息子の結婚式。女手一つで育て上げた自慢の息子、洸太の晴れ姿を一目見ようと、私は古いけれど母から受け継いだ着物をしっかりと着込んだ。夫を亡くしてから必死で働き、ここまで育ててくれたのはこの私だ。その誇りを胸に、会場の入口へと足を踏み入れた。ところが、そこで私を待っていたのは祝福の空気などではなく、見知らぬ神父の鋭い一瞥だった。
「この結婚式に、あなたのような貧乏人の席はない。さっさと帰りなさい」
あまりの出来事に、私は一瞬何が起こったのか分からなかった。サプライズの類かとも思ったが、目の前の神父の顔は真剣そのものだ。周りからは、品の良い服装をした参列者たちの好奇と嘲笑を帯びた視線が私に突き刺さる。
「今日の列席者は、親族も友人も、みな社会的地位の高い方々ばかりだ。そんな大切な場所に、貧乏人のあなたを出席させるなんて、ありえない話だ。いくら新郎の母親だからといって、あまりにも恥知らずではないか」
神父の隣にいた品の良い夫人も、まるで私を追い出すのが当然だとばかりに頷いている。私の心は怒りと悲しみで張り裂けそうだった。私は今日、この日のために、どんなに苦しかった日も笑顔でいられたんだ。そんな私の大切な一人息子の結婚を祝いに来たんだ。
「私は新郎の母親です。出席する権利があります。そこを通してください」
必死で言い返すと、神父は私が触れたわけでもないのに大仰にのけぞって、堪えきれぬというように「うあっ」と声をあげた。その声を合図に、いつの間にか近くに控えていた式場スタッフが私を取り囲んだ。
「何ですか?ちょっと、話してください!」
「神父様がお望みですので。ご退出をお願いいたします」
なす術なく連れ出されそうになる。必死にもがきながら、息子の姿を探して目をやると、彼は友人たちに見えないように、口の形だけで「ごめん…」と伝えてきていた。
ああ、やられた。その時、私は悟った。この結婚は、私に祝福される運命のものではなかったのだと。
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帰宅後、傷ついた心を抱えながらも、私は息子の幸せを願う自分をなんとか保っていた。私は半田直子、58歳。夫は息子が5歳の時に事故で亡くした。あの日から、私は私一人で働き、この子を育ててきた。両親や義理の両親、職場の人々に助けられ、なんとか大学まで卒業させることができた。今では誰もが知る一流企業に勤め、順調にキャリアを積んでいるという。婚約者までいる。息子について、もうこれ以上望むものは何もない。
そう思っていた。あの日までは。
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朝食の席で、出勤前の洸太が珍しく神妙な面持ちで箸を置いた。
「母さん、今日は遅くなるかもしれないから、先に休んでていいよ。っていうか、その前に…話があるんだけど」
彼の顔が緊張で強張っていた。何か良からぬことではないかと一瞬よぎるが、次の言葉で私は胸を弾ませることになる。
「実は、紹介したい人がいるんだ。結婚したい人」
「まあ!お嫁さん?おめでとう!」
「ちょっと母さん、まだ式とか決まってないから。それで、向こうのお母さんが、是非娘と一緒に直接会って挨拶したいって言ってくれてるんだけど、日を決めたいんだ。ああ、ホテルのレストランに来てもらう形で」
「いいわよ、いいわよ!こっちこそ、素敵なお嬢さんをお願いしますって伝えたいくらいだもの。いつでも都合はつくわよ」
嬉しすぎて、私は自分のことのように舞い上がっていた。こんな日に何があるんだと、はしゃぐ私の姿を、最近は恋人と出かけることが増え、嬉しそうに身支度をする息子の姿を見守るのが週末の朝の楽しみになっていた。
「本当は紹介する前に、ちゃんと彼女の家に挨拶に行くべきなんだろうけど…なんか急に話が進んじゃって、段取りが分からなくなっちゃってさ」
「今時、格式ばったことなんて気にしないでいいのよ。あなたたち二人が幸せなら、それで十分よ」
私はそう笑って答えたが、少しの違和感は感じていた。普通、顔合わせの前に、お互いがどちらかの家に訪問して、家族として紹介し合うものではないのか。息子は照れくさそうに頭を掻きながら、彼女のことを話し始めた。
「みかっていうんだ。すごくしっかりしてて、優しい人なんだ。だからお袋さんにも、絶対気に入ってもらえると思う」
「ふふ、そーお。楽しみだわ。みかさんと、みかさんのご両親によろしく伝えといてね」
電話を切った後も、私の頬は緩んで仕方がなかった。仕事中も、何かいいことでもあったんですかと同僚に聞かれるほどだった。私の育てた息子を選んでくれた、みかさんという方。そして、娘を大切に思っているというみかさんの両親。会うのが本当に楽しみだった。
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そして、迎えた顔合わせの日。都内の高級ホテルのレストランまで足を運んだ。言われた個室に足を踏み入れると、そこには緊張した面持ちの息子と、スーツ姿の男性、そして美しく着飾った女性がいた。
「母さん、来てくれたんだ。こっちがみか。で、その…みかの父の…」
「はじめまして。みかの父、半田と申します。本日はお忙しい中、お時間をいただきありがとうございます」
その男性の顔を見た瞬間、私は凍りついた。半田と名乗ったその初老の男は、私の知っているあの日見た光景――あの式場で、私に「貧乏人」だと罵声を浴びせた張本人である、新郎の父親だ。彼の隣に立っていたのは、私を馬鹿にしたように嘲笑っていた品の良い夫人――つまり、みかの母だ。
「あ、あ、あなたたち…」
私の顔色が変わったのを見て、あの日のことを覚えているのか、男の顔がわずかに引きつった。どうやら、この私は彼らの「大切な場所」にふさわしくない学歴も収入もない家庭の出身だと、あの時点で決めつけられてしまっていたらしい。どうやら彼らは、私が息子の連れ添う相手だと知らずに、この席をセッティングしたようだ。
「あなた…まさか、こんな形で再会するとは思わなかったわ」
みかの母が、挑発するように口元に笑みを浮かべる。
「娘に紹介された時は驚いたわ。まさか、あなたの息子さんだったなんてね。でも、この際はっきりさせるわ。私たちの家には娘が育て上げた家柄ってもものがある。お宅のように、女手一つでやってきた家の息子と、どうやって釣り合えっていうの?」
「何を言ってるんだ!私は息子にちゃんと働いて学卒させた。それを…」
「聞いてるわよ。一流企業にお勤めの優秀なお坊ちゃまだって。でも、それだけじゃないんでしょう?身の程を知りなさいって言ってるの。私たちの家は、あなたの家と折り合いをつけるつもりはないのよ」
その言葉に、息子の顔色が真っ青に変わる。
「ちょっと待ってください!母さんを侮辱するなんて…」
「下がりなさい、洸太」
私はゆっくりと立ち上がった。怒りで震える気持ちを必死に抑えながら、静かに言い放った。
「分かりました。どうやら、私たちの家はお嬢様の家と、釣り合わないようですね。息子をこの家にやることはできません。申し訳ありませんが、結婚の話は白紙にさせていただきます」
「母さん!?」
「直子さん!」
「お気遣い、ありがとうございました。どうぞお達者で」
私は深く一礼すると、呆然とするみかとその両親を残して、個室を後にした。涙をこぼすまいと、唇を噛みしめた。繋ぎとめていた大切な一つの未来が、音を立てて崩れ去っていく。胸は張り裂けそうだったが、それ以上に、私の目の前にいた息子の悲しげな顔が忘れられなかった。
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数日後の夜、洸太から電話があった。
「母さん、あの時は…その、ごめん。俺、何も知らなくて。母さんの方がひどい思いをしたのに、あんな状況で…」
「いいのよ。私の方こそ、いきなりであなたを驚かせちゃってごめんなさいね。でも、あれで正解だったんだと思う。あんたは、誰かに頭を下げるような人間になってはいけないから」
「母さん…」
「こっちこそ、ありがとう。あなたをちゃんと立派に育てた私を、誇りに思ってるからね。それだけは、分かっておいて」
電話越しに、息子が「ありがとう」と小さく呟くのが聞こえた。その一言で、私はやっと報われた気がした。身分違いの結婚なんて、きっと幸せになれなかったのだ。あんな相手の家族の元で、息子が肩身の狭い思いをするくらいなら、私が背負っているものはこのままでいい。
私はもう一度深く息を吐いて、キッチンに立った。今日は何を作ってやろうか。今度、息子がまた笑って帰ってこられるように、いつもの味噌汁をたっぷりと作って待っていることにしよう。
