大学を卒業し、会社の独身寮で暮らす俺は、22歳の営業マンだ。祭りやイベントが好きで、いつも活発に動き回っている。同じく独身寮に住む同期の井戸徹、通称トルとは気の合う友人で、休日はほとんど一緒に過ごしていた。
ある日、トルが隣の団地で祭りが開かれると言い出した。
「週末、行ってみようぜ。自治会に入っているから参加できるらしいんだ」
「そうだな。行ってみるか」
俺たちは張り切って祭りに向かった。屋台でつまみを買い、酒を飲めることにテンションが上がる。ある程度飲んだところで、トルが急に慌てた顔で戻ってきた。
「ちょっと来てみろよ。あれを見てみろ」
トルが指さした先に、浴衣姿でりんご飴を売っている女性がいた。一瞬、空気が変わったような衝撃が全身を走った。年上の女性特有の色っぽくて艶やかな佇まい。言葉にできないほど綺麗な女性だった。
「行こうぜ。買うんだよ、りんご飴」
「俺、甘いものは食えないんだけど」
「いいから来い」
俺はトルに引きずられるように、彼女の店に向かった。トルが積極的に話しかける中、俺は何も話せずに見つめるだけだった。
「おい、てつ、早く来いよ。りんご飴買おうぜ。何個買うよ」
「えっ、りんご……じゃあ、全部ください」
驚いた顔の女性は、冗談だと気づいて微笑んだ。「全部食べたら虫歯になっちゃいますよ」その笑顔は女神に見えた。
翌朝、目を覚ますと部屋にはビールの空き缶と大量のりんご飴が散らばっていた。二日酔いで頭が痛む。トルに聞くと、昨晩は酒を飲んで盛り上がり、結局全部買ったらしい。そして、彼女の名前は川本まゆみ。既婚者だと知らされた。
「お前は本当に大丈夫か? 彼女はやめておけ。旦那がいるんだぞ」
「結婚しているんだ。当たり前だろ。どうにかなりたいなんて思うわけない」
腹が減って外に出た俺は、偶然見つけた喫茶店に入った。そこには、まゆみさんがいた。
「あら、とし君。昨日はお疲れ様」
「まゆみさん、ここで働いているんですか?」
「そうなの。さ、どうぞ」
彼女は離婚したと、ある日雨の日に俺の家に来て打ち明けた。体調が悪いと聞いていたのに、雨に濡れて涙で目を赤くした彼女を見て、俺は家に招き入れた。風呂に入り、温まってもらい、ゲームをして過ごすうちに、彼女は少しずつ笑顔を取り戻していった。
「私たち夫婦には子供はできないからね。実は、私、離婚したのよ」
「えっ、そうだったんですか?」
「ここに来て、ゲームをしていたことを反省してしまう」
「私、こんなに誰かと話せたのは久しぶりかもしれない。ありがとうね」
「何言ってるんですか。俺ならいつでも大歓迎ですよ。なんなら、このままここにいても……」
「じゃあ、今夜、泊めてほしいの。1人で部屋にいるのが辛いのよ、今は」
俺は酒を出して一緒に飲み、翌朝、彼女はプロの料理人顔負けの朝食を作ってくれた。何か事情があるのだろうと思ったが、俺は何も聞かずに鍵を渡し、彼女が笑顔でいてくれるならそれでいいと思った。
数日後、まゆみさんと荷物を取りに団地へ行くと、見知らぬ女性に呼び止められた。
「まゆみさん、やっと帰ってきたわね。慰謝料はどうなっているの?」
「慰謝料なんて私には一切関係ありません」
「もう次の男まで連れて来て。人の旦那に手を出すなんて許さないからね」
「だから、私は何もしていないんです! 誤解しないでください!」
その女性、遠藤リサは、まゆみさんの夫と不倫関係にあると騒ぎ立てた。トルにその話をすると、彼は真剣な顔で言った。
「その人柄が嘘だったらどうするんだ?」
「知らない。何があったか知らないが、俺はまゆみさんが好きだから」
「お前が本気だからこそ、やめておけと言っているんだ。お前も同じ目に合うんだぞ」
「俺には関係ない話だ。放っておいてくれ」
その晩、まゆみさんは「もうここにはいられないわ。あなたに迷惑をかけてしまうから」と言って、俺の家を出て行ってしまった。数週間後、心配になった俺は、思い切って彼女の部屋を訪ねた。団地の入り口には、彼女への嫌がらせの張り紙がびっしり貼られていた。俺はそれを全て破り、3階へ上がると、玄関先でまゆみさんとリサさんが言い争っていた。
「嫌がらせもあなたでしょ!」
「嫌がらせじゃないわよ。真実を書いただけじゃない」
「あなたの旦那さんと私は何もありません」
「じゃあ、なんで2人で抱き合っていたのよ!」
「それは私がバランスを崩して、支えてもらっただけなんです!」
「2人とも、もうやめてください。こんな張り紙、リサさん、訴えられますよ」
リサさんは慌てて帰っていった。まゆみさんは俺に抱きつき、大泣きした。
落ち着いた後、彼女は打ち明けた。夫は突然「女ができた」と言って離婚届を置いていった。リサの気持ちもわかるから、言い返せない自分もいるのだと。俺は彼女に言った。
「まゆみさん、俺、まゆみさんのことが好きなんです。旦那さんがいなくなってすぐだし、俺とも出会ったばかりだけど、それでも信じてください。好きです。大好きです。だから、一緒にいたいんです」
「あなたはまだ若いし、年上の私なんて本気にはなれないわ」
「俺は真剣なんです。もう人を信じることができない? だったら、信じなくてもいい。でも、一緒にいてください。俺が絶対に、あなたを1人にしません。一緒にいて、傷を癒やしてください」
俺はまゆみさんと抱き合い、長いキスをした。数ヶ月後、俺たちは正式に一緒に暮らし始めた。リサさんの嫌がらせの真実も、彼女が夫を振った腹いせだったとわかり、彼女は自ら団地を出て行った。
あれから5年が過ぎ、俺たちは結婚し、3歳のやんちゃな長男と、生まれたばかりの娘がいる。今は平穏で楽しい毎日を過ごしている。人は噂で誰かを疑ったり傷つけたりするけれど、本当のことはちゃんと会話しなきゃわからない。これから先、何が起きても、俺は一生家族を信じて味方になろう。


