私、カオル、三十一歳。二歳の娘を持つ母です。私の実母は、いわゆる毒親でした。父が亡くなってから、ひとり娘の私をひたすら縛りつけるようになったのです。髪型から下着、服に至るまで、母の好み以外は一切許されませんでした。ボーイフレンドなんて、持とうものなら大変です。友達と些細な喧嘩をしただけでも、母は相手の親や学校にまで乗り込んで怒鳴り散らすような人でした。おかげで私は友達も作れず、いつも母の機嫌をうかがいながら息を潜めるようにして暮らしていました。
転機が訪れたのは高校に入学してからです。母が職場の社長に気に入られ、再婚したのです。新しい夫を献身的に世話する母は、本当に幸せそうでした。そして母は私に言いました。父が亡くなって、この子だけは失いたくないという思いが、間違った方向へ向かってしまったのだと謝ってくれたのです。私たち親子は、父が亡くなる前のような仲の良い関係を取り戻せました。
その後、私は大学へ進み、一人暮らしを始めました。そのままその土地で就職し、夫となるエイタと出会いました。エイタは私より九歳年上の上司で、田舎に義両親を残してずっと一人暮らしをしているということでした。年齢が離れているせいか、彼は私に対して少し俺様なところがあり、プロポーズされた時には迷いました。しかしエイタは、私がこれまで母との生活で苦労してきたことを知った上で、こう言ってくれたのです。
「カオルはこれまで本当に頑張ってきたと思う。今後は俺が君を守るから、安心して結婚してほしい」
もう一つの心配だった、彼の田舎の義両親との同居についても、当分は考えていないと言ってくれました。
「いずれ同居ってこともあるかもしれないけど、問題が起きた時にはちゃんと考えるから心配しないで」
そこまで考えてくれているのならと、私は結婚を決意しました。しかし、それは大きな間違いでした。確かに義両親との同居はありませんでした。ところが、法事だの、地域の草刈りだの、清掃だの、何かにつけて呼び出されるのです。しかも必ず泊まりがけを強制され、嫌でも義両親が私のことをどう思っているのか思い知ることになりました。
義両親は初日から、いわゆる嫁いびりを始めました。「お母さん、何かお手伝いしましょうか」と聞けば、こうです。
「全く、こっちが言わないとわからないのかい。気が利かないって言葉を知らないのかね」
「お父さん、お疲れのようですね。肩でも揉みましょうか」と声をかければ、こうです。
「いらん。都会の嫌な嫁なんかに揉んでもらったら、余計に凝りが酷くなるわ」
エイタと言えば、私が何を言われていてもヘラヘラしながら、「俺の大事な嫁さんなんだから、お手柔らかに頼むぜ」と言うだけ。全然守ってくれないじゃないですか。私はすぐにこの結婚を後悔し始めました。
それでも、縁あって家族になったのだからと、私はできるだけ従順な嫁であろうと努力しました。毒親の母に育てられたおかげで、人の顔色を見て行動する癖は身についていたのです。いずれうまくいくはずだと思っていました。しかし、エイタの両親は私の母以上に毒を持っていました。エイタは義父の意見に従って都会の大学や企業に進み、当分は実家の近くに戻ることも、転職することも考えていません。それなのに義母は、自分の息子が帰ってこないのは私のせいだと思っているようで、私をひどく憎んでいました。
「あんたがうちの息子を言いくるめて、こっちに帰らないようにしてるんだろう」「隣町の東園の娘と見合いさせようと思ってたのに、こんな泡銭に引っかかるなんて」と、言いたい放題でした。それでも私はぐっとこらえて、「いたらぬ嫁ですみません。お母さんやお父さんのお気に召す嫁になるよう努力いたしますので」と、いつも従順な態度を保っていました。
しかし、それがいけなかったのでしょう。ますます嫁いびりに拍車がかかりました。特に義母は、ある日私たちを呼びつけると、私に夕飯を作らせた挙げ句、私の目の前でこう言ってペッと吐き出したのです。
「全く味が薄すぎて、まずいったらありゃしない。こんなの人間の食うもんじゃないよ」
さすがにカッとなった私は、こう言い返しました。
「お母さん、ひどいです。お父さんが高血圧だって聞いたから、わざわざ薄くしたんです」
私が初めて反抗的な態度を取ったのが気に入らなかったのでしょう。義母は怒って私の分の食事を取り上げると、庭に捨てたのです。
「お前のような生意気な嫁は飯を食うな」
あまりのことにエイタを見ると、またニタニタしているだけ。私の堪忍袋の緒が切れました。私はエイタの食事を取り上げると、義母の真似をして庭に捨てました。
「あ、あんた、何やってんだい?」
「おい、カオル、俺の飯!」
怒る義母と夫に、私はにっこり笑って宣言しました。
「人間の食べるものじゃないんですよね。エイタさんは人間ですから、食べさせるわけにはいかないじゃないですか。あ、お母さんとお父さんの分も庭に捨てましょうか。確かお二人とも人間ですよね。あ、間違ってましたっけ?」
それを聞いて、義両親も夫も烈火のごとく怒り出しました。
「俺の親に対して、何てことを言うんだ!」
「嫁のくせに生意気だ!」
「エイタ、あんたすぐ離婚しなさい!」
言いたい放題です。でも私も負けずに言い返しました。
「別に離婚してもいいですよ。でもエイタさんはもう四十歳の両親付き。こんな毒親がいたら、次の相手が見つかるんでしょうかね」
さすがにこの一言は効いたようで、義母はブツブツと「こんな躾のできてない嫁なんて」とか「母子家庭の嫁なんてもらうから」とか呟いていましたが、面と向かっては言ってきません。そこで私はダメ押ししました。
「もしこれからもそういった態度を私にするのなら、子供ができても一切合わせませんからね」
これが一番効いたようで、三人ともついに黙りました。
しかし、それから一年後、私は妊娠しました。それが女の子だとわかると、また義母の嫌がらせが始まりました。
「女なんていらないよ。どうしても生むなら離婚しろ」
離婚届を持ってきたり、発送する時点で腐っていたと思われる野菜を送りつけたりしてきました。まあ、それくらいならまだスルーできます。しかし、市販のベビー服をわざわざ真っ黒に染めて送ってこられた時には、さすがに恐怖を感じました。
そこまでされても、エイタは全く私の側に立ってくれませんでした。真っ黒に染められたボロボロのベビー服を見ても、「多分シミでもついてたから染めてくれたんだろ」と、自分の母親が嫁いびりをするなどありえないと信じ込んでいるようでした。それどころか、「本当にお前って性格悪いよな。やっぱり毒親に育てられると、何でも悪く取るようになるのかね」と、私を軽蔑するようになっていったのです。
確かに私の母は毒親でした。でも母は、私を守るために他人をわざと落とし入れるようなことはしませんでした。それに比べ、義母は愛情ゆえに私を嫌っているというより、単に私を苦しめて楽しんでいる。それなら、こっちもやり返してやろう。私は母に電話を入れました。
一ヶ月後、私は母を連れて義実家を訪れました。
「母がたまたまこちらの方に用がございまして。せっかくですから、エイタさんのお母様にご挨拶だけでもと思いまして」
驚いた様子の義母でしたが、都会の洗練された母の威圧にビビったのか、門前払いはせず、リビングへと通しました。
「お母さん、お姑さんは料理がすごく上手なのよ。私なんか、薄味すぎるっていつも叱られてるの」
義母の前で母にそう言うと、母はこう言いました。
「まあまあ、今や日本人は塩分を取りすぎだって、社会問題にもなってますのにね。でもまあ、きっと長生きなさりたくないんでしょうね。嫌な時代ですものね。ぽっくり行きたいって気持ちもわかりますわ。あ、でも病気で長い間苦しむってことになったら大変ですわね。さらに、病気になっても私の娘をこき使うなんてことはなさらないでいただけますよね。自業自得で病気になった方は、ちゃんと最後までご自分でご自分の世話をするのが筋というものですわよね」
母は義母ににっこり微笑みかけました。その言葉に引きつった義母を見た母は、さらに続けました。
「あらあら、随分シワが深いこと。私より二歳お若い六十二歳でしたわよね。やっぱり安物の化粧品しか使わないと、そんなに見苦しく老けてしまうのかしら。カオル、お母様を反面教師に、しっかりケアしないとだめよ。お母様、身を持って娘に教えてくださってありがとうございます」
またしてもにっこり。真っ赤になって怒りで震えている義母を見ながら、私は吹き出しそうでした。
その日、母に義母のことを詳しく説明すると、母の門ぺ根性が再燃したらしく、こう嬉しそうに言ってくれたのです。
「私の大切な娘をいびるなんて許せない。私がその女をいびってやるわ」
しかし、義母もやられっぱなしではありませんでした。
「カオルさんって、おく様が三十三歳の時に産んだんでしたよね。やっぱり二十代のうちに生まないと、子供に色々問題が出やすいって聞きますけど。その点、私はエイタを二十二歳で産んでますからね」
だが、やはり母の方が一枚上手でした。
「仕方ありませんわ。私、あまりにたくさんの殿方から求婚されてしまって、決めかねておりましたの。でもエイタさんのお母様は、今のご主人しかいらっしゃらなかったでしょうから、捨てられないようにって急いで結婚事実を作ったのでしょう。早い出産は当然ですわ」
私はもう我慢できず、プッと吹き出してしまいました。
さすがにここまで言われ、義母は激怒しました。母に向かって絶叫したのです。
「あんたね、何なんだい? あんたの娘が不出来だから、私がしつけてるだけだろうが!」
そこで私が口を挟みました。
「お母さん、老後はどうするつもりですか?」
「はあ? 何のことだい?」
突然の私の質問の意味が理解できず、困惑した様子で質問を返す義母に、私はこう言いました。
「お母さんはもう六十二歳。足腰にかなりガタが来てる。血圧が高いって言ってましたよね。あと五年もしたら介護が必要になりそうですけど、一体誰に面倒を見てもらう気なんですか? え? そりゃまさか、私になんて言わないですよね。というか、言わない方がいいんじゃないですか? 私、何するかわかりませんよ」
私はにたりと笑いかけてやりました。義母はようやく、自分がこれまでしてきたことが、いずれ自分に跳ね返ってくると理解したようです。真っ青になって震え出しました。
私は義母の前に離婚届を差し出しました。
「私はもうエイタと別れます。このまま母の元に帰りますので、エイタにはお母さんから説明して、離婚届に署名させてくださいね」
それだけ言うと、義実家を後にしました。
その晩、母と再婚相手の家に到着した頃、エイタから電話がかかってきました。
「どういうことだよ。俺をバカにさせる気か」
彼は叫んでいましたが、私はこう言ってやりました。
「あなたは両親のことが一番大切なんでしょ? でも私はあの二人が大嫌いなの。私に二人の老後の世話をさせて、どうなってもいいのかしら」
さすがに黙りました。しかし、また言い出したのです。
「二人とも悪気があってやったわけじゃない。お前のことを家族だと思うからこそだ」
全く私がこれまでされてきた嫁いびりを、なかったことのように言ってきます。もうこの男は救いようがありません。
「家族だなんて思っていただかなくて結構よ。離婚しないって言うなら、これまで義両親やあなたが私にしてきたこと、してくれなかったこと、全部会社にメールとファックスで送りつけてやるから」
私がそう脅すと、さすがにもう何を言っても無駄だとわかったのか、彼は一言「わかったよ」とだけ言って電話を切りました。そして三日後、エイタの署名がされた離婚届が送られてきたのです。
その後、娘の親権は私が持つことになりました。エイタは養育費と慰謝料を払うということで話がまとまりました。義両親は「嫁に一銭も払う必要はない」と大騒ぎしたらしいです。しかしエイタは、もし払わなければ私が本当に会社にばらしかねないと思ったようです。もちろん、私はそんなことをするつもりはありませんでした。彼ももう四十歳を過ぎ、近い将来介護が必要になりそうな毒親が二人もいるとなれば、私が暴露などしなくても、どんな女性と再婚しても長続きしないであろうことは明らかですから。
私は今、母と再婚相手が住む家に、娘と一緒に同居させてもらっています。母とその夫は、孫が可愛くて仕方ないようで、もし私が家を出るなんて言ったら、娘を取り上げられそうなほどです。ここはしっかり甘えながら、これまでできなかった親孝行をたっぷりしていきたいと思っています。
