朝、いつもより早く出社してプレゼン資料を確認していたら、課長がふらふらと近づいてきて「お前、プロジェクトメンバーから外すことにした。田舎に左遷か研究か、どっちか選べ」と言った。高卒だからという理由で、俺が準備した資料も全て奪おうとしていた。その瞬間、今まで我慢してきた怒りが頂点に達した。親友のゆやが誘ってくれた会社で働けて、毎日が充実していた。でも、こんな奴の下で働き続けることはできない。俺…

朝、いつもより早く出社してプレゼン資料を確認していたら、課長がふらふらと近づいてきて「お前、プロジェクトメンバーから外すことにした。田舎に左遷か研究か、どっちか選べ」と言った。高卒だからという理由で、俺が準備した資料も全て奪おうとしていた。その瞬間、今まで我慢してきた怒りが頂点に達した。親友のゆやが誘ってくれた会社で働けて、毎日が充実していた。でも、こんな奴の下で働き続けることはできない。俺...

「君は本社にはいらない。田舎に左遷か研究か、どっちか選べ」

俺を見下しながら言う課長の分厚い顔を見て、今まで我慢してきた怒りが頂点に達した。俺を会社に誘ってくれたゆやには申し訳ないが、こんな奴の下で働いてなんかいられない。人を学歴で見下すくせに、その見下した相手の手柄を横取りしようとするなんて、どんな神経をしているんだ。

左遷も研究も受け入れない。俺は決意を固めて課長をまっすぐ見つめて言い放った。

「では、退職で」

この後、課長は自分の言動が招いた事態に驚愕し、後悔しながら責任を取ることになる。

俺の名前は津田慎介、二十五歳の会社員だ。勤めている会社は外資系で、多くの海外企業と取引をしている。元々は別の小さな企業で働いていたが、友人の上森ゆやに誘われて去年転職してきた。ゆやとは高校の同級生で、卒業後も連絡を取り合ってきた数少ない友人だ。

俺は勉強よりも体を動かす方が得意で、逆にゆやは成績が常にトップクラスだった。正反対の二人がなぜか仲が良かったのは、周りの同級生には不思議に映っていたらしい。けれど、俺たちには共通の趣味があった。海外の映画が大好きだということだ。

お互い帰宅部だった俺とゆやは、帰宅後にどちらかの家で、借りてきた映画を観て過ごした。映画が終わった後、感想を言い合う時間が俺はすごく楽しかったことを覚えている。テスト期間が近づくと、いつもゆやに勉強を見てもらい、なんとか赤点を取らずに乗り切っていた。

俺ばかりが助けてもらって申し訳なく思い、ゆやにそのことを話すと、彼女は笑って言ってくれた。

「俺が学校で楽しく過ごせてるのは、お前のおかげなんだぞ」

そんなことを言われても、俺は特別にゆやに何かをしてあげた記憶などない。首をひねる俺に、ゆやは懐かしそうに目を細めながら教えてくれた。人と接するのが苦手だったゆやは、休み時間を一人で過ごすことが多かったらしい。ゆや自身は寂しいと思ったことはなかったが、周りの同級生からは「寂しい奴」「暗いガリ勉」と陰口を叩かれていた。それはやがて軽いいじめへと発展し、教科書を隠されたり、机に落書きをされたりするようになっていた。

そう、ゆやはそれが嫌になり、学校に行くのが億劫になって休みがちになってしまった。そんな中、たまたまテストで出席した日、ホームルームで先生が発した言葉を聞いて、思い出した映画のセリフをゆやがぽそっと口にした。隣の席にいた俺がそれに反応したのだ。

そのことは俺も覚えている。俺は当時、両親の仕事の都合で転校してきたばかりで、クラスの事情を全く把握していなかったし、親しい友人もいなかった。だからゆやのことも「あまり学校に来ない奴」くらいにしか思っていなかった。だが、ゆやの口から自分の好きな映画のセリフが聞こえてきて、思わず食いついてしまったのだ。

急に話しかけてきた俺にゆやは驚いた様子だったが、映画の話がきっかけとなって二人は仲良くなっていった。

「あの時お前と仲良くなってなかったら、俺は学校やめてたかもしれなかった。だからお礼を言うのは俺の方なんだよ」

確かに、俺と話すようになってからゆやは学校を休まなくなっていった。俺は運動に自信があって、体育祭などでも目立っていた。そんな俺とつるむようになったゆやに、同級生たちはちょっかいを出さなくなったのだそうだ。俺自身は助けたつもりなど全くなかったが、ゆやがそう思ってくれていたことが素直に嬉しかった。

高校卒業後はお互い別々の道に進んだが、連絡は取り合っていたし、就職してからは定期的に食事に出かけたり、映画を観に行ったりするようになった。お互いが就職してしばらくした後、いつものように食事にやってきた俺を、ゆやは自分の会社に誘ってきた。

「慎介なら俺の会社で絶対に重宝されると思うし、給料も今より上がるからどうかな。俺もお前と働けたら楽しいし」

当時の俺の会社は小さく、給料も高くなかったし、特に思い入れもなかった。ゆやの会社は外資系でも大手と言われる会社で、給料は格段に上がる。だが、俺はゆやのように大学を出ていなかったから、そんな大企業でやっていけるとは思えず、自信がなかった。

「車内にも高卒の人はたくさんいるし、慎介のスキルがあれば絶対に大丈夫だって」

自信なさげに悩む俺を、ゆやはこうして励ましてくれた。確かに、ゆやと一緒に働けたら楽しいだろう。それに、これだけ熱心に誘ってくれるゆやの気持ちを踏みにじりたくはなかった。

「分かったよ。受かるかどうかは分からないけど、受けるだけ受けてみるわ」

「そう来なくっちゃ。大丈夫、慎介なら落ちるわけないさ」

その後、俺はゆやの会社の中途採用募集に応募し、見事合格。ゆやと同じ海外事業部で働くことになった。転職から一年が経ち、今ではだいぶ仕事にも慣れ、大きなプロジェクトのメンバーに選ばれたりもするようになっている。

仕事は充実していてやりがいがあり、ゆやの誘いに乗って転職してよかったと思っている。だが、一つだけ問題があった。課長である岸田卓郎の存在だ。課長は学歴至上主義で、俺のような高卒社員を見下している。雑用や自分の仕事を押し付けてくるのは日常茶飯事で、少しでも反論すれば首にすると脅してくるのだ。

俺はそんな課長の態度にうんざりしていたが、変に上司に盾突くことで、俺を誘ってくれたゆやの顔を潰すわけにはいかない。ゆやも俺の愚痴を聞いて励ましてくれ、課長に文句をつけるとまで言ってくれた。だが、ゆやが課長に目をつけられるようなことになってほしくない。俺は怒るゆやをなだめ、我慢して様子を見ることにしていた。

しかし、たまたまゆやが視察への出張で不在の時、事件は起きてしまった。

その日、俺は自分が参加しているプロジェクトでの取引先へのプレゼンのため、いつもより早く出勤していた。このプロジェクトは会社としても力を入れているもので、成功すれば昇給や昇進があるだろうと噂されている。そんな大切なプロジェクトで、万が一にもミスをするわけにはいかない。俺は自分が作ったプレゼン資料を見て、抜けがないか確認作業をしていた。

するとそこに、課長がふらふらとやってきた。いつもこんなに早く出勤してこない課長の姿に、嫌な予感がしながら顔を上げる。

「おはようございます」

「おう。お前、プロジェクトメンバーから外すことにしたから、資料を他のメンバーに引き継げ」

「え、急に、なんでですか?」

「お前みたいな高卒がプロジェクトに参加してるなんて、取引先に知れたら会社の恥だからな」

意地の悪い笑みを浮かべながら言ってくる課長に、さすがに反論する。

「俺がいないとまずいと思いますけど」

「ああ? お前の代わりは俺がちゃんとやってやるから。高卒のお前にできることが、エリート大卒の俺にできないわけないからな」

「リーダーには確認したんですか?」

食い下がる俺に、いい加減うんざりしたのか、課長は舌打ちをして怒鳴ってくる。

「本当にお前は生意気だな。その態度にはいつもむかついていたんだ。今すぐにでも首にしてやりたいところだが、俺は優しいから今回は見逃してやる」

そう言うと課長は怒るのをやめて、またニヤニヤと笑いながら言い放った。

「君は本社にはいらない。田舎に左遷か研究か選べ」

俺を見下しながら言う課長の厚かましい顔を見て、今まで我慢してきた怒りが頂点に達した。ゆやには申し訳ないが、これ以上こんな奴の下で働いてなんかいられない。人を学歴で見下すくせに、見下した相手の手柄を横取りしようとするなんて、どんな神経をしているんだ。左遷も研究も受け入れない。

「では、退職で」

「あ? 自ら辞めるっていうのか」

課長は俺の言葉に驚きながらも、嬉しそうに顔を歪める。

「お世話になりました」

「はっ、後からまた雇ってくれって言ったって遅いんだからな」

課長が勝ち誇ったように言うのを背中で聞きながら、俺はプロジェクトメンバーに社内メールでプレゼン資料を送り、荷物をまとめて会社を後にした。

次の日、朝起きると携帯にゆやから電話がかかってきた。ゆやには昨日のうちにメールで会社を辞めたことを説明してあった。まだ出張のはずのゆやからの電話に首をかしげながら出る。

「もしもし」

「慎介、今から会社に来てくれないか」

「お前、出張はどうしたんだよ」

「昨日お前の話を聞いて、切り上げて帰ってきたんだよ。お前が参加してたプロジェクトの桝川さんがお前を呼んでる」

桝川さんとは、プロジェクトのリーダーをしていた俺の部署の係長だ。桝川さんには、プロジェクトメンバーに俺を抜擢してもらった恩がある。俺はゆやに今から行くことを告げて電話を切り、スーツに着替えて会社へ向かった。

会社に着いた俺はまず自分の部署へ行き、俺を待っていたゆやと合流して、桝川さんの待つ会議室へと向かう。

「ゆや、一体どういうことなんだ?」

「まあまあ、行けば分かるから」

ゆやを見ると、笑いをこらえているような顔をしている。これから何があるというのだろうか。

会議室に着き、ゆやと一緒に中に入ると、そこには桝川さんだけでなく、顔面蒼白な課長と、顔をしかめた部長もいた。

「連れてきました」

「ありがとう、上森君。津田君も、すまないね」

「いえ、こちらこそ、挨拶もせずに会社を辞めることになってすみませんでした」

「いや、その……」

桝川さんは課長をじろっと睨むと、俺を呼んだことの説明を始めた。昨日俺が会社を去った後、俺の資料をメールでもらったメンバーの一人が慌てて桝川さんに報告してきたらしい。そこで桝川さんが課長に説明を求めたのだが、課長は全く取り合わず、「自分に任せておけ、これで成功確実だ」と言って、息巻いて取引先の担当者が待つ会議室へと向かったのだとか。

しかしそこで事件は発生した。

「あいつがいけないんだ。ロシア語でプレゼンすることになってることを、俺に言わなかったから」

「俺は言いましたよ。俺がいないと困ることになるって」

「それだけで分かるわけないだろう。これだから高卒は嫌なんだ」

「俺の話を聞かずにプロジェクトから勝手に外して、左遷か研究か選べって言ったのは課長ですよね」

俺の反論に、課長は悔しそうに唇を噛みしめながら黙り込む。

そう、実は俺はロシア語ができ、それが今回プロジェクトメンバーに抜擢された大きな理由だったのだ。俺の両親は貿易関係の仕事をしていて、俺の高校卒業後からロシアに転勤することになり、俺はそんな両親についていくことを決めて、四年間をロシアで過ごしていた。ロシアでは大学には通わず、両親の仕事を手伝いながらロシア語を独学で学び、日常会話だけでなくビジネス用語もマスターした。ちなみに中学時代はアメリカで過ごしていたから、英語もできる。

そして今回の取引先はロシアの企業だった。外資系の企業だけあって、この会社では英語や中国語、韓国語を話せる人は多い。だが、ロシアとは今まで積極的に取引をしてこなかったから、ロシア語を話せる人間は少なかった。さらにロシア語でビジネス用語を交えながらプレゼンができる人間となると、ごくわずかだ。

しかし今回、会社としてロシアの企業と大きな取引を成功させるプロジェクトが舞い込んできた。そこでプロジェクトリーダーを任された桝川さんが俺のことを思い出し、メンバーとして参加させ、プレゼンを任せると言ってくれたのだ。そのため俺が準備した資料は全てロシア語。取引先と握手を交わしていざプレゼンを始めようと、メンバーから資料を受け取った課長は、一気に青ざめて固まってしまったそうだ。

課長は慌てて他のメンバーに振ろうとしたが、俺の他にロシア語を話せる人間はいなかった。仕方なく、他のメンバー用に作ってあった日本語で書かれた資料を見ながら、あたふたとプレゼンを始めたらしい。当然取引先の担当者たちには伝わらない。ロシア語で対応すると言われていた取引先の担当者たちは激怒し、桝川さんがなんとか怒りを沈めてプレゼンの日程を延期してもらうことにしたのだとか。取引先の担当者たちの延泊分の宿泊費などを請求され、部長に話が行き、関係者を呼べと言われて俺も呼び出されたというわけだ。

「岸田課長、今回君のせいで危うくプロジェクトが台無しになりかけただけでなく、無用な経費もかかってしまったんだ。責任は取ってもらうからな」

「え、いや、待ってください。この高卒がちゃんと俺に説明しなかったからいけないんですよ。責任はこいつにあります」

冷や汗を流しながら食い下がる課長を、部長は睨みつけながら静かに問いかけた。

「さっきから、君は津田君のことを高卒と呼んでいるが、それは今回の話と何か関係があるのかな?」

「はい。そもそもこいつがこんな低学歴の無能をメンバーにしたせいで、ロシア語でやり取りしなくちゃならなくなったことが今回の事態を招いたんです」

「ああ、だって普通に考えて、日本でビジネスをするのに日本語じゃないなんておかしいじゃないですか。こいつに取引先を説得する能力がないから、ロシア語でやり取りしなくちゃならなくなったんですよ」

こればかりは課長は自分の非を俺のせいにして逃れようとしたが、部長は課長が言い終わると同時に言い放った。

「では、高卒の私は、君から見たら低学歴で無能ってことになるな」

「そ、それは違います」

「何が違うんだ? それに、取引先との信頼関係を築く上で、相手の国の言葉でビジネスを進めていくのは必要な気遣いだと思うし、取引を成功させるために不可欠なことだと思うが」

「そ、それは……」

部長が俺と同じ高卒だったとは。課長は見事に部長の地雷を踏んだことを察し、あたふたと冷や汗を流し続ける。俺の横で肩を震わせながら笑いをこらえているゆやを見て、先ほどのゆやの言葉の意味が分かった。ゆやは部長が高卒であることを知っていたのだろう。そして、高卒の俺を見下していた課長が学歴を引き合いに出して責任逃れをしようとすることは目に見えていた。この展開をゆやは予想していたというわけだ。

「君は今回だけでなく、日頃から学歴によって社員を見下した態度を取っているらしいね」

「ええ、まさかそんなことはしていません」

「君のことはもう信用できない。今回のことは社長にも報告済みだから、君については調査されることになるだろう。追って連絡があるまで、おとなしく自宅で謹慎してろ」

どうやらゆやは事前に部長へ、課長の日頃の行いを報告していたようだ。課長は部長の言葉に何か言い返そうと口を開こうとしたが、言い訳の言葉が浮かばなかったのか、呆然とした表情のまま、だらりと会議室から出ていった。

「津田君、今回は課長のせいで嫌な思いをさせてしまって申し訳なかった」

「え、係長のせいではないですから」

「君は我々に必要な人材だ。どうかまた戻ってきてくれないだろうか」

係長の言葉に部長も頷いている。隣からゆやの視線も感じ、俺はしばらく考えた後に口を開いた。

「すみません。もうあの課長の元で仕事をすることはできません。なので、返事は調査の結果次第ってことでいいですか?」

「もちろん。それで構わないよ。とりあえず、まだ退職届は受け取っていないし、有給休暇ってことでいいかな?」

「はい。それで構いません」

俺とゆやは二人に頭を下げて、会議室を後にした。

「ゆや、ありがとうな。部長に話してくれてたんだろ」

「気にすんなよ。当然のことをしただけだし。お前がいなくなったらつまんないからさ」

「それでも、ありがとう」

俺の言葉にゆやは照れくさそうに笑いながら手を振って仕事に戻っていき、俺は家に帰って調査の結果を待つことにした。

数日後、桝川さんから俺に連絡が入り、課長の処分が決まったと報告を受けた。調査の結果、課長の今までの行いが次々と明るみに出たらしい。日頃から課長に虐げられてきた社員たちが課長をかばうはずもなく、どんどん証言が集まったそうだ。部下への誹謗中傷、無理なこき使い、手柄の横取り、首をちらつかせての脅迫、挙句には俺に対する不当解雇。課長の今までの言動が問題となり、降格の上、左遷されることになったらしい。しかし課長は「また平社員になるくらいなら」と自主退職したそうだ。今後課長がどうなるかは分からないが、あの態度では、再就職は厳しいものになるだろう。

課長がいなくなったことで、俺は部長や桝川さんの提案を受け入れて、会社に戻ることを決めた。中断されていたプロジェクトも再開させ、今日は再度プレゼンを行うため、取引先に会議室に来てもらっている。

俺はこれからも友情を大切にしながら仕事をこなし、会社に貢献して、充実した日々を送っていこうと思っている。

Thumbnail