「町工場とは契約終了だ。中国製の方が優秀だからな」
俺が作るものを中国製より劣ると言い放ったのは、新しく部長に就任した人物だった。頭はいいが、仕事はできないタイプらしい。俺を馬鹿にするとどうなるか、その身をもって理解させてやろう。
その後、部長のせいで取引先は大ピンチに陥り、部長は地獄を見ることになるのだが──。
俺の名前は和田、三十九歳。三年前に創業者である父から会社を継いで社長を務めている。従業員数は二十名の小さな企業だ。売上の九割を担っているのはベアリングという部品。髪の毛ほどの誤差も許されない精密さで作られた部品で、精密さが要求される医療機器に使われている。父は持ち前の技術と発想でこのベアリングを開発し、おかげでうちの工場は小さいながらも安定した経営を続けていた。取引先との年間契約額は七千万円。小さな町工場にとってはまさに生命線だ。
「和田社長のお父さんの話をドラマ化したら、きっと大ヒットするんじゃないですかね」
「いやあ、ボロい町工場がすごい技術力を持ってるって言われても、大半の人はピンと来ないんじゃないですかね」
俺の応接室で雑談を交わしていたのは、取引先の担当者で資材管理部の部長である川野さんだ。この人は父の代からの付き合いで、俺も色々とお世話になった。しかしこの度、退職を決意したらしい。
「仕事にかまけて嫁にずっと寂しい思いをさせてきたので、これからは嫁を大事にするつもりなんですよ。いいですね、仲が良くて羨ましいです」
「私、社長も早く嫁をもらったらどうです? なんなら俺がいい女性を紹介しましょうか?」
川野さんの冗談に、俺は苦笑いで返す。今は仕事が忙しいので、自分のプライベートを考える余裕はない。そのうち結婚できればいいかと思っていたが、川野さんの担当交代が思いがけない忙しさを生み出し、俺の結婚はさらに遠のくはめとなった。
川野さんが退職してから一週間後、俺は取引先へ向かっていた。新しく担当になったのは、川野さんの後を継いだ資材管理部の新部長。挨拶をしたいからうちに来てくれと呼び出しのメールを受け取ったのだ。普通は相手の方が来ると思うんだけどな。忙しいのだろうと理由をつけて、指定された会議室へ向かう。
そこにいたのは、ピシッとスーツを着た同年代くらいの男性だった。
「初めまして、和田と申します」
「ああ。どんな会社だったか、前任から取引先の引き継ぎをして、ここを数日の間で一気に顔合わせしててな。まだ全部覚えてないんだ」
疲れた様子で眼鏡をクイっとあげる人物。渡された名刺を見ると、資材管理部の部長、嶋岡と書かれていた。
「川野さんから伺ってます。前職で徹底的なコストカットを実現して業績を回復させたとか。その腕を買われてこちらの会社に来たんですよね」
俺が笑顔で言うと、嶋岡部長はニヤリと笑い胸を張った。
「そうだ。この会社も昨今の物価高騰で苦しんでいるらしい。優秀な俺に寄せられる期待はかなり大きいな」
恥ずかしげもなく自慢する嶋岡部長に、少し変わった人だなと心の中で評価する。前任の川野さんは優しい人だったが、果たして新部長はどうだろう。
「で、オタクはどういう会社だ?」
「うちは小さな町工場です。父の代からずっと同じ建屋なので、最近は色々とボロボロになってまして」
笑いを誘おうと自虐混じりで自己紹介する。すると嶋岡部長は馬鹿にしたように鼻で笑った。
「そんな会社でも、うちみたいな大手と取引できるんだな。で、何を作ってるんだ?」
「ベアリングです。これが少し変わってまして、取引価格は──」
俺の話を遮る質問に、少し眉を寄せつつ正直に答える。すると嶋岡部長は目を丸くして大声をあげた。
「はあ? そんな高額で取引してんのか。詐欺じゃねえか。ただのベアリングだろ」
この発言に、俺はある可能性に気づいた。もしかして嶋岡部長は、川野さんが残した引き継ぎ資料を読んでいないのでは? 川野さんはきちんと引き継ぎ資料を作っていると言っていた。当然、我が社の情報もそこに掲載されている。それを見ていれば、こんなセリフは出てこないはずだ。
「工場に援助してやってるのか。前任者と随分仲が良かったようだな」
「確かに前任の川野さんと、我が家の先代社長は親しい間柄でしたが」
「は、なるほどな。でも俺が新しい部長になったからには、援助は終わりだ」
そして覚めた目で俺を睨みつけながら、こう言い放った。
「町工場ごときが大手企業を値切ろうとは。中国ならこんな価格の十分の一で作れるぞ」
「えっと、うちのベアリングはただの部品ではなく──」
「言い訳は聞きたくない。うちと継続して取引したいなら、最低でも今の価格の半分にしろ」
突然突きつけられたとんでもない要求に、今度は俺が目を丸くする番だった。驚き言葉を失っている俺を、嶋岡部長は笑って見ている。その顔には、自分が上に立っている優越感のような感情が滲んでいた。
「これでも高い価格を提示してやってるんだぞ」
「そのご要望には答えられません」
嶋岡部長の笑みが消え、眼鏡の奥から鋭い眼光で俺を睨みつける。
「うちが提示しているのは正当な価格です。前任者の独断ではなく、上層部に許可を得て価格決定したと伺ってます」
「それは前任者が嘘をついてたんだ」
「あのじいさん、昔はやり手だったようだが、年を取って耄碌してたんじゃないか」
「なんですって?」
川野さんは、社長になり立てで右も左も分からなかった俺を優しく指導してくれた。社長になる前からも面倒を見てくれた素晴らしい人で、俺にとってはかけがえのない人でもある。そんな人をコケにされ、俺の中で怒りが湧き起こった。
「おい、なんだその目は?」
「川野さんは嘘をついていません。訂正してください。それと、あなたの価格交渉に我が社は一切応じません」
怒りを露わにするなんて、社会人として失格だろう。しかしあまりにも失礼な嶋岡部長の言動に、俺はどうしても我慢ができなかった。嶋岡部長は一切引かず、それどころか怒りで顔を真っ赤にして俺を大声で罵倒した。
「貧乏人は考える頭もないのか? 工場なんて肉体労働の底辺の仕事だから仕方ないか。俺に逆らうとどうなるか分からせてやる」
「我が社としては引き続き円満な取引をお願いしたいのですが」
「うるさい。出ていけ。貧乏人と一緒の空気なんて、これ以上吸いたくないね」
唾を飛ばす勢いで怒鳴られれば、反論するのも嫌になる。俺はため息をつくと、大人しく会議室から出ていった。
それから一ヶ月後。この日は毎年恒例のベアリングの契約更新のため、嶋岡部長の元へと向かっていた。部長には契約更新のために伺うと事前にメールで連絡してある。最初は電話をかけたのだが、応答した社員から「部長は不在だ」と五回連続で言われ、俺と話すのを拒否しているのだろうなと推測した。なので重要な要件ではあるがメールにさせてもらったのだ。
全く子供みたいな人だな。前の会社の業績を回復させたというが、にわかには信じがたい。まあ、俺は目の前の仕事をこなすだけだ。本音を言えば会いたくないが、こちらも仕事だ。自分の会社へ戻りそうになる足を必死で止めてエントランスに入る。
いつも通り受付の女性社員に要件を伝えたが、そこから三十分も待たされてしまった。
「嶋岡部長への取り次ぎはどうなってます?」
待つのも限界だったので女性社員に尋ねるが、困ったような顔で返答された。
「申し訳ございません。部長は不在だそうです。お引き取りくださいとのことで」
明確な入館拒否だった。こうも堂々と嘘を使うとは。なるほど。俺はスマホを取り出し、嶋岡部長の携帯に電話をかけた。呼び出し音が二回鳴った後、相手は出た。
「もしもし。契約更新のために御社に来ているのですが」
「入館拒否とはどういうことだ」と言いかけて、寸でのところで飲み込む。そんな俺に対して、部長は笑い混じりで返答した。
「その件だけど、町工場とは契約終了だ。中国製の方が優秀だからな」
「はい?」
呆気に取られた声をあげた俺に、嶋岡部長は馬鹿にしたような声で返した。
「金食い虫のボロ工場と取引関係を続けてても、我が社には何のメリットもない。だからお前との関係は今回で終わりだ」
「でしたら、事前に連絡すべきでは? こちらはわざわざ時間を割いて嶋岡部長の元に足を運んでいるのです」
しかし部長は信じられない返答をする。
「は? なんで俺が底辺のために連絡してやらなきゃいけないんだよ」
どうやらこの人は俺のことを徹底的に見下しているらしい。あまりにも身勝手な言い分に、俺の口から思わずため息が漏れた。
「うちのベアリングが御社の全国十二工場で使われていることはご存知で?」
「だからなんだ。全工場まとめて切り替えればいい」
「一方的な契約終了は違反ですよね」
俺の追及を嶋岡部長は一方的な主張で粉砕する。
「じゃあ弁護士でも雇って訴えれば? あ、そんな金はないか。取引先から値切られることしか能のないボロ工場だもんな。俺に逆らうとこうなるんだよ。後悔しても遅いからな」
不気味な声が聞こえてきたかと思ったら、次の瞬間には通話終了を告げる音が聞こえてきた。
何も分かってないな、この人。俺はスマホを鞄の中にしまい、嶋岡部長の会社を後にする。
「無駄な仕事が増えたな」
俺のつぶやきに、誰も反応しなかった。
それから三日後。
いい天気だ。仕事が一段落したので、外の空気を吸うために建屋から出た。会社の正門付近には休憩用のベンチが置かれている。ここで缶コーヒーを飲みながら一休みするのが俺のお気に入りだ。しかし今日は十分も休めなかった。
「ああ、和田社長」
会社の前にタクシーが止まったかと思ったら、上等なスーツを着た人物が慌てた様子で駆け寄ってきたのだ。
「えっと、青山専務ですか?」
俺の前で息を切らしているのは、嶋岡部長の会社で製造を統括している青山専務だ。数回しか顔を合わせていないため、思い出すのに少し時間がかかった。
「すみません。突然伺って」
「ああ。おい、早く来い」
専務が後ろを振り向きながら怒鳴り声をあげる。タクシーからノロノロと降りてきたのは、先日俺を徹底的にコケにした嶋岡部長だった。
「あの、お話をさせていただきたいのですが」
「せめて立ったままの話は何ですし、応接室へご案内します」
休憩を切り上げて部屋へ二人を連れて行くと、椅子に座る間もなく青山専務が頭を下げてきた。
「この度はうちの嶋岡が本当に申し訳ございませんでした。おい、お前も謝れ」
「す、すみませんでした」
嶋岡部長は専務に怒られ、顔色が若干悪くなっているが、俺に頭を下げるのはプライドが許さないらしい。渋々といった様子で頭を下げた。俺は腕を組みながら二人の謝罪を聞く。
「その様子では、うちの顧問弁護士が送った通達が届いたようですね」
「ええ、その通りです」
弁護士が送った通達というのは、嶋岡部長が一方的に終了した契約に関するものだ。
「嶋岡部長はご存知なかったようですね。我が社のベアリングが特許取得の部品だということを」
俺の言葉に、嶋岡部長が唇を噛む。そう、父親が開発したベアリングはただの部品ではない。特定の温度と時間で処理することで、通常のベアリングより変形しにくく頑丈なものを作ったのだ。その製造工程がかなり特殊で、うち以外では再現が難しい。その特殊性が評価され、特許を取得できたのだ。
嶋岡部長にコケにされた後、俺はすぐに顧問弁護士に連絡した。この人も父の代からお世話になっている人で、事情を伝えるとすぐに駆けつけてくれた。
「契約書にはこう書かれています。『契約終了の意思表示があった場合、三十日後に特許使用権を停止する』と。今回の場合、契約書通りに動いて問題ないでしょう。すぐ相手の会社に通達しますね」
弁護士は手早く書類を作成し、嶋岡部長の会社に送付。その際、全国十二工場を統括している製造担当の青山専務にも同じ書類を送付していたのだ。うちのベアリングは十二工場全てで使われている。そしてベアリングがなければ、主力製品である医療機器は作れない。もし本当に特許使用権の停止となった場合、全体の売上の五十パーセントがなくなるだろう。
「多分、担当者の部長は通達を読まないでしょう」
今までの嶋岡部長の言動なら十分ありうると判断した俺は、弁護士の助言を受けて専務にも送付することに決めたのだ。そして今日、無事に青山専務が通達を受け取ったらしい。
「嶋岡に聞いたところ、そのようなものは届いてないと言われました」
「いえ、顧問弁護士はきちんと書類を送付してます。受け取ってないというのは嶋岡部長の勘違いでしょうね」
青山専務が鋭い目で部長を睨みつける。
「重要な書類を受け取ってないと嘘をつくとは。いや、それ以前に、うちの主力商品に使っているベアリングの契約を勝手に終了するとは、一体何を考えているんだ」
専務の怒鳴り声に、嶋岡部長は涙目で答えた。
「ち、中国製に切り替えれば、似たような部品が安く作れると思って」
「そんなわけないだろ。特許部品だぞ。簡単に真似ができないから特許なんだ」
「専務のおっしゃる通りですね。仮に特許の期限が切れて作り方が公開されたとしても、我が社以外で再現するのは難しいだろう。そのくらいレベルの高い作業が要求されるのです。うちの職人は父から直接、時間をかけて技術を教えてもらっている。それでも習得にはかなりの時間と手間を要した」
「和田社長、本当に申し訳ございませんでした。契約中止は破棄して、継続をお願いできませんか?」
「こちらもそうしたいところですが、無理です。嶋岡部長とは一緒に仕事をしたくないので」
「どういうことですか?」
青山専務が眉を寄せる。どうやら契約中止に至った経緯までは詳しく知らないようだ。
「実はこんなことがありまして」
いい機会だと思い、部長から受けた仕打ちを全て専務に伝えた。自分で言うのもなんだが、記憶力はかなりいい方だ。その上、俺は熱血っぽい性格をしている。無礼な仕打ちは一生忘れないタイプだ。
「前任の川野さんを見下すようなことも言ってました。何を言ったか一言一句しっかり覚えていますが、俺の口からは言いたくありません」
「それ、本当ですか? 川野さんは俺の大学時代の同じ大学の先輩だったんですよ。とてもお世話になったんです」
青山専務の怒りが膨らんでいくのを感じる。
「お前は大切な取引先をコケにしたあげく、俺の恩人を馬鹿にしたのか」
「俺にとっても川野さんは恩人です。我が社を見下すのはともかく、川野さんを馬鹿にするのは許せませんね」
俺の言葉に、青山専務が力強く頷いて返した。
「俺も同じ気持ちです。嶋岡には厳しい罰を与えるつもりですよ」
「え、せ、待ってください」
今まで不満げに口を尖らせていた嶋岡部長が、ぎょっとした顔で青山専務を見た。
「こ、今回のことは反省してます。だから俺にもう一度チャンスをください」
「ただのミスならそうしただろう。しかしお前は取引先を馬鹿にした挙句、一方的に契約中止にしている。情状酌量の余地はない。ベアリングが使えなくなったら我が社がどれだけの損失を被るか分かるか? 推定四十億だぞ。お前に損失分を補填できるのか?」
とんでもない数字を突きつけられ、嶋岡部長は顔面蒼白で言葉を失う。何か言おうとした唇は、あまりの現実の重さにブルブルと震えていた。
「青山専務、一つ提案があります。嶋岡部長にしっかり処罰を与えた上で、我が社との取引に一切関わらせないというのであれば、取引継続を考えましょう」
「本当ですか?」
「ええ。いかがです? 悪い条件ではないと思いますが」
青山専務は少しの迷いもなく頷いて返した。
「ありがとうございます。私どもは長年御社にお世話になってますから、こんなつまらないことで関係を終わらせたくありません」
「俺につまらないこととられた」
嶋岡部長が唇を強く噛む。そんなに噛んだら血が出てしまうぞと心配しつつ、俺は部長に対して容赦なくとどめの言葉を向けた。
「相手のことを表面上だけで判断するから、こんなことになるんですよ。それと、前任者が残した資料はきちんと確認しないと。基本中の基本ですよ。あなたは俺だけでなく、自分の仕事も軽く見ていたんですね。その結果がこれです」
「うう」
どうやら返す言葉もないらしい。嶋岡部長はうめき声をあげながら、椅子に力なく座り込む。その目には涙が滲んでいた。
青山専務の対応は素早かった。すぐさ上層部に今回の件を報告し、嶋岡部長の処分を決める。部長は降格の上、地方にある工場へ異動となった。部長が馬鹿にした工場での仕事だ。あいつへの罰はこれが一番効果的だろう。
処分が決定した直後、青山専務がわざわざ我が社に訪れて、ことの顛末を報告してくれた。
「嶋岡はマイホームを建てたばかりなんです。降格で給料がカットされて、ローンの支払いがギリギリらしいですよ。家でも売るらしくて、奥さんは今回の件で愛想を尽かして、子供を連れて出ていったそうです。嶋岡に残されたのは空っぽの家とローンだけですよ」
俺が想像した以上に重い罰を受けたようだが、情状酌量の余地はない。俺との一件がなくても、嶋岡部長のやり方ではいずれ大きな問題が起こっていただろう。
一方、俺は相変わらず忙しい毎日を送っている。青山専務の会社とは良好な取引関係を継続中だ。これからもあの会社とは、長くいい付き合いをしていきたいと思っている。
