「お言葉ですが、このシステムを刷新する必要はないと思います。会社の利益を考えれば、現状維持が最善のはずです」
そう淡々と反論した瞬間、社長の娘の表情が凍りついた。彼女は自分の髪をくるくるといじりながら、甘い声で色仕掛けしてきたのだが、俺には全く通用しなかった。
「はあ…ちょっと、何度言わせれば分かるのよ。システムを変更して欲しいと指示しているの。分かるかしら?」
彼女の声が一段と鋭くなる。
「私に意見しろと言った覚えはないわ。10年も勤務してるのに、この程度の指示にも答えられないの?私は仕事ができる人としか一緒に仕事したくないの。無能な人間は首よ」
これが、コネ入社してきたばかりの後輩からの言葉だとは思えなかった。
俺の名前は木戸達也。35歳。大学を卒業してすぐにこの会社に入社し、システムエンジニアとして10年間勤めてきた。人付き合いが苦手な俺にとって、PCと向き合うこの仕事は天職だった。自慢ではないが、システムのことなら誰にも負けない自信があった。
ある日、「社長の娘が入社してくる」という噂が流れてきた。有名大学卒の美人らしい。しかも、社長の世代交代を見越してのコネ入社だという。俺はそんな噂に興味を持つことなく、できるだけ関わらないようにしていた。
だが、システムエンジニアとして中堅の立場にあった俺は、その社長の娘に会社のシステムについての説明をすることになった。
プレゼン当日。準備してきた通りにシステムを説明したのだが、期待とは反対に、社長の娘はこう苦言を呈した。
「なんだかうちの会社のシステムって、見た目が地味でやる気が起こらないわ。こんなダサいシステムじゃ全然気分が乗らない。木戸さん、お願いだからこのシステム、今すぐ直してくれる?」
彼女は髪を弄りながら、甘い声でお願いしてくる。どうやらかなりのお嬢様気質で、自分の思い通りにならないと気が済まない性格らしい。誰が見ても綺麗な顔立ちをしていて、自分が美人だということも十分に認識している。おそらく幼い頃からちやほやされて育ち、これまで自分の思い通りに人生を過ごしてきたのだろう。
だが俺は、その色仕掛けに全く興味を示さなかった。システムに派手さは必要ない。下手にいじらず、このままにしておくのが会社のためだと、そう思った。
「木戸さん、違うんです。今のは私に意見して欲しいわけじゃなくて、もっと行けてるシステムに変更して欲しいって指示してるんです」
彼女は苦笑いしながら、柔らかい口調で再度指示を出してきた。しかし俺はその指示にも従わず、自分の考えを貫いた。
「お言葉ですが、やっぱりこのシステムを刷新する必要はないと思います。会社の利益を考えたら、このシステムを維持しておくことが一番なはずです」
表情を変えずに話す俺に、彼女は不機嫌そうに言い放った。
「私に従わない奴はこうなるのよ」と言わんばかりに、時期社長という権限を振りかざしてきたのだ。
俺はその言葉を聞いて、一瞬で気分が覚めてしまった。こんな自分勝手で色仕掛けしか知らない女と一緒に働くなんて考えられない。俺はすぐにその命令を受け入れた。
「首ですか?分かりました。私もあなたのような人と一緒に働く理由が見つかりません。やめさせていただきます」
すんなり従う俺に、社長の娘は一瞬呆然としていたが、すぐに自分の自慢話に話を切り替えた。
「何よ?まあいいわ。引き際のいい社員で良かったわ。全く問題ない。あなたがいなくなっても、この会社には私がいる。私がいればこの会社は絶対に安泰よ」
俺はこれまで携わってきたシステムの全権限を彼女に付与し、そのまま退職することにした。システムの中身も確認せずに権限の引き継ぎを承諾する彼女に、「今後どうなっても知らないからな」と心の中で呟きながら、あえて何も言わなかった。
数日後、社長から電話がかかってきた。
「君、すまない。会社がまずいことになっているんだ。すぐに会社に来てくれないか?」
困った様子の社長に頼み込まれて、俺は会社へ向かうことにした。入社当時から面倒見のいい優しい人だったから、きちんと挨拶をしておきたいという思いもあった。
会社に着くと、社員全員が慌ただしく混乱していた。どうやらシステムにエラーが出てしまい、その対応に追われているようだ。
「藤吉君、このシステムエラー、いつになったら治るのかしら。早く対処しなさいよ。全く、本当に使えないんだから。私だったらこんなシステムエラー、あっという間に直しちゃうわよ」
社長の娘は相変わらず偉そうな態度で、部下の藤吉さんに暴言を吐いている。藤吉さんは慌てた様子でマニュアルを見ながら、必死になって試行錯誤していた。
俺は不思議に思った。なぜ藤吉さんがこの緊急事態の対応をしているのだろうか。藤吉さんは俺が知る限り、決して有能な社員ではなかった。普段の業務も適当で、勤務時間中に会社のPCでゲームをしたり遊んだりしていた。先輩の立場を利用して、面倒な仕事を俺や後輩に押し付けたりもしていた。
おそらく、有能な他の社員たちは俺と同じで社長の娘の色仕掛けには応じなかったのだろう。そして、藤吉さんだけがその色仕掛けに引っかかったのだと、俺は推測した。
「ねえ、まだ解決しないの?これくらいのエラーにどれだけ時間がかかっているのよ。早くしてちょうだい」
社長の娘が藤吉さんの作業を見かねて横から差し図を始めたが、システムのエラーは治るどころか、もっと複雑なエラーに迷宮入りしそうになっていた。
「どうしてエラー解除にならないのよ。全く、なんでうまくいかないのよ。藤吉さん、早く対処してどうにかしてちょうだい」
追い詰められた藤吉さんは、額から汗が滝のように流れていた。俺はその様子を横目に見ながらも、お世話になった社長に挨拶だけを済ませて帰ろうとした。
しかし社長は俺に歩み寄り、会社のために戻ってきて欲しいと頭を下げて懇願してきた。
「木戸君、この会社には君が必要だ。戻ってきてくれないか?お願いだ」
どうしてこんなことになってしまったのだろうと、俺は胸が苦しくなった。同時に「社長の娘さえいなければ、こんなことにはならなかったのに」と、ふつふつと苛立つ気持ちも込み上げてきた。
俺は社長の切なる頼みを断ることに胸が痛んだが、その頼みを聞き入れることはできなかった。
「社長、すみません。もう次に働く場所を決めているんです。申し訳ありませんが、戻ることはできません。10年間、本当にお世話になりました」
俺は深く頭を下げて挨拶した。社長は俺を引き止めることができず、この状況をどう復旧させればいいのかと途方に暮れていた。
そこに、俺たちのやり取りを見ていた社長の娘がやってきた。彼女は俺のことをあまりに信頼しすぎる社長の発言に納得がいかない様子だ。
「父さん、なんでこんな人に会社に戻ってくれだなんてお願いしているの?この人は私の命令を全く聞き入れないわがままな人だったのよ。お父さんが頭を下げてまでお願いする相手じゃないわ」
娘は一方的に俺の悪口を社長に言い放った。
「何を言っているんだ?木戸君はそんな人物ではない。お前が勘違いをしているだけだ。これまでこの会社のシステムを作り上げてきたのは木戸君なんだぞ。この会社から木戸がいなくなるということが、どんなに重大なことかお前は分かっていない。このままじゃうちの会社は崩壊してしまうかもしれない」
「え、木戸さんが会社のシステムを全部作っていたの?嘘。そんなはずない。そんなこと今まで一度も私に言わなかったじゃない」
俺は当然だと思いながら、その話を聞いていた。いつも色仕掛けでしか話をしてこない社長の娘には、俺は拒否反応が出ていた。いつも自分の自慢話や一方的な会話に華を咲かせていたから、俺が会社のシステムを構築しているなんて話すつもりもなかった。
「無能だと思っていた俺が、まさか会社の肝となる人物だったとは」。ようやくそのことに気づいた社長の娘は愕然としていた。しかし、帰ってきた言葉は怒りもなく、耳を疑うような言葉だった。
「そんなに有能な社員だったら、どうして私のような美しい人間の言うことが聞けないのよ。おかしいでしょ。ねえ、ちょっとちゃんと聞いてるの?どういうことか説明しなさいよ」
彼女は強い口調で俺を攻め立てた。俺は半分呆れて、そして自分の立場や間違いを認識させてやろうと、冷酷な差し出しでUSBを手渡した。
「これ、見てもらってもいいですか?」
社長の娘は「何なのよ、これ」と言わんばかりにむすっとした表情でUSBを手に取った。すると、そこには一つの動画ファイルが入っていた。
「藤吉さん、このシステム修正してもらってもいいですか?藤吉さんならこんな仕事あっという間に処理しちゃうと思うんですけど。それでよかったら、その後一緒にご飯でもどうですか?私、藤吉さんとずっと一緒にご飯行きたいって思ってたんです」
社長の娘が藤吉さんのデスクに腰かけて、藤吉さんのネクタイを弄りながら甘い言葉で囁いている動画だった。誰が見ても普通とは言えない距離感。
「これ、どう見ても普通じゃないですよね。こんな行為を社内でやっているなんて、社規違反ですよね」
俺に続いて、社長も娘に言及した。
「何をやっているんだ、お前は。こんなことを会社で。会社を何だと思っているんだ。ああ…信じられない。恥ずかしい。済まされないぞ」
社長は娘の行いにショックを隠せず、怒りと悲しみで複雑な顔をしていた。社長の娘は焦った様子で、必死に言い訳を始めた。
「な、何よ、この動画。いつの間にこんなこと。私が藤吉さんなんて相手にするわけないじゃない。これは誰かの陰謀よ。私を落とし入れようとしているの」
苦し紛れに嘘を並べるが、誰もその言葉を信じなかった。唯一、このやり取りを見ていた藤吉さんだけが、この発言を聞いて少々気分を害していた。
「ここのシステムを直したら、俺と付き合ってくれるって。だから頑張ったのに、あれは嘘だったのか」
藤吉さんは騙されていたと知り、愕然としていた。そして「やってられない」といった態度で怒って、そのまま会社を出ていった。
これで誰もシステムエラーに対応する人がいなくなり、会社は窮地に追い込まれてしまった。
社長は自分の娘に会社のシステムを触らせてしまったことを悔み、自分自身でその責任を受けることを決意した。社員全員に今回の不祥事を詫び、会社の組織を改めた。そして、今回の娘の不祥事を重く受け止め、娘にはシステムとは無関係の部署に配置転換させ、一から社会人としてやり直すように命じた。
「お前に社長という立場を与えようとしたこと、親として後悔している。だが、この過ちを俺は絶対に無駄にはしない。お前も社会人として、人として、一から心を入れ替えなさい。そして今回の件で出た損害5000万円は、お前がしっかり働いて返済するように」
社長の娘は、これまで父親にこんな厳しい叱責を受けたことがなく、泣き崩れていた。彼女が少しでも心を入れ替えてくれるといいのだが。
そして現在の俺はと言うと、今までの実績を生かし、独立して起業することを決めた。少し前から独立を考えていた俺。本当はあと3年後くらいにと考えていたのだが、この事件を機に思い切って挑戦することにした。
初めてのことだらけで緊張や失敗の連続だが、全てを学びとして捉え、日々頑張っている。起業してすぐの仕事は、以前の会社のシステムトラブルを外部委託先として受け取り、再構築して全て解決させた。エラーにエラーを重ねて複雑になった難易度の高いシステムの修繕だったが、元々俺自身が作り上げたシステムでもあったので、なんとか乗り切ることができた。
しかも、その実績が業界でも話題となり、ありがたいことに俺の会社はたくさんの仕事を受注することができている。これからも新しく迎えた仲間と共に、一歩ずつ会社を大きくしていきたいと思っている。



