夫のリモート通話が切れたと思った瞬間、画面に映った光景に私は言葉を失った。真っ昼間なのにバスローブ姿の女が、夫のベッドに座っていたのだ。「奥さん電話してる時、すっごく楽しそうだったよ」女はケラケラ笑いながらそう言った。「そうかもだけど、まあここにいないし」夫もニヤニヤしながら答えた。しかもベッドの下には、結婚記念日のプレゼントだと送られてきた高級バッグと全く同じものが置いてある。あの鞄は、浮…

夫のリモート通話が切れたと思った瞬間、画面に映った光景に私は言葉を失った。真っ昼間なのにバスローブ姿の女が、夫のベッドに座っていたのだ。「奥さん電話してる時、すっごく楽しそうだったよ」女はケラケラ笑いながらそう言った。「そうかもだけど、まあここにいないし」夫もニヤニヤしながら答えた。しかもベッドの下には、結婚記念日のプレゼントだと送られてきた高級バッグと全く同じものが置いてある。あの鞄は、浮...

夫マリオは出世欲の塊のような男だった。地方の支社から私の勤める本社に転勤してきたのも、偉くなって金持ちになりたいという一心で成果を上げてきたかららしい。そんな彼を、私は内心警戒していた。知り合って間もない頃、マリオは私に言ったのだ。「より子さん、お父さんがうちの会社の関係者なんですよね」と。

そう、私は父が役員を務める会社で働いている。これまでも身内に会社関係者がいるという理由で、社内外の人から色眼鏡で見られてきた。でも、その度に実力と結果で示して、そういう人たちを見返してきた。ある意味、負けず嫌いな性格の私には、こういう環境は向いていたのかもしれない。

最初は警戒していたものの、マリオはイケメンでやる気があった。口先ばかりの本社の同期の男性とは大違いだ。一緒に仕事をしていて楽しいし、何事にも積極的に取り組んでくれる。私はいつしかマリオに惹かれていった。

「より子君となら、仕事も家庭も全力でやれる、素敵な夫婦になれると思うんだ。俺と結婚してください」

プロポーズされた時、私は「私でいいの?仕事の方が楽しくなっちゃって、あなたのことを大切にできないかもしれない」と答えた。お互い仕事熱心だから、家で一緒にいられる時間は少ないし、外出も旅行も他の夫婦に比べたら多くない。それでもお互いに信頼し合って一緒にいる。だから私は幸せだった。

ところが、今年の春からマリオは地方に単身赴任することになった。マリオは本社勤務を喜んでいたから、とてもがっかりしていたし、私も新婚なのにひどいと思った。けれど長期的に見れば出世につながる重要な仕事で、1年ほどで本社に戻れると聞いている。今はパソコンやスマホでテレビ電話ができるし、元々一緒にいる時間の方が少ないのだから、距離感や寂しさを感じないようにすることはいくらでもできるだろう。本当に寂しくなったら会いに行けばいい。そう思って、私は笑顔で夫を送り出したのだった。

夫が地方に行ってから3ヶ月ほど経過した。私たちは週に1、2回くらいの頻度でテレビ電話をし、お互いの近況を報告し合っている。想像していた通り、今は便利な世の中だから、タイミングを決めてゆっくりテレビ電話をすれば、案外寂しさなんて感じないものである。

「地方は地方で楽しそうよね。お寺とか見てみたいわ。夏の休暇にそっちに遊びに行こうかな」

私が何気なく言うと、夫は微妙な反応をした。

「そうだな。俺も会いたいけれど、休みもなく働かされてるから、夏休みだってもらえるか定かじゃないんだ」

「そ、そうなんだ。やっぱりプロジェクトの責任者って忙しいわよね。お疲れ様」

夫の言葉を素直に信じ、残念に思っている私。ふと、夫の顔の向こう側、夫が借りているアパートの室内が気になった。そんなに忙しいなら、掃除もままならないのかもしれないと思ったからだ。でも、画面上で見える範囲を見ただけだが、案外綺麗にしているみたいだった。忙しい割に整理整頓をしっかりしてるみたいで偉いね、と褒めてあげようと思っていたところなのに、画面の端に見慣れない鞄が映り込んでいることに気づき、私は何も言えなくなってしまった。

その鞄は女性ものだった。あまり流行に詳しくない私でさえ、パッと見て分かるほどの高級ブランドのバッグである。

「ねえ、その鞄、何?」

私は当然指摘する。夫はちらっと後ろを振り返り、それから少し慌てた様子で返事をした。

「え、ほら、結婚記念日のプレゼントだよ。俺たちなかなか会えないだろ。でもせめて物はしっかりプレゼントしたくってさ。どうかな。綺麗な形だし。コインケースも付いてて便利だろう。お前に似合うと思うよ。通販で取り寄せたから状態はどうかなと思って箱から出しちゃった。サプライズにしたかったんだけど、なんかごめんな」

「あ、うん。いいの。嬉しいわ。届くのが楽しみ」

どう考えても怪しい。言い訳はもっともらしいけれど、どうにも不審感がある。でも、その時の私は追求することができなかった。まだ夫を信じていたかったからである。実際、後日本当にその鞄が送られてきたから、疑ったのは失礼だったのかもしれない。メッセージカードには愛情たっぷりのコメントが書かれていて、素直に嬉しい。しかし、これだけ安心するための材料が揃っているのに、私はどうしてもわずかな不審感を消すことができなかった。もらったその鞄は、結局箱からも出せずにクローゼットの中に入れたままにしている。

そこからさらに数ヶ月が経過した。夫がいない生活にもテレビ電話での交流にも慣れた。そんなある日。

「じゃあマリオ、私そろそろ」

「あ、うん。寒くなってきたから風に気をつけろよ。より子、ありがとう」

通話を切ろうと思った直後、家のドアホンが鳴った。

「どうした?」

「あ、宅配便来ちゃった。通話切っといてくれていいよ。またね、マリオ」

私はそう言って立ち上がり、玄関の方へと向かう。その時は早く荷物を受け取らねばということが頭の中を占めていて、通話を切っていないとか、画面がつきっぱなしだとか、そういうことは考えられなかった。荷物を受け取り部屋に戻ると、パソコンの画面にはまだ夫の姿が映っていた。

「えっと、これで通話終了だな」

何を思ったか、夫はこちらに映像が映りっぱなしの状態なのに、自分の側はリモート接続が切れたものだと思っているようだった。声をかけてやろうとしたところで、画面にとんでもないものが映り込んできたから、私は思わず口元を手で覆ってしまう。夫のパソコンが置いてあるデスクの向こう側にはベッドがあって、1人の女性が座っているのだ。それも真っ昼間にも関わらずバスローブ姿で。さらに、少し前の結婚記念日のプレゼントだと言った鞄と全く同じものがベッドの下に置いてあることにも気づいてしまう。

頭の中に、忘れかけていたあの時の不審感が蘇ってくる。夫はやはり女をアパートに連れ込んでいたのだ。しかも1回や2回どころじゃないのだろう。女性は当たり前のようにベッドの上でスマートフォンをいじっていて、夫の部屋にいること自体に慣れきっている様子だ。

「ひどい。奥さん電話してる時、すっごく楽しそうだったよ」

ケラケラと、その場にいない私を馬鹿にするように女性は話す。

「そうかもだけど、まあここにいないし」

夫も私が聞いているのにも気づかずにニヤニヤ笑ってそう返事した。

「まあまあ、最低」

「最低なのはお前だ。見えるところに鞄を置きっぱなしにして、俺はわざわざカムフラージュのために同じ鞄を買わないといけなくなったんだぞ。高かったんだからな」

「あれ何それ?自業自得じゃん。センスゼロのあいつにはもったいない高級品だよ。全く」

そんな風に楽しそうに話をしながら、夫と女はベッドに横になった。私はそれ以上は見たくなくて、パソコンの電源を落とす。思うことといえば、ただ悔しいということだ。結婚記念日のお祝いのバッグだと言っておきながら、不倫をごまかすために送ったということじゃないか。

「本当に最低よ、マリオ」

思わず口をついて出てきた悪口。本当はこんなことを言いたくはない。それに、あの不倫相手の女性にどこか見覚えがあるのも気になる。確か彼女は今年入社した専務の娘だ。わざわざ地方まで呼び寄せて付き合っているなんて、随分と手が混んだ浮気だと思った。しかし、私はなんだか納得がいってしまう。上昇思考の強い彼らしい人だと笑ってしまう。何せ私だって執行役員の娘だ。浮気をするなら利用価値のある娘を選ぶのは、夫の性なのだろう。こうなるともう何も信じられない。私という人間を愛してくれていると思っていたのに。

悔しいと思うのに飽きてきた頃、今度は許せないと思うようになった。真実を確かめようと思い、私は動き出したのだった。

あの衝撃的なテレビ電話から数日後、夫が遊びに来たらどうかと誘ってきた。もしかしたら、仲良くしているふりをしないと世間体が悪いと思ったのかもしれない。私は2つ返事でイエスと答える。夫がくれた鞄を持って、夫が借りているアパートを訪ねた。

「結構綺麗にしてるだろう。今麦茶持ってくるから」

そう言って台所の方に歩いていった夫の背中を見て、私は今がチャンスだと行動を起こす。鞄とお揃いのコインケースを、夫のパソコンデスクの戸棚の中にこっそりしまう。実はコインケースの中には盗聴機が仕込んである。バッテリーの持続性に優れているもので、数日くらいは音を拾い続けてくれるはずだ。何も証拠がなければ文句を言うことだってできない。夫は当然気づくだろう。でも不倫相手だって同じものを持っている。果たしてどちらが誰のものか区別がつくだろうか。区別がついたなら、それなら別の方法を講じるだけだが、気づかないならこっちのものだろう。どんな情報が取れるか、実に楽しみである。

バッテリーが切れる頃、夫に電話をかけて確認をする。

「あなたがくれたコインケースをなくしたんだけど、そっちにないかしら?」

「ああ、あるよ。俺の机の戸棚に挟まっていたよ」

夫はきっとコインケースを見つけても、中身を開けはしなかったのだろう。普通に返事をしてくる様子からそう推測できる。すぐに欲しいから送ってくれと頼めば、コインケースは数日後には私の手元に戻ってきた。そして恐る恐るその音源を聞くと、夫と専務の娘が不倫して仲睦まじく会話している音声データがばっちり取れていた。

このデータを叩き台にして探偵を雇い、色々調べてもらう。すると、専務の娘以外にも、役員や部長の娘など、片手の数では収まらないくらい多くの女性と関係を持っていることが分かった。それから私個人としても、夫が所属する部署の同僚などから話を聞いていくうちに、私の知らない夫の一面が見えてきたのだ。夫はどうやらここ最近成績不振のようで、焦っているらしい。自分の努力だけでは結果が頭打ちになることに気づいた夫は、努力の方向性を仕事からコネを作ることに変えたのだろう。成績が振るわないことは純粋にかわいそうだと思う。でも、それと私を裏切って他の女を作ることとは全く別だ。しかも女性を自分の出世の道具みたいに利用しようと目論んでいる。男としても社会人としても最低な行為だと思う。自分で調べていくうちに、夫への感情が見る見る覚め切っていくのを感じる。そして、私のプライドを傷つけた報復を受けさせなければという気持ちが、じわじわと芽生えてくるのだった。

夫の単身赴任は、最終的に1年を待たずに終了。夫は我が家に戻ってきた。それを祝って、私はお互いの両親を招き、ホームパーティーを開催した。デリバリーしたご馳走とのりのいい音楽を流し、家族だけで行うささやかなパーティーは、実に和やかな空気のまま進んでいく。

「あれ?なんか音楽のノリ変わったね。ていうか、これ俺の声?」

音楽プレイヤーと連携しているスピーカーが、家中に大音量で夫と専務の娘の会話を流し始める。夫はわけも分からずただうろたえて、顔が真っ青になっていく。

「なんだこれは?より子、お前」

私の両親にはあらかじめ事情を説明してあったけれど、夫の両親は、自分の息子と聞いたこともない女性の声が聞こえる音声データにひたすら慌てふためいて、息子に詰め寄っていた。

「これはどういうこと?まさか浮気をしているのか?」

探偵の協力で入手した他の女との音声データも続けて流してやれば、いよいよもって夫は自分がしてきたことが私にバレていると気づく。

「より子、さか、お前、全部知っているのか?」

ガタガタ震えながら夫は私に尋ねてきた。私は笑顔でこう答える。

「次は社長のご令嬢とでも結婚したら、自動的に社長になれるわよ。もっとも、この音声、あなたが浮気した他の女性たちにもばらまいたから、例え社長になったところでちゃんと仕事をできるかは分からないけれどね」

そう言うと、夫は絶望した顔で私にすがりついてきた。

「お前だって、俺が優秀で出世街道まっしぐらの男の方がいいだろう。これは出世のために必要なことだったんだ。見逃してくれ」

「じゃあ、私とのことはどうなの?私との結婚も出世のため?」

「そ、そんなわけないだろう。お前は特別だ」

夫は立たじの様子だ。私が答えに詰まっていると、父が前に出て夫に問いかけた。

「マリオ君、私の立場を利用するために娘に近づいたのか?本当のことを聞かせてくれ」

紳士的な父の問いかけに、夫はこう答えた。

「最初は出世のためでした。他の女性たちは自分がし上がるための道具でしかないとしても、より子のことだけは本気です。もう浮気はしないから、今回は許してくれ。やり直すチャンスが欲しい」

嘘なのか本当なのか判断しきれない。しかし、あれだけ派手に浮気をしておいて、今更私だけは特別なんて言われても、信用なんてとてもできない気持ちの方が強い。

「決めるのは私じゃない、娘だ。私には君が本心からそう言っているのかも分からない。ただ、私としては君のことを軽蔑するし、娘の夫として到底認められないけれどね」

夫の両親も、息子の言葉の真実味を疑っている様子だ。

「マリオ、お前のことを信じたい気持ちはある。でも、お前が田舎育ちにコンプレックスを感じて、都会で気持ちが人一倍強いことは知っている。だからこそ、これだけはっきりと証拠が揃っているのに、今更よりさんだけは特別だなんて言われたって、とても信用できないよ。正直、育て方を間違えてしまったと後悔している」

父親からの言葉はもちろん堪えたようだが、何より実の親から信用されていないのが、夫には応えたらしい。でも、周りが何を言ったって、結局のところ夫を信じるかどうかを決めるのは私だ。自分の気持ちに正直になって、思っていることを言おう。

「散々嘘をついて騙して。しかも女と一緒に私のことを馬鹿にして。そんなあなたのことを信じられるわけがない。私も仕事は大好きだし、出世は嬉しいわ。でも、だからこそ自分の力で成功を掴みたいといつも思っている。他人を利用しようんなんて、愚かなことだと思わないの?」

「お前だけは違うって言っているじゃないか。なんでお前まで俺のことを見放すんだよ。夫婦だろ」

「夫婦だって思うのなら、私のことを大切だって本気で思っているのなら、どうして不倫している女と同じ鞄を、よりによって結婚記念日のプレゼントにしたのよ。馬鹿にするのも大概にして。あなたみたいに他人を頼って利用して出世しようとする人とは、もう家族でいたくない。離婚させていただきますから」

そこまで言うと、夫は全部諦めたようだ。ぐったりと肩を落として、悔しそうに鼻をすする。一番近手な出世の足がかりを失ったわけだし、自業自得だけど。その日、疲れきった夫は彼の両親に連れられて彼の実家に帰って行った。彼が私たちの家に帰ってくることは、2度とないだろう。

それから宣言通り、私は夫と離婚した。私が夫の悪事を関わった女性たち全員に教えたことで、夫は私だけでなく不倫していた女性全員から訴えられるはめになった。私1人ではなく何人もの女性から慰謝料を請求されて、夫が持っている金だけでは当然支払いきれない。預金は全部金に返させられ、足りない分は借金をしたらしい。元夫は借金の返済で、しばらくは自由を奪われるだろう。会社も自主退職というか、実質首になった。あれだけ上層部の娘に手を出していたとあって、その無節操さは当然上層部の怒りを買わないわけがない。社内でも噂が広まりに広まって、居づらくなったというのもあるだろう。今はなんとか就職できた小さな工場で働いて、借金返済を地道に進めているようである。夫の両親が謝罪のために私の家を訪れた際、教えてくれた。私自身はもう2度と彼に会うつもりはない。

ところで、夫からの慰謝料をもらうのはもちろんのこと、夫がくれたあの不倫相手とお揃いの鞄なのだが、ほとんど使っていなかったというのもあり、売ったら新品とほぼ同じ値段で売れたので驚いた。ちょっとしたボーナスをもらったみたいで嬉しい。

マリオと別れ、改めて結婚って何だろう?人生に大事なものって何だろうと色々考えてみた。私にとって一番大事なものは、今も昔も変わらず仕事かもしれない。とはいえ、家族を持つことに夢がないわけでもない。鞄を売ったお金で新しい恋愛に備えて美容に力を入れてみようなんて考えたりしながら、私は今日も仕事に向かうのであった。

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