私はエリカ。会社員の夫と4歳の娘と三人暮らしの普通の主婦だ。実家は上場企業の大株主で都内にいくつかビルを持っており、私たちはその一室を無償で借りている。駅にも病院にも近く、恵まれた環境だ。代わりといっては何だが、ビル内の掃除や雑務は私が引き受けている。
ある日、夫に電話がかかってきた。相手は夫の妹の咲だった。
「お兄ちゃん助けて。旦那のお店が潰れちゃって、今全然お金ないの。借金までできちゃって、これからどうしたらいいの?」
咲は泣きながら訴え、夫は困惑していた。会話が聞こえてしまった私は、親切心から提案した。
「落ち着くまでこのビルにしばらく住んだらどう?父に聞いてみようか」
正直、咲のことは苦手だ。咲は自分の兄である夫が大好きで、私に対してはかなり敵対心を持っている。いつもあからさまに嫌な態度を取ってくる。あまり関わりたくないのが本音だが、義理の妹になった以上、これを機に仲良くなれたらという思いもあった。私は父に部屋を貸してもらえないか聞いてみることにした。
父は話を聞くと快く承諾してくれた。
「そりゃ大変だ。お前たちの部屋の隣を使いなさい。もちろん家賃はいらないよ」
しばらくして、咲一家が隣の部屋に越してきた。引っ越し当日、咲は夫と私の父にお礼を言った。私には何のお礼もなかったが、あまり気にしないようにした。
咲には五歳年上の旦那と四歳になる蓮君がいる。咲の旦那は無口で何を考えているのかわからないが、蓮君は素直で可愛い子だ。
「うちの香織と蓮君は同い年だね。仲良くしてやってね」
私が蓮君にそう言うと、蓮君はこくんと頷いた。
「蓮、何してんの?早く家に入りなさい」
咲が怒鳴り、蓮君は家に入っていった。夫が代わりに礼を言った。
「エリカ、ありがとな。あんな妹だけど、これからしばらくよろしく頼むよ」
「もちろんよ。香織も蓮君がお隣に来てよかったね」
私が言うと、香織も嬉しそうに頷いた。しかし、平穏な日々は長くは続かなかった。
咲は日に日に我が家に干渉するようになった。休日に家族でどこかへ行こうとすると、必ず咲一家もついてくる。それはまだいい。問題は、咲が自分の夫や息子すら無視して、兄である私の夫にべったりなことだ。そのせいで私も娘もまったく楽しめなかった。
さらに咲は私たちの部屋に頻繁にやってきて、あれこれ口出ししてきた。ある時は「この部屋のカーテン、ちょっと趣味が悪いんじゃない」と勝手に捨てられ、新しい派手なカーテンを送り付けられたこともあった。
「そんなことされたら困ります。やめてください」
私がそう言っても、咲は聞く耳を持たない。
「こんなダサい部屋に済まなくちゃいけないお兄ちゃんがかわいそう。私が少しでもマシにしてあげないと」
夫に注意するよう言っても、「まあまあ、そんな怒らなくていいだろう。仲良くやってくれよ」と言うだけだった。
そんな咲は平日の日中にパートを始めるようになり、その間に蓮君を預かってほしいと頼んできた。娘にも遊び相手がいた方がいいかと思い、私は引き受けた。その日から蓮君はほとんどうちにいるようになり、咲はパートが終わったはずの時間になっても帰宅しないので、毎日夕飯まで食べさせていた。
そんなある日のこと。いつものように家にやってきた咲が突然言い出した。
「エリカさん、昨日のビーフシチューの牛肉、国産じゃなかったでしょう。ケチケチしないで。うちの蓮には国産牛肉を食べさせてやってよ」
どうして咲がそれを知っているのか。ビーフシチューの肉が外国産だということは、私しか知らないはずだ。それから咲は、私しか知らないようなことを次々と口にするようになった。
「香織ちゃん、まだひらがなも書けないの?うちの蓮なんてもう数字も書けるわよ」
そんなふうにくだらないマウントも取ってくる。私は咲の言動にだんだんとストレスを溜めていった。
このままではいけないと思った私は、咲の旦那に話をしに行った。しかし、咲の旦那は自分の店が潰れたショックでうつ状態になっており、まともに話ができる状態ではなかった。仕方なく、私は自分の父に相談しに行くことにした。
実家に着くと、父はちょうど私の出向くところだった。
「お前の住んでいるビルのことで話をしに行こうとしていたんだよ」
「話って、どうしたの?」
「ゴミ置場が最近よく荒らされていると苦情が入ってな。監視カメラをつけようと思うんだが、お前手配しといてくれないか」
「わかったわ」
「それで、お前の話は?」
「咲が私たちの生活に入り込んできてすごく迷惑なの。香織も嫌がっているし、どうにかならないかと思って」
父はしばらく考えた後、言った。
「それは大変だな。しかし、住むことを許可した以上、決定的な理由がないと簡単に出ていけとは言えないよなあ」
「そうよね。困ったものね」
そう言って父に同調してもらいながら、私は家に帰った。
それから一週間ほど経ったある夜のこと。私たち家族がリビングでくつろいでいると、咲とその旦那が部屋に入ってきた。
「え、鍵をかけておいたのに、どうやって入ったの?」
私が聞くと、咲は「じゃーん。合鍵作っちゃった」と言って鍵を見せびらかした。さすがに頭に来た。
「何勝手に合鍵作っているのよ。ここは私たちの家なのよ。あなたに合鍵を作る権利はないわ」
「咲、私のことが嫌なら、あんたが出ていけよ。あんたがいなくなった方がお兄ちゃんも嬉しいんじゃない?」
「そうそう。前にこいつ、お前をどうにかしてくれって言いに来たぜ。お前が出ていけば解決じゃん。出てよ」
咲の夫も火に油を注ぐように言ってきた。そんな時、家のインターホンが鳴った。ドアを開けると、私の父が立っていた。
「ちょっと入ってもいいか?」
父はそう言って部屋に入ってきた。すると咲が父に言った。
「お久しぶりです。エリカさんたら、私をいじめに来るんですよ。エリカさんをここから追い出してやってくれませんか」
すると父が咲を睨みつけた。
「いや、出ていくのは君だよ、咲さん」
「はあ?なんで咲が出ていかなきゃいけないの?何も悪いことしてないのに追い出すつもり?」
咲が怒鳴る。父はそんな咲に軽蔑した目を向けながら言った。
「実はね、ゴミ置場を荒らしていた犯人が分かったんだ。今日カメラを確認したら、君の姿が映っていたよ。ゴミを荒らす奴を住ませておくわけにはいかん。今すぐ出ていってくれ」
すると、今まで黙っていた私の夫が尋ねた。
「なんで咲がゴミを荒らしてんだよ。なんか理由があるんだろ」
咲は言い訳が思いつかないのか、気まずそうに黙ったままだった。私はそこでピンと来た。なるほど。咲はうちのゴミを探っていたのだ。だから私しか知らないようなことまで知っていたんだ。
「侵害よ」
「咲、それは本当か?なんでそんなことするんだよ。嫌がらせか」
さすがの夫もドン引きしている。兄からそう言われた咲は、泣きそうになって言った。
「違うのお兄ちゃん。咲のためを思って色々調べていただけなの」
「自分の兄に執着してるだけじゃないの。気持ち悪い」
私は冷たく言った。父も「異常だな」と呆れ、咲たちに釘を刺した。
「とにかく、明日中にここを出て行ってもらうから、早く自分の部屋に戻って準備しなさい」
「そんなひどい。お兄ちゃん助けてよ」
咲が泣きつくが、夫は咲を突き放した。
「咲、今回ばかりは俺もお前に呆れたよ。お前とは距離を置くことにする」
大好きな兄に見放された咲はショックだったらしく、泣き崩れていた。
翌日、咲夫婦は部屋を出て行った。息子の蓮君は「ここに住みたい」と言ったので、私たちも喜んで預かることにした。咲夫婦はお金もないので咲の実家に帰ろうとしたが、夫が義両親に一連の出来事を話してくれていたため、追い出されたそうだ。義両親は「今まで私たちが甘やかせすぎたのが悪かった」とかなり反省したようだった。
その後、咲とその旦那は「こんなことになったのはお前のせいだ」「そもそもあんたが店を潰したからでしょうが」と大喧嘩して離婚した。離婚後は自分名義の借金を返しながら、細々と一人で暮らしている。
一方、私たちはとても平和に暮らしている。咲が出て行ってから、私はあのビルを父から譲り受けた。香織と蓮君も兄弟のように仲良くしており、我が家はとても賑やかだ。頼りなかった夫も、この一件以来目が覚めたようで、家族のことを一番に考えてくれるようになった。これからも家族で仲良く暮らしていきたいと思う。
私は真面目で不器用な人間だ。両親から幼い頃から厳しく育てられ、睡眠時間を削って勉強し、一浪して志望大学に入学することができた。現在は大学時代に起業した小さな会社の社長をしている。
一方、妹は私と正反対で自由奔放な性格だ。高校も途中でやめていて、もう二十五歳になるが、実家でフリーターをしている。両親も年齢が離れているからか、妹のことは自由にさせていた。妹は器用で可愛く愛嬌があり、何をしても周りの人は「仕方ない」と許してしまう。小さい頃から妹と喧嘩をしても両親は妹の味方をすることが多く、私はいつも悔しい思いをしていた。私も妹から頼まれ事をされると断ることができなかった。可愛い笑顔で頼まれると、ついつい何でも受け入れてしまうのだ。
そんな自分が嫌で、私はあまり実家には帰っておらず、妹とも自分の結婚式以来、三年近く会っていなかった。
そんな妹が、彼氏の転勤に付いて東京へ引っ越してきた。地元でずっと付き合っていた彼氏で、結婚も考えているそうだ。両親は実家でしか暮らしたことのない妹を心配して、「ゆき子のことを気にかけてやってね。あの子、危なっかしいところあるから」とすぐに私へ連絡があったほどだ。
私と夫の住む家の近くに住むことになった妹は、引っ越しの翌日にすぐに私の家にやってきた。
「お姉ちゃん、いい家に住んでいるんだね。いい?お腹空いたからご飯食べさせてよ」
久しぶりに会った妹は、年齢こそ重ねたものの昔とまったく変わっていなかった。早速私にご飯を奢らせようとしてくる。歩いて近くのパスタ屋に行き、妹は「彼氏が働いている間は暇だから、東京で行ってみたい場所がいっぱいあるんだ」と嬉しそうに話していた。働く気はまったくないんだろうなと思った。
お店から家に戻る時、私は車に取りに行きたいものがあると車庫に寄った。
「え?お姉ちゃん何この車?初めて見た。かっこいい。乗ってみたい。後で貸してくれない?いいよね」
私たち夫婦は車の趣味を通じて知り合った。夫も会社経営をしていて、車好きだ。私は真面目そうな見た目をしているのでよく「意外だ」と言われるが、車が大好きで、休みの日にはよくサーキットに行っていた。そこで夫と出会ったのだ。お互い経営者でもあり、住んでいる場所も近かったので、そのまま付き合うことになった。三年前に結婚してからも、二人でよくサーキットや車の展示会に行っている。
数ヶ月前、夫婦二人ともずっと欲しかった車を買った。日常的に乗っている車があるのにも関わらず、妹は新しく買ったその車に乗りたいと言ってきた。
「ごめんね。保険は私たち二人にしか適用されないようになっているし、車は運転が難しいからやめた方がいいと思う。車が必要なら私が乗せるし」
「え、いいじゃん。お姉ちゃんたちだけずるいよ。一日だけでいいからね」
私は優しく断ったが、妹は一度言い出すと譲らない。
「もし事故起こしたら保険使えないから、本当に危ないわよ。いいの?」
「大丈夫だよ。私、地元でも車乗っていたし、引っ越したばかりで色々買い出しに行きたいの。今日だけお願い」
妹は涙のキラキラした目で頼んできた。私は渋々、一日だけという約束で車を貸すことにした。
妹は私が知らないと思っているかもしれないが、運転が上手とは言えない。母から聞いた話では、二十歳で免許を取ってすぐに両親から買ってもらった軽自動車は、一年も経たずに事故を起こして廃車にしているそうだ。その後も両親に止められても母の車に乗ってはぶつけ、よく傷をつけていた。ちなみに修理費や廃車費用も全て両親が払っているらしい。自分で払っていないから、そんなに大事に捉えていないのかもしれない。
妹が車を使っている間、私はずっと心配でたまらなかったが、その日の夕方には無事に傷ひとつなく車が帰ってきたので、ほっと一安心した。
「お姉ちゃんありがとう。乗っていたら周りの人が何度もこっちを見てくるの。この車すごいね。また乗りたい」
「だめ。今日だけって約束でしょ」
「ええ、ダメなの?じゃあお姉ちゃんが乗る時に助手席に乗せてよね」
それから一ヶ月後、私が休みの日に久々に車に乗ろうとすると、ドアに傷がついているのを見つけた。夫に確認すると、「俺は乗っていないから、ゆき子ちゃんじゃないかな」と言う。私は妹が乗った日には傷がついていないか確認したはずだ。夫によくよく聞くと、なんと妹は私がいない時間を狙って家に来ては車を借りていたという。
「え、お姉ちゃんから許可はもらっているからって言っていたけど」
私は早めに出勤して早く帰宅するようにしており、夫は出勤が少し遅めだというのを妹は知っていたようだ。私が家に帰る前に車を返し、鍵はポストに入れていたとのこと。それは一度ではなく、一ヶ月の間に十日以上も借りに来ていたことに私は驚いた。私がいると断られると分かっていたのだろう。夫も「私が許可を出している」と聞けば反対することはない。夫はもちろん、妹の運転が下手なことや車を廃車にしたことがあるなんて知らない。
昔から妹は変わっていないなと思った。私は傷がついていたこともあり、妹にすぐに電話した。
「何度も車借りているって聞いたんだけど、どういうことよ。ダメって言ったわよね」
「一回借りたからまた借りただけだよ。別にちゃんと返しているんだからいいじゃん。やっぱりあの車かっこいいね。乗っているだけでテンション上がっちゃう」
妹は悪びれる様子もなく答えた。
「ドアのところに傷がついているのよ。どこかにぶつけたでしょう」
「え、知らないわよ。だってぶつけたら音がするから分かるし」
妹はとぼけた様子で答えた。確かに妹が傷をつけた証拠はない。だが、私は大切に乗っていて、メンテナンスはこまめにしていた。妹が傷をつけたことは分かっているのだが、これ以上問い詰めることなく電話を切った。これ以上何を言っても無駄だと思ったのだ。
そこから妹はこれまで以上に車を借りに来るようになった。一度私にバレてしまったので、もう大丈夫だと思ったのだろう。妹は決まって私が朝準備をしている時やバタバタしている時に車を借りに来る。
「今日も車借りるね。行ってきます」
家に入ってきたと思ったらこう言って、すぐに鍵を持って飛び出していく。私に何も言わせず、断る隙を与えてくれない。妹がほとんど毎日借りに来るので、私はもううんざりしていた。二回目の傷を見つけた時には、怒る気力もなくなってしまった。
そんなある日、いつものように妹が車を借りに来た時、私は言った。
「この車、うちに置こうかな?お姉ちゃんたち全然乗っていないし、毎回取りに来るのめんどくさいんだよね」
「え、いいの?助かる」
妹は私がすんなりと受け入れたので少し驚いた様子だったが、「ありがとう。お姉ちゃん大好き。じゃあ今日からうちに置くね」と言った。
「ちょっと待って。手続きとかあるから」
妹は私の言葉も聞かずに、嵐のように出ていった。名義変更などをしっかりして渡したかったが、妹にはその重要さが分かっていないようだった。私はもう好きにさせようと思った。
ずっと欲しかった車だったが、仕事が忙しく私たちが乗れる機会はほとんどなかった。あまり乗らないのにも関わらず、メンテナンスも大変だった。妹がつけたであろう傷を直すのにもかなりのお金がかかった。他にもう少し実用的な車が欲しいと夫と話していた最中だったので、ちょうどいいと思ったのだ。何よりも、妹が車を借りに来ることが私の大きなストレスになっていた。夫もそれには気づいていたようで、事前に少し相談していたが承諾してくれていた。
その週の土曜日のこと。夫も私も休みだったので家でゆっくりと昼ご飯を食べていたところ、妹から泣きながら電話がかかってきた。
「お姉ちゃんどうしよう。助けて」
かなり興奮しているようだった。落ち着かせてよくよく話を聞くと、車に乗って彼氏と一緒に旅行に出かけ、道中の山道で大きな事故を起こしてしまったという。幸い妹たちも相手にも怪我はなかったが、妹が乗っていた車も相手が乗っていた車も全壊の状態になってしまったそうだ。しかも、相手の車も運悪く高級車だったという。保険などの手続きが分からないから私に連絡してきたとのことだった。
「お姉ちゃん、保険とかどうやって使うの?相手の人と話してくれない?私分からないの」
「前にも説明したと思うけど、保険は私と旦那しか入っていないから使えないって言ったよね。事故したらダメだって。あと、その車は簡単に修理できないと思うから頑張ってね。怪我がなくてよかったよ。じゃあね」
「え、ちょっと待ってよ」
妹は叫んでいたが、私は電話を切った。保険の名義変更もまだ終わっていないため、妹が運転していた今回の事故には保険は降りない。妹が乗っていた車はかなり希少な車だ。古い車だが限定生産で、日本に数台しか存在しておらず、私たちも手に入れるのにかなりの時間をかけた。修理するのには一般的な車の数倍はかかるし、部品が見つからない可能性もある。だからこそ大切に乗っていたし、貸したくなかった。妹にも何度も説明しようとしたが、話を聞かずにいつも勝手に乗っていってしまう。最後の方は疲れてしまって、説明する気すら失せていた。私は自業自得だと思った。
それから何度も妹から電話がかかってきたが、私は出なかった。その日の夜、妹と彼氏が家にやってきた。
「お姉ちゃんひどいよ。その後大変だったんだから」
妹は涙をぽろぽろとこぼしながら勢いよく怒ってきた。大きな事故だったようだし、怖かっただろう。妹は世間知らずなところがあるし、警察や事故相手と話すことも一苦労だったと思う。逃げずにちゃんと手続きを終わらせて帰ってくることができたのは、彼氏がついていたとはいえ、普段の妹からしたら考えられないことだ。何よりも妹も彼氏も怪我なく帰って来れたことに安心した。だが、私は心を鬼にして言った。
「あなたが起こした事故でしょう。その場にいない私にはどうすることもできない」
「お姉ちゃんの車じゃない?よくわからないんだけど、三千万円かるって言われたの。保険使えないなんて聞いてないわ。私も彼もそんなの払えない。どうにかしてよ」
「何度も説明したはずよ。保険は使えない。名義変更したいって言ったのに、ゆき子が聞く耳を持たずに出ていっただけじゃないの」
「そんなの聞いていない。どうして今更そんなこと言うの?意地悪。お姉ちゃん、お金持っているんだから払ってよ」
「無理よ。人の起こした事故に払うお金はないわ。私にできるのは、いつもあの車のメンテナンスをお願いしている業者さんを紹介してあげられるくらいね。修理できるかわからないけど」
「もうお姉ちゃんじゃ話にならない。お母さんに言うから。お母さんから言ってもらう」
「いいわよ。電話したらいいじゃない」
私と妹の激しい言い合いに、夫と彼氏も挟めない様子でおろおろしていた。彼氏とは今回初対面だったので驚いたことだろう。妹が車を借りているのを知っておきながら、これまで何も言ってこなかった彼氏にも少し腹が立っていたが。
妹はいつもの甘えた声を出しながら母に電話し始めたが、母が全てを知っていた。妹の顔色が変わった。私は昼間に母へ全て話していたのだ。妹は昔から口がうまく、小さい頃から妹が原因で喧嘩をしても、母には私が悪いようにうまいこと話し、私が怒られていた。今回も絶対に妹が私のせいにして母に話し、私にお金を払わせようとすると読んだので、先手を打って全てを話していたのだ。
「え、お母さんまでひどい。私どうしたらいいの?」
妹は泣きながら持っていた携帯を床に落とした。私は妹の携帯を手に取ってスピーカーにして話した。
「お母さん、やっぱりゆき子は私を責めてきたわ。全部払うように言ってきた」
「言う通りだったのね。ゆき子、聞こえている?今まで私たちがどうにかしてあげていたけど、もうあなたも二十五歳で立派な大人よ。自分でどうにかしなさい。そもそも私たちはそんな大金は払うことができないわ。こっちにいる時から車の運転をしないように何度も言ったわよね。私の言うこともお姉ちゃんの言うこともちゃんと聞かなかったことが原因でしょ。これからどうしたらいいのか自分で考えてみなさい」
「お母さんの言った通りよ。何でも手助けしてもらえるのは子供の時だけ。もう大人なんだから、自分で解決できる方法を探しなさい」
いつも自分の見方をしてくれていた母の言葉に、妹はショックを隠しきれない様子だった。そのまま声を出して泣き続け、母との電話を切り、三十分ほど泣いた後、「もういい。帰る」と言って帰っていった。彼氏は慌てた様子で妹を追いかけていった。
私はこれまで長い間妹に抱えていたストレスから解放されたような気持ちになった。妹たちが出ていった後、なぜだか涙が止まらなくなった。
「私、間違っていないよね。欲しかった車だったのに。ごめんね」
夫に言うと、「間違ってないよ。怪我もなかったし、彼女も成長できるきっかけができて良かったんじゃないか。車のことは気にするなよ」と言ってくれた。
その後、妹からの連絡はなかった。どうなったのか少し気になったが、私から連絡して頼られても本末転倒だ。ちょうど仕事が忙しい時期だったこともあり、慌ただしく毎日を過ごしていた。
事故から一ヶ月が経った頃、突然妹と彼氏が私の家を尋ねてきた。何の連絡もなく突然来たことも驚きだが、一番驚いたのは、いつも明るい髪色で派手な見た目をしていた妹が、黒髪でスーツ姿だったことだ。
「お姉ちゃん、今回はごめんなさい。私、明日から働くことになったから」
「え、ゆき子が働くの?」
私は妹から初めて謝られたと思う。驚きすぎて思わず声が出てしまった。妹はこれまでもフリーターをしていたが、アルバイトもほとんど続いたことがなく、両親や彼氏にお金を払ってもらって生活してきた。東京に来てからはもちろん一度も働いていない。妹から「働く」という言葉が出たことに驚いた。
「そう、一ヶ月かかっちゃったけど、やっと就職が決まったの。正社員だよ。お給料が高いわけじゃないけど、働いて事故のお金を返すの」
妹はこれまで見たことのないような覚悟を決めた顔をしていた。隣にいた彼氏も話し出した。
「僕も車をお借りしていると知りながら、お礼もできずにすみませんでした。これからこれまで以上に働いて、彼女と一緒にお金を返していこうと思います」
車の修理にはかなりの金額がかかるので、廃車にすることにしたそうだ。相手に払う損害賠償金は、相手が優しい方で事情を話して分割払いを受け入れてくれた。損害賠償金だけでも一千五百万ほどだ。簡単なことではないと思う。
私は妹を抱きしめてあげたくなったが、ぐっとこらえた。
「自分で考えて決断してくれたのが嬉しい。頑張ってね」
「ありがとう。私、あれからずっと考えていたの。これまで全部人のせいにしてきたなって、やっと気づいた。お姉ちゃん、ごめんね。大変だと思うけど、私頑張るから」
妹が帰った後に母へ報告すると、母は泣いて喜んでいた。
「あの子もやっと大人になったのね。これから苦労すると思うけど、見守ってやってね」
妹は今まで人に頼ってうまく生きてきた。器用な妹だ。私は妹ならできると思っている。
あれから一年が経った。妹からの連絡は滅多にない。たまに私から連絡しているが、毎日遅くまで働き、順調に損害賠償金も返済しているようだ。あの時少し心が痛んだが、心を鬼にして妹を突き放してよかったと今では思っている。
