「重荷になるから離婚しよう」夫が退院して帰宅するなり、車椅子のまま弱々しい声で言った。家族に迷惑をかけたくないと、涙を浮かべて。義両親も「助け合うのが家族だ」と神妙に頷いていた。それなのに、私と娘が放った言葉に、全員が驚愕した。「私、一ヶ月前から独身だけど」。夫は呆然とし、義両親は私を非難するような目を向けた。何も知らない彼らに、私はこれまでのすべてを話すしかなかった——夫に奴隷のように扱わ…

「重荷になるから離婚しよう」夫が退院して帰宅するなり、車椅子のまま弱々しい声で言った。家族に迷惑をかけたくないと、涙を浮かべて。義両親も「助け合うのが家族だ」と神妙に頷いていた。それなのに、私と娘が放った言葉に、全員が驚愕した。「私、一ヶ月前から独身だけど」。夫は呆然とし、義両親は私を非難するような目を向けた。何も知らない彼らに、私はこれまでのすべてを話すしかなかった——夫に奴隷のように扱わ...

「家族に迷惑をかけたくない。重荷になるから離婚しよう」

夫が退院して帰宅するなり、か細い声でそう切り出した。今にも消えてしまいそうな弱々しい声音だった。彼は私と娘の愛華、そして義両親を見つめながら涙を浮かべていた。

夫が弱ってしまうのも無理はない。というのも、彼は事故で半身不随になり、車椅子での生活を余儀なくされていたからだ。私は優しく諭すように言った。こんな時こそ助け合うのが家族じゃないか、と。

「お父さんの言う通りよ。大変だと思うけど、私たちがついているわ。だから離婚なんて言わないで」

義両親も神妙な表情で頷いている。だが、直後、私と娘が放った言葉に、義両親は驚愕した。

「何言ってるの? 私、一ヶ月前から独身だけど。家族になんてならないよ。もう私たちは新居に引っ越したから」

淡々と話す私たちに、義両親は口をあんぐり開けて固まってしまった。全てを知っている私たちは、ただ事実を伝えているだけだ。義両親には申し訳ないが、夫には一生後悔してもらおう。夫をまっすぐに見据えた私は、反撃を開始するのだった。

私と娘の発言に、その場は水を打ったように静まり返った。夫と義両親はお互いに顔を見合わせ、戸惑いを隠せないようだった。話を進めるために、夫が重い口を開いた。

「一ヶ月前から独身って…ミキ、どういうことなんだ? それに引っ越したって…こんな時に冗談を言うものじゃないよ。これから助け合っていこうって話をしたばかりなのに」

「もしかしてミキさん、本当に勇人が重荷になると思ってるの? そうだとしたら、私はあなたを許せないわ」

彼らは戸惑いと同時に、静かな怒りをこちらに向けてきた。それも仕方のないことだろう。さっきの発言は、私たちが夫を見捨てたように聞こえるだろうから。ただ、それは何も知らなければの話。今から話すことを聞いてもらえば、考え方は変わるはずだ。

私は深呼吸をした後、義両親に向き直り、打ち明け始めた。

「ずっと言えなかったことがあります。実は勇人は私を奴隷のようにこき使っていました。少しでも反抗すると離婚を口にし、脅され、時には手を上げられたこともあります。手を上げた翌朝には、記入済みの離婚届をテーブルに置かれ、無言の圧力をかけられていました。彼は恐怖で私たちを支配していたんです。さっき『家族に迷惑をかけたくない。重荷になるから離婚しよう』と言いましたが、そんなこと、1ミリも思っていません。あれは全部、演技です。だから私は、勇人が置いた離婚届を役所に提出してきたんです」

私の言葉に、義両親はさらなる戸惑いを見せた。義母は眉間に深い皺を寄せながら、私の次の言葉を待っている。夫の様子を伺うと、彼も義両親と同じように戸惑いを見せていたが、目の奥には苛立ちや怒りが滲んでいるようにも見えた。

「数ヶ月前、私が自転車とぶつかって骨折したのを覚えていますか? あの時、勇人は一度もお見舞いに来てくれませんでした。退院後も私に無理やり家事をさせていました。ニヤニヤと笑いながら、心底楽しそうに。私が苦しめば苦しむほど、都合が良かったようです」

「さらに、彼は娘にも無関心でした。愛華は受験を控えていますが、どこの大学を志望しているのか、知りませんよね?」

「そうよね」

娘に話を振ると、夫は何も答えられず、ただうつむくだけだった。義両親もしばらく沈黙していたが、数秒後に義父が口を開いた。

「勇人が嫁いびり? 愛華ちゃんのこともないがしろにしていた? 俺たちにはにわかに信じられないよ。あの勇人がそんなことをするわけがないんだ」

「母さん、ええ、信じられるわけがないわ。ミキさんが話した内容は、明らかに人間としておかしなことだもの。本当にそんな人がいるなら、狂っているとしか思えないわ。勇人がそんなことするわけないのよ」

義両親は私を疑っているわけではない。むしろ二人は結婚当初から私に寄り添ってくれ、娘のことも可愛がってくれていた。だから本当に申し訳ない気持ちはあるが、私の覚悟は決まっている。今日、夫の本性を暴露し、分かってもらう必要がある。そうじゃないと、義両親は今よりも傷つくことになるだろう。そんなことは私と娘も望んでいない。

「父さん、母さんの言う通りだよ。俺がそんなことするわけないじゃないか。ずっと家族のために働いてきたのに、ミキは分かってくれなかったんだな。これは悲しいよ。こんなにも家族を大事にしてきたというのに」

悲しそうな表情、困ったような口調、信じられないといった様子。大した役者だ。このまま演技を続けて白を切り通すつもりだろうが、想定内だ。そのために私は準備をしてきた。我慢に我慢を重ねて。

直後、私は写真の束を夫に放り投げた。突然のことに夫は反応できず、写真の束は床に落ちて散らばった。映っているものを確認した夫と義両親は、大きく目を見開き、衝撃を受ける。

「それが嫁いびりと、娘に関心がなかった理由です。彼には愛人がいるんですよ。元から私たちを捨てるつもりだったというわけです」

「私が気づいてないとでも思った? ナメすぎなんじゃないの?」

「あ、愛人って…」
「ミキさん、これは本当のことなのか? 確かに写真に映っているのは勇人だが…信じられない。こんなにもたくさんの写真があるということは、ミキさんは以前から勇人の浮気に気づいていたということか」

義両親の問いかけに、私は小さく頷いた。そう、私は以前から夫のことを調査していたのだ。きっかけは、夫の外出が増えたこと。一年ほど前から、出張と残業で家に帰ることが明らかに少なくなった。家にいてもスマホを見てニヤニヤしている。極めつけは、夫が見た目にこだわり出したことだ。流行りのものを身につけるだけでなく、全身ブランド物、時には香水やアクセサリーまでつけていた。急激な変化を見れば、誰だって浮気を疑うだろう。

だから私は夫を尾行し、隠し撮りをしたというわけだ。ただ、夫は私が浮気を疑ったとしても問題ないと思っていたはずだ。夫は私を恐怖で支配していたので、「嫁には何もできない」とタカをくくっていたから。

「父さん、母さん、信じちゃだめだ! きっとミキは俺を落とし入れようとしているんだ。ミキの方こそ、俺が半身不随になって、俺を捨てようとしているんだよ!」

浮気の証拠を叩きつけられても、夫は冷静だった。ずっと演技を続けてきた夫にとって、嘘をつくのは息をするのと同じだ。彼は優秀な営業マンだから、口のうまさも一級品。それゆえに、いくらでも丸め込めるという自信があるのだろう。

ここで私は夫を崩すべく、スマホを取り出し、電話をかけた。本番はこれからだ、と私は不敵な笑みを浮かべていた。

数分後、インターフォンが鳴る。私が来客を招き入れると、夫は凍りついた。やってきたのは30代の女性。先ほど私が夫に叩きつけた写真に映っている人物だ。彼女の名前はリカ。勇人の浮気相手だ。すでに私はリカと接触し、今日来てもらうように伝えていた。

まさか私が浮気相手を連れてくるとは思っておらず、夫の体はブルブルと震えていた。

「お父さん、お母さん、今回勇人が入院したのは、出張中の交通事故が原因でしたよね。ですが、それも嘘だったんです。彼は浮気旅行に行くつもりだったんですよ。今目の前にいる女性、リカさんと」

「夫の外出が増えたのも、見た目にこだわり出したのも、全部、女のためだ。一年ほど前から夫は急激な変化を見せたので、その頃から関係を続けていたことになる」

それを理解した義両親は、夫に冷たい視線を送っていた。夫は何か言おうと金魚のように口をパクパクさせていたが、先に口を開いたのはリカだった。

「私は内藤リカと申します。今日ここに来たのは、誤解を解くためです。私は勇人さんと同じ、張根商事の社員なのですが、彼とは上司と部下という関係なだけですよ。私は上司として勇人さんの相談に乗っていました。大事な案件も抱えていましたので、一緒に過ごす時間も多かったです。奥さんのミキさんは勘違いし、隠し撮りまでしてしまったようですが、こちらとしては迷惑なんですよ」

一切取り乱すこともなく、淡々と話すリカ。これだけ聞けば、完全に悪者は私だ。しかし、証拠写真があるので義両親は納得いかず、聞き返した。

「リカさん、僕たちも信じられないという気持ちではあるんだ。だが、君と勇人が仲良さそうに食事をしたり、ホテル街を歩く写真もある。上司と部下の関係と言っても、さすがにミキさんが浮気を疑うのも仕方ないと思います。私たちが納得できる説明をしていただけますか?」

「わかりました。こちらの資料を見ていただけますか? これは私たちが抱えている仕事の内容が記されています。勇人さんと食事に行ったお店は、営業のために行ったんです。ホテル街を歩いていたのは、近くに営業先があっただけ。全ては仕事の一環ですよ。どうでしょうか? 納得していただけましたか?」

まるでロボットのように、リカは感情を出さずに話を進めていく。義両親も納得せざるを得なかったのか、資料を見ながら固まってしまった。

私がリカに接触した時も、彼女は余裕の態度だった。夫から私の話を聞いたであろうリカは、夫と同じように私を下に見て、何もできないと思っているのだろう。そう思いながらリカに視線を移すと、彼女は私を見てニヤリと口角を上げた。さらに追い打ちをかけるように、話を続けた。

「ミキさんには困ったものですよ。勝手に勘違いして尾行し、隠し撮り、しかも離婚届まで出してしまうなんて。勇人さんが半身不随になったというのに、人の心はないんですか? 私、何か間違ったことを言っていますか?」

気然としたリカの態度に、義両親は何も言えなかった。さっきまで震えていた夫も、立場が優位だと感じたのか口を挟んできた。

「リカさん、俺のためにありがとうございます。ですが、あまり責めないでやってください。勘違いは誰にでもあるものですからね」

「その通りかもしれないわね。まあ、私は誤解が解ければ大丈夫なので、これ以上は何も言いません。良かったですね、ミキさん。私じゃなかったら、訴えられててもおかしくなかったですから」

「というわけで、話は終わりです。それでは」

リカは余裕の笑みを浮かべたまま、退場しようとした。直後、彼女の腕を掴んで止めたのは、娘の愛華だった。

「終わりなわけないでしょ、おばさん。何が『訴えられててもおかしくなかった』よ。おばさんは、自分の立場を理解していないようね」

「おばさんって、失礼な子ね。訂正しなさい。それに、私が立場を理解してないって、何? あなたのお母さんが勘違いしたから、私が説明に来たのよ。親子揃って意味が分からないわ」

「勘違いね。今の言葉、忘れないでよ、おばあさん」

リカはモデルのように美人でスタイルもいいが、高校生の娘からすれば「おばさん」なのかもしれない。娘に煽られて口元をピクピクさせているリカを見て、私は我慢できずに思わず笑ってしまった。でも、本当に面白かったのはリカの発言だ。娘の言った通り、リカは自分の立場を理解していない。私にマウントを取るために、この場にのこのことやってきたリカ。私は彼女が上手く言い訳をすることも想定していた。だから私は、彼女を黙らせるための手を打っていた。

ここで私は心の中で呟く。安心しなさい、リカさん。嫌でも立場を理解させてあげるから。

直後、再度インターフォンが鳴った。10秒後、リカが驚愕した。

「え、は、なんで! どうしてあなたがここにいるのよ!」

ずっと感情を出さなかったリカだったが、この時ばかりは叫ばずにはいられなかったようだ。やってきたのは40代の紳士的な男性だ。彼はリカを見て、怒りを滲ませている。リカを睨みつけながらも、先に男性は義両親に挨拶をした。

「初めまして、内藤友明と申します。ミキさんから話を聞きまして、お邪魔させていただきました。単刀直入に申し上げますと、勇人さんの浮気は間違いありません。彼は、リカと私の妻と浮気しています」

「え? あなたは、リカさんの旦那さんということですか?」

友明さんが言葉に頷くと、義両親の冷たい視線が夫とリカを突き刺した。リカの取り乱しようからも、友明さんの言っていることは本当だと察したようだ。その様子を見て、愛華がニヤリと不敵に笑う。

「おお、おばさん、自分の立場が理解できたかしら? ママのことを馬鹿にしてくれたけど、勘違いなんかじゃない。あなたは旦那さんがいるのに、パパと浮気していた。パパにも独身だって嘘をついてね。私たちは全部知っているの。最初からパパとおばさんは詰んでいるのよ。さて、訴えられるのはどちらでしょうか?」

「この生意気な小娘が! ていうかミキさん、友明を呼び出したのはあなたなの? なんであなたが私の旦那を呼び出せるのよ? もしかして、あなたたちこそ浮気してたんじゃないの?」

「それこそ勘違いにもほどがあるわね」

まあ、私自身も友明さんと知り合いになったのは偶然が重なったものだったので、リカが驚くのも無理はないだろう。

「リカさん、私ね、数ヶ月前に骨折したの。自転車とぶつかってね。その自転車に乗っていたのが、友明さんだったのよ。友明さんは何度も謝罪に来てくれたんだけど、その時に知ってしまったの。友明さんの奥さんが、私の夫である勇人と浮気をしているということを。実は浮気調査をしていたのは、私だけではなかった。友明さんもリカの浮気の兆候を感じ取り、彼女を尾行していたのだ。友明さんは小回りの効く自転車で移動した後、歩いてリカを尾行していた。その途中で、私とぶつかってしまったというわけだ。尾行する対象が私と同じということは、同じ時間に同じ場所にいてもおかしくはない。偶然が重なったものではあるが、私の夫である勇人と友明さんの妻であるリカが浮気をしているのだから、可能性はゼロではなかったということだろう」

「いやいや、何言ってんだ。嘘つかないでくれよ。ミキが骨折した時に、何度も謝罪に来てくれたって言ったけど、俺は会ってないぞ」

「それはそうでしょ。自分のしていたことを思い出してみなさいよ。私が骨折した時、あなたは一度もお見舞いに来なかったわ。退院後も私に家事を押し付けていた。出張ばかりして、私のことなんて見向きもしなかったじゃない。あなたが友明さんに気づけないのも、当たり前でしょ」

ぐっと押し黙ってしまう夫。自分から会う機会をなくしていたくせに、呆れたものだ。

「僕はミキさんと協力して、リカと勇人さんの浮気調査をしていました。今日、僕がここに来たのは、それを証明するためです。ご両親のお二人にはショックだと思いますが、見ていただけますか?」

友明さんは鞄から分厚い封筒とノートパソコンを取り出した。その内容を説明し、中身を見せると、義両親は凍りついた。分厚い封筒は、探偵に依頼して集めた証拠の数々だ。私と友明さんが独自に調べたもの以上に、決定的なものになっている。ここでは言えないような生々しい浮気現場の写真や動画もあったので、一旦、愛華には退室してもらい、全員で確認した。

「これは言い逃れできんな。確実に勇人とリカさんは浮気しているじゃないか」

「ということは、勇人が家族をないがしろにしていた話や、勇人が私たちを騙すために演技していた話も、本当ってことよね。ああ、どうしてこんなことになってしまったの?」

「本当に申し訳ございません。うちのリカが、ミキさんや娘さん、ご両親を傷つけてしまいました。これは取り返しのつかないことです。必ず責任は取らせていただきます」

友明さんは床に体を擦りすつけながら、土下座した。その光景に、夫とリカは恐怖して顔を真っ青にしていた。完全に立場は逆転し、二人は追い詰められた。彼らこそ土下座して謝罪する必要がある。というより、それしか道は残されていないだろう。

しかし、夫は私たちへの謝罪よりも、自分を優先してしまう。リカに騙されていたことに大激怒した。

「どういうことですか、リカさん! あなたは俺に独身だと言ってましたよね! 既婚者だって知ってたら、浮気なんかしなかったのに! 浮気してなかったら、俺が半身不随になることもなかった。どうしてくれるんですか? 責任取ってくださいよ!」

「はあ? どの口が言ってるわけ? 『嫁と娘は捨てる。僕にはあなたがいればいい』そう言ってたわよね。それなのに私を責めるの? 交通事故に会ったのも、自分の責任でしょ。どうせ私に会えるからって、浮かれてたんでしょ」

「なんだよ、その態度は! こっちは一生歩けなくなったのに! それに『嫁と娘は捨てる。僕にはあなたがいればいい』なんて言ってない!」

「残念でした。勇人からのメールは全部保存してるのよ。ほら、これ見てみなさいよ。あなたが送った恥ずかしいメールでしょ」

言いながら、リカはスマホを取り出し、夫とのやり取りを見せつけた。確かに「嫁と娘は捨てる。僕にはあなたがいればいい」という内容が残されている。それ以外にも、私を見下す内容が山のようにあったので、義両親はあ然とするしかなかった。

「本当に勇人って、バカね。騙されているとも知らないで。あんた、私のATMなんだから、黙って言うこと聞いていればよかったのよ。婚約破棄よ、私に関わらないでよね」

本性を現わしたリカに、友明さんも呆れ果てるしかなかった。一方、自分が騙されていたと気づいた夫は沈黙。私を奴隷扱いし、騙していた夫も、実はATM扱いで騙されていた。なんと愚かで惨めな結果だろう。

その場は何とも言えない重苦しい雰囲気に包まれるが、次の瞬間、夫が車椅子から転げ落ちるようにして頭を下げた。

「ミキ、父さん、母さん、本当にごめん。俺は取り返しのつかないことをしてしまった。謝って許されることじゃないけど、この通りだ!」

夫が激しく取り乱すところを、私も義両親も見たことがなかった。義両親は嘆くようにため息をつきながら、夫に語りかける。

「本当にバカなことを。正直、今のお前にかける言葉が見つからない。怒りが湧いてくるだけだ。俺はミキさんが家族のために尽くしてきてくれたことを知っている。それがお前に脅されていた結果だなんて…聞きたくないよ」

「これはとんでもない裏切りよ。愛華ちゃんも受験で大切な時期なのに、あなたは父親としての自覚はないの?」

「本当に悪かったと思ってるんだ! 絶対に心を入れ替えるから、俺にチャンスをくれないか。ミキ、頼むよ。愛華のためにも、いい父親になるから!」

夫はボロボロと涙をこぼしながら、何度も何度も謝罪と後悔の言葉を口にした。人は誰しも完璧じゃないし、間違えることはある。いかに夫が優秀であっても、時には失敗するだろう。私自身、人は変わることができると思っている。失敗を糧に立ち上がることは大切だということも分かっている。

それでも、私が夫を許すことはない。なぜなら、夫の言葉に嘘と偽りしかないからだ。もう一度言うが、私たちは全て知っている。いかに夫が愚かで罪深い人間であるということも。

私はとどめの一撃を加えるべく、まだ夫が隠している事実を突きつけた。

「言うと、あなたのことは信用できないの。学費を無断で使い込んだあなたをね」

その言葉と同時に、私はスマホを夫に向けて掲げた。夫は画面を凝視して、時間が止まったかのように固まった。そこには、夫が遊興しているシーンが映っている。パチンコ、競馬、競艇、キャバクラに風俗など、様々なお店に通っているシーンだ。

「私は大きな勘違いをしていたわ。あなたが突然、見た目にこだわり出したのは、リカさんのためだと思っていた。でも、調査して分かったの。本当は、大本命のキャバ嬢の気を引くためだったのよね」

夫は反応できずにいた。沈黙は金、ということだろう。

夫の外出が増えたのも、見た目にこだわり出したのも、女のためだ。実際に私はこう思っていたのだが、その「女」はリカだけではなかったのだ。モデルのように美人でスタイルのいいリカは、ファッションについても詳しかったのだろう。夫が流行りのものを身につけるだけでなく、全身ブランド物、時には香水やアクセサリーまでつけていたのは、リカのアドバイスによるものだった。リカ自身は勇人が自分のために身だしなみを整えていると思っていたようだが、夫もリカを騙して利用していたというわけだ。

いくら勇人が優秀な営業マンで高給取りでも、お金が足りなかったのよね。それでギャンブルをするために、愛華の学費を使った。

「ちなみに私は知ってるわよ。あなたが事故にあった時に乗っていた車も、ギャンブルで得たお金で買ったものよね」

「それって本当の話なの? もし本当なら、勇人は私を騙していたってことでしょ? 勇人、黙ってないで、なんとか言ったらどうなの!」

顔を真っ赤にして、リカは大激怒した。空気がビリビリと震えるほどの剣幕に、夫は圧倒されていた。自分も夫を騙していたくせに、何を言っているのだろうか。そんなことが言える立場なのだろうか。

結局、夫もリカも、周りのことなんてどうでもいいのだ。自分さえ良ければそれでいい。そんな考え方で生きていくのなら、どちらにしても二人の人生は終わりだ。

だけど、私には関係ない。このまま夫がリカが大事なことに気づけず、転落していくことだけが望みだ。そんな思いで夫を見ていたが、次の瞬間、彼は見事に開き直ってしまった。

「ああ、そうさ。俺はリカを騙してたんだよ。お前は顔がいいだけで、頭の中は空っぽだったからな。ああ、旦那がいることには驚いたけど、関係ないね。慰謝料払えば済む話だし。そもそも、騙される方が悪いだろ。あんたも俺を騙していたんだから、文句言わずに黙れよ」

「あんたね、こっちがどれだけリスクを背負っていたと思ってんのよ! 私を騙して、後悔することになるわよ!」

「バカじゃないの。勝手にリスクを背負っておきながら、人のせいにすんな。まあ、バカなのはミキと両親もだけどな。嫁は夫の所有物だろ。助け合うのが家族だって言うなら、俺のために尽くせ」

もう分かっていることだが、さっきの土下座も涙も、全部嘘だ。やはり夫は息をするように平然と嘘をつく。それがどれだけ人を傷つけているのか、分かった上でだ。

元々優秀だった夫は、ギャンブルでも成功して、周りが見えなくなっているのだろう。半身不随になったから、今までみたいに働けないし、ギャンブルにも行けない。だから、次は投資をして人儲けしようと思ってる。俺は何だってできるからな。元から別に、家族の助けなんて必要ないんだよ。

「分かったら、さっさと出てけ。もう離婚届も出して独身なんだろ、お前は」

「ええ、そうね。分かったわ。だけど、慰謝料と養育費、使い込んだお金は、絶対に返してね。あと、一つだけ約束してくれるかしら。この先、何があっても泣きついてこないで。私だけじゃなく、ご両親にもよ。約束してくれるなら、何も言わずに出ていくわ」

「いいぞ。嫁の最後の望みを叶えてやるよ。その代わり、お前も俺に泣きついてくるなよ。まあ、泣きついてきても無視するけどな」

ケラケラと笑う夫を見ながら、私は愛華と一緒に家を出ていくことにした。もう夫には何を言っても無駄だろう。

玄関を出た先で、義両親から声をかけられた。彼らは申し訳なさそうに、深々と頭を下げてくれた。

「息子が、本当に取り返しのつかないことをしてしまった。俺たちも、勇人とは縁を切るつもりだ。いつの間にか、息子はおかしくなってしまっていたのね。気づけなくて、ごめんなさい。ミキさんには、辛い思いをさせてしまったわね。必ず、慰謝料と養育費、使い込んだお金の返済はさせるから」

「頭をあげてください。お二人が私と娘に寄り添ってくれたことは、忘れません。本当にありがとうございました。ちなみに、返済の件についてですが、少し時間がかかると思うので、長く待ちます。だって、勇人は借金まみれですから」

そのことを義両親に伝えると、彼らは今日一番の呆れた顔になった。何度も言うが、私は全てを知っている。すでに彼が地獄に片足を突っ込んでいるということも。

数日後、私はスマホの着信音で目が覚めた。何度も何度もしつこく着信音が鳴っていたが、ディスプレイを見る前から誰の電話か分かっていた。案の定、電話の相手は勇人だ。私は深呼吸をした後に電話に出たが、そこから聞こえてきたのは、勇人の情けない声だった。

「一つ、お願いがあるんだが…慰謝料と養育費、使い込んだお金の返済を待ってくれないか? 実は、なくなってしまったんだよ、俺の全財産が」

「それはかわいそうに。まあ、私には関係ないし、早く払ってね。じゃあ、さようなら」

「ちょっと待ってくれって! 俺の話を聞いてくれよ。実は…」

「はい、ストップ。言わなくても知ってるから。全部、持っていかれたのよね。あなたの大好きなキャバ嬢に」

「なんで知ってんだ? もしかして、最初から知ってたのか?」

「ごめんだわ。私が接触したのは、リカさんだけではない。勇人さんのお気に入りのキャバ嬢にも接触し、慰謝料を請求しない代わりに、全て話を聞いていた。そこで分かったのは、キャバ嬢も勇人さんを騙していたということ。勇人さんはキャバ嬢に気に入られるためにお金を注ぎ込んでいたが、どうやら身分を偽り、社長だと名乗っていたようで、それが原因でカモにされてしまったらしい。キャバ嬢は言葉巧みに勇人さんを誘惑して、自分の言いなりにしていた。何も知らない勇人さんは、キャバ嬢との結婚のためにお金を渡したり、自分のカードの暗証番号なども教えてしまっていた。結果、お金だけ抜かれて、逃げられてしまったというわけだ」

「なんで教えてくれなかったんだよ! お前が教えてくれたら、防げたじゃないか! まさか、お前もグルで、俺のお金を奪おうと…」

「そんな犯罪染みたことするわけないでしょ。あなたに言わなかったのは、後悔させるためよ。人を騙して傷つけ、それでも平然としている奴は、痛い目に遭わないと分からないでしょう。その様子じゃ、痛い目に遭っても分かってないみたいだけど、どこまでバカなのよ」

「どうしてくれるんだよ! 俺はまともに働けないのに! 俺が金を失ったら、お前も困るだろう! 返済したくても、できないだろうが!」

「いいえ、一つも困らないわ。あなたが返済するまで、ずっと監視するつもりだったから。ちなみに、お金なら貯金もあるし、就職も決まったから問題なしよ。内藤友明社長の会社にね」

「え? 内藤友明って、リカの旦那か? あいつ、社長だったのか? 嘘だろ?」

夫の浮気が発覚した時点で、私は就職活動も開始していた。これから先、夫の収入に頼ることはできないし、一人で育てるには必要なことだったから。友明さんが社長だったことには本当に驚いたし、世の中狭いなと思わざるを得なかった。

それは奇跡的な出会いだったかもしれないが、家族、友人、恋人だって、本来はその一つ一つが奇跡のようなものだ。私と勇人が出会ったのも、81億分の1の確率。だからこそ、大切にするべきだ。自分のことだけを考えて、ないがしろにするなんて、あってはいけない。

「言うと、私たちは約束したわよね。『この先、何があっても泣きついてこないで。私だけじゃなく、両親にもよ』って。あなた、私より先に、ご両親に助けを求めたでしょ。でも、突き離されたから、私に電話してきた。そうでしょ」

「お前、どこまでお見通しなんだよ…。頼むよ、ミキ。まともに生活するのも無理なんだよ。元夫婦じゃないか。助けてくれよ」

「絶対に助けないわ。私だけならまだしも、勇人さんは愛華も傷つけた。ご両親のこともずっと騙していたわ。許せるわけないのよ。自分が困った時だけ助けてくれだなんて、どうやったら許せるの? 教えてよ。教えてみなさいよ」

結婚生活において、いや、私の人生において、ここまで声を荒げて怒ることはなかった。勇人のしたことは最低最悪のものだ。彼には相応の報いを受けさせたい。自分の過ちを一生後悔してほしい。それだけだ。

勇人は完全に沈黙していた。今まで私に暴力を振るい、恐怖で支配してきた勇人だが、どうやら彼の方が恐怖を感じているようだ。

「あなたが苦しむ姿を、ずっと見てるから」

それだけ伝えて、私は電話を切るのだった。

数年後、愛華は24歳になり、結婚が決まった。結婚式前夜、私は過去を思い出しながら、愛華に話しかけた。

「愛華には辛い思いをさせちゃったわね。不甲斐ないママでごめんね」

「もう、ママったら! 結婚式前夜に、そんな暗い顔しないでよ。私はママがいてくれたから、夢も叶えられたんだよ。ママ、これからも助け合っていこうね」

愛華は志望校に合格し、その後、弁護士となった。愛華が弁護士を目指した理由はこうだった。「正義のヒーローになりたい。弱い人を傷つける悪者をやっつけたい。ママと同じように苦しんでいる人を助けたい」と。彼女の目には明るい未来が映っている。

過去を忘れることはできないかもしれないけど、私も愛する人と一緒に、前を向いて生きていきたい。母さんと愛華が同居することになった。もちろん、家事は今まで通り、全部私がやるけどね。それでも、この自由で穏やかな日々が、私にとっての幸せなのだ。

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