「お前みたいなしょぼいじじが、うちに転職してくるなんて聞いてないぞ」…

「お前みたいなしょぼいじじが、うちに転職してくるなんて聞いてないぞ」...

部長は履歴書を引ったくると、中身も確認せずに鼻で笑った。紙が細かく裁断され、機械音がフロアに響き渡る。俺はただその光景を黙って見守るしかなかった。転職初日、まさかこんな出迎えをされるとは思っていなかった。

俺の名前はほった正一。53歳になるまで、地元で公認会計士として真面目に働いてきた。だが、縁あって東京の上場を控えた有料企業に転職することになった。それがこの会社での最初の出来事になるとは、予想もしていなかった。

出社初日の朝、新居で浅い眠りから目覚めた俺は、案内に従って総務部へ向かった。

「すみません、今日からこちらでお世話になるほったと申します」

しかし、フロアの社員たちは皆忙しそうで、誰も俺に気づかない。やがて奥のデスクに座っていた男性が、うんざりした様子で立ち上がった。総務部長、岩村。俺より少し年下だろうか、意地の悪そうな目つきをした男だった。

「何のようだ?ボーッと突っ立ってないでさっさと要件を言え。俺は忙しいんだよ」

礼儀も何もないその態度に、俺は思わず呆れてしまった。だが、下手に出るのが一番だと思い、丁寧に名乗った。

「本日付けで入社いたしました。案内で総務部によるよう言われていたもので」

そう言って履歴書を取り出そうとした瞬間、岩村部長は俺を頭の先からつま先まで舐めるように見回し、鼻で笑った。

「転職者が来るってことは聞いてたが、おいおい、冗談はよしてくれよ。お前みたいなしょぼいじじがうちに転職してくるなんて、こっちは聞いてないぞ」

俺が何か言う前に、彼は続けた。

「我が社は上場を控えた有料企業だ。そこで働くなら、社員も当然優秀な人間であることが第一条件なんだよ。俺なんか幼稚園から私立の名門に入り、大学まで全部エリート校を卒業しているんだ。もちろん、それぞれ優秀な成績でな」

突然始まった学歴自慢に、俺は困惑しながら曖昧に頷くしかなかった。すると岩村部長はますます得意げに胸を張った。

「そうだろう。ま、俺なんだから当然の結果だがな。この会社に入社すると若くしてその実力を認められ、同期の中で一番早く管理部門の部長にまで昇進したんだ」

彼の自慢話を聞きながら、俺は早くここを離れたいと思った。隙を見計らって履歴書を差し出す。

「あの、これ私の履歴書です。お世話になります。どうぞよろしくお願いいたします」

すると岩村部長は、俺の差し出した履歴書を封筒ごと引ったくった。そしてニヤリと唇を釣り上げると、中を確かめることもせず、足元に置いてあったシュレッターの口に封筒ごと突っ込んだのだ。

「え?」

あまりの出来事に固まる俺を、彼は楽しげに見やりながら、勝ち誇ったように笑い声をあげた。

「履歴書だって?解雇通知書の間違いじゃないのか?というか、お前みたいな底辺のじじが誰に雇うんだよ。そもそもこれから世界に打って出ようとしているこの会社に、しょぼい老は必要ねえの」

大声で嫌味ったらしく笑い続ける岩村部長。俺もさすがに怒りが湧いてきたが、ここで言い返したところで他の社員の迷惑になるだけだ。周りの社員たちが気遣わしげに俺たちを見つめている。

「わかりました。それでは失礼します」

そうだけ告げて、俺は踵を返そうとした。その時だ。廊下の向こうからスーツ姿のカッコいい中年男性が姿を現した。すると、あれだけ俺を笑い物にしていた岩村部長が、人が変わったような猫撫で声で声をかけた。

「社長、おはようございます!」

そう言うや否や、彼は俺を押しのけるようにして男性に駆け寄り、もみ手をせんばかりの勢いで話し始めた。

「いやあ、社長、今日もビシッと決まっていらっしゃいますなあ。昨日のゴルフも素晴らしいスコアで、やはりできる男は何でもこなしてしまわれるんですねえ」

先ほどまでの態度は何だったのかと戸惑ってしまうほどの変わり身の速さに、俺は言葉も出ない。だが、当の社長は迷惑そうな顔で眉間にしわを寄せている。そして、岩村部長を適当にあしらうと、その影に隠れていた俺の姿を確認したようだった。

すると社長は、すぐに柔和な笑顔を浮かべて言った。

「これはこれは、ほったさん。よくぞ我が社に来てくださいました。これからどうぞよろしくお願いいたします」

そう言うや深々と頭を下げる社長に、岩村部長は狐にでもつままれたように固まっている。

「どうも、小ぶ沙汰しています。社長にお誘いいただき、私のような者でも何か手伝えることがあればとこうして参りました。ですが、たった今、私みたいな底辺じはこの会社に必要ないと言われまして」

俺の言葉に社長が困惑と驚きをあらわにして声をあげた。だが、俺はそんな様子を無視して、彼に軽く頭を下げた。

「まあ、そういうことでしたら、私に出番はありませんね。老は大人しく田舎へ帰ることにいたします。それでは失礼いたします」

そう言って背を向けようとした俺を、社長が慌てて引き止めた。

「ちょ、ちょっと待ってください!底辺、老……そんな失礼なことを口にしたのは誰ですか?まさか、あなたにそんなことを?」

心なしか青ざめた顔で必死に問いかける社長に、俺はわざと悲しげに目を伏せながら、ぽつりと告げた。

「もうすぐ上場するこの会社で働くのなら、社員本人も当然優秀でなくてはならないと。それゆえ、私のようなじじはお呼びじゃないと。手渡したこちらの履歴書には目も通さず、封筒ごとシュレッターへ」

俺は岩村部長へと静かに視線を向けた。俺の行動に追従するかのように、社長もずっと彼を一瞥する。あれだけ勢いよく持ち上げていた社長にまで睨まれた岩村部長の顔からは、一気に血の気が引いていった。

「こ、これは、その……ちょっとした言い違いの結果というかですね」

油汗を流しながらそう言い訳をする岩村部長。だが、そんな言い訳が通用するはずもなく、社長の顔が徐々に赤く染まっていく。

「岩村、お前、ほったさんにじじとは何事だ!」

耳がキーンとなるほどの大音量で怒鳴りつけられ、岩村部長は驚きすぎてその場でぴょんと小さく飛び上がった。だが、懲りずにまだ言い訳をしようとする。

「ですが、こんなしょぼいじじ……平凡なお年寄りに、我が社のような上場企業はあまりにも煮かわしくないかと思いまして」

すると社長は、今度こそ怒りで顔を真っ赤にさせた。

「お前はバカか?いいか?よく聞け。こちらのほったさんのお力がなければ、うちはそもそも上場なんてできやしないんだよ!」

言われた言葉の意味が分からない、とでも言うように岩村部長の目は虚ろになっている。社長は深くため息をつくと、子供でも相手にするようにしてゆっくりと先を続けた。

「こちらのほったさんは、公認会計士でいらっしゃるんだ」

「え?こんなじじがあ?」

思わずといった風に飛び出たその暴言を聞きつけ、社長に睨まれた岩村部長が、懲りずに首をすくめた。岩村部長からはどう見えているのか分からないが、社長の言うことは事実だ。俺は長年、公認会計士として地元の企業を裏から支え続けてきた。おかげ様で地元ではそこそこ名を知られている存在だ。そして実は、今目の前にいるこの会社の社長も、東京出身者で俺の後輩に当たる人物なのである。そのよしみで数年前、社長は自身が経営するこの会社の建て直しを俺に依頼してきたのだった。

当時のこの会社は、社長自らが経費の流用という不正に手を染めていた。また役員たちも自分の立場を守ることにだけ熱心で、社員たちもそんな上層部に嫌気が差したのか、やる気のないだらけた空気が社内に蔓延していた。当然ながら業績も各社の中で万年最下位。正直、俺が今まで見てきた企業の中でも群を抜いてひどい状況だった。

だが俺は可愛い後輩のためにも奮起し、まず原因となっている社長を即刻解雇した。そしてグダグダになっていた社内の土台作りから手をつけ、並行して役員や社員たちの意識向上に力を注ぐ。最初は幼稚園を相手にしていた方がどれだけやりがいがあるかと呆れてしまうほどのありさまだった。しかし、俺が根気よく社員たちの話に耳を傾け指導をするうち、徐々に彼らの意識も変わっていったのである。決してダメな人間ではなかった。本来なら彼らの規範になり導くべき上の人間たちが、揃って愚か者だっただけだ。

そうして組織改革と共に再び仕事への情熱を取り戻していった社員たちは、一丸となって会社を盛り上げていった。結果、業績は目を見張るほどのV字回復を見せ、誰にも期待されていなかったその会社は、見る見るうちに全社のトップへと駆け上がっていったのである。その出来事は「片田舎の会社が起こした奇跡」として、今でも語り継がれていると聞いた。

「岩村、いくら君でもこの話くらいは聞いたことがあるだろう」

畳み掛けるようにそう問いかけられ、岩村部長は青い顔をしながらコクコクと頷く。社長はそれ以上突っ込む気力もなかったのか、話を続けた。

「私はその時、ほったさんのその手腕に惚れ込んだんだ。そして我が社の上場を目指し、彼を本社の取締役に迎えることにした」

「取締役だと?」

岩村部長が目を見開く。俺の立場が自身の役職よりはるかに上であることを、今更ながらに知り動揺しているらしい。社長はもはや諦めの境地で告げた。

「ほったさんにはこれから、本社を含め我が社全体の内部統制や監査体制が上場基準に適合できるよう、みっちり指導していただく」

そう、これが俺の転職理由である。この話をされた当初、俺は迷っていた。長年住み慣れた地元で真面目に頑張ってきた。愛着もある。この年で転職するというのは、正直ハードルが高いようにも思えた。だが、地元は過疎が進み企業の撤退も相次いでいる。それでも地元で仕事を続けるか、新天地で新たな仕事に就くか。家族とも十分に話し合い、結局俺は社長の誘いを受けることにしたのだった。

しかし、ここまで社長が噛み砕いて説明しても、岩村部長は未だ信じられないものを見るかのようにして俺を見ている。

「まさか、こんなじじが取締役なんて……」

おいおい、まだ言うか。俺はもはや笑ってしまいそうになった。確かに俺はじじに違いないが、そういう彼も俺と似たような年ではないか。さすがの俺も、じじにじじとは言われたくない。そう思いつつも俺は知らん顔で社長へ視線を向けると、鞄から一束の書類を取り出した。

「こちらがご依頼いただいた、特定の社員に対する事前調査の結果報告書です」

「事前調査だと?」

その瞬間、ギョッとしたような顔で岩村部長がまばたきをした。だが俺は相手の様子に気づかなかったふりをして、報告書を社長へと手渡す。

「社長のご指摘通り、コンプライアンス違反に相当する社員が数名見受けられました」

そう、これは俺がこの会社に転職するに当たっての最初の仕事だった。社長から直接依頼されたのは、社員たちの勤務態度及び不正の調査である。中にはハラスメント行為や不正行為など、すでに社長の方にまで報告が上がってきている社員もいて、今回はそんな疑惑のある社員たちを中心に、俺が水面下で調査を行ったのだ。

厳しい顔で報告書をめくっていた社長が、ふとその手を止める。そしてゆっくりと岩村部長を見据えた。

「部下に対する暴言、その他ハラスメント行為、そして自身の立場を笠に着た物品乱用、さらには経費の流用まで。岩村、ここに書かれてあることは事実かね?」

射抜くような迫力で迫られ、岩村部長がブルブルと震え始めた。

「で、ですから、これは私に馬鹿にされたと一方的に逆恨みした、そこのじじがあることないこと勝手に捏造しただけで……」

まだしぶしぶと言い訳を口にする彼に、俺は冷静に答えた。

「おや、それは矛盾してますね。私があなたに会ったのは今日が初めてです。これなのに、どこをどうしたらこんな書類が作成できるとおっしゃるのか。だって、あなた先ほどからずっと私と一緒にいましたよね?」

俺の指摘に、岩村部長がぐっと言葉に詰まる。そこで俺は、彼に最大級の嫌味を叩きつけることにした。

「ああ、なるほど。あなたもじじですからね。都合の悪い事実はすぐにお忘れになってしまわれるのでしょうか?けど、この質問にはすぐに答えられるでしょう」

そう言って俺は一旦言葉を切り、岩村部長を真正面から睨みつけた。

「同じじじ同士でも、この会社に必要なのは私とあなた、どちらでしょうね?」

直後、まるでお化けでも見たかのように、岩村部長はか細い悲鳴をあげた。そしてへなへなとその場に崩れ落ちる。そんな彼に社長が厳しく告げる。

「岩村、お前にはとことん失望した。周囲へのハラスメントに飽き足らず、会社の金にまで手をつけようとはな。俺も舐められたもんだ」

「ち、違います!私は悪くない!悪くないんだ!」

床に膝をついたまま、岩村部長が慌てふためく。だが、ひたすら自己弁護しか口にしない彼を、社長は冷たい瞳で見下ろした。

「岩村は今日で首だ」

その声が廊下に冷たく響いた。それから社長は俺に再び頭を下げると、ため息混じりに続けた。

「ほったさんには、本当にご迷惑をおかけします」

「毒を出し切らなければ、上場企業とは名乗れませんからね。微力ながら、これからも上場企業にふさわしいクリーンな組織作りへ邁進させていただきます」

そうして俺たちは、廊下にうずくまる岩村部長を一瞥し、その場を去ったのだった。

さて、その後だ。まず岩村部長の件だが、俺の調査が決定的となり、彼には明らかなコンプライアンス違反があったとして解雇となった。また、事前調査で判明したその他の問題社員に対しても、同様の処分が速やかに下された。それから俺は組織再編や会社の体制づくりに尽力した。幸いだったのは、解雇となった社員が管理職に集中していたにも関わらず、現場が混乱することなく業務が滞りなく進んだことだ。問題上司が排除されたことで職場の空気が一変し、社員たちはむしろ生き生きと働き始めた。やはり組織は、上に立つものの質が大いに問われる場所である。俺は改めてそう思った。

それからは社員たちの頑張りもあり、会社は無事に上場を果たした。それに伴い、株価も上昇し業績も順調に推移している。

「ありがとうございます。ほったさん。今回の件は、全てほったさんのおかげです」

後日、社長にそう言われた俺だったが、その言葉を素直に受け取りながらも、ますます気が引き締まる思いだった。社長であろうが平社員であろうが、人間が動かしている以上、組織とは生き物である。例えばそれは人の一生と同じで、良い状態がずっと続くわけでもなく、一度つまずいてしまえば立て直すのも一苦労だ。だが、これから先きっと訪れるであろう危機を見据え、たとえそんな状況に陥ったとしても必ず乗り越えられるよう、この会社の土台を裏から支えるのが俺の役目である。

張り合いと緊張感を持って、俺は今日も真面目に仕事へと励んでいるのだった。

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