「赤の他人(あかのたにん)」という言葉を、義母(しゅうとめ)と夫から向けられたのは、結婚して半年も経たない頃だった。
私は29歳で、同い年の夫・シンジと結婚した。結婚の話が出たとき、私たちはお互いの勤務先の中間あたりでマンションを借りる予定だった。なのに義母が勝手に、私の実家の近くの一軒家を見つけて、賃貸契約をしてしまった。そこからだと私の職場まで片道2時間近くかかる。抵抗したけれど、シンジが「家賃は母さんが払ってくれるって。それに朝日が入る2階建ての一軒家だぜ。庭もあるしいいじゃないか」と義母の申し出を受けてしまった。
義母は結構な資産家の娘で、義父は無職。結婚前に何度か会ったけれど、いつも義父は小さくなっていて、存在感がほとんどなかった。いわゆるカカア天下というやつだ。
義母は私のことを気に入ってくれた。ただし、人柄ではなく、私に帰る家がないからだ。私の兄が結婚して実家を継ぎ、子供3人と両親の計7人で暮らしている。だから私が戻る場所はない。義母は、私が「夫の家族の一員として尽くすだろう」と思ったらしい。「キヨミさんなら我が家の一員としてぴったりだわ」と言ってもらえたことが嬉しくて、時代錯誤な考え方だなと思いつつも、それほど気にしなかった。ただ、やたら結婚を急かされたのは少し不思議だった。「早くシンジを結婚させないと、色々面倒だからね」と、義母が意味深な言葉を言ったのだ。
新婚旅行の後、新居に入った時、すぐに分かった。義母の言う「家族の一員」とは、義母の考えを押し付けることだと。
彼女好みのリフォームが施された家は、何から何まで私の好みと違った。カラフルでド派手なカーテン、猫足のロココ調の家具、全面に重厚な模様の入ったペルシャ絨毯。高級なのだろうが、統一感がなく、ごちゃごちゃした印象だった。義母がニコニコしながら言う。「あなたが我が家の家族の一員になったお祝いに、我が家に出入りしている家具屋さんで揃えたのよ。素敵でしょう?」と言われ、少し引いたけれど、シンジが喜んでいたのでぐっと我慢した。でも、この時、なんとなく嫌な予感がした。
その予感は当たった。
新婚生活が始まるとすぐに、義母が私を毎日呼びつけるようになった。私に料理を作らせ、とことんダメ出しをする。「包丁や箸の使い方が雑で汚らしい」「火力が弱い強い」「お皿の選び方が悪い」「油を使いすぎる」「塩味が強すぎる」。2度と料理をしたくなくなるほど、こてんぱんに言われた。「あなた、田舎のご実家で何を教えてもらってきたのか知らないけど、我が家の一員になった以上、我が家のやり方を覚えてくれないと困るわ」と冷たく言われてしまった。
ショックで泣きながら帰宅したら、シンジに言われた。「最初はきついと思うけど頑張ってよ。母さんは、キヨミを家族の一員だと思うからこそ厳しく教えてるんだからさ。愛の鞭だと思って」。なんとか気を取り直して、頑張ろうと思った。しかし、これまで自分がやってきたこと全てを否定されるようになり、自分に自信がなくなってきた。それだけでなく、私の実家のことまでけなされるものだから、傷つくことが増えた。
例えば、私の実家は、新聞紙をちぎって水につけて硬く絞り、それを畳の上に巻いて掃くというやり方をしていた。これは近所の畳屋さんに教えてもらった方法で、ほこりがよく取れる。しかし義母はその方法を馬鹿にし、「新聞紙だなんて、そんな貧しくてみっともない方法は実家だけにしてちょうだい。我が家に嫁いだからには、うちのやり方に従ってくれないと」と、濡れ雑巾でゴシゴシ拭くよう命令する。その方法だと畳が早く痛むんだけどな。夫のシンジまで「やっぱり出身が違うといくら教えてもダメなんだな」と笑うようになってきた。
結婚してまだ2ヶ月なのに、シンジは私を放っておいて夜�く帰宅することも増えた。この結婚、間違ってたんじゃないか。そう思うようになってきた。
そんな折、義母が高血圧で倒れ、入院することになった。塩分の取り過ぎや運動不足などで血がドロドロだったらしい。私はそれまで病人の世話をしたことがなく、何をしたらいいのか分からずオタオタしていた。すると、見舞いに行った先で義母に言われた。「本当に使えない嫁ね。若いんだし、家族の一員なんだから、あなたが中心になって私の世話してくれなきゃ困るじゃないの」。一緒に行った夫まで「親の面倒は家族の一員である妻がやるもんだ。俺は仕事があるから退院後のことは任せたぞ」と丸投げだ。
私を散々バカにしてたくせに、こういう時だけ「家族の一員」を振りかざすなんて、ずるい。それに私だって正社員で働いているのに、今後退職したら、私が義母の代わりに義実家の家事までやらないといけないのか。そうシンジに訴えたけれど、「じゃあ会社をやめればいいだろ。家族の一員なんだから、仕事より家族を優先しろよ」とまた「家族の一員」。もううんざりだった。
その時、いつも黙っている義父が珍しく口を開いた。「キヨミさん一人に押し付けちゃいかんよ。彼女も私たちの家族になったからこそ、私とシンジとキヨミさんで分担して母さんの面倒を見よう」。しかし、即座に義母からきつい一言。「無職のあんたが私に意見しないでちょうだい。それにシンジにやらせるなんてとんでもない。大事な我が子にそんな面倒をさせられないわ」。冷たい言葉を浴びせられた義父は、怒りを抑えきれないといった表情で一瞬義母を睨み、病室を出ていった。
「お父さん、あんなに怒ることあるんだ」。私は驚くと同時に、立場が弱い義父が私を守ってくれたことが、涙が出るほど嬉しかった。
帰りの車の中で、私はシンジに「さっきお父さんが言ったことだけど」と、今後の義母の世話について話し合おうとした。しかしシンジは「母さんが嫌がってるんだから無視無視。母さんさ、父さんのこと全然信用してないからさ」と言う。シンジ曰く、資産家の一人娘だった義母は義父と見合いし、義父を気に入った義母の父親に無理やり結婚させられたそうで、当初から義父を見下していたらしい。「だから身内だと思ったことはない。それどころか、養ってもらってる飯炊きだと常日頃から言ってたそうだ」。
「そんなお父さん、かわいそう」。思わずそう口に出すと、「母さんは俺しか家族だと思ってないよ」とシンジ。
「父さんは赤の他人でも、シンジにとってはお父さんだって、血の繋がりあるでしょ」。
「まあそうだけどさ、母さんが母さんなんだから、母さんが父さんを赤の他人だって言ってるんなら、俺にとってもそうだってこと」。
「そんなのひどいじゃない」。
「なんでだよ。母さんの実家は代々続いてきた家柄なんだぞ。そこに赤の他人の父さんが入り込んだって、父さんの血筋は変わんないよ。母さんからすれば、最終的には血の繋がりしか信用できないよな」。
私は呆れて、確認の意味でこう質問した。「そっか。じゃあ、私はお母さんにとってもシンジにとっても、血の繋がりがないから、全くの赤の他人ってことだよね」。
「まあ、そういうことだな」。
なるほどね。何が「家族の一員」だ。あまりに腹が立って、もうこんな親子とは縁を切ってやる。そう決心した。
義母は退院してから、ますます高圧的になった。元々の原因は高血圧だから、まずは食事から直さないといけない。しかし、私が作るものは全て「田舎臭い」と馬鹿にしていたから、もう作るつもりはない。
「ちょっと、私とシンジの食事はどうするの」。
「田舎者の私が作った料理なんて、とても病気で苦しんでいる人には出せませんから」。
「何なのその態度。嫁のくせに生意気よ」。
「え、じゃあいいんですか?私、結構味が濃いのが好きなんで、塩とか醤油とか砂糖とか、ドバドバ入れちゃいますけど」。
「あなたね、義とはいえ、母親の私にそういうことをするの?」。
「義ってことは、本当じゃないってことですから。つまり赤の他人ってことでしょ?そんな人に気を使う必要ないじゃないですか」。しれっとそう答えてやると、義母は絶句した。その場でシンジに電話をかけ、ギャーギャー説明している。勝手に吠えてよ、と思っていたら、シンジが会社を早退して帰ってきた。
「お前、母さんに何てこと言うんだよ。嫁のくせに」。
呆れた。マザコンだ。
「嫁?嫁って何は」。
「嫁は嫁だろうが」。
「私、あなたの妻になったけど、この家の嫁になったつもりないの?」。
「何ふざけたこと言ってんだよ。母さんに飯も作らないなんて」。
「あなたにもう作らないわ。シンジはいつも朝何も食べないから、今朝は気づかなかったんでしょうけど」。
「なんでだよ」。
「逆に聞きたいわ。あなたの他人に、ただでご飯作ってもらおうなんて、図々しくない?」。
「誰が赤の他人だよ。お前は俺の妻だろ」。
「もう忘れたの?私、この前確認したよね。『私はお母さんにとってもシンジにとっても、血の繋がりがないから、全くの赤の他人ってことだよね』って」。そう言うと、シンジは言葉を詰まらせた。
私はシンジと義母を置いて、さっさと家に帰宅した。そしてとりあえず実家に私物を送ろうと荷物をまとめ始めた。両親と兄夫婦にはすでに説明してあって、荷物を一時的に預かると言ってくれたのだ。しばらくはホテルに泊まって、できるだけ早くアパートを借りよう。そう思って荷造りしていたら、驚いたことに義父がやってきた。そして、衝撃的なことを教えてくれたのだ。
「おい、急に出ていったかと思えば、離婚届を送ってきやがって。どういうことだ?」
数日後、シンジから電話がかかってきた。
「え、あなたの食事は作らない。洗濯物は洗わない。一切世話しない。赤の他人の妻が欲しいって言うの?」
「お前、まだそんなこと言ってるのか?」。
「言っておくけど、仮に離婚しなくても、私はあなたの世話はもう一切しないわよ。それでもいいの?」。そう言うとシンジは黙った。
「別の女性に来てもらえばいいんじゃない?私との結婚前から、夜のお店にお気に入りの女の子がいるんでしょ?」。私がさらっと言うと、シンジの声が上擦った。「な、何のことだ?」。
「お父さんが教えてくれたわ。あなた、その子にかなりご執心で、実家まで連れ込んでたんですってね。え?お母さんがその子のこと、財産狙いだって言って追い出したらしいけど。通りでお母さんがやたら私たちの結婚を急かしたわけだわ。でもシンジ、今でもこそこそ付き合ってるんでしょ?その子と再婚したらいいじゃない」。
「だ、ダメに決まってんだろ。母さんだって許さないぞ」。
「まあ、そうかもね。でも、二股と浮気って十分離婚の理由になるから、慰謝料払ってもらうわよ。探偵事務所で証拠の写真も撮ってもらったし」。
「う、嘘だろ」。
「じゃあね。離婚届、よろしく」。私はそう言って電話を切った。ざまあ見ろ。
あれから義実家は大変だったらしい。義父が来た時、教えてくれていたのだが、義父は義母と離婚すると言って、家を売りに出してしまったのだ。義父は無職ではあったが、義母の父から信頼されており、義母の父が建てた家は義父名義だったそうだ。しかも、現在義母の父は投資の失敗などで借金まみれになっているらしく、義母が出戻るのを拒んでいるらしい。さらに義母は浪費癖があり、離婚の財産分与は雀の涙だったと聞く。今ではシンジと2人、古いアパートでカツカツの生活をしているそうだ。
私はというと、結婚後も仕事を辞めなかったので、同じ会社でバリバリ働いている。結婚後半年で離婚ということで、ご祝儀をくれた人たちには全額返金した。皆、辞退してくれたけれど、「大丈夫。元旦那から取ったから」と言うと、笑ってもらえた。これで気兼ねなく、ずっとこの会社で働いていけそうだ。



