母が「月2000円でもう生活が厳しくて、水道水と庭の雑草で飢えをしのいでる」と笑いながら言った時、私は頭が真っ白になった。確かに毎月10万円を仕送りしているのに、母の通帳には毎回9万9000円が引き落とされ、見知らぬ口座に移されていた。警察も銀行も「認知症の可能性」と言って取り合ってくれない。そして夫のケ太が、私が母との同居を申し出た時、あんな条件を出してきた。「直美が副業して稼いできたら、…

母が「月2000円でもう生活が厳しくて、水道水と庭の雑草で飢えをしのいでる」と笑いながら言った時、私は頭が真っ白になった。確かに毎月10万円を仕送りしているのに、母の通帳には毎回9万9000円が引き落とされ、見知らぬ口座に移されていた。警察も銀行も「認知症の可能性」と言って取り合ってくれない。そして夫のケ太が、私が母との同居を申し出た時、あんな条件を出してきた。「直美が副業して稼いできたら、...

お化け屋敷だと騒ぐ子どもたちが、母の家の前を走り去っていく。私は久しぶりに実家へ帰ってきたのだが、玄関を開けた瞬間、胸の奥がざわついた。薄暗い廊下、湿った空気、冷え切った部屋。

「お母さん、いる?」

奥の部屋から姿を見せた母は、信じられないほど痩せ衰えていた。頬はこけ、肩は骨ばっている。私の顔を見ると、申し訳なさそうに笑った。

「直美、ありがとうね。でも、月2000円じゃ生活が厳しくて。水道水と庭の雑草で飢えをしのいでるわ」

頭が真っ白になった。私は毎月10万円を仕送りしている。10万円が2000円になる理由なんて、普通に考えてありえない。なのに母は、水道水と雑草で生きていると言う。

私は母との同居を申し出た。痩せ細った母を、このまま一人にしておけるはずがない。母は足を引きずりながら、小さく頷いた。

私は直美。会社員で、夫のケ太と二人暮らしをしている。母のゆり子は足に障害があり、できる仕事が限られていた。パートの収入だけでは生活が苦しいとこぼす母を見て、私は夫に相談した。

「ねえ、ケ太。夫婦の共有口座から、毎月10万円を母に仕送りさせてほしいの」

「そうか。まあ仕方ないよな」

夫は承諾してくれた。こうして仕送りが始まった。

ある日、ケ太が珍しく実家訪問を提案した。

「最近、直美の母さんに会ってないだろ。久しぶりに様子を見に行かないか?」

優しい夫だと思った。実家に着くと、母は少し痩せたように見えたが、笑顔で出迎えてくれた。

昼食の準備を始めた時だった。

「あら、スマホがないわ。どこに置いたかしら」

母が慌てて探し回る。私も手伝ったが、どこにも見つからない。ふと気づくと、ケ太の姿もない。

数分後、ケ太が現れた。

「おい、スマホってこれじゃないか?トイレに置いてあったぞ」

「まあ、でも私、トイレにスマホなんて持ち込んでないわよ」

母は不思議そうに苦笑いした。その時、ケ太が母のいない隙にこっそり耳打ちしてきた。

「母さん、もしかしたら認知症の始まりかもしれないな。気をつけた方がいいかも」

その言葉に、私は心を沈めた。

翌日、夕食の準備をしていると、リビングからケ太の声が聞こえた。

「いや、だから返済は来週にしてって言ってるだろう。明日までにってのは無理なんだって」

返済?私は耳を済ませた。ケ太の声には焦りが混じっていた。仕事の電話ではなさそうだ。

夕食後、勇気を出して聞いてみた。

「ねえ、返済の話が聞こえたんだけど…」

「はあ?それは仕事の取引先との話だよ。あっちが勝手に期限を早めてきてさ、大したことじゃない」

笑いながら軽く流された。しかし、その軽さが何かをごまかしているようにも取れた。

それから数ヶ月後、親戚の沢村ミキから電話がかかってきた。

「直美さん、あの、おばさんは大丈夫?」

「え、どういうこと?」

「最近おばさんがすごく痩せてるって聞いて気になって。そしたら生活が苦しくて食べることにも苦労してるって。仕送りが1000円しか来なくなったから仕方ないって言ってたわ」

私は息を飲んだ。私は毎月10万円を送っているのに。

母に確認の電話を入れると、母はか細い声で認めた。

「そうね。でも直美の方でも色々あるんでしょう。私のことは気にしないで」

「なんで早く言ってくれなかったの!電気も止められて、水道水と雑草で生きてるってどういうことよ!」

私はいても立ってもいられず、実家へ向かった。

母の通帳を見せてもらうと、毎月確かに10万円が入金されていた。だが、その直後に9万9000円が引き落とされている。宛先は見知らぬ口座だった。

「お母さん、本当に自分が振り込みをした覚えはないの?」

「ないわよ。そんなことするわけがないじゃない」

警察に行っても、銀行に行っても、相手にされなかった。ケ太が余計な一言を言ったせいだ。

「義母はスマホをトイレに置き忘れたりするんです。認知症かもしれません」

認知症の疑いがある場合、本人がした可能性もあると、警察は動いてくれなかった。

疑念は深まる。母がスマホをなくしたと騒いだあの日、スマホを見つけたのはケ太だった。

そしてケ太は、母との同居を頑なに拒否した。

「いや、無理だろう。今だって仕送りでギリギリなのに。同居なんてしたら生活が回らない」

「どうして?私は自分がもっと働くわ」

「ならこういうのはどうだ?直美が副業してくれ。それができるなら同居を考えてもいい」

私は週に何度も残業し、家事のほとんどを担い、仕送りのために自分の小遣いも削っている。それでもケ太は私だけに努力を求めた。

「分かった。できる範囲で探してみる」

「いや、やるなら本気でやってくれよ。生活がかかってるんだから」

翌日、家に帰ると、ダイニングテーブルの上に一通の封筒が置いてあった。そこには「督促状」と書かれた赤いスタンプ。家の固定資産税が一部滞納になっていた。固定資産税の引き落としはケ太が管理している。

ケ太が帰ってきた。

「どうして固定資産税が滞納になってるの?」

「ごめん。ちょっと支払いのタイミングがずれちゃって」

「タイミング?そんなことで滞納するなんて、うちのお金はそんなに厳しいの?」

ケ太は黙った。数十秒後、ぽつりと口を開く。

「実は俺、ローンがあって。投資の勉強をしていて、小さく始めたつもりだったんだけど、ちょっと失敗しちゃって」

私はここで、ずっと気になっていたことを確認した。

「母さんへの仕送りが別口座に移されていた件、あなた本当に何も心当たりはないの?」

ケ太の目がすっと細くなった。

「どういう意味だ?」

「私も母さんも仕送りの口座には手をつけていないのに、仕送り分が別の口座に移されていたのよ。もしかしてあなた、何か操作をしなかった?」

「つまりなんだ?俺が金を盗んだって言いたいのか?」

「違う、そういうんじゃなくて…」

「ふざけんなよ!俺がそんなことするわけないだろう!それだけでこんなに疑われるなんて酷いだろ!」

ケ太の怒りはどこか過剰で、芝居じみて見えた。

ある日、母のスマホに見覚えのないアイコンが目に入った。銀行のネットバンキングのアプリだ。

「お母さん、これ何?」

「え?そんなの入れた覚えないよ。銀行のアプリなんて難しそうだし」

アプリを開くと、初回登録が済んでおり、ネットバンキングが利用可能な状態だった。誰かが勝手に設定したのだ。その時、一つの記憶が蘇った。母のスマホが一時なくなって、ケ太がトイレで見つけたと言ったあの日。謎の送金が始まった時期と、ほぼ同じだ。

私は決意を固めた。夜、熟睡するケ太の指をそっとスマホの指紋認証に触れさせた。ロックが解除された。アプリを開くと、そこにも母のスマホと同じネットバンキングのアプリがあった。外部口座への送金履歴も存在していた。

その後、私の副業も順調で、ケ太との約束通り母との同居が始まった。母への仕送りは現金で渡すように変更した。そして、私はこっそり母の部屋に小型の防犯カメラを設置した。

決定的な日が来た。仕事から帰宅した私は、録画された映像を確認した。画面に映っていたのは、本来仕事で外出しているはずのケ太だった。彼は母の部屋に入り、迷いなくクローゼットへ向かい、10万円の封筒を取り出して自分のポケットにしまった。その動作はあまりにもスムーズで、罪悪感のかけらも感じられない。

ケ太は母の口座から毎月9万9000円を奪っていたのだ。振り込みがなくなったので、今度は現金を盗んだのである。

私は裏切られた痛みと怒りで、静かに震えた。

その夜、私はフリーライターのミキに連絡をした。彼女は以前、母を心配して連絡をくれたことがある。

「母のことでとても困っています。ミキさんに調べて欲しいことがあるの」

「了解。話を聞くわ」

翌日、喫茶店でミキに全てを打ち明けた。

「つまり、ケ太さんの行動が怪しいというのね」

「うん。防犯カメラでお金を盗んでいるところを見てしまったから」

「任せて。裏取りは慎重にやるから時間はかかるよ」

数日後、ミキから連絡が入り、再び店で会った。

「まず、ケ太さんなんだけど、半年前に会社を解雇されてたよ。知ってた?」

「え?初耳だわ」

「名目は自主退職って形にされてるけど、実際は横領。会社の運転資金を勝手に使い込んだらしいわ。借金返済のためで、その借金の原因が…」

ミキはタブレットの画面を操作した。

「キャバクラ通い。パパ活サイト登録。出費が尋常じゃないわ」

「まさか、母さんへの仕送りの件も?」

「そう。おばさんの口座から引き出されたお金が、そこで使われてるわ」

さらにミキは言った。

「私ね、ケ太さんが興味を持ちそうなプロフィールを作って、パパ活サイトに登録して接触してみたの。こっちから仕掛けたら、うまく乗ってきたわ。お酒をたくさん進めて酔わせたら、全部喋ったわよ」

ミキはタブレットを再生した。そこには、酒に酔いだらしなく笑うケ太が映っていた。

「あいつらさ、何も気づいてねえんだよ。本当バカだよな。ま、ぼーっとした世間知らずの母親なんか簡単に扱えるし」

私と母を侮辱しつつ、犯行を自白するケ太の映像だった。

全てを知った私は、ケ太と戦う意思を固めた。翌日の夜、私はケ太に疑念の全てを並べ、離婚を告げた。

ケ太は最初こそ知らばっくれていたが、ミキの映像を見せると、観念したように肩を落とした。

「悪かったよ。でも仕方ねえだろ。借金があったんだよ」

「なんでそこまで借金を重ねるほど、節操なく遊ぶのよ」

するとケ太は私を睨み、こう言い放った。

「お前が太ったからだよ。女としての色気もねえし、どんどん太っていく。一緒にいてもつまんねえし。だから外に刺激を求めただけだ」

私は静かに言った。

「もういい。あなたの事情は分かったわ。私はこれ以上、あなたと一緒に人生を歩めない」

するとケ太は焦り始めた。

「待てよ。離婚なんてやめようぜ。俺だって反省してる。ほら、1ヶ月だけ時間をくれよ。頑張って仕事を探すから」

「…分かった。でも期待しないでね。離婚届は持っておくから」

反省期間と名付けられた1ヶ月、ケ太は仕事探しどころか昼まで寝て、夕方から遊びに出ていく日々を繰り返した。私は怒りを通り越して呆れ、心が乾き始めていた。

そんなある日、母の財布が見当たらなくなった。財布にはGPSタグが仕込んである。アプリを開くと、位置情報はケ太の現在地と一致していた。

ケ太はとぼけた顔で財布を差し出した。

「拾っただけだよ。落ちてたんだろう」

「嘘つかないで。GPSの移動履歴は、あなたの部屋とぴったり重なってるわ」

さらに数日後、多くの私物が消えていることに気づいた。母の腕時計、バッグ、ブレスレット。ネットオークションを調べると、見覚えのある写真がずらりと並んでいた。発送地域は同じ区内で、ケ太の外出時間と一致していた。

極めつけは、複数のクレジットカード会社から警察への通報だった。私名義のカードが不正使用されている可能性があるという。利用場所は、ケ太がよく行く店と一致していた。

警察が動いたのはその翌日。仕事から帰ると、自宅前に警察車両が止まっており、ケ太は二人の警官に囲まれていた。

「ちょ、なんで?」

「ケ太さん、同行をお願いします。不正利用の件でお話を伺います」

「ちょっと待てよ!俺じゃない!あいつが勝手に…」

ケ太は警官に腕を取られ、連れて行かれた。その後ろ姿を、私は玄関前で立ち尽くしながら見送った。玄関の前には、ケ太が脱ぎ捨てていった上着が落ちていた。ポケットの中を探ると、私が母に渡すはずだった生活費の封筒が、空になって入っていた。

警察の取り調べが始まると、ケ太は観念したのか、あっさり罪を認めた。クレジットカードの不正使用だけでなく、母への仕送りを横取りしていた事実まで白状したという。

「どうせ全部バレるし、罪を認めた方が軽くなるんだろう」

そんな言葉を平然と口にしたと、担当刑事から後日聞かされた。

しかし、その計算は甘かった。障害を抱える義母のわずかな収入源を奪い、さらに妻に多額の負債を背負わせたという点で極めて悪質と判断された。ネットバンキングを悪用した電子計算機使用詐欺、複数回に渡る窃盗、カード不正利用。罪は重なり、ケ太は懲役6年の重い実刑判決を受けた。

私は判決後すぐに離婚を成立させた。

今では母と二人、小さな暮らしを丁寧に積み重ねている。夕飯を一緒に作り、テレビを見て笑い、穏やかな日々だ。そして近々、沢村ミキの結婚式がある。彼女が差し伸べてくれた手がなければ、今の平穏にはたどり着けなかっただろう。ミキの花嫁姿が、どんなに綺麗だろうか。そんなことを母と話しながら、平和な日々を過ごしている。

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