金曜日の夜。私は玄関の影に隠れて、息子と嫁の声を聞いていた。鍋を落としそうになった。明日からの週末に備えて、また必死に準備をしていたのに。私たちは、私のことを無料の家政婦としか思っていなかったのだ。
「今週も実家で飯だしね」
「お母さん、料理上手だから楽でいいわ。家政婦を雇ったら月に10万はかかるもの」
私は息を殺して聞いていた。2年間、私は何のために頑張ってきたのだろう。
すべての始まりは、夫を亡くした後のことだった。寂しさを埋めるように、毎週末、息子夫婦と孫の顔を見るのが楽しみだった。最初は月に一度の手料理。でも、いつの間にか毎週末になり、まるで当然のように家事を押し付けられるようになった。
「お母さん、ついでに洗濯もお願いできる?」
「実は掃除機が壊れちゃって」
「今日は友達とランチの約束があるから、ショタを見ててもらえる?」
断ろうとすると、決まって息子の言葉があった。
「親が子供に会いたくないのかよ」
「親なら子供を助けるのが当たり前だろ」
当たり前。その言葉が呪縛のように、私を縛りつけていた。食費は月5万、光熱費も跳ね上がり、毎月10万円以上の出費。年金暮らしの私には、もう限界だった。それでも、家族のためだと自分に言い聞かせていた。
運命の金曜日。体調が優れず、いつもより早く息子の家に着いてしまった。玄関の合鍵で中に入ると、リビングから健太とユミ子の声が聞こえてきた。挨拶をしようと近づいた時、聞こえてきた会話に足が止まった。
「今週も実家か。正直めんどくさいよな」
「でも、ただで豪華な食事が食べられるんだから、我慢しなさいよ」
「それにしても、あの母親よく続くよな。単純なんだよ」
「最近、さすがに老けてきたわよね。動きも鈍いし」
「あら、でも使えるうちは使わないと。家政婦を雇ったらいくらかかると思ってるの?」
「確かに。修理代だけでも月に10万はかからないよな」
「それが無料なんだから、お母さん様々よ」
膝が震えた。でも、まだ終わりではなかった。
「そういえば、この前食費の話してきたよな。図々しいわよね。親のくせに子供からお金取ろうなんて」
「遺産をもらう時のための投資だと思えばいいじゃない」
「貯金が2000万近くあったわよ」
「だから今は我慢の時なの。どうせあと10年もすれば、老人ホームに入ってもらえばいい」
「そうそう。おばあちゃん大好きって言わせておけば、何でもしてくれるから」
私の心臓は、早鐘のように打ち始めた。でも、悲しみはいつしか静かな怒りに変わっていた。涙は出なかった。ただ、空っぽだった。
私は静かに玄関を出て、そのまま帰宅した。そして、携帯を取り出し、メッセージを送った。
「調子が悪いので、今日は行けません」
すぐに電話がかかってきた。
「母さん、どうしたの? もう準備してるのに」
「申し訳ないけど、体調が悪くて」
「え、さっきまで元気だったじゃん」
さっきまで、私はまだ家に着いていないはずなのに。電話を切り、私は決意を固めた。2年間受けた屈辱を、10倍にして返してやる。 私は日記帳を開き、これまでのすべてを記録し始めた。毎週の出費、要求された家事、体調不良でも休めなかった日。そして、あの日の会話を一字一句、書き留めた。
集まった記録は、自分でも驚くほどの金額になった。食費と日用品で約240万、光熱費の増加が144万、交通費が12万。労力を時給1000円で計算すると、約153万。合計すると、約430万円。私が息子夫婦に提供した価値は、莫大なものだった。
翌日、私は昔からの知り合いである弁護士の山田先生の事務所を訪れ、すべてを話した。山田先生は真剣な表情で聞き、訴えることは可能だと断言した。
「精神的苦痛も相当なものですね。金銭的な要求だけでなく、慰謝料も請求できます。録音などの証拠があれば、なお有利ですが」
録音。私は新たな準備を始めた。小型のボイスレコーダーを購入し、使い方を覚えた。そして、鏡の前で演技の練習もした。いつも通りの優しい母親を装うために。次の金曜日、私はいつも通り息子の家へ向かった。胸ポケットには、小さなボイスレコーダー。
「お母さん、今日もよろしくお願いします」
「今日もしっかり証拠を残させてもらうわ」
その日の会話は、すべて録音された。ショタの誕生日会の準備の話、料理の無理な要求、ユミ子の親からの上から目線の言葉。私はその夜、すべての会話を文字に起こした。証拠は着々と集まっていく。
さらに、私は別の準備も進めていた。銀行で財産の名義を確認し、全部が私の単独名義であることを確かめた。そして、新しい遺言書を作成した。全財産を福祉団体に寄付する。健太には1円も残さない。弁護士事務所で正式な遺言書を作成してもらった。
「本当によろしいのですか?」と山田先生が確認する。
「はい。息子は私を財布としか見ていません。なら、その財布は別の人のために使います」
準備は整いつつあった。録音された証拠、詳細な金銭記録、新しい遺言書。私は親しい友人たちにも事情を話し始めた。友人たちは皆、怒ってくれた。
「みち子さん、そんなひどい目に!」
「2年間もよく我慢したわね。私ならとっくに縁を切ってるわ」
味方がいることが、心強かった。すべての準備が整った時、私は決行日を決めた。ショタの誕生日パーティーの日。その日に、すべてを終わらせる。
誕生日パーティー当日。私は朝4時から準備を始め、20人分の料理と手作りケーキをすべて完璧に用意した。息子の家に着くと、すでに飾り付けがされていた。パーティーが始まり、子供たちの歓声が響く。
「すごい、美味しそう!」
「ショタ君のおばあちゃん、料理上手!」
子供たちの純粋な反応に、少し心が痛んだ。でも、決意は変わらない。パーティーが盛り上がっている最中、私は静かに席を立ち、バッグから封筒を取り出してテーブルに置いた。中身は、弁護士からの内容証明郵便。そして、録音した会話を文字起こしした書類。リビングに戻ると、ちょうどケーキの時間だった。
「皆さん、ちょっとお話があります」
場が静まり返った。
「実は今日で、私はこの家に来るのを最後にします」
健太が驚いて立ち上がった。
「母さん、何を言ってるんだ?」
「テーブルの上に書類を置いてあります」
ユミ子が封筒を手に取った。
「これは…内容証明?」
「そうです。2年間の食費、労働費、慰謝料、合わせて1000万円を請求します」
場が凍りついた。
「ゆ、冗談でしょう?」
「冗談ではありません。詳細はすべて記録してあります」
そして、もう一つの書類も見るように促した。ユミ子は震える手で書類を開き、顔が青ざめていく。
「これ…あなたたちの本音です。ただ飯、家政婦代わり、遺産目当て。すべて録音してあります」
ユミ子の両親も書類を覗き込んだ。
「ゆみ子、これは本当なの? あなた、みちこさんをこんな風に利用してたの?」
健太は必死に弁解しようとしたが、私は冷たく笑った。
「『どうせあと10年もすれば』って言ったわよね。私の死を待っていたのでしょう」
そして、最後の爆弾を投下した。
「遺産の件ですが、全額福祉施設に寄付することにしました。あなたたちには1円も残しません」
ユミ子が叫んだ。
「お母さんの財産でしょう! 好きにしていいんですか?」
「あら、『どうせ大した財産もない』って言ってたじゃない。なら関係ないでしょう」
健太が土下座する勢いで頭を下げた。
「母さん、ごめん。本当にごめん。謝るから!」
「2年間、毎週末を奪われた時間は戻ってこないのよ」
「でも親子じゃないか!」
「『親なら当たり前』って言ったのは誰? なら、子供が親に賠償するのも当たり前でしょう」
完璧な返しだった。パーティーは完全に崩壊し、招待客たちも気まずそうに帰り始めた。私が立ち上がると、ユミ子が必死に呼び止めた。
「1000万円なんて払えるわけないじゃない!」
「家政婦を雇ったら月に10万円かかるって言ったでしょ。月に10万円×24ヶ月=480万円。これに慰謝料を加えれば、1000万円でも安いくらいよ。払えないなら裁判になります。録音もありますし、あなたたちに勝ち目はないでしょうね」
健太が青い顔で聞いた。
「裁判になったら…」
「職場にも知られるでしょうね。親を搾取していた人間だって。社会的な制裁を意味していました。ただし、分割でも構いませんよ。月々10万円。8年ちょっとで完済です」
月10万円。それは、私が毎週末に使っていた金額と同じだった。
「それから、ショタ君には罪はないから、誕生日プレゼントは置いていくわ。でも、もうおばあちゃんじゃないから、田中さんと呼んでもらってね」
ショタが泣き出した。
「おばあちゃん、行かないで!」
私の心が少し痛んだ。でも、もう後戻りはできなかった。
「ごめんね、ショタ君。でも、あなたのパパとママが悪いことをしたの」
家を出ると、春の風が心地よく頬を撫でた。2年ぶりの自由な週末の始まり。携帯が鳴り続けていたが、私は電源を切った。もう振り回されることはない。
その日から3ヶ月が経った。土曜日の朝、私は優雅にコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。友人の洋子からの電話。
「みち子、今日のランチはイタリアンでいい?」
「いいわよ。12時にしましょう」
こんな当たり前の約束ができることが、今はとても幸せだ。ランチの後は、絵画教室。40年ぶりに再開した趣味だ。「田中さん、今日の作品も素敵ですね」と先生に褒められて、心が弾む。来月、作品展に出展してみないかと言われた。新しい目標ができた。
日曜日はボランティア活動の日。地域の子供食堂で料理を作っている。
「田中さんの料理、本当に美味しい!」
「今日のハンバーグ、最高!」
ここでは、私の料理は「当たり前」ではなく「感謝」されるもの。人の役に立てることが、こんなにも幸せだとは思わなかった。
先月、健太から手紙が届いた。
「母さんへ。あれから家族は崩壊しました。妻とは毎日のように言い争い、ショタは情緒不安定になっています。お金の件ですが、本当に支払います。月10万円、必ず振り込みます。妻も今は働いています。パートですが必死です。僕も残業を増やしました。正直、きついです。でも、これが母さんが2年間感じていた苦しみなんですよね。毎週末、自由を奪われ、お金も時間も搾取される。今、身を持って理解しています。母さん、本当にごめんなさい」
手紙を読んで、複雑な気持ちになった。でも、許すつもりはない。信頼は一度壊れたら、簡単には戻らない。今月も10万円が振り込まれていた。このお金は、全部子供食堂に寄付している。汚れたお金でも、使い方次第で誰かの幸せになれる。
ある日、スーパーでユミ子に会った。以前の派手な格好はなく、地味な服装で疲れた顔をしている。
「お母さん…いえ、田中さん」
気まずそうに声をかけてきたが、私は淡々と挨拶だけして通り過ぎようとした。
「待って。あの…ショタがおばあちゃんに会いたがってて…」
「それは残念ですが、もう他人ですから」
冷たいようだが、これが現実だ。私は続けた。
「あなたも言ってたでしょう。『おばあちゃん臭い』って」
ユミ子の顔が真っ赤になった。
「あれは…」
「子供は親の鏡です。親が祖母を軽蔑していれば、子供も同じように育ちます」
もう、話すことはなかった。
先日、健太の会社の同僚という人から連絡があった。
「健太から話を聞きました。彼、本当に反省していますよ。毎日遅くまで残業して」
「そうですか。ただ、あまり無理をしていて体調を崩しがちで…」
私の心が少し動いた。でも、それは自業自得だ。私も2年間、体調が悪くても休ませてもらえなかったのだから。電話を切った後、少し考えた。確かに息子の体調は心配だ。でも、だからと言って許すことはできない。
最近、新しい変化もあった。絵画教室で知り合った山本さんと、お茶をする仲になった。奥様を亡くされて3年。趣味の絵を通じて、少しずつ親しくなった。私には複雑な事情があるけれど、山本さんは優しく言ってくれた。
「誰にでも過去はあります。大切なのは、これからどう生きるかです」
この年齢で、新しい出会いがあるとは思わなかった。人生は本当に分からないものだ。
子供食堂での活動も充実してきた。代表から、週2回に増やさないかと提案があった。
「田中さんの料理を楽しみにしている子供たちがたくさんいるんです」
週2回。昔、息子の家に通っていたのと同じ頻度だ。でも、意味は全く違う。あの時は義務と搾取。今は喜びと貢献。
「はい。喜んで」
ある日、孫のショタから手紙が届いた。たどたどしい字で、一生懸命書かれていた。
「おばあちゃんへ。ごめんなさい。パパとママが悪いことをしたって聞いています。僕も臭いなんて言ってごめんなさい。本当はおばあちゃんの料理、大好きでした。また会いたいです」
涙が出た。罪のない孫まで巻き込んでしまった。でも、これも現実なのだ。親の行いは、子供の人生に影響する。健太とユミ子には、それを身を持って知ってもらう必要がある。私は返事は書かなかった。でも、ショタの手紙は大切に保管している。いつか彼が大人になった時、真実を理解してくれることを願って。
先月、私の誕生日だった。70歳の記念だ。友人たちがサプライズパーティーを開いてくれた。絵画教室の仲間、子供食堂のスタッフ、近所の友人たち。山本さんも、素敵な花束を持ってきてくれた。
「田中さん、これからも素敵な人生を」
涙が止まらなかった。これが本当の幸せなんだと、実感した。血の繋がりだけが家族ではない。心が通い合う人たちとの時間こそが、人生の宝なのだ。
今、私は心から言える。あの時、息子夫婦の本音を聞いてよかったと。もし聞いていなかったら、私は今も奴隷のような生活を続けていただろう。「親なら当たり前」という呪縛から解放されて、初めて自分の人生を生きることができた。もし同じような状況で苦しんでいる人がいたら、伝えたい。
あなたの人生は、あなたのものだ。家族だからと言って搾取される必要はない。親だからと言って、すべてを犠牲にする必要はない。勇気を出して「ノー」と言って、自分の幸せを見つけてください。70歳の私にできたのだから、あなたにも必ずできる。
最後に、息子夫婦へ。10倍返しはまだ終わっていない。残りの返済、あと7年と9ヶ月。その間、毎月10万円を支払うたびに、私の2年間の苦しみを思い出してください。そして、二度と同じ過ちを繰り返さないでください。それが、あなたたちへの最後の教育です。
私は今、本当に幸せだ。週末は自由に使え、感謝される場所があり、大切な友人たちがいる。「親なら当たり前」ではなく、「ありがとう」と言われる人生。それが、私の選んだ道だ。



