挟まれた路地で、俺は地面に倒れていた。頭がガンガンして視界が揺れる中、見下ろしてくる神谷係長が笑いながら言った。「お前が俺の目の前にいるのが悪いんだよ。少しは自分の行動を反省しろ」。数時間前まで、俺は大事な商談を成功させて会社に戻るだけだった。俺は中島ハルト、二十八歳。営業成績は一位で、同僚の山里と仲がいいというだけで、神谷係長にずっと目の敵にされていた。まさかこいつが金を払ってチンピラを雇…

挟まれた路地で、俺は地面に倒れていた。頭がガンガンして視界が揺れる中、見下ろしてくる神谷係長が笑いながら言った。「お前が俺の目の前にいるのが悪いんだよ。少しは自分の行動を反省しろ」。数時間前まで、俺は大事な商談を成功させて会社に戻るだけだった。俺は中島ハルト、二十八歳。営業成績は一位で、同僚の山里と仲がいいというだけで、神谷係長にずっと目の敵にされていた。まさかこいつが金を払ってチンピラを雇...

「お前が俺の目の前にいるのが悪いんだよ。少しは自分の行動を反省しろ」

そう言って、地面に倒れた俺を見下ろしながら、神谷係長は笑っていた。頭はガンガンと痛み、体中のあちこちに鈍い痛みが走っている。視界はぼんやりと揺れ、何が起きたのかを理解するのに時間がかかった。

俺は中島ハルト、二十八歳。飲食関係の会社で営業部に所属している。六年ほど働いて仕事にも慣れ、人と話すことが好きで取引先や顧客と楽しく話していたら、いつの間にか営業成績が一位になっていた。努力していなかったわけではない。相手にうちの商品を買いたくなるようにどう見せるか、どうしたら気分よく取引してもらえるか、新人の頃は先輩のやり方を必死に真似たりもしていた。運が良かったかもしれないけれど、これも実力だと周りに褒められて嬉しかったし、一位になってからも精一杯頑張ってきた。

ただ、同僚や先輩たちは俺のことを認めてくれているのに、神谷係長だけは俺のことを嫌っていた。元々、新人の時から目の敵にされていた。理由は、俺が神谷係長のお気に入りの山里と仲がいいからだ。

彼女は俺の同僚で、車内一の美人で男性の注目の的だった。神谷係長も彼女を狙っているらしく、よく山里と話す俺が邪魔なようだ。彼女とは研修の時から一緒だから話すことが多いだけで、プライベートで一切関わったことはない。しかしそんなのは神谷係長には関係ないらしく、俺は目の上のたんこぶのような存在だった。

十歳以上も離れているのに、よく自分が彼女の恋人になりたいと考えられるなと思うほど、神谷係長は本気らしい。山里はとても迷惑しているようで、食事に誘われても適当に断っているのに、神谷係長はめげない。周りが見えていないのも難点なのに、全く相手にされないのを俺のせいだと勘違いして、「お前が山里の近くにいるから、食事に誘っても断られるんだ」と言ってくる始末だった。

俺は全く関係ないと何度も否定したけれど、意味をなさず、日に日に俺への態度はひどくなっていった。例えば、俺が成功させてきた商談の書類をビリビリに破って捨てたり、商談から帰ってきたのにサボっていると言われたりした。捨てられた書類は、偶然見かけた部長が「大事な仕事の書類に何てことをしているんだ」と神谷係長を怒ったから何とかなったけれど、そのことで逆恨みされてしまった。それからは、大っぴらではなく、みんなにバレないようにデスクに置いてあったペンやペットボトルを盗んだりしてくるようになった。

そんなある日のこと、俺は大きな商談のために神谷係長と商談相手の会社に行くことになった。本当は部長と行く予定だったのだけれど、部長は風邪を引いて一週間は家で療養となってしまった。俺一人で行こうとしたところ、神谷係長が「俺も行く。大事なのに中島だけに任せられるか」と名乗りを上げた。

神谷係長と一緒に商談に行きたいとは思えず、「お手を煩わせるなんてできません。自分一人で商談を成功させてみせます」とやんわり断ったのだけれど、全く聞く耳を持ってもらえなかった。神谷係長は、なぜ出世できたのか分からないぐらい商談の成功率はあまり良くなく、営業成績も十位以内に入ったことがない。今回の商談相手はうちの会社にとってとても重要な相手だから、絶対に失敗は許されないのに、不安な気持ちになりながら一緒に相手の会社に向かった。

案の定、神谷係長は全く役に立たなかった。我が社の商品の説明など、ほとんど俺がすることになった。たまに神谷係長が「今度一緒にお酒を飲みに行きませんか?ゴルフでもいいですよ」なんて言って話に割って入ってきた時には、相手方が嫌な顔をしてしまって、どれだけ焦ったことか。すかさず商談の話に戻したから良かったものの、相手方の機嫌を損ねることになりそうで大変だった。その代わり、神谷係長のことを無視する形になってしまい、逆に俺への睨みは前よりも厳しくなったのだけれど、商談は成功を収めることができ、後は会社に戻るだけだった。

そう思っていた。帰り道、神谷係長が「こっちの道から帰ろうか」と誘ってきた。どうしたのかと聞くと、何でも寄りたい店があるらしい。しかしその方向は、店といえばホテルや居酒屋などだけで、会社に戻る前に寄り道できる場所なんてない。

俺は何をする気なんだろうと不思議に思ったけれど、商談中に彼の機嫌が悪くなっていたため、ひとまず応じることにした。しかしそれが間違いだったようだ。

だんだんと裏路地の方に行き、人のいない場所まで来ると、二十代前半と見られるチンピラが四人、目の前に現れた。俺たちは何もしていないのに、こちらを見てニヤニヤしてくるため、怖いと思いながら通り過ぎようとした。

しかし俺の前を歩いていた神谷係長は、そいつらの前で止まり、こちらを振り返った。

「こいつが俺が言っていた、ボコボコにして欲しい相手だ」

「え?」

「ヘイヘイ。歩けないぐらいにしていいんだったっけ?」

「払った分だけはしてくれよ」

神谷係長が何を言っているのか、意味が分からず問いかけた。しかし神谷係長もまたニヤニヤとこちらを見るだけで、何も言わなかった。その代わり、チンピラたちが俺の方に近づいてくる。

危険を感じて後ずさったのだけれど、後ろにも三人いたようで、すぐに捕まり殴りかかられた。反撃しようにもできず、囲まれて逃げることもできなかったため、そのまま袋叩きにされてしまうことになった。

それからどれだけ時間が経ったのか分からないけれど、満足したのかチンピラたちの激しい暴行は終わった。頭を強く打ったのか、ガンガンと頭痛がするし、他にも腹部や腕、足にも痛みや違和感がある。すぐに救急車を呼びたいけれど、目の前にいる男たちが何をしてくるか分からず、動けないでいた。

「お前が俺の目の前にいるのが悪いんだよ。少しは自分の行動を反省しろ」

そう言って、俺が地面に倒れているのを、神谷係長は笑いながら見下ろしていた。もう何も喋りたくはなかったけれど、どうしても聞きたくて、「なんでこんなことをするんですか」と質問した。

「お前のことが気に食わねえんだよ。これは日頃の恨みだ」

「俺があなたに何をしたって言うんですか?ここまでされるようなことをした覚えはありません」

「はあ?ふざけたこと言ってんじゃねえよ。まだ若いくせに営業成績は一位だし。美人の山里と仲がいい。俺が狙ってるって知ってるのに、見せつけるように話しやがって」

「そんなことしていません。同僚だから話す頻度が多いだけですし、他の同僚たちとも同じように接しています」

「嘘つけ。お前だって山里を狙ってるんだろ?」

「そんなつもりはありません」

俺が否定や弁解をしても、全く聞いてはくれなかった。そもそも他の奴らもお前を認めているのが気に食わないと、ブツブツ文句を言う。本当だったら今日の商談も俺だけで完璧にこなすつもりだったのに、相手はお前を指定してきたしな、何なんだよてめえは、と一人で怒り出した。

何でも昨日、商談は神谷係長一人で行くという連絡をしたらしいのだけれど、相手に断られたらしい。だから今日の商談の前には何もしてこなかったんだとか。しかし今までのことで我慢の限界に達していたので、チンピラを雇って俺に危害を加えることにしたようだ。しかも今日の商談中にコケにされたと思ったのか、今度はこいつはこのまま行方不明にさせちまおうかと言い出した。

俺はやばいと思ったけれど、体がうまく動かず立ち上がることができない。その間に神谷係長はチンピラたちに向かって、俺を始末するように命令する。しかしチンピラたちは「さすがにそんなの無理だ。大詰めされても嫌だ」と言って喧嘩を始めた。その間に逃げようと思ったけれど、やはりどうにも足に力が入らない。だからこちらを誰も見ていない隙を狙い、ポケットに入っているスマホで助けを呼ぼうとした時だった。

「坊っちゃん、大丈夫ですか?」

俺の後ろから、顔や腕に入れ墨が入った集団が、険しい顔つきで俺たちの方に全速力で走ってやってきた。神谷係長たちは、急に来たいかつい見た目をした軍団に意味が分からずすぐに逃げようとしたけれど、反対側からも入れ墨集団がやってきて囲まれてしまう。急な出来事に、神谷係長たちは顔色を悪くして固まった。

すると一番風格が出ている男が、「ハルトちゃん、なんてお姿に。大丈夫ですか」と、俺が倒れている横に膝をついて体の様子を見ながら話しかけてきた。

「おお、中島。この人たちは?」

「一体、坊っちゃんに何て口の聞き方だ?」

「ひ、藤沢、落ち着いて。騒がれたら頭に響く」

「申し訳ありません。でも来てくれてありがとう。助かったよ」

「いえ、坊っちゃんの危機に間に合わず、すみませんでした」

藤沢は俺に深く頭を下げた。何も理解が追いつかない神谷係長に、俺は説明することにした。

実は俺の父親はヤクザの組長だ。だから昔から俺の周りには、顔が怖くて入れ墨が体中に入っている男たちがたくさんいる。そのせいで小さい頃から友達はできず、寂しくて辛い生活を送っていた。もちろん喧嘩も嫌いで、格闘術なんてものは俺には全然できない。そもそもあまり体を動かすことが得意ではなく、組員に教えてもらっても身につかなかったのだけれど。

そんなことがあり、俺はヤクザになることを嫌い、一般市民として生活することを決めた。親父は、俺に喧嘩のセンスが全くないことや向いていないことから、俺の意思を尊重してくれ、おかげで今まで普通に生きてきた。そして風格があり、俺のことを坊っちゃんと呼ぶこの藤沢という男を若頭にした。俺とは違い喧嘩も強く頭も切れるから、組員から信頼を得ているし、親父にも好かれている。

そう伝えると、「なんでそのことを教えてくれなかったんだ」とチンピラが神谷係長より先に騒ぎ出した。さらに「ヤクザの息子に手を出すなんて、どう責任取ってくれるんだ」と神谷係長を責める。

「しかし俺も知らなかったんだよ」と逆切れする神谷係長。

「知らなかったで済む話じゃねえよな。坊っちゃんを傷だらけにしやがって、責任取るのはそっちだぞ」

「ち、違くて、こいつらが急に襲いかかってきたんです」

「俺たちを雇ったのはお前だろ。気に食わないやつをボコれって金渡してきたじゃねえか」

「おい」

チンピラの一人が神谷係長に雇われたと暴露したせいで、藤沢たちは神谷係長をさらに睨み、そのせいで彼はこれでもかというぐらい顔を青くする。そこで神谷係長は、「どうしてすぐにここに来れたんですか?中島さんはスマホを触ってなかったのに」と発狂しながら質問した。

実は心配性な藤沢が、普段から俺に心拍計とGPSをつけさせていた。だから俺に異常があったらすぐに分かるというわけ。本当は俺をそばで守るために近くに組員を一人か二人、尾行させたいと言われたのだけれど、さすがにそれは拒否しておいた。

神谷係長たちは納得しながらも、「なんでそこまでするんだよ。若頭でも何でもないんだろ」とぼそっと呟いた。そのことで組員は「わか、こいつら閉めていいですか?海に沈めてもいいですよね」と騒ぎ出す。俺のことを悪く言ったと思ったようで、組員たちはさらに顔に青筋を浮かび上がらせた。

そのためチンピラたちと神谷係長は、これからどうなってしまうのかとブルブルと震え、チンピラの数人は逃げようとして走り出す。しかし組員に囲まれているせいですぐに捕まり、身動き一つできないようだ。きっと捕まった連中はみんな、この後殺されるんじゃないかと思っているんだろう。

しかし俺は、ただの一般市民として生きると決めた男だ。確かにヤクザの組長の息子だけれど、俺が被害にあっただけで組員たちは関係ない。だからこのまま警察に連れて行った方がいいし、表には出せないようなことになるのは俺は嫌だと伝えた。

「それでいいんですか?」

「元々そのつもりだ。みんなの手を借りようとは思ってないよ。ここでこの人たちに行方不明になられたら俺も困るしね」

「分かりました。では、すぐに警察に連絡をしましょう」

俺の発言に組員は「もっと処罰を食らわせた方がいいんじゃないですか」と批判したけれど、すぐに藤沢が「黙れ。坊っちゃんが決めたことだ」と納めてくれる。そのことでチンピラたちは少しほっとした顔をした。

しかし藤沢は、「俺たちの島で、親父狩りなんてふざけたことしてんのも、てめえらだな」と言った。何でもこのチンピラたちは、ここら一体でサラリーマンなどをターゲットに暴行を加えてお金を奪っていたらしい。この地域はうちの組が占めているから、藤沢たちは犯人を捕まえようとしていたんだとか。特徴がこのチンピラたちと似ているらしく、藤沢たちは問い詰める。最初は否定していたけれど、ついに「やってました」と、組員の威圧感のためか白状した。

「他にも詐欺とかして儲けている奴もいるみたいだが、てめえらが仲間の仕業なんだろう。その分は先にしっかりと落とし前をつけてもらうぞ」

「そ、それは俺たちだけじゃ」

「じゃあ、その仲間も呼んでこいや。全員、俺たちの島で好き勝手商売したことを後悔させてやるからな」

「いえ」

藤沢は俺の方を向いた。

「坊っちゃんのご厚意で、暴行の件は警察に任せますが、これは別ですので。一度、我々に任せてもらってもいいですよね」

「ああ、それは構わないよ」

「え、自分はヤクザと関係ないみたいなこと言ってなかったっけ?」

「親父狩りは俺の知らないところで起きたんだから、俺がとやかく言うのも変でしょ。そんな争いが嫌いとか何とかって、ヤクザにもメンツとかあるんだから、俺が口出しなんてしないよ。もうそいつらは連れて行っていいよ。でも、五体満足でお願いね。後で被害届けを出すから、目立つ傷とかあったら警察に変に思われるだろう」

「分かっています。お前ら、連れて行け」

俺の頼みに藤沢は同意してくれ、組員にチンピラたちを任せた。病院に行った後に被害届けを出すけれど、その時には組員たちから解放されているのだろうか。やりすぎていなければいいがと少し不安になる。

そうしていると、気づけば残ったのは俺と藤沢、そしてビビりすぎて動けなくなっている神谷係長だけだ。俺がそちらを向くと、彼は素早く土下座した。

「悪かった。ここまでする気はなかったんだ。許してくれ」

「俺を行方不明に見せかけて始末するとか言ってたじゃないですか」

「なんだと?」

「ち、違いますよ。何かの間違いだ」

俺の言葉に藤沢は過剰に反応し、神谷係長はすぐに弁解した。しかし俺はこの耳でしっかりと聞いていた。もしあの時チンピラたちが拒まなかったら、藤沢たちが来てくれなかったら、今頃俺はこの世にいなかったかもしれない。そう思うと、恐怖で震えてきそうだ。この気持ちが神谷係長に分かるだろうか。目の前にヤクザを置いているのだから恐怖は感じているかもしれないけれど、まだ体への痛みは受けていないのだから、本当の苦しみは分からないだろう。

「神谷係長についても、被害届けを提出します」

「俺は手を出してない。許してくれ」

「差しずしたのはあなたでしょ。こっちは頭もガンガンするし、体中に鈍い痛みがあるんです」

「やはり組が処分した方がいいですよ。こんなクズに情けをかける必要はないです」

「そんな、待ってくれ」

「それだと後で問題になるかもしれないだろ。それに、さっきも言った通り俺の問題だから」

「分かりました」

少し藤沢は残念な顔をしたけれど、そのことは放っておこう。俺はすぐに救急車を呼んでもらい、「後で絶対に被害届けを出します。会社にもこのことは報告しますから」と伝えた。神谷係長は何度も謝ってきたけれど、許せることではない。海外にでも逃げられたらたまらないから、神谷係長のことは藤沢に任せることにして、俺はやっとやってきた救急車に乗った。何もするなとは言っているけれど、大丈夫だろうか。

その後、俺は全治三ヶ月ぐらいと診断され、神谷係長たちに慰謝料と治療費を請求した。もちろん被害届けも出し、神谷係長たちは傷害罪などで刑務所に入ることになった。チンピラたちは詐欺などもしていたため、刑期が十年ほどになった人もいるんだとか。その前に組員がチンピラたちに処分を下すとか言っていたけれど、何をしたかは教えてくれなかった。ただ、神谷さんも含めてみんな、歩くたびに悲鳴をあげていた。

また神谷さんは当然会社を首になり、ご両親には泣かれたそうだ。出所後は五十歳手前になり、まだ働けるだろうから、真面目にやってくれたらいいなと思っている。あれから神谷さんがいなくなって、俺だけでなく、ずっと食事に誘われていた山里も安心して会社で仕事ができるようになった。

顔の怪我が治るまでは商談にも行けず大変だったけれど、今はまた仕事に明け暮れて、成績一位を維持している。あの日のことを思い出すと今でも怖くなるけれど、それでも俺は、自分が選んだ一般市民としての道を歩き続けている。

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