「早苗、お前はとんだ詐欺師だな。まさか子どもを産めない女だったとは。今日から新しい妻の愛理と一緒に住む。お前はさっさと出て行け」
夫の修平が勝ち誇ったように言い放ち、義母も隣で嫌な笑みを浮かべている。愛人らしい女性も私を値踏みするように見下していた。
「そういうわけだから、早苗さん、今すぐ離婚届にサインしなさい。あなたは息子にふさわしくないのよ」
私は静かにため息をついた。二人の隣にいる愛人のアイリも、理解できないといった様子で目を細めている。
「サインなんてできませんよ。すでに私と修平は離婚していますから」
その言葉に、夫と義母の表情が一瞬で固まった。
「は? 何を言ってるんだ?」
「お前、本当にバカだな。離婚するのは今からだろうが。ショックで頭がおかしくなったのか?」
私は心の中で笑っていた。彼らがニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべるのを、私はじっと見つめ返す。
「もう一度言いますね。私と修平は離婚しています。修平が自分の意思でサインした離婚届を、一ヶ月前に役所に提出してきました。だから離婚は成立しているんです」
「一ヶ月前に? 嘘ばっかりつかないでよ!」
義母の声が鋭くなる。私は落ち着いた声で続けた。
「嘘じゃありません。修平はちゃんと私の目の前でサインしました。彼が覚えていないだけですよ」
「まさか、俺が寝てる間に勝手にサインさせたのか? 卑怯だぞ!」
「そんな手は使ってませんよ。修平は自分の意思で、酔っ払った状態でサインしたんです。それをそのまま役所に提出しただけです」
夫の顔が引きつった。彼は本当に覚えていないのだ。
義母が慌てて口を挟む。
「修平、本当にそんなことしたの? あなた、本当に覚えてないの?」
「……正直、覚えてない」
その言葉に義母は息を飲んだ。
「とにかく、一ヶ月前に提出しましたから離婚済みです。あと、すでに新居も見つかっているので、すぐに出ていきますよ」
私が淡々と事実だけを述べると、夫は悔しさを滲ませた。しかし、隣に座るアイリが夫の肩に手を添え微笑むと、夫の態度は再び変わった。
「待てよ。よく考えたら何も問題ないだろう。役所に行く手間が省けただけじゃないか。これで俺は晴れて独身だ。愛理と結婚して新しい人生が始まるってわけだ」
「そうよ。子どもも産めないあなたが、最後に役に立ったじゃないの。さあ、荷物をまとめてさっさと出て行ってちょうだい。修平みたいな優秀な男には、あなたなんか最初から釣り合わないと思ってたのよ」
義母の言葉には、いつも通りの冷たさが込められていた。私は耐え切れず声をあげて笑ってしまった。
「本当に似たもの親子ですね。何も分かってないのが笑っちゃいますよ」
「何がおかしいんだ!」
「別にバカにしてるわけじゃないわ。ただ哀れだなと思っただけ。人の欠点探しは得意なのに、本当に大事なことには全然気づいてないんだものね」
私はアイリに視線を移した。彼女は私の目を真っすぐ見られず、視線をそらした。
「修平、あなた簡単に再婚できると思ってるみたいだけど、それは無理よ。だって、アイリさんには旦那さんがいるんだから」
その言葉と同時に、部屋の空気が一変した。
「おいおい、何を言い出すかと思えば。そんな下らない嘘かよ。見えすいた作り話で俺たちを引き止めようってわけか」
「奥さん、あなた不妊だから私に嫉妬してるんでしょ。赤ちゃんにも恵まれないし、最愛の旦那さんにも捨てられて、本当にかわいそうな人だわ」
「そうよ。早苗さんは本当に哀れだわ。子どもも産めないし、この先あなたの人生どうなるのかしら?」
三人がまるで連携プレーのように、次々と嫌みを投げつけてくる。私は特に動揺することもなく、冷静に次の手を打った。
「不妊でかわいそうな女だなんて、皆さん本当に好き放題おっしゃいますね。でも、これを見た後も同じことが言えますか?」
私は持っていた一枚の紙をアイリに手渡した。彼女はしぶしぶ受け取ると、慎重に視線を落とした。そして、内容を確認した瞬間、その顔色がみるみる青ざめていく。
「アイリ、どうしたんだ? 何が書いてあるんだよ」
夫もその紙を覗き込むと、瞬時に同じように顔が真っ青になった。状況が理解できない義母が、その紙を奪い取るようにしてアイリの手から取り上げた。
「ふ、嘘よ……修平が……不妊症ですって?」
「ええ、お母さん。残念ですが、これは事実なんです。私と修平の間に子供ができなかった原因は、私ではなく修平にあったんですよ。私は不妊治療を始める前に、修平にも一緒に検査を受けてもらえるようお願いしました。それで検査に出した結果がこれです」
私はさらにもう一枚の紙をひらりと振ってみせた。それは私自身の検査結果で、異常なしと記されていた。
「私は不妊じゃなかった。不妊だったのは修平の方よ」
夫は何も言えず、ただ呆然と立ち尽くしていた。義母も愛理も黙り込むしかなかった。
「ま、まさか早苗さんは、最初から修平とアイリさんの関係を知っていたの?」
「ええ、もちろん知っていましたよ。あれだけ露骨に家に寄りつかなくなったら、誰だって浮気を疑いますからね。私は徹底的に調べましたよ。修平のことも、アイリさんのことも」
義母はその場に崩れ落ちた。夫は口をぽかんと開けたまま、石像のように私を見つめている。
「さて、ここで問題です。修平が不妊だと判明しました。ですが、アイリさんは妊娠しています。一体誰の子なんでしょうね」
その言葉が響いた瞬間、部屋の空気はさらに冷え込んだ。夫と義母、そしてアイリの顔に、明らかな動揺が広がる。
「証拠がないわ! その検査結果が本物だって誰が証明するの? そんなもの、奥さんが捏造することだって簡単にできるでしょう!」
アイリは強引に笑顔を作り、反論してきた。
「本当にかわいそうな人だわ。素直に認めて謝罪すればよかったのに。アイリさん、これをあなたにプレゼントするわ。しっかり受け取ってね」
私はポケットから一枚のカードを取り出し、アイリの手にそっと押し付けた。彼女がカードをひっくり返して内容を確認した瞬間、その顔色はこれまで以上に青ざめていった。
「アイリ、どうしたんだ? その紙は名刺か?」
夫は驚きのあまり尻餅をついた。
「ちょっと二人ともどうしたって言うのよ! その名刺が何だっていうの!」
義母が半ば奪い取るようにして夫の手から名刺を取った。
「えっと……ハリネフーズ代表取締役、現打一郎……これって修平の務めてる会社の社長じゃない? どうして早苗さんがこれを?」
「お母さん、もう分かってるでしょう? 現打一郎さんは、アイリさんのご主人ですよ」
義母は今度こそ勢いよく床に膝をつき、その全身が激しく震え出した。
「嘘でしょ? 勤務先の社長の奥さんと浮気してたなんて……修平、あなた本当に何も知らなかったの?」
「知るわけないじゃないか。そもそもアイリが既婚者だってことも知らなかったし……っていうか、俺、社長の奥さんを寝取ったってことか? かなりやばいよな、それって」
私は静かに続けた。
「どうしてアイリさんの旦那さんが現打社長だと分かったのか。それは現打社長から私に相談があったからです。現打社長は私よりも先に、修平とアイリさんの浮気に辿り着いていましたから」
義母の目が一瞬で驚愕に広がった。
「現打社長はアイリさんと離婚する準備を進めているようですよ。良かったじゃないですか、これで修平と再婚できますし」
「ま、待って。確かに現打一郎は私の旦那だけど、お腹の子供は修平さんとの子供よ!」
「お腹の子は、アイリさんと現打社長の子供ですよね。間違いありません。現打社長の協力を経て、確認済みですから」
アイリの目が急に大きく見開かれ、その顔には絶望感が広がっていった。彼女はとうとうその場に座り込んでしまった。
「お前、よくも俺を騙してくれたな!」
夫は私ではなくアイリを罵り始めた。
「美しいバラには棘があるって言葉知らないの? ちょっと美味しい思いができたからって、本気になっちゃってバカみたい。あなたは私に遊ばれても文句言えないのよ。私は社長夫人なのよ!」
「なんだと? お前、誰に向かって口聞いてんだ!」
「それこそ、あなたこそ誰に向かってガミガミ言ってるの? あなたが出来損ないだったせいで浮気がバレたのよ」
夫は二歩後ろに下がり、乾いた笑みを浮かべた。そして、突然私の手を取った。
「早苗、目が覚めたよ。遠回りしちゃったけど、やっと真実の愛を見つけたんだ。俺にはお前しかいない!」
あろうことか夫の唇が恐ろしい勢いで私に迫ってくる。私は本能的に恐怖を感じ、間一髪のところで逃れた。そして、ためらいなく股間を蹴り上げ、部屋の隅まで後ずさって距離を取った。
「早苗、お願いだ! 聞いてくれ! 俺の本当の気持ちを!」
一方、義母はなぜか「真実の愛」という言葉を聞いてキラキラと目を輝かせ、一生懸命私に復縁を迫る夫を擁護し始めた。
「いい加減にしてほしい。お母さん、一つだけ答えてください。子供が産めないと役立たずなんですよね? 私はそんなこと1ミリも思いませんが、修平は役立たずってことで間違いないでしょうか?」
義母のキラキラした目の輝きが一瞬にして消えた。
「あなたは自分を騙したアイリさんのことは知ってたけど、そもそもあなたも私を騙したんだから、文句の言える立場じゃないでしょう。自分のしたことは、自分に跳ね返ってくるものなのよ」
「すまなかった……俺が悪かったんだ。だから一度だけ許してくれないか。生まれ変わって見せるから!」
「浮気は病気って言うでしょ。そんな簡単には治らないのよ。他人となった私が、そう気長に病気に付き合うわけないでしょ。失った信用を簡単に取り戻せるとも思わないでね」
夫はさらに頭を下げながら必死で訴え続けたが、私は手を差し伸べなかった。そのまま私は義実家を後にする。もう振り返ることはなかった。
その後、夫は私と社長の双方から慰謝料を請求され、会社も風紀上の理由で首になった。夫はしばらくの間、エリートとしてのプライドを抱えながらも、家の中では以前と変わらず暴虐無人な振る舞いを続けていたらしい。しかし、私がいなくなったことで一気に自堕落な生活へと転落した。規則正しい生活を心がけていた私が消えたことで、彼は不規則な生活に陥り、家庭内は混乱の極みだった。義母との喧嘩も絶えず、かつての彼の影響力は完全に失われていた。その上、社長が業界内で夫のしでかしたことを広めたため、夫は転職活動もままならない。結局、彼はボロボロになり再度私に助けを求めてきたが、当然ながら一蹴した。今や夫は時給の低いアルバイトを掛け持ちしながら、借金返済のためだけに生きる毎日を送っている。
一方、社長は妊娠中のアイリに対して過度に攻め立てることはせず、お腹の子供に何かあってはいけないという理由でアイリを比較的温かく見守った。アイリはそれを許されたと錯覚し、自分が贅沢な環境に戻ることができたと勘違いしていた。しかし、この幻想も長くは続かなかった。子供が生まれて間もなく、社長は赤ん坊を取り上げ、すぐに自身の親に預けた。アイリには離婚を迫り、出産後の体調が戻り次第、家からも追い出すつもりでいたのだ。彼女も夫と同じように転落していった。
一方で私は無事に就職し、気ままな一人暮らしを始めることができた。一方的な攻撃を受けることもなく、ストレスフリーな生活を享受していた。そうして自分を労わる生活を続けているうちに、数年後に仕事で知り合った人と縁が生まれ、再婚することができた。再婚した翌年には、念願の我が子をこの手に抱くことに。小さな命は想像以上に愛おしく、私は自分の全てをかけてこの子を幸せにしようと誓った。新しい家庭での生活は過去の痛みを癒し、私にとって新たな希望と喜びの源となった。


