を包装する機械の保守と改良に費やしてきた,現場一筋の職人だ”. 俺の最終学歴は,高卒”. 大学進学を諦めたのは,家の借金を返すためだった”. 就職後,地道に働き続け,技術では誰にも負けない自信はあったが,結局学歴の壁は超えられず,主任のまま定年を迎えた”.
退職後,二年間かけて開発した装置が,特許を取得する”. この特許装置は,ポテトチップスやスナック菓子の袋を熱で密封する包装機械に取り付けるもので,熱量のわずかなずれをリアルタイムで検知し,補正することで,密封不良による廃棄をほぼゼロにする仕組みだ
特許取得後,俺は早速個人で起業”. それから間もなく,公開された特許公報を見た,大手食品メーカーの現場担当者の三浦から連絡が入った“「一度,装置を見せていただけますか?」”三浦は若いが,現場をよく知る技術者で,密封不良に頭を抱えていると話した”。月に一度は大量廃棄が発生し,廃棄ロスは月間売上の五%に及ぶこともあるという”. 現場から何度改善を訴えても,製造部門はまともな対策を講じてくれないとのことだ”.
この装置があれば,廃棄をなくすことができる”. 特許装置を見た三浦は,興奮気味に導入を強く希望した”. しかし三浦は決済権がないと言い,持ち帰ることになる”. そして翌日,三浦と設備担当部長の前田が揃って現れた”.
前田は装置を一通り確認し,「うん,三浦から聞いた通り素晴らしい技術です」「是非,うちで使わせてください」と,簡単に言った”. こうして,特許装置の正式な導入が決まる”. 以来,三年間,俺は大手メーカーの主力工場のラインを支え続けてきた
ある朝,大手メーカーの工場から緊急の連絡が入った”。主力ラインが突然停止したという”. 俺は工具箱を手に,急いで工場へ向かう”.
嫌な予感はあった”. 二週間ほど前,設備担当部長の前田から苦りしい声で電話が入った“「製造部門の役員を務める,栗原というものが,外部に依頼する保守費用を問題視しているんです」「保守費用の削減実績で,上層部に点数を稼ごうとしているようで,先日は,柏木さんとの特許使用契約も切りたいとほのめかしていました」「柏木さんの特許技術は,我が社の生命線だと訴えてはいるのですが…」”俺は,契約を切られるという不安と共に,前田の口から出た栗原という名前が妙に気になった”. 栗原の経歴について前田に訪ねてみると,高校の同級生だった栗原という男だと分かった”. そして,あの栗原なら,特許機械の契約を切ろうとするのも頷ける”.
高校時代,俺は栗原に敵視されていた”. テストの成績では,常に俺がトップで,栗原は一度も俺を上回ることができなかったのだ”. 地元では名家と歌われる裕福な家で育った栗原にとって,実家が借金の返済に汲々とする貧乏な俺に負け続けるのは,屈辱以外の何者でもなかったのだろう”. だからこそ,俺が高卒で就職したことや,ずっと現場の作業員をしてきたことに,歪んだ喜びを覚えたようだ”.
同窓会の度に,俺を「万年作業員の高卒」と馬鹿にし,「エリート役員になった自分の自慢」をするのだ
前田から聞いた話では,契約の保守業者が俺だと知った時,栗原は鼻で笑ったという. “「あの高卒が,まだ作業員で現場仕事をしているのか」と”. そして前田だけでなく,三浦にも,俺が同級生であることや,定年までライン担当にしかなれなかった無能だと話し、”. 「そんな万年作業員の高卒に修理の依頼をするなんて,金の無駄だ」と説教したらしい”.
三浦はかなり言葉を選んで説明してくれたが,栗原の性格は俺が一番よく分かっていた
工場に着くと,入り口に一人の男がいた”。栗原だ”. まるで壁のように,俺の目の前に立ち塞がっている”。年は取ったが,あの目の鋭い光は変わっていない”. その背後に,三浦が申し訳なさそうな目で頭を下げるのが見えた”. 栗原は,俺の作業服姿を見るなり,腕を組んで言い放った“「お前なんかが来ても,意味がない」「万年作業員の高卒は,帰れ」”四十五年以上前と,何も変わっていない”.
俺の中で,何かが静かに萎えた”. 怒りではなかった”. 「またか」という疲弊に近い感覚だ”. 栗原は,制御盤のエラー表示を指で示し“「加熱ユニットの部品異常と出ている”“うちの作業員で対処可能だ」”その物言いから,栗原も機械技術に関してそれなりの素養はあるのだろう”.
三浦が口を開きかけたが,栗原に一瞥されると,何も言わずに俯いてしまった”. 栗原が言う通り,エラー表示だけを見れば確かにそう読める”. だが,俺には停止の真の原因が分かっていた”. 加熱部品が寿命を迎えたのは事実だ”.
しかし,俺が一年以上前から警告し続けてきたのは,加熱部品ではなく,制御基板のことだった”. 制御基板とは,装置全体の動作を管理する心臓部だ”. 長期間の酷使で,その基板に深刻な劣化が進んでいる”. 俺は,設備担当部長である前田に書面と口頭で,「このまま稼働を続ければ,基板が限界を迎える」と警告し続けてきた”.
その度に帰ってきたのは,「検討する」という言葉だけだった”. 無念に思い,俺は前田に問い合わせたが,機械の保守を管轄する製造部門から許可が出ないのだという”. 仮に,加熱部品を交換して再起動してしまえば,通常を大きく上回る電流が劣化した基板に流れ込む”. おそらく,基板は焼け落ちる”.
この基板は俺が設計した完全な特許で,再生産には最短でも二ヶ月は必要だ”. 加熱部品だけを交換して起動すれば,装置だけではなく,製造ライン全体に致死的な損傷を与えるだろう”. 俺は静かに口を開いた“「加熱部品だけ変えて,再起動したら,二度と動きませんが」”栗原は鼻で笑った“「はいはい」「高卒の助言など,誰もまともに聞くわけないだろう」”栗原は俺の言葉を聞き流し,顎で出口を示した”. 三浦が一歩踏み出しかけるのが視界の端に入った”.
栗原をちらりと見て,また止まる”. この男に,俺の言葉は届かない”. だが,それでも技術者として,俺は言わずにいられない”. 「警告はした」「それを無にしたのは,そちらだ」「それを忘れるな」”.
俺は,それ以上何も言わず,工具箱を抱え,踵を返して引き返した
翌朝,会社の電話が鳴った”. 三浦からだ”. 「柏さん,昨日のことを,お伝えしなければと思って」と,声が低く沈んでいる”. 予想はしていた”.
三浦から聞いた話は,こうだ”. 俺が工場を去った直後,栗原は車内の技術者に加熱部品を交換させた”. 三浦は,際の俺の言葉を栗原に伝えたが,「脅しだ」と一蹴されたという”. 技術者が部品を変えて再起動した瞬間,制御基板が火を噴き,主力ライン三本が完全に止まった”.
さらに三浦は声を落として続ける“「包装機械本体の制御系にも,異常が出ているようなんです」「詳しくは,まだ調べ中だと聞きましたが…””前田に書面で送り続けた警告通りの,連鎖故障が起きている”. ここまで説明し終えた三浦は,疲れきった声で呟いた“「私が,何としても止めるべきでした」”“「あなたのせいじゃない」”俺は短く答えた”. 昨日,三浦が口を開きかけたが,栗原の脅迫的な目を見て引いた”. あの瞬間を思えば,三浦が止められる話ではない”.
電話を切ってすぐ,別の着信が入った”. 今度は,栗原だ“「制御基板が壊れた」「手配を急いでほしい」”まるで当然のような口ぶりだ”. 俺は即座に拒否する“「お断りします」”“「なんだと?」”“「修理の依頼は受けません”“帰れとおっしゃったのは,そちらです」”“「ふざけるな」「損害が出ているんだぞ」「訴えることもできるんだからな」”“「弊社の依頼を受け修理に伺ったのは,私の方です」「不当な言動で追い返したのは,どちらですか?」”“「訴えるのは結構ですが,特許使用契約の条文をよく確認してからにしていただきたい」”栗原が言葉につまる”。俺は電話を切った”. 特許使用契約には,“相手方から不当な扱いを受けた場合に解除通告できる”という条文がある”.
昨日の出来事は,その条文が想定した事態そのものだ”. 俺はすぐに特許に詳しい弁護士に連絡を入れ,契約解除通知を大手メーカーに送るよう依頼した”. しばらくすると,また電話が鳴る”. 栗原が詰め寄るためかけてきたのかと思ったが,あにはからず前田だった“「柏木さん,少しよろしいですか?」”前田が静かに話し始めた“「実は,以前から競合の食品メーカーに,引き抜きの打診を受けていたんです」”前田が言うには,栗原が役員についてからは,その打診を真剣に考えるようになったらしく,昨日,転職先の社長から内諾を得たとのことだ”.
「転職先の工場に,柏木さんの特許装置を導入したいと思っています”“よければ,一度お話しできませんか?」”三年,俺の技術の価値を見抜いた確かな目が,再び俺の技術を必要としている”. 「是非」と,俺は即答する”. その瞬間,新たな道が見えた気がした”. 数日後,弁護士から連絡が入った”.
解除通知は,大手メーカーの法務に正式に受理され,特許使用契約の解除が確定したとのことだ”. 三年間,あの工場の製造ラインを支えてきた”. 未練がないといえば嘘になる”. だが,後悔はない”.
技術は,正当に扱われる場所へ持っていく”. それだけだ”. 前田から退職完了の連絡を受けたのは,その翌日のことだ”. 俺は約束通り,競合の食品メーカーを訪ねた”.
受付を通り応接室に行くと,前田が笑顔で俺を迎える”. すると,前田の隣にいた俺と同世代の男が,深く頭を下げた“「社長の丸山です」「柏さんの技術力の高さは,前田からよく聞いております」”社長が同席することに,俺は競合メーカーの意気込みを感じる”. 丸山が席につくなり本題に入った“「是非,独占契約でお願いしたい」”担当直入な物言いだった”. 「条件はこちらで用意しました”“独占契約の対価として,まず初期契約金を支払いします”“加えて,月次の特許使用料と保守費を,技術顧問料をベースに設定させてください」と,丸山が差し出した紙を見た瞬間,俺は絶句した”.
大手メーカーの倍以上の破格の契約額だ”. 「なぜ,独占にこだわるんですか?」”俺は率直に聞いた”. 「柏木さんの技術は,業界の生産効率を飛躍的に向上させる貴重なものです”“他社に渡すくらいなら,相応の値段を払う方が,うちにとっても得です」”丸山が答えた瞬間,前田が静かに頷いた”. 前田は,三年間毎月の点検記録に目を通し,誠実に対応してくれた男だ”.
基盤の劣化に関して警告した際,製造部門に何度駆け合っても,「検討する」で終わる現実に,無念の思いをしていたに違いない”. その前田を引き抜いた会社の社長が,今こう言っている”. 学歴でも肩書きでもなく,技術そのものを見る目が,この部屋には揃っている”. 俺は書類に目を落とした”.
ペンを手に取った瞬間,栗原の言葉が頭をよぎる”. 「万年作業員の高卒は,帰れ」”. そう言って栗原が追い返した俺の技術が,競合メーカーの独占契約書に変わったのだ”. 互いに署名を終えると,前田が小さく安堵の息をついた”.
隣で丸山が言う“「柏木さん,よろしくお願いします」”深く頭を下げた丸山の白い交じりの頭を見ながら,俺は思う”. 技術は,こういう場所に来るべきだったのだ”. 契約締結から三日後,携帯が鳴った”. 三浦からだ“.
「柏さん,解除通知のことは,社内にも伝わりました」「装置が使用できなくなり,今,現場はひどいことになっています」”三浦によると,基盤の焼損で止まったままの主力ラインは,未だ再稼働の見通しも立っていないらしい”. 栗原は,製造部門の内部で責任の押し付け合いを始めているという”. 「栗原さんは,怒鳴り散らしていました」「柏木さんに嵌められた,と」”三浦の声には,かすかな怒りが混じっている”. 「あなたは,三年間誠実に仕事をしてくれた”“それで十分です」と,俺は短く告げ,電話を切った”.
三浦の誠実さと,栗原の傲慢さが,同じ工場に存在していた”. 理不尽だとは思うが,それは俺にはどうにもならない話だ”. 電話を切って間もなく,別の着信が入った”. 画面に,栗原の名前が出ている“.
「契約を一方的に解除するとは,どういうことだ?」”栗原の声は震えていた”. 「一方的ではありません”“契約書の条文通りに,手続きを踏みました」”“「ふざけるな」「この損害の落とし前を,どうつけるつもりだ?」”“「私は,事前に警告をしたはずです”“損害は,御社自身が産んだもので,私が落とし前をつけることではありません」”栗原が押し黙る“. 「すでに独占契約を結んだ以上,御社への対応は私にはできません”“法的なご主張があれば,顧問弁護士を通じてお願いします」”俺は電話を切った”. 翌週から,競合メーカーの現場に入り,若い技術者たちに装置の扱いを伝えた”.
大手メーカーの現場とは,空気が違う”. 質問が鋭く,記録を欠かさない”. 俺はその場で月次の点検書を作り,管理の仕組みを一緒に組んだ”. それから二週間後,前田からラインの稼働率に関するデータが届いた”.
密封不良による廃棄はほぼゼロ”. 稼働率が大幅に改善している”. 丸山からも一言届いた“. 「柏木さん,ありがとうございます」「あなたの技術のおかげです」”短い言葉だったが,俺にはそれで十分だった”.
競合メーカーの現場に入って三週間が経った頃,三浦から電話が来た”. 「栗原さんが,柏さんに意図的に機械を壊されたと言いふらしてるんです」「このまま黙っているわけにはいかないと思いまして」”三浦は,あの日現場で全てを見ていた”. 俺が警告を発し,栗原がそれを一蹴した”. その一部始終を知る者にとって,栗原の態度は耐えられなかったのだろう”.
「好きに言わせておけばいい”“証拠は,全部こちらにある」と,俺は落ち着いて答えた”. 前田に送り続けた警告書”. 日付も内容も,受領サインも揃っている”. 三浦という目撃者もいる”.
栗原がどれだけ声を荒げようと,事実は書面の中に静かに残っていた”. 念のため弁護士に相談を入れると,「名誉毀損として,動ける材料は十分です」との返答があった”. それから間もなく,三浦から短い報告が届く”. 「栗原さん,急に黙り込みました」「会社の上層部からも,相当厳しく言われたようです」”.
そして,その報告時に,三浦から工場の現状を聞いた”. 三浦によれば,主力ライン三本は止まったまま”. 再稼働の見通しは,一切立っていないとのことだ”. 理由は二つ重なっていた”.
一つ目は,あの制御基板が俺の完全な特許だということだ”. 特許装置の中核部品である以上,俺の許可なく同等品を製造すれば,特許侵害にあたる”. すでに競合メーカーと独占契約を締結している以上,大手メーカーへの技術提供は法的に閉じている”. もう一つの理由が,より深刻だった”.
基盤の焼損は,俺の装置だけに留まらない”. 過電流は,物理的に接続されていた”. 包装機械本体の制御システムにも流れ込み,機械そのものを損傷させていたのだ”. 三浦の報告は続く”.
社内で緊急の役員会が開かれ,栗原は二つのことを追求されたらしい”. なぜ保守業者を追い返したのか”. そして,なぜ制御基板の交換通知を無視し続けたのか”. そこで机に並べられたのが,俺が前田に送り続けた書面の記録だ”.
日付も内容も,前田の受領サインも揃っている”. 言い逃れができる状況ではなかったらしい”. 「栗原さんは,相応の処分を受けることになると思います」”三浦は最後にそう言った”. 俺は報告してくれたことに短く感謝を告げ,電話を切った”.
それから数日後,事務所の呼び鈴が鳴る”. ドアを開けると,栗原が立っていた”. 目の奥に疲弊の色が浮かんでいた”. 「話を聞いてほしい」”栗原が低い声で言った”.
俺は応接室に通した”. 席につくなり,栗原はテーブルに目を落としたまま口を開く“. 「お前の製造ラインを,再稼働させてほしい”“条件は,お前の言う通りにする”“だから頼む」”威圧感は消え失せ,追い詰められた者の声だ”. しかし,謝罪の一言もない”.
最後まで,自分は正しいと思っているのだ”. 「できません」”俺はきっぱり答えた”. 「なぜだ?金額の問題なら,いくらでも…」”“「金の問題ではありません」「すでに他社と独占契約を締結している以上,御社への技術提供は不可能です」”栗原は言葉を見失ったかのように,何も言い返せない”. 俺は静かに話し始めた”.
「栗原さん,あなたは,万年作業員の高卒は帰れ,とおっしゃった」「高卒の助言など,まともに聞くわけないだろう,とも」「私は,その言葉通りに帰りました」”俺は続ける”. 「私は四十五年間,現場で機械と向き合ってきた」「現場で積み上げた技術は,本物です」「その技術が生み出した装置を,あなたは一瞥もせず,作業員というだけで追い返した」「私の四十五年間を,作業員という一言で否定したんです」”栗原が顔を上げる”. 俺は栗原を見据えていった”. 「あの制御基板を直せるのは,私だけです」「しかし,私には直すつもりなどみじんもない」「学歴で人を見下し,技術を軽視する相手ではなく,技術を正面から見てくれる相手と,すでに仕事をしているからです」”栗原の顔には,居直る気力も尽きたという虚脱感が浮かんでいる”.
長い沈黙が流れた”. 「お引き取りください」”俺はそう言って立ち上がり,ドアを開けた”. 栗原はしばらく動かない”. やがて,腰をゆっくりと上げ,一度も振り返らずに出ていった”.
ドアが閉まる音と共に,高校時代からくすぶり続けてきたものが,今ようやく静かに消えていくのが分かった”. しばらくして,三浦から短い連絡が入る”. 三浦によれば,栗原は役員を辞任したという”. 自ら申し出る形を取ったが,実質的には会社側から辞任を促された上での退任し,しかも会社は,栗原に対し,多大な損害を被ったとして賠償請求の手続きに入ったという”.
大手メーカーでは,特許装置を取り外した上で,包装機械本体の修理を進める方針が決まったとも聞いた”. ラインは再稼働できるが,熱制御を担う装置がない以上,密封不良による廃棄は避けられないだろう”. 「現場の人間が,一番割を食ってます」”三浦の声には,遣る瀬無さが滲んでいた”. 一方,前田のいる競合メーカーは,俺の特許技術によって安定した品質と供給力が評価され,新規取引先からの引き合いが増えている”.
俺は技術顧問として,今日も前田のいる工場に向かう”. 現場では,俺の技術指導を待つ若手が待っている”. 六十八歳,現役としてやれることは山ほどあるのだ”. 技術は,正当に扱われる場所で初めて本当の力を発揮する”.
そのために,俺はいつものように工具箱を手に取るのだった
高卒にボーナス三百万払う価値はない”. 俺を学歴を理由に見下し,俺のボーナスをカットしようとする新社長”. しかし,この新社長は必ず後悔するだろう”. 俺を見下し,システムに詰め込まれた現場の知識と経験を軽視したことを”.
俺は北山,四十歳”. 建設現場に必要な部品を供給する卸売り会社で,システム開発に携わっている”. 俺は高卒で,この会社の倉庫作業員として入社”. 無数の工業部品の特性を叩き込まれる日々が続いた”.
倉庫で七年間,現場の知識を積み重ねた後,俺は矢沢社長にある提案を持ちかける”. 「在庫管理システムを作らせてください」”. 俺は高校時代からコンピューターに興味があり,入社後もシステム関連の専門書籍を読み漁り,独学で勉強していた”. 矢沢社長は,学歴ではなく現場での経験を何より大切にする人物だ”.
「面白い」「やってみろ」”社長は俺の提案を承認してくれただけでなく,社長自身が三十年かけて蓄積してきた現場の知識を提供してくれた”. それから五年かけ,在庫管理システムの開発に成功”. 社長の長年の現場経験を落とし込んだこのシステムは,公共や民間のデータベースから各種工事の情報を把握し,そこに天気予報や気温,市場の動きを加えることで,未来の需要を先回りして予測することが可能だ”. 例えば,明日台風が来ると分かれば,補修部品の注文が殺到することを事前に察知し供給する”.
さらに,売れ残った部品は,必要とする地域を自動で見つけ出し,転売もしてくれる”. おかげで,廃棄する部品はゼロになり,我が社の利益率は三倍に跳ね上がった”. システムは社内で高く評価され,導入後は,営業部や倉庫の作業員を始め,多くの社員から感謝された”. 俺はシステムが好評なことを受け,特許を出願する”.
先代社長は,俺の功績を最大限尊重し,会社の規則を特別に改定してくれた”. この発明に限り,特許権を俺個人に帰属させ,会社は通常実施権のみを持つ独占契約を結んだのだ”. その対価として,年間三百万円のボーナスを受け取っていた”. このシステムは,導入直後,会社の売上の七十五%を支えるまでになった”.
その後,他の事業も伸びて,現在は売上の五十から六十%程度だが,依然として会社の屋体を支えている”. その後も俺は順調にキャリアを積んでいたが,ある日突然,状況は一変した”. 矢沢社長が,交通事故で亡くなったのだ”. ここまで導いてくれた恩師を失い,俺は深い悲しみに襲われた”.
葬儀の翌日,社長の息子である矢沢社長の嫡男が,二代目社長に就任する”. 新社長の経歴については,時折先代社長から聞いていた”. 新社長は有名国立大学を卒業後,大手メーカーで営業として働いていた”. その会社では,学歴が出世や給与,社内での立場に大きな影響を与えるらしい”.
先代社長は苦りしく語っていた”. 「学歴でしか人を見ない会社に,息子がいるのが心配でな」”. その不安が,現実になろうとしていた
社長就任初日の朝礼では,新社長は全社員の前に立つ”. 「私が社長に就任して,最初にやった仕事は,全社員の経歴書に目を通すことだ」”そう言って,新社長は経歴書の束を持ち上げる”.
「驚いたことに,この会社には高卒の社員がいる」「しかも,システム担当という経営に関わる役職にだ」”新社長の視線が,俺に向けられる”. 「北山,お前のことだ”“高卒が,会社の経営に関わるなどありえない”“いや,あってはならない”“大卒でも難しい仕事を,高卒ができるわけがないからだ」”高卒でこの会社で働く人間は,俺だけではない”. しかし,俺以外の高卒は,全て現場作業員として働いている”. 新社長はそこに目をつけ,高卒社員を見下すのに,俺を選んだのだろう”.
朝礼が終わった後,新社長は俺のデスクに近づいてきた”. 「北山,お前が管理する在庫管理システムを見せてみろ」”俺はパソコンの画面を開いて説明しようとする”. しかし,新社長は画面を一瞥しただけで鼻で笑った”. 「これ,何年前のソフトだ?”“画面も古臭いし,今時,手作業でデータ入力って非効率すぎるだろう」”.
俺は臆することなく説明する”. 「このシステムは,三十年分の現場データを分析して…」”“「高卒のくせに,口答えするな」”新社長は,俺の説明を無理やり遮り切った”. 俺の中で,何かが冷たくなっていくのを感じた”. 先代社長が何より大切にした現場の知恵を,この男は理解しようともしない”.
「どうせ,お前のような高卒には,これからの会社経営は理解できない」”新社長はそう言い捨てると,踵を返してその場を離れた
翌日,新社長は俺を社長室に呼び出す”. 「明日から,倉庫の整理係に配置転換する”“高卒なんだから,現場が向いてるだろう」”新社長は笑いながらそう告げる”. 倉庫に戻された俺は,屈辱を感じながらも,黙々と整理作業を続けた”. それから二週間が経ち,ボーナス支給の一週間前になった”.
俺は再び社長室に呼び出される”. 新社長は,システムのライセンス契約書と経理資料を机に広げていた”. 「北山,在庫管理システムの特許使用料として,年間三百万円もボーナスとして受け取っているらしいな”“高卒に払う金額としては,破格だ”“見直しをさせてもらう」”俺は抗議する”. 「それは,契約内容の変更に関わります”“変更には,双方の合意が必要です」”俺の訴えを,新社長は鼻で笑う”.
「文句あるなら,法的手続きを取ればいい”“どうせ,弁護士費用も払えないだろう」”俺は,先代社長への恩義から,なるべく波風を立てたくない”. その場で歯を食い縛って耐えた”. そして迎えたボーナス支給日”. 新社長は,全社員を会議室に集め,朝礼を始める”.
「私は,これまでの古い体質を一新していく」「まずは,無駄な経費の削減だ」”新社長は,俺を指さした”. 「北山,お前が開発した在庫管理システムだが,私が前の会社でも使ってた業界標準ソフトに変える”“高卒が作ったおもちゃなど,不要だ」”全社員が息を飲む”. 周囲の社員たちがざわめき始めた”. 「ちょっと待ってください」”倉庫のベテラン作業員が立ち上がる”.
「北山さんのシステムのおかげで,俺たちの仕事が楽になったんです”“あれがなかったら…」”“「黙れ”“現場の意見など聞いていない」”新社長は冷たく遮り切る”. 「それと,高卒にボーナス三百万払う価値はない”“嫌ならやめろ」”会議室が凍りつく”. その瞬間,先代への恩義の気持ちが途切れた”. 俺の尊厳が,丸ごと否定されたのだ”.
俺は静かに立ち上がり答える”. 「はい,分かりました」”“「北山さん,待ってください」”何人かの社員が声を上げた”. しかし,俺は会議室を出て,自分のデスクに向かい退職届を書いた”. そして,先代社長と交わしたライセンス契約書の控えを取り出す”.
契約内容には,「特許権者である俺が書面で通知した場合,三十日後に独占許可を終了できる」という条文がある”. ただし,先代社長は,「緊急時には即時解除も可能」という但し書きも加えてくれていた”. 俺がシステムを開発したことを,最大限尊重してくれたのだ”. 会議室に戻り,新社長の前に退職届を置く”.
そして告げる”. 「在庫管理システムの特許権は,私個人に帰属しています”“退職に伴い,会社への独占許可を取り消します」”俺は続ける”. 「契約終了通知書に,サインをお願いします」”俺は用意してきた通知書を差し出す”. 新社長はペンを手に取ったが,一瞬手が震えた”.
「待て,これは…」”とつぶやきかけたが,自分の判断を否定することが許せないのか”,顔を歪めながら勢いよくサインしてしまった”. サインを終えた新社長は,やや青ざめた顔で言った”. 「私が導入するシステムで十分だ”“お前が開発したシステムなど,ガラクタ同然だからな」”その言葉には,先ほどまでの余裕が感じられなかったが,俺は何も言わず会議室を後にした
会社を辞めた翌日から,俺は自宅で新しい日々を始める”. 時間に余裕ができた俺は,以前から気になっていたシステムの改良に着手した”.
もうあの会社にシステムを使わせることはないが,せっかくなら,より良いシステムを作り,特許を更新したいと思ったのだ”. 先代社長から教わった現場知識をもう一度丁寧に見直し,実際にシステムを運用しながら得た需要変動傾向も,新たにデータとして加える”. 改良作業を終え,俺は特許の年次更新手続きを行った”. 更新情報は,数日後に特許公報に掲載される”.
公報は誰でも閲覧できるため,業界の動向を追っている企業なら必ず目にするはずだ”. 俺のシステムの価値を本当に理解している人間がいるなら,必ず何らかの反応があるだろう”. 公報に掲載されてから一週間が経った頃,自宅のポストに一通の封筒が届いた”. 差出し人は,桑田という名前だった”.
業界では老舗として知られている部品卸売り会社の社長だ”. 実は,桑田とは業界団体の勉強会で何度か顔を合わせたことがあった”. 俺のシステムについて興味深そうに質問してきた人物だ”. 手紙には,俺の在庫管理システムに強い関心があり,直接話を聞きたいという内容が,丁寧な筆跡で綴られていた”.
俺はすぐに記載されていた電話番号に連絡する”. 受付を経て桑田社長につなぐと,手紙の内容をさらに詳しく説明してくれた”. 「実は,うちの会社はかつて業界シェア一位大手だったのですが,在庫管理が古いやり方のままで,今ではシェア一位を奪われてしまいました」「北山さんのシステムのことは,業界内で噂は聞いていましてね」”その話を聞いて,俺は気づく”. 俺のシステムを導入した会社が,業界の勢力図を塗り替えたのだ”.
俺は正直に,つい最近会社を退職したことを伝えた”. 桑田は一瞬の沈黙の後,「むしろそれは好都合だ」と言った”. そして,具体的な条件を提示してくれる”. 「特許の独占使用料として,年間五百万円を支払いします”“合わせて,我が社のシステム管理部門の責任者として,会社を一緒に変えていただきたい」”破格の待遇に,俺は驚きを隠せない”.
桑田は,せかさず,じっくり検討して欲しいと告げて電話を切った”. 俺は深く考えた”. 先代社長の経験と,俺の技術が,俺自身の未来を切り開こうとしている”. 迷いはなかった”.
俺は再び桑田に電話をかける”. 「桑田社長,転職させていただきます”“一緒に会社を変えましょう」”数日後,俺は桑田の会社を訪れる”. そこで,採用手続きと特許の独占許諾契約を正式に結んだ”. 桑田の会社に入社して一週間が経った”.
俺のシステムを導入する準備が,着々と進んでいる”. 桑田は経営者として有言実行の人物で,俺に必要な設備と人員を惜しみなく提供してくれた”. システムが稼働を始めると,効果はすぐに現れる”. 倉庫で十年以上眠っていた古い部品や工具類が,システムの転売機能により,それらを必要とする工事事業者へ次々と売れていく”.
これまで廃棄寸前だった在庫が,新たな収益源に変わったのだ”. 桑田は驚きを隠せない様子で報告してくれる”. 「北山君,廃棄予定だった在庫が,三百万円以上の利益を生んだよ」”システムは,地域ごとの需要の違いを正確に把握し,最適な取引先へ転売の提案を自動で行うのだ”. さらに,天候予測による先回り仕入れの効果も絶大だった”.
台風接近の予報が出ると,システムは自動的に補修部品の在庫を増やす指示を出す”. 翌日には,予測通り緊急注文が次々と入った”. 他社が対応できない中,我が社が即座に納品できる”. 顧客からの信頼は,日に日に高まっていった”.
投入から二ヶ月後,桑田が俺を社長室に呼んだ”. 「北山君,君のシステムのおかげで,月間利益が過去最高を記録したよ」”桑田は満面の笑みで報告してくれる”. 俺は素直に喜びを感じた”. さらに翌週,業界新聞に大きく取り上げられる”.
「在庫管理システムで大復活」という見出しだ”. 記事には,桑田の会社が在庫管理の確立により,業界トップクラスに返り咲いたことが書かれていた”. 社内でも,俺の評価は一気に高まる”. そんなある日の夕方,俺の携帯電話が鳴った”.
画面には,元同僚の川島の名前が表示されていた”. 「久しぶり」「今話せるか?」”川島の声は,困惑に満ちていた”. 俺は静かな場所に移動して電話を続ける”. 「実はさ,会社がやばいことになってるんだ」”川島は重い口調で語り始めた”.
「新社長が導入した新システムが,全然使えない」「社長は建設ラッシュだと聞いて,大量に部品を仕入れたんだが…””川島の声は暗い”. 「でもさ,もうピークを過ぎていて,全く売れないんだよ”“今じゃ,倉庫が在庫の山で埋まってる」「逆に,緊急で必要な部品は在庫切れで,客から怒鳴られる毎日だ」”俺は,前の会社が深刻な状況に陥っていることを知った”. システムを失った会社は,もはや顧客のニーズに答えられない”. それから数日後,桑田が俺を商談に同席させてくれる”.
相手は新規の大口客だった”. 応接室に通されると,桑田は俺を紹介する”. 「当社の在庫管理システムについて,開発責任者から説明させます」”俺は意味を組み,システムの有意性を説明し始める”. 「我が社の在庫管理システムは,天候や気温,市場の変動から未来の需要を予測します”“そのため,緊急の注文にも即座に対応できる体制を整えております」”客は興味深そうに頷いていたが,ふと苦い表情を浮かべる”.
「実は,以前取引していた会社で,緊急で特殊ボルトを頼んだが,在庫切れだと断られたんです」”客は続ける”. 「以前は,こちらから依頼する前に向こうから声をかけてくれていたものだ”“三十年も世話になった会社だが,もう信用できない」”その話を聞きながら,この客は俺の前にいた会社から流れてきたことを悟った”. 客との商談は成立し,新たな大口取引が始まる”. その後も,似たような新規客が次々と訪れた”.
ある建設会社の調達担当者は語る”. 「急遽必要になった配管部品を発注したら,在庫切れで工事が遅れました”“倉庫を見せてもらったら,使わない部品が山積みなのに,必要なものは何もない」「在庫管理が崩壊しているとしか思えません」”前の会社は,俺のシステムを失ったことで,顧客が本当に必要とする部品を予測できなくなっていた”. ある日,業界新聞を開くと衝撃的な見出しが目に飛び込んできた”. 「業界シェア一位大手が,取引先減少で経営悪化」”.
記事には,前の会社の名前が明記されている”. 在庫管理の失敗により顧客離れが加速し,経営が急速に悪化していることが報じられていた”. 新社長が導入した新システムは,今のトレンド情報しか提供せず,仕入れてもすでにピークを過ぎ,在庫を抱える悪循環に陥っているとのことだ”. さらに,主要取引銀行が融資の見直しを検討中とも書かれていた”.
前の会社の暗落が,業界全体に知れ渡ったのだ”. 当然の結果だ”,と俺は記事を見て実感する”. 先代社長の長年の現場経験を蓄積したシステムを,丸ごと失ったからだ”. 先代社長が築いた会社が,息子の判断ミスで崩れ去っている”.
技術を軽視した報いが,確実に形となって現れていた
ある日の午後,受付から内線電話がかかってきた”. 新社長が訪ねてきているという”. 会うべきか,それとも断るべきか”. 一瞬迷ったが,俺は立ち上がり,桑田社長の部屋へ向かった”.
事情を説明すると,桑田は穏やかに答える”. 「面会に応じてあげたらどうでしょう?”“あなたから言いたいこともあるでしょうから」”俺は頷き応接室へ向かった”. 室に入ると,新社長がソファーに座っていた”. 顔色は真っ青で,目の下には深い隈ができている”.
スーツは皺だらけで,見るからに憔悴しきった様子だ”. 以前の傲慢な態度は,みじんも感じられない”. 俺の姿を見ると,新社長は立ち上がった”. そして次の瞬間,その場で土下座する”.
床に額を押し付け,全身を震わせている”. 「お願いだ”“父が残した会社を救ってくれ」”新社長の声は震えていた”. 俺は黙って新社長を見下ろす”. 先代社長が築いた会社を守りたい気持ちはある”.
しかし,それは新社長が現場を尊重し,社員を大切にする経営をしていればの話だ”. 新社長は土下座したまま話し始める”. 「システムを失ってから,在庫管理が完全に崩壊した”“売れない部品が倉庫を埋め尽くし,必要な部品は品切れで,客が次々と離れていく”“先月だけで,主要取引先の半分を失い,銀行から融資を打ち切ると最後通告を受けた”“顧問弁護士からは,なぜ契約解除にサインしたのかと散々叱責された」”新社長は顔を上げ,涙で濡れた目で俺を見上げた”. その目には,恐怖と後悔が混じっている”.
「お前のシステムを,また使わせてくれ”“給料もボーナスも,,好きなだけ払う”“特許使用料は,,年間一千万払う”“何でもするから,,頼む」”新社長の懇願は真剣そのものだ”. しかし,,俺の心はすでに決まっている”. 俺はソファーに座り,,新社長と視線を合わせた”. ここで何を言うべきか,,俺は慎重に言葉を選ぶ”.
そして冷静に答える”. 「あなたは,,私を高卒だからと馬鹿にし,,倉庫に追いやり,,特許使用料を一方的に減額し,,全社員の前で侮辱しました」”俺は一呼吸を置いた”. 「でも,,私が一番許せないのは,,先代が大切にした現場の知恵を踏みにじったことです」”新社長は顔を上げて俺を見る”. 俺は淡々と語り続けた”.
「私が開発した特許システムは,,先代が教えてくださった現場の経験を落とし込んだものです」”俺は先代社長との日々を思い出していた”. 先代は,,私が開発したシステムの特許を,,私個人のものにしてくださいました”. 特許が認められた日,,社長は俺の肩を叩いてこう言ったのだ”. 「お前の努力の結晶だ”“これは,,お前のものだ」”新社長の顔には,,驚きと後悔が混じっていた”.
父親が何を大切にしていたのか,,今になって理解したのかもしれない”. 俺は最後に告げた”. 「これは,,法律で守られた私個人の財産です”“あなたには,,これを使う権利も資格もありません」”俺は新社長の目をまっすぐ見据える”. 「学歴で人を判断し,,現場を軽視した報いです」”新社長は,,俺の言葉に打ちのめされていた”.
俺は最後に告げた”. 「もう,,手遅れです」”新社長は,,泣き崩れた”. 肩を震わせ,,嗚咽を漏らしている”. やがて,,新社長は顔を上げ,,よろめきながら立ち上がった”.
俯いたまま力なく応接室を出ていく”. 扉が閉まる音だけが,,静かに響く”. 俺はその瞬間,,高卒で働き始めて以来大切にしてきた現場の知恵と技術を守り切ったという充実感に包まれるのだった
それから半年後,,俺は業界新聞に記事を見つけた”. 前の会社が経営破綻で倒産したという内容だ”.
在庫管理の失敗で損失が膨らみ,,取引先も次々と離れ,,最終的に主力銀行が融資を停止,,経営再建は不可能だったようだ”. 新社長の会社からは,,多くの優秀な人材が我が社に転職してきた”. その一人である川島から,,新社長のその後を耳にする”. 新社長は,,業界から完全に相手にされなくなり,,今は日雇いのバイトで生計を立てているという”.
一方,,俺は桑田から次世代システムの開発責任者に任命された”. さらに,,若手社員の指導も任された”. ある日曜日,,俺は先代社長の墓前に立ち,,静かに手を合わせる”. 「現場で得た知識と経験を何より大切にする,,あなたの教えを,,これからも守り抜いていきます」”.
穏やかな風が吹き,,俺は新たな決意を胸に歩み出すのだった
一億の出資って,,安すぎるな”“小遣い程度で偉そうに”…バカにした声で言い放ったのは,,懇親会に参加している大手ホールディングスの部長だ”. この人と俺には,,ある因縁があり,,部長は再会早々,,俺に嫌味をつけてきたのだ”. どうやら部長は知らないようだ”. お互い,,昔とは違う立場だということを”.
この後,,俺はある計画を実行し,,その結果,,部長は順風満帆なサラリーマン人生を台無しにするはめとなった
俺の名前は,,佐藤,,三十九歳”. 俺は大学卒業後から五年前まで,,とある業界で成長中のコンサルティング企業で働いていた”. 他社の経営課題を解決するのが俺の仕事で,,毎日忙しいけどやりがいを感じていた”. しかしある日のこと,,お世話になっていた部長が病気で倒れ,,退職を余儀なくされる”.
社内には,,時期部長の後任者がいなかったため,,外部から人材を招聘することになった”. 「初めまして,,加藤です”“別のコンサル会社で働いていました”“これからよろしくお願いします」”加藤部長は,,最初は無害そうに見えた”. 「さすがですね”“俺も見習いたいです”“仕事のやり方を教えてくれませんか?」”こんな感じで口がうまい加藤部長は,,あっという間に上層部に取り入り,,徐々に本性を現していく”. 「おい,,お前,,明日までにこの書類まとめておけ」「え,,でも,,もう就業時間は過ぎてますが」「残業すりゃいいだろ」「言わなきゃ分かんないのか”“無能すぎるだろ,,お前」”加藤部長は,,自分より立場が弱い相手を利用する人だった”.
特に絡まれていたのが,,今年入社したばかりの飯田君”. 飯田君は真面目だが,,気が弱い部分があり,,加藤部長みたいな人にとっては,,格好の餌のようだ”. 「飯田君,,手伝うよ」”“「さ,,ありがとうございます」”俺も飯田君と同じく,,周りから真面目と評価されている”. それに,,俺も新人時代は散々周りから叱られた”.
そんな理由もあり,,飯田君には親近感を持っていたのだ”. 加えて,,この新人には光るものを感じている”. 飯田君は,,正しく教育すれば,,とても有能な人材になるだろう”. コンサルとして多くの人と関わってきたため,,人を見る目には自信があるのだ”.
しかし,,俺が飯田君を気にかけているのは,,加藤部長のお気に召さなかったらしい”. 俺も標的に加え,,毎日のように嫌がらせをしてきた”. 「おい,,佐藤,,この案件,,大至急まとめとけ」「分かりました」”部長の仕事を押し付けられるのは,,日常茶飯事”. 持ち前の真面目さと仕事の速さで,,なんとかこなしていた”.
加藤部長の方が立場は上だが,,この会社で働いている歴は,,俺の方が長いのだ”. 部長より業務には慣れている”. 加藤部長は,,なかなか音を上げない俺に,,イライラが頂点に達したらしい”. ある時,,俺がずっと温めていた企画を,,こっそり横取りし,,俺が発表するより先に,,自分の企画として上層部に提出した”.
加藤部長は功績が認められ,,会社から表彰される”. 一方の俺は,,社内評価がどんどん下がっていった”. 上層部にうまく取り入った加藤部長が,,あれこれ吹き込んでいるようだ”. 「先輩,,大丈夫ですか?」”心配そうに声をかけてくる飯田君”.
俺は,,昇進コースに乗った加藤部長の目の敵にされているため,,今や味方になってくれるのは飯田君以外いないのだ”. 「どってことないよ”“これまで以上に仕事を頑張って,,俺の実力を会社に示せばいいんだから」”しかしこの後も,,加藤部長の妨害や,,手柄の横取りが続き,,会社から評価されず,,期末には加藤部長の昇進が確定”. 勝ち誇ったように俺を見た加藤部長を見て,,一気に絶望の縁に立たされた”. いくら頑張っても,,あの人がいる限り,,この会社では昇進できない”.
真面目さだけじゃ,,卑怯な手を使う人には勝てないのか”. そう悟った俺は,,会社を去る決意を固める”. 「飯田君,,ごめん”“君を残して去ることになって」”“「気にしないでください」「今まで,,ありがとうございました」”“「これ,,俺のプライベート用の連絡先です”“今度,,飲みに行きましょう」”飯田君から惜別の言葉と連絡先をもらい,,最後は笑顔で会社を去ることができた
それから五年後,,会社を去った俺は,,別の会社に転職を成功させる”. そして三十九歳になった現在,,ある大手企業が主催する懇親会に参加していた”.
企業が新規事業を計画しており,,その出資パートナーを見つけるためのパーティーだ”. 俺は現在,,とある投資会社で働いている”. まだ立ち上げたばかりの新しい会社だが,,ここ数年で急激に力をつけ,,最近は色々な会社から声をかけられていた”. 今回のパーティーは,,俺ともう一人の社員が代表として参加している”.
会場は,,市内で一番高級なホテルの,,多目的会場だ”. スペースがかなり広く,,内装もとても豪華だった”. パーティーの開始時間はまだなのに,,もうみんな来てるな”. 会場を覗くと,,狭しと人が集まっている”.
人波に押された俺は,,会場の外で開始時間まで待つことにした”. すると,,「おい,,お前,,なんでこんなところにいるんだ?」”“「え,,加藤部長?」”突然声をかけてきたのは,,俺を貶しめたあの加藤部長だった”. 俺がいた前の会社は,,この懇親会に参加していないはず”. そういうことだと,,困惑の混じった目で部長を見つめると,,俺の反応がお気に召した様子で,,ニヤニヤと笑いながらこんなことを口にした”.
「実はな,,この懇親会を主催している大企業に転職したんだよ”“今は,,営業部の部長だ”“今日の懇親会も,,俺も参加してるんだよ」”“「そ,,そうでしたか」”どうやら,,俺が会社を去った後,,加藤部長も別の道を歩み始めたらしい”. 昇進した後に大手企業に転職とは,,順調なサラリーマン人生を送っているようだ”. 「で,,お前はなんでここに?」”“「出資パートナー候補の一社として,,参加を」”“「はあ”“お前,,投資会社で働いてるのか?」”退職直前に転職先は決まっていたが,,加藤部長には何も言わず去った”. お互い,,近況を報告し合う間でもない”.
加藤部長は,,じろじろと俺を見た後,,嘲笑いながらこんなことを言ってきた”. 「お前みたいな無能の転職先だし,,どうせ大した額は出せないだろう」”“「一応,,一億の出資を予定していますが,,」”“「一億の出資って,,安すぎだろ」”ゲラゲラと下品な笑い声をあげる加藤部長”. そして五年年前と変わらない嫌味な顔で,,俺を罵倒してきた”. 「小遣い程度で偉そうに,,うちが主催するパーティーに参加するなんて”“お前みたいなのは,,場違いなんだよ”“今すぐ,,この場から消えろ」”そう言いながら,,加藤部長は俺の肩を小突いてきた”.
むっとして言い返そうとした瞬間,,誰かが俺の名前を呼ぶ”. 「佐藤先輩,,もうすぐパーティーが始まりますよ」”“「は?お前,,飯田か」”部長がまじまじと見た相手は,,俺が前の会社で面倒を見ていた飯田君だ”. 実は,,飯田君も,,加藤部長が会社からいなくなる前に転職をしていた”. 理由は,,部長のいびりだ”.
俺が去ってから一年ほど経ったある日,,飯田君のプライベート用の連絡先にメッセージを送ったのだ”. 最近は忙しくて,,なかなか時間が作れなかった”. そろそろ飯田君に会いたいと思い,,誘う”. 俺の行きつけの居酒屋に姿を現した彼は,,最後に会った時と比べて,,随分とやつれていた”.
「飯田君,,その姿は,,一体どうしたの?」”“「実は,,」”そこで語られたのは,,加藤部長の数々のいびりだった”. 「仕事を押し付けられて,,毎日残業なんです」「会社は,,俺が無能で時間内に仕事を片付けられないから残業ばかりしているという認識で…」”“「加藤部長が,,部長にそう言ってるんだろうな」「俺,,もうあの会社やめようかなって思ってて,,でも転職先を探す余裕もないんですよ」”涙ながらに訴える飯田君”. ここで俺は,,転職先の会社に飯田君を誘うことにしたのだ”. そして今,,俺と飯田君はここにいる”.
「なんで飯田が,,お前といるんだ?」”“「飯田君は,,うちの会社に転職して,,今も一緒に働いているんです」”そう伝えると,,加藤部長は楽しそうに笑い声をあげた”. 「無能同士が仲良く出資の真似か”“お前らの転職先っていうのは,,相当レベルが低いんだな”“ま,,一億しか出資できない弱小企業だ”“お前らみたいな底辺には,,お似合いな会社だな」”ゲラゲラと笑う加藤部長を,,俺と飯田君は覚めた目で見ている”. 小さくため息をついた俺は,,加藤部長に冷たい声でこう言い放った”. 「なるほど」「この会社は,,加藤部長のような最低の人間を雇用しているんですね」”“「なんだと?」”加藤部長が睨みつけてくるが,,俺はひるまず続ける”.
「そんな人のいる会社は,,信用できません”“今後,,御社のグループ会社への出資は,,やめますね」”“「ああ,,申し遅れました”“俺,,こういう会社で働いています」”笑顔を浮かべながら名刺を取り出す”. 軽蔑な顔で受け取った加藤部長は,,名刺に書かれている内容を認識した瞬間,,目も口も限界まで大きく開いた”. 「こ,,ここの会社って,,うちのグループ企業に多額の出資をしている,,業界注目の投資会社じゃないか」”“「そうですね”“俺はそこで,,部長として働いています”“こちらの飯田君は,,部長補佐として,,俺をサポートしてくれてますよ」”明かされた衝撃の真実に,,加藤部長は信じられないという顔になった”. 話は五年年前に遡る”.
会社を去った俺は,,大学時代の友人の紹介である投資会社に転職”. コンサルティングとは別の業界だが,,前の会社では分析力も養っていた”. 投資には,,分析力が何よりも大切だ”. おかげで,,別業界ながらすぐに仕事になれ,,着実に実績を出していく”.
大型案件を成功させ,,三億円の利益を生み出したり,,業界誌に取り上げられるほどの実績を残したりすることができた”. さらに,,転職先は,,年齢や勤務年数ではなく実績で昇進が決まるという,,少々特殊な会社だった”. 俺は,,どんどん結果を出し,,あっという間に部長に昇進”. 後から,,俺の紹介で転職してきた飯田君も,,爆速で出世コースを駆け上がっていった”.
他の社員も,,優秀な人材が多く,,出世はかなり熾烈な争いだ”. しかし,,みんな清々しいほど,,自分の力で戦っている”. 加藤部長のように,,他人の手柄を横取りするような卑怯者はいない”. 会社の雰囲気的に,,少しのずるも許されない環境なのだ”.
全員,,自分の実力で勝負している”. おかげで,,会社は設立間もないが,,一気に成長した”. 俺と飯田君の活躍も,,会社の成長の一助になっているだろう”. 「というわけなんです」”俺と飯田君が,,会社を去った後のことを,,加藤部長に教えてやる”.
部長は目を白黒させ,,俺の説明を聞いていた”. 「そ,,そんなバカな”“無能なお前らが,,転職を成功させるなんてありえない」”“「そう思い込んでいるのは,,部長だけです」「ま,,俺はともかく,,飯田君は元々才能のある人材でした”“部長の高圧的な態度と嫌がらせのせいで,,飯田君は本来の実力を発揮できなかっただけです」”俺の言葉に,,飯田君が頷いて返す”. 「佐藤先輩という,,優秀な上司のおかげで,,伸び伸び働いてます”“部下を生かせるかどうかは,,上司の腕にかかってるんだなと,,この数年間で身に染みて実感しました」”飯田君が,,遠回しに加藤部長は無能だと伝える”. 自分への嫌みには敏感なようだ”.
加藤部長は,,困惑した表情から,,一気に怒った顔に変わった”. 「てめえ,,誰に向かって生意気な口を聞いてやがる」”“「あなたは,,俺の上司ではありません”“我が社は,,あなたの会社に出資している立場です」「ご自身の立場を理解していないのは,,あなたの方では」”実力勝負の会社で揉まれたからなのか”,飯田君はこの数年間で,,弱気な部分がだいぶ改善された”. とはいえ,,普段の飯田君は穏やかで優しい青年だ”. こんな過激なことを言う人ではない”.
どうやら,,飯田君は加藤部長に対してずっと怒りを抱えていたようだ”. このままでは,,部長がヒートアップすると判断した俺は,,二人の間に入る”. 「飯田君,,もう帰ろう」「グループ会社だけでなく,,加藤部長の勤務先への出資計画も,,なしにするから」”今回,,俺がこの懇親会に誘われたのは,,我が社がグループ会社への出資経験があるからだ”. 安定した出資と対応が評価され,,声をかけられたが,,加藤部長のせいで,,出資する気は完全になくなった”.
ちなみに,,懇親会への参加は,,我が社から声をかけたものではない”. 相手企業から,,どうしてもと言われ,,参加したのだ”. 代表として選ばれた俺は,,緊急時の判断権限を委譲され,,出資の可否を決めていいと,,社長からも言われている”. 「待てよ”“お前,,うちのグループ会社への出資をやめるとか言ったけど,,そんなことできる立場じゃないだろ”“お前は,,ただの部長だ”“社長ならともかく,,部長にそんな権限はない」”“「確かに,,加藤部長の言う通りだ」「しかし,,グループ会社への出資停止はできます」「実は,,出資停止は,,元から考えていたんですよ」”“「へ?」”気の抜けた声をあげる加藤部長”.
「それも,,仕方ないだろう」「この情報は,,初めて社外に公表するものだ」「御社の売上,,三年連続で落ちてるじゃないですか”“市場シェア率も,,低下する一方で,,歯止めが効かない」「我が社は,,ボランティア団体じゃないんですよ”“先が見えない会社に,,いつまでも投資するなんて,,無意味なことはしません」”そう,,加藤部長の転職先である大手企業は,,最近になって経営に陰りが見え始めた”. 昔は日本を代表する大手企業だったのだが,,海外からの輸入品や新規企業の勢いに押され,,売上を落としているのだ”. 今回の新規事業は,,数年ぶりのことで,,他の投資会社は大手企業の挑戦に期待を寄せているらしい”. 多くの会社が,,懇親会に集まったが,,我が社は早々に,,加藤部長の会社に見切りをつけていた”.
これは,,近々,,御社に通達する内容でしたので,,今ここで明かしても,,何の問題もありません”. 「う,,嘘だろ」”“「そう思ってもらって結構です”“いずれ,,分かることですから」「この辺で,,失礼します”“これから,,大変でしょうけど,,頑張ってくださいね」”呆然とする加藤部長を置き去りにして,,俺と飯田君は会場から去った
それから一ヶ月後,,宣言通り,,我が社はグループ会社への出資を停止”. すると,,加藤部長が飛んでやってきた”. 「この前のことは,,謝るから,,どうか許してくれ」”我が社の応接室で,,加藤部長が勢いよく頭を下げる”.
アポイントメントもなしに,,突然やってきて,,忙しい先輩を呼び出すなんて,,社会人として常識がないのでは?””同席した飯田君の痛烈な皮肉に,,部長は悔しそうに唇を噛む”. 「こ,,今回の懇親会の件で,,俺は上司から睨まれてるんだ”“お前のせいで,,グループ会社への出資が停止したんだって言われて」”“「別に,,加藤部長への私怨でやめたわけではありません”“懇親会をドタキャンした理由と合わせて,,きちんとあちら側へ伝えたんですけどね」”“「懇親会は,,加藤部長が原因でキャンセルしたと,,連絡した」「相手側から詳細を教えて欲しいと頼まれたので,,前の会社での因縁も伝えてある”“真実だけを客観的に報告したのだが,,どうやら会社側は,,加藤部長に悪い印象を抱いたらしい」”ため息混じりに言う俺に,,加藤部長がすがるような目を向けてきた”. 「なあ,,頼むよ”“さ,,一緒に働いてた仲間だろ”“うちにもう一度チャンスをくれよ”“この失態を取り戻さないと,,会社に居場所がなくなっちまう”“もしかしたら,,降格とか,,左遷とか,,何かしらの処罰があるかも」”最悪の未来を想像したのか,,顔面蒼白になる加藤部長”. しかし,,俺は首を横に振って答えた”.
「再投資は,,できません”“実は,,すでに別の会社に出資してるんです」”“「ちなみに,,出資先は,,加藤部長の勤務先の,,ライバル企業ですよ」”飯田君が続けていったセリフに,,加藤部長は絶望の顔になる”. 「ど,,どうしてライバル会社なんかに…」”“「元から話はあったんです”“御社のグループ会社への出資を停止したら,,ライバル会社に出資するつもりで,,計画を進めていました」「これは,,俺が決めたことではなく,,会社が決めたことだ”“俺や飯田君の個人的な感情は,,含まれていない」「全て,,偶然だ」”“「そ,,そんな…」”力なくその場に座り込む加藤部長”. こうなったのは,,偶然の積み重ねだが,,加藤部長が会社から白い目で見られているのは,,俺や飯田君を馬鹿にしたからだ”. もし,,部長が俺たちをいびっていなかったら,,俺と飯田君は変わらず加藤部長の元で働いていただろうし,,部長は自身の評価を落とすこともなかっただろう”.
「もう,,お帰りください”“これ以上,,しつこいようなら,,警備員を呼びますよ」”加藤部長が,,ふらふらとした足取りで立ち上がる”. 丸まった背中で,,我が社を出ていくその姿を,,俺と飯田君は覚めた目で見ていた”. その後,,加藤部長の会社は,,どんどん業績が悪化”. 我が社の出資停止を見て,,他の投資会社も,,それに追随した”.
半年後には,,市場シェア率を四十%以上落とし,,グループ会社は,,いくつか閉鎖を決めた”. 業績悪化に伴い,,会社はリストラを敢行”. 懇親会まで開いた新規事業の話も,,なくなり,,今は経営再建に必死になっているとのことだ”. もしかしたら,,加藤部長はリストラの対象になっているかもな”.
だとしても,,情状酌量の余地はありませんね”. こんな会話を,,飯田君とした数日後,,出資先のとある会社に赴いた際,,その会社の下請け工場で,,作業着姿で働いている加藤部長を見つけた”. どうやら,,本当にリストラされ,,こちらに再就職したようだ”. 随分とやつれ,,白髪も増え,,上司に叱られながら,,暗い雰囲気で働いていた”.
加藤部長は,,俺に気づいていなかったので,,声はかけずその場を後にする”. どんな相手でも,,敬意は忘れないようにしよう”. この一件は,,俺にとって大きな学びとなった”.
加藤のような失敗はしないように気をつけようと,,心の中で固く誓った