「部長、今どちらにいらっしゃるのですか?」
「それはこっちのセリフだよ。お前、幹事のくせに、なんで会場に来ないんだ?」
「私は、部長が予約なさっていた駅前のバルにおりますよ」
「おい、そこは昨日のうちに取り消したんだよ」
「では、今どちらにいらっしゃるのでしょうか」
「一番街の入り口にある山木っていう居酒屋だよ」
「そのお店は確か、十人ほどしかキャパがありませんよね」
「飲み会の話をしたら、断るやつも出てきたから店を変えたんだ。予算は五十人も五人も一律だからな。豪華な食事ができるぜ」
「そちらの店には、予算からのお支払いはできませんよ」
「え?」
「今回の飲み会の趣旨はご存知でしたか?」
「なんだ?」
「社長の還暦祝いと、取引先だった製薬会社との合併を発表する会ですよ。社員は全員、初めに部長が予約されていた駅前のバルに集合しております。もちろん社長と、合併先の製薬会社の社長もです」
「何?」
「そちらの居酒屋に集まっているのは、反社長派グループの四名と、何も知らない部長だけですよね。あと、人事部よりお話があるそうなので、月曜日、必ず出社するようにお声がけください」
俺はそれだけを伝えて、電話を切った。
俺の名前は佐々木浩司。ある製薬会社の中堅社員だ。今回、くじ引きによって社内で行う飲み会の幹事を引き受けることになった。社員は五十人。大きな規模の宴会になるので、会場探しには気を使った。
今回は、俺の彼女である山木ミキにも手伝ってもらうことにした。ミキは俺と同じ会社に勤めていて、婚約をしている。こういうのもあれだが、社内のベストカップルだと言われている。同時に、社内で一番の才媛のハートを俺が射止めてしまったのも事実だ。
ミキは色々な飲食店のことを知っていて、俺にたくさんの情報をくれた。
「大学時代とか、結構飲み歩いたからね」
研究職の彼女は薬学部出身なので、大学在学六年间の中で、いろいろ楽しんだようだ。彼女の協力によって、駅からのアクセスも良く、若い世代も年配者も食事などで楽しめる店を見つけ、五十名の予約を入れることにした。
俺は部長へ予約を入れたことを伝える。俺が在籍する総務部は、社内の広報支援を行う部署だ。人事や勤怠、経理の他、今回のように飲み会の企画運営なども行う。
「飲み会のお店を、ここにしました。ご確認ください」
部長である厚木は、かなりの切れ者だが、癖が強くて嫌われているタイプだ。
「ふん。見せてみろ。何? 隣の駅前にあるパーティースペースだと?」
「ええ、こちらの依頼に応じて、予算内で食事を作ってくれるそうです。要望に何でも応じてくれるんですよ」
俺はパンフレットや予約票を提示した。
「この店は、階段がないだろう。それが何か」
「この店は地下や二階より上に部屋はない。エレベーターも完備されているので、通風で足が痛いという人事課長も大丈夫だと、ミキと二人で確認したんです」
「階段がない店だと、途中でとんずらするやつもいるからな。それに、お前が予約した店なんか、誰が行くかよ」
けけけと笑いながら、店のパンフレットをくしゃくしゃに丸めて、ゴミ箱へ放り込んだ。
「お前を陥れるとろくなことにならなさそうだな。人を馬鹿にしたような口調で笑い出した。俺がとっておきの店を予約しておく。お前は幹事なんて引き受けるんじゃないぞ」
俺にとっては、都合の良い申し出だったので、厚木部長に押し付けようと思った。店の予約をした後の人数を確定させて、前金を支払って、というような、仕事中にしなければならない面倒なことをする必要がなくなる。
一緒に幹事を買って出てくれたミキには申し訳ないが、これで俺はお役御免ってことでいいようだ。俺は肩の荷が下りて、気持ちを楽に仕事ができるようになったのは、この事務所内では内緒にしておこう。ちょっとだけ幹事という役柄を部長に取られて残念だな、悔しいくらいの表情を浮かべておくのが正解だと思う。
ミキにはメールで「幹事、外されたよ」と連絡しておいた。ミキからは、わんこが腹を抱えて笑い転げているスタンプが送られてきた。
それから十日ほどが経過した。来週、その飲み会があるというのに、五十名規模だから早めに店を決めて段取りをつけようと言い出したのは、部長なのに。部長は「とっておきの店を予約しておく」と言ったのに、店も何も決まっていないようだ。
俺は部長へ、その後の進捗を伺いに行った。
「ああ、駅前のバルを予約したよ」
なんか上の空といった雰囲気で、このように答えていたが、部長にしてはナイスチョイスだと思う。
「では、お店側と打ち合わせをしてまいりますね」
「おお、任せた」
こういうところは他人任せなのかと、俺はため息をついてしまったが、ここからの段取りは結構神経を使うので、俺がやった方が無難だろう。俺は駅前のバルへ出向き、調整を行ううちに、重大な事実に気づいたのだ。
俺はミキにそれを相談する。
「それはないわよ。ありえない。でも、段取りを浩司さんに任せたのなら、どこかで絶対に粗相が起こるわ。どうする? 知らなかったふりをする?」
「うん。本当はいけないことなんだけど、この流れから知らなかったふりをするのが得策かもしれない。あちらは多分、浩司さんを嵌めようとしているんでしょうから、あなたもそれに乗っかりなさいよ」
ミキはいたずらっぽく笑った。
いやいやいやいや、ミキはそう言うが、これが失敗したら、というか、成功してもやばいことになることは目に見えていた。俺は一瞬、退職届を準備しようかと思ったが、ミキに部長の動きを探ってもらい、対策を練った。
そして飲み会当日。
俺は厚木部長へ電話をかけた。
「はい、厚木だが」
「部長、今どこにいらっしゃるのですか?」
「それはこっちのセリフだよ。お前、幹事のくせに、なんで会場に来ないんだ?」
「私は、部長が予約なさっていた駅前のバルにおりますよ」
「おい、そこは昨日のうちに取り消したんだよ」
「では、今どちらにいらっしゃるのでしょうか?」
「一番街の入り口にある山木っていう居酒屋だよ」
「そのお店は確か、十人ほどしかキャパがありませんよね」
「飲み会の話をしたら、断るやつも出てきたから店を変えたんだ。予算は五十人も五人も一律だからな。豪華な食事ができるぜ」
「そちらの店には、予算からのお支払いはできませんよ」
「え? 今回の飲み会の趣旨はご存知でしたか?」
「なんだ?」
「社長の還暦祝いと、取引先だった製薬会社との合併を発表する会ですよ。社員は全員、初めに部長が予約されていた駅前のバルに集合しております。もちろん社長と、合併先の製薬会社の社長もです」
「何?」
「そちらの居酒屋に集まっているのは、反社長派グループの四名と、何も知らない部長だけですよね。あと、人事部よりお話があるそうなので、月曜日、必ず出社するようにお声がけください」
俺はそれだけを伝えて電話を切った。
前日、部長が予約した駅前のバルに確認の電話を入れたら、予約のキャンセルがあったと伝えられた。ドタキャンで損害が出ますよと店員さんからお叱りの言葉を受けたのだが、迷わずキャンセルはなし。このまま五十人の宴会を引き受けてくださいとお願いし、大事には至らなかった。
予約が入っていないけど、まさか、とミキに探りを入れてもらっていたのだ。厚木部長は案の定、本来の飲み会の目的は全く眼中になく、単純に会社の金で飲めるとしか思っていなかったようだ。厚木部長は社員に「飲みに行こうぜ」と誘って回ったが、その日は社長の還暦パーティーがあることをみんな知っていたので、断っていた模様。逆に社長がこの会社の社長の座を取ることをよく思っていない連中が、厚木部長の誘いに乗ったと見られる。
俺とミキは水面下で社員へ個別にメールを送り、急遽場所を変えて駅前のバルで社長の還暦パーティーを行うと伝えた。社長へのサプライズがあるため、社内外でこの話題は口にしないでほしい。この一文を付け加えたため、厚木部長や反社長派グループに話が漏れることがなかったのだ。
そうして今、ここだ。
「そこの店、居酒屋って言うけどさ、高級料亭『山木』って店よ」
厚木部長たちが飲んでいる店は、ミキの両親が営む料亭だ。カジュアルな居酒屋ではなく、料亭だ。
「父に連絡して予約状況を確認してもらったんだけど、会社の予算が使えるから、時間のお任せコースを頼んでるわ。それに、お取り寄せの幻の大銀鱈なんかもオーダーしてる」
「本当に会社の予算が使えたら、これって業務上横領よね」とミキは付け加えた。
俺は指折り数える。
「ミキの実家の店のお任せコースって、最低一人三万円からだろ。それにサービス料に個室料は別料金。うわ、反社長派のおじさんたちはケチで有名だからな。会社の予算が降りない、請求書払いができないとなると、どうなるんだろうな」
顔面蒼白の厚木部長は、反社長派メンバーにどうこの事実を伝えるんだろうな。俺はそう思いながら、会の進行を始めた。
社長の還暦パーティーは滞りなく進み、サプライズと称して社屋の玄関に飾る新しいモニュメントのお披露目も無事に済んだ。我が製薬会社が買収を行い、合併をする会社の社長と社長夫人も来場し、和やかな雰囲気で会を終えることができた。
そして月曜日。
憔悴しきった厚木部長が出社する。そして三十五万円もの領収書を俺の机の上に出し、経理伝票を作成し始めた。俺が部長へ電話を入れた時には、すでに山木での飲み会は始まっており、一本三万円以上もする大銀鱈が一本、空になった直後だったそうだ。事情は知らぬまま、会社のご予約だからと、大将であるミキの父親は市場の仕入れを頑張り、大奮発したという。
そして酒によったおじさんたちは、コンパニオンのお姉さんたちまで呼んでしまったらしい。食事代三十五万円。コンパニオン代金五万円、プラスお車代で六万円。
経理の事務が「それは経費では落とせません」とガチ切れしていた。
会社合併による人員整理も始まり、該当者に早期退職を勧告し始めた。反社長派の四人は早期退職対象者としてピックアップされており、それを断った四人は当然、減給へ回される。給料も待遇もこれまでの水準の半分近く減らされてしまうため、結果的に厚木が俺たちを罠に落とし入れたということになり、反社長派の四人に疎まれることになったのは言うまでもない。
五十万円近くの飲食代などは、一括現金払いを迫られた。会社の金で飲み食いしていると思い込んでいるおじさんたちに助けを求めることができなかったらしい。厚木部長は近くの無人契約でカードローン契約をして、なんとか支払いにこぎつけたが、ローンの契約書が自宅に届き、その金額に奥さんがびっくりしたようだ。無人契約で六十万円もお金を借りていたのだから、飲食代なんかを支払った後、パチンコ店で残金を投入し、全て溶かして帰ってきたそうだ。
一応、総務部長の席はそのまま残してもらえたが、家庭を壊しかけていると同時に、社内の一部勢力を敵に回してしまい、厚木部長自身も立場が危うくなった。元々は俺に恥をかかせるために仕組んだことだったのに、自分が恥をかいてしまったのだ。
厚木部長の俺に対する風当たりが、また一段と強くなってしまった。USBメモリを隠す。書類をシュレッダーにかける、など、今時の会社員がやらないような陰湿なことをするようになった。俺はバックアップデータを残していたし、元々シュレッダー行きの書類だったので泣きを見ているのだが、やることがあくどすぎて、俺は何度か人事に相談をしていた。
すると、とうとう事件は起こってしまったのだ。
「副社長の宿泊先を予約したのは、佐々木君だったよね」
「はい。ご指示通りに、山手の温泉旅館へ一名、特別室を一部屋、ご用意しております」
「ところが、予約は受けてないって追い返されそうなんだよ」
「え、本当ですか?」
俺は慌てて、山手の温泉旅館へ電話を入れた。支配人に代わってもらい、予約の履歴を確認したら、先週の木曜日に俺は確かに山手の温泉旅館へ予約を入れていた。そして、つい昨日、男性の声で予約の取り消しがあったという。予約受付係が名前を確認しようとしたら、副社長の名を名乗って、電話が切れたという。
俺は、顔から血の気が引くという状況を初めて経験した。本当に、ざっと耳元で音がするかのように、血流が逆流したような気がするのだ。副社長は合併前の製薬会社の社長で、今日は取引のために出張していて、宿泊先としてこの旅館を指定していたのだ。一体誰が——。
このままでは、副社長が宿無しになってしまう。
「副社長が、しょぼくれた温泉に宿泊するなんて、会社の恥ですよ」
「え、今何て言いましたか?」
「山手の温泉旅館なんて、Fランクよりも隠しのあるだけマシなホテルでしょ。やばいから、私の方で宿泊先を変えておきましたよ」
「なんだって?」
俺は厚木部長の胸ぐらを、思わず掴んでしまった。慌てて社長が間に入り、俺を止める。社長が俺の背中をトントンと優しく叩き、落ち着かせてくれた。
「あそこの駅前にできた超高級ホテルのスイートを予約していますよ。ラグジュアリーなホテルですから、お疲れを癒やしていただけることでしょう」
今度は社長が逆上する番を、俺は作ってしまった。ドヤ顔の厚木部長は、俺と社長がなぜ怒っているのか分かっていない。我が社の社員なら、なぜ山手の温泉旅館を副社長が指定したのか、事情を知っている。合併前の社員はもちろん、親会社となる我が社の社員も全員だ。
「だって、わざわざ山奥まで移動するよりも、駅前に宿泊した方がいいでしょう。ああ、温泉はホテルにはありませんけどね。ふかふかのベッドで眠れるじゃないですか」
「あそこはな、今回の取引先の社長のご家族が経営しているんだ。これがFランクよりも隠しのあるマシな旅館なんかじゃない。お偉方御用達の、唯一無二の温泉旅館なんだよ。そのよかれと思って……」
「違うでしょ。俺を困らせるために、勝手に書類を見て予約を取り消したんでしょ」
俺が睨みつける。他の社員たちも、厚木部長を冷ややかな目差しで見据える。
「だからか、今回の取引は失敗したと連絡が来たんだよ。これでジェネリック薬の供給が三年も遅れてしまうことになったんだ。会社としては大損害ですよ。副社長がご尽力くださって、ここまで信頼関係を築いてきた取引先だったのに」
厚木部長はようやく事態を把握したようだ。
「駅前のラグジュアリーな超高級ホテルのスイートルームの予約って、前金を支払っているんでしょうか?」
「もちろん。何せ一泊三十万円だからな。二十%の前金を支払っている」
俺は経理社員に、その時の経理伝票を確認してもらう。
「こちらは無効です。会社からの支出は認められませんよ」
「金なんて出せねえよ……」
「今、何て言った?」
「この間の飲み会で負担した六十万円の返済ができなくて、裁判所から……その、それとこれとは関係ないでしょう。今回、しょぼくれた温泉宿から豪華なホテルに変更して、放免がもらえたらいいなと思いまして……」
「そんなんで放免してくれる会社じゃねえぞ。ここ……ここ……」
そこまで言って、俺は慌てて両手で自分の口を抑えてしまった。
「妻は呆れて家を出て行ってしまって……今回の裁判所からの令状で、妻に離婚を言い渡されてしまって……っていうか、先月作った六十万円の借金で裁判所から通知って、おかしいですよね」
厚木部長は、俺の一言で膝を折って崩れてしまった。数年前から借金を続けていて、三百五十万円に膨れ上がってしまったんだ。
「そんなことだろうとは思っていた。それは会社で助けることができないし、それよりも横領などの可能性が否定できなくなってしまった」
俺は取引先の会社へお詫びの電話を入れ、営業部の社員を取引先へ派遣し、取引交渉してもらえるように手配をした。副社長には近くのビジネスホテルを取って、そちらへ宿泊してもらう。
厚木部長の件は、即座に調査委員会を立ち上げて、不審な経理伝票がないか調べるよう指示した。社長は厚木部長に自宅待機を命じた。
「この家は妻への慰謝料として売却しまして……家を借りようと思っているのですが、審査が厳しくて……」
「漫画喫茶やネットカフェを点々とする、ホームレス状態だというのだ」
「悪いが、そんな社員を救済できる余地はないよ」
社長が吐き捨てるように言ったため、厚木はもう首が回らなくなってしまったようだ。それでも、勤続二十六年というので、退職金が欲しければ、自己都合退職だな。でも、自己都合退職も余儀なくされた。五回、百五十万円の不正処理と思われる経理伝票が出てきてしまい、厚木さんの自己都合退職は叶わないようだった。
それで、俺はと言うと、次期総務部長として指名を受け、三十六歳にして管理職となった。婚約していたミキと入籍を果たし、共に新生活を始めた。お互いに忙しさを目の前にした結婚だが、ミキはさらに研究職に没頭できると意気込んでいる。仕事中心の結婚生活になったが、それもまた楽しめる要素ではないだろうか。
