俺の目の前に置かれたのは、白米だけの弁当だった。大手取引先との懇親会。豪華なエビや焼き魚が並ぶ中、俺の前だけが異様にみすぼらしい。「最近の君にはこれぐらいがお似合いだと思ってね」。エリート同僚の白石が、意地の悪い笑みを浮かべてそう言った。俺は六年間、黙々とシステムを作り続けてきた。プレゼンは下手でも、現場の声を形にするのが俺の仕事だ。なのに白石は、俺の資料も手柄も、まるで自分のもののように奪…

俺の目の前に置かれたのは、白米だけの弁当だった。大手取引先との懇親会。豪華なエビや焼き魚が並ぶ中、俺の前だけが異様にみすぼらしい。「最近の君にはこれぐらいがお似合いだと思ってね」。エリート同僚の白石が、意地の悪い笑みを浮かべてそう言った。俺は六年間、黙々とシステムを作り続けてきた。プレゼンは下手でも、現場の声を形にするのが俺の仕事だ。なのに白石は、俺の資料も手柄も、まるで自分のもののように奪...

最近の君にはこれぐらいがお似合いだと思ってね。大手取引先との定例プロジェクトの懇親会。豪華なエビや焼き魚が並ぶ高級弁当の中で、俺の前だけに置かれた白米だけの弁当。それを見下ろしながら、エリート同僚の白石は意地の悪い笑みを浮かべ続けていた。俺はITコンサルティング会社でシステムエンジニアとして六年間、黙々と働いてきた。大手メーカーのシステムを一から作り上げ、現場の声に耳を傾けながら、誰もが使いやすいシステムを目指してきた。プレゼンは下手でも、俺の作ったシステムは高い評価を得てきた。そんな俺を見下す白石は、周りに聞こえるように大きな声で話し始めた。「お前、プレゼンもできないし、お客さんと話すこともできない。そんな無能な人間には白米だけで十分でしょ。だってさ、何の仕事もしてないんだもの。毎日パソコンの前でこそこそ働いて、誰かが手柄を立てるのを待ってる。そんな人間に高級弁当はもったいないでしょ。ねえ、そう思いませんよね。」技術に響く白石の声。周りの社員たちは居心地の悪そうな表情を浮かべながら、誰も何も言えない。だが、そんな白石の目の前に、ある人物が立ち上がってこう言ったのだった。「白石君が担当するなら、三十億の相談は全て白紙だ。」青ざめて震える白石。「ま、待ってください。これは……」そして、この事件は俺の人生と会社をも巻き込む、思わぬ展開の始まりとなった。誰もが予想だにしなかった真実が、この瞬間から明らかになっていく。

俺は山田康太、二十八歳。ITコンサルティング会社、サクセスプライムのシステムエンジニアとして入社六年目になる。大手電気メーカーや製造メーカーから依頼されたシステム設計を始め、システムのアフターフォローや保守サービスまでを一手に引き受けており、俺は入社以降、ひたすら裏方として黙々とキーボードを叩く日々を送っていた。そんな俺がこの仕事を目指すきっかけとなったのは大学生の頃だった。「なあ、山田。お前パソコン得意だよな。こういうの作れる?」ゼミの友人からそう言われて見せられたのは、某ブランドサイトのホームページだった。「俺さ、ハンドメイドで鞄を作ってるじゃん。それで色々調べたら、ECサイトっていうのを作ったらいいって聞いたからやってみたんだけど、チンプンカンプンで。」そうして彼は両手を合わせながら、サイトの作成を頼んできた次第だ。もちろん最初は試行錯誤の連続だった。どうすれば迷わせないか、どうすれば使いやすいか。そんなことを考えながら画面を組み立てていく作業が、単純に楽しかった。「ああ、すっごく使いやすい。ありがとな。」そうして友達が喜んでくれた時の嬉しさは、今でも忘れられない。「こういうの得意だって聞いたんだけど。よければうちの店のも頼んでいいかな。」友達が俺の腕を底辺に広めてくれたことで、依頼は徐々に増えていった。サークルの公式サイト、学園祭の予約システム、地域の小さな商店のホームページ。でも、皮肉なことに、人と関わることは苦手だった。特に幼い頃からの上がり症は、今でも消えないコンプレックスの一つだ。小学生の頃、学芸会でセリフを全て忘れてしまい、みんなの前で立ち尽くすしかできなかった。「ほら見てよ。あいつ固まってる。」「なんか震えてるよ。怖。」そんな囁き声が教室中に広がり、先生に促されても口から言葉が出てこない。結局、担任の子が出てきて、自分は袖に下がることになった。それ以来、人前で話すことが怖くなってしまった。プレゼンや発表になると、頭が真っ白になって言葉が出てこない。でも、キーボードを打つ指の向こうには、誰かの仕事が楽になる瞬間がある。画面の向こうには、システムを使う人の笑顔がある。プログラムの一行に、誰かのありがとうが詰まっている。声が震えて言葉にできなくても、技術は正直に思いを伝えてくれる。大学時代、友人のECサイトを作った時の「すっごく使いやすい」という言葉は、今でも忘れられない。画面の遷移、ボタンの配置、エラーメッセージの文言。一つ一つに理由がある。ユーザーが迷わないように、ストレスを感じないように。その積み重ねが、使いやすいシステムを作り出す。システムを通して誰かの役に立てる。それが俺なりの精一杯の表現だった。

プレゼンは下手でも、俺の作ったシステムを気に入ってくれる取引先は増えていた。「山田さんのシステムは使いやすい。」「現場の声をよく聞いている。」そんな言葉が、少しずつ自信になっていた。プロジェクトマネージャーに昇進してからも、システム設計と資料作りに専念する日々。表部隊には立たないけれど、それなりのやりがいを感じていた。少なくとも、そう思い込もうとしていた。そんな日々が一変したのは、白石が入社してきた時だった。彼が入社してきたのは、三ヶ月前の暑い夏の日だった。白石友和、二十九歳。大手IT企業の社長の御曹司で、長い前髪を斜めに流し、鼻筋がすっと通った、いわゆるイケメンと言われる顔立ちをしている。「白石ITからやってきました。白石友和です。皆さんご存知かと思いますが、白石ITの社長が私の父です。でも、ずっと親の庇護の下でやってきた自分に限界を感じていました。もっと外の世界で揉まれたい、新しい価値観に触れたいと思い、このサクセスプライムに転職を決意しました。まだまだ未熟ですが、よろしくお願いします。」その爽やかな自己紹介に、会議室から温かい拍手が湧き起こった。さすがは大手IT企業の社長の血を受け継ぐだけあって、数々の大型プロジェクトを手掛けてきたという経歴の持ち主である。最初の一週間は、白石も普通の新入社員のように振る舞っていた。俺の作る資料に目を通し、時には質問もしてくる。その姿勢は、むしろ頼もしく感じたほどだ。「山田さん、このシステム設計、すごくいいですね。ユーザビリティの考え方が徹底してる。」「あ、ありがとうございます。」屈託のない笑顔で言われて、正直とても嬉しかった。しかし、それは長く続かなかった。

最初は些細なことだった。某家電メーカーから依頼された新システム導入で、相手側から意見を求められた時のことだ。「それでは私から説明させていただきます。」白石はプロジェクターに映し出された画面を指しながら、颯爽と語り始めた。「このシステムの特徴は、ユーザーを徹底的に追求した点にあります。画面遷移を最小限に抑え、初めて使う人でも迷わない設計を心がけました。」え、それ、俺が……。白石は俺の作った資料を、まるで自分のアイデアのように説明していく。「さすが白石さん。その発想、素晴らしいじゃないですか。」「ありがとうございます。このアイデア、実は一晩う悩んで思いついたものなんですよ。」俺が半年かけて作ったものを。会議室の隅で、俺は資料を握りしめる。次に気づいたのは、クライアントとの打ち合わせだ。「その件なら、私が対応しますよ。」白石の言葉に、俺は思わず手を止めた。それは大手百貨店チェーンの基幹システム改修案件。半年かけて現場に通い詰め、店長から若手スタッフまで、一人一人の声に耳を傾けて作り上げた提案だった。休日返上で店舗に立ち、レジの使い勝手から在庫管理の課題まで、細かくヒアリングを重ねてきた。「山田さんには申し訳ないけど、ここからは私が担当させていただきます。より戦略的な提案ができると思うので。」そう言って、彼は俺の作ったヒアリングノートを軽々と鞄に詰め込んだ。「あ、でも任せてよ。僕の前の会社でも、百貨店向けシステムは得意分野でしたから。」その後のミーティングで、白石は俺が必死で集めた現場の声を、まるで自分で聞いてきたかのように流暢に語っていた。店長の佐藤さんの使い勝手の悩みも、バックヤードの田中主任の在庫管理の課題も、全て彼のヒアリング成果として報告されていく。俺が半年かけて築いてきたクライアントとの関係性を、彼は意図も簡単に奪っていった。しかも、まるでそれが当然のことのように。さすがの俺も、これには頭に来ていた。休日返上で店舗に通い、手作りのコーヒーを入れてくれた売場主任の笑顔を思い出す。「山田さんが来てくれて、本当に助かります」と言ってくれた店長の言葉。一つ一つの声に耳を傾け、信頼関係を築いてきた半年間。それをこんな形で踏みにじられるのは、我慢ならなかった。

数日後、俺は白石の元へ向かった。「白石君、あのクライアントとの打ち合わせの件だけど。」「山田さん、どうされました?」「ああ、あの件でしたら、うまくいきましたよ。すごくいい評価をいただけまして。」「それは良かったんだけど、あの提案内容は俺が……」「あ、山田さん。」白石は俺の言葉を遮り、前髪を書き上げながら、意味ありげな笑みを浮かべた。さっきまでの敬語はどこへやら、打って変わって馴れ馴れしい態度に変わる。「うるさいな。いいじゃん、うまくいって。つうか、お前みたいな上がり症の人が説明したら、せっかくのいい提案も台無しでしょ。」「え、白石君……」「これはさ、クライアントのためを思ってやってんの。適材適所ってやつ。あんたは裏方に徹して資料作り。プレゼンは、人前で話すのが得意な人間がやる。そうやって分担した方が、みんながハッピーじゃん。まあ、これからもいい資料作っといてよ。その程度の仕事なら、あんたでもできるでしょ。」軽く肩を叩かれ、白石は颯爽と去っていった。肩を叩かれた場所が、妙に熱い。「その程度の仕事か。」六年間必死で積み上げてきたものを、たった一言で否定された気分だ。確かに俺は人前で話すのが下手だ。プレゼンだってまともにできない。でも、休日も返上して現場に通い詰めた日々。クライアントの一つ一つの要望に耳を傾け、何度も何度も画面を作り直した時間。誰もが見落としそうな細かな改善点を、必死で拾い上げてきた努力。喉の奥が熱くなる。今まで必死にこらえてきた感情が、少しずつ溢れ出してくる。「山田さん、このシステム、本当に助かります。」「現場の声をよく聞いてくれて、ありがとう。」「山田さんのシステムは使いやすくて、みんな喜んでるんですよ。」そんな言葉をもらえるたびに、少しずつ自信がついてきた。プレゼンは下手でも、自分にも誰かの役に立てることがある。そう信じてきたのに。でも、一番辛いのは反論できないことだ。人前で話せない。うまく言葉にできない。そんな自分の弱さが、今までで一番悔しかった。会議室の窓から差し込む夕日が、俺の影をさらに長く伸ばしていく。今日も言葉にできない思いを胸に秘めたまま、俺はパソコンの前に戻るしかなかった。

それからも、白石の手柄は雪だるま式に大きくなっていった。「白石君の提案のおかげで、あの大手小売りチェーンの案件が通ったんですよ。」「さすが白石IT出身ですね。戦力として期待していた以上の活躍です。」「ユーザー目線のシステム設計、本当に素晴らしいと思います。」上層部からの称賛の声が、日に日に大きくなる。全て、俺が必死で作り上げてきた提案の数々。でも、それを証明することはできない。だって、プレゼンは全て白石が行い、俺の名前が踊る。俺の存在は、ただの資料作りの担当として、影に追いやられていった。「山田君も、もう少し白石君を見習ったらどうかね。」部長からそう言われた時は、心の中で苦笑するしかなかった。それから半年ほどが経った、ある日の夕方。開発フロアに悲鳴に近い声が響き渡った。「どういうことですか?もう三時間もシステムが止まってるんですよ!」電話の向こうから怒声が漏れている。開発部長の美咲さんが頭に手を当てながら、必死で謝罪を繰り返していた。彼女は入社以来、サクセスプライムの黄金期を支えてきた敏腕部長だ。三十四歳とは思えない若さで部長職に抜擢され、知的な美しさと冷静な判断力で、社内からの信頼も熱い。すらりとした長身に、肩まで伸びた艶のある黒髪。開発部を牽引する実力者でもあった。そんな彼女が、今は困り果てた表情を浮かべている。大手スーパーマーケットチェーンの基幹システムが突如ダウン。全店舗のPOSレジが一斉に停止し、売上データも記録できない状態が続いているという。「申し訳ございません。担当の白石が休暇を取っていて……」美咲さんの声が震える。白石は昨日から沖縄旅行に出かけており、連絡も取れない。周りのエンジニアも手を尽くしたが、原因の特定すらままならない。「このままじゃ、取引停止も……」美咲さんが力なく椅子に崩れ落ちる。その時、あの会議室の隅でモニターを見ていた俺が、小さな声をあげていた。「山田君?」美咲さんが振り向く。整った顔立ちに知的な雰囲気を漂わせる彼女は、今は疲れた表情を浮かべている。「このログを見せていただけませんか?」「ええ、どうぞ。」あまりの必死さに、美咲さんは戸惑いながらもノートPCを差し出した。画面に集中する。「確か、ここに……分かりました。」「何が分かったの?」美咲さんが身を乗り出す。「実は、このシステム、半年前に私がその設計のサポートをさせていただいた時に、非常時のロールバック機能を組み込んでいました。」「え、山田君が?でも担当は確か……」「すみません。まず復旧を。」俺は震える手でキーボードを叩き始めた。普段は人前で声もうまく出せない俺が、必死で説明する。「このコマンドでバックアップデータを呼び出して、それから……。」その後の十分間、俺は我を忘れたように話し続けた。誰かの役に立てる。その一心で、声の震えも気にならない。美咲さんの瞳が、次第に輝きを増していく。「これを実行すれば、三十分以内に全店舗のシステムが復旧します。」声が少しかれた。だが、画面の上のプログラムは正確に機能した。システムは見事に復旧し、データの損失も最小限で済んだ。「ありがとうございました。」電話の向こうから、今度は感謝の言葉が聞こえてきた。

深夜まで続いた緊急対応が一段落し、フロアには俺と美咲さんだけが残っていた。「山田君。」美咲さんが静かな声で呼びかける。「ちょっと話があるの。この後、付き合いなさい。」「え?」システム復旧から三十分後、美咲さんは俺の肩を強引に掴んでいた。残業組の社員たちが、驚いた顔で振り返る。普段は知的で落ち着いた雰囲気の彼女だが、周囲の男性社員の間では、強引な可愛さも密かな人気の理由だった。「え?いや、その……」「今日は私が奢るから、付き合いなさい。」彼女は人差し指を立てて、小悪魔のような笑みを浮かべる。「だって、山田君、すっごい腕前なのに、今まで黙ってたでしょ。それは部長として見過ごせないのよ。」俺の腕を引っ張りながら、彼女は颯爽と歩き出す。逃げる暇も与えられず、気がつけば会社の近くの居酒屋に連れて来られていた。「とりあえず、ビール!」カウンターに座るなり、美咲さんは威勢よく注文する。「ねえ、美味しそうなお刺身も来たよ。食べなきゃだめだからね。」仕事モードを切り替えた彼女は、まるで女子会の先輩のように砕けた口調になる。黒縁メガネの奥の瞳が、妙に艶やかに見えた。「山田君って、本当損してるよね。」ビールを一気に流し込んだ後、美咲さんが真顔で言う。「だって、そんなにすごい実力があるのに。あ、お代わり!」店員に生ビールを注文しながら、彼女は続ける。「実はさ、私、ずっと気になってたの。」「え?」「白石の説明って、どこか実感が伴わないというか……」彼女は俺の顔をじっと覗き込む。距離が近い。「でも、今日、山田君の説明を聞いて分かったの。現場の声がちゃんと詰まってるって。」グラスを傾けながら、美咲さんの頬が徐々に赤くなっていく。「ねえ、本当のこと教えて。白石の提案書、全部、山田君が書いてたの?」酔いが回ってきたのか、普段の知的な雰囲気から一転、幼い子供のような真っすぐな眼差しで問いかけてくる。この距離で見つめられると、胸の鼓動が早くなる。「あ、その、隠さなくていいよ。今日は上司じゃなくて、ただの飲み友達だから。」美咲さんは俺の肩に手を置く。「だからさ、全部話して欲しいな。山田君が頑張ってきたこと、辛かったこと、全部。」その優しい声に、これまで誰にも言えなかった思いが、少しずつ溢れ出した。休日返上で現場に通った日々のこと。クライアントの声に耳を傾けて、何度も画面を作り直したこと。そして、白石に全てを持っていかれた悔しさ。「そっか。そうだったんだ。」美咲さんの声が震える。ビールのせいだけじゃない。涙が光っているような気がした。「ごめんね。気づいてあげられなくて。」彼女は俺のグラスに、最後の一滴までビールを注ぐ。「でも、これからは違うの!」突然立ち上がった美咲さんが、カウンターに手をつく。「明日から、全プロジェクトの見直しよ!」周りのお客さんが驚いて振り返る。「だって、こんなにすごい人を放っておくなんて、もったいなさすぎるでしょ。」「美咲さん、お酒が……」「ああ、ごめん、ごめん。」彼女は照れたように笑う。「でも、本気だからね。これからは、山田君の名前で胸を張って仕事してもらうから。」その笑顔に、今までの重りが少しずつ解けていくような気がした。

「実はね。」美咲さんが少し遠い目をして言った。「あなたの入社面接、本当はもっと前から覚えてるの?」「え?」そう言うと、彼女は腰を下ろすと、小さくため息をついた。「六年前、私がまだ平社員だった頃……。」美咲さんはグラスを優しく回しながら続ける。「あの日の面接、私は書記として同席してただけ。発言もない。ただのオブザーバーとして。」そう言って、美咲さんは当時を思い出すように目を細める。「山田君、すごく緊張してたよね。声も震えて、まともに自己PRもできなくて。」「ああ。」俺は顔が熱くなった。あの日の失敗は、今でも心の傷として残っている。「でも、私には分かったの。」美咲さんの声が優しく続く。「パソコンを開いて作品を見せる時の、君の指先。画面の向こうにいるユーザーのことを語る時の、君の目の輝き。その時ね、私も同じような思いを抱えてたの。」彼女は少し寂しそうな表情を浮かべた。「新人の頃、プレゼンが怖くて仕方なかった。大切な提案もうまく伝えられなくて……。」美咲さんは深いため息をついた。「でも、あの日の面接であなたの姿を見てたら、不思議と勇気が湧いてきたの。」というのも、面接官たちが不合格って言い出した時、彼女は当時を思い出すように続ける。「私、人生で初めて大きな声を出して反対したの。『この人を見逃すのは、会社の損失です』って。普段のプレゼンじゃ出せない声が、その時は自然に出てた。だって、私には分かったから。」彼女の声が少し震える。「画面の向こうにいる人のことを、こんなにも思える人。例え言葉にできなくても、その思いを形にできる人。その後、上司に呼び出されてね。」美咲さんは懐かしむように笑う。「てっきり叱られると思ったら、『君の見識を買いたい』って。それが、私が課長に抜擢されるきっかけになったの。」彼女は恥ずかしそうに頬を染めた。「だから、私、山田君には感謝してるのよ。」「え?」「あなたの真摯な姿に触れて、私も変わった。自分の思いをもっと声に出していいんだって。」美咲さんはまっすぐに俺の目を見つめた。「私ね、今でも時々思い出すの。あの日の面接で、必死で画面を指さしながら、ユーザーの笑顔を語ってた山田君のこと。これからは、私があなたの代わりに声をあげる。」彼女は力強く宣言した。「白石なんかに、あなたの大切な思いを踏みにじらせない。」俺を見つめる美咲さんの瞳が、わずかに潤んでいた。「私たち、似てるよね。」彼女は少し照れ臭そうに笑う。「言葉より先に思いが溢れちゃう人同士。」その言葉に、胸の奥が熱くなった。今まで誰にも気づいてもらえなかった思い。それを、こんなにも理解してくれる人がいた。しかも、その人は、六年前からずっと俺のことを見守っていてくれた。「美咲さん、ありがとうございます。」声が震える。でも、今回は緊張のせいじゃない。心からの感謝の言葉が、自然と口をついて出てきた。「私こそ。」美咲さんは優しく微笑んだ。そして、少し赤くなった顔で付け加えた。「あと、これからも、たまにはこうやって飲みに付き合ってよ。普段は言えない話とか、まだいっぱい聞きたいし。言葉にできない思いを形にしていく、仲間としてね。」夜の居酒屋で交わされた約束。それは、俺たち二人にとって、新しい一歩を踏み出す瞬間だった。

翌朝、会社に向かう足取りが妙に重かった。今日、美咲さんとどんな顔で会えばいいんだろう。エレベーターに乗り込むと、心臓の鼓動が早くなる。そして、開発フロアに着いた瞬間、「おはよう、山田君!」颯爽と現れた美咲さんが、いつもと変わらない笑顔で声をかけてきた。「今日から、一緒に頑張っていきましょう。」その自然な明るさに、緊張が解けていくのを感じた。「あ、そうだ。山田君。」美咲さんが何か思い出したように声をかけてきた。「今日の昼休み、ちょっと時間もらえる?」「え?はい。」昼休み、個室に通された俺は、驚きの光景を目にした。テーブルの上には、呼吸法の本やリラックス方法の資料が広げられ、小さなホワイトボードまで用意されていた。「実はね。」美咲さんが少し照れ臭そうに話し始める。「昨日、遅くまで調べてたの。人前で話す時の緊張をほぐすコツとか。」彼女はメガネを直しながら、一枚一枚資料をめくっていく。「ここに書いてある呼吸法とか、私も昔実践してたんだけど、その時に気づいた。」美咲さんの目の下に、うっすらと隈ができている。「美咲さん、もしかして、昨日……」「あ、バレちゃった?」彼女は少し困ったように笑う。「ちょっと夢中になっちゃって。だって、山田君の力になりたかったから。」そして、彼女は手帳を取り出した。「それでね、こういうスケジュールを考えてみたの。」そこには、細かい字でびっしりとメモが。「朝は少人数での練習。二、三人から徐々に増やす。昼休みに呼吸法、リラックス法の練習。夕方は、その日の振り返り。無理のないペースで、少しずつ慣れていこう。」美咲さんの声に、温かな配慮が溢れている。そして、驚いたことが一つ。美咲さんは、俺の過去のプレゼン失敗談を、自然と他のメンバーと共有してくれていた。「私も学生時代、学園祭の発表で声が出なくなっちゃって……」若手社員の佐藤さんが明るく打ち明けてくれる。「でも、今はこうして普通に話せてます。」「僕なんて、新人の頃、取引先で資料を落として大慌てで……」中堅の田中さんも、笑いながら昔話を披歴する。気づけば、失敗を恐れる気持ちが、少しずつ薄れていった。「みんな、最初からうまくいってたわけじゃないのよ。」美咲さんの言葉が心に染みる。「大切なのは、諦めないこと。それと……」彼女はちょっと意地悪な笑みを浮かべた。「優秀な上司を持つことかしら。」思わず吹き出してしまう。緊張で強張っていた表情が、自然とほぐれていくのを感じた。「美咲さん。」「ん?どうして、ここまで?」「だって……」彼女は真剣な表情で答えた。「山田君の中に眠ってる宝物を、このまま埋れさせておくなんて、できないもの。」その言葉に、また胸が熱くなった。こんなにも一生懸命、自分のことを考えてくれる人がいる。その思いに答えたい。「よし。」俺は深く息を吸って、ゆっくりと吐き出す。「美咲さん、おすすめの呼吸法ですね。今日も頑張ります。」「はい!」彼女の笑顔が、また一つ俺に勇気をくれた。

そんなある日の夕方。残業組もほとんど帰り、フロアには俺一人が残っていた。背後から声がして、振り返ると白石が立っていた。周りの目を気にする必要のない今、彼の態度は普段以上に高圧的だ。「明日の資料、全部作り直しな。」机の上に資料を投げ出す白石。「こんなの、使えねえよ。」俺は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。もう、昔のように萎縮することはない。「白石君。」静かで、でもはっきりとした声で返す。「この資料は、現場の声を一つ一つ丁寧にヒアリングして作成したものだ。」「はあ?」白石の表情が一変する。周りの目を気にする必要のない今、その目は険しく歪んでいた。「お前、最近、調子に乗ってんじゃねえよ。美咲部長の覚えが良くなったつもり?」「画面の一つ一つには、理由があるんだよ。」声が震えない。むしろ、不思議なほど心が落ち着いている。「レジ担当の佐藤さんが使いやすいように。在庫管理の田中主任が迷わないように。」「うっせえな!」白石が机を叩く。誰もいないフロアに、大きな音が響く。「お前の役割なんて、言われた通り資料を作るだけだろうが。」「白石君。」俺は立ち上がって、まっすぐに彼の目を見た。「このシステムを使うのは、現場の方々だ。」ポケットの中で手が少し震えている。でも、もう後には引けない。「確かに、俺は人前でうまく話せない。プレゼンだって、まだ完璧じゃない。」一呼吸置いて続ける。「でも、このシステムを通じて、誰かの仕事が楽になる。誰かが笑顔になれる。それが、俺の誇りだ。」「は、誇りだ?」白石が嘲るように笑う。「美咲部長に言いつけるつもりか。あの女に泣きつくのか?」思わず、少し笑みがこぼれた。俺は資料を手に取り、丁寧にホッチキスを止め直す。「部長は関係ないよ。それに、これからは、誰かの手柄を横取りするようなことは、やめてくれよ。」「お、お前な!」白石の声が、明らかに動揺を帯びていた。「調子に乗るんじゃねえぞ。お前みたいなのが……」「自分の名前で出した提案は、全て自分で責任を持つ。」一歩も引かずに言葉を続ける。「だから、白石君も、自分の力で成果を出してくれよ。」白石は歯を食い縛り、何か言いかけたが、結局何も言えず、そのまま踵を返して歩き出す。だが、数歩行ったところで振り返った。「覚えてろよ。」捨てゼリフを残して、白石は暗い廊下の奥へと消えていった。エレベーターホールで、たまたま美咲さんとすれ違う白石。「お疲れ様です」という美咲さんの声に、頷くだけの白石。「白石と何かあった?随分と険しい顔してたけど。」「いえ、なんでもないです。」俺は少し照れ臭そうに微笑む。「ちょっと、自分の考えをはっきり伝えてみただけです。」美咲さんは、何かを察したような表情を浮かべたが、それ以上は何も聞かなかった。ただ、「そう。」と言って、優しく微笑んでくれた。

そんなある日の午後、俺は大手小売りチェーンのシステム改修の打ち合わせを終えたところだった。「山田さん、ちょっといいかな?」帰り際、取引先のシステム部長、佐々木さんが声をかけてきた。「実はね、うちの取引先に、システム刷新の話が持ち上がってるんだ。白石ITって知ってるかい?」「白石ITですか?」思わず声が上ずった。IT業界では、知らない者がいないほどの大手企業。年商千億を超える巨大企業グループだ。「今の基幹システムが古くてね。現場から使いづらい声が上がってるんだって。うちのシステムを見て、すごく使いやすいって褒めてくれたもんだから。」佐々木さんは照れ臭そうに笑う。「山田さんのおかげで、うちも助かってるし。よかったら、紹介させてもらおうと思って。」心臓が高鳴る。白石ITといえば、あの白石の実家。おそらく、三十億はくだらない大型案件になるはずだ。「是非、お願いします!」俺、ばかりか、声に力が入った。会社に戻ると、興奮を抑えきれず、開発フロアで美咲さんを見つけて、思わず駆け寄った。「美咲さん!」「あら、珍しく元気いっぱいじゃない?」美咲さんが優しく微笑む。「実は、白石ITさんからの案件の話が……」「白石IT?」美咲さんも思わず声をあげる。周りの社員たちも、その名前に反応して振り返ってきた。開発フロアに小さなざわめきが広がる中、白石が珍しく明るい表情で近づいてきた。「山田さん、聞いたよ。」普段の横柄な態度は消え、素直な喜びを表すような声で話しかけてくる。「すごいじゃないか。白石ITの案件って。」美咲さんに一瞥すると、白石は少し言い淀みながら続けた。「あのさ、実は俺、この案件に参加させて欲しいんだ。」美咲さんの表情が険しくなるのを見て、白石は両手を振った。「いや、違うんだ。本気で、山田さんの力を借りたいと思ってるんです。」白石は個室への移動を提案し、三人で席についた。「正直に話します。」白石は、いつもの軽口を消して、素直な調子で切り出した。「実を言うと、この会社に来たのには理由があって。父の会社、古いシステムのままで、現場からの不満も溜まってて……。」白石は少し照れ臭そうに前髪を書き上げる。「このサクセスプライムの現場重視の開発スタイルを、この目で見たかったんです。特に……」彼は俺の方を見て、申し訳なさそうに微笑んだ。「山田さんのやり方を、近くで見たかった。『あいつすごいぞ』って、業界で噂になってたから。まあ、最初は半信半疑だったんだけどね。でも、実際に見てたら分かってきた。現場の声を一つ一つ形にしていく、山田さんのやり方。それこそが、これからの時代に必要なんだって。だから、お願いします。」白石は俺の方に体を向けた。「一緒に、やらせてほしい。白石ITのシステムのことなら、誰にも負けない自信がある。山田さんの技術と、俺の知識で、絶対いいもの作れますから。」美咲さんが黙って俺の方を見る。「それに……」白石は少し恥ずかしそうに続けた。「やっと見つけたんだ。自分がやるべきこと。父の会社も、この会社も、両方をよくできる方法。絶対に、成功させたいんです。」その素直な言葉に、どこか説得力があった。「山田君、どう思う?」美咲さんが静かに尋ねる。深く息を吸って、ゆっくりと吐き出す。確かに、彼とは色々あった。でも、こうして素直に手を差し伸べてくる白石を見ていると、分かったよ。「一緒にやろう。」俺は頷いた。「ありがとう!絶対、後悔させないから!」白石が、思わず声を弾ませる。それからの数日間、白石は本当に頼もしかった。白石ITのシステムの詳細な資料を次々と用意し、現場の課題も包み隠さず話してくれる。「ここさ、実は使いづらくて評判悪いんだよね。」「このフロー、もっとシンプルにできそうじゃない?」「こういう機能があったら、現場の人たち喜ぶと思うんだ。」白石の提案は具体的で、システム設計に直接生かせる情報ばかり。彼の熱意が伝わってきて、俺も次第に信頼を寄せていった。

プロジェクトが順調に進み、基本設計も大詰めを迎えようとしていた頃。ある日の昼休み、白石が興奮した様子で駆け寄ってきた。「山田さん、明日、実は白石ITで新プロジェクトの懇親会があるんだ!」コーヒーを片手に、嬉しそうに話す。「みんなで集まって、これからの方針とか話し合うんだけど。」彼は少しためらいながら、でも期待を込めた目で続けた。「山田さんも、どうかな?父さんもさ、山田さんのことをすっごく気にしてるんだよ。会いたがってんだ。」俺が迷っている様子を見て、白石は美咲さんの方も向いた。「部長も、是非!せっかくのプロジェクト立ち上げなんで、みんなで盛り上がりましょうよ。」その無邪気な様子に、警戒心も薄れていく。結局、俺も美咲さんも、その提案を受け入れることにした。そして、翌日。白石ITの最上階の会議室。高層ビルの最上階から見下ろす街並みが、夕暮れに染まり始めていた。「あら、結構な人数ね。」美咲さんが会議室を見渡す。二十人ほどの社員が、名札を着けて出席している。「白石君は?」美咲さんが辺りを見回した。「ああ、彼は後から来るとか、何か準備があるって言ってましたよ。」「そう。まあ、彼は馴染みがある場所だから、色々あるんでしょうね。」美咲さんはそう言うと、ウェルカムドリンクに口をつけた。しばらく歓談が続き、自己紹介も一通り済んだところで、それぞれ席に着くことになった。係の人が、次々と弁当を運んでくる。蓋を開けると、そこには豪華絢爛な料理の数々。金目の煮付けに、エビの天ぷら、季節の焼き物。思わず声が漏れるような豪華さだ。「ああ、すごいわね。」美咲さんが目を丸くする。そんな豪華な弁当が並ぶ中、最後に俺の前に置かれたのは、白米だけが入った弁当箱だった。「最近の君には、これぐらいがお似合いだと思ってね。」背後から聞こえた、白石の声。いつの間に戻ってきていたのか。「山田さんってさ、プレゼンもできないし、お客さんと話すこともできない。そんな無能な人間には、白米だけで十分でしょ。だってさ、何の仕事もしてないんだもの。」白石は俺の周りをゆっくりと歩きながら続ける。「毎日パソコンの前でこそこそ働いて、誰かが手柄を立てるのを待ってる。そんな人間に、こんな高級弁当はもったいなくてさ。ねえ、そう思いません?」「ちょっと待って!」美咲さんが立ち上がった。「彼、すごく頑張ってるじゃない!」「何言ってるの?」白石は嘲るように笑う。「へえ。美咲部長は、山田のこと、そんなにかわいがってるんですね。」「かわいがるとかじゃないでしょ。事実を言ってるだけ。」美咲さんの声が強くなる。「へえ。あなたの目も、だいぶ曇ってますね。」白石は意地の悪い笑みを浮かべて続けた。「俺、知ってるんですよ。あなたと山田さんの関係。」白石は周囲に聞こえるように、大きな声で言う。「この前も、二人で飲みに行ってましたよね。美人部長が、無能社員をかわいがるのは、ご自由にどうぞ。ねえ、こういうの、会社に持ち込んでも、いいんですかね?」美咲さんの表情が、一瞬凍る。「彼ができるから、引き上げただけよ。」美咲さんは冷静に返す。「本当ですか?」白石は意地の悪い笑みを浮かべながら、意図的にゆっくりと言葉を紡ぐ。「まあ、美咲さんみたいな魅力的な女性部長なら、色々あるんでしょうね。だから、出世が早いのかな。」白石は下卑た笑いを浮かべながら、さらに続ける。「ま、美咲部長なら、そういうの慣れてそうですもんね。男を使うの、うまそうだし。」その瞬間――「美咲さんを侮辱するな!」気づけば、俺は立ち上がっていた。手が震えている。でも、声は確かだった。白石の顔が歪んだ。「はあ?黙ってろよ、この腰抜け!」「美咲さんは、」俺は震える声を必死に押さえつける。「誰よりも真摯に仕事と向き合ってる。そんな人を……そんな人を侮辱するなんて、俺が許さない!」「はあ?どう許さないって言うんだよ。」白石が嘲笑うように言い返す。「そもそもよ、お前、こんなところにいられるの、誰のおかげだと思ってんだよ。」白石は俺の前に立ち塞がり、上から目線で続ける。「俺が最初に取り立ててやんなかったら、お前なんか、ずっと一生、窓際でこそこそ資料だけ作ってる、ただの底辺じゃないか。」「違う!」俺は震える声で言い返す。「俺は、一人一人の声を大切に……」「はあ?そんなこと言ったってよ。それを広められなきゃ、意味ねえんだよ。お前、自分の言葉で話せねえだろ?」白石の目が釣り上がっていく。「ここの案件だってさ、俺が全部、中の事情を教えたからできたんじゃねえか。お前の仕事なんて、俺が書いた企画書の通りにプログラムを組むだけだろ。分かってんのか?お前なんて、俺の足元にも及ばねえ、ただのコピペ野郎だ。俺が全部取り仕切る。お前は、言われた通りにキーボード叩いてりゃいいの。いいから、黙ってろ!このクズが!」

その時、会議室のドアが勢いよく開いた。「友和、お前は、何を勘違いしている?」低く、重い声が響く。入ってきたのは、白石ITの社長、白石誠一郎だった。長年のIT業界の第一線で培った威厳が、会議室全体を支配する。「父さん……」白石の声が震える。「お前が担当するなら、この案件は、全てご破算だ。三十億の契約、全て白紙にする。」社長は、冷静な声でそう告げた。「え?でも、僕が……」「黙って聞け。」社長は息子を遮り、ゆっくりと歩み寄る。「私がこの契約を決めたのは、山田君という男がいたからだ。」白石の顔が強張る。「何度も現場に足を運び、一人一人の声に耳を傾ける。そして、システムを通じて、人々の役に立とうとする。久しぶりに、心が震えたよ。」社長は、懐かしむような表情を浮かべる。「山田君の設計書には、全てのページに、使う人の顔が見えた。レジ係の人が迷わないための工夫。倉庫担当の人が効率よく在庫管理できる仕組み。」社長は少し目を細めて続けた。「三十年前、私もそうだった。夜遅くまで現場に通い詰めて、一人一人の声に耳を傾けて、どうすればみんなが笑顔になれるか、必死で考えていた。」社長の声が、少し震える。「特に、心を打たれたのは、夜勤者のための画面切り替え機能だ。目が疲れないように、色遣いを細かく調整して。これは、誰も指示してないはずだ。でも、君は、現場で疲れた顔をした夜勤スタッフを見て、自分から考えた。そうやって、誰も気づかないところで、誰かのために全力を尽くす。私は、思い出したんだ。システム作りの原点を。かつて自分が持っていた、挑戦する心を。」社長は、深いため息をつきながら続ける。「この業界に身を置いて四十年、いつしか数字ばかりを追いかける経営者になっていた。でも、山田君の熱意に触れて、私は決意したんだ。うちの未来を、彼の技術と情熱に託そうと。」社長が、俺の方を向く。「山田君にこそ、この案件を任せたい。我が社の未来を、あなたの手で作ってほしい。」社長の言葉に、会議室全体が、深い感動に包まれた。一方、その状況を受け止めきれない白石は、「父さん……」掠れた声で呟いた。両手が、小刻みに震え始めた。社長は、白石の方を向いた。「息子よ。お前は、勘違いしている。本当の仕事とは、決して、誰かの成果を奪うことじゃない。山田君のように、一つ一つ積み重ねていく真摯な姿勢から、生まれるものだ。お前には、しばらく現場に戻ってもらう。基本から、学び直すんだ。」厳しくも、温かみのある声で、社長は告げた。「は……」白石は、俯くように呟く。その目には、涙が溢れていた。「やっぱり、父さんは、俺のことが嫌いなんだ。」白石の記憶が、鮮やかに蘇る。俺には、二歳下の弟、徹也がいた。小さい頃は、俺が兄として慕われていた。徹也は、後をついて回り、「兄さん、兄さん」と、俺の言うことなら何でも真似をした。中学に入った時、父さんは俺に言った。「徹、お前が長男なんだ。白石ITをついでくれるな。」その言葉が、どれだけ嬉しかったか。「うん、僕、頑張るよ!」でも、全ては、中学二年の時から変わり始めた。徹也の成績が、急に伸び始めたんだ。「徹也君、すごいわね。」「白石君の弟さん、天才じゃない?」「お兄さんより、弟さんの方が……。」最初は、些細な囁きだった。でも、その声は、徐々に大きくなっていく。大学でも、俺が地方の私大に行った時、徹也は東大に主席合格。会社の重役たちの間でも、囁きが聞こえ始めた。「後継者は、やっぱり徹君の方が……。長男には悪いけど、会社のことを考えると……。」入社してからも、その差は開くばかり。俺が必死で一つの案件を取ろうとしている時、弟は次々と大型案件を決めていく。入社三年で取締役に抜擢された弟。一方の俺は……。「兄弟なのに、どうしてこんなに差が……。」「白石社長も、悩ましいでしょうね。長男なのに……。」「本当は、出来の悪い方が後を継ぐなんて……。」毎日、毎日、比較される生活。徹との差は、まるで深い谷のように広がっていった。「父さんだって、本当は分かってるんでしょ。」白石の声が、自嘲気味に響く。「出来の悪い長男より、優秀な弟の方が、白石ITにはふさわしいって。俺なんか……生まれてこなければ、よかったんだ。」

その時、会議室のドアが、再び開いた。「違うよ、兄さん。」聞き慣れた声に、白石の体が強張る。そこには、白石ITの常務、白石徹也が立っていた。二歳下とは思えない落ち着きと威厳をまといながらも、その目は悲しみに潤んでいた。「兄さんは、自分が僕より劣ってるって言う。でも、それは、違う。」徹也は、まっすぐに兄の目を見つめる。「僕ね、一度も、兄さんに勝てたと思ったことはないんだ。」「何言ってんだよ。」白石は俯く。「お前は、俺なんかより、ずっと……」「覚えてる?中学二年の時。」徹也の声が、少し震える。「僕が、不登校になりかけた時のこと。成績は良かったけど、クラスに馴染めなくて。周りから『天才』って言われて。でも、本当は怖くて、誰とも話せなくて……。」白石の瞳が揺れる。「兄さんは、気づいてくれた。僕が、毎朝、体調不良を偽って、学校を休もうとしてたこと。」そして、徹也の目に涙が浮かぶ。「毎朝、僕の部屋に来てくれた。『一緒に行こう』って。自分の学校が始まる一時間も前から起きて、僕の送り迎えをしてくれた。自分の友達も紹介してくれて。あの時、兄さんが作ってくれた安全な場所がなかったら、今の僕はなかった。大学に行けたのも、この会社で働けているのも、全部、兄さんのおかげ。」それに、徹也は続ける。「去年の大型案件、僕が大きなミスをして、取引先から厳しいクレームを受けた時も……。」白石の目が、大きく開く。「兄さんは、黙って、僕の代わりに、深夜まで修正作業を手伝ってくれた。誰にも言わずに、全部、自分で引き受けて。『徹也が頑張って直したんです』って。むしろ、僕の手柄にしてくれた。」だから、徹也の声が強くなる。「周りは、僕の成績とか、実績とか、そんなことばかり言う。でも、人として一番大切なもの。困ってる人に手を差し伸べる優しさ。諦めない心を守る強さ。そういうものは、兄さんの方が、はるかに上なんだ。」白石の肩が、震え始める。「兄さんがいなかったら、僕は……。」徹也の声が詰まる。「プレッシャーに押し潰されて、ただの『できる奴』になってた。兄さんが教えてくれたんだ。人として、大切なことを。これからは……」徹也は一歩、兄に近づく。「僕たちで作っていこう。兄さんの優しさと、僕の知識で。二人でもっと、温かい会社に。」白石の頬を、大粒の涙が伝う。「バカ……。」掠れた声で、白石が呟く。「お前のこと、ずっと、恨んでた。なのに……。」「うん。」徹也は微笑みながら、涙ぐむ兄の肩に手を置いた。「でも、僕は、ずっと兄さんのこと、尊敬してた。大好きだよ、兄さん。」会議室は、深い静寂に包まれていた。白石は涙を拭いながら、ゆっくりと父親の方を向いた。「父さん……。俺は、証明したかったんです。」白石は、絞り出すように言葉を紡ぐ。「父さんに、周りの人に、この白石友和にも、価値があるって。」深いため息をつく。「でも、結局、間違った方法を選んでしまった。山田さんの成果を横取りして、自分の手柄にして。その度に、胸が締めつけられるような感覚があった。誰かに褒められても、嬉しくなかった。むしろ、どんどん自分が空っぽになっていくような……。」白石は、俺の方をちらりと見る。「山田さんは、違った。地道に、一つ一つ、現場の声に耳を傾けて。そうやって積み上げた成果には、確かな重みがある。俺は、そんな当たり前のことに、今まで気づけなかった。」白石の声に、力がこもる。「これからは、自分の力で結果を出したい。誰かのものを奪うんじゃなく、自分で作り出していきたい。」白石は、俺の方を向くと、深く頭を下げた。「山田さん。本当に、申し訳ありませんでした。」その言葉には、もう以前のような傲慢さはなかった。ただ、真摯な思いだけが込められていた。社長は、白石にゆっくりと歩みより、肩に手を置く。「徹よ。私は、お前のことを、一度も嫌いだと思ったことはない。」社長の声が、柔らかく響く。「むしろ、心配していた。お前が、自分を追い詰めすぎることを。」その手に、力が込められる。「確かに、徹也は優秀だ。でも、お前には、徹也にはない良さがある。人を思いやる優しさ。諦めない心。」社長は、少し言葉をつまらせる。「ただ、父さんは、それをうまく伝えられなかった。お前を追い詰めてしまって、すまなかった。」白石の目から、また涙が溢れ出す。「だからこそ……」社長は、美咲さんと俺の方に向き直った。「お二人にお願いがあります。サクセスプライムと白石IT、二社で、共同開発プロジェクトを立ち上げませんか?」「え……」現在の基幹システムの刷新は、確かに必要です。しかし、以上に大切なのは、両者の強みを生かした、新しい形の協力関係ではないでしょうか。社長は、ゆっくりと説明を続けた。「サクセスプライムには、山田君のような、現場の声を大切にする文化がある。一方、我が社には、長年の実績とノウハウがある。その両方を組み合わせれば、必ず素晴らしいものが生まれるはずです。」そして、息子の方を向いた。「徹には、我が社で、基礎から学び直してもらう。特に、現場との向き合い方を。そして、プロジェクトでは、サクセスプライムとの窓口として、山田君と共に働いてほしい。」白石は、震える声で答えた。「はい。でも、俺に、その資格が……。」「白石君。」俺は静かな声で言った。「白石君には、白石ITのことを、誰よりも知っている強みがある。その知識と、これから学ぶ現場との向き合い方。両方を持った白石君と、一緒に働けたら、心強いよ。」美咲さんも、穏やかな笑みを浮かべる。「そうね。白石君、これからは、サクセスプライムで、一緒に勉強していきましょう。私たちの開発手法を学びながら、白石ITとの橋渡しになってくれたら、嬉しいわ。」白石の目に、涙が浮かんだ。「山田さん、美咲部長……。ありがとうございます。」徹也も、嬉しそうに頷く。「これで、僕も、兄さんと一緒に仕事ができる。」社長は、満足そうに二社の未来を見つめた。「では、新プロジェクトの成功を願って。」会議室に、温かな空気が満ちる。そこには、過去の確執を乗り越え、新しい未来へと歩み出す者たちの、確かな決意があった。

あれから、一年が経った。「山田さん、これ、見てください!」白石が、興奮した様子で駆け寄ってきた。彼が手にしているのは、IT業界誌の最新号。「すごいですよ。共同開発プロジェクトが、特集で取り上げられてます!」目を通してみると、確かにすごい。サクセスプライムと白石ITの共同プロジェクトは、現場主導型システム開発の革新的なモデルケースとして、高く評価されていた。特に、現場の声を徹底的に反映させた開発手法は、「業界に新しい風を吹き込んだ」と絶賛されている。「山田部長。」そういえば、気づけば俺も、部長に昇進していた。開発部の若手社員が、走ってくる。「あのシステム、他の企業からも引き合いが来てるんです!」この一年で、会社の雰囲気も大きく変わった。現場重視の開発スタイルが評価され、新規案件は右肩上がり。若手エンジニアも、続々と入社してきている。白石も、すっかり変わった。現場に足を運び、一つ一つの声に耳を傾ける。そして、その声を大切に拾い上げていく。時には、自分より若手の意見に、耳を傾けることもある。「山田さんから学んだんです」と、彼は誇らしげに語る。「本当の価値は、地道な積み重ねから生まれるって。」徹也とも、いい関係が築けている。白石ITとの定例会議では、兄弟で意見を出し合い、時には激しく議論することも。でも、その根底には、常により良いものを作りたいという、同じ思いがある。「山田君、今日も遅くまでご苦労様。」夜遅くまで残業していると、美咲さんがコーヒーを持って現れる。相変わらず美しい横顔。でも、今はそれ以上に、彼女の優しさと強さに心を打たれる。「美咲さんこそ、まだ残ってたんですか?」「だって、今日は山田君が残ってるって、分かってたから。」さらりと言って、彼女は隣に座る。「覚えてる?あの日の飲み会のこと。」「はい。」「あの時、私、決めたの。この人と、一緒に歩いて行こうって。」彼女の言葉に、胸が高鳴る。「山田君は、人として素敵なの。誰かのために、一生懸命になれる人。そういう人だから、みんなもついてきてくれる。」窓の外は、もう夜。でも、これから作り出していく未来は、眩しいほど明るい。先日の株主総会では、社長が笑顔で発表した。「サクセスプライムの業績は、過去最高を更新。特に、白石ITとの共同プロジェクトは、下期の売上に大きく貢献しました。」市場でも、当社の株価は上昇の一途。現場型開発のリーディングカンパニーとして、注目を集めている。美咲さんの評価も、ますます高まっている。「美咲部長の人材育成力は、まさに当社の宝」と、会長が絶賛するほど。あの頃の俺は、人前で話すことさえできなかった。でも、今は違う。自分の言葉で、自分の思いを、はっきりと伝えられる。それは、きっと、美咲さんが教えてくれたから。白石が気づかせてくれたから。そして、たくさんの仲間が支えてくれたから。「山田君。」美咲さんが、柔らかな声で呼びかける。「今度の休み、食事でも行かない?」少し頬を赤らめる彼女の姿に、心が躍る。これからも、きっといろんな困難が待っているだろう。でも、もう迷わない。この道を、この仲間たちと、そして、彼女と共に、まっすぐに進んでいこう。窓の外に広がる夜景が、未来への希望のように、キラキラと輝いていた。

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