部長は、俺の目の前で搭乗券を破り捨て、わざとらしくゆっくりとばらまいた。「悪いな、手が滑った。海外の表彰式は、お前だけ留守番な。」そう言い放って、笑いながら搭乗口へ消えていった。社内業績1位の俺を置き去りにして。悔しさで拳を握りしめながら、どうしても表彰式に行きたい一心で受付に駆け込んだ俺に、思いがけない救いの手が差し伸べられた。それは、中学時代、俺の味方でいてくれた、あの明莉だった。彼女の…

部長は、俺の目の前で搭乗券を破り捨て、わざとらしくゆっくりとばらまいた。「悪いな、手が滑った。海外の表彰式は、お前だけ留守番な。」そう言い放って、笑いながら搭乗口へ消えていった。社内業績1位の俺を置き去りにして。悔しさで拳を握りしめながら、どうしても表彰式に行きたい一心で受付に駆け込んだ俺に、思いがけない救いの手が差し伸べられた。それは、中学時代、俺の味方でいてくれた、あの明莉だった。彼女の...

部長は俺の目の前で、搭乗券を真ん中から破った。さらに何度も破り、俺の前に笑みを浮かべながら、わざとらしくゆっくりとばらまいた。

「悪いな。手が滑った。」

俺は、目の前で起きていることを呆然と見ていた。海外で表彰式に出るために、飛行機に乗ろうとしていたところだった。俺の業績は社内で1位だった。それなのに、部長は俺を置いていくつもりなのか。

「海外の表彰式は、お前だけ留守番な。」

俺は高坂尚弥、29歳。大手企業・金田自動車で自動車エンジニアとして働いている。業績1位の手柄を奪われかけたその時、とんでもない美人が現れ、思いも寄らない展開になった。数日後、部長はボロボロの姿で言った。

「社長、首にしないでくれ。」

俺の子供の頃の話をしよう。田舎暮らしで、小さな自動車会社のエンジニアだった父、専業主婦の母、5歳年下の弟と4人で暮らしていた。弟は小さい頃から心臓の病気で入退院を繰り返していた。母は仕事をする暇もなく、常に弟に付き添っていた。弟の治療に莫大なお金がかかり、家計は常に苦しかった。

中学は、近所の一クラスしかない小さな学校に入学した。制服はご近所さんからもらったお下がりだった。貧乏で本も買えず、思うように勉強もできなかった。教室でも一人浮いていて、「お前、バカだな」と同級生から見下されていた。

そんな時、明莉だけは俺の味方になってくれた。明莉は同級生の中でもずば抜けて可愛くて、クラスの人気者だった。俺はなぜ明莉がこんなに俺を助けてくれるのか、この時は分からなかった。

中学2年の時、弟が闘病の末に亡くなった。葬儀が終わり、火が消えたような家の中で、両親は呆然とし、泣き、かなり気落ちしていた。もちろん俺も、大切な弟を突然失い、かなり辛かった。

中学3年の春、両親は弟のお墓参りに出かけた。授業中に警察から連絡が来て、両親を乗せた車が事故を起こしたと知った。俺はすぐに病院に向かい、二人の無事を祈った。

俺の願いも虚しく、父も母も亡くなってしまった。

父が亡くなる前に、たった一冊だけ、車の本を買ってもらった。父は大手企業の子会社で自動車エンジニアとして働いていた。俺はその本を読んで、自動車の魅力に惹かれていった。父は俺に、車の素晴らしさをたくさん話してくれた。俺にとって、その本は父の形見で宝物だった。学校に行く時も、どこに出かける時でも、本を持ち歩いていた。

両親が亡くなってから、俺は周りの同級生とほとんど話さなくなった。休み時間に教室でいつものように本を読んでいると、クラスの問題児グループに囲まれ、一人が急に本を取り上げた。

「またそんな本読んでるのかよ。」

男子は面白がって本を持ったままロッカーに上がる。俺は必死に返してもらおうと手を伸ばした。

「やめろ。大切な本だから返せ。」

俺の声もむなしく、男子は本を遠くに投げた。投げられた本は、明莉の足元に落ちた。明莉は本を拾いながら、男子に向かって静かに、しかし鋭い声で言った。

「やめなさいよ。嫌がってるでしょ。」

明莉は本を払い、微笑みながら俺に差し出した。

「はい、どうぞ。」

「ありがとう。」

明莉の優しさに、俺は久しぶりに人の温かさを感じた。両親が亡くなって一ヶ月後、俺は叔父に預けられるため引っ越すことになった。転校した学校でも馴染めず、ずっと孤独だった。

ちょうど両親の死から半年後、本屋で見つけた雑誌に、父の乗っていた車の写真が載っていた。俺は父を思い出しながら夢中になって記事を読んだ。

その瞬間、俺はショックと驚きで雑誌を落とした。記事には、父の車がリコール対象の車だったことが書いてあったのだ。

「どういうことだよ。」

俺は両親が死んだ理由を知り、悔しくて悔しくて涙が止まらなかった。ただ、当時の俺は子供で、どうすることもできなかった。父が安心して乗れる安全な車だったら。今更祈っても父も母も戻って来ないと分かっていても、そう思わずにはいられなかった。

無力な自分が悔しくて、俺は父のように亡くなる人をこれ以上出したくないという強い思いを抱くようになった。安心で安全な車を作りたい。その思いで、中学卒業までの三ヶ月間猛勉強し、自動車の専門学校に認定されている工業高校に入った。高校生活中は、叔父夫婦にこれ以上迷惑をかけないように、専門学校の資金を貯めるため、アルバイトと独学で寝る間も惜しんで勉強した。その甲斐あって、俺は主席で卒業した。卒業後すぐに筆記試験に合格し、三級自動車整備士の資格を取った。

卒業と同時に叔父夫婦の家を出て、アルバイト生活を続け、専門学校のお金を貯めた。三年後に自動車系専門学校に入学し、自動車整備科で四年間勉強した。そして、専門学校を卒業してすぐ25歳の時、今の会社に入った。内定が決まった時、念願の自動車エンジニアとして働ける嬉しさを噛みしめた。父みたいな自動車エンジニアになりたい。そう思っていた子供の頃を思い出した。

初出社の日、俺は張り切って出勤した。

「本日から入社しました、自動車エンジニアの高坂です。よろしくお願いいたします。」

俺の方を見て、一人鼻で笑う者がいた。名札には「土部部長」と書いてある。部長は俺を下に見た目で見て嘲った。

「だって、今時高卒で、しかも25歳で入社なんて遅くないか?」

俺を高卒と勘違いしているようだったが、何も言い返せず、悔しくて拳を握りしめた。席に着くと、隣の席の先輩が肩を叩きながら言った。

「土部部長はいつもあんな感じだから、気にするな。」

俺はそれから毎日のように見下され続けた。それでも俺は先輩に仕事を教えてもらい、日々真剣に仕事に取り組んだ。29歳の時、俺の実力が認められ、部門マネージャー兼自動車技術者に抜擢された。土部部長は面白くなかったようだが、開発部の部長が俺の仕事ぶりを見て社長に推薦してくれたようだった。

俺は実力が認められたことが嬉しくて、今まで以上に仕事に熱心に取り組んだ。部門マネージャーに就任してすぐ、新車を開発するプロジェクトに誘われた。俺は責任を感じながらも、プロジェクトに携わることが嬉しかった。デザイン設計から試作車の作成まで、チームや他部署と協力して開発に忙殺された。海外の自動車エンジニアとやり取りする必要もあり、最初は英語が苦手だったが、何度もやり取りを重ねるうちに自然と話せるようになっていた。

新車開発に向けて忙しくしていた日の朝、俺は急に土部部長に呼ばれた。

「11時から取引先の会社へ行くぞ。車の準備をしておけ。」

部長は突然言い放ち、返事をする間もなくオフィスから出て行った。10時半、俺が車を運転すると、部長は後部座席から罵声を浴びせ、運転席の後ろを蹴飛ばした。

「遅いんだよ。」

運転中も、ブレーキが下手だと罵声を浴びせ、道を曲がる直前で指示を出したり、間に合わないと分かっている場所で命令をしたりした。俺は「すいません」と耐えるしかなかった。

取引先の会社に到着すると、部長は会議室に通されてすぐ、相手の部長に深々と頭を下げた。

「今回は多大なご迷惑をおかけし、大変申し訳ございませんでした。こいつが今回のプロジェクトの責任者です。」

俺はこの時、クレーム対応の責任を、土部部長の罪を着せられたことを察した。突然の出来事に驚いたが、俺は「申し訳ございませんでした」と謝罪するしかなかった。相手の部長は怒りのこもった目で俺を見据える。

「君が責任者か。どう責任を取ってくれるんだね。」

俺は長いお説教を受け、何度も何度も頭を下げた。そんな俺を、土部部長は笑っていた。

ある日、社長が出席する新車の大事な社内プレゼンがあった。俺たちのチームが長い時間をかけて取り組んだ成果を発表する大事な日だ。俺は事前に資料や映像の準備を整えていた。会議が始まると、土部部長が突然俺に鋭く言った。

「資料が足りないぞ。」

部長はプレゼンに必要のない資料の提示を要求した。俺は困り、仲間に目配せをして助けを求めた。

「おいおい高坂。資料がないようじゃ困ったな。」

部長はそんな俺を見て嘲笑しながら腕を組んでいた。すると、仲間がフォローしてくれた。

「そちらの資料は今回は使用しませんので、後日メールで送ります。」

部長は気に入らない様子で小さく舌打ちをした。俺は大きく息をついてプレゼンを始めた。ところが、プロジェクターに向けてリモコンを押しても、なぜか映らない。準備したはずのコンセントがパソコンから抜けていたのだ。仲間が慌てて差し込み直すが、それでも映像が出ない。

「おいおい高坂、お前、準備もしてなかったのか?早く始めろよ。」

そんな時、仲間が「社長、こちらです」とフォローを入れてくれた。俺は仲間の説明の間にパソコンを操作し、調整した。数分後、無事に映像が映し出された。俺は自信を持って説明した。説明の間、社長は深く頷きながら、興味深そうに身を乗り出して聞いていた。

「以上でプレゼンを終わります。ご清聴ありがとうございました。」

そう言った途端、会議室に割れんばかりの拍手が響いた。土部部長だけは拍手もせず、唇を噛みしめてこちらを睨んでいた。

「高坂君、君のプレゼンは実に興味深かった。ここまで安全に配慮したプロジェクトは初めてだ。これからも頼むよ。」

社長から認められ、俺がプロジェクトに関わった新作の電気自動車を売り出すことが決まった。発売と同時に、デザインも性能も安全な車は飛ぶように売れ、人気車種となった。そして、新車を売り出してすぐ、俺の社内での業績が1位となった。

ある日、社長が勢いよくオフィスにやってきて、俺の肩を叩いていった。

「高坂君、君はよくやったよ。半年後に海外で、君の業績1位の表彰を受ける予定になったぞ。部署のみんなで行ってきてもらうからよろしくな。君には金田自動車の顔になってもらうよ。」

俺は驚きと喜びで即座に返事をした。

「本当ですか?喜んで行ってきます。」

オフィスは半年後の表彰のことで、今までにないほど盛り上がっていた。仲間たちは喜んで俺を祝福してくれた。土部部長だけは、喜ぶ俺たちを横目に鼻で笑っていた。

「俺のおかげで成功したんだ。俺の手柄だ。」

そんなことを偉そうに言っている。

俺が新車製造で毎日忙しい中、土部部長は言った。

「おい、高坂、俺の代わりに発表会の資料を作っておけ。当日忘れずに持ってこいよ。」

部長は俺の言葉を遮ってそう言い残し、オフィスを後にした。俺は忙しい合間を縫って、一ヶ月間毎日夜遅くまで資料を作った。

一ヶ月後、ついに表彰式と発表会へ向けて海外に出発する日が来た。部署の全社員が空港で待ち合わせだった。事前準備があるプロジェクトの仲間たちは、先に現地へ行っていた。俺は鞄から資料を取り出し、部長に渡そうとした。

「ご苦労さん。」

土部部長は鼻で笑いながら、俺の手から資料を素早く奪い取る。俺はあまりの速さに呆然とするしかなかった。

「お前の搭乗券だ。」

部長は俺に搭乗券を渡そうと手を差し出した。俺が手を伸ばし、掴みかけたその時、次の瞬間、俺の目の前で搭乗券を見せつけながら、真ん中から破った。部長はさらに何度も破り、俺の前に笑みを浮かべながら、わざとらしくゆっくりとばらまいた。

「悪いな、手が滑った。」

俺は目の前で起きていることを呆然と見ていた。

「海外の表彰式は、お前だけ留守番な。」

部長はそう言って笑った。その時、アナウンスで搭乗開始の案内が流れる。他の社員たちは搭乗口を目指し始め、俺には気がついていない様子だ。部長は笑いながら他の社員の方へ向かい、手を振りながら搭乗口へ向かっていった。

しばらく放心状態だった俺は、ふと我に帰り、悔しさが込み上げてきた。部長の背中を睨みつけながら、思わず「くそ」と小さくつぶやき、ブリーフケースを叩いてしまった。

なんとしてでも飛行機に乗らなくてはいけない。その使命感に駆られ、俺は急いで受付に走った。

「すいません。アメリカのシアトル便に乗れませんか?」

「今すぐの準備は難しいです。申し訳ありません。」

「そこをなんとか。どうしても乗りたいんです。」

つい焦りから声を荒げてしまった。受付に並ぶ人や通りすがりの人たちが、不審な目つきで俺を見る。それでも俺は、カウンターに身を乗り出し、「なんとかなりませんか」と何度も懇願していた。

どれくらい経っただろうか。ふと我に返ると、後ろからコツコツとハイヒールの音が聞こえ、肩を叩かれた。振り返ると、俺を見つめる綺麗な女性が立っていた。漆黒のロングヘア、潤んだ大きな瞳、鼻筋の通った整った顔立ち。淡いブルーのスーツにタイトスカートで、スラッとした長い足の女性だった。俺はその美しさに息を飲んだ。

「尚弥君?」

「え?どうして俺の名前を?」

不思議に思いながら冷静に見ると、見覚えのある女性だった。

「明莉… ?」

「そう、私を覚えてくれてたのね。慌てている男性がいると思って見ていたら、手に持っている本で尚弥君だと分かったわ。こんなところでどうしたの?」

彼女は昔と同じ優しい笑顔で微笑む。

「アメリカで3日後に会社の表彰式があるから、どうしても飛行機に乗りたいんだ。」

俺は焦って明莉に事情を伝える。

「そうだったのね。分かったわ。私に任せて。」

明莉は偶然仕事でシアトルに行くらしく、コネを使って航空券を準備してくれた。二人で飛行機に乗り込み、席に座ったところで俺は明莉に礼を言った。すると、明莉が不思議そうに尋ねた。

「尚弥君、なぜそこまでして会場に行きたいの?」

俺は一瞬戸惑ったが、黙って持っている本を渡した。明莉は不思議そうに本を眺め、中身を見た瞬間、何かを察したように俺の目を見つめた。そして、俺の手をそっと優しく握った。

「分かったわ。頑張ったのね。」

そう言いながら、明莉の目には涙が光っていた。俺は明莉の涙に驚いた。明莉が会えなかった間も俺を心配してくれていたと思うと、胸が熱くなった。俺は明莉の手を強く握り返した。

数時間後、飛行機の外は暗くなり、夜になった。隣の席で明莉はすやすやと寝ている。長いまつ毛、艶のある唇。俺は明莉の寝顔を見て、あまりの美しさに見とれていた。

そして、一日かけて無事にシアトルに到着した。

「さて、ホテルに着くまで街を散歩してみない?案内するわ。」

明莉は呑気にそんなことを言ったが、俺は考えていた。俺がシアトルに来たことを知らない部長。人に見つかれば帰れと騒ぎ、また嫌がらせをしてくるだろう。明莉まで巻き込みたくない。このまま発表会まで身を隠していた方がいいだろうと思った。

夕方になり、町のワインバーでは男性二人が外のテーブルに座り、笑顔で会話をしながらお酒を楽しんでいた。すると、ワインバーの前、人ごみの中から、向こう側から歩いてきた一番見つかりたくない人物と出会ってしまった。

「なんでここにいるんだ?」

土部部長は驚きながら、俺だけを見据えて聞いた。

「どうしても表彰式に参加したかったんです。」

部長は俺を睨みつけ、じわじわと距離を縮めてきた。

「絶対参加はさせない。」

すると突然、土部部長がものすごい力で俺の両肩を突き飛ばした。俺は男性二人がいるテーブルに背中から倒れた。驚いた男性たちが立ち上がり、テーブルの上にあったグラスが道路に落ちて割れる音。周囲の人が悲鳴をあげた。

「何をしてるんだ、バカ野郎。」

外国人の男性たちが俺に対して怒りを露わにし、胸ぐらを掴み、動きが取れない。明莉は突然の出来事に呆然としていた。部長は黙ってこちらを見て、にやりと笑みを浮かべている。俺は必死にジェスチャーで誤解だと伝えていた。遠くからポリスのサイレンが鳴り響く。土部部長はまずいという顔をして、人混みに消えて逃げていった。

明莉は落ち着きを取り戻し、一緒になって男性たちに謝り、誤解だと説明してくれた。俺はこれ以上明莉を巻き込むわけにはいかないと思い、明莉に言った。

「これ以上迷惑はかけられない。今までありがとう。」

しかし、明莉は食い下がる。俺は明莉に迷惑をかけたくないと思い、明莉を突き離し、強く叫んだ。

「早く行け。行くんだ。」

明莉は後ろ髪を引かれる思いで、人混みに消えていった。

それから二日後、発表会当日の朝が来た。俺は会場入り口ではなく、関係者入り口から入ろうとした。警備員に身分証の提示を求められ、この日のために社員一人一人に渡された身分証を提示する。俺がそのまま通過しようとすると、土部部長が突然現れた。

「おい、ちょっと待て。こいつはバーで暴れて警察沙汰になった犯罪者だ。追い出してくれ。」

土部部長は周りに聞こえるように大声で俺を指差していった。警備員が二人掛かりで俺の腕を掴み、外に出そうとした。

「やめろ。誤解だ。話せ。」

警備員は強い力で俺を引っ張り、出口へ向かって連れ出そうとしていた。

「待って。」

その声に振り向くと、そこには明莉が立っていた。

「あり様、どうしましたか?」

警備員二人と俺の足が止まる。

「この人は私の連れよ。大丈夫だから話してあげて。」

明莉は優しく微笑みながら言った。警備員は驚いた顔をしたが、俺の顔を見て、それから掴んでいた手を離した。突然の出来事に俺の頭は混乱したが、明莉の一声で警備員を黙らせたことを不思議に思った。

「こいつは犯罪者だ。いいから連れ出せ。」

土部部長は懲りずに警備員に向かって怒鳴っていた。警備員は怒鳴る土部部長に向かって、冷静に説明を始めた。

「明莉様は定期的にこの会場を利用してイベントをしているお得意様だ。イベントコンパニオンだけじゃなく、美容業界で成功した有名な方で、お父様は空港の社長。この会場のオーナーや大企業の社長たちからの信頼も厚い方だから、それはできません。」

部長は思い通りにならない状況に大激怒し、俺の肩に掴みかかり、出口に引きずり出そうとした。

「そんなことはどうでもいい。こいつは犯罪者だ。邪魔だから追い出せ。」

「話せ。俺は犯罪者じゃない。表彰式に参加させてください。」

俺は大声で立ち向かったが、部長は俺の肩を引っ張る。俺は振り払うように体を動かした。慌てて集まった警備員たち、周囲を歩いていた人々もざわつき、大騒ぎになった。そこにうちの社長が現れ、土部部長に対して睨みつけながら怒鳴った。

「そんなやつはほっておけ。早く発表会を始めるんだ。」

部長は黙らざるを得ない。俺に対して嬉しそうに笑みを浮かべた。

「ざまあみろ。」

部長はそう言い残し、自分のスーツを直しながら発表会の会場へ歩き出した。俺は悔しい気持ちが込み上げ、その場に立ち尽くし、拳を強く握りしめた。

そして表彰式の時間になり、部長は壇上にゆっくり上がり、表彰式が始まった。会場に拍手と歓声が響く。部長は満足げな表情でトロフィーを受け取った。

「皆さん、ありがとう。」

部長は満面の笑みを浮かべ、会場のマスコミに対してアピールしている。続いて、部長は新車についての発表を始めた。

「このプロジェクトは私が責任者として進めてまいりましたので、私の口から説明させていただきます。今回の新車の最大の魅力は…」

部長は満足げな表情で発表を続けた。

「それでは、お近くのスクリーンをご覧ください。」

表彰と発表は前夜に放送されており、あちこちのスクリーンに映像が映っている。俺と明莉は、発表後、脇で見守っていた。スクリーンに映し出された画面を見た観客が、一瞬静まり返った。

「これはなんだ?不正か?」

その映像を見た観客がざわつき始めた。

「なんだこれは?予定と違うじゃないか。」

部長は、画面に映ったリコール揉み消しの証拠を見て、焦って叫んだ。会場の大勢のマスコミが一斉に部長にフラッシュを浴びせ、写真を撮っている。部長はマスコミに向かって必死に説明した。

「これは何かの間違いです。事実無根です。これから予定していた画面を映すので、少々お待ちください。」

その横で報道陣はカメラに向かって、スクープだと必死に中継をしている。部長は壇上脇にある画面を見つけ、急いで消しに行くが、何度消そうとしても消えない。

「くそ。誰か消してくれ。これは何かの間違いだ。」

部長が叫んでいる。

俺は、部長の資料の中にある発表会用の映像データの中身を、全てこっそり入れ替えておいたのだ。

「なんで消えないんだ?誰か消せ。消すんだ。」

焦る部長は叫びながらいろんなボタンを押してなんとか消そうとするが、スタッフは誰も助けに向かわなかった。すると、次のデータが映し出された。これまで部長がやってきた不正やハラスメントの証拠が、次々と映し出される。

部長の担当していた車種の苦情が月に10件も入っていたこと。ブレーキの性能に問題があるにも関わらず、隠蔽工作していた証拠。そして、内部告発者からの情報提供として、部下や俺に対して日常的に怒鳴ったり「クズ」だと見下す姿。自分の仕事を押し付け、できないと分かると深夜遅くまで残業させる。部下の成果を自分の手柄にする音声。さらに、着服の様子まで映った監視カメラの動画が流れた。

「これは誰かが私を貶めようと仕組んだ嘘の映像と音声です。」

部長はマイクで冷静を装い弁明する。

「あの映像は日付も入っていて本物だぞ。」

「音声の声、似ているよな。」

「そうだな。この映像は本当のことを映し出している。」

俺が集めた証拠はあまりにも信憑性が高く、報道陣もマスコミも信じているようだった。会場からは非難の声が飛び交った。

「随分ひどいことしてるぞ。」

「お前の話は誰も信じないぞ。」

観客から大声で叫ばれ、大ブーイングが起こった。部長は観客の声に押され、脂汗を浮かべていた。

「そ、そんな。誰も俺を信じないのか。」

観客の騒ぎを見て、呆然として後ずさりし、慌てて俺を睨みながら近寄ってくる。

「お、お前はなぜそんな証拠を持っているんだ?」

部長は震える声で俺に聞く。俺は壇場に歩き出し、冷静に、そして強い意志を持って話し始めた。

「俺がこの会社に入ったのは、最初からこのリコール揉み消しを告発するためだった。父の事故の要因は、このリコールが揉み消されたことを知らず車を使い続けたことで、事故で亡くなった。もしすぐに発表してくれていたら、両親は死なずに済んだかもしれない。だから、車を製造したこの会社に入り、リコールの真相を知りたかった。仕事をしているうちに、あなたがリコールに関わっていることが分かった。証拠も多数見つかった。この日のために、全て用意していた。」

部長は自分の地位を気にしたのか、叫んだ。

「こんなの嘘だ。どうして俺を信じないんだ。」

鋭い目の観客は大声で叫び、ゴミや空き缶を部長にぶつけていた。部長はとっさにマイクを持ち、観客に向かって話し出した。

「皆さん、これは誤解だ。俺は悪くない。まず第一に、リコール揉み消しの証拠だって全て出鱈目だ。証拠を捏造している高坂の方がおかしいだろう。俺は悪くないんだ。」

しかし、そんな部長の苦し紛れの言い訳など信じるわけがなく、野次もヒートアップしていく。

「何を言ってるんだ?大嘘つき野郎。」

部長はひるむことなく必死に弁明を続ける。

「私は嘘つきなんかじゃない。映像だって、あんなの今だったらAIで簡単に作れるだろう。音声だってそうだ。こんなのは、私の地位と権力が羨ましくて妬んでる奴らの陰口でしかないはずだ。高坂、お前が社員を騙して企んでることは知ってるからな。お前は入社してから私の地位を狙っていた。高卒のくせに調子こいてたんじゃないのか。だから私を落とし入れることで、私の座を狙っているんだろう。」

部長が何を言っても逆効果になり、観客のブーイングの嵐は収まらない。

「人に罪を着せる卑怯なやつだ。」

「お前は日本の恥だ。ここから消えろ。」

いくら言い訳や説明をしても通用しないことに、部長は焦って部下に助けを求めようとする。部長は部下の肩を揺さぶり、震える声で叫んだ。

「誤解だって言ってくれよ。お前も高坂に騙されてるんだろ。本当のことを言ってくれよ。俺は悪くないってことを。」

肩を掴まれた部下は、素早く手を振り払って部長を軽蔑するような目で見た。

「いい加減にしてください。俺は高坂先輩に騙されてなんかいません。俺だって知ってるんですよ、あなたの罪を。あなたは覚えていないのかもしれないけれど、俺にもハラスメントしていました。高坂さんはそんな俺を助けてくれた。高坂さんを悪者にしないでください。私はあなたに何を言われても、何をされても黙っていましたが、証拠は持ってます。あなたが何と言おうと、私はあなたを許しません。」

部長は呆然とした様子で言った。

「お前も嘘をつくのか?」

もう誰も部長の味方をする人はいなかった。そこにうちの社長が現れ、静かに壇上に上がった。そして部長の目の前に立ち、一括した。

「もうそのくらいにしろ。お前の罪は決して許されないものだ。そろそろ本当のことを言ったらどうだ?」

部長はショックで膝から崩れ落ちた。

「社長、社長は信じてくれると思ったのに。私を信じてくださいよ。」

部長は社長の足にしがみつきながら喚く。社長はそんな部長を哀れむような目で見ていった。

「お前はもううちの会社には必要ない。お前がリコールを揉み消したことで、人が亡くなっているんだぞ。それでも許されると思うか?お前はそれでも人のせいにしようとするのか?それに不正やハラスメント、着服まで。私の知らないところでこっそりと何をしているんだ?私の見る目がなかった。」

部長は社長を見上げて、すがりつくように言った。

「ですから社長、それは嘘ですって。高坂が他の社員と手を組んで俺を落とし入れようとしたんです。俺の地位と権力が羨ましかったんです。」

「いい加減にしろ。もうお前の言い訳にはうんざりだ。そろそろ自分の罪を認めたらどうだ?傷つけた周りの人に謝ったらどうだ?高坂はお前のせいで両親を失ったんだぞ。高坂の気持ちを考えたことがあるのか。謝ってももう戻らないけどな。人として謝るのが当たり前だろう。お前は謝ることもできないのか?」

「その件も出鱈目です。社長、俺の言うこと聞いてくれませんか?」

社長は部長を哀れむような目で見て言った。

「お前はこりないな。リコールの件だけでなく、お前のハラスメントで会社を辞めた者もいる。お前の着服によって破産した会社もあるんだ。これ以上、お前を会社に置いておけない。会社の恥だ。今後一切、お前の顔を私の前に見せるな。」

普段怒らない社長が、初めて怒りを露わにした。部長は一瞬呆然とした様子を見せたが、それでも社長にしがみつく。

「社長、私と社長、10年以上一緒にやってきたじゃないですか。私がいなかったら、これからどうするんですか?絶対やっていけませんよ。社長、社長。」

社長は呆れて大きくため息をついた。そして、警備員に向かって指を鳴らして合図を送った。その瞬間、警備員が一斉に部長を捕まえ、壇上から引きずり下ろした。

「やめろ。何するんだ。やめないか。」

部長は抵抗しながら喚いている。暴れる部長を、警備員たちは冷静に抑えつけた。社長は押さえつけられた部長を睨みながら言った。

「君は首だ。もう私たちの会社には一切関わらないでくれ。」

「社長、待ってください。社長、聞いてください。社長。」

部長はそのまま警備員たちに連れられ、最後まで喚きながら会場から去った。部長がいなくなった会場は、一瞬静寂に包まれた。社長は壇上の真ん中に歩いていき、マイクを持った。そして大きく息を吸い、冷静に力強い声で言った。

「当社のお見苦しいところをお見せしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。」

社長は深く頭を下げ、話を続ける。

「本件の不祥事は、当社で調査を立ち上げ、正式に後日記者会見という形でご説明をいたします。それでは、当社の新車発表を続けさせていただきます。最後までお楽しみください。」

社長は俺の方を向いて、笑顔で言った。

「君を誤解していたよ。誠実に対応してくれてありがとう。さあ、君の成果だ。発表を続けてくれ。」

社長は静かに壇上を降りた。俺は横にいる明莉に向かって言った。

「俺のことを信じて、何度も助けてくれてありがとう。」

「私はいつでもあなたの味方よ。」

明莉は優しく微笑んで言った。俺はマイクの前に立ち、大きく息を吸いながら発表を行った。俺は外国人のエンジニアと話して英語を話せるようになっていたので、全て英語で発表することができた。プロジェクトの仲間が映像を流し、明莉はイベントコンパニオンとして会場を盛り上げてくれた。会場では大きな拍手が巻き起こり、熱気に包まれた。仲間と明莉のおかげで、発表は大成功に終わった。

その後、部長は逃げないように別室で警備員に見張られていた。それから、発表した新車はアメリカでも大人気車種となり、会社の業績は大きく伸びた。社長はリコール揉み消しが判明した後、早急な謝罪会見を開いた。テレビには社長の謝罪会見の様子が映し出された。

「リコール回収及び無償修理。また、会社として独自の保証をいたします。今回の件で土部に対しては、懲戒解雇として会社として法的措置とします。」

そう説明し、事態は収束を迎えた。日本に戻った部長を待っていたのは、空港の搭乗口には日本のマスコミが大勢集まっていた。部長は搭乗口から出た途端にマイクを向けられる。

「シアトルで発表されたあなたの不正は真実ですか?どうなんですか?」

勢いよく追求される部長。他の社員は足早に車に乗り込もうと逃げる。部長は焦った様子でマイクに向かっていった。

「真実ではございません。全くの事実無根です。あの場で流れた情報はAIによって作られた偽物です。」

大勢のマスコミが部長に向かってマイクを突きつける。

「あなたには無実を証明する証拠はありますか?」

部長は言い訳を繰り返し、滅裂な発言を繰り返していた。

「今回の表彰式で賞を受け取ったんだぞ。そんな俺が不正なんてするわけがないだろう。リコールだって俺は知らないぞ。あいつらが悪いんだ。何もかもあいつらが悪いんだ。俺は何も悪くない。」

「表彰式で賞を取ったのはあなたの部下ですよね。」

部長はバツが悪そうに舌打ちをし、その場から逃げようとタクシー乗り場へ走った。なかなかタクシーが来ず、部長はすぐにマスコミに追いつかれる。またしてもマスコミからしつこく追求される部長。その様子は生放送でテレビに中継されていた。

「くそ。」

部長はたまらず、タクシー乗り場から走って逃げた。

それから数日後、社長の会見の後、部長は警察に捕まり、喚く部長の様子がテレビに映し出されていた。部長はロビーから警察に両脇を掴まれ、暴れている。

「やめろ。私は何も悪くない。話せ。」

部長は大声で喚いている。入口では大勢の報道陣に囲まれている。暴れる部長を撮影するため、フラッシュの嵐が収まらない。部長はそれでもなお、警察に両脇を捕まれながらもがいている。

「無罪の私を捕まえるなんて、お前たちを訴えるからな。それにマスコミ共、肖像権の侵害で訴えるから覚悟しとけよ。」

部長は最後の悪あがきに、警察やマスコミにまで保身を向ける。最後まで自分の罪を認めようとしない部長に、手を差し出す者は誰一人としていなかった。

俺はと言うと、社長に「23日ゆっくりしてきなさい」と言われ、日本へ帰国する前の日の夜、俺は明莉を食事に誘った。夜景が見える高層ビルのレストランの、外のテラス席に座った。俺は席で明莉を待った。

「お待たせ。」

俺は思わず息を飲んだ。シルクの淡いピンクのドレス姿。髪は結い上げられ、同級生だった頃と同じ目が離せない。真珠のピアスとネックレスがとてもよく似合っている。俺は明莉に向かって言った。

「今回のことは本当に感謝しているよ。どうしてそこまで俺を助けてくれたの?」

明莉は責めながら、ぽつりと話し始めた。

「実は中学校の時から、あなたのことがずっと好きだった。だから助けたかったの。空港で出会った日も、入口であなたを見かけて気になって、後をつけて見ていたの。そして受付で困っている時に話しかけたの。」

明莉が中学生の時、俺を助けてくれていたのは、そういうことだったのか。俺は驚いて言った。

「そうだったのか。本当に助かったよ。俺も中学の時から、いつも優しくて俺の味方をしてくれる明莉が好きだった。」

俺と明莉は見つめ合い、そっと唇を重ねた。俺は大切な両親を失ったが、失ったことばかりではないことに気づいた。俺は自分の信念を信じて真実を暴き、誠実に仕事と向き合い努力をし続けた。どんな時も諦めずにやり遂げる強い意思を手に入れた。そうして努力していたからこそ、仲間や明莉に助けられ、最愛の人と再会することもできた。これからも俺の最愛の人たちを大切にしていくことを、俺は心に決めた。

明莉は俺の横顔を見つめながら言った。

「いい顔してるね。」

そして突然、俺の方にキスをした。

「これからは、私たち一緒に幸せになろうね。」

明莉は俺を見つめながら、いたずらっぽく微笑んでいった。俺は根拠はないけれど、これから先きっとすごくいいことが待っている。そんな気がしていた。

Thumbnail