「どちらになさいますか?条件を受け入れるか、それとも39円で今までの仕事を全てパーにするか」
元受けの部長が、効果をこちらに投げつけてきた。新工場にシステムを搬入し、完成目前だったその日に、いきなり無茶苦茶な要求を突きつけられたのだ。こちらが下受けだと思って馬鹿にしているにも程がある。俺は部長に怒りの表情を向け、はっきりと告げた。
俺の名前は佐々木。56歳だ。機械製品の製造工場向けの開発導入を行う会社の社長をしている。決して大きな会社ではないが、安定した品質や技術が自慢だ。先代から譲り受けた会社を、次に繋いでいかなくてはと考えている。
ある会社から仕事の話を持ちかけられたのは、およそ半年前のことだ。先方は自動車部品メーカーで、産業用ロボット部品に事業を拡大中だった。今回は産業用ロボット部品製造の新工場を設立するにあたって、うちとの契約が決まったのだ。新工場には検査システムを納品する予定で、不良品の仕分けやデータ管理などの機能も付随している。
実は佐々木さんの会社の仕事は丁寧だと、取引先に教えてもらったんですよ。
そう言ってくれたのは、先方の社長・内田さんだった。穏やかで紳士的な人という印象だ。今回、内田社長側が元受け、うちが下受けという立場になるのだが、一切嫌な態度を取ったりもしない。世の中には未だに元受けが上の立場だと勘違いしている人間もいるが、内田社長はそういった人物ではないようだ。この時は工場の建設予定地を視察に来ており、直接挨拶に来てくれたのだ。
良い仕事をこなして、今後も良い関係でいられたら、会社にとっても社員たちにとっても大きなプラスになるはずだ。この時は間違いなくそう考えていた。だが、現実はうまくいかない。
「下受けの立場をわきまえて欲しいものだな」
ある人物の声が聞こえてきて、俺は現実に引き戻された。うちには一応社長室があるのだが、基本的に社員たちと同じ大部屋で仕事をしている。だから大きな声がすれば、すぐに気づくのだ。俺は顔を上げ、声の発生源を探す。またか。
声の主を発見し、俺は席を立った。俺の視線の先では、40代くらいの男性が腕を組んで仁王立ちしている。その男性が睨みつける先には、うちの若い男性社員がペコペコと頭を下げていた。
「これは大塚部長、お越しいただいていたんですね。本日はどうなさいましたか?」
さりげなく男性社員との間に割って入る。男性は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「どうも。担当者がいないと言うから、代わりに要件を聞かせてもらっていたのに、分からないの一点張りで。全く、下受けってもんだ。なってないな」
ちらりと男性社員を見ると、顔を真っ赤にしている。俺は安心させるように頷き、戻りなさいと小声で言う。それから大塚に向き直り、俺は息をついた。
内田社長に対して好感を持つ一方、俺はあることに悩まされていた。それがこの担当者であり、購買部の部長でもある大塚のことだ。大塚は「元受けが偉い。下受けは元受けの言うことを聞くべき」という時代錯誤な考えを持った男である。
「確かに担当者は外出しているようです。別の取引先に行っていますね。先ほどの若い社員は、まだ入社して間もなく、対応できないことが多いのです。よろしければ私がお伺いしますが」
俺はタブレットを取り出し、すぐに確認する。ついでに来客予定のリストも確認するが、大塚の名前はない。やっぱりな、と俺は心の中で大きなため息をつく。大塚は約束もなしにやってくることが多く、一方的に自分側の要求を話して去っていくのだ。何かと説明や説得を試みても、「下受けなら何事も元受けのことを考えて行動すべきだろう」という言葉で一蹴される。こういった高圧的な言動も相まって、担当者はかなり参っていた。
「もう無理です。こちらがどれだけ丁寧に説明しても、大塚部長は勝手すぎます」
担当者のこの訴えもあり、俺は先日、会社側にクレームとして一件入れたばかりだ。どうやら効果はゼロだったようだが。
「佐々木社長が対応を」
「もういい。全く、小さな会社とはいえ社長がこんな仕事までするのか。少しはプライドを持ったらどうなんです?」
「社長である私に話せば、手っ取り早く助かるのでは?」
「元受けのことを考えて行動しろ。あなたの口癖ですよね」
露骨な嫌みに対し、嫌みで返すと大塚は口ごもる。一瞬だったが、何やら罰の悪そうな表情になったのを、俺は見逃さなかった。だが、大塚はすぐに表情を戻す。
「もういいって言ってるんですよ。今度は担当者に、いるようにと言っといてください」
連絡もなしにやってくるくせに、「いるように」とは。あまりの身勝手な発言に呆れていると、大塚は返答を待たずに去ってしまう。一体何をしに来たんだ。思わずつぶやくと、後ろから声をかけられる。振り向くと、さっき大塚に話しかけられていた若い社員がいた。
「大塚部長のことですが、実は」
この社員が言うには、こんな出来事があったらしい。大塚が訪ねてきて、担当者の不在を告げると、「それならお前でいい」と一方的に要件を告げてきたのだとか。担当外であり、まだ新人の自分では対応できないと言ったのですが、聞いてくれなくて。しかも問題なのはその内容だった。
「大塚部長は、契約金の支払いを後払いの分割にしろ。それから、工場のシステムの仕様を変更したいみたいでした」
「なんだって」
もうシステムは完成間近だっていうのに。俺は今までの大塚の言動から、不安に駆られる。
「分かった。私の方からまた大塚部長に問い合わせてみるよ。対応してくれてありがとう。仕事に戻ってくれ」
若い社員は頭を下げ、自分のデスクに戻っていく。何か嫌な予感がする。俺はパソコンからメールを開き、大塚当てにメールを打ち始めた。
それからおよそ2週間、大塚からの連絡や訪問はなかった。というか、俺や担当者が問い合わせのメールや電話をしても、何の返事もなかったのだ。今までも、勝手に何か要求してきたと思ったら「やっぱりもういい」と気まぐれなことを言ってきたこともあったな。今回もそんな感じなのだろうかと、自分の中で結論付けた頃だ。
出来上がった機材を工場で組み立て始め、いよいよ明日にはシステムの完成というところで、大塚は突然やってきた。うちの社員や工場の人員が作業着で作業する中、大塚のかっちりしたスーツ姿は目立つのですぐに分かった。
「なんだ、佐々木社長もご一緒だったんですか?」
「ええ、重要な局面ですからね。私としても直接見ておきたくて」
まずは連絡を無視していたことを謝罪するのが筋ではないのだろうか。と思ったが、俺は努めて笑顔で対応する。大塚は「そうですか」と短く言うと、自分が来た理由を話し始めた。
「私は担当者さんから連絡をいただきましたのでね、明日には完成だとか」
担当者が言うには、連絡は無視されるが、一応進捗の報告などはまめに行っていたらしい。無視していたくせに把握はしているのか?俺と担当者は思わず顔を見合わせた。
「はい、もうあと一息です。動作確認などはしなくてはなりませんが」
担当者の言葉に、大塚は「結構」と頷く。すると突然、大塚はニヤリと笑った。
「ではちょうどいい。ご連絡いただいた件なのですが」
嫌な予感がした瞬間、大塚は告げた。
「本件ですが、契約金は後払いとしてください。それから分割で。ああ、ついでにシステムの処理速度を上げるように」
言うだけ言って「じゃあ、そういうことで」と大塚は手を上げて去ろうとする。俺と担当者は慌てて大塚を引き止めた。
「お、お待ちください」
「なんだよ。機械触った手で触るなよ。スーツが汚れるだろうが」
担当者の手を大塚が乱暴に振り払う。その反動でよろけた担当者の体を支えながら、俺は大塚を睨みつけた。
「大塚部長。これはあんまりじゃありませんか?今まで散々連絡を無視してやったかと思ったら、一方的に。どういうことなのか、しっかり説明してください」
俺たちの様子に気がついたのだろう。周りで作業していた工場員やうちの社員たちが手を止めて、こちらを見ていた。大塚はスーツの袖を手で払うと、さも面倒くさそうな表情でため息をつく。
「だから、言葉の通りだよ。別にいいだろ。払うものは払うんだし。処理速度の向上だって、おまけみたいなもんでしょうが」
苛立ったように腕を組む姿を見て、信じられなかった。
「まさかと思いますが、今まで私たちの連絡を無視していたのは、完成間近なら断れないと踏んだからですか?」
俺は頭に浮かんだ疑問をそのまま大塚に向ける。大塚は否定せず、薄笑いを続ける。
「まさか断れないですよね。こっちは元受けですよ。それならほら、契約39円。下受けの不始末が逆らうなら、全部こうすればいいんじゃありませんか。どっちにします?要件を受け入れるか、39円で今までの仕事を全部パーにするか?」
大塚は財布から効果を取り出し、俺たちに向かって投げつけた。工場内の騒がしい環境音の中で、効果の落ちる音が異質なものとして聞こえる。39円。サンキューか。笑えない冗談だ。
瞬間、先代社長の顔がよぎった。この会社を俺に託した時の、あの真剣な眼差し。それから、ここまで必死についてきてくれた部下たちの顔が次々と浮かぶ。半年間、文句一つ言わずに誠実に仕事をこなしてきた連中だ。これが俺たちの半年間の値打ちだと、この男は言っているのか?
俺は真正面から大塚に怒りの表情を向けた。
「どちらを取るまでもない。私たちは契約に基づいて行動する。それだけです」
端的に、そしてはっきり告げる。俺に続き、担当者や周りで見守っていたうちの社員たちが声を張り上げた。
「契約違反を堂々と言って、恥ずかしくないのか?」
「そこまでの権限ないだろう」
気づけば、工場で作業していた大半の人間が否定的な目で大塚を見つめている。俺がはっきり怒りを表にしている様子に、一瞬だけ大塚がたじろぐ。
「そ、そんなことを言っていいんですか?後悔しますよ」
「それはこちらのセリフです」
「本当にいいんですね。撤収するなら今のうちですが」
「仮に撤収されたとしても、許すつもりもないが、俺と俺の部下たちの誠意を、この男は意図も簡単に踏みにじろうというのだ。自分の立場が上だと勘違いし、自分の権利以上の行為に及ぼうとしている。こんな男の気まぐれで許されていいわけがない。て、撤収などするわけがないだろう。幸い納期までにはまだ余裕がある。頭を冷やして、よく考えることだ」
俺や周りの人間の視線から逃れるように、大塚は足早に去っていく。
「社長」
うちの社員たちが俺に声をかけてくる。俺は社員たちを見回し、力強く頷いた。
次の日のことだ。
「佐々木社長、これは一体どういうことですか?」
「何ですか、藪から棒に」
始業時間になってすぐ、大塚がうちの会社にやってきた。一見して怒鳴り込んできた割には、その顔は青白く、かなり緊迫している。俺が呆れて要件を伺うと、
「ふざけるな!」
と大塚はさらに声を張り上げた。
「システムはどこへやったんだ?あんたのところのシステムだけがごっそりなくなっていると連絡が来たぞ」
大塚がシステムについて言及した時、俺は小さくニヤリと笑う。
「ああ、そのことでしたか。ですが、何も不思議じゃありませんよね。私は大塚部長に言われた通りにしただけですよ。壊すのは気が引けたので、運び出しただけです。分解しやすい構造にしていたので、手間取らずとも助かりましたよ」
あえて笑顔で告げると、大塚はわなわなと震え始めた。
「本当にそんな」
「ついでだからと、俺は昨夜の経緯を説明した」
大塚が去った後、俺は社員たちを集めた。
「今日の件、みんなも見ていただろう?正直に話す。俺は一度深く息を吸い、言葉を続けた。半年間、俺たちが積み上げてきた誠意を、あの男は39円で踏みにじろうとした。俺は許せない」
しばらく沈黙が続いた。若い社員がおずおずと口を開く。
「でも社長、もし撤収したら、今後の仕事に響きませんか?俺たちのことは気にしなくていいですから」
その言葉が終わらないうちに、ベテランの社員が静かに遮った。
「社長が責任を取ると言うなら、俺はついていきます」
それを合図にするように、「自分も」「俺も同じです」と次々と声が上がった。先ほどの若い社員も、何か決意したように「社長について行きます」と言ってくれた。俺は社員たちの顔を見回す。疲れているはずだ。それでも、誰一人下を向いていなかった。
「ありがとう。では、動くぞ」
ただし、動く前にやらなければならないことがあった。正規ルートでは、これまで大塚に握りつぶされてきた。今回も同じ轍を踏むわけにはいかない。かと言って、下受けが元受けの社長へ直接連絡するのは、一方的と受け取られるリスクもある。それでも俺には、社員たちを守る義務がある。俺は内田社長への直接連絡を決断した。
事情を全て話すと、内田社長は絶句した後、「佐々木社長、撤収の許可をお出しします。現場の作業員たちには、私から話を通しておきます」と言ってくれた。内田社長から許可を得た俺たちは、夕方、改めて工場へ向かった。現場にはすでに話が通っており、撤収作業は滞りなく進む。こうして一晩で、システムをこっそり運び出したのだ。
「バカな。だからって作業員たちが素直に許すとは思えない」
大塚がそう呟いた時だった。
「それは、事前に私の許可を取ったからだ」
俺の後ろから、第三者の声が聞こえてきた。大塚はその人物を見て、目を大きく見開いた。
「じ、社長。なぜここに」
俺の後ろから現れたのは、元受けの社長、内田社長その人だ。
「内田社長は、今朝早くから謝罪に来てくださっていたんですよ」
内田社長が口を開く。
「大塚君、私は君に深く失望したよ。私はいつも取引先は対等なパートナーだと思っている。なのに、佐々木社長へのクレームすら、私の耳に届いていなかった。工場の作業員たちが何人も君の振る舞いを目撃している。今更言い訳などするな。仕様変更も支払いについても、私は何一つしていない。どういうことなのか、説明してもらおう」
目撃者がおり、システムも全て撤収済み。社長にまで知れ渡っている。積んだと思ったのだろう。大塚はうなだれ、震える声で白状し始めた。
「あ、白状します。ですからどうか温情を」
なんと大塚は横領に手を染めていたという。会社として支払うべき代金を着服し、ギャンブルに注ぎ込んで、敗したそうだ。発覚を恐れた大塚は、分割払いでその場を繕おうとし、仕様変更の要求は注意をそらすための苦し紛れだったというのだ。
「39円を投げつければ、我々が言うことを聞くと思った。その思考そのものが、もう正常ではありませんよ」
俺が言うと、内田社長が深く頷く。
「佐々木社長。社員の皆さん、本当に何とお詫びしたら」
内田社長が膝をつこうとして、俺は静止した。
「おやめください。一番悪いのは、行動した本人です。他の方が当人以上に謝罪するなんて、おかしい」
俺の言葉で大塚が顔を歪める。今まで大塚自身が馬鹿にしていた人間たちの視線にさらされながら、大塚はゆっくりと床に膝をついて謝罪した。その後、大塚は懲戒解雇となり、相応の罰を受けさせるべく準備が進んでいるという。
内田社長側が違約金と慰謝料を上乗せした形で再契約は成立したが、今後のお付き合いはなくなる。
「今後ともお付き合いを」と言われたが、それは都合が良すぎる。再契約していただけただけでも、本当に感謝しております。内田社長との縁は残念だったが、俺は社員たちを守れたことに、深く満足していた。



