岡部が私の肩を叩き、いつもの上から目線で「またお前のとこに頼んでやるから、しっかりやれよ」と言った瞬間、私は五年分の我慢が限界に達した。その日の夕方、物流センターのシステム導入最終調整を終えた私は、岡部から信じられない言葉を聞く。「予算がないから、導入費用は十円でいい。嫌なら設備を全部持ち帰ればいいだろ」——あまりの理不尽さに、私はその場で全ての機材を撤去する決断をした。深夜零時前、佐々木が…

岡部が私の肩を叩き、いつもの上から目線で「またお前のとこに頼んでやるから、しっかりやれよ」と言った瞬間、私は五年分の我慢が限界に達した。その日の夕方、物流センターのシステム導入最終調整を終えた私は、岡部から信じられない言葉を聞く。「予算がないから、導入費用は十円でいい。嫌なら設備を全部持ち帰ればいいだろ」——あまりの理不尽さに、私はその場で全ての機材を撤去する決断をした。深夜零時前、佐々木が...

「おい、またお前のとこに頼んでやるから、しっかりやれよ」

取引先の部長で、大学の同級生でもある岡部が、いつものように上から目線で俺の肩を叩く。理不尽な要求にも我慢を重ねてきたが、今回はさすがに見過ごせないことがあった。もう偽物の友情はごめんだ。覚悟しておけ。

俺は池田。大手企業でエンジニアをしていたが、五年前に独立した四十五歳だ。元々引っ込み思案で交渉ごとも得意じゃなかったから、独立なんて考えたこともなかった。だが大手ではやりたいことができず、それを知った親友の佐々木が背中を押してくれた。佐々木とは大学のロボットサークルで知り合った。俺は理系、佐々木は文系だったが、意気投合して以来の付き合いだ。今では彼は弁護士をしており、うちの顧問弁護士も務めてくれている。

交渉の場では佐々木がいつも助言をくれる。最近はようやく商談にも慣れて、なんとかやっていけている。佐々木は「お前と合わない人間とは無理に仕事しなくていい」と言ってくれた。確かに一人で回せる仕事には限界がある。誰からも好かれて仕事を受ける必要なんてない。それでも今は信頼してくれる企業も増え、特許を取ったこともあって、妻と二人の子供を養うには十分な収入を得られるようになった。独立を後押ししてくれた妻にも感謝している。

佐々木は独立資金として自分の貯金を貸そうとしてくれた。俺が断ると「お前の技術なら絶対に成功する。俺が保証する」と言った。あの言葉がなければ、今の俺はいなかっただろう。

俺と同じサークル出身で、今の仕事に深く関わっている人間がもう一人いる。岡部だ。配送関係の企業で部長をしている。サークルでは俺と佐々木が同じグループで、岡部は別だった。大会の成績はいつも俺たちの方が上で、岡部は「お前ら、なんか不正してるだろ」と文句を言っていた。そのたびに佐々木が「お前の実力と池田の実力を考えれば結果なんて分かるだろ。池田には発想力もある。人の真似ばかりしているお前とは違うんだよ」と反論していた。

そんな岡部が、俺の独立を大学の同級生から聞いたらしく、ある日突然連絡してきた。「お前、独立したんだって。俺は配送業で部長やってるんだ。取引先は俺の一存で決められることも多いし、お前のところに仕事を与えてやるよ」という、何とも上から目線の話だった。断ることもできたが、大学の同級生というのもあって断りづらく、仕事を受けることにした。

最初はまだ良かった。だが岡部は「このくらいいいだろう。俺たち同級生じゃないか」と言って、修理やメンテナンスを無償で頼んでくるようになった。客を紹介してくれるのはありがたいが、ほとんどただ同然の予算で仕事をさせられることもあった。独立したばかりの俺は仕事を失うのが怖くて、岡部の要求を呑んでしまっていた。今思えば、それが岡部を付け上がらせるだけだった。

そして最近、岡部からかなり大掛かりな物流センターのシステム発注が来た。これは俺が特許を取ったシステムで、トラックや倉庫の棚に対して、どういう順番で積めば隙間なく、かつ下ろしやすい順序になるかを独自のアルゴリズムで数秒のうちに計算する。さらにロボットアームに指示を出し、コンベアを個別に制御する。それぞれのコンベアが隣の状況に合わせて速度や動きを自動で変えることで、仕分けの速度が飛躍的に上がる。従来のシステムより作業効率は一・五倍。このシステムは地方空港ですでに使われていて、荷物の遅延が激減したと評判も良い。

それを知った岡部が「うちの物流センターにも導入してくれ」と言ってきた。導入費用は五百万。岡部はいつものように相場の半額以下でやらせようとしてきたが、俺と佐々木はそれを断固として突っぱねた。さすがにもう技術の安売りはしたくなかった。かなり揉めたが、こちらとしても妥協できる五百万という契約に持ち込んだ。ただ、岡部の強い希望で、この契約は導入前日の最終調整で双方が合意して支払われるという形態になってしまった。とはいえ、お互い導入を目指して進めているし、途中で様々な確認もしている。まさか反故にするとは思わなかった。

佐々木は「岡部のことだ。何か仕掛けてきそうな気がする。まあ、その時は俺がなんとかするから」と心強い言葉をくれ、万一に備えてボイスレコーダーを持たせてくれていた。

そして迎えた導入前日。岡部に立ち会ってもらい、俺は最終調整を行った。元々あったシステムを一時的に切り替えてテストをする。

「完璧だ」

俺が呟くと、岡部は「思ったよりも効率が上がっていないな」と顔をしかめた。俺から見れば目に見えて速度も上がっているし、どこに文句があるのか分からない。嫌な予感がして、俺は佐々木に持たされていたボイスレコーダーの電源を入れた。

「気になる点があれば、今この場である程度調整はできますが」

俺がそう言うと、岡部は「じゃあ、スピードは今の倍にしてくれ」と無理難題を突きつけてきた。

「さすがにそれは無理です」

俺が答えると、岡部はつっかかってきた。

「お前、下請けだろ。ちゃんとやれよ。空港のシステムに採用されたからって調子に乗ってんのか」

俺は呆れて、今まで言わずに溜め込んでいた鬱憤を口にした。

「そんなわけないだろう。仮に俺がこれを完成させなければ困るのは誰だよ。うちは他にも取引先はあるし、困っていない。昔のよしみでお前のわがままもなるべく聞いてきたけど、さすがにこれ以上は聞けない」

岡部の表情が明らかに不機嫌になる。ため息をつき、口を開いた。

「うるさいな。お前みたいな弱小企業、やろうと思えば潰せるんだぞ」

反論しようとした俺を静止し、岡部はにやりと笑った。

「そういえば、予算が変わったんだ。五百万は高すぎるからな」

俺は「え?」と聞き返した。岡部は「予算がないから、導入費用は十円でいい」と言って笑う。

「冗談だろ」

俺が呆れてそう言うと、岡部はまたにやりと笑った。

「冗談でそんなこと言うかよ。同級生割引ってことでさ。嫌なら、設備を全部持ち帰ればいいだろ」

俺は完全に頭に来た。こいつとの縁もここまでだ。深いため息をつき、それから「いいんですね」と念押しした。口調を丁寧なものに切り替えたのは、同級生としてではなく、ビジネスモードにしたかったからだ。

「まあ、このシステムは前の状態に戻す。あとは現場の人間が効率よく動けばいいだけだ」

岡部は涼しげな表情で笑って、その場を後にする。

岡部が去った後、俺はすぐに佐々木に電話をかけた。

「佐々木、読み通りだ。岡部が無理難題を突きつけてきたよ。予算がないから十円だってさ」

電話の向こうで、佐々木は呆れたような、それでいてどこか楽しそうな声を出す。

「救いのないバカだな、あいつは。よし、予定通り、最終検査不合格による現状回復として動くぞ。書類は俺が全部用意してある」

実は佐々木は、最初からこんな助言をくれていたのだ。

「岡部は必ず最後の一歩で無理な要求を吹っかける。その瞬間に契約を破棄できるよう、合意に至らない場合は即日、乙の所有物を全て撤去し、これを拒むことはできないという一文を忍ばせておけ」

俺はさすがだと思い、その通りに契約書へ書き込んだ。

夜の二十二時、物流センターには岡部の部下がいたが、みんな俺を気の毒そうな顔で見る。だが誰も何も言ってこない。岡部は「使えない部下は徹底的に追い込んで自主退職させる」と言っていたこともあるので、ここにいる部下たちも自分の身を守るので精一杯なのだろう。

「そろそろ定時なんで」

そう言って部下たちは現場を後にした。オートロックなので、片付けて出れば施錠されるし問題ない。ただし、深夜になるとセキュリティが作動するので、それまでには出るように言われた。

岡部の部下の一人が、小さく「すみません」と呟いたような気がした。気のせいだろうか。

部下たちが出ていった後、俺は佐々木が手配してくれた運搬業者を現場に呼んだ。俺は「ここからこっちは、全て運び出してください」と指示する。業者の手際は良かったが、時間がない。メインサーバーは重量があり、慎重に運び出す必要がある。無数のケーブルも丁寧に外していく。あと一時間でセキュリティが作動する。汗が止まらなかった。

岡部は「システムを戻すだけ」だと思っているようだが、実は俺はシステムの他に、メインサーバーや特殊センサーを持ち込んでいたのだ。つまり「全て回収」というのは、これらの装置も全て持ち帰るということだ。岡部には持ち込みの許可は取っていたが、まさかこうなるとは思っておらず、契約に至らなかった場合にこれらを持ち帰ると念押しはしていなかった。とはいえ、これらは全て俺の所有物だ。導入が決まれば買い取ってもらう予定だったが、契約不成立なら当然持ち帰る権利がある。俺は岡部の言葉に従っているだけなので、何ら問題はない。

二十三時五十分。最後の機材を積み込んだ。間に合った。俺はなんとかその日のうちに設備を回収した。

翌日、俺が事務所にいると岡部から連絡があった。ちょうどその時、佐々木も事務所に来ていたので、スピーカーにして通話をした。

「お前、うちの設備を持って帰るとはどういうことだ? 全て持ち帰れとは言ったが、うちの設備まで持ち帰るなんて、ただの泥棒だぞ」

俺は躊躇なく答えた。

「何を言ってるんだ? 持ち帰ったのはうちの特許システムと、それに付随するメインサーバーやセンサーだ。俺が持ち込んだものなので、もちろん回収した。元々あったサーバーもセンサーも、置いてある。そっちの持ち物は何も持ち帰ってない。ただ、今そこにあるものはシステムもないから、鉄くず同然だな」

「前のシステムに戻せば、すぐ使えるんじゃないのか」

岡部は焦った声で「前のシステムに戻すにはどうしたらいいんだ」と言ってきた。

「はあ? そんなのは俺の業務の範囲を超えている。元に戻せというのなら、その分の費用は別途発生するが」

俺がそう返すと、岡部は「ふざけるな。これじゃただの業務妨害じゃないか」と叫んだ。

俺は鼻で笑う。

「何言ってるんだ? 導入費用を十円だとかふざけたことを言って、嫌なら設備を持ち帰れと言ったのはお前だろ。自分の言葉に責任を持てよ。それに契約書をよく見てみろ。合意に至らない場合は全て撤去することも記載してある。そもそも、導入に向けて動いていたのに予算がないとかふざけたことを言ってきたのはお前だろ。うちは別に、お前のところとの契約がなくても何も困らない」

そこまで言うと、岡部はついに返す言葉を失ったようだ。「でも」と言いかけたが、その後の言葉は出てこない。

「要件が済んだなら、切らせてもらう」

俺がそう言うと、岡部は泣きついてきた。

「今日の夕方に本部の人間が見察に来るんだ。昨日あんなこと言ったのは謝るよ。ちょっとむしゃくしゃしてて、お前に当たっただけだ。お前には何を言っても、俺のことを助けてくれると思ってたんだよ。だって大学時代からの仲間じゃないか。今すぐ設備を戻してくれ。もちろん導入費用は契約通り支払う」

後で聞いた話だが、この見察は一ヶ月前から予定されていたらしい。岡部は俺のシステム導入を本部に自慢していたようだ。それが裏目に出た。

俺が呆れていると、佐々木が口を開いた。

「バカかお前は。そうやって池田を下に見てるからバチが当たったんだろ。自業自得だ。後のことは自分でなんとかしろ」

「佐々木、どうしてそこに……」

岡部が驚くと、佐々木は淡々と答えた。

「知ってるだろ? 俺は池田の会社の顧問弁護士だ。ここにいるのは何の不思議もない。お前は大学時代のよしみだと上で仕事を引き受けてくれている池田に、ひどい扱いをした。これ以上池田に頼ったところで、池田には何の義理もないんだよ」

そう言って、佐々木は電話を切った。

するとしばらくして、岡部からメールが来た。「今日の十七時に見察が来るから、その時間に来てくれ」という内容だ。

「これに間に合わせろじゃなくて、この時間に来てくれって……何か企んでるのか?」

俺が眉間に皺を寄せると、佐々木は笑った。

「面白そうじゃん。行ってみようぜ」

まあ、佐々木が一緒なら心強い。俺も事の顛末が気になるので、行ってみることにした。

十七時、佐々木と物流センターに行くと、岡部が部下たちと立っていた。そのすぐ後ろから数人の人間がやってくる。本部の人たちのようだ。その中の一人が「どういうことだ? 何も変わっていないじゃないか」と言うと、岡部は困った顔をして俺を指さした。

「そうなんですよ。こちらに頼んでいたのですが、期日までにできないと言いまして」

「は?」

思わず声が漏れる。本部の人間たちが一斉にこちらを向いた。岡部の部下たちは申し訳なさそうに視線をそらす。

「どういうことです?」

そう言われたので、俺は口を開いた。

「昨日の時点で完成していたのですが」

すると、そこで岡部が大きな声で遮った。

「こっちの要望を満たしていなかったんだろ。責任を放棄しやがって」

そういうことか。岡部が俺をここに呼んだのは、こうして全ての責任を俺に押し付けるためだったのだ。

そこで佐々木が「池田、これ」と言って、ボイスレコーダーを差し出した。実はあの時、佐々木のアドバイスもあり、岡部と話すタイミングで録音をしていたのだ。俺は「でしたら、こちらに事実が記録されています。聞いていただけますか?」と本部の人たちに向かって再生ボタンを押す。

不思議そうな顔をしていた岡部は、再生された声を聞くや否や、顔から血の気が引いた。目が泳いでいる。本部の人間たちは凍りついたような顔で録音を聞いていた。そして岡部を見る目が、氷のように冷たくなった。

「これは……岡部君の声だな。予算がないから十円。設備を全て持って帰れ。なんてふざけたことだ。これは我々の信用にも関わる」

本部の人が声を上げると、岡部は青ざめたまま叫んだ。

「違います。私はこんなことは言っていません。音声を合成でもしたんでしょう」

しかし、岡部の部下が口を開いた。

「すみません。もう黙っていられません。昨日、岡部部長が言っていました。私たちはその現場も見ています」

その言葉を聞いて、岡部は「お前ら、私を裏切るのか」と言ったが、本部の人たちに「事実を確認する必要がある」と連れられて行ってしまった。

佐々木が「情けない姿だな」と笑うので、俺も思わず笑ってしまう。岡部の部下は「池田社長、申し訳ありませんでした」と謝罪してくれた。部下たちは岡部の対応が良くないと思っていたが、何か言えば左遷や首にされることもあると思い、何も言えなかったという。

その気持ちも分かるし、俺はこの人たちに恨みはない。俺たちはその場を後にした。

後日、岡部の後任になった元部下が「どうしてもうちのシステムを導入して欲しい」と申し出てきた。前回の撤去にかかった費用も導入費用も支払うということで、佐々木の立ち合いのもと正式に契約をした。

その部下によると、岡部は損害賠償を請求され、左遷されたという。家も売ったらしい。転任先は、岡部が嫌っていた田舎町だったそうだ。「あんな人付き合いも面倒で交通の便も悪いところに行くなら、こっちから辞めてやる」と周りに言っていたらしいが、結局転職先も見つからず、生活に支障が出ると移動を受け入れたのだという。

「なんだか惨めだな」

佐々木が息をついて言う。俺は苦笑いするしかなかった。

その後、正式に受注して再度特許システムを導入した。お披露目の日、前回来ていた本部の人たちも来て、「これはすごい」と拍手喝采だった。俺の名誉も傷つけられず、岡部のような無理難題を押し付けられることもない。今では良い取引ができている。

仕事を終えて事務所に戻ると、佐々木がやってきた。手の中のビニール袋を机の上でひっくり返す。

「なんだよ、チョコか」

俺が呆れて聞き返すと、佐々木は笑った。

「十円で買えたチョコ。ほら、この間岡部に導入費用が十円って言われただろ。十円で何が買えるかなと思って店で見てたら、このチョコがあって、思わず衝動買いしちまった。これ、うまいんだよな」

俺はその言葉に思わず吹き出した。そして佐々木の肩を叩く。

「これからも頼むぞ」

佐々木も笑いながら、大きく頷いた。

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