公園で娘さんたちと話していたら、突然「イチゴ大福300個、全部キャンセルで」と着物の女性が叫んだ。その瞬間、店主のまなさんは泣きそうな顔で立ち尽くした。有名旅館の若旦那として、私はその場に居合わせた。まさかこの一言が、彼女の人生と、私の人生をこんなに変えるなんて。あの日、私は彼女に「全部買います」と伝えた。でもその後の展開は、想像をはるかに超えるものだった。…

公園で娘さんたちと話していたら、突然「イチゴ大福300個、全部キャンセルで」と着物の女性が叫んだ。その瞬間、店主のまなさんは泣きそうな顔で立ち尽くした。有名旅館の若旦那として、私はその場に居合わせた。まさかこの一言が、彼女の人生と、私の人生をこんなに変えるなんて。あの日、私は彼女に「全部買います」と伝えた。でもその後の展開は、想像をはるかに超えるものだった。...

でね、イチゴ大福だけどキャンセルってことでよろしく。じゃあ帰るわよ。

日高様、そんなこと。日高さんは帰ろうとする竹下という女性を慌てて止めようとする。キャンセルって、そんな三百個全部ですか

そんなの関係ないわよ。んな汚い店のお菓子をお出しするのが恥ずかしいって言ってるのよ。私に恥をかかせたいの

俺は縦石生吾。ちょうど三十年前、旅館の長男としてこの世に生を受けた。代々続く旅館の跡取り息子として小さな頃から厳しく育てられたけれど、それを嫌だと感じたことは一度もない。むしろ幼いながらもこの旅館を継ぐのは俺だという使命感に駆られ、自分の置かれた環境を誇らしくさえ思っていた。

とはいえ、まさか親父がこんなに早く逝ってしまうとは思わなかった。交通事故に遭い、親父はあっけなくこの世を去った。当時二十二歳だった俺は若旦那と呼ばれながら親父について仕事を覚えている最中だった。残された母親は最愛の夫を失い、心の中はきっと悲しみでいっぱいだっただろうが、毅然とした態度で俺に言った。これからはあなたが経営者として頑張らなきゃ。泣いちゃいられないわよ

それから八年。従業員数約百人というこの大旅館を、俺は母親と二人必死で守ってきた。幸いお客様は途切れることなく来てくださり、口コミサイトでの評判も上々。満足な笑顔で帰途につくお客様を見送る時はいつも心から嬉しく思う

だけどこの周辺も高齢化が進み、だんだんと町の元気がなくなっているような気がして、なんとなく気になっていた。地域の青年団に入っていた俺は、旅館業務とは別に街起こしイベントのサポートをしたり、地域社会に貢献すべくボランティア活動にも力を入れていた。それらは引いては旅館の宣伝にもなるし、生まれ育った町に恩返ししたい——そんな気持ちもあった

地元の名産品をアピールするために旅館の広いロビーを使って展示したり、謎解きしながらの街歩きイベントを開催した時なんかは、地元民と観光客との交流の場となり大盛況だった。今回は地元の名産品でもある餡を使ったお菓子を集めて展示する和菓フェアを開催し、旅館のお客様にも提供してアピールしようという計画を進めることになった。ため、俺は休日に地元の和菓子屋巡りをしていた

元々甘いものが大好物の俺は、機会としていろんな和菓子を買い込んだ。数々の和菓子屋の神袋を抱えて歩きながらふと見ると、道路脇の公園の桜の木が満開となっている。気分もいいし、ちょっと休憩とばかりにベンチに腰を下ろし、持っていたお茶を飲みながら一息ついた。そして脇に置いた袋から漂ってくる甘い香りに我慢できず、つい手を伸ばす

うん。美味しい

中の餡や桜餅をもぐもぐと頬張りながらふと自然を感じた方に目をやると、顔のよく似たしまらしき二人の女の子がニコニコしながら立っていた

お兄ちゃん、お菓子好きなの? いっぱい食べてるね。私もあんこのお菓子大好き

小さい方の女の子はまだ三歳くらいに見えた。一つ食べる? 美味しいよ。俺は袋の中から最中を取り出し、六歳くらいのお姉ちゃんに差し出してみた

ありがとうございます。でも大丈夫です。お母さんのお菓子、家にたくさんあるから

女の子は礼儀正しくお礼を言いつつ首を横に振った。お母さんのお菓子? いいね。どんなお菓子作ってくれるのかな?

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手作りのおやつを作ってくれる優しいお母さんを思い浮かべながら聞いてみると

あるよ 。や桜餅、最中、水饅頭、大福にそれに——

ちょっと待って、待って、もしかして家、和菓子屋さん? こんな小さな子から和菓子の名前がスラスラ出てくるなんて驚いた

女の子はこくりと頷き、そうだよ。すっごく美味しい和菓子屋さんなの 。そう言って胸を張った

へえ。お兄ちゃん、今お仕事でいろんな和菓子屋さんのお菓子を食べ比べてるんだよ。お母さんのお店はどれかな? 俺は持っていたたくさんの和菓子屋の神袋を見せながら聞いてみた。内の和菓子屋は大体回ったはずだから、このうちのどれかだろうと思ったのだ

でも、どれも違うよ。お兄ちゃん、行かなかったの? うちのお母さんのお菓子は世界一なのに

そう言って妹の方が頬を膨らませた。そっか。お店ってこの近く?

僕も行ってみたいな

そう言うと姉妹はパーッと明るい笑顔を見せた。すぐそこだよ。風道っていうお店なの。そう言うと二人は公園の出口へ向かって走り出し、こっちこっちと俺を手招きした。俺は慌てて荷物を抱え、二人を追いかけた

お母さん、ただいま。お客さんだよ

女の子が入っていったのは暗くぼんやりとした小さな店。看板もなければ暖簾もなく、まるで営業しているようには見えなかった。え、ここ? 女の子に続いて恐る恐る店の中に入ると、優しく甘い香りが漂っている。それはまさに和菓子屋に違いなかった

いらっしゃいませ

奥から出てきたのはすらりと背の高い綺麗な女性だった。お母さん、このお兄ちゃん、和菓子が大好きなんだって。公園でたくさん食べてたの

そう言って俺を見上げたのは小さな方。お仕事なんだって。うちのお店知らないみたいだったから連れてきてあげたの。お姉ちゃんが誇らしそうにお母さんに報告している

俺はなんだか照れ臭くて、仕事で和菓子が必要で食べ比べてるっていうか、お花見がてら公園でお菓子食べてたらお子さんたちが声をかけてくれて——頭をかきながら女性に言った

お仕事中だったんですか? ごめんなさいね。うちの子たち、無理やりお連れしたんじゃないかしら。女性は申し訳なさそうに頭を下げた

いえ、仕事中ってわけでもないんですが——えっと、俺は青年団のイベントで観光客に地元の和菓子をアピールする計画があることを簡単に話した。こちらのお店は検索にも出てこなくて、お子さんたちに教えてもらわなければ知らないままでした

すると女性は——しばらく閉めていたんです。和菓子職人だった祖父が亡くなってからバタバタしていて——そう言って俯いた。でもガラスケースの中には色とりどりの可愛い和菓子がたくさん並んでいる

聞けば、元々この店を継ぐ予定で、京都で修行を続けていたらしい。結婚や出産でのブランクを経て和菓子職人として再出発。ようやく店を再開できたばかりなのだという

正直経営は厳しいですが、祖父の代からの常連さんが何人か来てくださってるんです。あ、それにこの前は大口の注文もいただいて、私張り切ってるんですよ。女性は嬉しそうに微笑み、それよかったら——そう言って小皿に乗った豆大福を差し出してくれた

お金を払おうとする俺を、味見だからと言って制した女性。俺は遠慮なくその大福にかぶりついた

う、うまい

もちもちとしたお餅がほんのり甘く、ぎっしり詰まった餡の濃厚な味わい。心地よい甘さが舌を包み込んだ。絶品です。今まで食べたどの大福よりも美味しい

まあ、そんなに褒めていただけるなんて、お世辞でも嬉しいです。女性は恥ずかしそうに、でも嬉しそうな笑みを浮かべた

と、その時だった

やだ、こんな小汚い店のお菓子なんて出せるわけないでしょ。他にもっといい店があるでしょう。どうして、なんでこの店なわけ? キンキンと声を張り上げ、不機嫌そうに店に入ってきたのは着物を着た女性二人。派手な着物を着た女性が眉間に皺を寄せ、傍らには腰を低くした女性が決まり悪そうにしている

様、先日はご注文いただきありがとうございます。女性は地味な着物を着た日高という女性の方に声をかけた。あ、豆大福も苺もとてもいいものが手に入りましたので、予定通り美味しいイチゴ大福をお届けできると思います

ちょっと何ごちゃごちゃ言ってるのよ。出してよ。話があるの

派手な着物の女性が話に割り込み、切り声をあげた。店主は私ですが、何か?

あなたが、あなたがお菓子を作るの? 冗談じゃないわよ。あなたみたいな若い方に美味しい和菓子なんて作れるのかしら? 無理でしょ 。ふんと鼻で笑い、見下すような目で女性を見つめた

でね、イチゴ大福だけどキャンセルってことでよろしく。じゃあ帰るわよ

日高様、そんなこと——日高さんは帰ろうとする竹下という女性を慌てて止めようとする。キャンセルって、そんな三百個全部ですか? 女性は呆然と立ち尽くしていた

そうよ。そもそもね、ここに注文したのが間違いなのよ。この日高が出しゃばって、私に相談もしないで決めちゃって。家元が出席なさるお茶会なのに、こんなボロい店のお菓子出せるわけがないでしょう。私がよく行く有名和菓子店のお菓子をお出しすることにしたから、ご心配なく

でも、ここの大福は本当に惜しくて、それに家元が——日高さんは泣き出しそうになりながら、帰ろうとする女性にすがりついた

そんなの関係ないわよ。んな汚い店のお菓子をお出しするのが恥ずかしいって言ってるのよ。私に恥をかかせたいの

怒った女性は目を釣り上げ、さらに声を張り上げたかと思うと、乱暴に扉を開け、外に出て行ってしまった

日高さん、ごめんなさいね。あの、方言い出したら聞かなくて、本当にごめんなさい。日高さんは店主の女性に頭を下げ、逃げるように店を出て行ってしまった

キャンセル。全部キャンセルだなんて——どうしよう

店主の女性はがっくりと肩を落とし、今にも泣きそうな表情で俯いた

まなさん——俺は今知ったばかりの女性の名前を呼びながら、なんて声をかけていいものかと迷っていた

日高様は祖父の代からの常連のお客様なんです。有名な家元のお弟子さんらしくて、お茶会に必要なお菓子とのことで大口の注文をしてくださってたんですが——

店の奥に苺の箱が高く積まれているのが、俺のところからもよく見えた。あれが全部無駄になるだなんて、まなさんの気持ちを思うといたまれない

肩を落とし、怖がりながら話を聞いていた子供たちも心配そうに母親に近寄り、慰めるように背中をさすっている

あの、俺、今キャンセルになったイチゴ大福、三百個全部買います

え——

店主の女性は驚いたように顔を上げた。俺は名刺を取り出し、目を丸くしながら見つめる彼女に渡す

銀月堂って、あの有名な旅館ですよね。若旦那様

店主の女性は信じられないといった表情で名刺と俺の顔を交互に見つめた

ちょうど明日、うちで大きな宴会の予約が入っていて、デザートにする予定だったお菓子があるんですが、気持ちするものなので変更は可能です。人数もちょうど三百人。何よりも俺は是非この美味しい大福をうちのお客様にも食べていただきたい。お願いできますか

信じられません。本当ですか?

嬉しいです。是非作らせてください 。なんてお礼を言っていいか——店主の女性は恐縮しながらも注文を受けてくれた

嬉しそうな母親を見て安心したのか、姉妹も俺に近づきペコリと頭を下げた。お兄ちゃん、お母さんを助けてくれたのよね。ありがとう

こうして急遽うちの旅館で出されることになった、まなさんのお店のイチゴ大福。評判は上々だった。このイチゴ大福はどこで買えるのか、お土産に買って帰りたいというお客さんがたくさんいたと、仲居から報告を受けた時は俺も嬉しかった

是非、二ヶ月後に開催予定の和菓フェアにも出展してほしい。俺がそう言うと、まなさんは——本当にありがとうございます。でも、うちみたいな小さなお店がいいんでしょうか? ためらいがちにそう言った

もちろんですよ。まなさんの作るお菓子は、他の有名店に比べても全く引けを取らない味です。というより、少なくとも俺は一番美味しいと思ってるんで

まなさんは俺の言葉に感激した様子で、大きな瞳をキラキラさせながら見つめてきた。俺は胸のドキドキが聞こえてしまうんじゃないかってヒヤヒヤしたよ

フェア出展に向けて何回か打ち合わせを重ねるうち、俺はまなさんへの気持ちが隠せなくなってしまう。お店に行く度に嬉しそうに駆け寄ってくる子供たち。あかちゃんと美雪ちゃんともどんどん仲良くなっていった

でも、まなさんは子供が二人いる人妻——好きになってはいけない人なんだと、自分の気持ちにストップをかけていた

でも——お兄ちゃんが、あーちゃんのパパになってくれたらいいのに

という一言で、はたと気づいた。まなさんは旦那さんの浮気が原因で離婚し、シングルマザーとしてあーちゃんたちを育てているということを、その時初めて知った

必死に抑えていた気持ちだが、伝えてみてもいいのかもしれない——そう思い始めた

そして迎えた和菓フェア当日、まなさんの店は最初こそ単価の高い他の有名店に押され苦戦していたが、最終的には完売 。美味しいという声もたくさん聞こえてきて、胸を撫で下ろした

お疲れ様——店を片付けるまなさんに声をかけようと近づくと、まなさんは着物を着た高齢の女性と話していた

あれ? 星野先生? まなさんと話していたのは、うちの母と仲のいい佐藤の家元、星野豊子先生だった

あら、し吾君、お久しぶり。元気にしてた?

え、し吾さん、とよ先生とお知り合いなんですか? ええ、うちの母と仲良くしてもらってる佐藤の家元の先生です

佐藤の家元さん、そうなんですか? 知りませんでした

聞けば星野先生は、まなさんのおじいさんの代からの常連さんだそうで、今もよくお菓子を買いにお店に来てくれる人だそうだ

私にとっては小さい頃から知ってる身内みたいなもので、そういえばお仕事何してるかなんて聞いたことなかったわ

そういえば言ったことなかったわね。「私のお茶会のお菓子もいつも違うところで頼んでいたし——なんて言ったって、このお店のお菓子は美味しいからね 。みんなに知られて有名になっちゃったら売り切れて買えなくなっちゃうかもしれないし。私だけの秘密にしたかったのよね 。星野先生はいたずらっぽくふふふと笑った

でも、ついにこの前——同じくまなちゃんの店の常連だっていう、この日高さんに頼んだのよ、「お茶会のお菓子をこの店に頼むように」って。まなちゃんも一人で頑張ってるみたいだし、少しでも力になれたらって思ってね 。でも残念だったわ 。ちょうど他の予約が入ってた日だったそうね

俺とまなさんは顔を見合わせた

それって、もしかしてイチゴ大福三百個ですか

星野先生の隣で、日高さんが気まずそうに身を小さくしていた

先生、すみません。実はあの時——日高さんは事の成り行きを話し始めた。もう一人のお弟子さんである竹下さんが、「こんな汚い店のお菓子、家元に食べさせられない」って止めたこと。家元からのリクエストだって言っても、そんなわけないと突っぱねられたこと。星野先生にはどうしても本当のことを言えず、「他の予約が入っていてダメだった」と伝えてしまったこと

話を聞いた星野先生は——そうだったの。私が直接まなちゃんに頼んでいれば、こんなことにはならなかったのに。ね——

そう言ってしばらく考え込んだ後、ある提案をした

一週間後、俺たちは星野先生のお茶会に招かれた

まなさんは頼まれた桜餅を人数分用意して——お菓子をお持ちしました

こう言って奥の部屋に入ると

ちょっと、またあなたなの? 日高に頼むって言ってたから任せてたのになんでまたこの子がお菓子持ってくるのよ 。あんな汚い店で、こんな小娘の作ったお菓子を家元に食べさせるわけにはいかないって言ったわよね

あの時店で聞いた金切り声がまた響いた。それに何よ、神聖なこのお茶会の場にこんなガキを連れてきて、非常識でしょ

竹下さんに睨みつけられたあーちゃんたちは顔を引きつらせ、今にも泣きそうだ

子供に当たらないでください

はあ?

あなたは関係ないでしょ 。それに私を誰だと思ってるの? 星野流の師範よ

師範? 家元の一番弟子なのよ。こんな小娘の店なんて、家元にお願いすればすぐに潰せるんだからね

顔を赤くし、ギャーギャーと騒ぎ立て続ける

ここへ——たけ下、いい加減にしなさい 。あなたは本日をもって、私の弟子をやめてもらう

波紋よ 。波紋

星野先生の冷たい声が響いた

は——波紋——

座敷に現れた星野先生に腰を抜かさんばかりに驚いた竹下さんは、文字通りへなへなと座り込み、立てなくなってしまった様子

まなちゃんの店はね、私の行きつけの店なのよ 。あなたが汚いって罵った店が、私は大好きなのよ

そんな——わけ——家元ともあろう先生が、あんな汚い店に行くわけがないわ

この後に及んで事実を認めようとしない竹下さんに、星野先生は追い打ちをかける

お菓子を食べもせず、お店の外観だけで判断するのね 。軽蔑するわ 。まなちゃんは心を込めて丁寧なお菓子作りができる子なの 。そんな人をけなし、貶しめるような真似をする人は、うちの文家には必要ないわ 。人様にお茶の道を説く資格はありません

そう厳しい声でとどめをさした

竹下さんは何も言い返せないまま顔を覆っていたが、しばらくすると静かに立ち上がり、とぼとぼと部屋を出ていった

さあ、気を取り直して、まなちゃんの美味しい桜餅と美味しいお抹茶、いただきましょう

星野先生は明るい声で俺たちを茶室へと案内してくれた

お弟子さんたちは皆、波紋を告げられた竹下さんを目の当たりにし、動揺していたようだが、それまでも竹下さんの言動には困っていたらしい

竹下さんがいなくなって、ほっとしましたよ 。高圧的で短気な人だったから、いつもビクビクしてたんですよね、私

そう、そう 。何かと言えば「私は家元の一番弟子なのよ」が口癖だったわよね 。お弟子さんたちはそう言いながら頷き合っている

ごめんなさいね 。今まで気がつかなくて 。星野先生は申し訳なさそうにお弟子さんたちに頭を下げ、自らお菓子を配っていた

あーちゃんたちも楽しそうにはしゃぎながらも礼儀正しくお辞儀をし、先生の点てた茶を飲んだ。子供らしく素直な感想に、その場にいたみんながプッと吹き出したりなんかして、とても楽しいお茶会となった

俺はその後も、まなさんの店に通い詰めた。大福の忘れがたい味はもちろん、俺はまなさんと話がしたかったのだ

店に行く度に駆け寄ってくるあーちゃんたちも可愛くてたまらなかった

うちの母親が最近——「生吾、あなた仕事ばっかりしてるけど、いい人いないの? ちゃんと恋愛してる?

」なんて言ってくるが、その度びにまなさんの顔が浮かぶ

そして俺はついに心を決め、一丁のスーツを着込んでまなさんの店に向かった

いらっしゃいませ——え、し吾さん、どうしたんですか? まなさんは珍しくスーツを着た俺に驚いたようだった

他に客はおらず、あーちゃんたちも幼稚園に行っている時間帯。店には俺たち二人きりだった

まなさん——俺と、結婚を前提に付き合ってもらえませんか

覚悟を決めて右手を差し出した

情けないが、返事が怖くて差し出した手は小刻みに震えていた

沈黙の時間がやけに長く感じる

し吾さん——しばらくして、まなさんは暗い声で話し出した

この感じだとこっぴどく振られてしまう——そう思って身構える俺だったが

私も——し吾さんのことが好きです

まなさんの予想外の言葉に胸が踊った。けど——

でも、でも、私、この店をずっと続けたいんです 。経営もギリギリで、一人で子供たちを育てていくのも不安しかありませんが——でも、祖父の宝物だったこの店を、一生守っていきたいんです 。だから、し吾さんとは結婚できません 。ごめんなさい

まなさんは声を震わせ、深々と俺に頭を下げた

俺と結婚したら店を続けられないと思ってる? もしかして、結婚したら女将にならなきゃいけないって思ってるとか 。そうだよね 。だって、し吾さんはあの有名な銀月堂の若旦那様でしょ

そういえば、俺、大学の時に付き合ってた彼女にもそうやって振られたんだった 。「旅館の女将になんてなりたくない」って、元カノは去っていった

それなら大丈夫だよ 。女将であるうちの母さんが言ってたんだ 。「女将の後継者は、希望者の中から私が選んで育てる」って 。だからお前は、うちのことは気にせず自由に恋愛しなさいって 。母親自身、後継である俺の父親と結婚し、夢を諦めて女将になった過去がある 。もちろん今はやりがいを持って生き生きと働いているが、最初からそうだったわけじゃないという 。息子の嫁には、自分のような経験はさせたくないらしい

そうなの? じゃあ私——し吾さんと結婚しても、お店続けられる?

うるうるとした瞳で見つめられ、俺は思わずまなさんを抱き寄せた

こんな私でよかったら、よろしくお願いします

こうして俺たちは結婚を前提に付き合うことになった

あーちゃんたちは大喜び 。俺も嬉しくて、休みの日には遊園地や動物園、リクエストされるところどこへでも連れて行った 。そのうち「お父さん」なんて呼ばれるようになった俺は、天にも登る気持ちだった

俺の母親にまな、そしてあーちゃんたちを初めて合わせた時はドキドキしたけれど——「生吾にはもったいないくらいの素敵な方ね 。子供たちもとってもいい子たちで安心したわ 。私もおばあちゃんになるのね 。忙しくなるわ —」そう言って、なぜか妙に張り切っていた

幸せな毎日が続き、付き合って一年後に俺たちは結婚 。披露宴はうちの旅館で 、ケーキカットではケーキの代わりに、まなが作った大きな大福にナイフを入れた 。あーちゃんたちはピンクのドレスを着せてもらい、ご機嫌だ 。星野先生も出席してくれて、ニコニコと俺たちを見守ってくれていた

あったかい、とてもいい結婚式を上げられて、周りのみんなには感謝しかない 。俺たちは顔を見合わせ、笑みを噛みしめた

そして今では、まなの店「風道」はうちの旅館の中にある 。まなは店を移転させ、うちの和菓子担当として毎日お菓子を作り続けている

おじいちゃんの店を残せて、私、本当に嬉しいわ 。あのままだといつ潰れてもおかしくなかったし —ありがとうね、し吾

まなは未だにそう言って俺に感謝してくれる 。いや、まなの作るお菓子が美味しいからだよ 。旅館のお客様もみんな喜んでくれてる 。お礼を言いたいのは、俺の方だ

最近では、風道のお菓子を目当てに泊まりに来るお客様もいるくらいだ 。これからも、二人力を合わせて頑張ろう 。お腹の子のためにもね

そう——まなのお腹には新しい命が宿っていた 。娘たちも、弟か妹の誕生を心待ちにしている 。五人家族となる未来が、楽しみで仕方がない