運行部長の俺、原は五十二歳。中学を出てすぐこの運送会社に飛び込み、倉庫係から長距離ドライバー、整備係、営業所長を経て今の地位まで這い上がってきた。中卒の俺が部長になれたのは、事故を減らし赤字を黒字に変えた実績を社長の早川が評価してくれたからだ。今でも毎朝車庫と積み込み場を回り、前日の日報と実車を見比べる。数字だけでは見えない現場の歪みを、この目で確かめるためだ。
そんなある日、大手食品メーカーとの過去最大級の配送契約が決まった。地域ごとに複数の運送会社が割り当てられ、俺たちには大きな区域が任される。車両の配備や配送順を決める運行計画は、高学歴のエリートばかりを集めた物流改革チームが担当していた。リーダーの堀内を筆頭に十二人のチームは、新しい会社システムにも精通している。ただし彼らは俺の直属の部下ではなく、社長直轄のプロジェクトチームという立場だ。運行計画に関してだけは、俺が事前に確認して承認する権限が与えられていた。
堀内たちは経営会議で車両を三割減らしても契約を履行できると説明し、経営陣から高い評価を得たと聞いている。だが早川は最終承認の前に、運行部長として正式な事前確認を行うよう俺に命じていた。実際に回れるかどうかを確認するには、積み込み順、走行ルート、一車両あたりの担当店舗数が分からなければどうしようもない。俺は堀内に作成途中の資料でもいいから出してほしいと頼んだが、彼は首を振るばかりだ。完成してからまとめて提出する、部分的な提出では整合性が取れない、道路条件と納品時刻の資料だけでもと言っても連動しているので難しいと、拒否の理由だけが増えていく。
理屈は最もらしい。だが断る理由を並べる堀内の目は、一度も俺を見なかった。中卒の部長に見せたところで理解できない。その顔に書いてあった。彼らにとって俺の確認は、通過するだけの形式的な手続きに過ぎない。だから資料を出さない。見せる相手だと思っていないからだ。そうこうしているうちに提出はどんどん延びていき、中には難しすぎて読んでも分からないと思いますと直接言ってきた者までいた。このままでは運行開始に間に合わない。確認できない計画に俺の部下を乗せるわけにはいかない。俺は早川に状況を伝え、資料の提出期限を正式に設定してもらった。
期限当日の夕方、ようやく届いた計画書。できる限り確認の時間を与えたくなかったのだろう。だが、俺は数字と実車を突き合わせる仕事を三十年やってきた男だ。過去の日報と納品先の注意事項を並べ、店舗ごとの到着予定時刻を計算していく。すると、あることに気がついた。計画では一車両が午前中に回れる店舗数を出す際、搬入口が空くまでの待ち時間と、法律で義務づけられた運転手の休憩時間がまったく計算に入っていなかったのだ。待ち時間は日報に記録が残っている。休憩は法律で取らせなければならない。どちらも入れられるか入れられないかを選ぶ数字ではない。実際に必要な時間を加えれば、予定された台数では最後の店舗まで届けられない。車両を三割減らせるという計画の根本に、重大なミスがあった。
翌朝、俺は堀内を呼び出し、日報と計画書を机に並べた。この店は日報では平均二十分の待ちがある。だが計画ではゼロ分だ。それにどの車両にも休憩の三十分が入っていない。休憩は法律上の義務だ。抜かれば違反になる。この二つを足せば、一車両あたり午前中に二店舗回りきれなくなる。どういう計算だ。堀内は日報を見ようともしなかった。会社システムには全体の余裕時間が組み込まれています。個別の待ち時間を入力する設計にはなっていません。現場の遅れはその余裕の中で吸収できます。余裕時間はどこに何分ある。計画書のどの欄だ。数値としては明示されていませんが、システム全体の設計思想として折り込まれています。数字を聞いているのに思想が返ってくる。書いていない数字は、ないのと同じだ。では休憩はどうする。法律の義務だぞ。運転手が各自空いた時間で調整すればいい話です。そこまで計画に書き込むのはシステムの仕事ではありません。
つまり、知らずに抜いたのではない。知った上で入れなかったのだ。入れれば三割削減が成り立たないことも、おそらく分かっている。待ち時間と休憩はシステムの問題ではなく現実の問題だ。計画書に数字がなければ、ドライバーが速度を上げて帳尻を合わせることになる。事故が起きてからでは遅い。堀内は初めてまっすぐ俺を見た。はっきり言わせていただきますが、中卒の部長がこのシステムを判断するのは難しいと思っています。数字で答えられなくなった人間は、最後に相手の学歴を持ち出す。中卒という言葉なら何度も聞いてきた。倉庫で荷物を担いでいた頃も、初めて長距離トラックに乗った頃も、そう言ってくる人間は必ずいた。俺は侮辱には触れず、ミスがある計画は通せないとだけ告げ、確認権限で計画を差し戻し修正と再提出を命じた。その瞬間、堀内の顔から熱が消えた。もう我慢できません。中卒の部長とはこれ以上働けない。十二人全員、ライバル社へ転職します。そう言い残して、彼は背を向けた。
しばらくして、十二人のチーム全員が退職届を手に現れ、俺を嘲笑いながら机の上に置いていった。一番若い一人だけが俺と目が合うと、視線を伏せた。俺はそれらを受け取り、その足で早川の元へ向かった。計算ミスの内容、差し戻しの根拠、彼らが退職を選んだ経緯を順に説明する。早川は黙って聞いていた。そして言った。君の確認内容は正しい。退職届は裁量権を持つ早川が受理することになった。報告を終えて部署へ戻ると、堀内たちがサーバー端末の前に集まっていた。配送計画のデータを外付けの記録媒体へ移そうとしていたのだ。それは会社の業務として作成した資料だ。社外へ持ち出すことはできない。私たちが作ったものですよ。そうだとしても就業規則で禁じられている。それを告げると、彼らは黙って手を止め、記録媒体を机の上に残した。立ち去る間際、堀内は俺に目も合わせずに言った。私たちがいなければこの契約は回らない。それがいずれあなたにも分かりますよ。
しばらくして積み込み場の方から三浦が歩いてきた。後ろに数人の顔が見える。運転手、倉庫担当、整備係。みんな俺と同じ中卒だ。三浦が俺の前に立った。堀内さんがやめることを聞きました。三浦は、堀内たちが一緒にライバル社で働こうと誘ってきたと話す。堀内は俺をよほど潰したいらしい。俺の部下たちまで引き抜こうとしたのだ。三浦は続けた。ですが俺たちは断りました。計画は頭で作るが、走らせる手足はいる。そういう誘い方でしたし。部長覚えてますか。俺が若い頃、荷崩れを起こして商品をダメにした時、部長は荷主に頭を下げてから、俺と一緒に夜中まで積み直してくれた。ついていく理由なんてそれで十分です。三浦は息を吸い、まっすぐ俺を見た。僕たち中卒軍団は残ります。後ろに並んだ全員が俺を見ていた。不安がないわけではないだろう。過去最大の契約を前に、計画を作る人間が十二人も消えたのだ。それでも全員がまっすぐ俺を見ている。車庫で何度も顔を合わせ、実車を覗き込んできた目だ。俺がどう動くかを、こいつらは知っている。かけるべき言葉は一つしか浮かばなかった。ありがとう。俺はそう言って、頼もしき中卒軍団に目を細めた。
翌日、俺は残った社員を集め、計画を一から作り直すと伝えた。最初に確認したのはサーバーに残された堀内たちの計画だ。配送順と車両台数はデータとして残っている。だが、なぜその道を選び、待ち時間を何分と見たのか。判断の根拠はどこにも残っていなかった。このままでは十二人以外の誰にも直しようがない。俺は同じことを二度と繰り返さないと決めた。計画は一部の人間だけが扱うものにはしない。ドライバー、倉庫担当、整備係、そして過去の配送で実際に起きたことを聞いて回った。ある運転手が地図を広げた。地図では通れますが、朝は対向車が増えて、大型では曲がれない交差点があります。三浦は積み込み表を持ってきた。重い箱を先に積むと、納品の順番で荷物を動かす店があります。順番を入れ替えれば途中で積み直さずに済みます。整備係は渋滞の中を長く走らせると冷却装置に負担が出ると言い、連続走行の時間も計画に入れようと求めた。整備係は三年分の日報から店舗ごとの待ち時間の平均を拾い出した。全てをシステムに入力できる条件を洗い出し、誰が確認し、何を根拠にしたのかも残す。結果ではなく、結果に至った条件を誰でも確かめられる形にした。
必要な条件を入れて計算し直すと、改めて堀内たちが示した台数では足りないという結果が出る。だが足りない分を全て新しい車両で補う余裕はない。そこで全ての地域へ一斉に車両を出す方式をやめた。大型車で地域ごとの中継地点まで運び、そこから小型車に積み替える。狭い道路には大型車を入れず、走る距離も短くする。午前中だけ使える協力会社の車両も予備に確保した。計算の上では運行できる計画になった。だが書類の上で成立することと、実際の道路を走ることは別だ。俺は正式な社内承認を求める前に、大手食品メーカーの荒木へ現状を伝えるべきだと判断した。元の計画に重大な誤りがあり、確認権限で差し戻したこと。作っていた十二人がその後に退職したことを、隠さず電話で伝える。荒木は声を落としていった。正直に言えば、かなり不安ですね。最もだと思います。だからこそ今お話ししています。俺は数字を挙げて誤りの中身と立て直しの方法を説明し、正式な運行の前に試験配送をさせてほしいと頼んだ。荒木はしばらく沈黙した。わかりました。試験配送を認めます。結果を見て判断します。
試験配送の朝、俺は三浦と共に積み込み場に立ち、荷物の重さと納品順、下ろす順番を一台ずつ照合した。運転手たちに言った。今日は遅れが出ても構わない。速度を上げて取り戻そうとするな。休憩もきちんと取ってほしい。無理をして走るようなら、それは計画の方が間違っている。止まった理由が次の計画を作る。全部報告してくれ。無理をしなければ成立しない計画では、堀内たちの計画と何も変わらない。試験が始まった。ある店舗の搬入口に別業者の車両が長く止まっていたが、店舗ごとに大まかな配送順を決めておいたことが生きた。整備係が別の店舗の早い受け取りを確認し、運転手は順路を変える。午後には冷凍車で警告表示が出たが、整備係の判断で予備車へ積み替え、全ての商品を安全に届けた。試験終了後、運行の一部始終を全て記録した。誰が判断し、何を根拠にしたのかも残す。荒木は二度目、三度目の試験を認め、見直しの度に配送時間のばらつきは小さくなっていった。荒木は記録を見ながら言った。問題が一度も起きないと主張する計画を、現場を長くやっているほど信用しなくなる。あなたたちの計画の方が信用できると判断しました。
延期されていた社内最終承認会議が開かれた。三割の削減には届かないが、無理な運行を避けて契約を履行でき、待ち時間の削減で一定の利益も確保できる。早川と経営陣は計画を承認し、荒木も正式運行を認めた。俺たちは車両を三割も減らせなかった。だが違算や取り違いを起こさず、運転手が休憩を取れる状態で配送を続けたのだ。数ヶ月後には、無理のない範囲で使用車両と経費も減り始めた。一方、俺は荒木を通じ、堀内たちがライバル社の新設物流センターで責任ある立場に着いたと耳にした。車両を三割削減できる方式を作った専門チームとして、ライバル社へ自分たちを売り込んでいたという。そして正式運行から半年ほど経った頃、荒木から緊急の連絡が入った。荒木の会社がライバル社へ任せた地域で、配送に大きな遅れが出ているという。緊急の会議を開きます。原さんも出席をお願いできますか。以前御社でも堀内さんたちの計画に同じ問題があったと伺っています。その経緯も判断の材料にさせてください。電話を切った俺は早川に全てを報告した。早川は社を代表して俺に出るよう命じた。経緯を一番正しく話せるのはお前だ。必要な記録は会社として提出していい。俺は届かなかった資料請求の履歴、期限当日の提出時刻、差し戻した記録を早川の承諾を得て揃えた。
翌日の会議室には荒木、ライバル社の経営陣、そして堀内たちが並んでいる。荒木は調査のために提出させた当日の配送記録と、配送前に現場から出ていた報告書を全員へ配った。俺は堀内に中卒と見下された日を忘れていない。だが今思い出すべきはそれではない。運転手が止まり、商品が遅れ、店が困っている。その理由を誰が見ても分かる形にする。それだけだと自分に言い聞かせた。堀内が先に口を開いた。今回の混乱は運転手の対応のばらつきと店舗側の受け準備の遅れによるものです。計画そのものは正しく設計されていました。現場が計画通りに動かなかった。それだけのことです。俺は息を整え、報告書を手に取った。現場からの報告書を見てください。大型車が搬入口で切り返せないこと。朝の渋滞。積み込みの順番。休憩時間が足りないこと。配送が始まる数日前に、現場から声が上がっています。堀内は資料を見て口調を変えた。現場の懸念は把握していました。ただ個別の報告を全て入れれば計画そのものが成立しない。最適化の判断として、その報告を外しました。外したのなら話は逆だ。現場が計画通りに動かなかったんじゃない。あなたが計画から外した。現実の通りに現場が動いただけだ。俺は堀内たちがうちの会社にいた頃の記録を出した。あなたは車両を三割減らせる方式を作ったチームとしてライバル社へ行ったはずだ。その三割は今あなたが外したと認めた条件を計画から抜いて、初めて出る数字だ。搬入の待ち時間、渋滞、積み替え、休憩。正しく入れれば三割には届かない。私は自分で計算し直して、実際に届かなかった。堀内は口元を動かしたが、声として何も出てこない。会議室が静まり返った。誰も堀内を見ていない。資料をめくる音だけが乾いた音を立てていた。俺は続けた。直せば三割は崩れる。三割が崩れれば売り込んだ実力も崩れる。あなたが守ったのは計画じゃない。その数字が崩れたら危うくなる、自分の立場だ。堀内の顔から血の気が引いていく。俺は堀内の隣に座る経営陣の方へ資料を向けた。皆さんが承認した計画には、この現場報告が最初から入っていません。外したことも外した理由も記録にない。報告を軽く扱われたのは運転手と店舗だけじゃない。この計画を通したあなた方も、知らされていなかったんです。経営陣の一人が計画書をめくり直し、変更履歴の提出を求めた。堀内への信用が音を立てて剥がれていく。堀内の口は、閉じることさえ忘れたように開いたままだった。
会議後、荒木から頼まれたのは翌日からの配送を止めないことだった。俺はまず、全ての遅れをすぐに消すことはできないと断りを入れる。試験で積み上げた中継地点、予備車両、店舗ごとの条件と変更を共有する仕組みを使い、今動かせる便数と現実に届く時刻だけを荒木へ示した。我が社の社員たちはその計画の通りに動き、翌日には大半の遅れを解消して通常の配送へ戻した。ライバル社の処分が決まったのは、しばらくしてからだ。荒木から聞いたところでは堀内の配送計画は破棄され、ライバル社には損失の保証が求められた。十二人の役職と待遇は見直しに入ったという。ライバル社の地域の配送も、うちへ正式に切り替えられる。ある日、三浦たち中卒軍団が車庫で俺を待っていた。部長が俺たちの声を一つずつ拾ってくれる。だから現場も腹を割って話せるんです。道を走るのも荷を運ぶのも、結局は人だ。現場の声を取り上げ続けること。それだけは手放してはいけない。そう思う。
