「うちはね、業界トップなわけ。ダさいやつなんて入れるわけにはいかないんだ。とっとと出て行ってくれよ」
面接官の男は、自分の派手な服装をひけらかすようにして、俺をそう言い放った。俺が憧れていた業界トップ企業の最終面接。そこで俺を面接したのは、デザイン部門を統括するトップデザイナーだった。
「僕はもう面接をやめたいんだよね。君みたいな人取りたくないからさ。さあ、早く帰った。帰った」
追い立てられるようにして部屋を追い出され、面接は強制終了。夢への道を断たれた俺は、呆然とその結末を受け入れるしかなかった。
その翌日、俺の目の前には、顔面蒼白になり崩れ落ちた面接官の姿があった。
俺の名前は本条渡る。二十六歳にして就職を志す独身の男だ。母子家庭育ちの俺は、すごい人と言われる母の影に隠れながら生きてきた。俺の母は二階道子。世界をまたにかけて活躍するデザイナーで、二十歳で世界に飛び出してから業界の第一線で活躍している。父は早くに亡くなったが、有名で稼ぎのいい母のおかげで、俺は苦労せずに育ってきた。大学まで出してもらっていたが、俺はあまり真面目に母の話を聞いてこなかった。
そのわけは母にあった。母は俺に、自分と同じ道を選ぶよう熱心に勧めていたのだ。
「デザインとか、物を作ることとか、集中を味わえることを仕事にしてみたらいいと思うの。仮にデザインを仕事にするなら、私が手ほどきするから」
「いや、そんなこと言われても。自分のしたいことぐらい、どうにか決めるよ」
情熱的に自分と同じ道を進める母に、俺は戸惑いながらも、恰好をつけた答えを返していた。しかし当時の俺には大した目標も夢もなく、なんとなく大学に行っただけ。可もなく不可もなく文学部を選んで西洋文学を学び、大学生活を終えた。
学生時代には就活もしたが、目標のないまま闇雲に突っ走っただけで全敗。自動車メーカー、建設業、通信関連などなど。今考えれば、母から遠く離れたい、母の影響のなさそうなところへ行きたいという反発心が招いた、一貫性のない就活だったと思う。そうして俺はひたすら応募しては面接でしくじり、内定を得られないまま大学を出た。
この先どうするか。ひとまずバイトは決めていたが、何かをしたいともがき、家から離れたいと望むようになった。その結果、気づけば海外に放浪の旅に出ていた。貯金をはたいて、行ってみたい国を回る生活をしたのだが、ある時、ヨーロッパの小国で、母のデザインした服が飾られた小さな店を目にした。
ああ、そうか。こんなところでも。
母の作品との思わぬ出会いに、俺は素直に関心していた。小さな国の小さなブティックで、母の服は良さを認められて飾られている。その事実に衝撃を受けた俺は、生まれて初めて母の勧めを素直に聞く気になった。
慣れるかどうかは分からない。それでもデザイナーを目指してみたい。
「それならすぐにでも行動しなさい。何でもいい。服飾業界を選んでも、働きながら学校に通ってもいいから」
放浪の旅を切り上げ、帰国した俺は母にデザイナーになる夢を伝えた。時間がかかってでもデザイナーになりたいと打ち明け、アドバイスを求める。すると母は、自分の力でどうにかすることを前提に手を貸してくれた。アパレルブランドへの就活と服飾系専門学校夜間部への進学。具体的な道筋を提示して、俺の二度目の就活を見守ってくれた。
「今日は面接なんでしょ? このスーツを着たらどう?」
「これか? いいね。渡るにも似合うのよね」
就活をする中で俺が最も憧れたアパレルブランドの最終面接の日。身支度をしようとしていた俺に、母が一着のスーツを持ってきた。そのスーツはダークグレーのツイードで、クラシカルでレトロな雰囲気と動きやすさにも配慮した一着だった。元々は母が亡くなった父に似合うスーツを思いつき、デザインしたもの。このスーツには、母が父を思う気持ちと愛情のようなぬくもりが込められていると俺は思っていた。
「今時感はなくても、味があるんだよね。俺、母さんのデザインの中でこれが一番気に入ってるよ」
母に対して複雑な思いがあった時期もあったが、今は全て認められる。母を遠ざけた自分も、母の考えも、母のこれまでの仕事も、全て。
「じゃあ、このスーツで勝負してくるよ」
スーツを着た俺は、夢のために頑張ろうと決めていた。自分が最も憧れる母に近づき、母のような人になれるように。俺はスーツにそんな望みを託し、運命の最終面接に臨んだ。
面接を前に部屋に通されると、面接官を待つ間に緊張がピークに達した。最初の就活にはなかったその感覚に、俺は自分がこのタイミングでいかに真剣なのかを思い知る。しかし、そんな緊張は面接官が登場したことで打ち砕かれた。
「ああ、どうも。ご藤です。初めまして。本条渡るです。本日はよろしくお願いいたします」
「よろしく。まあ、座ってちょうだい」
ご藤と名乗った面接官は、見たところ三十代後半。会社内での立場はデザイナーであり、ディレクターとしてデザイン部門を統括しているという。だがご藤さんは、顔に薄笑いのような余裕の笑みを浮かべて、態度は軽い。それだけで俺の気はすっと抜けてしまったが、それ以上に俺が首をかしげることになったのは、ご藤さんのスーツ姿に対してだった。
「ま、面接ってことなんだけど」
俺の書類を手に取るご藤さんのスーツの袖口から、光沢感のあるブルーのシャツの袖が見える。その上に羽織られたジャケットにも光沢感があるというか、少々ラメの入った生地が使われているらしい。ジャケットとパンツの色は、限りなく紫に近い青。それでも光の当たり方次第では紫に見えるので、どうにも派手だ。
「うちのことはどれだけ知ってるの?」
「はい。創業七十年、国内服飾業界の老舗です。始まりはテーラーからで、現在でもその流れを汲んでスーツやフォーマルのデザインと製造が盛んで、それらで高い評価を得ておられる会社です」
「ああ、まあそうだね」
形式的な自己紹介と、当たり障りのない質問と応答。それをしながら、スーツ以外のご藤さんの身なりを確認する。ご藤さんは長めの髪をオールバックにしてジェルで固めているようで、髪の毛は光を浴びて輝いていた。髪色は金髪ではないが明るい茶色で、肌はこんがりと日焼けしているらしい。指には数個の大きめな指輪がはめられ、手首には大ぶりな時計とブレスレット。実物は見たことはないが、なんとなくご藤さんの印象をホストのようだと思って眺めていた。
「ていうか君はダサいね。何そのスーツ?」
「え? ああ、そうでしょうか」
俺の視線に気づいたのかは不明だが、ご藤さんもまた俺をじっくり眺めて笑い声をあげた。俺のスーツを見て指差し、いろんな部分がダサいと言う。
「ラペルが小ぶり、カラーも低め、シルエットも小さくまとまりすぎて変だよ。なんかもう、雰囲気から何から貧乏臭くてダサいよ」
俺の着ているスーツの細部を批判し、ダークグレーも野暮ったいと笑う。正直に言って、気分のいいものではない。これも面接の一環で、俺は試されているのだろうか。そんな疑問を抱きつつ、俺はひとまず自分のスーツの良さをアピールしようと頭を切り替えた。ご藤さんが思う理想のスーツと、俺が考える使えるスーツの条件。それから何よりも、憧れの母がデザインした一着。母の名前は出さず、俺は自分のスーツの良さをそれとなくご藤さんに伝えた。
「確かに今の感覚からすると華の要素はないと思います。ただこのスーツは、ある程度ワークウェアの感覚をデザインに落とし込んでいて、それはデザイナーの考えが反映されています」
「ああ、そうなんだ」
「機能性と同時に、いつの時代にも合うニュートラルさも持ち味でして」
「だからそういうのダサいんだよね。いつの時代にも合うなんて、流行りを追うの放棄してるじゃん」
薄笑いのご藤さんは、俺の話を聞いても態度を変えなかった。それどころか、俺のスーツをダサいと指摘する瞬間には、露骨にテンションを上げている。
「可もなく不可もなく、どこにでも馴染むってのが本当にダサい感覚が反映されちゃっててさ。そういうのありえないんだよね」
ダサいを連呼して俺のスーツをこき下ろす。そしてとどめに、俺をまっすぐ見て大きなため息をついた。
「若いのに、目が真っ暗になるほど何も分かってないんだねえ」
「あの」
「自分がダサくないかどうかとか、流行りがどうなのかとか、そういうの詰めないんでしょ」
ご藤さんは俺の性格的な部分にも触れて、馬鹿にしたように笑う。さらに俺の経歴に目をつけ、海外放浪の旅について眉をひそめた。三年という旅の間、何もせず自堕落な時期だったのではないかと、俺に厳しい目を向け、履歴書を放り出すようにしていった。
「ダサいからかな。それから逃げるために海外でフラフラしたんでしょ」
「それは確かに、目標もなく何かしようと闇雲に飛び出したんですが」
「あ、やっぱりそうなんだ」
「ですが、その、その時間を過ごす中でデザインやファッションを真面目に考えるようになりました。それで途中から独学でデザインの勉強とファッションの知識を増やそうと」
「それでそのレベルか。あのね、驚愕のダサさだよ」
俺が何をどう話しても、ご藤さんは俺への見方を変えようとしなかった。ご藤さんは自分なりのデザイン論を俺に説き、流行りと自分なりの美学の融合が大事だと熱弁した。そしてその融合に必要なものこそが、かっこよさと刺激を求める貪欲さ。ダサいことは論外だと言いながら、笑みを消して眉を吊り上げた。
「それで僕はもう面接をやめたいんだよね。君みたいな人取りたくないからさ」
「あ、あの、そうされましても」
ご藤さんは面接終了を一方的に俺に告げ、食い下がろうとした俺を一喝した。
「うちはね、業界トップなわけ。そんなところにダサいやつなんて入れるわけにはいかないんだ。分かったらとっとと出て行ってくれよ」
ヒステリックに叫ぶと、俺を立ち上がらせ、帰れ帰れと追い立てて部屋から追い出す。最後の挨拶も何もないまま、俺の面接は終了した。
呆然とするしかなかった俺だが、次の行動が思いつかずに帰宅を選んだ。首をかしげながら外に向かおうとしている最中、道に迷いかけてデザイン部門のオフィスの前を通りかかった。見るともなくオフィスに目を向けると、そこは本当に会社の中なのかと思わされる、異様な空間だった。壁の色は青紫で、照明のトーンは薄暗く、BGMもかけられており、どうやらそれはクラブミュージックのようだった。海外で立ち寄ったナイトクラブか、若者向けホテルのバーラウンジ的な空間。俺はデザイン部門のオフィスと、そこに集う派手な人々の集団に圧倒されてしまった。
その驚きを引きずりながら、ご藤さんに指摘された言葉を思い返す。偶然目にしたデザイン部のオフィスと、そこで働く派手なデザイナーの姿。そして母がデザインしたダークグレーのスーツを着ている自分。それを比べて、本当に自分こそがダサい人間なのではないかと疑心暗鬼になる。
「ああ、面接はどうだった?」
「いや、まあ、なんというか、よくわからない感じかな」
帰宅すると、俺は母と顔を合わせた。面接の手応えを聞かれ、首をひねりながら悪くなかった感触を報告する。
「なんていうか、面接官の派手さと自信に圧倒されて。時代が分かってないとか、シンプルさを大事にするのはダサいとか、とにかく自分の感覚が今と合ってないって思い知らされたというか」
ご藤さんの姿と顔を思い浮かべながら、自分が面接で失った自信に触れる。
「なんていうか、それはそうなんだけど、やっぱり甘くない業界だなと思った」
母に落胆は見せなかったが、その代わりに感情を抑えて淡々と振り返った。母は俺の話を静かに聞くと、俺の肩を叩いて「次に行きなさい」と小さく言った。アパレル業界への就職を目指す本気の挑戦は、こうしてひとまず終了を迎えていた。
面接の翌日、俺はまだ呆然とした頭を抱えて、次に何をすべきか考えていた。面接のポイントが取れている会社は他にもあり、俺には本気でへこんでいる時間はない。次の面接に向けて書類を用意し直し、受ける会社についてさらなる下調べをする。そうして時間を過ごしているうち、昼過ぎに母から電話がかかってきた。
「渡る、今は家にいるの?」
「ああ、そうだけど」
「ちょうどいいわ。のね、今から昨日の面接の会社まで来てくれない? ちゃんと、何でもいいからスーツを着て」
「え、なんで?」
「申し訳ないんだけどね。それを説明している時間はないのよ。早く来てちょうだい」
母は足早に要件を並べた。理由は後で説明するからと言われ、何が何だかわからず、言葉もうまく出てこなければ動けもしない。おまけに、母がどうして自分の近くにいるのかも不思議だった。この日の朝、母は仕事のために海外に向かっていたはずなのだ。今頃海外にいるはずが、日本にいて俺に電話をしている。戸惑う俺に、母は次々と指示を飛ばした。
「会社に着いたらデザイン部のオフィスに向かって。場所は受付で聞くなりしてね」
「あ、ああ。でも」
俺が母の指示に追いつけずにいると、母は「待っているから」と電話を切ってしまった。俺はそれから慌てて支度を整えた。スーツはどうしようか迷ったが、前日のスーツを避けて別のスーツを選んだ。そして前日と同じ経路で、母に指定された会社へ。受付で自分の名前を告げてデザイン部門のオフィスに用があると言うと、俺を案内するための社員が待っていた。そこまで行ってもまだ状況を呑み込めず、落ち着かない。しかしデザイン部のオフィスに入ると、そんな気分が吹き飛んでいった。
「あれ? 昨日の奴、なんでお前がいるんだよ。昨日追い返しただろうが」
派手なオフィスに負けない、この日もまた派手なスーツを着たご藤さんが俺を見つけて絡んでくる。
「ああ、こちらに来るよう言われまして」
「はあ? なんだよ。おい、誰こいつ呼んだの?」
俺が要件を軽く口にすると、ご藤さんは正装しているらしい部下のデザイナーたちに呼びかけた。
「なんだよ、誰も呼んでないじゃんか。っていうか、お前それじゃ不審者だからな。たく、誰か警備員を」
ご藤さんは俺を睨んで舌打ちし、そばにいる大人しそうな人に警備員を呼ぶために走らせようとした。しかしそこに、ある女性が登場した。
「ご藤さん。私がその人を呼びました」
俺の背後から、母が凛とした声を響かせた。母に呼ばれたことは想定しておらず、俺は驚いてしまった。振り向き母の顔を確認したが、母は俺の視線に気づかずにご藤さんだけを見ていた。
「私が呼んだのよ」
「ああ、会長」
ご藤さんが戸惑った様子で声を漏らす。だが、そんなご藤さんに構わず母が続けた。
「それから先に伝えておきます。ここにいる男性、昨日ご藤さんが面接した彼は私の息子です」
「え、え」
「この先の話にそれを伝えないとややこしくなるかと思って」
「ああ、そうなんですか。そうですか。息子さん」
母の姿と発言に驚愕しているらしいご藤さんは、俺の身の上を知りさらに驚く。母と俺の顔を見比べ、口をもごもごと動かす。そして何度か「会長が」と呟いた。
俺が面接を受けていた会社の会長は、ご藤さんが示してくれたように母である。だが母は、実権や経営権を持たない会長で、会社の経営や舵取りは外部から招聘した社長に任せていた。母は現在、あくまでも個人で活動するデザイナー。国内の老舗アパレルブランドの会長という立場は、ある縁があって務めていた。当然俺もそのことを理解し、母への憧れを持って、母が会長を務める会社の求人に応募した。ただそこに、母の手助けや口利きは働いていない。俺は自分の意思で応募を決め、母も納得して、自分は何も手を出さないと約束していた。そんなわけで、母と俺の関係性は、どちらかが口にしなければ分からないはずだった。母は昔から旧姓の二階道子を名乗り活動していて、会社でも二階道子で通している。内部の書類にでも目を通さなければ、一見では二階道子と本条渡るは結びつかない。俺と母はそんなことを考えて、前日の面接と就活に向き合っていた。
「私は昨日、息子からあなたのことを聞きました。それからこの数ヶ月、ちょっとした調査をしていたの」
ご藤さんを睨んでいた母は、冷たい声でご藤さんに語りかけていた。
「それで昨日の話と調査の結果で分かったんです。私が聞いた情報は正しかったようね」
「情報ですか?」
「ここ最近、会社内に派手な市場を持ち込みたがる人たちがいると。自分の好きなように、自分を慕う人間を重用して、好きなようにさせていると聞いたのよ」
経営権を持たない、会社の象徴としての会長の母。しかし縁あって会長を務める会社にまつわる、芳しくない噂を聞き、母は調査を決断したそうだ。自分が人に関わり、会社を任せるために選んだ社長が、会社を私物化しているという噂。それを耳にした母は、忙しい合間を縫って調査チームを立ち上げていたようだ。そして社長が気に入って寵愛しているのが、ご藤さんなのだという。
「あなたというのも聞いて、そうだと分かっています」
会社を私物化した社長は、会社の全てを自分好みに変えようとしているらしい。会社のデザインコンセプトを華美でインパクト重視に変更し、シンプルかつ素朴で機能性を追求するという昔からの指針を撤廃した。そして自分の下で働く社員にも、華やかさや派手さを求めた。派手な服装を持ち、趣味もそのままの人たちを揃え、採用する。そんな社長の方針に沿って招かれたデザイナーこそがご藤さんで、社長の寵愛を受ける彼は、今やデザイン部のエースにして王様として、好き勝手に振る舞っているという。その影響は会社の経営状況にも反映されていた。最近では昔からのブランドファンが離れて、売上が落ちている。急激かつ過激なブランドコンセプト変更に、ファンが驚き、拒否反応を見せているのだ。新しい客層もいいとは言えず、先行きは不透明。
「社長を選んだのは私です。なのでこれまでこらえるしかないと思っていましたが、それは違うと考えを変えました」
母は静かにそう切り出し、自分がこの場にいる意味を明かした。大切な会社を守るため、一大決心をしてここにいる。出張の予定を変更し、大仕事の前に目の前の難問を片付ける。
「今のままを許せば、私はこれからの人生で大きな後悔を抱えてしまいますからね」
「ああ、あの」
母に睨まれたご藤さんが、うろたえた顔で弱々しく漏らした。だが息を整えると、目を見開いて母に向き合った。
「そう言われましても。会長が私をここから追い出そうというのも、無理があるかと思いますが」
ご藤さんは、自分は会社から守られているという話を始めた。会社を取り仕切る社長が自分の才能を信じて認め、会社全体もその意識を共有している。現在会社を動かす上層部にいるのは、社長やご藤さんと考えを同じにしている人たちばかり。私の処遇や身柄がどうと言いたいようですが、それを騒いでも会長の一人相撲になるだけですよ、とご藤さんは含み笑いを滲ませていた。もし仮に母が役員会議を招集して社内の問題を解決しようとしても、役員たちは聞く耳を持たない。社長もそうだが、自分たちの信念に基づいて会長を拒絶する。
「そんな無駄なことはなさらないでください。会社はこの先、私がいれば持ち直して、さらに成長しますから」
ご藤さんは高笑いを響かせ、母の前に立った。最初の動揺が嘘のように自信満々の様子。そんなご藤さんに、母は白けた顔を見せて言った。
「あなた、私が衝動的に動いていると勘違いしてるのね。ここまで何を聞いていたの?」
「何をと言われても」
「別に私は、怒った勢いで行動を起こしたわけじゃないの」
半笑いでご藤さんに小ばかにされた母は、丁寧に説明しながら一人の男性を呼んだ。
「ご藤さん、あなたがこの方を存じ上げているのかは知りません。なので私から紹介を。この方は、この会社の大株主の伊藤さんです」
「あ、ああ、そうだったんだ」
「え、なんだよ」
母がご藤さんに紹介した伊藤さんという男性の姿を見て、最初に反応したのは俺だった。高齢の男性だが身に隙はなく、背筋も伸びている。眼光は柔らかいが、どこか厳しい。俺は伊藤さんという人物を、祖父の友人として知っていた。俺の祖父は、今母が会長を務める会社の創業者なのだが、母によると伊藤さんは祖父の企業を支援した人物なのだそうだ。かつては繊維関連企業の社長としてアパレル業界で名はせていた。祖父は俺が生まれた頃に会社の経営から退いた。グループ企業を設けるほど会社が大きくなり、祖父は自分の能力に限界を感じたそうだ。後継に考えていた俺の母、祖父の娘がデザイナーとして成功していたこともあり、祖父は創業者として潔く引く選択をした。こんな祖父の決断と同じタイミングで、伊藤さんは祖父の会社の大株主に。株主の意見番として、祖父の思いを代弁する存在になってくれたと母が説明する。祖父が亡くなり会社にいくつかの節目が訪れた時にも、伊藤さんは尽力してくれた。創業者の家族から会長を、という考えを打ち出したのも伊藤さんで、母が現在会長しているわけというのはそういうことだった。
「この会社が業界と服飾の世界でどのような役割を果たしてきたのか、私は長年それを見てきましたよ」
母によって表に引き出された伊藤さんは、ご藤さんが取り仕切るデザイン部のオフィスをぐるりと見回し、ため息をついた。
「このような感覚は、会社の風土とは違うな」
「風土ですか?」
派手な色の壁紙とBGMのクラブミュージック。オフィスにいる人たちの服装も派手でカラフル。およそ会社とは思えない様子。伊藤さんが残念そうに首を振ると、ご藤さんは笑ったまま首をかしげていた。
「私の友人でもあったこの会社の創業者は、服は生活に溶け込むことが望ましいと考えていたんだ。日常的で、仕事のためになる服。その理念に合わせたデザインを心がけるべきだと」
「ああ、そうなんですか」
「世に出す服を買ってもらえなければ意味はない。だからこそ、買う人を思いやるべきなんだ。今はそれができているだろうか。昔からのお客様は変化に戸惑い、離れてしまった。会社の成長に変化はつきものだが、顧客を放り出してはいけない。この数年のデザインの変わりようは、好ましくない変化だ」
伊藤さんはそう言い切り、ご藤さんに目を据えた。
「お客様を戸惑わせた。その責任は重いと私は思う」
伊藤さんは会社を正すと、強い言葉を口にした。自分はその考えに賛同する人は会社の外にいると付け加えて、臨時株主総会を開くとご藤さんに告げた。様々な人の思いが詰まった会社を再建するために、全ての手は整っている。伊藤さんの淡々とした口ぶりから、俺はそれを察した。そしてそれはご藤さんも同じだったのだろう。伊藤さんの覚悟を聞かされたご藤さんは、うろたえながら崩れ落ちていた。
騒動から数週間後、臨時株主総会の場が持たれた。俺は直接その場を見ることができたわけではないが、伊藤さんと母二人に賛同する株主や一部役員が主導権を握り、話が進められたことは、その後の結果で明らかだった。社長と経営陣の会社の運営方針と、会社を混乱させた責任が追求され、社長とその賛同者は会社から追放されることが決まった。ご藤さんは一社員ではあったものの、デザイン部門の私物化が問題視されて、会社から放り出された。
「これからまた一からデザイナーっていうところを歩かないといけないわね」
新社長の選定。経営陣の顔触れが変わって、新たなスタートを切った会社を見て、母はそう言った。騒動を思い返した俺は、自分が面接を受けたその日にも母の思惑が働いていたのではないかと聞いた。俺にあのスーツを着るように言ったのは、作戦の一つ。
「まあ、そういうことね」
父のために母がデザインしたスーツで面接に臨んだ俺。その日の面接官はあのご藤さん。おそらくは母は、面接を誰がするのか知っていた。
「あのスーツでご藤さんの本質を炙り出そうとしたんでしょ」
「あんなにうまくいくとは思わなかったけど」
俺の問いを認め、母は苦笑した。母は俺に面倒な役を与えてしまったと謝ったが、俺は何とも思わず首を振った。母の助けになれるなら、心配させた身としては構わなかったのだ。そして俺は今、憧れの会社である母の会社で働いている。俺の就活と夢も騒動で仕切り直しとなり、最善の機会を得たのだ。新経営陣は俺をしっかりと見定めて面接をし、会社に迎え入れてくれた。俺の面接を担当したのは母の右腕的な存在の人で、厳しくも誠実に俺を見て、際どい質問を浴びせた。俺はそんな面接を突破して、ついに夢のスタート地点に立ったのだ。会社内での立場は一般職員。母と経営陣の方針で、俺は何の特別扱いもなく会社で揉まれることになった。修行と勉強の日々を超え、俺がデザイナーとして成果を上げられるようになったのは、入社から三年のことだ。俺がデザインしたスーツが製品化され、発売日を迎えたのだ。
「これでひとまず夢が達成できたのね」
「そうかもしれない。でもまだ小さい夢だと思うよ。そう思うなら、まだ頑張らないと」
母に愛おしさを覚える。しかし同時に気を引き締め、これからも努力し続けなければと思う。母に憧れ、同じ道をたどりたいと思うが、それが叶うかどうかは自分次第だ。自分を信じてくれる母と同僚たちのために。これからも自分を信じて、勉強を続けていこうと決意した。
