「下ろしている食材の全てを、今までの金額にはさせないよ。」
食品卸会社の二代目社長、塚本タケシに突然そう言われた。いつも何かにつけて見下すような態度を取ってくる失礼な男だが、今回はさすがに無茶が過ぎる。そう抗議すれば、今度は契約解除だと騒ぎ出した。
「お前みたいなボロボロの定食屋には、もう卸せないな。俺は二代目社長として経営改革を進めているんだ。その一環として、潰れる寸前の店とは契約を打ち切ることにしたんだよ」
そう言って、タケシは心底おかしそうに笑う。なるほど。つまり俺の店は潰れる寸前の店だと、そう言いたいわけか。確かに古い店かもしれないが、そう簡単に舐められては困る。ここはひとつ、親の代から続く勘違いというものを思い知らせてやろう。
「分かりました。こちらとしても、ちょうど世代交代のタイミングです。全ての取引、契約解除で結構です」
まさかすんなり承諾されると思っていなかったのだろう。一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに高笑いを響かせた。
「これで、潰れるのも時間の問題だな」
その言葉を残して、タケシは店を去っていった。しかし、そのわずか数日後、事態は思わぬ方向へ動くことになる。
「申し訳ありませんでした!何卒、再契約していただけませんでしょうか!」
そう言って、今度は全社長である父親と共に店へやってきて、土下座をしてきたのだ。
俺の名前は島田健一。商店街の片隅にある小さな定食屋を営んでいる。元々は父がやっていた店だ。決しておしゃれな店とは言えないが、味にはどこにも負けない自信がある。
俺が生まれた時からこの定食屋はあり、常連さんたちには昔から可愛がってもらっていた。正直、子供の頃はこんな小さな定食屋をやっている両親のことを、かっこ悪いと思っていた時期もあった。毎日スーツを着て会社に通うような、普通の父親が欲しいと思ったこともある。
だが、小学校の高学年の時、俺の考え方は大きく変わった。
その日、店はとても忙しく、両親は手が離せないから店で夕食を食べてくれと言われた。「なんで、あんなところで」と思いながらしぶしぶ店に行って、俺は驚いた。
そこには、父の料理を食べて笑顔になっている人が、大勢いたのだ。仕事で疲れたサラリーマンや、家族連れ。いろんな人がいた。
「ここの飯を食べて、島田さんの夫婦の顔を見ると、明日も頑張ろうって思えるんだよ」
お客さんはそう言って、みんな笑顔で帰っていく。この定食屋には、そんな力があるのだと知り、俺はすごく誇らしかった。その日から、俺も進んで店の手伝いをするようになった。
いつしか俺は、父のように、食を通してたくさんの人を笑顔にできる人間になりたいと思うようになっていた。その影響もあって、職人としての料理に興味を持った俺は、大学で栄養学と経済学を学んだ。卒業後はレストランのキッチンで料理人として修行を積み、腕を磨いた。
そして数年後、俺は外食産業の会社を起業した。会社が軌道に乗り始めた頃、父から提案されたのだ。
「健一、俺ももう年だからな。店を継いでくれないか? 無理だと思うし、会社もあるだろう。無理はしなくていいんだが」
俺は本当に悩んだ。しかし、何よりもこの定食屋がなくなってしまうことだけは嫌だった。この定食屋にしかできないことがある。そう思い、会社の業務は社員に任せて定食屋を継ぐことを決意した。
店は以前と変わらず繁盛し、お客さんたちは笑顔だった。しかし、経営状況は決して良いとは言えなかった。特に最近はあらゆる物の値段が高騰しており、食材もその煽りをモロに受けていた。
だが、父は昔と変わらない価格での提供を続けていた。美味しいものを、安く。お客さんの笑顔のために。それが父の思いだった。当然、俺もその意志を引き継いだ。
価格を抑えるために、俺は手を打った。父が契約していた昔からの付き合いのある会社に加え、会社経営で培った人脈を使って、大手食品会社からも食材を格安で卸してもらえるようにしたのだ。
その会社の社長が、塚本源太郎さんという人だった。塚本さんとは付き合いが長く、うちの定食の味を気に入ってくれていて、社長でありながら定食屋にまで足を運んで食べに来てくれていた。
「こんにちは。今日も食べに来ちゃったよ」
「いらっしゃいませ。いつもありがとうございます」
「ここは昔ながらの雰囲気で落ち着くんだよな。あ、日替わり定食ね」
塚本さんは、俺が定食屋を継いだことも応援してくれ、いつも気にかけてくれる、本当に素敵な人だった。
ある時、塚本さんがいつものように店へ来た。しかし、この日の塚本さんはいつもと違い、真剣な表情をしていた。
「実はな、今月いっぱいで社長を引退することになったんだよ。会社は、息子に引き継がせることにした」
「そうだったんですね。おめでとうございます」
「ありがとう。まあ、息子もお前に色々と世話になるだろう。よろしく頼む」
塚本さんはそう言って、息子をよろしくと挨拶してきた。長い付き合いだが、息子さんには一度も会ったことがない。どんな人なのだろうかと、少しワクワクした。二代目同士、仲良くできるかもしれないと期待もしていた。
そして、あの日。数日後、店に一人の男性が訪れた。スーツ姿の、いかにも気難しそうな目つきの男だった。どうやら何か食べに来たのではなく、人を探しているように見える。
「こんにちは。もしかして、塚本さんの息子さんですか?」
「あ? 誰が」
「俺の店に、いつも食材を卸してくれていて。塚本源太郎さんの息子さんかなと」
「ああ、そうだが。俺が二代目社長の塚本タケシだ。今日からお前の店の担当になる」
「お世話になります。俺は店主の島田健一っていいます。これからよろしくお願いします」
俺がそう言って頭を下げると、タケシは鋭い目つきで店内をぐるりと見渡した。
「お前みたいな小さな定食屋が、慣れ慣れしく話しかけてくるんじゃねえよ。お前みたいなのが、なんで他にいねえんだよ」
乱暴な物言いに、思わず驚いてしまう。
「申し訳ありません。初対面で」
「まあいいや。それにしても小さな店だな。店もメニューも古くて汚い。貧乏臭いなあ。食材を卸す金もないんだろ? かわいそうに」
そう言って、タケシは鼻で笑った。不愉快に感じながらも、俺はなるべく笑顔で対応しようと努めた。だが、タケシの悪口は止まらない。
「もう長年やっているので、この店も愛着があるんです」と話題を変えようとしてみる。
「タケシさん、よかったら何か食べていかれますか? お父様もいつもここで食事をしてくださいましたよ」
「はあ? こんな汚い店で、俺が飯を食うわけないだろ。こんなところで食ったら、病気で寝込んじまいそうだ。お前はここで飯を食ったら、早く別の仕事を探したほうがいいんじゃねえの?」
そう言い捨てて、タケシは店を出ていった。挨拶というよりも、文句を言いに来ただけだった。塚本さんの息子さんだから、いい人なのだろうと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。この店の良さも分かってくれればいいが、今後の付き合いを考えると気が重くなった。
それから数日後、昼時の一番忙しい時間帯に電話が鳴った。こんな時間に電話してくるのは、きっと何かあったのだろう。嫌な予感がしながら受話器を取ると、電話の相手は、最近契約を解消したはずの、あのタケシが社長を務める会社の人間だった。
「はい、島田です」
「あの、もしもし! 俺だ、俺! タケシだ!」
電話の向こうから、慌てふためいた声が聞こえてきた。あの高圧的だったタケシとはまるで別人の声だ。
「タケシさん? 何の用でしょうか」
「あの、その、すみませんでした! この度は、本当に、すみませんでした! 何卒、再契約していただけませんか!」
「はあ?」
何を言っているのか分からず、思わず聞き返してしまった。再契約? あのタケシが?
「お願いします! お願いします! うちの会社の存続のために、何とかしてください!」
「ちょっと待ってください。話が見えないんですが。何があったんですか? それに、どうして俺なんかに」
「わ、分かった! 今から行くから! すぐに謝りに行くから!」
そう言うと、タケシは一方的に電話を切ってしまった。事態が飲み込めず、呆然としていると、その数分後には今度は店のドアが激しく叩かれた。乱暴なノックに、恐る恐るドアを開けると、そこには汗だくのタケシが立っていた。
「た、タケシさん?」
「ふぅ、ふぅ、すみません…」
息を切らしながら、タケシは頭を下げた。そして、顔を上げると、こう言ったのだ。
「店の前でいいですから、少し時間をください! お願いします!」
俺が曖昧に頷くと、タケシは店の前の駐車場に止めてある高級車の後部座席から、何やら大きな荷物を取り出した。そして、それを抱えて、ずかずかと店の中へ入ってきた。何をしに来たんだ、いきなり車に乗せて連れて行かれるんじゃないかと身構えたが、違った。タケシが取り出したのは、高級な日本酒の一升瓶と、高級な果物の詰め合わせだった。
「あの、これ、お詫びです。この間は、その、本当に申し訳ありませんでした!」
タケシは声を震わせながら、ペコペコと頭を下げた。先週まで、あれだけ横柄な態度を取っていた人物とは思えない変貌ぶりだった。
「とりあえず、頭を上げてください。で、どういうことですか? 急に。再契約って、一体何がどうなったんですか?」
俺がそう尋ねると、タケシはおずおずと顔を上げ、暗い声で話し始めた。
「あの、俺が、その、店に挨拶に行った後、何が起きたか分からないんですけど。うちの会社の大口取引先である、大手スーパーから突然、取引を打ち切ると言われてしまいまして」
「え? どうしてですか?」
「原因を調べたら、あの時、俺が契約を切り替えた、いわゆる『ザル』だった新しい仕入れ先が、不良品を納品したらしくて。そこのスーパーの店頭で、それを買ったお客さんが気分を悪くされたとかで…。大問題になってしまったんです。で、その原因を作ったのが、うちの会社だということで、取引停止、いや、信用失墜で、もう、大変なことになっていて」
「なるほど…。でも、俺のところに来たって、俺には何も」
「いや、何て言うか、その、あんたのうちの親父に相談したんだよ。親父に。そしたら、『俺なら最初から、あの場では契約を切らないな』って言われて。『何が悪かったか、分かっているのか?』って」
タケシは悔しそうな顔で拳を握りしめた。
「あの場で、あんたに『お前の店には卸さない』って言ったこと。そして、何よりも、あんたのことを、ただの小さな定食屋の店主と見下したこと。それが全ての間違いの始まりだったってことを、思い知ったんだ。親父曰く、こういう時、一番大切なのは、困った時に助けてくれる相手がいるかどうかだって。そして、島田の旦那のところは、そういう付き合いをしてきたと」
「でも、俺は塚本さんには昔から世話になってますから」
「うるさい! こっちはな、親父の七光りだって言われるのが、昔から一番嫌いだったんだ! でも、今回ばかりは、その親父の言う通りなんだよ!
“俺は、この店を継いだ二代目として、そして、ここの常連さんを何よりも大事にしてきた先代の店を継いだ者として、間違っていなかったのか? いや、単に器が小さかったのは、俺の方だったんだ。”
タケシは、そこで言葉を切った。
「今回のことも、正直、あんたのところに助けてもらおうとは思ってない。でも、もし…もし、許してもらえるなら、取引を続けて欲しい。そして、いつか、あんたの店の味を、堂々と褒められるような、そんな付き合いをさせて欲しいんだ」
俺は、しばらく、何も言えなかった。あの日の、傲慢な態度。そして、今日の、必死な様子。そこにあるのは、同じ人間とは思えないほど、真っ向から向き合ってくる姿だった。
「…分かりました。一度、前の条件で、取引を再開しましょう」
「本当か!?」
「その代わり、もう二度と、俺の店を見下さないでください。この店は、俺の父が愛した、そして、今もたくさんの人に愛されている、自慢の店なんです」
「ああ! …約束する」
そう言って、タケシは、初めて、心からの笑顔を見せた。
“翌日から、俺の店には、また新しい食材が届くようになった。
それからというもの、タケシは、月に一度は店に顔を出すようになった。最初は気まずそうにしていたが、俺が握った定食を黙って食べている。そして、食後にそっと置いていく代金は、いつも若干多めだった。何も言わずに、その厚意は受け取るようにした。
ある日、食後に出したコーヒーを一口飲んで、タケシが小さく言った。
「…ここの、ここのチャーシュー、旨いな。父がな、いつも自慢してたんだ。『あの店のチャーシューは、世界中のどこを探しても、絶対に敵わない』ってな」
俺は、湯呑みを拭く手を止めて、少しだけ微笑んだ。
「褒めたって、何も出ませんよ」
「別に、褒めてねえよ。事実を言っただけだ」
そう言って、タケシはフッと笑った。あれほど嫌っていた言葉づかいが、少しだけ柔らかくなっていた。
この定食屋は、今日も笑顔と、美味しい匂いに包まれている。父から受け継いだこの店を、俺は、丁寧に、そして、愛を込めて、守り続けていく。そして、いつか俺も、塚本さんのように「今日も元気がもらえた」と思ってもらえるような、そんな味を、この先もずっと、届けていきたいと思っている。
その日の夜のこと。店を閉めた後、鍵をかけながら、ふと、今朝届いたばかりの荷を思い出した。そういえば、タケシからの連絡は、あれ以来ない。ふとスマホの明かりを見ると、一件の着信履歴が残っていた。
さっき、タケシの父親である塚本さんからだ。折り返しかけると、電話の向こうで、懐かしい声がした。
「おう、健一か。元気にしてるか? なんでも、あのバカ息子が、世話になってるみたいだな」
「いえいえ、こちらこそ。食材、またちゃんと使わせてもらってますよ」
「ははは、それは良かった。……で、どうだ? アイツは、きちんとやっとるか? 何か、困ったこと言ってこないか?」
「そんなことないですよ。ちゃんと、真剣にやってきてくれています。期待していいと思いますよ」
電話の向こうで、塚本さんが、ほっと息をついたような気配がした。
「そうか……そりゃ、良かった。最初に、あんたの店に挨拶行って、あんな態度を取ったって聞いてな。もう、アイツのバカ者と頭を抱えたんだが……。健一がそう言ってくれるなら、安心だ。アイツも、少しは大人になったかね」
「ええ。……きっと、大丈夫ですよ。二代目の時代って、誰しもああいう時がありますからね」
俺の言葉に、塚本さんは、声を出して笑った。
「ははは! お前に、二代目の気持ちが分かるかね! まあ、いい。そう言ってもらえて、俺は嬉しいよ。アイツも、縁あって店を継いだんだ。精々、よろしく頼むよ」
電話を切ると、親子二代にわたって、この店を大事に思ってくれているんだなと、胸が熱くなった。俺の父には、何も伝わらないままいなくなってしまった、恩人。その想いが、今、確かに息子のタケシと、俺の中で、繋がっていこうとしていた。
明日の仕込みの前に、俺は、心を新たにしたのだった。
