孫の誕生日会の最中、ろうそくの炎が揺れる中で嫁が冷たい顔で私を見て言った。「もう来ないでください」。私は四十年前から毎朝三時に起きて市場に通い、野菜を売ってきた。その収入で息子を大学まで出し、結婚資金も出し、孫の世話も無償で三年間続けてきた。なのに嫁は「野菜売りの仕事が恥ずかしい」と言い、息子もうなずいた。「母さんがいると、本当に恥ずかしいんだ」。五歳の孫まで「おばあちゃん、臭い」と言った。…

孫の誕生日会の最中、ろうそくの炎が揺れる中で嫁が冷たい顔で私を見て言った。「もう来ないでください」。私は四十年前から毎朝三時に起きて市場に通い、野菜を売ってきた。その収入で息子を大学まで出し、結婚資金も出し、孫の世話も無償で三年間続けてきた。なのに嫁は「野菜売りの仕事が恥ずかしい」と言い、息子もうなずいた。「母さんがいると、本当に恥ずかしいんだ」。五歳の孫まで「おばあちゃん、臭い」と言った。...

「もう来ないでください」

その言葉が響いたのは、孫の優馬の五歳の誕生日会の最中だった。私は心を込めて作った特製のケーキを運んでいる途中だったロソの炎が揺らめく中、嫁の知恵が冷たい表情で私を見つめていた。

「お母さん、ちょっとお話があります。」

知恵の声は氷のように冷たく、息子の工事は困ったような顔で視線をそらしている。優馬は無邪気にケーキを見つめているが、その場の空気は明らかに変わっていた。

「これからは、もう私たちと関わらないでいただけますか。」

知恵の言葉に、私は手に持っていたお盆が震えそうになった。孫の誕生日という、最も幸せであるべき瞬間に、まさか絶縁を言い渡されるとは思ってもみなかった

「そう、わかりました。」

私は静かにそう答えた。心の中では激しい感情が渦巻いていたが、表情には出さず、むしろ静かな微笑みを浮かべていた。四十年間、朝早くから家族を支えてきた私の人生が、この瞬間、音もなく崩れていくような気がした

「理由を聞いてもよろしいでしょうか。」

私が静かに尋ねると、知恵は鼻で笑うような仕草を見せた。

「お母さんの野菜売りの仕事って、正直恥ずかしいんです。有馬の幼稚園のお母さんたちに、おばあちゃんが野菜売りだなんて言えません。」

その言葉は、私の胸に鋭い刃のように突き刺さった。工事も小さく頷いている。

「時代遅れなんだよ、母さん。今時、野菜売りの親なんて。」

私の脳裏に、これまでの四十年間の記憶が走馬灯のように蘇ってきた。毎朝三時に起きて市場へ仕入れに行き、新鮮な野菜を地域の皆様にお届けしてきた日々。その収入で工事を大学まで行かせ、総額八百万円もの教育費を工面した玻璃結婚する時には貯金から五百万円を援助し、優馬が生まれてからの三年間は毎日無償で孫の世話をしていた玻璃朝から晩まで、ただひたすら家族のために働いてきたのだ

「お母さんの手、いつも土臭くて、優馬に触らないでって言ってるのに。」

知恵の追い打ちをかけるような言葉に、私は自分の手を見つめた玻璃確かに、長年の仕事で節くれだった手だ玻璃でも、この手で育てた野菜で工事は大きくなったはずだ玻璃

「でも、なぜ今なのですか。」

私の問いかけに、二人は顔を見合わせた玻璃何か別の理由があるような、そんな予感が私の心をよぎった玻璃

「実は、知恵の実家が大手企業の役員をやっていることが分かったんだ。」

工事が思い切ったように切り出した玻璃私は静かに聞いていた玻璃

「向こうのご両親と会った時に、母さんの職業の話になって、正直恥ずかしかったんだ。」

知恵が得意げに続ける玻璃

「うちの父は海外事業部の専務なんです玻璃母も元キャリアウーマンで、今は文化教室の講師をしています玻璃核が違うんですよ、お母さん玻璃核が違う。」

その言葉が、私の心に重くのしかかった玻璃私はただの野菜売りだ玻璃でも、それが恥ずかしいことだろうか

「先月の幼稚園の懇談会でも困ったんです。」

知恵は思い出したように顔を曇らせた玻璃

「優馬のおばあちゃんのお仕事は、って聞かれて、つい不動産関係って嘘をついちゃいました玻璃でも運動会の時に、お母さんが野菜の差し入れを持ってきたでしょう。あれで全部バレちゃって。」

私は覚えている玻璃運動会の日、朝どれの新鮮な野菜で作ったサラダと手作りの漬け物を持っていった玻璃皆さんに喜んでいただけると思っていたのだ玻璃

「まあ、本当に野菜売りだったのね、ってみんなに笑われました玻璃野菜の匂いがする、って影で言われているんです玻璃」

知恵の言葉は次第にエスカレートしていった玻璃

「優馬も言ってるんですよ、おばあちゃんの手、臭い、って玻璃お友達のおばあちゃんは、いい匂いがするのに、って玻璃」

私は優馬を見つめた玻璃五歳の孫は、ケーキを前に何も知らずにいる玻璃本当にそんなことを言ったのだろうか玻璃それとも、知恵が言わせているのだろうか玻璃

「この前なんて、お母さんが迎えに来た時、優馬が泣き出したんです玻璃野菜売りのおばあちゃんだ、って友達にからかわれたって。」

工事も重い口を開いた玻璃

「母さん、僕も会社で肩身が狭いんだ玻璃取引先との会食で家族の話になると、いつも話題を変えてる玻璃お母様は何をされているんですか、って聞かれるのが本当に苦痛で。」

息子の言葉は、私の心を深くえぐった玻璃あんなに可愛がって育てた工事が、母親の仕事を恥じているなんて玻璃

「それに、お母さんの服装も問題です。」

知恵が畳みかけるように言う玻璃

「いつも同じような地味な服ばかり玻璃この前、幼稚園の発表会に来た時の格好、覚えてますか玻璃あの紺色のカーディガン、何年前のものですか。」

確かに、私の服は質素だ玻璃でもそれは、無駄遣いをせず、工事の教育費を優先してきたからだ玻璃おしゃれよりも、家族の将来を大切にしてきたのだ玻璃

「お母さんといると、私たちまで貧乏臭く見られるんです玻璃」

知恵の言葉に、工事も頷いている玻璃

「正直、母さんがいると恥ずかしいんだ玻璃この前、会社の同僚家族とバーベキューをした時も、母さんを誘わなかった理由、分かるでしょう。」

私は分からなかった玻璃あの時は、人数の都合でと言われて納得していた玻璃まさか、存在自体を疎まれていたとは玻璃

「お父さんは元銀行員で、退職後も投資で成功されているから、まだ対面が持てます玻璃でもお母さんは…。」

知恵が言い、私の夫のことまで引き合いに出した玻璃

「父さんも困ってるよ。」

工事が付け加える玻璃

「この前、父さんに相談したら、母さんの仕事は立派だ、って言ってたけど、本心じゃないと思う玻璃だって、父さんの友人たちとの集まりに、母さんを連れて行かないじゃないか。」

それは違う玻璃ただおは、私の仕事を誇りに思ってくれている玻璃集まりに行かないのは、私が店を開けられないからだ玻璃でも、今この場で弁解しても、きっと言い訳にしか聞こえないだろう玻璃

「とにかく、もう限界なんです。」

知恵が結論めいたことを言った玻璃

「優馬の教育にも悪影響です玻璃将来、おばあちゃんみたいに野菜売りになるなんて言い出したら困ります玻璃もっと大きな夢を持って欲しいんです玻璃」

野菜売りは、小さな夢なのだろうか玻璃地域の人々の健康を支え、新鮮な野菜を届ける玻璃それは、誇るべき仕事ではないのだろうか玻璃

「だからお母さん、もう私たちには関わらないでください玻璃優馬とも合わせません。」

知恵の最後通告に、私は何も言えなかった玻璃ただ心の中で、静かに決意していた玻璃あなたたちは知らないだろう玻璃この野菜売りの収入で、どれだけのことをしてきたか玻璃そして今も、どんな形であなたたちを支えているか玻璃それを思い知る日が、きっと来るはずだ玻璃

「母さん、正直に言うよ。」

工事が深いため息をついて、決定的な言葉を口にした玻璃

「母さんがいると、本当に恥ずかしいんだ玻璃この前、部長の息子さんの結婚式に家族で招待された時も、母さんには内緒にしてた玻璃だって、あの場に野菜売りの格好で来られたら、私は…。」

私は、息子の顔を見つめた玻璃三十八歳になった工事の顔に、もう昔の面影はなかった玻璃あの頃の、母さん、今日も美味しい野菜をありがとう、と笑顔で言ってくれた息子は、どこに行ってしまったのだろう

「お母さん、はっきり言わせてもらいます。」

知恵が追い打ちをかけるように続ける玻璃

「私の実家では、お母さんのことを『あの野菜売り』って呼んでるんです玻璃父も、娘がそんな家に嫁いで、っていつも嘆いています玻璃」

その時、優馬が小さな声で言った玻璃

「おばあちゃん、臭い。」

五歳の孫のその一言が、私の心を完全に打ち砕いた玻璃知恵が満足そうな顔で、優馬の頭を撫でている玻璃

「そうよ、優馬玻璃だからもうおばあちゃんとは会わないのよ、いい?」

「うん、わかった。」

優馬の無邪気な返事玻璃きっとこの子は、何も分かっていないのだろう玻璃ただ母親の言うことに従っているだけ玻璃でもそれが、また私の心を深く傷つけた玻璃

「それに、お母さん。」

知恵はまだ続ける玻璃

「この前、私の友人たちとランチをしていた時、偶然お母さんを見かけたんです玻璃市場で大根を担いで歩いている姿を、友人たちが『あれ誰』って聞くから、『知らない人』って答えました玻璃だって、あんな姿、とても義母だなんて言えません玻璃」

工事も同調する玻璃

「そうなんだよ、母さん玻璃僕も、先週取引先の社長と歩いている時に母さんを見かけた玻璃野菜を配達している姿を、慌てて別の道にそれたよ玻璃『あれは君のお母さんじゃないか』って聞かれたら、なんて答えればいい。」

家族に、私の存在を否定される玻璃これほど辛いことがあるだろうか玻璃でも、私は静かに聞き続けた玻璃

「お母さんの手、見てください。」

知恵が私の手を指差した玻璃

「ゴツゴツして、爪の間には土が入って、まるで男の人の手みたい玻璃こんな手で、優馬に触らないでください玻璃幼稚園のお母さんたちも言ってます玻璃『平井さんのおばあちゃん、ちょっとね…』って。」

私は自分の手を見つめた玻璃確かに、四十年間の労働で、女性らしい柔らかな手ではない玻璃でも、この手で新鮮な野菜を選び、お客様に届けてきた玻璃この手で工事のお弁当を作り、制服を洗い、育ててきたのだ玻璃

「母さん、僕たちの気持ち、分かってくれるよね。」

工事が最後の一撃を加えた玻璃

「僕も知恵も、優馬のことを思って言ってるんだ玻璃母さんみたいな、その…野菜売りなんかじゃなくて、もっと品のある仕事をしている母親を持つ友達と比べられて、優馬がかわいそうなんだよ。」

野菜売りなんか、その言葉が私の誇りを完全に踏みにじった玻璃

「それに、父さんとも話したんだ。」

工事が続ける玻璃

「父さんも、母さんには悪いけど、少し距離を置いた方がいいかもしれない、って玻璃投資仲間との集まりでも、母さんの職業のことは言えない、って。」

嘘だ玻璃ただおが、そんなことを言うはずがない玻璃でも息子は、まるで本当のように話し続ける玻璃

「だからこれは、僕たち夫婦だけの決定じゃない玻璃家族みんなの総意なんだ。」

その瞬間、私の中で何かが切り替わった玻璃怒りでも悲しみでもない玻璃ただ、静かな決意が生まれた玻璃私は立ち上がり、深く息を吸い込んだ玻璃そして顔をあげると、不思議なことに自然と微笑みが浮かんだ玻璃

「わかりました玻璃もう二度と、会いません。」

私の声は、驚くほど落ち着いていた玻璃知恵と工事は、私の反応に少し戸惑ったような表情を見せた玻璃きっと、泣いたり取り乱したりすると思っていたのだろう玻璃

「お母さん、本当にいいんですか。」

知恵が確認するように聞いてくる玻璃

「ええ、いいんです玻璃あなたたちの決定ですから。」

私は静かに答えた玻璃心の中では、激しい感情が渦巻いていた玻璃でも、表面は凪いだ海のように穏やかだった玻璃

「じゃあ、私は失礼します。」

私は、優馬の誕生日ケーキをテーブルに置き、バッグを手に取った玻璃

「ケーキは置いていきます玻璃優馬君、お誕生日おめでとう。」

優馬は、不思議そうな顔で私を見上げた玻璃きっと、なぜおばあちゃんが帰るのか理解できないのだろう玻璃玄関に向かう私の背中に、工事の声が聞こえた玻璃

「母さん、これでいいんだよ玻璃お互いのために。」

私は振り返らずに答えた玻璃

「ええ、きっとこれでいいのでしょう。」

そして静かに微笑みながら、玄関のドアを開けた玻璃外に出ると、夕方の風が頬を撫でた玻璃空は赤色に染まり、一日の終わりを告げている玻璃私は深呼吸をして、ゆっくりと歩き始めた玻璃心の中で、決意が固まっていた玻璃あなたたちは知らないでしょう玻璃私が、ただの野菜売りではないことを玻璃そして、私なしでは立ち行かないものがあることを玻璃明日の朝、あなたたちは思い知ることになる玻璃本当に失ったものの大きさを玻璃私は静かに微笑みながら、夕闇の中を歩いて行った玻璃

家に戻ると、ただおが心配そうな顔で待っていた玻璃

「ゆみ子、どうしたんだ玻璃顔色が良くないぞ。」

私は静かに微笑んだ玻璃

「あなた、工事から何か聞いていますか。」

ただおは首を横に振った玻璃

「いや、何も玻璃誕生日会はどうだった。」

「絶縁を言い渡されました。」

私の言葉に、ただおは驚いて立ち上がった玻璃

「なんだって、どういうことだ。」

私は、今日あったことを静かに説明した玻璃野菜売りが恥ずかしい、核が違う、優馬の教育に悪影響、と玻璃

「バカな玻璃俺が、そんなことを言うはずがない。」

ただおは顔を真っ赤にして怒り出した玻璃

「ゆみ子の仕事は、立派じゃないか玻璃四十年間、雨の日も風の日も、地域の人々に新鮮な野菜を届けてきた玻璃それのどこが恥ずかしいんだ。」

「でも、あなたたちにとっては、それが何なのです。」

私は書斎に向かった玻璃ただがついてくる玻璃

「ゆみ子、何をするつもりだ。」

私は書斎の金庫を開けた玻璃中には、大切に保管してきた書類の束がある玻璃その中から、一つのファイルを取り出した玻璃

「あなた、これを覚えていますか。」

ただがファイルを開くと、顔色が変わった玻璃

「これは、工事の会社の連帯保証人契約書じゃないか玻璃」

「そうです玻璃三年前、工事がIT関連の会社を立ち上げる時、銀行からの融資を受けるために、私が連帯保証人になりました玻璃融資金は一億円玻璃当時、工事は必死でした玻璃『母さん、お願いだ、これがないと会社が始められない玻璃絶対に迷惑はかけないから』って玻璃あの時の工事の真剣な顔を、私は今でも覚えています。」

「ゆみ子、まさか。」

ただが不安そうに私を見つめる玻璃

「明日の朝一番で、銀行に行きます。」

私は静かに言った玻璃

「連帯保証人を、降ります玻璃だって、私はもう家族ではないそうですから。」

ただは複雑な表情を浮かべた玻璃

「でも、それをしたら、工事の会社は…。」

知っている玻璃融資が止まれば、会社は立ち行かなくなるだろう玻璃私はファイルをめくった玻璃そこには、これまでの返済状況が記されている玻璃順調に見えるが、実際はかなり厳しい経営だ玻璃私の保証がなければ、銀行はすぐに融資を引き上げるだろう玻璃実は、それだけではない玻璃私は別のファイルを取り出した玻璃工事の会社の事務所、あれは私の名義です玻璃そして、毎月の家賃は、私が立て替えています玻璃

「なんだって。」

ただが驚きの声をあげた玻璃

「知らなかった。」

「工事には、内緒にしていました玻璃家賃は会社から振り込まれていることになっていますが、実際は私の口座から自動的に補填しています玻璃月額三十万円、年間三百六十万円です。」

さらに別の書類を見せた玻璃知恵の実家が立派なのは知っている玻璃でも、工事たちの生活を支えているのは、この野菜売りの収入なのだ玻璃書類には、様々な支出の記録があった玻璃優馬の幼稚園の学費、習い事の月謝、そして工事たちのマンションのローンの頭金も、これ全部、ゆみ子が出したのか玻璃

「野菜売りを四十年やっていれば、それなりの蓄えはできます玻璃でも、それを全て工事のために使ってきました玻璃恥ずかしい野菜売りの金ですけどね。」

私は電話を手に取った玻璃

「誰に電話するんだ。」

「弁護士の佐々木先生です玻璃解約の手続きについて相談します。」

佐々木先生は、昔からお世話になっている顧問弁護士だ玻璃電話に出た佐々木先生に、事情を簡潔に説明した玻璃

「なるほど、わかりました玻璃では明日の朝九時に、銀行でお会いしましょう玻璃必要書類は、全て準備しておきます。」

電話を切ると、私は別の番号にかけた玻璃

「もしもし、不動産の立花さんですか玻璃平井です玻璃実は、貸している事務所の件で相談があります。」

立花さんは、私が所有する物件を管理してくれている不動産業者だ玻璃

「契約更新を、見送りたいんです玻璃ええ、来月末で。」

ただが心配そうに見守る中、私は淡々と手続きを進めていった玻璃

「ゆみ子、本当にいいのか。」

「いいんです玻璃私はもう、関係ない人間ですから。」

私は最後のファイルを開けた玻璃そこには、野菜売りの売上が入っている玻璃実は、最近大手スーパーから、専属契約の話が来ているのだ玻璃私の野菜の目利きを評価してくれて、年間契約ならかなりの収入になる玻璃それは素晴らしい話じゃないか玻璃でも、今まで断っていた玻璃工事たちに、余裕を持たせるため、今の稼ぎで十分だと思っていたから玻璃でも、もうその必要はありませんね玻璃私は立ち上がり、窓の外を見た玻璃明日から、新しい人生を始めます玻璃恥ずかしい野菜売りではなく、誇り高き青果商として玻璃ただが後ろから、優しく肩を抱いた玻璃

「ゆみ子、君は立派だよ玻璃俺は君を誇りに思う。」

「ありがとう、あなた。」

私は微笑んだ玻璃明日、工事たちは真実を知るだろう玻璃母親の本当の価値を、そして失ったものの大きさを玻璃でも、それはもう、私の知ったことではない玻璃

翌朝八時、私は身支度を整えて銀行へ向かった玻璃いつもの作業着ではなく、きちんとしたスーツ姿だ玻璃ただも一緒に来てくれた玻璃

「ゆみ子、本当に最後まで考えたのか。」

「ええ、もう決めたことです。」

銀行の応接室で、佐々木弁護士がすでに待っていた玻璃

「北井さん、おはようございます玻璃書類は全て準備できています。」

銀行の融資担当者が入ってきた玻璃

「北井様、本日はどのようなご要件でしょうか。」

「連帯保証人を、降りたいのです。」

私の言葉に、担当者の顔色が変わった玻璃

「え、それはどういった理由で。」

佐々木弁護士が説明を始めた玻璃

「私の依頼人は、もう保証人である必要がなくなりました玻璃家族関係が、解消されたためです。」

「しかし、これは重大な契約です玻璃簡単に解除できるものではありません。」

「法的には可能です玻璃特に、保証人に対する説明が不十分だった場合は。」

佐々木弁護士が、契約書の問題点を指摘し始めた玻璃私は知らなかったが、当時の契約には、いくつかの不備があったようだ玻璃一時間後、手続きは完了した玻璃

「北井様、確認ですが、これによりご子息の会社への融資は、停止される可能性が高いです。」

「承知しています。」

銀行を出ると、次は不動産会社へ向かった玻璃

「北井さん、本当に事務所の契約を解除されるんですか。」

立花さんが心配そうに聞いてくる玻璃

「はい、来月末で契約終了ということで。」

「でも、あちらは北井さんの息子さんの会社ですよね。」

「もう、関係ありません。」

手続きを終えて外に出ると、携帯が鳴り始めた玻璃工事からだ玻璃画面を見たが、出なかった玻璃その後も、着信が続く玻璃十回、二十回、三十回玻璃

昼過ぎ、自宅に戻ると、玄関前に工事の車が止まっていた玻璃

「母さん。」

車から飛び出してきた工事の顔は、真っ青だった玻璃

「銀行から連絡があった玻璃保証人を降りたって、どういうことだ。」

私は静かに答えた玻璃

「家族ではない人の、保証人になる理由はありません。」

「何を言ってるんだ、昨日のは、あれは。」

工事が言葉に詰まる玻璃後ろから、知恵も降りてきた玻璃その顔も、蒼白だ玻璃

「お母さん、話し合いましょう玻璃昨日のは、言いすぎました。」

「話し合うことはありません玻璃あなたたちが決めたことです。」

私は家に入ろうとしたが、工事が腕を掴んだ玻璃

「お母さん、お願いだ玻璃保証人に戻ってくれ玻璃会社が、潰れる玻璃」

「知っています。」

「知ってる、って。」

「母さん、俺を潰す気か。」

「潰すのではありません玻璃関わらないだけです玻璃昨日、そう言われましたから。」

知恵が泣き出した玻璃

「お母さん、お願いします玻璃謝ります玻璃昨日のことは、全部撤回します玻璃」

「撤回。」

私は初めて、少し声を荒げた玻璃

「野菜売りが恥ずかしい、核が違う、優馬の教育に悪影響、そう言ったのは、撤回できるんですか。」

工事が土下座した玻璃

「母さん、俺が悪かった玻璃本当に悪かった玻璃」

「立ってください玻璃ご近所に見られます。」

でも工事は立ち上がらない玻璃

「保証人に戻ってくれるまで、ここを動かない。」

私はため息をついた玻璃

「事務所の契約も、来月で切れます玻璃新しい場所を、探してください。」

「事務所、何のことだ。」

工事が顔をあげた玻璃

「あの事務所は、私の所有物です玻璃そして、あなたが払っていると思っている家賃は、私が立て替えていました玻璃」

工事の顔から、完全に血の気が引いた玻璃

「嘘だ玻璃そんなはずは。」

「月額三十万円、年間三百六十万円、三年間で、一千万円以上です。」

知恵が崩れ落ちた玻璃

「そんな、知らなかった。」

ただが玄関から出てきた玻璃

「工事、もう諦めなさい玻璃これは、自業自得だ。」

「父さん、母さんを説得してくれ。」

「できない玻璃お前たちが、母さんを否定したんだ玻璃その結果だ。」

工事の携帯が鳴った玻璃画面を見て、さらに顔色が悪くなる玻璃

「専務だ玻璃きっと、融資の件で。」

電話に出る工事の声が、震えている玻璃

「はい、はい、申し訳ございません。」

電話を切ると、工事は地面に座り込んだ玻璃

「終わった玻璃全部、終わった。」

知恵が、私に詰め寄ってきた玻璃

「お母さん、あなたは鬼ですか玻璃息子を潰して、楽しいんですか。」

「楽しくありません玻璃でも、これがあなたたちの選択の結果です。」

「でも、こんなの、ひどすぎます玻璃ひどい。」

私は静かに言った玻璃

「私は、四十年間働いて貯めたお金を、全て息子に注ぎ込みました玻璃そして、『恥ずかしい』と言われる玻璃それは、ひどくないんですか。」

知恵が言葉を失う玻璃

「お母さんのお金だったなんて、知らなかった。」

「知ろうとしなかったんです玻璃野菜売りを、見下していたから。」

工事が顔をあげた玻璃目は充血し、涙でぐしゃぐしゃだ玻璃

「母さん、一生に詫びるから、お願いだ玻璃もう一度だけ、チャンスをくれ。」

「詫びる必要はありません玻璃もう、他人ですから。」

私は振り返り、家に入ろうとした玻璃

「母さんっ。」

工事の叫び声が響く玻璃

「俺が間違ってた玻璃母さんの仕事は、立派だ玻璃野菜売りは、素晴らしい仕事だ玻璃」

私は立ち止まったが、振り返らなかった玻璃

「今更、そんなことを言われても、信じられません。」

「本心だ玻璃本当に、本心なんだ。」

「では、なぜ昨日は、あんなことを。」

工事が、おえつ交じりに答える玻璃

「知恵の実家にあった時、見下されて…、知恵のせいにしてしまった玻璃でも、本当は、俺が情けなかっただけだ。」

知恵も泣きながら言った玻璃

「私も、悪かったです玻璃家柄の見えなんて、関係ない玻璃お母さんは、素晴らしい人です玻璃」

でも、私の心は動かなかった玻璃

「帰ってください玻璃もう、決めたことです。」

そして私は家の中に入り、静かにドアを閉めた玻璃外ではまだ、工事たちの嗚咽が聞こえていた玻璃

三ヶ月後、私の生活は大きく変わっていた玻璃大手スーパーとの契約が始まり、北井青果の看板は、地域の誇りとなっていた玻璃朝の市場で私の姿を見つけると、多くの中人が声をかけてくれる玻璃

「北井さん、今日もいい野菜を頼みますよ。」

「任せてください玻璃四十年の目利き、ただの野菜売りじゃありません。」

私は胸を張って答える玻璃もう、自分の仕事を恥じることはない玻璃

ある日、店に一人の若い女性が訪ねてきた玻璃

「あの、北井さんですか玻璃私、起業を考えている田村と申します。」

彼女は、地元の野菜を使ったレストランを開きたいと言う玻璃でも、資金調達で困っている玻璃私は、彼女の事業計画書を見せてもらった玻璃真剣な眼差し、丁寧に作られた計画書玻璃昔の工事を、思い出させる玻璃

「田村さん、私でよければ、出資させていただきます。」

「本当ですか。」

彼女の瞳が輝いた玻璃その後、私は何人もの志望起業家を支援するようになった玻璃野菜売りで貯めたお金は、新しい夢を持つ人たちの力になっている玻璃

「北井さんは、私たちの恩人です玻璃お母さんみたいな存在です。」

彼らは、私をそう呼んでくれる玻璃血は繋がっていないが、心で繋がった新しい家族ができた玻璃

あの土曜日の午後、ただと一緒にカフェでお茶を飲んでいると、見慣れた顔が通り過ぎた玻璃工事だ玻璃のような、きちんとしたスーツではなく、作業着姿だった玻璃顔はやつれていたが、どこか晴れやかな表情をしている玻璃

「ゆみ子、工事じゃないか。」

ただが言った玻璃

「そうですね。」

私は静かにコーヒーを飲んだ玻璃後で聞いた話では、工事は会社を畳んだ後、小さな運送会社で働いているそうだ玻璃知恵も、実家には頼らず、パートで家計を支えているとか玻璃優馬は、相変わらず元気に幼稚園に通っているそうだ玻璃

「苦労してるみたいだな。」

ただが心配そうに言う玻璃

「でも、それも人生の勉強です。」

私は窓の外を見つめた玻璃

翌週、店に一通の手紙が届いた玻璃差し出し人は、工事だった玻璃

「母さんへ玻璃お元気ですか玻璃突然の手紙、驚かれたと思います玻璃会社を失い、今は運送会社で汗を流しています玻璃初めて、働くことの大変さを知りました玻璃母さんが四十年間、毎日早朝から働いていたことの重みが、今になってわかります玻璃知恵も変わりました玻璃実家の援助を断り、自分たちの力で生きていこうと決めました玻璃質素な生活ですが、家族三人、支え合っています玻璃優馬は最近、『大きくなったら、おばあちゃんみたいな野菜売りさんになる』と言い出しました玻璃以前の私たちなら、止めていたでしょう玻璃でも今は、『それは素晴らしい夢だね』と答えています玻璃母さん、あの時は、本当に申し訳ありませんでした玻璃野菜売りが恥ずかしいと言った自分を、今は心から恥じています玻璃許してもらえるとは、思っていません玻璃ただ一つだけ、伝えたくて玻璃母さんは、私たち家族の誇りでした玻璃今も、そしてこれからも玻璃いつか、優馬を連れて、母さんの働く姿を見せたいです玻璃『これが、お前の自慢のおばあちゃんだ』と玻璃その日が来ることを、願っています玻璃

工事より」

手紙を読み終えて、私の目には涙があった玻璃でも、それは悲しみの涙ではない玻璃息子は、ようやく本当の価値を理解してくれた玻璃それだけで、十分だった玻璃ただに手紙を見せると、彼も目を潤ませた玻璃

「立派に、成長したな。」

「ええ、時間がかかりましたけど。」

私は手紙を、大切にしまった玻璃返事を書くかどうかは、まだ決めていない玻璃でも、いつか優馬が本当に野菜売りになりたいと言ったら、その時は会ってもいいかもしれない玻璃

夕方、店じまいをしていると、常連のお客様が声をかけてくれた玻璃

「北井さん、今日もありがとう玻璃あなたの野菜のおかげで、家族みんな健康よ玻璃」

「それは、何よりです。」

私は心から、微笑んだ玻璃これが私の仕事玻璃地域の人々の健康を支え、新鮮な野菜を届ける玻璃恥ずかしいどころか、誇るべき仕事だ玻璃日が暮れて、店のシャッターを下ろす玻璃看板の『北井』の文字が、夕日に照らされて輝いていた玻璃振り返ると、私を慕ってくれる若手の起業家たちが、店の前を通りかかった玻璃

「北井さん、お疲れ様です玻璃今度、みんなでお食事でもどうですか。」

「お母さん、いつもありがとうございます。」

彼らは、本当に私を母のように慕ってくれる玻璃血のつながりはなくても、心で結ばれた家族玻璃これもまた、幸せの形だ玻璃私は今、心から幸せだ玻璃自分の仕事に誇りを持ち、必要としてくれる人たちに囲まれて玻璃これ以上、何を望むことがあるでしょう玻璃人を職業で判断することの愚かさ、目先の見えや体面に囚われることの虚しさ、そして本当の価値を見失うことの恐ろしさ玻璃工事たちは、高い授業料を払ってそれを学んだのだ玻璃私もまた、学んだ玻璃自分を否定する人に、無理に認めさせる必要はないということを玻璃新しい場所で、新しい関係を築くということ、それを玻璃

夜、ただと二人で夕食を囲みながら、今日の出来事を語り合う玻璃

「ゆみ子、お前は本当に強くなったな。」

「いいえ、最初から強かったんです玻璃ただ、それに気づいていなかっただけ。」

私たちは静かに、笑い合った玻璃外では、星が輝いている玻璃明日もまた、早朝から市場へ行き、新鮮な野菜を仕入れます玻璃そして笑顔で、お客様を迎えます玻璃これが、私の人生玻璃誇り高き、青果商の人生です玻璃

Thumbnail