会社の美人上司に娘を任せていたら、六歳の娘が突然「お姉ちゃんと結婚してほしいの」と言い出した。シングルファーザーとして必死に育ててきた俺は、上司のクールな笑顔の裏に隠された本心に気づかずにいた。たった一言の告白が、俺たち三人の人生を大きく変えることになるなんて、あの時は想像もしていなかった。 コメントで「続きが気になる」と教えてください。

会社の美人上司に娘を任せていたら、六歳の娘が突然「お姉ちゃんと結婚してほしいの」と言い出した。シングルファーザーとして必死に育ててきた俺は、上司のクールな笑顔の裏に隠された本心に気づかずにいた。たった一言の告白が、俺たち三人の人生を大きく変えることになるなんて、あの時は想像もしていなかった。 コメントで「続きが気になる」と教えてください。

「神やさん、もう退社しても大丈夫ですよ。お迎えに間に合わなくなりますから」

時計はちょうど十八時を指していた。周りの同僚たちが次々と席を立ち、そろそろと帰り支度を始める中、俺――神谷克己はパソコンの画面を閉じて深く息を吐いた。

「ありがとうございます。ちょうど区切りがついたところなんで」

そう言って立ち上がると、同僚がにっこり笑う。

「神谷さんって、本当に娘さん大事にしてますよね」

「まあ、一人で育ててますからね。どうしても帰りたくなっちゃいますよ」

「それじゃあ、お疲れ様です」

「お疲れ様です」

そう声をかけ合って、俺は会社を出た。ここに転職してきたのは、もうすぐ二年前のことだ。シングルファーザーとして早く帰れる仕事を探していた俺にとって、この会社は願ってもない環境だった。残業も少なく、育児と仕事を両立させやすい。そして何より、直属の上司である増田さんの存在が大きかった。

増田香織さんは、口数が少なく、いつもクールな態度を崩さない美人だ。会社では「近寄りがたい」と言われることもある。実際、初めて会った時は俺もそう思ったものだ。でも、実際に一緒に働いてみると、彼女は細やかな気遣いをしてくれる優しい女性だと分かった。俺がシングルファーザーだと知ってからは、早めの退社にも理解を示してくれていたし、仕事を調整してくれることもあった。

本当にありがたいと思っている。一人で子供を育てるのは、想像以上に大変だったからだ。

俺の家には、まおという六歳の娘がいる。しかし、正確には娘ではない。まおは、数年前に事故で亡くなった兄の子供だ。兄夫婦が突然いなくなり、残されたまおを引き取って育てることになったのだ。もちろん迷いはあった。まだ独身だった俺に、子供を育てられるのかという不安は大きかった。それでも、まおを施設に預けるなんて選択肢は最初から考えられなかった。兄の遺した大切な命だ。俺が引き取って、しっかり育てていくと決めた。

しかし、現実は甘くなかった。料理ができない俺は、最初の頃、毎日コンビニ弁当を買って帰るだけで精一杯だった。まおに食べさせる食事は、いつもレトルトやお惣菜ばかり。最初のうちは「おいしい」と言って食べてくれたまおも、さすがに飽きてきたようで、最近は箸が進まないことも増えてきた。そんな自分に情けなくなる。もっとちゃんとしたものを食べさせてやりたいのに、仕事から帰ってからの時間では、どうしても手の込んだ料理を作る余裕がない。

バタバタと家事をこなし、まおの世話を焼き、気がつけばもう寝る時間。毎日がそれの繰り返しだった。育児に追われるとは、まさにこのことだと身に染みて実感した。

そんな俺の姿を見て、周りの人たちはいつも気遣ってくれていた。会社の同僚もそうだし、まおを預けている実家の両親も、できる限りの協力をしてくれている。そして増田さんも、その一人だった。

ある日のことだ。母がまおを遊びに連れて行ってくれたのだが、まおが途中で俺に会いたがったからと、会社の前で待っていると連絡が入った。俺は慌てて受付に向かうと、そこにはまおと、たまたま通りかかった増田さんの姿があった。どうやら増田さんがまおを見つけて、部屋で待たせてくれていたらしい。

「ああ、増田さん。まおがわがままを言ったようですみませんでした」

「わがままなんてとんでもない。だって私もまおちゃんと遊びたかったんだもの」

そう言って増田さんは微笑んだ。会社で見せるクールな表情とはまるで違う、柔らかい笑顔だった。

「お姉ちゃん、絶対に公園に行こうね。まおね、ブランコに乗りたいの」

まおはすっかり増田さんに懐いていた。しかも、嬉しそうに彼女の手を握ってぶんぶんと振り回している。増田さんも嫌がる様子はなく、むしろ楽しそうだ。

「ブランコ? まおちゃん、ブランコが好きなの?」

「うん! まお、ブランコでお空を飛ぶのが好きなんだよ」

「そうなんだ。じゃあ、今度一緒に行こうね」

「本当? 約束だよ!」

その日、気がつけば俺とまお、それに増田さんの三人で公園に行く約束をしてしまっていた。俺としては、増田さんにそこまでしてもらうのは申し訳ないという気持ちもあった。彼女は仕事が忙しいのに、休みの日にまでまおの相手をさせるわけにはいかない。そう思って遠慮しようとしたのだが、増田さんは「私もまおちゃんと遊びたい」と言って、笑って受け入れてくれた。

数日後、増田さんが俺のデスクにやってきた。

「ちょっといいですか? 来週、部内の定例の飲み会があるんですけど、神谷さんはお子さんがいらっしゃいますから、無理しなくて大丈夫ですからね」

「いえ、集まりも仕事のうちですから。まおは実家に預けるので大丈夫です」

「そうですか。わかりました」

そして飲み会当日、増田さんは俺に話しかけてきた。一人での子育ては大変ですね、と。俺は正直な気持ちを話した。まおが実は兄の子供で、去年引き取ったこと。慣れないことが多くて、まおにはかわいそうなことをしているかもしれないということ。

増田さんは驚いた様子もなく、静かに頷いた。

「そうだったんですね。娘さんじゃなくて、めいさんだったんですね。でも、優しいおじさんがいて、まおちゃんは幸せですよ」

その言葉に、胸のつかえが下りるような気がした。増田さんは本当に優しい人だと思った。

「一緒に公園に行くのは、いつがいいですか?」

そう言って増田さんは笑った。俺はその笑顔を見て、心臓が少し大きく跳ねるのを感じた。

そして翌週の休日、俺たちは三人で公園に行った。

「まおちゃん、おはようございます」

「お姉ちゃん、おはよー!」

まおは増田さんの姿を見るなり、嬉しそうに駆け寄っていく。増田さんはカジュアルな私服姿だった。会社で見せるキリッとした雰囲気とはまるで違い、柔らかい印象で、その姿に思わず目を奪われた。綺麗なボディラインが強調された服装に、俺の目は釘付けになってしまう。いや、そんなことを考えている場合じゃない。俺は必死に視線をそらした。

公園は市内でも大きなところで、遊具もたくさんある。まおは大はしゃぎで、ブランコの方へ走っていく。

「お姉ちゃん、早く! ブランコ乗ろう!」

「待って、まおちゃん。転ばないようにね」

二人はブランコに乗り、楽しそうに漕いでいる。まおの笑い声が風に乗って聞こえてくる。

「わあ、気持ちいい! お空を飛んでるみたい!」

「まおちゃん、すごいね。とても高く漕げたね」

「お姉ちゃんもすごいよ! どっちが高く漕げるか競争だよ!」

「負けないわよ」

増田さんは、本当に楽しそうだった。いつものクールな彼女が、まおと一緒になって少女のように遊具で遊んでいる。そのギャップが新鮮で、そしてどこか眩しかった。彼女のこんな姿を見られるなんて、幸せだなと思った。

三十分ほど遊んだ頃だろうか。まおが喉が乾いたと言い出した。

「おじちゃん、喉乾いた。ジュース飲みたい」

「じゃあ買ってくるよ。まおはオレンジジュースでいいか? 増田さんは何がいいですか?」

「ああ、私は大丈夫よ。ていうか、私が買ってくるわ」

「遠慮しないでください。こういう時くらい、男らしくやらせてくれませんか?」

「あ、ありがとうございます。じゃあ、私はお茶でお願いします」

俺は近くの自販機に向かい、三人分の飲み物を買って戻った。まおはオレンジジュースを一口飲んで、嬉しそうに目を細める。

「おいしい! お姉ちゃん、今日はありがとうね。まお、楽しかった!」

「私も楽しかったわ、まおちゃん。久しぶりに小さい子と遊べて、本当に楽しかった」

まおはさらに増田さんに懐いていく。帰り道、そんな二人の姿を見ながら、俺は考える。増田さんは子供と遊ぶのが本当に上手い。まるで昔から慣れ親しんでいるかのように、まおの扱い方が自然だ。

「増田さんは、子供と遊ぶの慣れてますね」

「私、年の離れた妹がいるんです。今は中学生ですけど、大学進学で家を出る頃は、まおちゃんくらいでした。私が可愛くて仕方なかったんですよ。だから、自然とこういう遊び方になるんです」

「そうだったんですね。道理で」

クールな増田さんの意外な一面が見れて、嬉しかった。彼女にはこんなに柔らかい表情があったのかと、新鮮な驚きがあった。

帰り道、そんなことを考えながら歩いていると、いきなりまおが人混みの中を走り出した。

「おい、待て! まお!」

「お待ちなさい!」

すると、近くにいたおばあさんがまおを止めてくれた。

「お嬢ちゃん、パパとママとはぐれないようにね」

「ありがとうございます」

「パパとママ? あ、あの、すみません。俺と夫婦と間違われちゃって、気分悪いですよね」

俺が恐る恐る増田さんに謝ると、彼女は笑って首を振った。

「いえ、大丈夫ですよ」

気分を害していないようで、安心した。しかし、その言葉が、なぜか胸に引っかかった。彼女は本当に大丈夫なんだろうか。俺たちはまだ、ただの上司と部下だ。彼女にそういう感情を持っていいのか、その線引きがよくわからなくなっていた。

翌日、俺は少し緊張しながら出勤した。昨日の公園での出来事が頭から離れない。増田さんはどう思っているんだろうか。親子と間違えられたことを、本当はどう感じているんだろうか。そんなことを考えながら、デスクに向かう。

「おはようございます」

「おはようございます。今日から新規プロジェクトが始まりますから、頑張りましょう」

増田さんの態度は、いつもと変わらない。クールで、プロフェッショナルな上司の顔をしていた。俺の緊張をよそに、彼女は仕事モードに切り替わっているようだ。それが少し寂しくもあり、安心もした。昨日の出来事を引きずっているのは、俺だけなのかもしれない。

お昼休み、増田さんが俺のデスクにやってきた。

「神谷さん、ちょっといいですか?」

「はい、増田さん、どうかされましたか?」

「まおちゃんのお誕生日が近いですよね。よかったら、一緒にお祝いしませんか?」

「え?」

いつの間に、まおの誕生日を知ったのだろう。確かに、来週でまおは七歳になる。まさか増田さんがそこまで気にかけてくれているとは思わなかった。

「それは、ありがとうございます。でも、増田さんにもお仕事がありますし、お時間を取らせてしまっては申し訳ないです」

「私、まおちゃんともっと仲良くなりたいと思ってまして。それに、私が言い出したことですし」

「実はまおも、増田さんに来て欲しいってずっと言ってるんですよ。きっと喜びます」

「嬉しい。それじゃあ、まおちゃんの好きなものをたくさん作っていきますね」

「いや、そんな、悪いです。増田さん、今お仕事が忙しいじゃないですか」

「そんな手の混んだものは作らないから、大丈夫よ。それに、本音を言うと私がやりたいんです。だから、嬉しいんですよ」

そう言って増田さんは笑った。本当に、まおのことを可愛がってくれているんだなと感じた。申し訳ない気持ちと、嬉しい気持ちが混ざり合う。俺は素直にお礼を言うことにした。

「本当にありがとうございます。でも、お仕事も忙しいですから、無理しないでくださいね」

そして、当日。増田さんは俺のアパートを訪ねてきた。

「こんにちは、神谷さん、まおちゃん。本日はお招きいただき、ありがとうございます」

この瞬間、俺とまおは息を飲んだ。会社で見る姿のキリッとした彼女も綺麗だが、今日の彼女はとても華やかで、カジュアルだった。ワンピースに、少しだけおしゃれをしたメイク。髪型もいつもと違い、雰囲気ががらりと変わっている。

「わあ、増田さん、素敵ですね」

「お姉ちゃん、可愛い! お人形さんみたい!」

「ありがとう。でも、なんか恥ずかしいわ」

増田さんは照れくさそうに笑った。まおは彼女の手を引っ張ってリビングへ案内する。

「まおちゃん、お誕生日おめでとう。はい、これプレゼントよ」

「わあ! お姉ちゃん、ありがとう! 開けていい?」

「もちろんよ」

まおが包装紙を破って中から出てきたのは、アニメのプリンセスのドレスだった。先日公園に行った帰りに、まおがアニメのお姫様について熱く語っていたのを、増田さんは覚えてくれていたのだ。

「すごい、すごい! 見て、おじちゃん! お姫様のドレスだ! ありがとう、お姉ちゃん!」

まおは飛び上がって喜んだ。増田さんは、そんなまおを見て優しく微笑む。

「喜んでもらえてよかったわ」

「増田さん、本当にありがとうございます。来ていただけるだけでありがたいのに、気を使わせてしまってすみません」

「いえ、私が送りたいだけだから。それと、料理も作ってきたから、一緒に食べましょう」

増田さんは紙袋からタッパーを取り出した。中には、ハンバーグや唐揚げ、オムライス、フルーツサラダなど、子供が好きそうなものばかりが入っていた。どれも手が込んでいて、家中にいい匂いが広がる。

「おいしい! お姉ちゃん、お料理上手だね! まお、好きなものばっかり!」

「まおちゃんが喜んでくれるなら、作りがいがあるわ」

増田さんの手料理は本当に美味しかった。俺は料理ができないから、実家に帰った時くらいしか、ちゃんとした手料理を食べられない。久しぶりの手料理は、心にしみる。俺は無言で、ハンバーグを頬張った。

「お姉ちゃん、おじちゃんと結婚してくれたらいいのに」

まおの一言に、俺は思わずむせそうになった。

「え? まお、何を言ってるんだ?」

「だって、ずっとこのままがいいなあって思うんだもん」

「こら、そういうことを言うんじゃない。増田さんに失礼だろう」

「まおちゃんたら、それこそ私が神谷さんの隣なんて、おこがましいわ」

「おじちゃんもお姉ちゃんも、お顔が赤いよ」

まおに指摘されて、俺は慌てて顔をそらした。確かに、顔が熱い。増田さんの方を見ると、彼女も少し赤くなっているように見えた。

「お、そうだ。ケーキがあるんだ。早速食べようか」

「わあ! ケーキ! ケーキ!」

俺は必死に話題をそらした。このままではまた変なことになりかねない。バースデーケーキをテーブルに置き、三人でバースデーソングを歌う。まおは嬉しそうに目を輝かせながら、ろうそくの火を吹き消した。

ふと、壁に貼ってある写真を見つめる。まおの四歳の誕生日の写真だ。あの時は、まおを引き取ったばかりで、毎日が手一杯だった。そんな中、おそまつながらケーキを買って誕生日を祝った時のものだ。あの時もまおは嬉しそうな顔をしていたが、今日の笑顔はそれ以上に輝いている。今年の誕生日は、増田さんが来てくれたから、とても温かく、華やかなものになった。

「なんだか、こういうのって幸せを感じますね」

俺が呟くと、増田さんは静かに頷いた。

「そうですね、私も幸せです」

「そうだ、増田さん、写真を撮ってもいいですか?」

「いいですよ」

「まおちゃん、こっちに来て」

俺はスマホを取り出し、二人の写真を撮った。まおはピースサインをして、満面の笑みを浮かべている。増田さんはその隣で、少し照れくさそうに笑っていた。

「はい、チーズ」

その写真は、今では俺の宝物になっている。

翌日、俺は増田さんを廊下に呼び出した。仕事のことはあまり話せない場所だが、どうしても伝えたいことがあった。

「増田さん、ちょっといいですか?」

「はい」

「先日はありがとうございました。まおもすごく喜んでました」

「私、まおちゃんと会えて、とても嬉しかったんですよ。だから、気を使わないでください。むしろ、私がお礼をしたいくらいです」

「でも、それでは申し訳ないですから……」

「では、お言葉に甘えて、食事に行かせてもらいますね」

そう言って、増田さんは笑った。そして翌週の休日、俺たちは三人でグリーン牧場に行った。うさぎの赤ちゃんと触れ合ったり、牛の搾乳体験ができるから、まおが喜ぶだろうと増田さんが提案してくれたのだ。まおは小動物が大好きで、うさぎを抱っこするなり、目を輝かせて「かわいい!」を連発していた。

そのまま夜には、近くのレストランへ。美味しいものをたくさん食べて、満足そうにしていたまおだったが、デザートを食べながら、とうとう眠り始めてしまった。なんとか踏ん張っていたが、睡魔には勝てず、増田さんにもたれかかって眠ってしまった。

「まおちゃんの寝顔、可愛いですね」

「増田さん、すみません。起こしますね」

「大丈夫ですよ。せっかく気持ちよく寝てるんだから、かわいそうですよ」

増田さんはそう言って、まおの頭を優しく撫でた。その姿があまりに自然で、まるで本当の親子のように見えた。俺はその光景に、胸が熱くなるのを感じた。

「それより、今日はありがとうございます」

「こちらこそありがとうございます。お礼をしようと思っていたのに、結局まおと遊んでもらっちゃって、申し訳ありません」

「私、神谷さんたちと一緒にいるのが、心地いいんです」

増田さんはそう言って、少し寂しそうな目をした。

「田舎ではいつも家族と一緒にいたのに、大学に進学してからは一人暮らしだったから、寂しかったんですよ。友達を作るのは苦手なんだけど、二人といると、実家に帰ったような安心感が得られるんです」

「そうだったんですか。……うちでよければ、いつでも来てください。俺たちは大歓迎ですから」

「ありがとうございます。嬉しい」

それから、増田さんは本当に週に一回、うちに来るようになった。まおは彼女が来るのを心待ちにしていて、毎回嬉しそうに飛びつく。増田さんも、そんなまおを本当に可愛がってくれた。二人はまるで本当の母娘のように、いつも楽しそうに遊んでいる。

そんな増田さんの影響もあって、俺も苦手だった料理に挑戦するようになった。レシピ本を買い込み、スマホで簡単な料理のノウハウを勉強した。最初のうちは失敗も多かったが、練習を重ねて、少しずつ手作りの食事を振る舞えるようになった。

「神谷さん、美味しいです」

「美味しいでしょ? おじちゃん、ずっと頑張って練習してるんだよ」

「お姉ちゃんは、おじちゃんと結婚するの?」

まおが突然、とんでもないことを言い出した。俺は飲みかけていたお茶を吹き出しそうになった。

「え? こら、まお。そんなこと言って、増田さん困ってるだろう」

「だって、お姉ちゃんにママになって欲しいんだもん。それでこうやって、三人でご飯を食べたいんだもん」

「まお、そういうことは……」

「そんなことないわよ。まおちゃんが私の子供なら、すごく嬉しいわ」

増田さんは笑いながら、まおの頭を撫でた。しかし次の瞬間、まおはさらに追い打ちをかける。

「じゃあ、なんでおじちゃんと結婚しないの?」

「ちょ、まお、もうこの話はおしまいにしような」

「えー、だって、おじちゃんもお姉ちゃんのこと好きでしょ?」

まおの言葉に、増田さんがチラッと俺を見た。俺も彼女を見返す。目が合った瞬間、二人とも慌てて視線をそらした。

正直なところ、俺も増田さんのことが好きだ。彼女が奥さんになってくれたらと、何度思ったかわからない。彼女は美人で優しくて、まおにも本当に良くしてくれる。理想の女性だ。

しかし、俺はシングルファーザーだ。バツイチというわけではないが、子供がいる身だ。増田さんには、子供がいない男性と結婚した方が幸せになれるはずだ。俺と一緒にいることで、彼女に不自由をさせるわけにはいかない。

ある日の飲み会の帰り道、偶然増田さんと一緒になったので、俺は思い切って聞いてみることにした。

「増田さん、俺たちによくしてくれるのは嬉しいけど、彼氏とかが寂しがってるんじゃないですか?」

「そんな人、いませんよ」

「そうですか。……すみません、変なことを聞いて」

距離を置こうと思う自分と、彼女の言葉にほっとしている自分がいる。俺はなんて卑怯なんだろう。

「でも、私、好きな人がいるんです」

「ああ、やっぱり好きな人くらいはいるよな。……一体誰なんだろうな」

「告白した方がいいと思いますよ。増田さんに告白されて、断る男なんていないですから」

「神谷さんこそ、彼女とかいないんですか?」

「いるわけないでしょう。子持ちの上に、何の取り柄もない俺に」

「そんなことないです。神谷さんは優しいし、包容力があるじゃないですか」

「子供がいるから少しは包容力があるかもしれませんけど、それは男なら誰でも同じだと思いますよ」

「あの……」

「はい?」

「……なんでもないです」

増田さんは何か言いかけて、やめた。その後は、お互いに無言で駅まで歩いた。その沈黙が、なぜだか妙に居心地が悪かった。

そんな話をした数日後のことだ。思い詰めた様子の増田さんから、呼び出された。

「神谷さん、今週末、お時間ありますか?」

「まおちゃんにも、話しておきたいことがあるんです」

「大丈夫ですけど……急に改まって、どうしたんですか?」

「実は、移動の話が出てまして。所長に昇進できるようなんです」

「そんな……」

「神谷さんは、どう思いますか? 私がどこかへ行ったら……」

増田さんは眼差しが揺れた。彼女は一体、何を求めているのだろうか。引き止めて欲しいのか? それとも、背中を押して欲しいのか?

でも、冷静に考えれば、彼女にとって昇進はチャンスだ。子持ちの男と一緒にいるよりは、昇進してキャリアを積んだ方が、彼女のためになるかもしれない。俺がわがままを言って、彼女の人生を縛るわけにはいかない。

「とりあえず、週末にまおを交えて話しましょうか」

そして週末、三人で集まった。まおは増田さんの顔を見るなり、いつものように飛びついてきた。その様子を見ながら、俺はどう話を切り出すべきか迷っていた。

「まお、お姉ちゃんが大切なお話があるって言うから、聞いてくれるか?」

「うん! お姉ちゃん、何のお話?」

増田さんは少し緊張した面持ちで、まおの目線に合わせてしゃがんだ。

「まおちゃん、ごめんね。お姉ちゃんね、お仕事で、遠くに行くかもしれないの」

まおの顔が、みるみる曇っていく。

「え? お姉ちゃんと、もう会えないの? 寂しいなあ……」

その言葉に、増田さんの目が揺れた。

「まおちゃんは、本当に私がママになってもいい?」

「うん! だって、お姉ちゃんがママになったら、嬉しいもん! それでね、三人で一緒に遊びに行って、ご飯を食べて、あと弟か妹ができたら、一緒に遊んであげるの!」

まおは無邪気な笑顔でそう言った。増田さんは、その言葉を聞いて、ふっと涙ぐんだ。

「そう、それは嬉しいわ。ありがとう、まおちゃん」

「増田さん」

俺は口を開いた。

「俺とまおは嬉しいけど、増田さんのことを考えたら、昇進して、子供がいない男性と家庭を築いた方がいいと思うんだ」

「私、この一週間ずっと考えていたの。昇進の話を聞いた時、全く嬉しくなかった。神谷さんとまおちゃんと一緒にいる、この場所が、本当に居心地がよくて。正直、転勤に乗り気じゃなかったのも、神谷さんたちと離れたくなかったからです」

「でも、増田さんには好きな人が……」

「それは、神谷さんのことですよ」

その言葉に、俺の頭は真っ白になった。

「神谷さんのことです。転勤に乗り気じゃなかったのも、神谷さんたちと離れたくなかったからです。だから、みんなで幸せになりたい。それじゃあ、ダメですか?」

「そんなこと、ない。ありがとう、増田さん。……増田さんの意思が硬いなら、全力で、あなたを幸せにします」

数ヶ月後、俺と増田さんは、俺の両親に挨拶に行った。俺が増田さんを紹介すると、両親はすごく驚いていたが、それと同時に、心底喜んでくれた。まおも新しい母ができて、嬉しそうだった。

その後、今度は増田さんの両親に挨拶に行くことになった。俺は反対されるだろうなと思っていた。子持ちだし、彼女より役職も低い。まともな親なら、娘と結婚させるのを躊躇するだろう。しかし、増田さんの両親は、そんなことを気にする様子もなく、俺たちを歓迎してくれた。

「かおりが選んだ人なら、私たちは安心だよ」

「かおりをよろしくお願いします」

これで最大の難関はクリアだ。そう思っていたのだが、帰り道、増田さんは不安な表情をしていた。

「かおさん、どうしたの?」

「あの……私、男性経験がなくて、すごく不安なの」

「それは、俺も同じだよ。……俺はあなたが、とても大切なんだ。だから、あなたの不安がなくなるまで、いくらでも待つよ」

「かつきさん、ありがとう。……そんなあなただから、私はずっと一緒にいたいと思ったの。かつきさん、大好きよ」

「俺も、愛してるよ」

今、俺とかおり、そしてまおの三人で暮らしている。俺とまおの二人だけの時は、食事もコンビニ弁当だし、会話も少なく、面白みのない毎日だった。だが今は違う。料理は俺とかおりで一緒に作るし、夕食の時間はいつも賑やかだ。かおりの存在が、この生活に色を添えてくれた。

そして来年には、新たな家族が加わる。まだ性別は分からないけど、まおはお姉ちゃんになるのが楽しみで仕方ないようで、毎日かおりのお腹に手を当てている。

かおりのおかげで、俺とまおは本当の家族の形になることができた。そんな中で、新しい家族を迎えるのが、今から楽しみでならない。

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