工場長の顔は、悔しさに歪んでいた。
「今年で倒産するかもしれん」
そう言われて、俺は言葉を失った。本社で上司に嵌められ、左遷されてきたこの工場が、もう瀕死の状態だという。社員たちは皆、暗い表情でうつむいている。その光景が、昔、父が工場を潰した日の記憶と重なった。
俺の名前は朝川。38歳。中堅メーカーの情報システム部で課長を務めていた。現場と経営を繋ぐ業務システムの改善が得意だった。しかし、2年前に部長が退職し、後任としてやってきたのが営業部出身の石田部長だった。システムのことは何も分からないくせに、やたらと現場に口を出し、俺たちの仕事を混乱させた。
「価格が高すぎる。交渉しろ」
「これは適正価格です」
「若造のくせに生意気だぞ」
衝突は何度も繰り返された。そして1年前、すべてが動き始めた。俺はほぼ独力で進めていた業務システム刷新プロジェクトの成果が出始めた矢先、突然役員会議に呼び出されたのだ。
石田部長は「セキュリティ上の懸念がある」という虚偽の報告書を役員に提出していた。部長は俺を呼び出し、こう言い放った。
「お前が成果を出したら、俺が部長の椅子を奪われちまうからな。プロジェクトは俺が引き継ぐ」
さらに、外部委託を自分の知り合いの業者に差し替え、キックバックを受け取るつもりだと言う。俺が上層部に訴えると言うと、部長は笑った。
「無駄だ。俺と仲のいい連中は、お前を問題社員だと思っている。そうなるように印象操作してきたからな」
その通り、誰も俺の話を聞いてはくれなかった。俺は問題社員のレッテルを貼られ、子会社の末端にある、この工場へ左遷された。何をしても無駄だと悟り、気力を失ったまま、俺はここへ来たのだ。
宮本工場長は、ため息混じりに言った。
「あんた、運がなかったな」
「はい。どういう意味ですか? 」
「この工場は、主力の取引先をほとんど失った。倒産してもおかしくない状態だ」
俺は知らなかった。左遷される際、石田部長に騙され、右も左も分からない状態だったからだ。しかし、現実はさらに厳しかった。俺が着任した直後、残っていた大口の取引先からも、今月末で発注を打ち切るとの通知が届いたのだ。
宫本工場長は社員を集め、「もう諦めるしかない」と言った。全員の顔が絶望に沈む。その姿は、昔の父の姿と重なった。父は取引先の都合で契約を打ち切られ、工場を潰した。あの日、工場の機械を運び出す業者たちの中で、父は玄関先で深々と頭を下げていた。現場で苦しむ人を見たくない。その思いで、俺はこの仕事を選んだはずだ。
「長、ちょっといいですか」
集会の後、俺は事務所に戻り、机の上を見た。そこには、今時珍しいファックスと、山のように積まれた書類があった。
「この工場の発注作業は、全部手作業ですか? 」
「ああ。パソコンはあるが、まともに使えるやつがいないんだ」
頭の中で計算が巡る。もし、この作業を全てシステムで一元管理できれば、原価を抑えられる。価格競争に参加するチャンスも増えるだろう。
「工場長、事務作業を生産システムで全部一本化しましょう」
「どういうことだ? 」
「機械に全部任せるんです。無駄な事務作業がなくなります。紙代やインク代も節約できますよ。浮いた費用を価格に転用すれば、価格競争力が生まれます」
説明を聞いて、工場長は腕を組み、じっと俺を見つめた。
「うまくいくのか?

」
「俺は本社でそういう仕事を専門にしていました。実績は多数あります。俺を信じてくれませんか? 」
工場長はしばらく沈黙し、やがて口を開いた。
「お前が嘘をついているようには見えん。でも、1つだけ分からない。なんで潰れかけの工場のために、そこまで頑張るんだ? 」
「俺がこの仕事に就いたのは、父が理由です」
父が工場を潰した時のことを話した。そして、もう1つの理由を告げた。
「俺を嵌めた上司を、見返してやりたいんです。自分勝手な理由ですみません」
頭を下げると、工場長は低い笑い声をあげた。
「気に入った。復讐じゃなく、真っ向勝負で見返すっていうのがいい。決めた。俺はお前にかけるよ」
「本当ですか? 」
「ああ。俺にできることがあれば、何でも言ってくれ」
気づけば、周りには他の社員も集まっていた。さっきまでの暗い目ではなく、希望の光を宿して。
再建への道は決して平たんではなかった。まず、システム導入の費用を捻出するため、本社に助成金を申請した。しかし、返ってきたのは却下の通知。そこには、石田部長の署名があった。
「セキュリティ上の懸念がある」
俺を嵌めた時と同じ、虚偽の報告をそのまま使ってきたのだ。悔しかったが、仕方ない。自費でシステムを導入することにした。費用を聞いた工場長は目を丸くした。
「出せるのか?
」
「足りない分は、別の仕事をして稼ぎます。うちの会社は副業OKなんで」
すると、工場長が驚きの提案をしてきた。
「俺の金を使え」
「え、でも」
「この工場に、俺は人生をかけてきた。社員たちの人生も背負っている。遠慮するな。使ってくれ」
工場長は、工場を個人保証にする形で借金まで背負う覚悟を決めていた。この人は本気だ。俺も本気で応えなければ。
「この恩は必ず返します」
この日から、俺と工場長は深い信頼で結ばれた。
システム開発を進め、段階的に動かし始めた頃、事務担当の女性社員が紙の束を持ってきた。
「朝川さん、この会社、以前教えてくれた本社の上司と癒着していた会社ですよね? 」
俺は工場のみんなに、本社で何があったか話してあった。彼女は内容を覚えているらしい。
「この発注書、ある時期を境に値段が徐々に釣り上がってるんです。朝川さんがプロジェクトを乗っ取られた時期と近いですよね。調べてみたら、この会社は業績が落ちていたのに、社長が交代してるんです。もしかして、新しい社長は石田部長と深い仲なんじゃないかって」
彼女が話してくれた内容は、十分あり得る話だった。これは強力な武器になる。しかし、その直後、本社から通達が届いた。
「工場の月次レポートの数字に異常がある。改ざんの疑いで調査を行う」
俺は肩を落とした。数字が改善しているのは、新しいシステムの効果だ。しかし、本社にしてみれば、問題社員がいる工場の数字が急に良くなれば、疑いたくなるのだろう。
「お前は何も悪いことはしていない。堂々としていろ」
宮本工場長が俺の背中を叩いた。温かくて大きな手。父を思い出す優しさだった。
「ありがとうございます」
泣きそうになるのをこらえ、俺は笑顔を浮かべた。
調査に備え、手書きの記録もデータにまとめ、本社に提出した。半月後、データ改ざんはなかったという調査結果が届いた。疑いは晴れた。俺たちは、気を取り直してシステム開発の仕上げに取りかかった。
効果はすぐに出た。書類作成の時間が劇的に減り、現場作業員が自分の仕事に集中できるようになった。在庫管理もシステム化した結果、無駄が激減。納期遵守率も急上昇した。残っていた取引先からも、仕事ぶりを褒められるようになった。
さらに、原価を15%削減することに成功し、他社との価格競争に参加できるようになった。取引先も徐々に増え、売上も上がっていく。噂を聞きつけた元取引先から、また仕事をしたいと連絡が来ることまであった。
俺が工場に来てから約1年後、工場は完全に復活を遂げた。
「お前のおかげだよ。ありがとう」
宮本工場長や社員たちは、何度も何度も礼を言った。
「皆さんの力がなければ、ここまで来られませんでした」
「これで何もかも解決だな」
「いえ。あと1つ、問題が残っています」
俺はスマホを工場長に見せた。
「石田部長からのメールです。来週、うちに来るそうです」
その場にいた全員から、どよめきが起こった。
「一体何のために? 」
「分かりません。でも、これはまたとない機会です。部長に『やってやったぞ』と言ってやりますよ」
ヘルキに満ちた俺の言葉に、工場長たちは笑顔で頷いた。
当日、俺と宮本工場長は応接室で待っていた。工場長は俺を心配して、同席すると申し出てくれた。おかげで、あまり緊張せずにその時を迎えられる。
扉が開き、石田部長が姿を現した。久しぶりに見る部長は、やつれていた。額には油汗が滲んでいる。
「お久しぶりです、部長」
挨拶もそこそこに、部長は突然切り出した。
「朝川、本社に戻ってこい」
「はい? 何ですか、急に?
」
俺が眉をひそめると、工場長が怒りの表情を浮かべた。
「本社から追い出したのは、部長でしょう。朝川はうちの大切な社員です。簡単には渡しませんよ」
俺を大切にしてくれる工場長の言葉に感激していると、不快な舌打ちが聞こえた。
「何があったのか、説明していただかないと、俺も返答できませんよ」
渋々といった様子で、部長が事情を明かした。
「俺がプロジェクトで差し替えた外部の委託業者が、データ漏洩事故を起こしたんだ。業務システムはすでに本社で稼働中だ。ところが、今回の漏洩でシステムを一部停止せざるを得なくなった。システムを作れる奴が本社にはいない。そこで、俺に話が回ってきたというわけだ」
「要するに、部長の自業自得ですね」
「女装部のある人物が、工場の劇的な改善はお前が作ったシステムのせいだと知ったらしい。元上司である俺が話をしてこいと命令されたんだ」
未だに不満そうな部長を、俺と工場長は呆れた目で見ていた。
「お断りします。帰ってください」
俺は冷たい声で言い放った。
「なんでだよ。本社のピンチなんだぞ」
「俺にしたことを忘れたんですか? 俺の成果を奪って、罠にはめて、ここに左遷させたのは、あなたですよ」
部長が言葉に詰まり、悔しそうな表情で小さく呟いた。
「ああ、あの時のことは謝る。だから」
「謝罪は結構です。俺はあなたを許すつもりはありませんから」
部長が愕然とした顔で俺を見る。
「本社が潰れたら、この工場も無事では済まないぞ」
「うちの工場は経営が劇的に回復しています。いざとなれば、工場だけでやっていけますよ」
宮本工場長の言葉に、俺も頷いた。部長の体に冷や汗が滲む。
「おいおい、冗談だろ? 」
「冗談を言っているように見えますか? 」
俺は冷たい目で部長を睨みつけた。こちらが本気だと悟ったらしい。部長は慌てて言い訳を始めた。
「わ、悪かったって。もう二度と、お前を嵌めるようなことはしない。過去のことは水に流して、協力してくれよ。な?
」
「じゃあ、俺を嵌めたことを、本社に正直に報告してくれますか? 」
「そ、それはちょっと」
部長が目を背ける。俺はため息をつき、ある事実を打ち明けた。
「そう言うと思いましたよ。なので、俺の方から、すでに報告済みです」
「は? 」
「実は本社を出る日、俺は部長の虚偽の報告書のコピーを持ち出していました。その内容を検証して、反論と証拠の書類を作成したんです。昨日、部長と親しくない上層部の人間に送付しました」
「なんでそんなことを」
「これは工場長の提案です。俺はやり返すつもりはありませんでしたが、工場長や皆さんが納得してくれなかった。俺の無実を証明したい、と」
さらに、俺が送った書類には、石田部長と委託業者の癒着疑惑を示す書類も同封してある。あの時の発注書だ。おかげで、説得力のある内容になった。
「あ、あれがバレたら、俺のキャリアは終わりだ。女装部にすぐ連絡しろ。送った書類は全部嘘です、って」
「なんでそんなことをしないといけないんですか?
あなたは俺の敵ですよ。もう俺の上司じゃないので、命令を聞く必要もありません。俺はこの工場で、あなたが破滅していくのを見届けさせてもらいます」
次の瞬間、石田部長は床に膝をついた。どうすることもできないと悟ったようだ。
「自業自得だな」
宮本工場長の声は、絶望の底に落ちた部長には届いていなかった。
それから2ヶ月後、部長の処分が決まった。俺の報告がきっかけで社内調査が行われ、俺を嵌めた件と委託業者との癒着が認められたのだ。部長は地方の営業所へ異動となった。さらに、入社時からの不正が発覚し、今回の件で妻の実家との関係もこじれているらしい。離婚を前提に話し合いを進めているという噂だ。
「別人に見えるレベルでやつれていたらしいぞ。左遷先にも話が広がっていて、味方をする人間は誰もいないんだと」
工場長から話を聞いても、俺は何も思わなかった。これから部長に待っているのは、孤独で暗い日々だけ。あの人にふさわしい制裁だ。
一方、俺は工場で働き続けている。本社から戻って来いという声も届いたが、工場への利益還元と俺の無実の社内公式認定を会社に呑ませた上で、業務システムの構築だけを請け負った。
仕事を終えた後は、迷わず工場に戻る。ここには、俺を信頼してくれる仲間たちがいるからだ。
俺は今日も、仲間たちと一緒に一生懸命仕事に取り組んでいる。


